ちょっとばかし未来の方向を探るシリーズ(3)

 

■1■温故知新。古きを訪ねて新しきを知る。自らの過去の日記や記録を読んで、将来へと繋ぐ糧とすることができる。これはまた歴史をよく捉え直して現在を鑑み、未来を創出することにも通じる。学業のための棒暗記や、民心誘導の歴史ドラマ鑑賞を離れて、正当な研究を踏まえた過去を知ることもできる。

 

■2■古代インドに侵入したアーリア人がカースト制度と共に持ち込んだ家父長制による性倫理では、紀元前後に成立した『マヌ法典』に詳しい。それによると女子における初潮期前の結婚が勧められ、結婚前の処女性と結婚期を通じての貞節が要求される反面、男子には多妻婚と妻取替えの特権が認められた。

 

■3■古代ローマの家父長制について、大カトー(前234〜前149)はこう言う。「夫は妻を裁く。その権能は無制限であり,全く家長の欲するがままに行使することができる。妻が過ちを犯せば夫は懲罰を与える。彼女が酒を飲めば彼は処罰する。もし彼女が他の男と通ずれば,彼はたちどころに彼女を殺す。」

 

■4■古代より父系社会で家父長制も発達していた中国では、妻子は奴隷と共に家長の所有物であり、女性は政治の世界から締め出され、財産権もなくその地位は低かった。7世紀末〜8世紀初頭の日本は、その男性優位の家父長制の思想に貫かれた中国の制度や法を手本に、最初の律令国家を成立させていた。

 

■5■しかし日本ではそれにもかかわらず、母権制の地であったこの国では共同体における男女平等の土地占有権や、祭祀への参加権を持っており、少なくとも10世紀初頭までは男尊女卑思想や女性蔑視の考え方が存在していなかった。しかしその後は社会が、夫が妻を従属させる非対称性の一夫一婦となった。

 

■6■10世紀以前の女性の地位を結婚問題で見てみよう。父権社会とは対照的に母権制社会では、女性の意志が尊重されており、女性が男性に求婚するのが普通であり、その逆は無作法とされる。性的結合もまた相互の合意、特に女性の承諾を前提にのみ行われていた。基本的には売春も、強姦も無かったのだ。

 

■7■同時に離婚に対しても、女性は自らの意思で行う権利を有していた。中国では男だけに与えられていた口分田班給も、この国では女性は男性の2/3を与えられていた。この差は労働力の差による実質的平等であり、男女差別ではないと考えられている。自らの財産を祭りごとに寄進する女性も存在した。

 

■8■古代の結婚をそのまま現代の概念と重ねると齟齬を来たすだろう。現今の結婚は単婚(一夫一婦制)だが、その前の当時は「対偶婚」であった。それは基本的に1人の妻に1人の夫の関係は成立しているが、それは必ずしも夫以外の男性との性関係を妨げず、当事者の気の向いている間だけ継続するのだ。

 

■9■しかし10世紀以降の家父長制の展開は女性の隷属化を進め、その地位は徐々に低下して行った。『日本霊異記』(822年頃)には見られなかった女性の意志に反する性の略奪や、女性の性具化・商品化、さらには仏教的女性差別観などが、12世紀初頭に成立した『今昔物語』には複数散見することができる。

 

■10■この文字列は現今の状況を鑑みて、未来を作りだすためのパラメーターの1つとして記しているのであり、日本の他国に対する特別視でもなければ、この時代に戻るべきだという賛美でもない。しかしこの10世紀初頭までの世界に類を見ない、日本女性の在りようについては、さらに見ていきたいと思う。

 

(※)参考/『日本古代女性史の研究』(関口裕子著)塙書房刊

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


奥浩哉氏の『いぬやしき』

 

最近は机に向かってばかりの生活から、健康のために散歩をするようになった。わざわざ遠くのコメダ珈琲店まで行ってのモーニング。そこにあった単行本を暇つぶしのつもりで手に取って読み始めたら、即座にハマった。

 

あの『GANTZ』の作者奥浩哉の『いぬやしき』だ。2014年から2017年までで完結していた。単行本で10巻完結。写真起こしの画像や、コンピュータ処理の独特の絵柄と世界だが、ストーリーはある意味シンプルで、そして爽快でもあり、現代的でもある。

 

 

その日は読み切れなかったので、翌日もまた片道1.5km程の未知道を歩いてそのコメダに行き、10巻を読了した。コマも大きいしストーリーはほぼ一直線なので、早読みをしようと思えば一気に読める。

 

「イブニング」はフォローしていなかったやっぱり奥浩哉さんはスゴいと感心した。話は取り敢えずちゃんと終わっているが、圧倒的な画像と、現代の問題を小気味よく(残酷なまでに)突き抜けてくれてもいる。

 

 

誰にも進めるつもりはないけれど、個人的には好きな作品となったので、興味のあるひとにだけお薦めしたい。まだまだまんがの世界は広く、そして深い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


福岡でBOBに会った

       

ヌースコーポレーションに出向き、BOBと会って話をした。今後の方向性や進め方を確認する。昔話にも花が咲く。ソ連崩壊後のロシア訪問の話がメチャ面白かった。昼飯を御馳走になった。今後の展開がとても楽しみ。
       

世界は2重に閉じている(8)

 

■1■ぺたんと座り込んであぐらをかくような格好から、自分の首や頭や背や腕等の各部位を、それぞれが動きたいように半ば勝手に動くに委せてみる。またほぼ肩幅ほど足を開いて立ち、膝を軽く曲げた体勢から体のあちこちを適度に緩めて、傾いたり回転したり縮んだり捩れたり、好き勝手に動かせてみる。

 

■2■言葉や概念や自覚的顕在意識によって体を動かすのではなく、体の望む方向に各所が動くに委せると、体の凝りやこわばりが軽減していくのが分かるし、何か妙に気持ちいい。ネットで調べると、このような体の動かし方はどうも野口晴哉の始めた「活元」もしくは「自働運動」というものに近いようだ。

 

■3■もちろん習った事もないし、任意の方法に従ってやったこともない。これからも作法と理論に則ってやるつもりがないので同一物だとは思っていないが、適当な言葉を知らないのでとりあえず活元という言葉だけを借りて、話を先に転がしてみよう。身体の「知」を信頼して委せるということは実に面白い。

 

 

■4■目をつむり体を動くに委せる。身体があるので空間の位置感覚はちゃんとある。しかし重力方向は分かるが、緩やかな回転が方向と姿勢を失わせもする。関節の可動領域に逆らってはいないものの、時々目を開けて確認すると、頭が脛の外側に接して床のすぐ近くにあったりする。新鮮な視座からの光景。

 

■5■自分の姿勢と視野が今までにない関係の形状になっていたりして驚いてしまう。目を閉じることによって世界の空間が変わり、眼を開けることでそれを自覚再認識できるのだ。日常生活における身体表面は、顔面にある目に見える外世界(環世界)と目に見えない身体内部世界の境界面として見えている。

 

■6■「周期的極小曲面」というものが世界を均等に2分するという話を先にしたけれど、一意で体の内部と外部もこの関係に見立てられる。もはやこちら側から鑑みてこちらが全てで向こうは無いのか、2つが均等なのか、向こうがこちらを内包しているのか等という発想そのものがこちら側でのものなのだ。

 

 

■7■今ではX線吸収によるCTスキャンや、磁気共鳴によるMRI等の技術により、体内の状態を生きたまま撮影することも可能となっている。しかし事故その他で生体の一部が露出することはあるが、基本的に体内は肉眼では不可視の領域だ。ただし生物進化的には顔面のみは腸管、つまり内部由来である。

 

■8■しかし目を閉じると、世界と肉体を分かつ薄幕のようなものとして体表を感知しようとしても難しい。そこで鋭角的に突出している指先や顎や鼻先や肘や膝などの身体部位に意識を集中させると、それらの位置が分かる。そしてそれらをつなぎ合わせることによって、自らの姿勢を自覚することができる。

 

■9■ではその身体の突出部分を活元状態にするとどうなるだろう。そこが局所的に痺れたように無感覚になり、半ば自動的に動くのが分かる。そこでの位置や動きを意識することで、もう1つの世界と自分との界面として、インターフェイスとして、誰でも自らの身体知を介して対話することができるはずだ。

 

 

■10■最初に言明した通り、他者を何として設定するかによって、もう1つの自分自身(未自分)なのか、親族的知(血)なのか、人間という種なのか、生物の総体なのか、全ての世界でもある神的なものなのかと色々とあり得ようが、大体は自分と未自分の対話であり、従属したり支配したりしては台無しだ。

 

■11■多分コツのようなものがあって、その流出をそのまま創作に用いるのか、動きを共通了解の記号や文字として(○×や平仮名でも良いだろう)メタローグするかなど、得意不得意を知って関係性を作り上げていけばよい。これは自動書記とかコックリさんとかのオカルト話ではない。「活元」の話である。

 

■12■目を閉じていても指先などの動きはトレースできる。それは、呼吸を意識的にしてみる繊細さに似ている。意識を集中した指先が自分の意思と別に動くことは驚くに当たらない。こちらの穴はあちらの塔。ダ・ヴィンチの反転文字ではないが、仮想平面に指先が文字なり記号なりを書くことはありえよう。

 

 

■13■身体を介してもう1つの空間とコミュニケーションを取るというのは、単なる観念的な話でもなければ、異能力を持つ誰か別の人の話でもない。必要ない人もいるし、自在に用いている人もいるだろうけれど、誰でも可能ではあろう。ただそれを自分だけの特別な出来事として、増長するのは愚の骨頂だ。

 

■14■宇宙人との交信、未来人からのメッセージ、守護天使の導き、先祖霊のお言葉等とどう解釈してもそれは自由だが、それはあくまでも自分の世界観による解釈であり、他者の世界観を上書きする類のものではない。私たちが分別知を採用して世界認識した時から、世界は様々に2つの領域に分かれている。

 

■15■随意筋と不随意筋、交感神経系と副交感神経系、右脳と左脳、意識層と無意識層…身体機能の分別法もたくさんあるが、無意識的にも意識的にもできる呼吸のように、自らが意識して為すことと、その裏側で未自分が成していることとを、情報交換しつつ統合的に進み行けたら、一寸先は闇でなく光かも。

 

■16■身体感覚と言っても、聴覚や視覚や嗅覚や皮膚感覚等に特化した能力を持つ人もいるだろう。誰にでも勧められるものでもない。しかし無意識と大きく括って区別している混沌とした広大な世界を、自らの身体感覚を用いて少しずつ探査し、他者とも共有可能な界面地図を描くこともできるかも知れない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


世界は2重に閉じている(7)

 

■1■三半規管という名前はその形状と数からきているが、人間が前方しか見えず後ろ半分が見えないことを連想させるように、なぜO型でなくその半分のC型が3つ直交しているのだろう。また三半規管の機能は鍛錬によって強化が可能だが、それはまたこの世界の空間認識を強化して適合するということだ。

 

■2■三半規管と身体(頭部)の軸が揃っており、それらの角度変化を認識できるようになっているのならば、特別な角度の時、意識モードが異なる場合もあるのではなかろうか。たとえば上図のように半規管膨大部が垂直になる時の見上げる場合の意識は、水平に物事を見る時とは少し異なっている気がする。

 

■3■辛い時哀しい時は自然とうつむき加減になるし、高揚する時は顔を上げてしっかり前方か少し上を見る。逆に落ち込みそうな時に、意識的に胸を張り顔を上げるだけでちょっと元気が出る。自然にしている呼吸が意識的に変えることができるように、身体の姿勢も意識的に変えることで意識が変えられる。

 

 

■4■このことをもう少し掘り下げて考えてみよう。頭を60度上方に見上げてものを見る時、地球の重力方向と半規管膨大部の方向が同じになる。この60度という角度は銀河中心に対する太陽系の惑星軌道面との傾きであり、またベクトル平衡体の中心転で束ねられている内部6角形面同士が成す角度でもある。

 

■5■大円と小円の半径比が2:1のトーラスの斜断面に現れるヴィラルソー円が、トーラスの水平面に対して60度の方向から見ると、その断面がベシカ・パイシスの形になっているのが見える。辺長比が1:2:√3の直角3角形の1つの角度、または正3角形の1つの角度もまた60度である。幾何学と身体。

 

■6■60度は1つの例に過ぎないが、三半規管と自らの頭(及び2次元的には自らの身体)の前後左右上下に傾けた時に成す角度には、単に物理学的なレベルでも、自らの身体と周囲環境にある電場・地場・太陽や月などの天体や惑星グリッドや地脈水脈等と位相が整合または相反するものがあるのではないか。

 

 

■7■身体論を後回しにする宇宙論や世界観は、強度なき安直な全体論は論外として、まだ未熟なものであろう。逆に、長きに渡る鍛錬や瞑想を通して体得した確かな身体感覚もまた、知を飛ばして「我に倣え、我に成れ」的手法で共有させざるを得ないのには優しさの欠落を感じる。身体感覚と身体知の重畳。

 

■8■トーラスの形に話を戻そう。トーラス上のどの点も3種類の円が交差している。つまりW1の大円、W2の対円の片方、そしてヴィラルソー円の対だ。3次元空間における多重の対称性を示すモデルは直交トーラスだが、このトーラスはW1とW2の半径比が2:1である。では1つのトーラスを見よう。

 

■9■このW2、つまり輪っかの部分の断面半径を固定して、W1つまり輪っかそのものの半径を減らして行くとどうなるだろう。1:1だと穴が単なる点になるトーラスになる。さらに1:1/2にすると中心部分が重なったリンゴや梨のような形になる。断面を見るとベシカパイシスの形なのが見て取れよう。

 

 

■10■さらにW1の半径を狭めていき、W1=0としたらどんな形になるだろう。W1は点となり、全体の形は球になる。これが球体トーラスである。形は球形なのだが、W1の回転は地球の自転方向に回り、W2の回転は地球の南極から出て北極点で交差して南極に戻る2重の緯度方向の面回転となるだろう。

 

■11■球体トーラスのイメージしてみよう。球面上のどの点でも南北方向の表裏双方向の回転と東西方向の回転の力積点である。(南北両極点は特異点である。)3次元空間の中にある球体もまた、実はこの球体トーラスと見ることができるならば、球表面の経度と緯度にもう1つ見えない1つの回転が加わる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


世界は2重に閉じている(6)

 

■1■親水性のリン酸部分の頭部に疎水性である脂肪酸が2本の尾部がついた「リン脂質分子」が並んで2分子膜を作り、親水性側を外に疎水性側を内に自然に丸まって内と外のある球体になる。この時点では自己他者の意識や、外界を光で認識することもまだないが、最初の細胞の膜が内と外を構築している。

 

■2■凸の多面体は展開図から多面体を作ることを考えればイメージできるように、それぞれの点が周角360度から何度か削り取って頂点を作ると考えれば、その時削り取られた角度を「不足角」という。ここでは分かり易いようにプラトン立体を例にして示したが、全ての凸多面体の不足角の合計は 720度である。

 

■3■正4面体の頂点は(360−180=)180度の不足角があり、4頂点なので全体の不足角は(180×4=)720度である。同様に正6面体は90×8=720度、正8面体は120×6=720度、正12面体は36×20=720度、正20面体も60×12=720度だ。不足角の総和が常に8直角・720度となることをデカルトの定理と呼ぶ。

 

■4■3次元として認識し、共有しているつもりの空間の中にある物体は、閉じた球体状の多面体として想定するならば、すべからく720度の不足角を有していると捉えられる。自分の意識視座がある自らの身体からは、視線の軸だけは線が点となり奥行きが見えないが、残る2軸のみで世界は平面的に見える。

 

■5■多面体の頂点が平面から立ち上がるめに、その周角360度から削り取ったのが不足角だっが、ではそこから切り出した各頂点の角度の和はどうなっているだろう。各頂点の角度の総和とは、表現を変えればその立体を構成する各面の内角の総和ということだ。これも取り敢えずプラトン立体で見てみよう。

 

■6■図に示したように、5種のプラトン立体の各面を構成する正多角形の内角の総和は、正4面体が720度、正6面体が2160度、正8面体が1440度、正12面体が6480度、正20面体が3600度となっている。この数値はそれぞれ720度の1、3、2、9、5倍となっている。そしてこの1、2、3、5、9は1〜10を作る。

 

■7■一応13種のアルキメデス立体、及びその双対立体である13種のカタラン立体も、各面の内角の総和が 720度の整数倍であることを図で示しておこう。多面体の不足角の総和も、内角の総和も720と深く関係している。「世界は2重に閉じている」と表現したが、720度とは一意で単にスピンの2回転に過ぎない。

 

■8■そして私たちの用いている10進法の中にも、720は普通に存在している。名無し数と言われている7を中心として、1×2×3×4×5×6=720であり8×9×10=720である。マヤの計時法に詳しい人なら720日は2トゥン、7200日が1カトゥン、72000日は1/2バクトゥンであること等も想起するだろう。

 

■9■この720に10進法最大の自然数9を足すと729で、一桁で構成する最大の9×9×9の立体魔方陣となる。3軸直交となじみの良い立方体だ。そして最大と最小の自然数1と9を足せば730で、地球の公転周期2サイクル分の日数になる。1年の1日1日の中に他の364日が内包されている2重の1年でもある。

 

■10■そして最後に繰り返し明言しなくてはならないが、これは世界が2重に閉じていることの証明や証拠の寄せ集めではなく、単に個々人の知性と情緒の中に何らかの共振イメージが立ち現れることを期待してのメタファーなのだ。現今の世界観という湯船の縁から溢れ出ていることの自覚の共有なのである。

 

■11■スノーボード用語に720°(通称セブンツー)というものがある。重力を前提として3軸に捻じれながら2回転する様々なスピントリックのことだ。体操やフィギアスケート等も含め、私たちの身体感覚を介した空間認識はもはや720度を超えている。それを見て知り身体で知り、重力をも楽しみたいものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


世界は2重に閉じている(5)

 

■1■優れた視力と平衡感覚の獲得は、約5000万年前に私たちの祖先でもある霊長類が、地表から樹上へと生活の場を移すようになったことがきっかけとなったと考えられている。そこは食料豊富で外敵もいない新しい楽園だった。ただしそこは重力によって落下すれば命に係わる複雑な3次元空間でもあった。

 

■2■地表における平面的な前後左右の方向性だけでなく、重力の働く垂直方向も加わった3次元世界の中で、バランスを崩して落下しないように脳、三半規管、視覚が発達した。それ以前に生息していた小型羽毛恐竜(1)同様に優れた視力と平衡感覚を獲得していたが、それらは樹上から空に向かっていた。

 

■3■「内耳」は刺激を受容する中心部分であり、全ての脊椎動物が例外なく備えるもので、進化的にみて最も由来が古い。内耳には音を感ずる「蝸牛」、身体の平衡感覚に関係する「前庭」と「三半規管」がある。前庭が直線加速度・重力・遠心力などを感受するのに対し、三半規管は回転加速度刺激を感受している。

 

 

■4■前庭が自らと環世界との相対的な方向と力積の感受であるのに対し、三半規管は相対的な回転と速度の感得する。脊索ができて腸管の入り口側に脳と知覚器官が移動したので、腸管の両端に沿って前後方向が自覚された。その軸が勝手に回転しないように、重力の垂直方向を目安に水平方向が体得された。

 

■5■三半規管は平衡感覚を司る器官であり、無顎類(現存種はヤツメウナギとヌタウナギのみ)以外の脊索動物全てが持っている。3つの半規管(前半規管・後半規管・外半規管)は、それぞれがほぼ90度の角度で傾いており、X軸・Y軸・Z軸のように3次元的なあらゆる回転運動を感知することができる。

 

■6■三半規管は前半規管・後半規管・外半規管の3つの半規管からなる。前半規管は側頭骨の錐体の長軸に直角方向、後半規管はこの長軸と平行方向、外側半規管は水平面で外側方向に向いている。外側半規管は水平回転(左右横方向の回転)、前半規管と後半規管は垂直回転(上下縦方向の回転)を感じ取る。

 

 

■7■身体感覚に対応させて考えれば分かりやすい。フィギアやバレエのように上下を軸にした(左右)回転、前転(バック転)方向の回転、(左右)側転方向の回転の3軸であり、それらの複合回転を自覚する。リンパ液で満たされており、有毛細胞が刺激されることで回転が感知できるしくみになっている。

 

■8■3軸直交の3次元空間における身体の回転運動を見てみよう。左右回転は上下軸を中心として前後軸と左右軸が回転する。前後回転は左右軸を中心に上下軸と前後軸が回転する。左右回転は前後軸を中心として、上下軸と左右軸が回転する。2軸回転を三半規管が感知し、1軸固定を前庭が制御している。

 

■9■3次元空間における回転を三半規管が制御し、環世界に対する軸の固定を前庭が受け持っている。3軸の内の2軸が回転するに等しいので、360×2=720度であるとも解釈できるが、身体の中心からは世界が360度回転している間に、環世界側の方逆が360度回転しているとも捉えられる。360×2=720度。

 

 

■10■身体感覚では1回転だが、相対するものも逆に1回転する。コインに沿ってコインを回転させると、回転する方のコインは泊っている方のコインの周りを2回転する。回転している方のコインから見れば、静止している方のコインが2回転しているように見える。360度でなく720度の自己他者問題だ(2)。

 

■11■3次元空間とはいえ、地上で人間が身体の回転運動をする場合、常に垂直方向に重力が働いているために、身体は環世界の上下軸を前提に回転する。基本は3軸の1つを固定して2軸を回転させる。体操選手などの複雑な運動もこれらの組合せだ。πの3乗(ほぼ31)の中のスピン1/2(720度)なのだ。

 

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1)中生代白亜紀前期に生息したミクロラプトルなど。

 

 

(2)コインが同じ大きさのコインの周りを回転する時、コイン円の中心が円周の長さ分だけ回転移動するごとに、コインは1回転する。つまりこの場合は回る方のコインの中心を移動する円の半径は、静止しているコインの半径の2倍だから、回転も2倍となるわけだ。

しかしここで重要なことは、このような数学的な解ではなく、静止している側のコイン側から見れば、2つのコインの相対的な関係として、自らが2回転して元の位置に戻るということと等価であるということだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


世界は2重に閉じている(4)

 

■1■人間の「3次元的な空間認識」は、三半規管による自らの平衡感覚と知覚器官による情報と解析に整合性を持たせて生存・生活していくための、生物進化の過程における1つの戦略である。それをただ否定して高次世界へ移行せよとか、複雑な数式や高次概念の方が真実とするのは少し傲慢だろう。

 

■2■現状に甘んじて進化の道筋を模索しないと言うのではなく、先ずは現在の3次元的空間認識そのものを自覚し、肯定し、楽しみ味わってから、それを内包しつつ超えていくという方法もあるだろう。もちろん他にも様々な道筋があるだろうから、これはただ個人的な好みの問題として提示したい。

 

■3■私たちの3軸直交の3次元的空間認識で、最も馴染んでいるのは立方体、プラトン立体的に言えば正6面体である。多面体的発想でこれを2つの領域に等分割するには、包丁で羊羹を切るような2等分割から、ケプラーの星形8面体を内接させ、その内と外の体積を1:1とする方法まであった。

 

 

■4■実は他にも様々な曲面を用いることで、正6面体を2等分することが可能だ。双曲放物面を用いた簡単な形を2つ図に示してみた。左図は既に見た、正4面体のフレームをシャボン玉液に浸けたあの形である。どちらの面も正6面体の重心を通っている。どちらも真上から見れば正方形に見える。

 

■5■私たちは普通、この世界を3軸直交の3次元空間として捉えている。自らの身体感覚で言えば、前後・左右・上下の方向だ。上下方向は地球の重力で、誰しも大地に固定されている。残るのは前後左右の平面で、そこが私たちの生活の場だ。そして地球上と知りつつ感覚的には周囲は真っ平である。

 

■6■物理的には、この平面を前後方向と左右方向にずーっと伸ばして行けば、ぐるりと回って元に戻ってくると考えている。地球という星の上にいるからだ。高所に昇って水平線や地平線を見ると、曲線の一部であることをそれとなく感知できる。そしてそれは共有している「見える」世界でもある。

 

 

■7■この自分が立っている平面の、目に見えない微細領域から銀河系より巨大な空間の曲率までが、シャボン玉極液に浸してあげた正4面体上にできる「極小曲面」もしくは「周期的極小曲面」であったとしたらどうだろう。私たちのどの立ち位置でも、上向きと下向きの平均曲率がゼロだとしたら。

 

■8■何度も繰り返すが、これは比喩であり現実そのものの証明ではない。だからイメージで、この鞍馬形の面上に立ってみることも可能なわけだ。せっかくだから環世界の中心にいる自分自身を、正6面体の重心位置に重ねてみよう。真上から見たら正方形の中心だ。そして空間曲率は目に見えない。

 

■9■もっともシンプルな正4面体内部の極小曲面に立ってみる。この話の(1)で、正4面体の4頂点に<左・右>と<前・後>とマーキングしておき、それを取り敢えず「区別記号のようなもの」と表現したが、ここではそれを文字通りの意味で用いてみよう。前後左右に位置合わせして赤い点上に立つ。

 

 

■10■前後方向の曲率は負なので、地球上に立つようにずーっと下方に丸まっていき真下で閉じている。地球上と違うのは左右方向の曲率が正なので、ずーっと伸ばしていくと上方に曲がっていき、頭上のどこかで閉じている。この横方向に閉じた円を前後方向にぐるりと1回転するとトーラスになる。

 

■11■なんだ、私はトーラスの内部にいたのか。いや、これはメタファーである。前後方向と左右方向、もしくは曲率の正と負を逆にして同様の操作をすると、今度はトーラスの外部だが、穴の縁に立っていることになる。これが真の宇宙の形だという話ではない。しかしこれも1つの宇宙の形なのだ。

 

    

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


世界は2重に閉じている(3)

 

■1■「DNAの2重螺旋」とよく言うけれど、単なる螺旋ではなく2重螺旋とはどういうことだろう。これはちょっと考えればすぐわかる。かつて妖怪研究家の甲田烈氏と福島県中通りを旅行したことがある。二本松で鬼婆伝説の場を訪れた後、会津若松は飯盛山の中腹にある「さざえ堂」を訪れた。

 

■2■この江戸時代後期に造られた高さ約16.5mの木造建築は、外観は六角堂だが内部は2重螺旋構造をしている。入り口から右回りに1回り半で頂上部分に至り、そのまま1回り半を今度は左回りで下り、登りと交わらないまま裏側の出口から出る構造だ。すぐ隣りにあるもう1つの螺旋は見えない。

 

■3■青森県津軽村には「つがる地球村」という滞在型のリゾート施設がある。そこには様々なレジャー施設があるのだが、その「遊びの国」というエリアに2重螺旋構造の龍の滑り台がある。一方のチューブはもう一方のチューブとは出会わないまま真っ暗闇の中を出口に滑り降りるという構造である。

 

 

■4■神奈川県秦野市には、相模湾と湘南を一望できる有名な夜景デートスポットがある。展望台の形状も無骨ながらやはり登りと下りが別々の2重螺旋構造になっている。また熊本の三角港フェリーターミナルも2重螺旋で構成されている。上り下りの向きは逆だが形状的にはよりさざえに似ている。

 

■5■海外にも2重螺旋構造の建築物は多い。フランスはロワール河畔にあるシャンボール城には、ダ・ヴィンチがデザインした2重螺旋構造の階段がある。ローマのバチカン美術館の入口もまた、出口まで観光客を上手く流すように一方通行の2重螺旋構造になっている。共に中心は吹き抜け空間だ。

 

■6■単なる螺旋階段なら、登ったところをそのまま降りてくるのだが、2重螺旋階段であれば昇りと下りは別となる。2つの空間は等価で双対的でありながら、内部にいる限り互いの存在には気がつかない。互いが接するためには中心軸を突き抜ける必要がある。総体的把握には外部の視座が必要だ。

 

 

■7■さてDNAの2重螺旋構造だ。よく目にするDNAの概念図では、糖とリン酸からなる2重螺旋のリボンの双方から伸びた塩基同士のペアが水素結合によって捻じれたハシゴ状上の構造をなすというものだ。しかし中心に1本の柱を通し、階段の隙間を塞いでしまえは双対状の2つの空間になる。

 

■8■さざえ堂のように最上階で繋がっている2重螺旋構造の塔や階段は、最下部でも繋がっていれば1つの輪である。上と下に際限なく伸びているなら、内部からは対の階段の存在は見えず、想像しても全体がループしているのか分からないし、同様のパラレル階段が無数にあると考えたりもしよう。

 

■9■太陽を挟んで正反対の位置に、クラリオン星という反地球が存在するという説がある。現在この惑星の実在は物理的に否定されているが、もし存在するとしたら、太陽と共に銀河の中を移動する軌跡は地球と共に同じ方向に2重螺旋を描くことになる。説の可否に関わらずそれは見えないわけだ。

 

       

 

■10■取り敢えず話を収束させよう。最後の画像は「常螺旋面」という曲面だ。1本の棒を中心を軸としてくるくる回しながら、垂直方向に移動させたその軌跡というイメージでいいと思う。棒の長さは無限でもかまわないが、画像に収まらないので有限にしてある。この軌跡も極小曲面になっている。

 

■11■面だから裏表があるのは当然だが、螺旋で繋がっている面を辿っていけば分かる通り、互いに交わることのない2つの螺旋面、及びそれで囲われた2つの空間が、互いを織り込むように連なっていることが分かる。繰り返すがこの表現は比喩であり、複素関数で証明するような数学的話ではない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


世界は2重に閉じている(2)

 

■1■正4面体内部を最少の表面積で2分割する「極小曲面」というもの、そしてその形を用いてできるユニットを周期的に連結することでできる「周期的極小曲面」というものを見た。小難しげな名称は覚える必要がないけれど、そもそも私たちはこのように平均曲率ゼロ云々の曲面に慣れていない。

 

■2■そこで私たちにとっての3次元空間を、互いに交わらないまま貫き合っている等価の2つの領域に分けているカタチというものを、多面体の組合せによって考えてみよう。最初の図左にはアルキメデス立体の1つである斜方切頭立方8面体と、そして3軸直交方向に正8角柱が3つ描かれている。

 

■3■このコテコテな名前の斜方切頭立方8面体は、ベクトル平衡体の12の頂点を、各辺が同じ長さになるよう切り落とした形をしている。この斜方切頭立方8面体と正8角柱は全ての辺の長さが同じだから、綿棒多面体を作ったことがある人なら、内部構造は別にするとしてイメージしやすいだろう。

 

■4■この斜方切頭立方8面体の3軸直交する方向にある正8角形の3つの面に、正8角柱を貼り付けてみよう。そし右図はその正8角形の面を取り払って、内部が空っぽであることを示してある。この図では見えないが、正8角柱を張り付けていない向こう側の3つの正8角形の面も取り除いてある。

 

 

■5■これが1つのユニットだ。そしてこれを3軸方向にどんどん接続していくことができることを示したのが次の図である。片方の連続する内部空間は、もう1つの外部空間と同じ形をしているけれど、この2者は互いに接することがないし、外か内かと言う表現すらその片方からの視座に過ぎない。

 

■6■シャボン玉液に浸した針金に付いたような周期的極小曲面出はないけれど、表現したいことは同じである。このように片方の空間(私たちが通常空間として捉えているこの世界)からは、全く同じ構造をしているもう1つの対領域と交差できないし、逆側からも同様であるという比喩なのである。

 

■7■この空間的な対構造を俯瞰する視座というモデルを、どのように用いるかでまた話の展開が異なってくる。「個人の内部における自己他者問題」として語れば、自分がアイデンティティとして自覚し意識している自分と、ベタに無意識領域と表現されている未自己領域の諸相として語れるだろう。

 

■8■実空間と虚空間でも良いし、生の領域と死の領域(誕生以前も含む)でも良い。自分の霊感や生命力の湧いてくるところと捉えても良いし、指導霊や守護天使(好きではないけれど悪霊を据えてもいい)のいる領域と表すのも個人の世界認識のセンスだが、個人内部という括りで捉えられる領域だ。

 

 

■9■もちろん「個人と個人の間の自己他者問題」としても捉えられるし、「言語と言語、民族と民族」の関係としても、「個人と環世界」「人間とヒト」でも表現できよう。そして対領域を等価と見る視座そのものも、ホロニックに1つ上位からは片側の領域の見地であるとも自認することができる。

 

■10■「世界は2重に閉じている」という表現をするのに用いた「周期的極小曲面」のモデルを、今回は多面体構造的なモデルの1つに置き換えて表現したけれど、少しだけ最後に横道にそれてしまった。次からは再びこの「極小曲面」に戻って、2重に閉じている世界とその解放穴について考えたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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