スポンサーサイト

  • 2019.08.22 Thursday
  • -
  • -
  • -
  • by スポンサードリンク

一定期間更新がないため広告を表示しています


真の二而不二統治のカタチに



■1■ユーラシア大陸で生まれた部族や都市や国家には基本的に2種類の権威、2種類の世界観があり、それら2種類の力を統べ展開していく2重構造があった。すなわち実務的に集団・国家を統治する戦士の長・国王の系譜と、宗教的・精神的に方向性を示す呪術師・賢者・法王の系譜の併存で安定していた。

■2■『旧約聖書』の「出エジプト記」のモーゼは戦士長でありアロンは司祭だったが、モーゼがシナイ山で啓示を受け、雄牛を祭っていたアロンを諌めて政治的支配と精神的支配を兼務した。イスラム世界のカリフもまた同様に2重構造を同一の支配者が持ち、精神世界と実質社会が1つの統治下に退縮した。

■3■西洋ではこの2者が重なって統治することもあった。またどちらかもしくは双方が堕落して同レベルの統治者として2重に締め付けることもあったが、2つで1つという統合方向ではなく、2つが互いに争って分裂を繰り返した。宗教的な精神性の膨張も、共産主義的な精神性の矮小化もアンバランスだ。

■4■この2つの流れが構造として維持し続けられてきたのが日本という国である。一方が他方を政略や婚姻など様々な手管で取り込もうとした歴史的事実は多数あるが、血統に断層があろうが、政変や戦争で為政者が変わろうが、この2重螺旋的とも言える構造そのものは、維持され続けて来ているのである。

■5■これら社会構造の2重性は、西洋・中近東においては二元論的一神教的系譜により断絶させられた。本来八百万の神的な汎神論の自然観で、国家として形態を保持しているのは多くはない。日本においても実務的政治家が一極的に自在統治しようとしているが、すでに本体的構造から明確に逸脱している。

■6■狂気の為政者を日本人はすでに認めていない。私は天皇制100%肯定主義者ではないが、人権も自我もない天皇の逐一の行動にはいつも心動かされる。日本の何千年もの精神性の系譜は、構造だけでなく維持されている。それに見合う実質的為政者が湧出すれば、現在の傀儡人形は瞬時に自壊していくだろう。













 

真の二而不二の統治のカタチに



■1■ユーラシア大陸で生まれた部族や都市や国家には基本的に2種類の権威、2種類の世界観があり、それら2種類の力を統べ展開していく2重構造があった。すなわち実務的に集団・国家を統治する戦士の長・国王の系譜と、宗教的・精神的に方向性を示す呪術師・賢者・法王の系譜の併存で安定していた。

■2■『旧約聖書』の「出エジプト記」のモーゼは戦士長でありアロンは司祭だったが、モーゼがシナイ山で啓示を受け、雄牛を祭っていたアロンを諌めて政治的支配と精神的支配を兼務した。イスラム世界のカリフもまた同様に2重構造を同一の支配者が持ち、精神世界と実質社会が1つの統治下に退縮した。

■3■西洋ではこの2者が重なって統治することもあったが、どちらかもしくは双方が堕落して同レベルの統治者として2重に締め付けることはあったが、2つで1つという統合方向ではなく、2つが互いに争って分裂を繰り返した。宗教的な精神性の膨張も、共産主義的な精神性の矮小化もアンバランスだ。

■4■この2つの流れが構造として維持し続けられてきたのが日本という国である。一方が他方を政略や婚姻など様々な手管で取り込もうとした歴史的事実は多数あるが、血統に断層があろうが、政変や戦争で為政者が変わろうが、この2重螺旋的とも言える構造そのものは、維持され続けて来ているのである。

■5■これら社会構造の2重性は、西洋・中近東においては二元論的一神教的系譜により断絶させられた。本来八百万の神的な汎神論の自然観で、国家として形態を保持しているのは多くはない。日本においても実務的政治家が一極的に自在統治しようとしているが、すでに本体的構造から明確に逸脱している。

■6■狂気の為政者を日本人はすでに認めていない。私は天皇制100%肯定主義者ではないが、人権も自我もない天皇の逐一の行動にはいつも心動かされる。日本の何千年もの精神性の系譜は、構造だけでなく維持されている。それに見合う実質的為政者が湧出すれば現在の偽りの傀儡は自壊していくだろう。












 

西洋占星術周辺のヒストリア


■1■前5300年頃、シュメール人がメソポタミア南部に定住し、多神教の神殿ジッグラドを中心に最古の都市文明を築く。神官たちは暦作成のために天文観測をし、そこで占星術も生まれた。後に古バビロニア(前1894〜前796年)が多神教と天文観測を引き継ぎ、天文学・数学・占星術を急速に発達させた。
 

■2■中央アジアから移動してきたクルド人が作った国ミタンニ=メディア(前1700-550年頃)の人々は、バビロニア(カルデア)人から占星術と暦を学んだ。ミタンニ=メディアの国教はミトラ教であり、1週7日にミトラ及び従神たちを対応させて、7曜神・7大天使とした。また各惑星との対応も見た。
 

■3■アケメネス朝ペルシア(前559〜前330年)が興り、前550年にメディア、前538年にはバビロニア、前525年にはエジプトを併合した。しかしペルシア人はそれらの宗教や制度には干渉せず、エジプト多神教・バビロニア多神教・ミトラ教が、ゾロアスター教と住み分ける折衷宗教のかたちを取っていた。
 

■4■メディアとバビロニアの神々は古くから習合していたので結びつきはさらに強まった。そした占星術の担い手であるカルデアン・マギが誕生した。ペルシアはエジプトはエジプト多神教(※1)、バビロニアはバビロニア多神教、西部と北部はミトラ教、東南部がマズダー教(ゾロアスター教)であった。
 

■5■マケドニアのアレクサンダー大王の東方遠征で、アケメネス朝は滅亡した(前330年)。アレクサンドリアに大図書館が作られ、ニネヴェの大図書館の資料(占星術資料やマギ文書)が収められた(前332年)。ミトラ教国家パルティア(前250〜後226年)が誕生し、近隣にミトラ教国家が多数誕生した。
 

■6■パルティア西端で生まれた西方ミトラ教がローマ帝国全域に広まり、黄道12星座と7惑星の象徴体系が占星術の基礎として定着した。またほぼ同時にパルティアの東辺では弥勒信仰が、パレスチナではメタトロン信仰とキリスト信仰が生まれている。欧米占星術の中核は、ミトラ教の占星術から来ている。(※2)
 

■7■ローマ帝国は後395年に東西分裂し、西ローマ帝国は410年に滅亡した。結果としてこの地域から占星術が失われた。東ローマ帝国は占星術書の写本が多数残されていたが、ミトラ神話や宇宙論のほとんど全てすべてがキリスト教徒により破壊・削除された。占星術は厳しい批判の中かろうじて生き延びた。
 

■8■東ローマ帝国内で異教徒として弾圧された者や宗派抗争の敗者は、ギリシア哲学・天文学・自然科学・医術・占星術の書物を携えて東方に逃れた。これらの書物は、8〜9世紀にかけて主にトルコ南西部の町ハランで翻訳された。ハランはギリシア=ローマ文化をアラブ世界に受け入れる入口の町だった。
 

■9■十字軍(1096-1291年)が始まると、パレスチナ・ヨルダン・シリア、東ローマ帝国の占星術書はほとんどが焼失した。しかし占星術書のいくつかは西欧に渡って、ラテン語に訳された。ハランはその後のモンゴル軍の侵攻により灰燼に帰した。その結果古代占星術の資料はわずかしか残存していない。
 

■10■西アジア全域がイスラーム化すると、トルコ東部・イラク・イラン西部のミトラ教はシーア化し、ミール派イスラームになった。10世紀になると、彼らはヨーロッパと東ローマ帝国にいた、グノーシス主義的色彩が濃厚な2元論的世界観を持ち、ボゴミール派とカタリ派を支援するようになった。
 

■11■しかしカタリ派は、フランス王とローマ教皇の利害的軍事行動に過ぎないアルビジョア十字軍(1208-1213年)により壊滅させられた。ボゴミール派は、ビザンティン帝国がオスマン=トルコ帝国により滅ぼされてイスラムの支配下に入る(1453年)と、スーフィー教団になって事実上消滅してしまった。
 

■12■現在ではタロットはカタリ派の神話や教義哲学が重要な起源の一つであるということが広く支持されている。ボゴミール=カタリ派の文化的土壌は、中世ドイツでベーメ神智学を生み(16〜17世紀)、中部ヨーロッパの主要な秘教哲学となり、近代エソテリシズム(神智学・人智学)にも取り入れられた。
 

-------------------------------

(※1)エジプト多神教…アメン、ラー、ホルス、イシス、オシリス、セトなどの神がいるエジプト古来の宗教のこと。

(※2) <表 西方ミトラ教の七曜神>
7惑星 7曜  ローマ7曜神   ギリシア7曜神
太陽  日曜  ミトラ/ソル   ミトラ/ヘーリオス
月   月曜  女神ルナ     女神ディアナ
火星  火曜  マルス      アレス
水星  水曜  メルクリウス   ヘルメス
木星  木曜  ユピテル/バッコス ゼウス/ディオニソース
金星  金曜  女神ヴィーナス  女神アフロディテ
土星  土曜  サトゥルヌス   クロノス

-------------------------------
)ミトレーアム・ジャパン公式サイトの記事を参考にさせてもらいました。 http://homepage2.nifty.com/Mithra/index.html


2160年の2から3へ



■1■ホロスコープ(Horoscope)の語源は、「Hora=時」と「Skopos=見張り番」が組み合わさった、「時の見張り番」という意味の古代ギリシャ語ホロスコポス(Horoskopos)である。古代メソポタミアのカルデア人(※2)は天体観測を続けて暦を制作した。暦は農作業や政治のために必要な当時の最先端科学だった。

■2■正確に言えば、彼らは太陽と共に東の地平線上に昇る星(後年プトレマイオスが馭者座アルファ星カペラと名付けた星)を観測していた。この星が太陽と共に昇る時を1年の始まり(春分点)と定め、毎年の種まきや洪水の時期などを判断していた。春分点は後におひつじ座のアルファ星ハマルに替わる。

■3■古代オリエントの占星学は今から約4000年前(正確には紀元前約2330年前)に古代メソポタミアで始まり、やがて社会や農業の未来を予測するために必要な暦と共に発達した。この時代は天体観測の起点となる春分点がおひつじ座にあったので、最初のサイン(宮)を牡羊宮(白羊宮)と呼ぶようになった。



■4■この白羊宮時代は(諸説あるが)紀元前170年頃に双魚宮時代に切り替わり、「古代オリエント占星学」は古代ギリシャの思想哲学を取り入れて「西洋占星術」へと変容した。未来を予測する対象も国家や社会全体から、個人の重視・宗教や慈悲への価値転換に伴い、個人の一生や運命へと拡大していった。

■5■ピポクラテス(※3)が「占星術を知らないものは、医学を語る資格はない」と記しているように、当時の西洋占星術は大きな叡智と優れた世界観を有していたと考えられる。しかし4世紀にローマ国教となったキリスト教によって一部で異端とされ、時代に同化して生き延びざるを得ない不遇の時代に突入する。

■6■そして現在は(諸説あるが)1989年以降宝瓶宮の時代に入っていると考えられている。双魚宮時代の特徴である神と悪魔、味方と敵といった善悪二元論を、論理・思考の前提として私たちは自明と思い込んできた。しかしこの人類社会に一時的に必要だった対立二元論的な価値観も昇華変質していくだろう。
 


■7■天王星・海王星・冥王星の発見は、7曜星内で判読していた古典的な西洋占星術は大きな衝撃を受けた。19世紀末〜20世紀初めにかけて、現代の西洋占星術が再構築された。しかし当時流行したオカルティズムから受けた影響を今も残したまま混迷部分を引きずっている。占星学も今新しくなる時であろう。

■8■私は占星術師ではないし、その世界に詳しくもない。しかし傲慢にもずっと占星術は1つ次元を上げるべきだと言ってきた。社会や民族も個々人も、継承すべきものと、訣別すべきものを判別し、実行すべき時は今ではないか。未来に持っていくものと捨てていくものの分別からは誰も免除されていないのだ。

■9■占星術に携わる者ならば、とうにそんなことは知っているし考えてもいるとどやされるに違いない。しかしユーラシア大陸の大きな流れやミトラ教の展開などを辿るだけでも、現今の様々な占星術の立ち位置や出自や変遷を視野に入れて考えなければならなくなる。無知ゆえに口にする愚言もあっていいだろう。

-------------------------------------
(※1)春分点が天の黄道を1周するのに要する惑星歳差運動周期(プラトン年=25920年)の1/12、つまり30度移動するのには約2160年要する。
(※2)カルデア人…紀元前10世紀以降にこの地に移り住んだセム系遊牧民の諸部族。紀元前7世紀に新バビロニア王国を建国した。暦を表すカレンダー(Calendar)という言葉は、このカルデア人(英語読みだとChaldean)からきている。
(※3)ピポクラテス…(紀元前460〜同377年)医学の父と言われている。













 

ミトラ教とプラトンの哲学



■1■プラトン(B.C.428〜B.C.347)は直接ミトラ教の教義を創ったわけではない。しかしプラトンが秘教占星術師であるカルデアン・マギと深い親交を持っていたことはよく知られている。バビロニア=ストア学派の師たちは、「天圏流出論」を形成する際に、プラトンの哲学(神智学)を思想上の支柱にした。

■2■プラトンはペルシアでマギに接触したいと望んでいたが、戦争が勃発したので叶わなかった。そこでプラトンはフェニキアに行ってマギに会い、その教えを授かった。後にはペルシアからマギが訪れて、プラトンの哲学に参加した。プラトン臨終の際もアテネに滞在していたマギが神事をとりおこなった。

■3■メディア王国(B.C.715年頃〜B.C.550年頃)のマギから多くのことを学んだプラトンの著書『饗宴』『パイドロス』『国家』『法律』『ティマエウス』等は、カルデアン・マギの秘儀や宇宙論を伝えている。そのため西方ミトラ教の神学は別名をプラトン神学と呼ばれるほどプラトン哲学の影響が大きい。

■4■中でも『ティマエウス』は、混沌とした世界の中で既存の枠組みに捕らわれぬ思考と行動の自由を与る光の救済者コスモクラトール(=ミトラ)の存在を哲学的に洞察した書として重視されている。本の中でミトラは世界創造者(Demiurge)と呼ばれ、ズルワンは「善(theGood,Agaton)』と呼ばれている。

■5■マギとの密接な関係があったプラトンは『国家』の中で、イデア界の太陽をアポロ、物質世界の太陽をヘーリオスと呼んで、この2者の共同統治をこの世の最高の統治形態であると説いた。この考え方は、西方ミトラ教におけるミトラと日輪神ソル(=ヘーリオス)の関係にそのまま反映されている。

■6■プラトンの太陽神崇拝はよく知られている。プラトン自身が『国家』と『ティマエウス』で「アポロとヘーリオスの共同統治こそこの世の最高の統治形態である。統治に必要な正しい認識力を授けることができるのは太陽神だけなので、太陽神に導かれる者こそが国政を預かるに相応しい」と述べている。

■7■プラトンはマギの秘儀に参入すれば、イデア界に昇ることができ、真善美(=ミトラ)を観照する栄誉に浴し、死後イデア界に住むことができると説いた。ミトラ単一神教及び西方ミトラ教の神話に見るイデア界と物質世界の関係においては、ミトラは岩の天殻を突き抜けて物質世界の中に生れ出る。

■8■プラトンによれば、物質世界(有象世界)の背後にイデア界がある。イデア界では霊的な中央太陽(=真善美)が秩序と調和を創り、物質世界ではこれをモデルにして物理的な太陽が秩序と調和を創っている。この2世界の関係を、プラトンは地上をイデア界に、物質世界を洞窟の底に喩えて説明した。

■9■人間は物質界の最下層に住む惨めな存在だが、自分の守護神に付き従う者は、守護神の後について4頭の馬にひかれる戦車に乗って天球層を昇り、上天(イデア界)に入ることができるとプラトンは述べている。イデア界で観照する真実在で最も優れているのが真善美(=霊界の中央太陽ミトラ)である。

■10■イデア界(原像世界)とはペルシア語でメーノーグ(神霊世界)と呼ばれる世界のことであり、ミトラ教では「永遠なる光の国」、弥勒教では「西方浄土」「真家郷」と呼んでいる。『パイドロス』の中には、輪廻転生を信じていたプラトン自身の霊魂がまだイデア界にいた頃の秘儀に関する回想がある。













メタトロンとサンダルフォン

 

■1■「メタトロン」の名の古形は「ミトラトン」あるいは「ミットロン」であり、ペルシアの神ミトラの名に由来する。ユダヤ教では天使の名前の末尾にはほぼ必ずエル(-el)が付くが、メタトロンとサンダルフォンだけはこのエルを付けず、代わりに秘教の神を意味する末尾辞オン(-on)が付いている。

■2■メタトロンとサンダルフォンは前者が兄、後者が弟の双子であり、サンダルフォンを女天使とする伝承もある。それゆえにサンダルフォンは、女神シェキナー(※)と結びついている。しかし実のところメタトロンとサンダルフォンは同一存在の表裏二相であり、分離して二者個別に考えることはできない。

           ()シェキナー(Shekinah)…カバラに登場する女神で、雲と
              なって神の玉座または生命の木のケテルをおおっている。

■3■サンダルフォン(Sandalphon)の名は、ギリシア語のシナデルフォンΣυναδελφονから派生した言葉で、「兄弟」を意味する。タルムードによるとサンダルSandalは、まだ形のない胎児(幼胚)を意味する。またアシアス「モーゼの啓示」によると、サンダルフォンは胎児の性別を定める者である。

■4■カバラとタルムードにおけるサンダルフォンは、サマエル(サタン)と戦い、あらゆるいのちを守る偉大な天使である。サンダルフォンはまた、潜在する無限の力と可能性、無形であるが故にあらゆる形態をとることができる潜在力(可能性)を象徴する。生命のあらゆる次元にも行き渡るその力と愛。

■5■サンダルフォンは「生命の木」の一番下のマルクトに位置付けられており、メタトロンは一番上にあるケテルに関係づけられている。サンダルフォンとメタトロンの間は、五百年の旅を必要とするほど離れている。メタトロンは世界と同じ大きさであり、サンダルフォンは世界の1/3の大きさがある。

■6■ここで何が言いたいかというと、メタトロンとサンダルフォンは胎児と胎盤の関係に似てはいないだろうかということだ。しかも私たち1人1人を未だ2度生まれしていない胎児にメタトロンを重ねるならば、目には見えないけれど、1人1人には必ずそれぞれのサンダルフォンがいるというイメージ。

■7■単なる妄想と捉えられても構わないいけれど、自分が未だ自ら敢えて忘れてこの世界を楽しんでいる自覚なきメタトロンであり、決して裏切らず全力で支えていてくれるサンダルフォンがいると考えるのは、楽しいファンタジーではなかろうか。メタトロンとサンダルフォンという自己他者問題。

■8■もし明日がこの世の終わりだとしても、今日は野に花を摘みに行くサンダルフォン。世界のために、私のために。私は結構サンダルフォンが好き。二而不二にして最も近いサンダルフォンに対し、全幅の信頼と敬意を持てる幸せ。他者のそれらの関係をも寿げる幸せ。健やかな妄想として大切にしている。













ミトラ教と占星術の出自

 

■1■シュメール人は前5300年頃にメソポタミア南部(現イラク中部・南部)に定住し、世界最古の都市文明を築いた。シュメール多神教はジッグラドという神殿を中心にしたもので、神官たちは暦作成のために天文観測をした。この天文観測が占星術の基礎となった。このシュメールは前1950年まで続いた。

■2■やがて南からやってきたアムル人が古バビロニア(前1894〜前796年)を建国した。彼らはシュメール多神教と天文観測を引き継いだ。占星術は前1800〜前800年頃にかけて、天文学・数学と共に急速に発達した。占星術に関する最古の記録は、アムミサドゥパ王治下の粘土版(前1700年頃)である。

■3■前11世紀頃にはすでに天地照応の基本的な考え方が確定しており、占星術では赤道帯を中心にした星座(トロピカル星座)を使い、天文現象を元にした吉凶占いが行われた。この時代の占星術は国家の運勢を占う「政経占星術」だけであり、出生天球図を用いた個人の運勢判断や性格判断はまだなかった。

■4■紀元前700年頃から占星術が一段と整理された。前600〜500年の間(新バビロニア王国時代からアケメネス朝初期)に、黄道12星座と一年12カ月の対応が確立された。黄道12星座の中で7惑星の動きを見て、個人の運勢を占うようになったのはアケメネス朝初期(前5世紀末〜4世紀初め)からである。

■5■こうしてできた黄道12星座と7惑星の象徴体系を世界中に広めた主役は、ミトラ教のマギ(カルデアン・マギ)である。アケメネス朝は新バビロニアとメディアを併合した後、前517年に改暦を行った。この新暦(アケメネス暦)は、古ペルシア暦(ミトラ暦)とゾロアスター暦の両方にとって代わった。

■6■正確な計算により未来予知が可能になったのは、前4世紀(アケメネス朝後期)からであり、「カルデア式惑星配列」が標準となったのは、西方ミトラ教の成立時期とほぼ同時期の前2世紀からである。またエジプトに占星術が入ったは、アレクサンダー大王によるエジプト征服(前331年)以後である。

)画像は「アブラハムの許で三人の天使の食事」サン・ヴィターレ聖堂 モザイク壁画 ラヴェンナ 6世紀前半  http://heibay.exblog.jp/18002624 より借用。













ミトラ教と神智学・人智学

 

■1■「神智学協会」の教義は古代ミトラ教の神学を伝えるバビロニア=ストア学派直系の教えであり、「人智学協会」を創始したシュタイナーの教義もまた、そのオリジナルはミトラ教であり、その多様な霊的知識を、整合性と合理性に裏打ちされた大系にまで高めたとミトラ教研究家の東條真人氏は言う。

■2■シュタイナーのキリスト論の多くは東方ミトラ教の教義に基づいており、ロゴスや聖霊に関する解釈はマニの教義を下敷きにしている。彼は人智学運動に携わる人は、かつてヨーロッパの中部・南部にいた秘教的キリスト教徒(東方ミトラ教の一派のパウロ派・ボゴミール派・カタリ派)だと述べている。

■3■アリス・ベイリーの著作はミトラの秘儀の1つであるメタトロン神秘主義やハランのミトラ教団(サビアン教団)の教義を下地にしている。また明示してはいないが、カバラが重要なベースになっている。知識を与えたというチベットの大師は、チベット仏教よりむしろズルワーン神学やカバラに詳しい。

■4■グルジェフが欧米に紹介したスーフィズムは「ナクシュバンディー教団」の教えの一部であり、その教義は用語に違いがあるだけで、ブラバッキーやアリス・ベイリーの教義と本質・定式化・組織化手法などはみな同じである。ブラバッキーの教義もスーフィズムも、共に「東方神智学」と呼ばれている。

■5■神智学や人智学自体が私たち現代の日本人には斬新で未知なる科学的なものに見えるが、時代を7つに区切る発想法、世界教師論、7光線の瞑想法、秘教占星学などはみなミトラ教がオリジナルである。これは神智学や人智学を貶める事実ではなく、ミトラ教を特化して必要以上に称揚するものでもない。

■6■シュタイナー、ブラバッキー、アリス・ベイリーらの著作は、それまでの西洋にない知識を西洋世界に広め、東方ミトラ教を再興した点では偉大な功績があった。彼らがどこから知識を持ってきたのかを探り、現実的な系譜を全体的視野で捉えた上で、幅広く秘教の伝統を学ぶことが明確な理解に繋がる。

■7■彼らが仏教・スーフィズム・東方ミトラ教といったアジアの宗教思想や、カバラなどをそれぞれ独自にパッケージ化してからはや1世紀が経った。現在欧米ではアカデミズムの影響が広がって、西欧神秘主義の虚構に満ちた歴史が見直され、スーフィズムなど東方ミトラ教の影響力が再認識されつつある。














ミトラ教の神話における3と7



■1■数は1でも2でもなく、3から始まる。1のみでは数でなく、1と2のみでも二元ではあってもそれ以上の展開はない。1と2がまた交差して(1+2=)3が生まれ、爆発的に数は展開開示していった。なお背後で同時に(2+2=)4も生じていた。1,2,3,4をひとまとめとして内包する5。

■2■5が新たなる1として認識された時点で、最初の1の中にも同時に5が生じている。ペンターブシステムだけでは閉じたままだが、1と新たなる1の構造を残して5+5に脱皮する数理。6,7,8,9、そして新たなる2でもある10。ミトラ教には唯一神や二元論よりも先ず3、そして7が表出する。

■3■聖なる母・大女神である霊鳥スィームルグが、世界卵(せかいらん)を生んだ。世界卵は天殻に包まれ、内部には大気と水と島があったが、そこには光はなく、暗かった。すべてが静止しており、音も動きもなかった。世界卵が孵るようにとスィームルグが友愛を込めて抱き続けることで世界卵が熟した。

■4■スィームルグの愛が世界卵の中に入ると、それは少年神ミトラになった。千の耳と万の目を持つミトラは世界の主にして、火と太陽の神である。ミトラによる天地創造が始まると3倍に拡大した。ミトラが供儀を行うと、島の上空に太陽が現れて輝き、それにつれ世界卵も拡大して3倍の大きさになった。

■5■この3倍に拡大するという記述部分は『リグ・ヴェーダ』1.154.1-6; 7.99.3 にも記されており、インド・イラン共通の原神話に由来する共通のものである。この部分は多面体がその双対立体との間に2度面点変換することによって、大きさが3倍(体積比は27倍)になるということを想起させる。

■6■ミトラが島の中央に降り立つと7名の神々が現れた。ミトラは神々の1人に太陽をあずけると、残りの6名に自分の真似をして、月・水星・金星・火星・木星・土星をつくるように言った。彼らがこれらの惑星をつくり終わると、ミトラは星々に合図を送った。すると星々は運行を始め、時間が生まれた。

■7■やがてフラワシ(第一根幹人類)が生まれ、ミトラと7人の神々はこれらの成長を見守った。バビロニア占星術は紀元前1800〜紀元前800年頃にかけて、天文学・数学と共に急速に発達し、暦の中に7曜が使われるようになった。7曜神及びその占星術的な意味づけは、この時期に固まったと考えられる。

■8■最初は一緒に住んでいたフラワシは、時が経つにつれて住む場所が分かれていった。あるものは天界に、あるものは地下世界(冥界)に、またあるものは地上に住むようになった。これは中米のマヤの世界観における天上の神の世界、地下の神の世界、地上の人間世界の3界とよく似た構造をしている。

■9■天界に住んだ者はミトラと7神に協力し、世界の運行に力を貸す神々になった。冥界に住んだ者は自らのカルマにからめとられ、ますます暗く濁っていった。地上に住んだ者は、やがて植物と動物と人間になった。人間たちは神々に感謝して祈りと供物を献じ、冥界に住む者を恐れ避けるようになった。

■10■1×2×3×4×5×6×7=5040であり、また7×8×9×10=5040でもある。つまり7は1〜10のひとつの中間としても捉えられる。7だけが360度を割り切ることができない。7は日本では名なし数とも言われた。春分−秋分と秋分−春分の差は7日だが、7惑星と対応して7曜日となった。













文字無き言葉をイメージする


■1■偽書で括られているものを論外に置くと、古代の日本列島には文字がなかった。大いなる国であれば立派な文字があったはずであるという考え方は、硬直した前提からなる発想である。縄文後期は豊かで発達した社会だったし、東北地方はずっと先進地域だったと考えられているが、文字は残っていない。

■2■文字が残っていないということは、言葉がなかったということではない。むしろ豊かで美しい言葉を用いていたと捉えることもできる。言葉と文字は表裏一体ではない。文盲という言葉は読み書きできて当たり前だとする思い込みに加えて、文字を用いる者の方が優れているというと思いあがりがある。

■3■しかしここではそのような状態に対する苦言を申すつもりはない。むしろ言葉を用いた時に、文字がないのでそれを書き残すすべのない自己をイメージできるだろうかという疑問を呈したいのである。もちろん文字を用いて生きてきたのに突然それのない世界を想定しろというのは無茶振りすぎるだろう。

■4■しかしあえてそれを自らの意識の上で試みることによって、自分が内面的思考に用いている言葉や、推敲する間もなく瞬時に口にしている言葉をより意識し、大切に扱う姿勢が生じるのではないだろうか。またいかに価値に乏しい観念や概念をこねくり回して脳内エネルギーを消費しているかにも気づく。

■5■もちろん文字を用いた記録群の上に築かれたこの上もなく豊かな領域を、否定したり敵対するものとして対置するつもりもない。その豊饒さに比しても劣らぬ、文字無き世界の豊かさもあるのではなかろうかと想定してみること。文字一体化していない言葉だけを用いて、思考を維持持続できるだろうか?

■6■見たことがある名のある動物や植物や鉱物ならば、音の連なりからその記憶を想起できるだろう。しかし文字無き世界の情緒や思考法をイメージしてみようとすらしないままに、古代の日本列島に生活していた人たちや、同じく文字を持たずに生活していた騎馬・遊牧民族を語ることは妥当なのだろうか?

■7■文字は支配のための法を作り、ごまかしや間違いをなくするために発生した。そして排中律を認めない2値2元的論理や、他の神を認めない一神教の論理を強化するために文字は発展した。文字成立の本場バビロン出身のマニは、文字の本質を問うため、東方ミトラ教の聖典を文字で残すことを拒絶した。

■8■西アフリカのダホメ王国(17〜19世紀。現ベナン共和国)は文字不要の文明を有していたが、英仏と対等以上に貿易し、戦争をしても常勝だった。敗北したのは偽の講和で騙し討ちにあったためだ。他にも様々なパターンがありうるが、文字無き古代日本を脳内で再現しようとする試みは重要であろう。

■9■なお、ここでこのようなことをを文字を用いて書き記しているということ自体が、文字の有と無の2元的対立で考えるならば、それはパラドキシカルとなるであろうが、有無の双方を等価として見て取れる視野ならば、それは内的部分相反もまた、立ち上がる豊かさの色合いとして共有ではなかろうか。


)画像は flickrの "Aurora from Badger" by Frank O Coneから借用。













 

calendar
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031  
<< October 2019 >>
sponsored links
selected entries
categories
archives
recent comment
recommend
profile
search this site.
others
mobile
qrcode
powered
無料ブログ作成サービス JUGEM