■太古の人は地球周長の4000万mから40mを引いた3999万9960mに相当する単位系を用いていたらしい。この数は1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,11,12,113,14,15、及び18,20,21,22,24,26,27,28,30,33,35,36,37,39,40,42,44,45,52,54,55,56,60…と多数の約数が存在する。
39999960=1X39999960=2X19999980=3X13333320=4X9999990
=5X7999992 =6X6666660 =7X5714280 =8X4999995
=9X4444440 =10X3999996 =11X3636360 =12X3333330
=13X3076920 =14X2857140 =15X2666664 =18X2222220
=20X1999998 =21X1904760 =22X1818180 =24X1666665
………
■その単位がほぼダブルキュービットに等しいことはもちろん、様々な証拠から推測するに、太古の人はまた地球が球体であることやその大きさを詳しく知っていたようだ。ダブルキュービットに黄金分割比φを掛けるても、また1キュービットに円周率πを掛けても、ほぼ人間の身長となること等も興味深い。
WキュービットX黄金比φ≒人間の身長
1キュービットX円周率π≒人間の身長
■空間的な長さである地球全周長と、時間の長さとしての地球の1日を「分」「秒」という同じ単位で表さすことができる。地球の1日は24時間=1440分=86400秒であり、地球全周の角度は360度=21600分=1296000秒である。そしてこの2者の比は1:15になっている。言うまでもなく60:15=4:1である。
■古代メキシコ人は9、エジプト人は10、カルデア人は12、マヤ人は20、シュメール人は60を底とする位取り記数法、つまり進法を用いていた。これらを掛け合わせると(9×10×12×20×60=)1296000となる。この数値はまた円の1周360度の秒数に等しい。このことは人間の数として単なる偶然なのだろうか。
■この1296000を50で割ると25920となる。これは即ち地球の惑星歳差運動周期25920年の年数である。そして60で割ると上記のように21600という360度の秒数となる。シリウスの周期を知っていたドゴン族の話にも50と60が出てくる。5と6、φとπ、金星と水星、生物と鉱物等の関係にもこの大数が散見できる。
NUMBER 02-04:地球周長と太古の計測単位
- 2012.01.29 Sunday
- ■数の世界
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- by 小野満麿
NUMBER 02-03:メートル法とWキュービット
- 2012.01.28 Saturday
- ■数の世界
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- by 小野満麿

■キュービットはシュメール起源になる古代オリエントの基本的な単位でその意味は肘である。キュービットの定義は「肘の角から中指の先までの長さ」であり、地域や時代によってわずかな違いはあるとしてもだいたい500mm前後になっている。エジプトのキュービットを表す象形文字は「肘」そのものである。
■その単位は様々な地域に肘を意味する言葉と共に広まっていった。メソポタミアの1キュービットは30ディジットに分割されており、2キュービットで60進法との整合性を保っていた。一方時代にもよるが、エジプトの固定キュービットは7パルム=28ディジットに分割されていた(1パルム=4ディジット)。
■この2者の分割法は、共に太陽の回帰と月の朔望の周期などの天文学的な知識に裏付けられた太陽暦・太陰暦的な対応も見て取れる。つまり1年30日×12ヶ月(+5日)=365日と、1年28日×13ヶ月(+1日)=365日である。シュメール・バビロニアとエジプトではこの単位相互の数値が異なる部分がある。
■近年古代バビロニアの遺跡から、長さがほぼ1mの棒(振り子)が発掘されている。決まった長さの振り子は決まった周期で振動する。ガリレオが発見した「振り子の等時性」である。そしてこのほぼダブルキュービットに相当する1mの長さの振り子は、ちょうど周期2秒で1往復する「秒振り子」になる。
■太陽が天空をその視直径分移動するのに要する時間がちょうど2分=120秒であること、そしてその時間に人間が歩行する平均距離に相当する1スタジオンがほぼ180mであったことなどを考え合わせてみても、この60進法をベースにした古代の計測法、及び単位系と自然との精緻な整合性は驚くべきものである。
ディジット(digit) 指幅 (現在のデジタルの語源である)
シュメールでは30ディジット=1キューピッド
スパン(span) =3パルム
パルム(palm) 親指を除いた4指の幅
■ピラミッドの建設には2種類のキューピッドが用いられていたことをアイザック・ニュートンも認めているが、この463mmと524mmの2つの数値の間には円積問題の関係があることが分かった。つまり図に示したように463mmを1辺にとった正方形の面積と、524mmを直径にとった円の面積と等しいということだ。
■また741mmという最長のキュービットがピラミッドの基底部から見出せるが、これは524mmのキュービットの正方形の対角線である(5242+5242=7422)。なお、これらの数値は463mm(=61×7+36)、524mm(=61×8+36)、741mm(=777−36)と見ることもできるが、これには何か意味があるのだろうか。
463mm(=61×7+36)
524mm(=61×8+36)
741mm(=777−36)
■中世以降になるとヨーロッパ各地でダブルキュービットが使われるようになり、これがヤードやオーヌやエレになっていったと考えられている。またほぼ1mの振り子の棒が周期2秒で1往復する(1秒ごとに振りきれる)秒振子でもある事も含め、この単位が「メートル」の元となったというのが定説である。
■重量単位の記録に「重いミナ<mina>」というものが残っているが、これはほぼ500gで2倍が1kgになる。また重さの単位のポンド<pound>やリブル<libre>も500gに近い値だった。科学的理想からなるメートル法は、実は科学の衣を纏いつつも古代の天文知識や数的論理体系への大いなる先祖返りでもあるのだ。
1メートル≒ダブルキュービット=60ディジット=3フィート=12ハンド
1キュービット=30ディジット
1フート=20ディジット
1ハンド=5ディジット
1メートル≒ダブルキュービット=14パルム=56ディジット
1キュービット=7パルム=28ディジット
NUMBER 02-02:スタディオン
- 2012.01.27 Friday
- ■数の世界
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- by 小野満麿
■スタディオンはバビロニア起源の長さの単位である。砂漠の中で地平線から太陽が出現してから地平線を離れるまでの間に、人間が太陽に向かって歩く距離の平均でだいたい180m前後である。この天空を太陽の円盤分だけ移動する時間はほぼ正確に2分であると共に、その視直径は角度でいうと0.5度である。
■これは別の表現をすれば、角度的には太陽円盤の視直径は0.5度(正確には0.533度)だから1昼夜で太陽はこの太陽円盤720個分移動して元に戻るということであり、また時間的には(720×2=)1440分=24時間=1日ということである。現在の私たちはこの1スタディオンを使わないので覚える必要はない。
■しかし現在でも使っている1時間の間に太陽はその太陽円盤の30個分を空の上で移動するということや見た目で太陽2個分が角度の1度であるということは、人間の平均歩行距離は毎時4kmと言われるが元祖バビロニア風に言えば30スタディオン(5.4km)となることなどと共に知っておいても損はないだろう。
■地球周長40000kmを365で割ると約109.5kmになる。つまり1時間に4.56km余のペースで立ち止まることなく太陽を追って赤道上をひたすら東進すれば、1年で元の位置に戻るということだ(※1)。古代ギリシアの陸上競技場はこのスタディオンを基準として設計されたことからスタジアムという名前が残っている。
■紀元前450年頃にオリュンピアで作られた長さ211mのスタディアムの直線走路の長さは192.27mだった。またデルポイやアテナイでは178m、エピダウロスでは181.30mと地域によってスタディオンの値が異なっていた。バビロニアのスタディオンは184m、エジプトのそれは平均179mだったことが分かっている。
■「スタディオン走」とは古代ギリシアで行われた直線の短距離走で、古代オリンピックでは第1回大会(BC776年)から実施され続けた種目である。なお1スタディオンは人間の身体は全力で走りきる距離の限界であり、それ以上の距離を走り続けるためには最高速度を落とす必要があると考えられていた。------------------------------------------------------------(※1)正確に言えば、東に進み続けると地球を1周した時点で1日分余計に日の出を見ることになるので、365でなく366で割るべきだが、数値的にさほど大差はないのでここでは問題にしない。なお1日当たり609スタディオン程の踏破距離に当たる。
NUMBER 02-01: MEASURE for MEASURE
- 2012.01.26 Thursday
- ■数の世界
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- by 小野満麿

■シェイクスピアの戯曲に『尺には尺を』(MEASURE for MEASURE)という作品がある。新約聖書の『マタイによる福音書』7-2には「汝が裁くその裁きで裁かれ、汝が量る秤で量り与えられる」とあるが、このタイトルは劇中でこれを踏まえていると思われる台詞(第5幕第1場)としても用いられている。
■この劇の中では様々な人間の内面性が相対的に比較されているのだが、このタイトルそのものからは「秤をもって秤を量る」というパラドキシカルなイメージや「1つの世界観を論ずるには、異なった世界観の視座が必要となる」という事実を想起させられる。またこの表現には「しっぺがえし」の意味もある。
■世界中の古代から現代までの、それこそ星の数ほどもある計量・計測の単位を見ていこうとする時、この種々の計測単位を換算・翻訳するのに、通常現代人はメートル法を用いる。しかしこの1メートルすらも単に地球の赤道から北極までの1/10000000の長さと定義して決められた偶然の産物ではないのだ。
■古代オリエント起源のキュービットは現在エジプト・ギリシア・ローマ・ペルシャ・アラビア・インドなどにも共通単位が残る単位制度の原型だが、メートル法の基本中の基本である1メートルという長さもまた、中世までの西洋諸国において広く用いられたダブルキュービットがその祖型だと考えられている。
■かつて西洋的価値観で他の文化圏を判断した西洋人のように、理想に満ちたこのメートル法を最善のものと信じてこれらの諸単位を見ていくと、痛いしっぺがえしにあうかもしれない。そのような愚を起こさぬために、過去の計測単位にも敬意を払い、単位とその根底にある価値観を探っていくことにしよう。
■計量とは数を数えるという行為の1つだが、それには基本の「単位」がなければならない。強力な統一国家の運営や民族間の交易には、独善や一時的なものではなく、再現性と永続性のある基準としての長さ・面積・容積・重量(そして角度)を定める物指し、升、分銅などの定まった度量衡が不可欠である。
■この度量衡とは東西の文化共に、基本的に長さ・面積・体積・重量及び角度に関することだ。それ以外の計量が重要度を持ち始めたのはたかだかこの100年ほどに過ぎない。この100年の加速度的な進歩と精緻化は尋常ではないが、それでも度量衡の歴史の上ではせいぜいその1/100にも満たないのである。
■さて基本となる単位が定まれば、原則的にはそれをマクロ方向に倍加していくか、ミクロ方向に分割していくかで万事事足りる。未だ「ものの数ではない」全体と、既に「ものの数ではない」無限の間が私たちの数の世界である(※1)。この中で基本の1をどこにどのように定めるかは人間の自由だった。
■そして実際に世界を見渡しながら極力普遍かつ遍在的な基準候補を捜すと、基本の1つは「地球」と1人の「人間」が必然的に立ち上がってくる。地球が1回転すれば1日になり、365日かけて1公転すればそれは1年となる。それらを昼夜や季節や月の朔望を頼りにミクロ・マクロ双方向に積算し、分割する。
■また1人の人間が歩けば歩幅長が生じ、手や指を用いて様々な長さを表現する。それを5本10本(そして20本)の指で重ね数える。印象を記憶とし予感を推測として、個人を超えてそれらを伝達・共有するためには、測り数えるための基準の周囲に計測単位のミクロ・マクロな重層構造が必要となってくる。
■計測とは様々な対象の量を決められた一定の基準と比較し、数値と符号で表すことだ。量を数値で表すための基準単位の2倍、5倍、10倍、12倍、20倍、60倍等の倍音的単位をマクロ方向に定め、その逆数をミクロ方向に定める単位系ロジックを見ていけば、その間に相似性が時空を超えて見て取れる(※2)。-----------------------------------------------------------------
(※1)上下に限りなく伸びる電磁波帯域の中のわずか1オクターブほどの帯域がわれわれに取っての可視光線であるように、この私たち人間にとって理解可能な数の世界もわずかなバンドに過ぎないという可能性もある。「数を元に神が世界を作った」とか「数は宇宙における不変の法則である」という言明は、信念として尊重することができても、決してそこで思考停止するわけにはいかない。
(※2)例えば日本のとある神社にカゴメの形(つまり6芒星)があるからそれだけで日本とユダヤは太古に関係があったのだと安直に結論付ける姿勢は、かえって全てを台無しにしてしまう。古神道的にいえばマルチョンは一意で人間を含む自然を○と点を用いて表している。そして哲学者のハイデッガーや心理学者のユングが同じ記号を用いて異なる象徴を表している。これらを同じシンプルな幾何学的な記号を用いているから同一であると断定するような、明らかに稚拙すぎる論理に陥らないよう自戒しなくてはならない。
色と人間の奥行き感について
- 2012.01.25 Wednesday
- ■色の世界
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- by 小野満麿

■「空気遠近法」という絵画技法はレオナルド・ダ・ヴィンチが創出したと考えられている。これは対象の手前にある空気を強く意識させ、彩度差や輪郭の明瞭差によって距離感を出すことで奥行きを感じさせる技法である。具体的には遠方の対象をかすませたり、青みがかった色合いを含ませて描かれている。
■これらは光学的・科学的には錯覚として括られるが、周辺部に行くに従って対数的に歪むのが、人間の知覚認識能力の特性だ。とするならば、科学的必然性や理想的モデルの比率や数値に人間の知覚認識をはめ込もうとするのではなく、人間としての生理学的・心理学的なずれ具合にこそ注目すべきであろう。
■私たちの世界の見方について、ただ一概に人間型ゲシュタルトと括って貶める前に、一度明確にその偏性曲率を精査してみる必要があるだろう。これらの固有な特性の中にこそ、人間としてモノを見る前から共通認識として固定されている視界風景の先のパースペクティブを見透かす鍵があるかもしれない。
■色には色相・明度・彩度の3属性があると言ったが、これらは人間の主観的な「感覚属性」である。これに対して光には「波長・強度・純度」という物理特性がある。基本的には色相⇔波長、明度⇔強度、彩度⇔純度に対応している。しかし実際には人間の色覚現象は複雑であり、少なからずのずれがある。
■「純度」とは光の波長構成の種類の多少を表す。最も高いのが単色光であり、最も低いのが白色光である。「波長」が一定でも「強度」が異なると色相にずれが生じる。一般に強度が低い(暗い)と光のスペクトルの赤と緑に見える領域が拡がり、強度が高い(明るい)と黄色と青に見える領域が拡がる。
■色は人間の幾何学的空間認識の要素でもある奥行き感覚や距離の判断にも影響を与えている。夜の街を歩けば、赤や橙色の電飾看板の方が青や緑のそれより浮き立って見えるし、白昼でも赤や黄色の方が青や紫より突出して見える。一般的に長波長のものほど進出して見える。いわゆる「進出色と後退色」だ。
■これに似た色の対概念に「膨張色と収縮色」や「暖色と寒色」という捉え方もある。一般的に個人を越えた人間種として膨張色⇔暖色、収縮色⇔寒色という相関関係は存在する。しかし自明と思われがちな「膨張色と収縮色」と「進出色と後退色」との相関関係には、実は明確な根拠が存在していないのである。
■カンディンスキーは黄と青を対立させて、進出・後退と共に遠心性と求心性が見て取れると記した。これは暖色と寒色という対性と、膨張色と収縮色及び進出色と後退色の対性に相関関係があるという表現なのだが、明度差という視座を見落としている。明度の等しい赤と青に大きさの差はまず見出せないのだ。
■一般に無彩色よりも有彩色の方が、そして寒色系よりも暖色系の方が誘目性が高くより手前に見えると表現されるし、私たちもそう思い込まされている。しかし無彩色も含めた厳密な実験によって、ものの大きさに生じる差は、明度の効果に比べて色相の効果は量的にほんの僅かなものであることが分かった。
■これに対して、明度差による感覚の差が大きいのが重さ問題である。直接触れずに目視判断での実験では、一貫して明るいものほど軽く暗いものほど重く感じられるという結果が出た。これは私たちがものの色をより明るくイメージすれば軽く感じるという簡単な意識操作に直接つながっている。人間の色。
多面体の上に3、4、5を見る
- 2012.01.24 Tuesday
- ■数の世界
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- by 小野満麿

■良く知られているように、幾何学が大きな進歩を遂げたのは古代ギリシアの時代だった。幾何学を表す英語の"geometry"は、ギリシア語の土地+測量の意味の"geo+metry"からきている。日本語の「幾何」という言葉は、接頭語の"geo" を中国で「幾何」と音訳されたものがそのまま輸入されたものである。
■この幾何学の起源は、古代エジプトの土地測量の手法にまで遡れるという。実際の話かどうかは別として、毎年定期的に起こるナイル川の洪水の後に、古代エジプト人は等間隔に13個の結び目をつけたロープを使って辺長比3:4:5の直角3角形を作り、それを用いて測地していたというエピソードによる。
■3:4:5といえばピュタゴラスの3角形もしくはエジプトの3角形と言われている直角3角形の辺長比だ。この3つの数値の和12、積は60で、シュメール起源といわれている12−60進法を連想するが、おそらく直接関係があるものと思われる。この12と60の比は1:5であり、この3角形の面積は6である。
■多面体の中でも最も空間対称性が高いプラトン立体。その要素である面・点・線に注目しよう。それぞれの立体は全ての面が同一の正多角形であり、全ての辺が同じ長さであり、全ての頂点には同じ数の線が集まっていることが分かる。ここにも3−4−5という数の整然とした連なりを見て取れるのである。
■まず面の形に注目すると、各面が正3角形なのは正4面体・正8面体・正20面体であり、正方形なのは正6面体であり、正5角形なのは正12面体である。次に1点に集まる線の数に注目すると、3本集まるのが正4面体・正6面体・正12面体であり、4本集まるのは正8面体、5本集まるのは正20面体である。
■ここで各面が全て正3角形である正4面体・正8面体・正20面体の「1つの頂点に集まる線の数」を見てみると、それぞれ3本・4本・5本となっている。逆に1つの頂点に集まる線の数が全て3本である正4面体・正6面体・正20面体の面の角数は、それぞれ正3角形・正4角形・正5角形になっている。
■1角形・2角形は存在しないし、1つの点に1本・2本の線が集まっても面は作れない。また面の形が正6角形だと正6角形で埋め尽くされる平面となって立体にはなり得ないし、1つの点に6本の線が集まると同様に正3角形で埋め尽くされる平面になってしまう。つまり3−4−5しかあり得ないのである。
■次にアルキメデス立体を見てみよう。正n角形の面に対して全ての線に正方形が、そして全ての点に正3角形が接続しているものは3種類しかない。正3角形をその中心にした14面体のベクトル平衡体と、正方形を中心にした24面体の斜方立方8面体と、正5角形を中心にした62面体の斜方20-12面体である。
■また正6角形を中心にすると、120度+90度+90度+60度=360度で平面のまま立体にならないので、これ以上の正多角形では成り立たない。なお正2角形なるものは存在しないが、あえて線分から同じ条件で考えると5面の正3角柱になる(※1)。この双対立体は正4面体が2つ接した形のデルタ6面体となる。
和語と位取りの中に数を見る
- 2012.01.23 Monday
- ■数の世界
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- by 小野満麿
■人間の10進法ベースの数の数え方は、現在1,2,3,4,5,6,7,8,9,そして10もしくは0というインド・アラビア数字を用いることで、数理認識の多くを共有している。しかし西洋の数理と東アジア中心(特に日本)の数理とは初期設定からつまりは精神構造から異なっているのではなかろうか。
■例えば大数を位取りごとに区切って表す命数法においても、前者は10進法の3桁で区切るが、後者は一、十、百、千の4桁で区切る(※1)。この4桁が万以降でも順次入れ子的に納まるホロン構造になっている。しかしこの万進法は中国や韓国等他の漢字文化圏でも不完全で、日本のものが最も洗練されている。
■それに加えて私たち日本人の数的論理が他国とは異なる特殊な成立をしたという事実は、日本語研究者たちの言語学的成果から見て取ることができる。私たちは日本語を用いて考える者(そして日本語でその他の言語・文化を用いて考える者)として、まず日本語の数詞の構造を見てみる必要があるだろう。
■上代からの日本の和語の数詞「ひ、ふ、み、よ、い、む、な、や、こ、と」では、1→2、3→6、4→8、5→10というように、同じ子音を持つ2倍の数詞が構成されている。つまり1hi→2hu、3mi→6mu、4yo→8ya、5(i)tu→10to(wo)である。単なる偶然以上のものがここにはあるのではないか。(※2)
■なお語尾に「つ-tu」を付けて数える場合「ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、いつつ、むっつ、ななつ、やっつ、ここのつ、とう」となるが、1、2、5のみが-to-、-ta-、-tu-という音が中に入り、アプリオリな数である1と2の関係以外の2倍体の数は何もはいらないか促音の-t-となることが分かる。(※3)
■この場合も2倍体関係を有さない別枠の2つの数、すなわち10進法で最大の数詞で「王の数」とも呼ばれ、他の数を屈(こご)めるの意がある9、他の数ではどこまでも割り切れず、名無(なな)し数とも呼ばれる7は、koko(no)、nanaと繰り返す音になる。これは先の立方体の組み合わせ展開にも似ている。
■基本の1とそれを2つ連ねたのが2倍体だった。そしてその次に来る組み合わせ方は、3連続の3倍体と2×2すなわち田の字型の4倍体である。次に来るのが3連続の2倍体である6倍体と、2×2ではなく4連続の4倍体であり、その2倍体である2×4の8倍体であり、最後に3×3の9倍体が来る。
■そこには5と7の形は出てこない。また1,2,3,4の2倍体としての2,4,6,8の関係、1×1、2×2、3×3である1,4,9の関係、また3つ組みとしての1,2,3は2,4,6を経てさらに3,6,9となる関係なども見て取れる。4×4だと10進法の数詞をはみ出して12となってしまう。
■前世期初期の民族学者たちはフィールドワークから、一部の先住民族の数の表現は「ひとつ、ふたつ、たくさん」しかない未発達なものと考えた。しかし私たちの数的認識能力も実はほとんど大差がないのである。アプリオリな数の1と2は認識できても、3という数の本質を未だ認識し切っていないのだ。
■多くの国の言語において、表される数のあり方は単数(singlar)、双数(dual)、複数(plural)であり、「1、2、多数」という形のままだ。未だ3が数の極限であるという数的な概念把握の表れである。会話では1がmonologue、2がdialogueだが、3に対する言葉はなくmetalogueとでも表現するしかない。
■そもそも日本にはほとんどなかった「人称」という捉え方ではこれが1人称、2人称、3人称となるが、3人称に及んでは単数も複数も一緒である。多くの西洋語圏ではそれに男女の区別も入ってくる。対象の本質と明確な整合性がないまま、様々な物質や概念にまで男女の区別が文法的に組み込まれている。
■「3は仏の顔も3度まで」という表現があるが、リフレインは3回までは心地よいが、4回以上になると気に触り始める。このような人間の条件反射的感性にも、3と4に対する数覚の差異特性が見て取れる。これをそのまま西洋と東洋の数的区切りと重ねはしないが、何らかの関係があるのかも知れない。
■和語の数詞は「ひふみよいむなやこ」の後に「も・ち・よろず」とつけて百・千・万を表し、ひとつの数の極限を示している(※3)。この100、1000、10000のmo,ti,yo(rozu)は、3と6のmi,mu、4と8のyo,ya、5と10の(i)tu,to(wo)とも何らかの関係があるのだろうか。ここにもさらなる考察の余地がある。
------------------------------------------------------------------
(※1)ヨーロッパでは6桁ごとに区切ることもある。またインドでは2桁ごとに区切り、各組にさらに位の数詞を付けている。
(※2)故白鳥庫吉博士は原音に近い表記として、<ひと・つ>をhito-tsuではなく、pito-tuと表わしている。5ituと10towoは一見したところ対に見えず、こじつけのようにも思われるが、この5ituのiが接頭辞、tuが語幹であり、10towoのtoが語幹であり、woが接尾辞であると見ることができれば、tu→toとなり、類似の関係を見て取れる。
(※3)「ひふみ詞」ではひふみよいむなやこ(一二三四五六七八九)ともちろ(十百千万)以下、1文字で1桁を表し「らねしきるゆゐつわぬそをたはくめかうおゑにさりへてのますあせえほれけ」と続き10の39まで数える方法が存在する。しかし実際は万(よろず)より上が命数法として使用される事はほとんど無い。
正6面体連結の中に数を見る
- 2012.01.22 Sunday
- ■数の世界
- 19:25
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- by 小野満麿
■2つの単位円の円周と中心点動詞を重ねて交差させたベシカ・パイシスの形の中に、平方根レベルでの1,2,3,4,5が見て取れるという話は既にした。では平面ではなく立体ではどうだろう。1辺が1の正6面体、つまり単位立方体とその連結立体の1辺・平面対角線・立体対角線を見ててみよう。
■単位立方体の1辺・平面対角線・立体対角線は1:√2:√3である。つまりここにも平方根ながら1,2,3が見て取れるのだ。では単位立方体を2つ接続させた形の2倍体長方形はどうだろう。ここでも1辺・平面対角線・立体対角線を見ると、同様に平方根ながら線長比に4,5,6が見て取れる。
■数としての「1」と「2」に対応する立方体の1ユニットと2倍体ユニットには、その内部構造として平方根レベルでの1〜6が内在していると捉えることができるのである。さらに縦に3ユニット連ねた3倍体及び2×2の形に繋げた4倍体には、図のように8,9,10,11を見て取ることができる。
■なおこの2つの異なる発展系上には、実数の3も見て取れる。すなわち3倍体長方形の1辺、及び「田」の字型4倍体の立体対角線の長さが3に相当しているのだ。さらに2×3の形の6ユニットからは13と14が、また直線4連結の4ユニットからは16,17,18が現れているが、7と12が見えてこない。
■また3×3の形の9ユニットの上には18と19が生じている。ここには直線4連結の4ユニットの立体対角線に現れていた18が、平面対角線として現れていると言う関係性も生じている。これは以後の発展形も同様に見ていくことができるが、取りあえずここまでで、マヤの20進法最大の数19までが現れている。
未知領域に数を重ねゆく測量士に
- 2012.01.21 Saturday
- ■数の世界
- 02:57
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- by 小野満麿

■数のテーマの中に「計測」measure for measureの領域を作る。かつて人間がこの世界をどのように捉えようとしたか。ひとりよがりの単位は他者と共有できぬ押しつけの暴力となる。共通認識としての約束である計量単位が、いつから共有の約束を通り過ごして人間の思考を言葉のように縛り始めたのか。
■個人を超えて現行の「人間」という括りで動いている「それ」が既得のものとして突き動かしている。自らもそれに含まれていつつも個人の力だけではどうしようもない「それ」をどう掴むか。共通無意識とか人間種としての本能化した行動原理などといった表現ではもう駄目だ。数理的幾何学的定格化を。
■その端緒の1つとして、この世界をどう計測したのかを姿勢を正して見て行こう。計測の在りようを見て人間を探究しようという姿勢である。如何にこの見えない檻から抜け出すか、抜け出しつつも無慈悲に切り捨てない視座の模索・獲得が、現今の「人間」としての個々人の為すべきことの1つであろう。
■メートル法成立前夜の「理想」と、その理想が現実化した後の世界における「個人の自発的な計測心なき単位」の暴圧。時空を既存の捉え方でしか認識し言及できないとしたら、もはや計測単位は世界を分離し刻み続ける有害なチェーンソーだ。己れの目と手と身体で世界を測りゆくことが慈悲に転じる。
■かつての「ひとりよがりの王国」からの暴力ではなく、「ひとりよがりの新王国」への暴力。共通無意識的なそれに権威を与え、個人的創造性を圧殺しようとする新たな暴力となって久しい。新しい理想、新しい未知への挑戦の生命ベクトルが必要となっているということだ。過去にすがりつき過ぎるな。
■もはや「人間」としての個人的に過ぎる感傷や憧憬、自己憐憫や偏愛に振り回される時代に決別宣言をすべき時である。怠惰なままでは前時代的な主観視座と外的権威のみで構築された世界観による被害者であるより、もはや世界と他者への無自覚な加害者となりつつあるのだ。地滑りはもう始まっている。
■「計測」とは自らと世界の関係を数を重ねることによって推し量る道筋の論理である。外的世界の取るに足らぬ部分としての自己が、既存の単位を用いて世界を測り知るのはその本質ではない。外にある権威に惑わされず、内なる尊厳に導かれて新たなる未知の領域に数を重ねゆく「測量士」になること。
NUMBER 01-05:数は3から始まる
- 2012.01.20 Friday
- ■数の世界
- 14:54
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- by 小野満麿

■ここで半径1の単位円を考えてみよう。この円の中に半径1/2の円を内接させると、自明のことだがぴったり2つ収まる。またこの半径1の円と半径1/2の円の隙間には、半径1/3の円が2つすっぽりと収まる。この上下2つの半径1/3の円の間には、半径1の円と中心を共有する3つ目の半径1/3の円が入る。さらに半径1と1/2と1/3の円の隙間には、半径1/6の小円が4つはまり込む。
■さてこの半径が1/1、1/2、1/3の3つの円の中心点を結ぶと、上図左に示したように辺長比が3:4:5の直角3角形ができる。また上図右はこれを部分拡大したものだ。背景の格子を見ればこの直角3角形にすっぽり内接する円は、直径2、半径1であることが分かるだろう。なおこの円は半径1と1/2と1/3の円の間にさらにはまり込んだ、4番目の半径1/6の小円と同じ大きさである。
■ここで最初の大円を半径1から半径6と置き換えてみよう。すると直径12単位の円となり、上述の比率がそのまま単位長を保持して1:2:3:4:5となる。6,8,9を導き出すのもそう難しいことではない。ところで3種類の円の中心を結んでできた辺長比が3:4:5の直角3角形だが、その面積は6、3辺の和は12、積は60である。シンプルな図形からも12−60進法的発想が生じることが分かる。
■1,2,3…という生物学的発達の初期に先験的に顕現する原初的な数感覚というものがある。また5進法や10進法、12進法や60進法など、民族や地域や時代によって様々な数の体系が、進歩や統合(そして時には消滅)しながら現代数学にまで接続している。そこにつなぐ3,4,5という数を私たちの精神が体得したのは、個人差も民族差もあるだろうが、それはかなり早期の出来事だったに違いない。
■自分がいつどのように3,4,5という数を体得したかということを、こと細やかに記憶している者はほとんどいないだろう。生物学的な成長過程や近親者による声に出した数え上げや周囲にあるものの数的認識などとあいまって、幼児期のいつごろかに獲得したという者が大半であろう。同様に人類の3,4,5という数の体得に関しても明確な記憶や記録はない。はたしてそれは想起可能なのだろうか。
■「数は3から始まる」という言葉がある。これは一意で3,4,5が実は1,2,3でもあるということだ。そしてこれはまたそのまま、その1,2,3もまた新たなる3,4,5であるということだ。これは1,2,3が3,4,5でもあり、5,6,7でもあり、7,8,9でもあるということだ。数の3つ組の反転とスライドが4組。数的な面点変換である。1つ上の3と4。これで1〜9までが出そろう。
■なおこの面点変換的な「数は3から始まる」のスライドを9回繰り返すと、20進法の要素である1〜19までをフォローすることにもなる。10進法の1桁上が10という数になるように、20進法の1桁上は20となる。もちろんこの面点変換的な整数展開の他にも、様々な次元変換ラインがあることは間違いない。1,2,3,4を押さえて初めて、「数は5から始まる」と言うペンターブシステムに手が掛かる。
■面点変換により次元を圧縮するという捉え方を考えてみたい。点・線・面の0,1,2次元を1つずらして自然数の1,2,3に置き換え、この3を支点にして面点変換してから、点・線・面の関係を3,4,5へとスライドするのだ。同様にしてこの操作を4回繰り返せば1桁の自然数が出そろう。面点変換部分の3,5,7が奇数であり、関与しない2,4,6,8が偶数になることが改めて確認できる。
■この3回の面点変換でつなぐ4つの点−線−面の中心はもちろん5だ。この5を中心に左側の1,2,3,4と右側にある6,7,8,9の数的関係を見てみよう。まず左右各数の和は左側が10、右側が30となる。またそれぞれの2乗数の和は左側が30、右側が230である。右側の4数の和の30は、左側の4数の2乗の和の30に等しい。また左側の4数の2乗の和は、これに200を足した230になっている。
■さらに左辺の3乗の和は100。そして右辺の3乗の和は1800だ。また左辺の4乗の和は354。そして右辺の4乗の和は14354である。左辺の354は月の12朔望周期日でもあるが、右辺はこれに14000を足した14354である。数の累乗も5までで一応打ち止めにするとして、左辺の5乗の和は1300であり、右辺の5乗の和は116400である。なお左辺の積は24だが、右辺の積はこれに3000を足した3024である。
■もちろんただ1,2,3,4をまとめて1つにしただけでは5には至らない。この5=新しい1という捉え方はただスケールをスライドするだけのホロン構造ではない。数はそれぞれそれ以前までの数を内包している。同様に5は4までを全て内包して余りあるものでなければならない。余りあるものとは反転する概念である。これはまた逆に1の中に反転している1,2,3,4を見出す力でもあるだろう。
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