色相環上に自己他者問題を見る


■1■電磁波全般の中では線分的な可視光線帯域の両端である、紫外線及び赤外線との界面を重ねることで円環にしたものが、「人間の色」として閉じた全体である色相環である。この色相環上の真逆の位置する対の色同士が補色の関係である。補色同士には並置すれば互いの色を引き立て合う相乗効果がある。

■2■しかし完全に重ねて混色してしまうと、相殺して無色となる。ところで色相環上のある色Aの補色Bは、A以外の色相環の全ての色の混色でもある。逆もまた真なりで、Bにとって、AはB以外の全ての色の混色でもある。比喩的表現だが、ここには個と個の関係と共に、個と全体の関係が見て取れよう。

■3■Aにとっての補色のBはA以外の全ての色相環上の色と等価であり、Bにとっての補色のAはB以外の全ての色相環上の色と等価であるということは、AとBの単色同士にとって、AとB以外の色相環上の全ての色は、自分以外の全ての色として、AとBが共同でて支えており共有しているとも言えよう。

■4■AにとってBと重なることで相殺して無色になるということはまた、Aにとって自分以外の全てと1つになることで無色になるということでもある。自己他者問題の1つの解方向、そして自己と自己以外の世界全てとの不二体験とも重ねて論ずることができそうである。ただし色相環は1つきりではない。

■5■そしてややこしいのは、異なる色相環同士では補色関係が少しずつずれていたりすることがあるのである。マンセル色相環は基本色が5色で10の系であるとすれば、オストワルト色相環とPCCS色相環は3と4の組み合わせの12の系である。またオストワルト色相環は他の2つと色の配置が逆になっている。

■6■それぞれ独自に理論的整合性を持たせてはいるが、黄色の補色が紫であったり青紫であったり、赤の補色が緑だったり緑青だったりしている。したがって1つの色相環の中での体系では矛盾はないが、色相環同士の間の色関係は相互の色解釈を知らずに、補色という真逆の概念を語ることができないのだ。



■マンセル色相環■
基本色はR・Y・G・B・Pの5色で、その中間色YR・GY・BG・PB・RPを加え
て等間隔に配置し、さらに各色相を10分割して最大100色とする。物理補色は
色相環の真向かいの色同士、心理補色は有彩色の補色残像の色のことを言う。



■オストワルト色相環■
ヘリングの反対色説の原色で、混色すると無彩色になる物理補色の「赤と緑」「黄と青」の2対の反対色を円周状に直交し、その間に「橙・紫・青緑・黄緑」を配して8色相とし、其々の色相を3分割して24色相とした。PCCSやマンセル色相環とは色が逆回りの配置。


 
■PCCS色相環■
心理4原色の「赤・黄・緑・青」各色の中心と考えられる色相を色相環に示し、その真理補色色相を退行位置に配してある。そこに各色相間が知覚的に等度となるよう4色を加えて12色と成し、さらに中間色を加えて24色とした。

)ネット上の色相環画像を借用させていただきました。元画像制作者の方々には、心より感謝いたします。















 

トーラス状の4原色とアンビリック・トーラス



■1■今、開知クンから電話があった。北海道のイベントから2泊3日のフェリーで名古屋に戻ってきて、ギャラリー「フィールアートゼロ」で、Naoさんと8月中旬から下旬にかけてのよ日間の金星会合周期イベントの案を最終的にチェックしているところだそうだ。

■2■今回のテーマは「誕生」で、彼は黄金比(人体にも感性にも関係している)についてもっと深めたいのでと言って少しいろいろ話をしていたのだが、後ろで聞いていたNaoさんが、私と開知クンが好き勝手に話すコーナーみたいなものがあっても面白いかもと言って、突然その枠を作ることになった。

■3■今のところ8/15か21の夜枠になりそうだ。この定例の2020年まで継続するイベントは、今回は8/15〜23となるとのこと。22・23日の土日は、私はひょっとしての小豆島「まろ塾」か、東京での「れっつあにまろ」イベントとなるで開けておいた。

■4■8月22・23日の横浜での阿修羅企画の幾何学イベントとまろ塾はお休みとなるが、東京のほかの場所で開催するかもしれないし。なお8月は7月末からの長野は穂高でのイベントにつるんで、特に2日前後は台合宿になるかもしれない件もある。29日は名古屋ミネラルショーもあるし、何かとむ来月も忙しそうだ。



■5■ヘリングの「反対色説」(4原色説)をトーラス状に変形してみるということは、色相環を立体的なトーラス状に立ち上げるということだ。そのトーラス上に4原色を乗せるのに、トーラス断面がへこんだ正方形と考え、その4辺がそれぞれの4原色であるとする。

■6■360度トーラス上を回転する間に、このへこんだ正方形も360度回転するアンビリック・トーラスのバリエーションであると考えることができよう。混色はこのトーラスに垂直の中心軸方向から見て、その4原色(常に1色もしくは2色しか見えない)の見えている比率を混色比率と考えられよう。













 

極座標と直交座標を同時に見る



■1■私たち人間の色である「色相環」とは、波長が378nm〜780nmの間の可視光帯域を切り取って、あたかも直交座標を極座標に変換するように、直線を円に変換して閉じたものである。両端の不可視につながる帯域の青と赤を混色すると、人間にはそれが自然界の波長としては存在しないマゼンタに見える。

■2■バビロニアの天文学と占星術以来の7天使・7惑星(太陽と月も含む)を7曜日と対応させた世界観は、目に見える土星軌道がその限界帯域だった。極座標→直交座標に変換するように、土星軌道周長を直線に延ばすとちょうど海王星の軌道直径となる。そこはまたカイパーベルトが始まる限界帯域だ。...



■3■海王星軌道は60×60天文単位の盤上に収まる。面積となる3600という数はバビロニアではシャーという単位だ。さらに言えば狭義のカイパーベルト帯域の半径は50AU〜50AUである。これはまた10進法限界でもある100×100天文単位の盤上に収まっているということだ。ひふみよい…は10000で閉じる。



■4■2012-13年もすでに遥かなる過去だ。2元論、3次元直交座標、有史以来の12-60進法と7曜、人間は月の中に閉じ込められているというグルジェフの表現、3人称、自己他者の世界観…それらを人間の世界観として否定せず、内包しながらはみ出していく方向性に未来を据える。閉じた日本語の本質を開く。

■5■正8−6面体の系は3次元。正4−正4面体の系は4次元。そして正12−正20面体の系は5次元と見て取れよう。ジオセントリックとヘリオセントリックを等距離に見る視座。極座標と直交座標を等距離に見る視座。4値の論理。閉塞している人間の世界観や論理や情動を否定せずに超えていく方向性…。




■6■繰り返すが、2012-13年はもう遥かなる過去だ。身体が人間だから世界観は変わらないと言う言葉も否定しないまま、ある日突然3半規管は4半規管に、3色型色覚は4色型色覚に、3人称は4人称に変わらないと誰が断言できよう。人間は未来への方向性を持たねばなるまい。閉じたまま開き続けるのだ。













 

たまにはBOBと遊んでみよう(2)







■6■3原色の1色は残る2色の混合色と補色の関係になる。これは3原色でなくても色相環上の同型の位置関係に有る全ての3色で成り立つ。色相環上の全色を混合させても無色になる。これは色相環上の任意の1色にとって、残る全ての色を重ね合わせたものが補色となるということでもある。逆も真なり。

■7■何の論理的根拠もないが、ここで自己と他者の問題を色相環上の補色問題と重ねてみる。世界の最も遠いところにいる他者は、自己以外の全ての色の重なりでもあった。自己は他者にとっては他者以外の全ての色の重なりでもある。では自己と他者が共有しているつもりの世界は自己と他者で作っている?



■8■再び30年前のBOBの言葉。「まろちゃんはわしの見ている世界の中にいるから、わしなんだよね。あ、でもまろちゃんがみている世界の中にわしもおるわけやから…」だからさ、BOBの見ている世界の中には私が浸透していて、私の見ている世界にはBOBが浸透しているというわけではなかろうか?



■9■「悲しい」は私だけの、もしくはBOBだけの感情だとしても、「もの悲しい」と私が言ったら、私以外の世界の中に「悲しさ」が浸透していて、私はものから外れてただ「悲しい」なになんだけれど、BOBから見たら私と世界とが補色として1つであるように、区別がつかないように「もの悲しい」と見えるかな。



■10■日本語には元々自己と他者としての1人称と2人称はなかったらしい。3人称に至っては、その認識がつい最近らしい。その3人称って、どちらの補色をも作る色の中に入っていない冷たい表現に思えはしないだろうか。日本では神の自分語りは1人称だったらしいから、神になれば自己他者もありかも。



■11■どこかに欠落しているもう1つの360度は、どうも私の頭の後ろにあって、そこでもう1つ補色の色相環として存在するのではないかと思えてきている。全てのモノの中にもう1つの360度がひっくり返って入っているような気もする。ただ人間はまだ378nm〜780nmあたりの帯域以外の光は見えないんだよね。

(今日はこんくらい。また遊べたら遊んでもらおうと思う(^^))














 

たまにはBOBと遊んでみよう(1)



■1■これはファンタジーであって、真剣な議論ではないことを明言して置く。凸多面体の不足角の合計が720度で、3次元空間において直交する2軸が360度ずつで閉じて円となり、球空間を形成するのに足りる角度である。ところで3軸直交のもう1本の直交軸にも360度を配分して円で閉じると1080度になる。





■2■360の3倍は1080であり、364の3倍は1092である。太陽直径の中に地球が109.2個入り、太陽と地球の間に太陽が109.2個入り、地球と月の間に月が109.2個入るということは以前に述べた。なお365の3倍は1095である。正4面体の中心角及び、正8面体の2面角は109.5度である。単なる数的な符号だ。



■3■1986年の初夏、頭がおかしくなる直前のBOBが私に言った。「まろちゃんはわしの見ている世界の中にいるから、わしなんだよね。あ、でもまろちゃんがみている世界の中にわしもおるわけやから…」それから1週間後に、BOBは井の頭公園の池でひとりきりの「地獄の黙示録」ごっこをやっていた。





■4■さて30年後の自己他者問題である。話の掴みなので誰でもいいのだが、ちょうどBOBが手ごろなので、マブダチということで許してもらい、話を進めよう。BOBはさそり座であり、私は真逆の牡牛座である。BOBは新月生まれで私は満月生まれである。そして誕生時に月は共にいて座にいたらしい。















 

正6面体に色を閉じ込める



■何でもかんでも正6面体と6角形に落とし込めばいいってものではないけれど、人間の認識構造がそうなっているんだから、それをはみ出すためにはしかたがないではないですか、などと言いつつ、人間の元々閉じている色空間を、3軸直交の正6面体の内部に閉じ込めて、それを外から俯瞰する視座を得たりしてみる。














 

ナノスケール



■1■科学的に表現すれば、物体の色はその物体がどの波長の光をどれだけ吸収するか(つまり各波長の光の反射率)で決定する。ただしその物体の反射光を観測者が視覚神経系を通じて判断された色が、その物体の色として認識される。つまり光そのものには色はなく、光を受けた器官が色を作っているのだ。

■2■私たちが「可視光」として認識しているのは、波長が378〜780nm(ナノメートル)の電磁波で、555nmに位置する黄緑が一番明るく感じられる。1nmは10^-9mつまり10億分の1メートルのことだ。1mと1nmの比は10億対1だが、地球の赤道から北極までの距離10000kmに対する1円玉の直径1cmに相当する。



■3■60個の炭素原子がちょうどサッカーボールの形になった炭素分子フラーレンの直径や、同じく筒状に並んだカーボンナノチューブの直径はちょうど1ナノメートルである。またDNA螺旋の直径はこの倍の2ナノメートルだ。そしてDNAの1回転分、つまり10塩基対分の長さは3.4ナノメートルである。

■4■理論物理学者スティーブン・ワインバーグによれば、宇宙開闢の1/100秒後の世界には10億の光子に対して1個の核子(陽子もしくは中性子)が存在した。この10億分の1の対称性の破れゆえに宇宙が現在のようなカタチになった。kohsen氏はかつてこれを「10億分の1の愛」の存在であると表現した。

■5■この単位で人間にとっての可視光線の波長帯域を表すと378〜780nmと3桁になるが、面白いことに数値だけを見れば、ほぼ土星の会合周期378日と火星の会合周期780日に重なっていることが分かる。また地球の1年と2年の日数365日と730日にも近似していると捉えればほぼ1オクターブである事が分かる。

■6■可視光線より短く軟X線より長い電磁波(紫外線)の波長は10〜400nmだが、蛍光管を使うブラックライトでは、ウッズガラスと呼ばれる深い青紫のガラスを使って波長400nm以上の可視光線をカットしている。結果このブラックライトのピーク波長はちょうど365nmになっている。人間の限界域なのだろうか。












 

3色説・4色説・段階説



■1■私たちがどのように色を感じるかについての原理は未だに完全なモデルが存在していないが、色覚説には現在のところ主に「3原色説」と「4原色説」が存在する。西洋的な2元論的世界観の中で、他の諸ジャンル中の3と4のモデル同様に、この2つの説の間には長いこと論争が続いた。「3か4か?」

■2■3色説(ヤング=ヘルムホルツ説)とは、色光の3原色RGB(赤・緑・青)の加法混色で殆どの色が作り出せる事実を踏まえて、人間にはそれらに反応する3種類の神経細胞があり、その組み合わせで全ての色を認識できると言う説だ。ただしこの説では人間の視覚系統に起こる残像現象を説明できない。

■3■4色説(へリングの反対色説)とは、色知覚の基本と定めた赤・黄・緑・青・白・黒の6色のうち、それそれ赤と緑、青と黄、白と黒を互いに対立した色とし、この3つの反対色の対が3種類の視細胞に対応してそれぞれの色が知覚されると言う説で、順応、対比、補色残像現象を説明することができる。

■4■ヘリングの「反対色説」は1874年。1801年にトーマス・ヤングが提唱した「3色説」をヘルムホルツが発展させたのが1868年。この2説が1世紀半にわたって「3か4か?」が争われてきた。日本人的な発想ではこの2択だけでなく、答えの中に「3も4も」もしくは「3でも4でもない」も自然に入る。



■5■現在では網膜の初期段階では3色説が有効であり、その後の段階では4色説が適応可能であるというように、2つの説を相補的に組み合わせた「段階説」が主流となっている。ニュートンの「光学」(1704年)とゲーテの「色彩論」(1810年)の対立も、2択ではなく異なる位相の捉え方と見て取れよう。

■6■ヘリング4色説の図を見てみよう。赤・黄・緑・青の4色で全色相を知覚できるとするが、赤と緑の混合を示す「赤緑」や青と黄の混合を示す「青黄」という色は存在しない。そこで赤と緑、青と黄の「反対色」が交差しないよう、うまく調整された色相環で表現されている。右下の数値は混色比である。

■7■人間の視覚は赤と緑、青と黄はどちらか一方しか知覚できないので、赤緑や青黄という色はない。しかし固視微動を強制的に固定し、隣りに並べた色の領域が網膜上で静止するようにすると、輝度が等しければ両者の境界が消え、反対色ですら混ざり合うことが、最近の精密な実験によって分かっている。













 

補色がらみの「色の算術」

)画像は「All About ファッション」http://allabout.co.jp/r_fashion/ のサイトより借用して加工しました。

■1■補色とは色相環で正反対に位置する関係の色の組合せのことだ。補色同士を重ねると相殺して、色光では白色に、色材では黒色になる。補色同士を組み合わせると、補色調和と呼ばれる互いの色を引き立て合う相乗効果がある。しかし純色など明度が同じ補色同士だと、強すぎて不快感を催すこともある。

■2■そこでファッション雑誌などでは補色同士ではなく、30度ずらした類似色相の色を組み合わせる「補色±30度コーデの法則」などのように銘打って、部何だが安心したコーディネイトを薦めたりしている。しかし色や状況は無限にあるのだから、決まり事で安心するより自らの感覚に従うのも重要であろう。
 





■3■色光の3原色(R・G・B…赤・緑・青)と色材の3原色(C・M・Y…碧・紅・黄)を、それぞれ逆向きの正3角形として組み合わせた6芒星を考えれば、一方の3原色の内の2つの色を重ねると、残る1色の補色になる。その補色はもう一方の3原色の1つであり、こちらも同様の関係になっている。

■4■ヴィトゲンシュタインは死の直前の色についての考察の中で、「ここには一種の色の数学がある」と言っている(掘檻魁法数学とまで行かなくても、ここには通常の算術とは異なる「色の算術」がある。

  赤+緑=黄←補色→青=碧+紅   黄+青=無色
  緑+青=碧←補色→赤=紅+黄   碧+赤=無色
  青+赤=紅←補色→緑=黄+碧   紅+緑=無色


  赤+緑+青=無色 碧+紅+黄=無色




■5■色相環がこの倍の12色になるとになると、これらの関係はさらに複雑になる。この図に沿って「色の算術」をすれば、1つ飛ばしの60度の角度にある色同士を重ねると、その間にある色になる。その色は反対側にある色と補色関係なので、「補色±30度コーデの法則」で見た位置の3色を重ねても無色となる。

■6■つまり「赤+紫=赤紫」であり赤紫と緑は補色だから、「赤+紫+緑=無色」ということだ。ところで反対側の「緑=青緑+黄緑」でもあるわけだから、「赤+紫+青緑+黄緑=無色」ということでもある。もっとも単色の「赤+青緑=無色」「紫+黄緑=無色」でもあり、「赤紫+緑=無色」でもある。

   赤+紫=赤紫←補色→緑=青緑+黄緑

   赤+紫+緑=無色
   青緑+黄緑+赤紫=無色
   赤+紫+青緑+黄緑=無色



■7■この関係はこの角度位相が30度ずつずれて行っても、同じ構造が全てに成り立つ。さらに12色で最初で見た赤と紫のさらに1つ外側同士のペア、つまり赤橙+青紫でも緑の補色の赤紫になる。この関係は最初の6色の時と同じだが、これもまた30度ずつずれて行っても、同じ構造が全てに成り立っている。

■8■もはやこの算術を、色自体と1対1で対応しているわけではない色の名で文章で書いても、それを読んでトレースするのがかなりの負担になるだろう。それよりもまだこの色相環を目の前にして、色そのものでこの「色の算術」を表現した方がまだ負担が軽かろう。所詮は人間の概念構造にすぎぬのだが。














 

上代和語の色概念と全体構造



■1■日本古来の色の全体的な概念表現は「赤・白・青・赤」の4色に限られていたようだ。それは大相撲のやぐらの4柱の代わりの4つの房の色にも表されている。房の色は天空の4方位を司る4神に由来しており、青房は東方の青龍、白房は西方の白虎、赤房は南方の朱雀、黒房は北方の玄武を表している。

■2■この4色は音だけを見れば、≪カ←(ア)→オ≫の対称性と、≪シ→(ロ)←ク≫の対称性の交差でもある。これだけでは両端が電磁波の波長が長い赤と波長の短い青の間にある可視光線の色相の諸スペクトル、および両端が白と黒である灰色明度の諸スペクトルであるという物理的表現に誤解され易い。



■3■上代日本人の色彩観は現代とは異なるというのが国語学の定説だ。現代の色彩は色相・彩度・明度という3属性から捉えられており、色名は主に色相の差異特性を指す。しかし日本古代では彩度と明度を基本としていた。彩度の大小の両極が赤⇔青の対であり、明度の大小の両極が白⇔黒の対だったのだ。

■4■「赤…あか」は彩度が高い鮮やかな状態を表現する語であり、「青…あお」は彩度が小さい色彩を表現していた。「赤」<aka>は明るい(bright)と同じ語根であり、「青」<a(w)o>は「淡」<awa>と意味が近く、桃色や水色や灰色も一括して「青」と呼んでいた。蒼、碧とも書き、時には緑色をも指していた。



■5■「白…しろ」と「黒…くろ」は明度もしくは光量の大小に対応した語で、「白」は上代においては、現代の色の白っぽい(whitish )という意味よりも、「光輝いた」(shining)に近い原義だったのに対し、「黒」<kuro>は光の少ない様、または光の欠如、即ち「暗」(kura)が原義だったと考えられている。

■6■大和言葉的な語義では「しろ」は「濃い」を意味しており、「濃」しろ⇔「淡」あお、「明」あか⇔「暗」くろ、という対化関係になっている。色を表す和語の中で「い」を付けただけで形容詞になるのはこの4色だけである。光の濃淡と明暗だったこれら4色が、今では赤⇔青、白⇔黒と交差している。



■7■紅白饅頭や紅白歌合戦などの赤と白の対は、彩度の大と明度の大という2つの異なった対称軸の優位なもの同士の対である。鉛直方向に展開する次元と地上平面次元の交差と捉えれば、地球の赤道、青道、黄道、白道とも何か関係があるのではなかろうか。これは占星術や天文学の専門家にお任せしたい。

■8■市販の原子分子モデルは、日本の内外を問わずほとんどが水素→白、炭素→黒、窒素→青、酸素→赤という対応になっている。白・黒・青・赤がそのままH・C・N・O、原子番号は1・6・7・8である。正8面体を面点変換した正6面体、それと中接球を共有する正8面体の体積は1:6:8である。



■9■DNAを構成する1:水素・6:炭素・7:窒素・8:酸素と、もう1つの原子である15:Pリンに黄色が対応していれば、これはもう陰陽五行思想などとも確実に対応しているのだが、少しずれていてリンはオレンジ色に対応していた。黄色に対応しているのは結晶自体が黄色の次の16:S硫黄だった。

■10■上代語の「黄」は用例自体が少ないが、彩度の大きい「赤」と明度の大きい「白」の間をつなぐ言葉だったと考えられている。黄色が単なる赤と白の中間色から5番目の統べる色として立ち現われ確定して行くところに、ペンターブ的構造を想定できないでもない。何にせよ日本人の言語意識場は面白い。














 

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