水際に立つ次元両生類として

 

■1■先日、福島から友人2人が名古屋まで遊びに来てくれた。最後の日に名古屋の白河公園を通ったのだけれど、その公園の1つの入り口の花壇に、菜の花が沢山植えられていた。すでに花が咲き終えて、半分以上は菜種が膨らんでいたのだが、よく見ると10本に1本ほどの菜種が葉鶏頭のように厚ぼったい。

 

■2■写真に撮っておけばよかったのだが、これは明らかに奇形だと思う。繰り返すが、1本だけでなく少なくとも10本に1本ほどの割合でだ。放射能によるこのような奇形を見たことがある。こんな名古屋のど真ん中でだ。気を配れば多分、日本全国の他の場所でもあちこちに散見できるのではないだろうか。

 

■3■私は放射能禍やケムトレイルや、その他尋常でないものに対する恐怖をあおるつもりは毛頭ない。しかし確かにそれらを無視したり、自分だけは大丈夫などと高を括って生きるつもりもない。それが放射能のせいだけではないとしても、奇形は多数発生している。根性で放射能に勝つというのは愚直論だ。

 

■4■DNAの連鎖で私たちの祖先に連なる脊索生物が、水中から大地と大気の中に上陸したのは、365×100万年前とされている。その以前の生物たちを見れば、上陸の前に様々な準備が為されてきていたことが分かっている。しかし全てがすんなり推移したわけではない。七転八倒の中で多くが死んでいった。

 

■5■アホロートル(以前はウーパールーパーとも呼ばれていた)を1カ月ほどかけて、水中から段々水位を下げて強制的に大気の中に上陸させる実験がある。浮き袋部分と鰓腸の一部が敗れ、やがて肺呼吸をするようになるのだ。皮膚呼吸はこの変態前後を通してあるが、生物上陸の残響的な現象とも言える。

 

■6■アホロートルはそのまま上陸の再現ではないが、私たちも次元両生類として何らかの上位次元に現在強勢的に移行し始めているという世界感覚を持つとしたら、何の努力もせずに自然に移行すると思っているのは少し軽率かもしれない。私たちは今まさに新しい地の水際で、上陸の真最中なのではないか。

 

■7■これは1つの表現に過ぎない。単に放射能禍や戦争への不安を取り払えば良いのではない。今の個々人の内面と外面のままに沿って表現すれば、外面の不条理や理不尽をなくせばよいだけでなく、内面的な混乱や無意識に沈殿した、硬直した条件反射的領域を解きほぐし、再活性化する必要がありそうだ。

 

■8■それら内外の弊害として、いつになく酷い身体的変調や心理的疲弊として顕現することもあるのではなかろうか。社会全体的に薄められた災害だけでなく、個人的な心身リズムの不整脈だけでなく、内も外も、快調も不調も、今までの知見や予測を踏まえた上で、未知なる領域への下準備も怠りたくない。

 

■9■精神を分裂させることなく、多重の視座を持つこと。これは実は私たち日本人は得意なのではなかろうか。元々西洋的で強烈な自己他者の二元的分別意識が強すぎず、他者や自然とは対決してねじ伏せるのではなく、元々分離しているわけではないので仲良く上手くやっていくという根本的な姿勢がある。

 

■10■じゃあどうすればいいの?と問われても、こうすればいいと提示する確定したものはない。しかし自分自身で全て考えろ、と放り出すほど薄情でもない。取り敢えず一緒に考えることはできるわけだ。人の言いなりも、自分の1人よがりだけも、既に少し古い青銅像で、緑青がしこたまこびり付いている。

 

■11■色々なハンドメイドの料理を一皿ずつ持ち寄って、ランチパーティーをするような感覚で、それぞれの考えを持ち寄って「次元両生類として未知の領域に上陸しようぜパーティー」を敢行するとしたら、個人的には二択ではない両生類的な『4値論理』という未だ未熟なる手料理を持参して顔を出したい。

 

                 (…あれ、なんか、続くのか?)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


鶴舞公園の椿殺人事件?

 

■桜の花が散ったら、もう後1年間見ることができなくなるのだなあと思ったら、急に見納めしたくなったので、何はともあれと鶴舞公園を訪れた。平日のお昼だというのに、学生や若い女性たちが早々に盛り上がっていた。久しぶりに見る縁日の出店群。満開の桜林の中は、花が光を遮って少しだけ薄暗い。

 

       

 

■春服を買いに行く暇が取れないままなので、この季節の一張羅をまた身にまといつつ歩いてみた。愚妻が何か色々と私の画像を撮るので、どうせ恥かしい画像であるならば、「世間ずれ探偵マロー」というキャラでも作って捏造して成りきりっ子してみようという、恥の上塗りイベントを自分の中に湧出させてみた。

 

       

 

■そしていずこを見ても満開の桜で薄桃色の雲海ワールドの中、赤く大地を染めるヤバそうな箇所が、幾つか目に飛び込んできた。すわ大参事かっ!早速現場に近づいて検証してみると、桜のように花弁が散るのではなく、この季節になると首がもげるようにまるごと花が落ちる真っ赤な椿の花溜まりだった。

 

       

 

■現場検証と自らの脳波検証を澄ました結果、やはり椿の木の自殺的メタモルフォーゼの1フェイズであるとの結論が出た(←いや、瞬時にわかれよ、それくらい)。一応周囲に怪しいものがないか調べ巡ってみたが、桜の花びらが飾りをつけた水面に映る、黒ずくめの少しヘンなヤツを認めただけだった。

 

(「脳内事象の外部反映事件簿」その1、終わり)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


kiraku&草子コンビ来名す

 

■kiraku&草子さんコンビ、名古屋に来る。蓬莱軒には大食らいの人用に(?)1.5倍があるんだけれど、今日はそれを頼んでいたら食べきれなかっただろうな。元々どんぶり物的な見た目通り…というかそれ以上に、色々味わうためにご飯がたっぷりなんだよね、ひつまぶしって。久しぶりで美味かったー。

 

■数年前までは、超腹ヘリの時はこの1.5倍だなって思っていたんだけれど、まあ、食後のあともう少しだけ食べたいかなー感がちょうどよかったわけだ。しかし歳を取ると食事の燃費が良くなるというけれど、今日はこれでも少しだけ多めかなくらいな腹具合になっていた。あ、ビールも飲んでたけど。

       
           熱田蓬莱軒の玄関側から庭を背景に

 

■夕飯の後は、せっかく熱田蓬莱軒の本店に来たのだから、すぐ傍にある熱田神宮に行ってみようということになった。熱田神宮はご存じの通り伊勢神宮より古くからあり、尾張の国は初期の天皇家に皇后として女性が嫁いでいたりするらしい。まあ歴史は置いておいて、熱田神宮は夜中でも門を閉じない。

 

■だから夜の10時だろうが夜明け前だろうが、基本的に通り抜けフリーだ。明日は伊勢神宮に行ってみるというは、わずか2日で…というか、24時間以内で伊勢と熱田両方巡りすることになる。なんだかスゲーな。夜の広々としているけれど暗い境内をあちらこちらと歩いてみた。とても清々しく気持ちよい。

       

 

■もちろん警備はしっかりしているんだけれど、吉祥寺のやくざさんが表に出ないように(←喩えが悪すぎます)、ひっそりしながら厳重に佇んでいる。下の画像でもはしゃぐ私たちのすぐ右に見えるボックスの中に警備員さんが暗い中、静かに座っているのが見えてちょっとビビッた。本当にご苦労様です。

 

■誰もいない真夜中過ぎとかでも、ずっと一人でここに詰めているんだ。私なら夜中に怖くて死んでしまいそうなのだが。…いや、そういう問題ではないけれど(^^)。というか、熱田神宮は超怖がりの私でも全然怖くないんだけれどね。まあひょっとして入れないところで怖い場所はあるかも知れないけれど。

 

■さらにこの後、今では全国+全世界目ざして1000点を超えたらしいのでちょっと有名になった、コメダ珈琲店の本店というか1号店に行ってコーヒーを飲んだ。まあ、コメダはどこでも同じ内装と値段と広い駐車場で有名で、コーヒーの味すらもほぼ同じなんだけれど、1号店で飲むというところがレア(^^)。

■すでにお昼には名古屋城に入ってきたらしい2人を引きずり回したけれと、寝床は猫々ハウスに設えてみた。猫2匹、どちらも宜しく(^^)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


熱海温泉「旅館静香」

 

 

■熱海温泉の旅館静香という宿に行ってきた。こじんまりした宿で部屋出しの食事、温泉も部屋ごとに空いていたら自由に入るというシステム。まあそれもアリだと思った。年初は体調が優れなかったし、久しぶりの温泉だった。

 

       

 

■露天の中から満開の桜も見ることができ、花曇りの空の下、雨にも濡れずに過ごしやすかった。熱海は名古屋の平坦な地形から見ると、海に差し迫った山の斜面の急傾斜な名地にへばりつくほどの坂だらけの地に感じられる。

 

 

■翌日は帰りしなに来宮神社の少なくとも樹齢2千年という大楠の木を見てきた。斜面に建つので様々なものがワンダーランドっぽく半立体的に混在している不思議なところだった。伊勢神道より遥かに前の大楠信仰の東端だとか。

 

       

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


富士の裾野の富士霊園

       

 

■1■愚妻と朝名古屋駅から新幹線に乗った。実に久しぶりな各駅停車の「こだま」で、新富士まで。そこで神奈川藤沢から車を転がしてきた弟、妹、甥っ子の3人と合流して、富士宮の富士山麓にある墓地に向かう。母の7回忌というやつのイベントとして、墓参りしてから温泉でゆっくりというパターンだ。

 

■2■行きの車内も帰りの道すがらも、ひたすら濃霧か雨だったのに、富士山が間近かに迫る墓地に着いて、墓参りをする僅かの間だけ、濃い雲が切れて富士山がはっきり見えた。御参りが終わって、墓石のミズゴケが気になったので、それをこすり落としているうちにまた富士山は雲に埋もれてしまった。

 

 

■3■富士の山頂は傘のように雲が被って見えないままだっが、これも自分がいわゆる晴れ男だからなんだろうなあと漠然と思っていたら、妹弟が久女(くめ)さんも晴れ女だったからなーと言う。親子で晴れ系キャラならばそんなこともあろうかと思いつつ、確かに天気は物理的気象以外のものがあると思った。

 

■4■それにしても例年なら周囲ぐるりと植わっている桜の木が満開なんだけれど、今年は全く咲いて折らず、冬山の木々のような要望のままだった。まあ確かにここは海抜がある地なんだけれど、それにしても芝生も青々としていない。今年は室内が多く久しぶりの外出なんだけれど、寒い春なのだと知った。

 

       

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


『GHOST IN THE SHELL』を観た

 

(140字ごとのスタンザに纏める時間がないので、思いついたまま垂れ流し的に感想などを記しておく。)

 

■スカーレット・ヨハンソン主演の『GHOST IN THE SHELL』を観て来た。個人的にはほぼ満点の高ポイント。『攻殻機動隊』の色々なアニメ作品、少なくともアニメ版の『GHOST IN THE SHELL』を観ている人にはとてもお勧め。

 

■先ず『攻殻機動隊』という作品を知らないで見るのと、知っている者が見るのとでも大きな違い(私の表現で言えば勿体なさとか贅沢度の違い)があると思う。アニメ版を知らない人にはどうかなと思っていたけれど、余り良く知らない愚妻が面白かったというのだから、映画としてもやはり実によくできている。

 

■何本もある24回分のアニメシリーズを今から見るのは大変だろうから、とりあえず押井守さんの映画版『GHOST IN THE SHELL』を見たことがあれば、この実写版がどれだけリスペクトして作られたかが見て取れるかと思う。

 

■逆に中途半端な前知識が一切ない方がいいかも知れない。そして後知識で楽しむというのも一つ賢い方法になり得るかも。中途半端に仕込んだ知識や半端なネタバレとかで台無しにしてしまうのは、よくあるパターン(当社比…笑)だし。

 

       

 

■オリジナルなアニメにより世界観を構築したのは押井守さんで、1996年の映画版で独自の解釈と演出や見せ方等も含めて世界に衝撃を与えて、『マトリクス』のウシャウスキー姉妹や、ジェームス・キャメロンなどに多大な影響をあたえた。

 

■テクノロジー絶賛の話でもなければ、全否定の話でもなく、混沌とした未来観のなかで、『ブレードランナー』をはじめとする暗めで雑然とした埃まみれですらある都市などの悲観色の強い未来観に対して、それを踏まえつつ明るい道筋をも否定しない新しさがあるかと捉えている。

 

■私が先ず感じるのは、この原作に対するとてつもないリスペクト。ハリウッド版『ゴジラ』にも感じられたあのオリジナルに対するオマージュこみの思い入れと敬愛どころではない入れ込みようとその完成度の高さ。

 

■日本版の『シン・ゴジラ』などでもそうだけれど、諸説紛々のリアクションがあってしかるべきと思う。有名なアニメの実写版映画はこれまでほとんどの作品がボロカスだったが、これはある意味原作を超えようとしているレベルで凄い。

 

■しかし初見の者でも、様々な哲学的自問や、自らがここに生きていて、自分とは何か、世界とは、他者とのかかわりは、意識は、自由とは…などと様々にちりばめられたテーマから、自分なりに掬い取って考え論じることができるような造りにはなっている。

 

■難しいことは置いといて楽しみたいという人にとっても、実によくできた作品で(さすがハリウッド)、スカーレット・ヨハンソンがとにかく演技が上手い(脳以外すべていわば機械のサイボーグであり、その身体感覚のなさやずれもなりきりで演技していることも凄い)し、何よりチョー可愛い。

 

     

 

■画像、ちっさいけど、比較するために並べてみた。髪の色や長さ、メイク、衣装その他によって、スカーレットを知らないまま別個に見せられたら、同一人物とはなかなか分からない。

 

■多分、…多分だけれど、白人に限らず外国人は今の日本人的な衣装や化粧や言葉の使い方をすれば、(少なくとも日本人の多くには、そして)世界的にもより好ましく映るのではなかろうか。少なくとも俳優(特に女優?)は幅が広がると思う。でもまあこれも勝手な妄想かもしれないけれど(笑)。


■この世界観においては、見えない世界にも(少なくとも)もう1つ、電脳世界と一言で括っただけで分かったつもりになりがちな領域の未来と今についても、想像しなくてはならない世界観。実はこの身体での世界の見え方や捉え方そのものに対する自問まで辿り着けそうな作品でもありそう。自問であって答はないけれど。

 

■つまり環界が見えている者も、見えていると思い込んでいるだけで、人間がもしくは自分だけが「見ている」つもりになっていて、このままではそれを「見ている」と捉えるしかない現状の世界観の、その外に出るという発想、出口の発見の可能性、しいて言えば人間型ゲシュタルトを超えるための意識(ゴースト)自体の自覚と変容…自問と自分超えのイメージができるか…みたいな。

 

    

 

■オリジナルのマンガは士郎正宗による1989年に連載開始で、今でも通用する先取りした内容だった。その頃は大友克洋さんの『アキラ』や、宮崎駿さんの『風の谷のナウシカ』の原作のマンガが連載(したり休載したり)の真っ最中だから、やはりその頃の世代的時代的な熱やエネルギーの1つとも捉えられる。

 

■ビートたけしがいい味出している(^^)。電脳世界だから、何語でしゃべってもそのまま離れていてもテレパシーみたいにテクノロジー的処理で理解し合えるという設定を逆手にとって、セリフを日本語のままでしゃべっていた。たけしが英語のセリフを覚えるのが大変だと思ったらしく、逆手に取ったらしいが、上手い演出だ。

 

■今回の映画は押井さんの「攻殻機動隊」から(海外の人なら当然だけれど)入って、原作者を知り、また日本人でもついていけない人がいる「イノセント」まで含めて物凄くリスペクトしていて、画面やエピソードは丁寧にアニメの「攻殻機動隊」をなぞりつつ、素子(と言うより話の中では少佐)の内面にも踏み込んだオリジナリティがある作品になっている。

 

■また世界中の都市や風景を撮ったものの上にCG画像で、もはや原型をとどめていないほどの画像処理の上書きが背景になっていたりする。明らかに士郎正宗さんのオリジナルも、押井守さんの元型も意識しつつのオリジナルと捉えた方がいいと思う。

 

■これまでにも何度もあった、ハリウッド映画がアジア系の役を白人化するということに対して、大きな反感を抱いているとして、スカーレット・ヨハンソンをアジア系女優に置き換えることを求める署名活動などの件もあるそうだけれど、スカーレットの演技とこの作品の出来からすると、そのような意見を尊重はするけれど、個人的にはノー問題。

 

■作品そのものが現行の人種や国家のレベルを超えようとしている電脳世界を扱っているので、そこに人種問題を持ち込むことは、映画の内容そのものとはまた別問題だということかな。ちゃんと重要なところで桃井かおりも出ているし。

 

■例えば黒木メイサを少佐にしても、アクシヨンも役に対するのめり込みや役作りも、残念ながら西洋系の役者・俳優に比べるとかなり劣るのではないかと思う。むしろ良くスカーレット・ヨハンソンをめっけてくれたなーと思う。

 

■少し猫背で、姿勢も良くないシーンとかもあるんだけれど、途中でこれも身体感覚のずれの演技だと分かり、スカーレットがどれだけ役に入り込んでいるかの一端が分かった気がする。

 

■素子の内面をこれまでのアニメ作品は敢えて表に出さず、クールな中の孤独みたいな表現をしていたんだけれど、実写版の映画ではその内面的な特異性が1つ扱われていて、それも新鮮ではあった。

 

■シリーズ化の可能性は大きい。9課のメンツとかしっかり作られていたし(女性が一人盛られていたけれど)、この作品もなってほしくないけれど、なってほしくもある。せっかく『バイオハザード』シリーズが完結して安心したというのに(笑)。

 

■日本語版だと、オリジナルの声優がやっていて、それはそれでいいらしいです。でもせっかくのスカ・ヨハの声が吹き替えられると…。ということで、吹き替えと英語版と両方を同日に見たご夫婦もいるそうな。とにかく、攻殻なんだけど、ベツモノとして見る辺りが、意外とオイシイ(もしくはヒガイが好きない…笑)スタンスかも知れない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


今年もまた山崎川の桜

 

■今年は年初から体調が悪い時期があり、どうせならHPの内容をリニューアルしようと始めたところ、とんでもない時間がかかることに気が付いたけれど、途中でやめるわけにもいかずに日々引きこもり的にまとめなおし作業を続けていた。自主ノルマを果たすともう夜中…みたいなパターンの日々だった。

 

■外で経過する暑さ寒さをほとんど実感としては知らぬまま、3カ月が過ぎてすでに4月に何ったので、今年は遅れているという桜を見にという名目で、スポットである山崎川に出向いてみた。遅れようが異常気象だろうが、それでも地球は回り、季節は巡る。それにしても何かいるよね、こんなヘンな親父、あ、私か(笑)。

       

 

■普通の桜見の写真だけではつまらないので、何となく変わった画像を撮ってみようと思った。しかしかながら足を長く見せようとして下から煽ってみた画像は、花が映らずもはや花見の画像ではない。愚妻は座ったベンチが雨で濡れていたとかで、パンツまで染みたと一人大騒ぎ。

 

■やることなすこと、タイミングが合わないしペースもずれていることを、階段の段違いで画像表現してみた。しかしこれもどちらかというと花見写真ではない。ちょっとだけ作品意識が混入するのはしかたがないけれど、それにしても7分咲きの花曇り。絶望的に歳甲斐がない(笑)。

       

 

■自分の撮った画像にはまともなものがないのか?…と自虐的に喜んでいる自分がいるようだ。この魚眼風レンズの試運転でもあったのだけれど、もはや桜の花が木々から見えない状態に〜。頭の中は今まとめている多面体のことばかりなんだものなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


新・猫々日記:「お醤油シスターズ」結成ーっ!

★今日気が付いたんだけど、キジ猫白のみかんと、新参白猫クウはどっちも左のひげ袋の同じ位置にお醤油こぼし(薄茶の毛のスポット)がある。てか、いつの間にクウにもできたのだろう?急遽ユニット「お醤油シスターズ」結成です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


新・猫々日記:窓辺の肉球星人

       

 

「♪春よ来い〜早く来い〜
歩き始めた くうちゃんが〜
ピンクの鼻づら うごめかせ〜
おんもへ出たいと 鳴いている〜」...

…って、待てい。突っ込みどころ満載や。
2足歩行なんか始めてねーし
ほんもって5階のベランダだし
「あいや待たれい」ポーズだし

外気に当たるのはもちっと先じゃ。
しかし肉球丸見えやなー。

 

 

まだチビコです。
1歳年上の「海」ねーちゃんのボケに対して、日々ツッコミ入れる立ち位置です。

 

 

カイねーちゃんは無言でかなりのボケかましてくれます。
いつも、ツッコミ入るまでじっと待ってます。

 

 

ナマ言ってます。屠(モフ)ったってください。

 

       

 

手から何かが出ているって言われました。

ヒカーッ!

可視化ってこういうことでしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


教育現場というところ

 

■真の教育現場は「正解を探させるところ」であり、「正解を教えるところ」ではない。教育現場では問いと答がセットのテストなどを提示して、個々の力量を高めようとすることもある。しかしそれすらも正解を探させるための大きな流れの中における、プロセスと言う意味での方便であり、メタファーである。

■それはただ機能すれば良いのであって、それが単なる学ぶ者の性格も含めた総合評価のデータ採取のための材料として用いられるのであれば、最初からそれは方法論的に誤謬があろう。煎じ詰めれば教師と現場の理念と目的意識の問題となる。教育とは洗脳ではなく、洗脳を自ら解除する力を発現させることだ。...

■正解とは何のことか?自分にとっての真の正解と、他者とも共有する社会的正解は必ずしも一致しない。しかしそれでも双方とも必要かつ重要である。自らの力を惜しまず出して必要性と共に、ヒントでもあるパラドクスとして、その正解が必ずしもあるとは限らないということも添えて語らねばならないだろう。

■安易に言語化してしまえば、知識の蓄積ではなく知恵の発動を助け支えるところということだ。これだけでは観念的表現の文字列に過ぎないと断ずる人もいれば、逆に言い得て妙なる真理であると勘違いする人もいよう。どっちもどっちだ。そしてどっちもどっちでもないし、言葉遊びでもない。個人の裁量だ。

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(※)現在、様々な「言葉の問題」を脳が占有しており、この書き付け文字列のクリンナップは今すぐには不可能なので、メモとしてここに上げときます(すぐ、どっか行っちゃうから…笑)。一応140文字スタンザで揃えてあるので、許してちょう。

そしてこの図は、ネットから拾って来た画像を再構築したものなんだけど、これを見て品がないと思うか、面白いセンスだと解するか、どうでもいーよと感じるか、エロくて好いんじゃね?とニヤつくか、その他色々あろうけれど、この私が新たに造った絵文字は「META」。

METAPHIGICS、METATRON、METALOGUE、METATAROとかの「META」で、接頭語としては、「高次な−」「超−」「−間の」「−を含んだ」「−の後ろの」等の意味を有するわけ。つまり「鏡を見よ」というパラドクスに似た遊びです。鏡本来は見えずにそこに虚像を見る道具だし、この絵づらを見ずに「META」のメッセージは見えないでしょ?…みたいな。

いいことって、ちょっと面白いこと多いよね。あ、いかん、成すべきことに戻らねば。シツレーしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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