ピアノ暦2093年、地球

 

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グレゴリオ暦2093年、遥か彼方から地球に異星人が来訪していた。この異星人

達はこの水っぽい惑星上で人間の姿を見ることはなかった。人類はすでに絶滅

したのか、環境の激変のために他星へ移住したのか、はたまた異なる次元に集

団で移行したのだろうか。異星人達は荒れ果てた都市の遺跡から1つの遺物を

発見した。鉄や木や様々な弦の塊からなるこの遺物は「ピアノ−フォルテ」とい

う名前だった。異星人達は人間のような聴覚器官を持ち合わせていないので、

この謎の遺物が何に用いられたのかについて様々な考察を加えた。これが何に

使われていたのかについて、多数の研究者が意見を述べた。そして最も有力な

説は、このピアノというものはこの惑星の「暦」だったというものであった。
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■1■我々はこのキニチ・アハウ第3惑星の最終先在民がまだ存在していた当

時の1公転周期を、365.2422地球日と算出した。幾何学的巨石構造からなる様

々な暦が、惑星各地にあることも文書解読チームの解析から明らかになった。

 

■2■このピアノ暦は白鍵7つで1つの繰り返しパターンを持ち、またそのパ

ターン自体が7回繰り返されていることから、この惑星の暦システムの7日=

1週間=1オクターブという構造周期の形を表現していると分析されている。

 

■3■この遺物の白鍵は52、黒鍵は36で、全部で88鍵である。白鍵の数は52×7

+1と対応し、黒鍵の数は占星術という平行幾何学の暦体系の12星座をさらに

3区分したデカン=旬という周期であり、10進法との関係も指摘されている。

 

■4■また全部で88あるキーボードはキニチ・アハウ第1惑星(水星)の公転周

期である88日との関係が指摘されているほか、先在民の全天球に対する「星座

」という部分認識のパータンが全部で88あることとの関連も類推されている。

 

 

■5■しかし文書解読チームの若手からは、我々には知覚認識できない「音楽

」というものが存在し、それはこの先在民たちの共通した精神構造の数的・幾

何学的形態との普遍的共振作用そのものではないかという意見発表もあった。

 

■6■先在民は1自転を24分割して1時間と呼び、それを60分割した1分、さ

らに60分割した1秒という先験的計時単位系を持っており、この1/86400自転

の基本単位の間の振動回数を、Hzという単位で表していたことも解明された。

 

■7■この暦楽器の内部には、先在民の用いていたであろう単位で約6+1/

2フィート(低振動部)から約2インチ(高振動部)まで様々な長さの弦が張り巡

らされている。ピアノ-フォルテではその弦が次のような具合で張られている。

 

■8■すなわち(1)合金の金属線を巻き付けた1本の弦が8本。(2)ユニゾンに

合わせた2本1組の巻線の弦が5組。 (3)ユニゾンに合わせた3本1組の巻線

の弦が7組。 (4)ユニゾンに合わせた3本1組の巻線でない弦が68組である。

 

 

■9■つまり全部で243本の弦で88の音を出しているのである。この243本とい

う弦の数は、このキニチ・アハウ第2惑星(金星)の逆回りの自転周期243日と

等しい。この事実もまた「ピアノ・フォルテ=暦」説のさらなる論拠である。

 

■10■我々にはない先在民特有の「聴覚」というものが20〜20000Hz の間での

み稼動認識されていたらしい。現在も海中に生息しているクジラ・イルカ類は

20〜20000Hz を発するので、何らかの情緒的交感があったものと考えられる。

 

■11■先在民の脆弱な振動発声器官ではその帯域全体のカバーは不可能であっ

ただろう。我々には未知なる「音楽」というものの中に、先在民は何らかの幾

何学的情緒を体感してらしきことが、残された文献上の賛美から推測できる。

 

■12■しかしその知覚器官の周辺帯域による歪みを、そのまま遠近法として平

面投影している先在民の世界認識は、我々の双方向対数螺旋の時空認識とは大

きく異なっていると考えられるので、極端な推測は慎まねばならないだろう。

 

 

■13■先在民の言葉でチチェン・イツァという4角錘形巨石楽器の4面には、

それぞれ91の階段と52のへこみがあるが、これも91が4面の364日と最上部テラ

スで365日という暦であり、へこみ部分は52(×7)を表しているのであろう。

 

■14■この各地に散見できる類似の巨石群は、我々が直接認識できない「音楽」

を生み出す「楽器」であろうと類推できる。我々は「ピアノという暦」同様にこ

の巨石群の「楽器」の音色もまた、直接知覚認識することはできないのである。

 

■15■このピアノ暦は、この星の計測単位系でだいたい27.5Hz〜4186Hzの振動

数を発していたらしい。この白鍵黒鍵両方含めて低い方から40番目の振動数は

261.63Hz程で、この惑星の公転周期365と共に頻出する260という周期に近い。

 

■16■27.50Hzという数値は、唯一の天然の衛星である月の公転周期比27.32日

に近似している。この星の有機生物はみな、この巨大衛星から多大な影響を被

っていたことだろう。この振動数は暦と対数的に対応する構造があるようだ。

 

 

■17■我々がこの星との時空交差は、先在民が用いたグレゴリオ暦でいう2093

年で、261.63Hzから3オクターブ上の振動数2093.04Hzに対応する。この共時性

は先在民の精神構造がこの星の空間構造を保持していたためなのであろうか。

 

■18■この星の1公転に対する24時間×60分=1440分という細分化と、60秒×

24コマ=1440コマというホロニックな分割によって、1/24秒という時間長が

先在民の視覚的分別認識の限界閾値の領指摘単位であったものと推測される。

 

■19■1440という数は、12進法における一桁上の数144(=12×12〗の10進法ホ

ロンでもある。この数は先在民における20進法の1バクトゥン=144000ともホ

ロンだし、また1,2,3,4,5の2乗積でもある14400ともホロン関係にある。

 

■20■先在民は10進法と12進法を併用していた。先在民の物質的肉体の中心部

から突出する5部分のうちの4つはさらに5つに分岐し、残る1つには正面に

5つの穴がある。ゆえに5進法から10進法と20進法の発達が確認されている。

 

 

■21■12進法は先在民の空間認識が最大12の方向にも対応すると思われる。た

だしそのうちの3〜4方向だけがもっぱら発達しており、残る方向感覚は未発

達で痕跡がない。先在民の精神構造は、この銀河系でもかなり特異なものだ。

 

■22■12−60進法ともいわれるこの数体系で、2及び3次元的世界記述に用い

た「角度」というものが、1サイクル360度もしくは倍の720度という数を用い

たのは、この惑星の公転周期との近似からではないかという少数意見がある。

 

■23■だが1〜9の階乗をスキャンすることで、その意見への強力な反論拠が

見て取れる。つまり中心を5から7に移動する「12進法の10進法起源説」であ

る。7を中心とした1×2×3×4×5×=720=8×9×10 の視座である。

 

■24■3次元空間においてものが内と外を形成するためには、周囲から720度を

削り取って胞を形成する。この時二分子膜も細胞も有機生命体も、世界の半分

を内包して自他を区別している。先在民はこの惑星すらも球体と見たらしい。

 

 

■25■10進法で一桁最大の9!=362880は、この星の1年365.2422日と関連し

ていたのではないだろうか。またこの数を(2×7=)14で割ると25920となり、

計算上のこの星の惑星歳差運動周期と一致することも、その論を強化させる。

 

■26■この先在民の精神構造そのものが、この星の諸周期を実際に形成してい

たという仮説に従うと、この謎の遺物「ピアノ−フォルテ」は、人間という先

在民の精神構造の形自体が、石化の化石という物質化現象ということになる。

 

■27■この惑星の先在民の外的空間認識は、3軸直交の6方向とそれが作る8

つの象現の和14からなる。陽子7つ中性子7つの窒素に原子量14を見、14個の

陽子を持つケイ素に対応する3次元的多面体、ベクトル平衡体に象徴される。

 

■28■惑星の公転周期を自然数と整合させて暦に取り込むべく、先在民は我々

には知り得ない音楽理論で、360に5と6を加減した 355と365及び354と366の

太陰律と太陽律を作り、暦を平均律=万年暦で幾何学的調和を試みたようだ。

 

 

■29■最終的に様々な純正律と28×13+1という平均律を統合することによっ

て、先在民はこの惑星上にある12の方向と20の象現及びその再分割からなる惑

星グリッドを、自らの反映として新たな方向に反転連結させたと考えられる。

 

■30■外面の13と内面の31、及び反転連結界面の総和(1+2+3+4+5+6

+7+8+9=)45は、10進法全体の総和(1+2+3+4+5+6+7+8+

9+10=)55との合計数100として、それを超越して進むと石に刻まれている。

 

■31■私たちは先在民の精神構造とそれが形成した世界観をさらに研究して、

この「人間」と自称した者達が多重多次元宇宙のどこに向かって進もうとし、

そして消えていったかを解明するべく、今後の精神考古学の研究成果を待つ。

 

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これらの異星人考古学者らの研究とリポートは、現在の私たちから見れば勘違

いもはなはだしい部分が少なくないように思われる。しかし実際のところまっ

たく知覚認識形態の異なるこの異星人達の「ピアノ−フォルテ」を暦と見、巨

石遺跡を楽器と捉える類推と理解は間違いなのだろうか。私たちが私たち自身

とは世界観が異なる先在民の遺跡や先行文明を発見した場合、はたして正しい

理解が可能なのだろうか。グレゴリオ暦2093年。ひょっとしてこの異星人には

知覚認識できないだけでなく、私たち人間の方もこの存在たちとは次元的に交

差しないまま、まだ地上にいて相変わらず生活しているのではないだろうか。

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アボブでなくビロウな話

画像は『THECOOLIST』 http://www.thecoolist.com/earth-from-below-by-stephen-alvarez/ より借用。

 

■1■今月初頭から膝が痛くてずっと曲げることができなかった。ここ数日、ようやく180度から160度、140度という感じて曲げることができてきて、今日はようやく90度まで曲げることができるようになった。もちろん関節本来の複雑な捻じれや回転自在な動きにまでは、いましばらくの時間が掛かるだろう。

 

■2■尾籠(びろう…or below)な話で申し訳ないけれど、今月頭からずっとトイレに行っても膝が曲がらないので、小用はできても大用はできないままだった。個人的にはほとんど常に快食快便なので、便秘系の悩みは一切なかったのだけど、大用スタイルに近づけると痛みで体が自己強勢便秘になっていた。

 

■3■昔は「居ても立ってもいられなければ中腰になっていればいい」などと、人の苦しみを知らぬまま放言していたけれど、今日8日目にしてようやく痛みの不随意筋関所がフリーになり、よく便秘薬のCMなどで「スルスルっとでました」とか言うように、出国規制の廃棄物たちを自然に返すことができた。

 

■4■8日間分だからどれだけのボリュームなのだろうと、ちょっと個人史最大量の期待をしていたけれど、フツーにいつもの1日分より少なかった。いつもであればの8日分は一体どこにいってしまったのだろう?小用対象物なら、再度血管に戻しての濃縮還元はあろうが、大用対象物は濃縮って無理だよね?

 

■5■不思議なので8日目にして初めて体重計に乗ってみたら、いつもと全く同じだった。身体は不思議だ。たまに故障して動けない時とか、痛みを抑えつつ足を引きずって歩くときなどに、人間はなんと美しく歩き動くのだろうと感動的に思う。自らの身体は反転した自然で、内外の界面が私なのだと考える。

 

■6■環界という自分の外界の少なくとも自分の知覚認識できる範囲は、自分の内側の自然が反転した自然と等価であると捉えている。もちろん自らの知り得ぬ自然も存在するけれど。自我とか自己というものは、今はその内と外の反転するめくれあがりの片面だと意識してみている。でも大用対象物はどこへ?

 

■7■アセンションとか次元上昇とか、わざわざこちらから上がっていく話より、そっちがこっちにディセンションしてこいやと不遜に思っている私ではあるが、upに対してはdown、overに対してはunderが対義語なように、belowの対義語はaboveであることを付け加えて、上や下にも色々あることを示し残そう。

 

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p.s.正4面体の2面角である70.5度まで膝が曲がるようになったら、もうこっちのものだ。単純ではないけれど、バレーボールのスパイクやサッカーのシュートの時の関節の基本角度は70.5度で、ためを作ってからボールにインパクトを加えると考えているのだが、補角の109.5度が作れれば3次元が回復できる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


つげ義春の「紅い花」

 

■私の中ではこれまでに3回大きなつげ義春ブームがあった。先日、名古屋は千種区にある正文館というちょっとマニアックな偏りの本も置いてある本屋さんに行って、「つげ義春 夢と旅の世界』という雑誌を買って来た。彼の作品は間を置いて読むと、既読感はあるものの、とても新鮮に響くものがある。

 

■代表作の1つでもある「紅い花」を読んだ。読んだこと自体は数度以上だけれど、正確に間を置いては4度目のじっくり読みだった。その都度違うのだけれど、全く読後感が変わっていた。こちらの方が変わっているからでもあるけれど。全作品を読んではいないけれど、やはり私は「紅い花」が一番好きだ。

 

■描き始めるとあれもこれもといろいろ書き連ねて止まらなくなるだろうし、一番の感想文に相当するのは自分で作品を描くことだとずっと昔から思っているので、本当に一番好きだということ以外は一言も語らないで置く。これだけ読後感が変わるということ1つ取っても、人生長生きしてみるものだと思う。

 

■つげさんには温泉がらみの作品も結構多い。奥会津の温泉たちにはぜひじっくり行きたいと思って、まだ行かずに取ってある。温泉は台風や地震で消滅したりすることも多々ある。取材して熟考して作品化された世界と、現実に存在したということになってる世界も、半世紀近く経った今では区別が付かない。

 

■つげさんは二十数年前に休筆し、そのまま引退してしまった。つげさん自身の人生もまたドラマチックだ。私は同じような生き方はできないけれど、つげ義春という漫画家と同じ時代で本当に良かったと思う。異時代は直接知り得ないから分からない。巡り会う人と会わない人との違いも同じなのだろうか…。

 

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■先年のマヤの13バクトゥンの切り替わりより前の、というより東北大震災より前の2010年に他界してしまった、非常に近しい友人が2人いる。ケムイチ君こと石黒健一とケイスケベーこと銀川啓介だ。2人とも大学で同じ英文クラスで、反社会的かつ反宗教的なところで実にウマが合い漫画の趣味も近かった。

 

■私は大学2年までにほとんどの単位を取り、彼らは逆にかなり取りこぼしていた。私は3年以降、まじめに学問をやることに飽き(基本的に学者タイプではないことが分かったし)、大学4年時には彼ら2人の取得単位とほぼ同じになった。彼らはその後、社会に出たくないからと猛勉強して大学院に行った。

 

■私は学生中に漫画家として一応デビューしていたので、社会に出ていつつ正味では出てはいなかった。彼らはさらに研究を深めて大学の先生になった。自分たちでこんな人間が教育を担うとは恐ろしいことだと冗談を言っていた。後で知ることになるのだけれど、漫画月間誌にCOMとガロの2流派があった。

 

■大学2年の頃ケムイチ君が、マロが持つのに相応しいからという理由で、CM全冊を私にくれた。とてつもないボリュームだった。萩尾望都や竹宮恵子かの初投稿などもそこで見た。漫画の奥深さと可能性をそこで見た。しかし時にカウンターカルチャー系の「ガロ」があることも、その辺りで知った。

 

■つげ義春の作品に巡り合うのはまだまだ先だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


パッと見猫クイズ!

 

Q.「画面の中に動ける生命体はいくつ?」

 

・8月になってから1週間、左ひざの故障で動けず、寝たきり老人のロールプレイングゲームやってます。だから見苦しい絵づらで部屋も乱れているのは見逃して下さい。

 

・布団の上に竹の敷布(←冷たくて心地よい)を乗せて、その上に横たわること170時間以上。2日目にリハビリのつもりでコメダ珈琲店に歩いていったのがいかんかった。

 

・猫が心配してまわりにいてくれ続けてます。クイズの答えは4つ。私、足元の白猫「空」、右側の机の下の椅子にいる「みかん」、その下の赤い爪とぎ猫ホームの中の黒猫「海」。

 

・なんか入れ替わり立ち代わり、私の上に猫が乗ります。猫のヒーリング?でも重いんですわ。3kg以上の軟体系動物。そんで熱いんですわ。猫の方が体温高いし。あ…ひっつくと涼しいのか?

 

・あ、「動ける生命体はいくつ?」という問いに対して、私は膝が壊れていて動けないから数に入らないのでは?というツッコミがあるかもしれないけれど、ちょっとは動けるから(^^)。

 

 

みかんさん、私が寝ている時の定位置は私のいつも座って
いる椅子。最近ちょっと調子が良くないからか、顔がちょっとキツい?

 

 

カイの定位置は2段重ねのダンボール製の丸い猫ホーム。
上のやつは壊れかけて正円でなく、しかも底が抜けそうなのに、それがいいみたい。しかたなくガムテープで補強。

 

 

クウさん、この細い竹編みの敷布(布じゃないけど)を敷
布団の上に敷いているんだけれど、ここが冷たくて気持ちいいらしく、寝ていても乗ってます。

 

       

 

一応冷房で肘・膝・足先が冷えないように気を付けています。練る時は特に。

 

読んでいる本は山本哲士の『吉本流名と「共同幻想論」』
(笑)、枕元右手にあるのは数独本、真ん中あたりにあるのは「つげ義春本」。こういう時でないと読めない本ってあるよね。

 

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なぜこんなに横たわり続けているのかというと、一つには病院嫌い、ひとつには薬嫌い。それでも許される生活環境に感謝しつつ、仕事をしている人は無理したり病院に行ったりして頑張るのだから図後いなあと思います。

 

私は元々社会的には役立たずなので、大差ないです(^^)。あと、ご心配は無用です。ジゴージトクって、ネガティブじゃなくて素敵(^^)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


蓼科温泉「蓼科パークホテル」

 

■1■シーズン中の蓼科の休前日の温泉宿を、直前に取ろうとするのが間違いだった。目算した宿は全滅だったので、少し安めの値段設定の蓼科パークホテルに滑り込んだ。それにしても5階のおそらく最も良い和室で、1万円を切る値段とはどういうことだと思いながらチェックインした。部屋は最高だった。

 

       

 

■2■取り敢えず温泉に急ぐ。窓の外は霧で、映画『ザ・フォッグ』みたいに濃い。しかし明るい浴槽と、まだ誰も客のいない浴室。露天共々、しっかり独占して堪能した。風呂場の雰囲気はとても良い。しかし温泉分析書の類が見当たらない。休憩所も大きくて広い。そこに温泉の管理使用法が書いてあった。

 

 

■3■西に数キロほど渋川を下った芹ケ沢というところに温泉スタンドがあり、そこからトレーラーで引湯しているのである。そしてそれに加水加温を施してる。しかしだからと言ってこの浴室の雰囲気が壊れるというものではない。晴れた日は南アルプスが綺麗に見えると言うが、この日は濃霧に緑もにじむ。

 

 

■4■この宿はかなり古くから頑張っているようで、お手頃というか安価な値段で食事もバイキング形式にして有るので変な気付いもせずに済むので交換を持てる。これて文句を言う人もいるようだが、この宿に関してはおおむね満足している。晴れていたら見える南アルプスの山々が窓から見れないのが残念。

 

所在地: 〒391-0301 長野県茅野市北山蓼科5522
http://tateshina-parkhotel.com/

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


蓼科温泉「石遊の湯」

 

■1■高速を諏訪インターで降りて、茅野駅から国道 299号線、別名「メルヘン街道」を横谷峡方面に進む。単品の名称だとおやっと思う名だが、ほぼ並行して1本南の奥蓼科温泉郷に続く県道 191号は「湯みち街道」と言い、1本北の蓼科高原や白樺湖方面へと続く 192号は「ヴィーナスライン」という名だ。

 

■2■今日の宿にチェックインする前に、行きがけの駄賃的に蓼科温泉「石遊の湯」に入った。「石遊」と描いて「いしやす」と読む。いやいや、初見じゃ読めないから。ここの源泉の名前がちょっとすごい。鋼管工業蓼科温泉。太平洋戦争時に軍需用の鉄鉱石を掘っていた諏訪鉄山跡地から湧出した温泉とか。

 

 

■3■未知のどん詰まりにある駐車場に車を止めて、券売機でチケットを買って受付に。 520円。早速男湯に向かう。内湯のない露天タイプの浴槽に屋根が付いていて、ナトリウム−塩化物・炭酸水素塩・硫酸塩温泉を未加水・未加温状態で掛け流し(温度調整の為一部循環)している。源泉の使い形が何か潔い。

 

■4■源泉が投入されていて、浴槽の下からはかなりの量がそのまま掛け流れて行く。その浴槽の向かって左に小さな小屋のようなものが2つあり、中を覗いてみるとそこが洗い場だった。面白い造りもあるものだ。もう1つ屋根のない露天があり、湯は薄濁りで温度はこちらの方が少しだけ低く長湯できそう。

 

 

■5■泉温は 66.8℃でpHは7.33。湧出量は毎分160リットルとのこと。成分総計は3994mgとかなり濃い。ゆっくり浸かり続けて入れる良泉であることは確かだ。ずっといたかったがチェックインの時間なので、名残惜しみつつ湯に別れを告げた。ちょうど湯に入っていた時間だけ、雨が止んでいたことに気付く。

 

★所在地: 〒391-0301 長野県茅野市北山5490−1 
http://www001.upp.so-net.ne.jp/ishiyasu/

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


地球暦を直交させる

 

■1■親鸞や兼好法師や西洋の合理主義者達が言う、1日1日に吉凶・優劣を定めるのは間違いだという考え方がある。1日1日に科学的ではない吉凶の占い的な意味付けがなされており、それを盲信して本質がおろそかになればかえって悪い結果になるとして、仏教では否定している。1日1日は均等とする。

 

■2■その1方では、1日1日が異なるエネルギーを持ち、その構造全体が循環するという時間の捉え方もある。様々な数理体系と暦や周期との関係に一定のエネルギーや構造があり、それと人間の意識や身体が影響を受けるという類の世界観だ。1日1日は不均等で、全体の吉凶や個々の和不和があるとする。

 

■3■どちらかではなくどちらもがより正解に近いであろうし、それらの兼ね合い具合が重要なのではないか。マヤでは1日と1人を同じキンという言葉で表す。人間1人1人は当然平等なのだが、それでも個々人の特性には様々な差異が豊饒性としてあるように、両方の視座があってこそ上手く転がせるのだ。

 

 

■4■1年の元旦から大晦日までを通年日として、1から365 までの通し番号を振ってみよう。365日は奇数なので183を中心数と想定できる。それを中心に1日〜182日と184日〜365日を交差対として、リバース同士を足すと、和は全て366となる。中心の183日を自分自身と対になると考えると、やはり366となる。

 

■5■ここで中心数は年初から 183日目だけでなく、暦の上の1日1日が全て中心数となり得ると考えてみよう。1年は365日だから182×2+1日だが、毎日がこの+1日であり、その前と後に182日ずつでループしている輪の構造が、中心の日として転がっていく。1年と1日が対性を擁して直交しているのだ。

 

■6■これは直交するトーラスをイメージしてもらえればよい。または地球暦を平面に置いて、その地球軌道に垂直に交わるもう1枚の地球暦が、1日1日に合わせて垂直のまま1/365ずつ回転しているというイメージ。ただしこれはその日とリバースの関係だけでなく、その日と残りの364日の関係としてだ。

 


 
■7■あるいはベシカパイシス。双対円の相互の円の中心が、もう一方の円周と重なっているという、幾何学的形状のイメージ。一方の円周上に地球暦の1年365日が乗っているとして、その1日1日には暦の上のその日以外の364日が重畳しているという形。その交差する2つの地球暦の虚実は交換可能である。

 

■8■数には様々な特性や大きさがあるが、1つ1つの数の在りようの間に優劣や善悪がないように、暦の上の1日1日ちもまた数として等価等質なものとして扱うことも可能だ。1年の内の1日1日がみな、1年の残る全ての日を内包しているという捉え方をすれば、差異の有無等は相互矛盾なく見て取れる。

 

■9■360度の365分の1もしくは 365.24219分の1である、機械的で均等な時間の分割の暦と、地球の楕円軌道による太陽との成す角度による非均等な差異を取り込んだ暦とでは、その繊細さ丁寧さによる正確さと美しさだけでなく、自らの時間感覚を暦の上のに重ねて生きる安心感にも違いが出て来てこよう。

 

 

■10■これは3次元的なカタチのモデルだが、太陽系の空間を3次元的にだけ捉える人には話が通し難かろう。この場合1枚目の地球の位置に重なる2枚目の中心は太陽である。立体的なベシカパイシス。もう少し改良して、ヘリオセントリックとジオセントリックの双方を立体的に見ることも可能ではないか。

 

■11■地球暦の重要な通過点である二分二至通過時点には、直交した地球暦もまた二分二至が直交する位置にくる。この1日1日に直交する残る364日の円盤は、西暦何年の暦の1年に対応するというわけではなく、1年365日の構造におけるそれぞれの日・年の関係と年・日の関係の、反転の方向の1モデルである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


地球暦上の通年日

 

■1■ユリウス日というものがある。ユリウス通日ともいうが、ユリウス暦紀元前4713年1月1日(グレゴリオ暦では紀元前4714年11月24日)の正午(世界時)を起点に日の単位で数える。ユリウス通日は天文時の伝統に従い、日の起点は正午である。この日を整数で数える値を(JDN…Julian Day Number)と呼ぶ。

 

■2■ユリウス通日は1583年にスカリゲル(1540年〜1609年)によって考案された。1582年のグレゴリオ暦改暦によって、年代学等の日付けの計算が混乱、もしくは煩雑化することを予想して、ユリウス暦とグレゴリオ暦双方での日付の換算や日数計算の便のために考案した。例えば2018年1月1日は2458120日だ。

 

■3■このユリウス通年は周期や終わり無く続くが、1年の年初から何日経ったかという通年日がある暦はほとんど見かけない。しかし地球暦では、年初から1年間の通年日が刻まれている。ただし日付はグレゴレオ暦に順じてはいるが、起算日は西暦の1月1日ではなく、地球レベルで平等な春分の日である。

 

 

■4■2017年版の地球暦には、この通年日が地球軌道のすぐ外に小さな活字で記されている。地球暦は1公転360度を平年は365日で分割しているのだが、365日を単純に4分割しているわけではない。この通年日を数えてみると、春分〜秋分が187日、秋分〜春分は179日で、1週間(正午基準)の差があると分かる。

 

■5■よく見ると地球暦の地球軌道には幅がある。地球の公転軌道はわずかに楕円軌道なので、地球が太陽から最も離れる遠日点と、最も近づく近日点との差が地球軌道の幅なのだ。遠日点は公転速度が一番遅い日で、夏至の後の七夕辺りにあり、近日点は公転速度が一番早い日で、冬至の後の正月辺りにある。

 

■6■実はこの通年日は去年、一昨年の版などでは印刷されていない。昔の初期版ではあったが、起算日もしくは年初が立春のバージョンも存在した。毎年細やかに進化が見られるのである。この1日の長さが微妙に異なる1年365(もしくは366)日を360度に収める作業1つでも実に繊細さが要求されているのだ。

 

 

■7■通年日の起算日は、グレゴリオ暦の元旦や、ドリームスペルの7月26日や、春分秋分の日や、冬至の翌日である必要はない。別節の「自分暦」でも見たが、自分の誕生日や記念日、1つの企画の開始日でもよい。しかも複数が同時に進行しても問題はない。究極は上述したように365日全てでも問題はない。

 

■8■また毎年の1年365日を超えて、通年日を刻むことも可能だ。外にある基準のユリウス通日のように、自分や大切な人の誕生日からの通日を刻むことで、「子は親の暦」「伴侶との2重螺旋暦」、生後百日祝い、千日祝い、27年と数カ月の生後 10000日祝いなど、人間精神と暦の交差まで見えて来るだろう。

 

■9■地球暦は円環で閉じているのではなく、地球の太陽を公転する軌道のように実は螺旋軌道であり、1年単位でその螺旋を切り取って2次元平面に落としこんである。通日という一応終わり無く刻み続ける日と、循環して巡る日月の双方があって初めて見えてくるものもある。モノはある。あとは使い方だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


飯田城温泉「天空の城三宜亭本館」再訪

 

■南信州のさらに南側にある飯田市。その市役所の近くにある飯田城温泉「天空の城三宜亭本館」を再訪した。愚妻が飯田高校で仕事をしている間のひと風呂である。7年前にも同じ時期に同じ状況で訪れているので再訪である。その時は熱かったし渋滞にも悩まされたが、今日は雨気味でかなり涼しめだった。

 

 

 

■前回もそう悪い印象はなかったのだが、その名前の「天空の城」が、さすがにイメージ通りでなかったので、個人的な評価では名前から逆にポイントを落としていたが、今回は以前にもましてお客もまばらだったので、ほぼ独占状態で寛げた。おまけに飲泉可能の湯もじっくり味わえたし、評価が上がった。

 

 

 

■大体この伊那谷というか飯田線界隈ずーっと諏訪に続く辺りまで、湯温がそう高くなく、冷鉱泉も少なくないのだが、ここ飯田城温泉の源泉温度は39度Cだから、加温もそうしていないと思われる。ただし今回は前回と違ってこの景色下方の街中から、てくてくと歩いて登ったのもあり、特に気持ちが宜しい。

 

)泉質やデータ、初見の感想その他は、以下の「温泉平和主義」のページに書いたので、再掲はしない。興味のある方は、ごらんあれ。

http://metatron.la.coocan.jp/zone-25/182spa.htm

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所在地:〒395-0034 長野県飯田市追手町2丁目641−10
http://www.sangitei.com/

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


生命の多様性と社会の領界

 

■かっこよさげなタイトルにしちゃったので、内容は砕けよう。「嫁と畳は新しい方がいい。」これは江戸時代の普通の言葉だが、新しいだけでなく、若い(もしくは年齢差が大きい)嫁さんと再婚、もしくは法律的婚姻と言う意味ではなく、パートナーシップ的な意味で、新機軸にシフトした友人知人が多い。

 

■半田コーセン氏、るしえる兄ぃ、河村詩人、他界してまったTOSHIさん、その他にも少なからずいるんだけれど、今度はダメ押し的にましましさんも、私の脳内ではこのグループに挙手参入した。年齢差がある熟若のケーズで、男女が逆のパターンを余り知らないのは、社会的というより生物学的なものかな。

 

■その前段階として、前のパートナーと道を異にするフェイズにもおそらく色々なケースがあって、相手を激怒・錯乱させた人もいれば、スマートに分かれた人もいる。そして当方の知らないところでの出来事に関しては、勇気がないので直接どうだったのとかは聞けないまま、新しい嫁さんとは仲良くできる。

 

■昔は新しい嫁さんと仲良くしつつも、かつてのパートナーのその後を知らされないまま、直接眼前で仲良く幸せそうな二人を見ながら、少しだけ悲しい思いをしたこともあった。今はもうそれすらも独りよがりで、別の道を行く人の人生と生命力を信頼して、傲慢にも不憫がったりすることは失礼だと考える。

 

■「うーん、そうするとそろそろ今度は私の番だなー」と私が言うと、愚妻が「そーするとまろちゃんは10代の娘とだね。ましましさんもひと段落したら、くっそー、10代の娘かーっ、まろさんにちょっと先を行かれちゃったかーって悔しがるんじゃない?」とのたもうた。何だよ、それ。ロリコンじゃねーし。

 

■大体10代だとよーく判別しなくては法律的にヤバいことになる。いや、法律はどうでもいいんだけれど、愚妻の前でしゃあしゃあとそんなことを口にする自分の場合、個人的には既にエネルギーが切れかかっているので、そのようなことはないだろうから口に出来ることでもあるな(笑←ちょっと弱々し気に)。

 

■こんなふうに書いたけれど、私はまた街中で元は一緒にいたけれど、今は別々の人生を生きている友人・知人に会った時、変な気を使ってなおさら気まずくなったりすることなく、普通に「久しぶり、元気?」と挨拶したいし、必ずそうするつもりでいる。人間はどんどん先に進む。死ぬまで愉快に生きよう。

 

■パートナーシップという軽々しい言葉にも多様性があるわけで、袖触れ合うだけでも生命の交差という激レア事なんだから、個人的な意識・無意識・情動・不明な感情も含めて、共にいる人、かつて共にいた人、そして未来に共にいる可能性のある人(全てだ)に対して、敬いと慈しみを忘れずに存在したい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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