BABYMETALの3人を描く

 

     (1)HBの鉛筆だけで描いてみる。

 

 

     (2)コントラストを調整する。

 


 
     (3)赤を2重に乗せてみる。
 

 
     (4)黒も2重に乗せてみる。
 

 
     (5)背景色と文字を入れてみる。
 

 
     (6)背景色を変えてみる。
 
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手書きの原稿が一番好きだけれど、画像処理したものも嫌いではない。














 

『バイオハザード/ザ・ファイナル』

        

        映画『バイオハザード/ざ・ファイナル』のパンフレットの表紙より

 

★『バイオハザード/ザ・ファイナル』を観てきた。今回の完結編まで全部で6本だが、シリーズにありがちな整合性の破綻や中弛みも特になく、それなりに見事に完結していると思う。

★第1作の『バイオハザード』を観たのが2002年で、映画の世界では15年間この世界観を保ってきたわけだが、個人的には1996年にPlaystationのアドベンチャーゲーム『バイオハザード』から続くものだった。

★これまでにも沢山のゾンビ系の映画があったわけだが、様々に洗脳されている現代社会と無意識のうちに重ね合わせたりできるからだろうか、個人的には結構ゾンビ系ディストピア系の映画も好きだった。

★高窓から大都会の雑踏を眺下していて、これらがみなゾンビだったらと考えてみて、その奇妙な現実感におののいたことがある。未来を見据える眼を自ら放棄した者はすでに死んでいるとも表現される。

★「お前はすでに死んでいる。」『北斗の拳』のケンシロウの有名な決めぜりふだが、己れの身が弾けるまで当人はそのことを自覚できない。ゾンビ状態であるならば、さらにそこから死ぬという選択肢もある。

★未だ目覚めていない者が自力で覚醒する時、それを「2度生まれ」(ドウィジャ)と呼ぶ。裏の裏は表。ただし2度めの表は、以前と同じ風景や生き様であっても、それでもそれは全く新しい。

★同じでかつ同じではないということが矛盾ではないところでは、死んでいる状態からさらに死ぬという裏の裏もまた、単なる肉体的な死とは異なる在りようではなかろうか。「2度死に」。
-★この映画を観終わった直後の脳内感想としては、「個人的にはゾンビのメタファー、そして世界観としてのディストピアの類は、この映画でゾンビ系の映画はもう目出度く打ち止めで良いなあ」というものだった。

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★自分の過去のブログで、こんなゾンビ映画観のようなものがあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


再びSU-METALを描いてみる



     鉛筆で描いてみる。



コントラストの調整。



     赤色の着色をしてみる。



   黒色も着色して、文字と背景を入れてみる。


黒と赤をより加筆して、全体をそれとなくまとめてみる。

















 


MOAMETALを描いてみた

 

     HBの鉛筆で描いてみる。

 

 

     コントラストを調整する。

 

 

  背景とスカートなどをいじって背景を入れてみる。

 

 

     字も入れてそれとなくまとめてみる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「生きる」という天賦の才

 

■10■前世や来世は有ると言う者もいれば、無いと言う者もいる。設定文脈が異なる場合それは併存するし、さらに異なる文脈では前世や来世が想定不要な世界観もあるだろう。生命進化には地質学的な時間が絶対必要だとするのは偏執的発想だ。未顕現のまま保持されてきた遺伝子は環境激変で発現機能する。

 

■11■私達は誰もみな母親のお腹の中で生命進化を超早回しで追体験してきた。初めたなのに、自ら再演してきたのだ。「それは初めてなのか、2度目なのか?」という問いそのものは朴とつに過ぎる。忘却している記憶を想起すれば、それは今でもここにあるのか。これから私達は生まれて行くのではないか?

 

■12■前世や来世、輪廻転生という概念は、かつては何度も生まれ変わり行きつ戻りつしながら進化していく魂や生命というような概念だったが、現今では個人の一生の間にそれらが起こるしまた起こせる。生物進化も多重のスパンで畳重しており、何百万年何億年かけての進化もまた今この瞬間と重ねられる。

 

■13■論理的もの言いではないので比喩として表現するが、長い時間努力することでのみ、自分は変わることができる自分というイメージはもう古い。努力は人を裏切らないという物言いも、裏切るものだと言う反物言いも、そのコンテクストに身を置きさえすれば、矛盾対立しないまま自然に受けいれられる。

 

 

■14■天賦の才能を持って生まれていない者はいるのだろうか。まさに「生きている」という至高の才能。それに気付かずに努力する者もいるだろう。しかしその絶対的な才能を明確に自覚し、弛むことなく磨き上げ、進歩を怠らず開花し続ける表現にこそ、私達は賛辞を惜しまないのだ。嫉妬する余地はない。

 

■15■そこには普通の意味での自意識や自我はない。いや分を弁えてそこにいるとも言えよう。圧倒的な存在感で技を展開している力と形は何なのか。生命進化のベクトルとは何か。既存の言葉で新しい概念と結び付けるならば、それはミシャグジだ。界面にたたずむモノは双世界を知りつくして転がして行く。

 

■16■もはやミシャグジという概念表現も古く感じる。しかし神道の神々の前に既にいた、もしくは在った「神」とか「霊」とかいう言葉すら当てはめ切れないモノ。個人だけの様々な喜怒哀楽は、名付けられる前のそれと1つであればもはや大した意味がなくなる。だからこそ今それを味わい尽くしておこう。

 

■17■両生類アホロートルはかつて一度爬虫類だったので、その生命記憶を再度開花させられたのだが、人間もまたかつて一度もしくは複数度、人間ではないそれを超えたものに進化したことがあったのではないか。その生命記憶の回復とは、瞬間瞬間の意識ではなく1つの生命軌跡の全体との重畳ではないか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


化かすことなく化けてみよう

 

■1■妖怪博士が喜ぶかどうかは不明だが、「化」という漢字は「人」と「匕」(匕首…あいくち…の匕で「カ」「ヒ」と読む)の怪異文字…いや会意文字。白石静によれば「匕」は人を逆さまにした形で、死者の形。頭と足が逆になった死者が背中合わせに横たわっている形が「化」で、人が死ぬことを言う。

■2■化は生気を失って変化すること。全ての者は生と死を繰り返していくので変化することを言う。この字から連想するのは「北」という漢字だ。こちらは右向きの人と左向きの人を背中合わせに組み合わせた形だ。背中合わせだから背くの意となり、逃げるの意となる。王が南面するので背は北方を指す。

■3■背中合わせは同じだが、「北」は生きた人同士が同方向を向くが、「化」は死んだ人同士が逆方向で並ぶ。この化は死者の組み合わせだと言ったが、これと「生」という漢字を合わせた言葉が「化生」だ。「かせい」と読むと、組織に別の種類の細胞が生じてくることで、英語で言えばmetaplasiaとなる。

■4■しかしこの「化生」を「けしょう」と読むと、仏教で仏・菩薩 が人々を救うために、人間の姿を借りてこの世に現れるという意味になる。化身。さらにはよりどころなしに自力で忽然と生まれるもの。また神道では、神や精霊が滅したり相変によって、そこから多くの物や神が生まれ出るという意味だ。

■5■また小説・劇画などの異界譚の中で、剛の者が美女に誑かされて「さては化生の者か」と悔しがる類の化生は、化けることや化けたもののことだ。要するに妖怪・変化・化けものをいう。また最初に上げたように、仏教では仏が人間の姿に化身してこの世に現れることもある。共に人知の及ばぬところだ。

■6■つまりコンテクストの違いはあるが、実は私達は神や仏や大精霊なのだけれど、現世の人間的な苦悩や喜悦を実際に味わうために、敢えて自ら失念して今を生きていると想定してみることも可能だということだ。出自が妖怪や精霊であるということに喜ぶ輩もいるかも知れないが、可能性も絶無ではない。

■7■病理学的レベルにおけるネガティブな化生に留まらず、生物進化に直結するような化生もまた起こりうるのではないか。そして幼形進化の最中であるかも知れない人間。スポーツや芸事において、突然それまでを遥かに凌ぐレベルになることも「化ける」と言う。私達もまた様々に化けてみたいものだ。

)別の言い方をすれば、BABYMETALのように立ち止まることなく、どんどん化け続けて行きたいものだということなんだけれど、それを語るのは非常に大変だから、せめてつい先日(1/11)のメタリカとのずっ友写真を貼っておく。


重力の呪縛と恩寵

 

■1■前世期の『機動戦士ガンダム』では「人類は地球の重力の呪縛から逃れられない」と語られた。重力は人間の自由を制限するというネガティブな捉え方だ。1994年、詩人河村悟氏のギャルリ・ウィでシモーヌ・ヴェイユの『重力と恩寵』を初めて知ったが、私は助詞を違えて「重力の恩寵」と誤記憶した。

 

■2■重力は呪縛ではなく恩寵であるという世界観の反転。当時のヌース理論では、重力は「人間の意識の総体」とか表現されていた。デボン紀。地質時代の区分の1つで古生代の中頃、約4億1600万年前から約3億5920万年前までの時期だ。ここで脊索動物の上陸という生物進化の歴史上重大な革命があった。

 

■3■水中で1/6に相殺されていた重力は、大気中では6倍になる。両生類は肋骨で内臓が潰れるのを防いだり、四肢を強力にしたりして重力に抗って体を支えた。今でも両生類とそこから進化した爬虫類の多くは、四肢で重力に抗って腹を引きずる形状を持つ。爬虫類の「爬」の字は「地を這う」の意味だ。

 

■4■しかし重力はただの呪縛ではなく恩寵でもあった。重力が6倍化することで、DNA中の遺伝子が活性化し、鰓呼吸から肺呼吸へと切り替わるのだ。鰓が縮小して、皮下組織に赤血球が詰まった造血巣が並ぶ。ミトコンドリアの細胞呼吸能力が高まり、腸管腔内が破れて喉と繋がり、肺呼吸へと変容する。

 

 

■5■前世や来世や次元上昇などという概念は、何度も輪廻転生しながら進化していく魂という世界観の中にある。生命進化もまた地質学的に長い時間が必要で、個体とは関係なく統計学的に多くの失敗と死を前提にしているイメージがある。しかし個人の一生中の輪廻転生的な大変化も、進化もありうるのだ。

 

■6■両生類アホロートルの個体に3か月で6万年分の変化をさせる「陸揚げ」という実験がある。3か月かけて慎重に飼育槽の水を減らしていくことにより、重力と大気の変化の中でのた打ち回って、もしくはさほど苦しまずに、その形状や身体機能を変容させて、鰓が消えて皮膚と肺で呼吸するようになる。

 

■7■実は両生類アホロートルは昔、陸に上がって爬虫類になっていた。しかし洞くつなどに迷い込んで陸に上がれなくなり、水中生活を余儀なくされて幼形成熟したものの末裔だ。だが生命記憶はまだ保持し続けている。つまり未顕現のまま保持されてきた遺伝子が環境激変により発現機能し始めるのである。

 

■8■劇的な変容と言っても、この場合はかつて一度進化してから幼形成熟したものであって、人間の個人における輪廻転生的な大変化が可能な証拠ではない。しかし人間もまたかつて一度進化したけれど幼形成熟したものだという考え方はあり得ないだろうか。証拠のない単なる発想だが、全否定はできない。

 

■9■科学的には「人類ネオテニー(幼形成熟)説」というものもある。これはヒトはチンパンジーのネオテニーだという説だが、ここで提示しているのは、私たちはより進化した霊長類の幼形成熟であるという発想だ。「輪廻転生はあるのかないのか?」という二元的発想を超えて行く先に反重力創生がある。

 

)アホロートルの画像元。http://haworthia.blog55.fc2.com/blog-entry-434.html 借用して加工させてもらいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


YUIMETALを描いてみた

調子こいて今日はYUIMETALを描いてみた。

実際の顔のバランスは異なるんだけど、まあ漫画なんでよろしく。


(1)少女漫画風の手書きの原画。


(2)PCの1ボタンでコントラストを強く。


(3)赤黒が基調のBABYMETAL的に画像処理。

 


(4)色々処理できるけど、個人的には手書きのままが好き。

 


SU-METALを描いてみた

 

★超久しぶりにお絵かきしてみた(笑)。イメージでSU-METAL描いてから写真とかと比べてみた。あごのラインとかいろいろ違うところだらけなのが分かった。「絵がら」ってやつだよと言ってごまかしてみる。何十年もの腕のサビを落とすために、これからちょこちょこ2次元平面と遊んでみたいものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


『百億の昼と千億の夜』を超えて

 

■5■本当は昔『百億の昼と千億の夜』をリアルタイムで読んだ頃は、百億や千億という数が本当に気の遠くなりそうに遥かなものを表していると感じていたけれど、数を偏愛して久しい最近ではそうでもないということを記したかったのだ。例えば月の公転周期と地球の公転周期の積はほぼ1,0000日となる。

 

■6■また『百億の昼と千億の夜』を、数字で表すと『100,0000,0000の昼と1000,0000,0000の夜』となるが、火星公転軌道の大きさを見ると、「地球暦」と実際の太陽系のスケールとの比は1:1兆=1:1,0000,0000,0000であることが分かる。この10の12乗分の1は身体尺の1キュービットにほぼ等しい。

 

()日本人的な数の桁数が分かりやすいように万進法で括って表記。

 

         

 

■7■月は現在でも1年間に3.8cmずつ地球から遠のいている。これと現在の地球と月との間の平均距離が約384400kmであることと重ね合わせて考えると、これら2つの数値の比はほぼ1:百億(=10^10)であるということが分かる。10進法を我々は採用しているが、上陸以前は10進法とは限らない世界だ。

 

■8■現在の地球と月との間の平均距離には、地球が約31個入る。31という数は太陽暦の大の月の日数でもあるが、現今の地球の太陽暦の1年は、なぜ30日と31日の12か月で捉えられているのか。人間の空間認識が三半規管により3次元的に捉えられているが、円周率πを3乗すれば、ほぼ31ぴったりになる。

 

()31.006276680299820175476315067101…

 

     

 

■9■日本人の中にある、5と7基調の音韻やリズムの「みそひと文字」はどこから来ているのだろう。西洋の5:8的な黄金比に対して、日本には古来より5:7の白銀比も同時に存在していた。黄金比の星である金星の公転軌道半径は地球の公転軌道と白銀比である。神聖歴260日と364日との比も5:7だ。

 

()1:√2=5:7.071067812…≒5:7=260:364

 

■10■3億5000万年前の地球は1日が19時間で1年が430日だった。大陸も全く異なるパンゲア大陸のさらに前の形状をしていた。要するに現今の世界とはかなり異なっていた。未来もまた少しずつ異なったものになっていく。問題は現今の世界の在りようが我々の世界観の照応として見て取れるということだ。

 

 

■11■太陽が見た目の1個分天空を移動するのには2分かかる。太陽の視直径は0.5度だから、太陽が1昼夜で720個分だけ移動すれば元に戻るということだ。2×720=1440で1日は1440分=24時間だ。12−60進法で世界を捉えたと言えるが、また12−60進法を選択したから世界は今のように見えるとも言える。

 

■12■『百億の昼と千億の夜』を遥かに超えて、日本の万進法で表す最大の数「無量大数」は10の71乗だが、それよりさらに大きい名もなき数も無数に存在する。前振りが永すぎて、現今の世界観を超えた視座を提示する可能性をBABYMETALは持つのではないかという話に、また至らなかった。次回以降を期す。

 

()以下の動画-リンクは気にしないでください。

https://www.youtube.com/watch?v=Zi-XFUZ5EL4

https://www.youtube.com/watch?v=T8hulS3L90w

 


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