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  • 2019.07.03 Wednesday
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『爆発的進化論』

            

 

★更科 功という人が書いた『爆発的進化論 1%の奇跡がヒトを作った』 (新潮新書– 2016/9/15発行)が意外とコンパクトで知りたいことがまとまっていた。生物進化論というと、大著が多いけれど、この新書はすらすらと読めたので、アニマンダラ氏の話を聞く人とかにはお勧めですね。

★あ、でも「誰でも面白いからおすすめですよ!」というノリではないのでご注意を。この本の内容を共有できていてから、生物進化とか、細胞膜の境は自我の始まりか?とか、鰓腸から感覚器官ができて行く話とかしやすそうだと思ったので。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「生きる」という天賦の才

 

■10■前世や来世は有ると言う者もいれば、無いと言う者もいる。設定文脈が異なる場合それは併存するし、さらに異なる文脈では前世や来世が想定不要な世界観もあるだろう。生命進化には地質学的な時間が絶対必要だとするのは偏執的発想だ。未顕現のまま保持されてきた遺伝子は環境激変で発現機能する。

 

■11■私達は誰もみな母親のお腹の中で生命進化を超早回しで追体験してきた。初めたなのに、自ら再演してきたのだ。「それは初めてなのか、2度目なのか?」という問いそのものは朴とつに過ぎる。忘却している記憶を想起すれば、それは今でもここにあるのか。これから私達は生まれて行くのではないか?

 

■12■前世や来世、輪廻転生という概念は、かつては何度も生まれ変わり行きつ戻りつしながら進化していく魂や生命というような概念だったが、現今では個人の一生の間にそれらが起こるしまた起こせる。生物進化も多重のスパンで畳重しており、何百万年何億年かけての進化もまた今この瞬間と重ねられる。

 

■13■論理的もの言いではないので比喩として表現するが、長い時間努力することでのみ、自分は変わることができる自分というイメージはもう古い。努力は人を裏切らないという物言いも、裏切るものだと言う反物言いも、そのコンテクストに身を置きさえすれば、矛盾対立しないまま自然に受けいれられる。

 

 

■14■天賦の才能を持って生まれていない者はいるのだろうか。まさに「生きている」という至高の才能。それに気付かずに努力する者もいるだろう。しかしその絶対的な才能を明確に自覚し、弛むことなく磨き上げ、進歩を怠らず開花し続ける表現にこそ、私達は賛辞を惜しまないのだ。嫉妬する余地はない。

 

■15■そこには普通の意味での自意識や自我はない。いや分を弁えてそこにいるとも言えよう。圧倒的な存在感で技を展開している力と形は何なのか。生命進化のベクトルとは何か。既存の言葉で新しい概念と結び付けるならば、それはミシャグジだ。界面にたたずむモノは双世界を知りつくして転がして行く。

 

■16■もはやミシャグジという概念表現も古く感じる。しかし神道の神々の前に既にいた、もしくは在った「神」とか「霊」とかいう言葉すら当てはめ切れないモノ。個人だけの様々な喜怒哀楽は、名付けられる前のそれと1つであればもはや大した意味がなくなる。だからこそ今それを味わい尽くしておこう。

 

■17■両生類アホロートルはかつて一度爬虫類だったので、その生命記憶を再度開花させられたのだが、人間もまたかつて一度もしくは複数度、人間ではないそれを超えたものに進化したことがあったのではないか。その生命記憶の回復とは、瞬間瞬間の意識ではなく1つの生命軌跡の全体との重畳ではないか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


重力の呪縛と恩寵

 

■1■前世期の『機動戦士ガンダム』では「人類は地球の重力の呪縛から逃れられない」と語られた。重力は人間の自由を制限するというネガティブな捉え方だ。1994年、詩人河村悟氏のギャルリ・ウィでシモーヌ・ヴェイユの『重力と恩寵』を初めて知ったが、私は助詞を違えて「重力の恩寵」と誤記憶した。

 

■2■重力は呪縛ではなく恩寵であるという世界観の反転。当時のヌース理論では、重力は「人間の意識の総体」とか表現されていた。デボン紀。地質時代の区分の1つで古生代の中頃、約4億1600万年前から約3億5920万年前までの時期だ。ここで脊索動物の上陸という生物進化の歴史上重大な革命があった。

 

■3■水中で1/6に相殺されていた重力は、大気中では6倍になる。両生類は肋骨で内臓が潰れるのを防いだり、四肢を強力にしたりして重力に抗って体を支えた。今でも両生類とそこから進化した爬虫類の多くは、四肢で重力に抗って腹を引きずる形状を持つ。爬虫類の「爬」の字は「地を這う」の意味だ。

 

■4■しかし重力はただの呪縛ではなく恩寵でもあった。重力が6倍化することで、DNA中の遺伝子が活性化し、鰓呼吸から肺呼吸へと切り替わるのだ。鰓が縮小して、皮下組織に赤血球が詰まった造血巣が並ぶ。ミトコンドリアの細胞呼吸能力が高まり、腸管腔内が破れて喉と繋がり、肺呼吸へと変容する。

 

 

■5■前世や来世や次元上昇などという概念は、何度も輪廻転生しながら進化していく魂という世界観の中にある。生命進化もまた地質学的に長い時間が必要で、個体とは関係なく統計学的に多くの失敗と死を前提にしているイメージがある。しかし個人の一生中の輪廻転生的な大変化も、進化もありうるのだ。

 

■6■両生類アホロートルの個体に3か月で6万年分の変化をさせる「陸揚げ」という実験がある。3か月かけて慎重に飼育槽の水を減らしていくことにより、重力と大気の変化の中でのた打ち回って、もしくはさほど苦しまずに、その形状や身体機能を変容させて、鰓が消えて皮膚と肺で呼吸するようになる。

 

■7■実は両生類アホロートルは昔、陸に上がって爬虫類になっていた。しかし洞くつなどに迷い込んで陸に上がれなくなり、水中生活を余儀なくされて幼形成熟したものの末裔だ。だが生命記憶はまだ保持し続けている。つまり未顕現のまま保持されてきた遺伝子が環境激変により発現機能し始めるのである。

 

■8■劇的な変容と言っても、この場合はかつて一度進化してから幼形成熟したものであって、人間の個人における輪廻転生的な大変化が可能な証拠ではない。しかし人間もまたかつて一度進化したけれど幼形成熟したものだという考え方はあり得ないだろうか。証拠のない単なる発想だが、全否定はできない。

 

■9■科学的には「人類ネオテニー(幼形成熟)説」というものもある。これはヒトはチンパンジーのネオテニーだという説だが、ここで提示しているのは、私たちはより進化した霊長類の幼形成熟であるという発想だ。「輪廻転生はあるのかないのか?」という二元的発想を超えて行く先に反重力創生がある。

 

)アホロートルの画像元。http://haworthia.blog55.fc2.com/blog-entry-434.html 借用して加工させてもらいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


フラクタルな水際にて

 

■1■生物進化の最大のイベントである3億6千5百万年前の脊椎動物の上陸。4億年前のヴァリスカン造山運動で海が浅くなり、浅瀬に取り残された水生生物がのた打ち回り、そのほとんどが絶命した中からの、自然の強制進化による生き残りだった。不快ながら放射能の拡散も含めて袋小路状態下の現今の日本人とイメージが重なる。

 

■2■他人事に対する客観的感慨や、単なる修辞的な比喩ではない。私自身もその渦中にいる。個体発生は系統発生を繰り返す。私たち1人1人で言えば、この脊椎動物の上陸という生態革命は、受胎後32日〜36日の胎児期に相当する。このわずか4日間に6千万年分の系統発生を追体現して、私たちは人間の個体として今を生きている。

 

■3■デボン紀後期のF−F境界と言われる大量絶滅期には生物の82%が絶滅した。もちろん相似や同型対応がそのまま現実であるわけではない。この時期に対応するヒトの胎児の8割以上が死滅するという直喩ではない。しかし様々な絶滅生物種にも対応しているヒトの生命傾向の殆どが、この4日間に強制削除されるのかも知れない。

 

■4■そして胎児ではなく今まさに生きている私たちの日々刻々もまた上陸劇の真最中であると捉えることができよう。現今の日本の経済・政治・教育・健康もまた、すでに浅瀬に乗り上げてのた打ち回り、このままの状態では死滅するしかなさそうな出口のない絶滅直前の状態でもすら、1つ次元を反転して超えゆく絶好機にも見て取れる。

 

■5■これもまた8割以上の個人がもうすぐ死滅するという悲観的な世界観の提示ではない。個々人のレベルでも未来に持って行く必要のないヒトとしての共通要素のうちの8割が削げ落ちると解することもできる。嫉妬や自己憐憫や勝他の修羅心や累積憎悪や…言葉にすると現実的すぎるが、それらを消滅する絶好の機会とも妄見する。

 

■6■いつもいつも、幾重にも重なる進化の渚にいるとしても、記憶の中の過去や意識の中の現在を否定する必要はない。それらを内包しつつ余りある未来を見てやろうという気概をどう持つか。ハウトゥーはない。しかし胎盤が胎児を決して見捨てないように、未知なる自分自身もまた決して自覚できる自分自身を見限ったりはしない。

 

■7■全てを神任せ、他者任せ、偶然任せにして、無為のままただ諦念づらして流されるのではなく、既知なる自分自身の全霊を持って、未知なる自分自身を信頼し、敬愛しつつ虚空に自問してみよう。未知と既知のあわいを明確に意識しながら、このホロニックな動的変容の構造の中で、ひたすら丁寧に生きること。誠実に生きること。

 

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■上から目線で世界はこうなっているとか、反転するにはこうすればよいとか、そんな物言いによって、他者のそれらを自ら見出す歓喜や苦悩する至福を汚すつもりは毛頭ない。ひたすら既知なる自分自身が自己励起すべく、未知なる自分自身に対して語り掛けている心許ない文字列である。不快な思いをする人がいたら、心より謝意を表したい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


顔・腸・心

 

■1■「心は顔に出る。精神は体に現れる。」心とは、精神とは何かという定義を厳密に示そうとすれば長文になるのでここでは省く。個々人によってもその意味は異なるけれど、その差異を否定することなく話を進めたい。顔は解剖学的には内臓頭蓋という。顔の筋肉と舌筋と心肺は元々呼吸を司っていたエラに由来する腸管内臓系だ。

 

■2■顔にはタイムスパンの異なる捉え方で言えば、造作と人相と感情が重なっている。瞬時の感情や一定期間の生き様の積相はもちろんだが、造作という遺伝的な基底形状もまた年齢や環境によって順次変化していく。顔のことを面(オモテ)と言う。これが表であるならば、裏はどこか?それは心の宿る高等生命体の源である腸管だ。

 

■3■表裏の界面に立つ。心は顔に表れる。しかし誰も自らの心は見ることができない。鏡や電子機器を介して見ても、それは他者や外部機器を通した視座の画像であり、自らの心そのものではない。しかし自分にとっての世界、自らの環界そのものを、腸内平滑筋のうねりわななきでもある心の反転したものとして捉えることができよう。

 

■4■自分が辛い時は世界も悲しく暗く見えると言うが、それは心象風景としてそう見えるのではなく、自分の心そのものがそのまま暗く悲しいのであって、それを観察している自分自身とそれを投影して見える世界というもののが別個に存在するわけではなく二而不二。主語と述語という記述が全てではない。心はあるが私のない世界。

 

■5■そのような捉え方や表現もあるという話であって、他の様々な世界観や表現を否定する必要はない。どちらもありだし、さらに未だ未知の捉え方も多々あるという姿勢で話を進めよう。腸は大きく3つに分かれている。入り口から喉元までの鰓(サイ)腸、それと対を成す泌尿・生殖に関する出口までの肛腸、そして暗く長い腹腸だ。

 

■6■心は顔に出ると表現したが、顔は生物としての長い歴史に加えて、その人の人格や品性から生き様までが表れる。俳優として演ずることはできても、生命そのものを演ずることはできない。憑くと表現されるようになり切ることはできるが、自分と環界のように、もしくはダンスとダンサーのように瞬時に区別することはできない。

 

■7■顔には視覚・聴覚・味覚・嗅覚が集約しており、また呼吸・食物摂取・言葉発声をする腸管の入り口もある。戦国時代や吸血鬼退治に首を切り落として絶命させ、かつその個体識別の元ともする。初見の人を背後からこんな顔の人なのだろうと予見することはできない。顔は常に過去と未来を内包する今この瞬間の心なのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


波打ち際という界面に佇んで

 

■1■ここのところ何カ月もずっと水際という界面を意識している。科学的把握によれば今の宇宙ができてから138億年、地球が誕生してから46億年、そして脊椎動物の歴史が5億年。三木成夫の『胎児の世界』の中には、胎児が母体の中でこの5億年の「生命記憶」が超高速で再現されるさまが描かれている。
 
■2■5億年の生命記憶における水際。それは自分も含めた生物進化の最大のイベントである脊索動物の上陸を含む前後であり、生命個体としての自分や他人の胎児期間における両生類期の前後であり、誕生自体の前後であり、そして現今の次元両生類としての世界観の大変容前後を含めた今そのものでもある。

 

■3■「個体発生は系統発生を繰り返す。」ドイツの動物学者にして哲学者であるヘッケルの有名な言葉だ。この状況証拠的な提示は示唆に富んでいる。しかしこれは「我々には個体発生はあたかも系統発生を繰り返しているように見える」という観察を語ったのであり、進化の仕組みを解明したものではない。

 

■4■この系統発生を繰り返す個体発生の過程で、魚型の胎児は1度だけ息も絶え絶えになり、必死になって何かに耐えてもがき苦しむ時期がある。それは胎児が魚をやめてデボン紀の上陸劇を再現する姿である。それを乗り超えると再び元気になり、短時間の内に爬虫類、鳥類、哺乳類の形へと変身していく。

 

■5■観念的な話ではない。私達もみな通過したところだ。人間であれば受胎32日目から受胎38日目までであり、それは3億7千万年前のデボン紀初期から3億1千万年前に相当する。この間の胎児の1日は1千万年に相当する。この後、胎児は260日程をかけて上陸後からの3億1千万年をなぞって成長する。

 

■6■そして個体としての誕生時に、羊水の破水によって「初めての2度目」の上陸劇を演じることになる。水中から大気中への反転。重力は6倍、酸素濃度は30倍。生命戦略に則って血圧は倍になり、肺呼吸はほぼ瞬時に肺呼吸へと転じる。幼児はさらに人類の進化をなぞり成長する。それでは今から明日は?

 

■7■どこで反転が起き、どのような逆パースや対数的相対関係があるかをしっかり把握しようとし、この私達の1日1日、一刻一刻がどのように多重多様に生命そのものと呼応しているのかも失念せず、そしてひとりだけ隔絶しているという根本的な誤謬を超えて、できるだけ丁寧に生きていけたらと考える。

 

(多分続く)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


日本語を正しく用いるという進化方向

 

■1■あにまんだら氏の「言葉は上位の光である」という表現は全面的に肯首できる。(1)「見ることが物質と空間を作る」⇒物理空間の形成。(2)「言葉、名指しと語りが物と世界を作る」⇒言語空間の形成。この(1)と(2)は位相の違いと表現し、人間の物理空間は言語空間に折りたたまれていると論を進める。

 

■2■このあに氏の展開に正面から対峙してツッコミや粗探しをするのではなく、伴走してもう少しこの話を独自に解して見ていこう。言葉が光であるという表現をするならば、混ぜっ返しではなく、言葉の光合成からエネルギーを生み出すという生物も想定できる。もちろん人間もそこに引っ掛かってはいる。

 

■3■あわよくばさらに向こう側に並走のしていてほしいヌーソロジーもちょっとだけ念頭に置きながら文字列を連ねたい。3次元の空間認識と10進法の数理概念を基にしたこの言語空間では、言葉は外骨格的なイメージがある。数も言葉も人間の財産であり私は大好きだが、今の言葉は男が作った感じがする。

 

■4■つい最近までは計算ずくの者や口の立つ者が生存しやすい世界だった。しかしその言葉が作っている世界すらもすでにそうではない領域にはみ出し始めているのではなかろうか。3色色覚が正常である人間の中から、すでに4色色覚の人間が出現しているように、内骨格系は常にその外にはみ出して行く。

 

 

■5■単なる駄洒落的表現を少しはみ出して言えば、物質として観測されている原子や分子を操作して返還するように、言子や文子をも貫いているDNAの未知なる方向性に沿って、遺伝子の転写エラーによってそれらの光の海を内側に丸め込んで、私達は未知なる領域に上陸を開始した次元両生類ではないか。

 

■6■言葉を武器にすらしてきた外骨格系。言葉を自らの骨格の中にも取り入れた内骨格系。脳の中に言葉を収めていると間違えたままの男が操作してきたつもりの世界だけれど、女は言葉の世界の外をすでに知っている。もちろんこの場合の女は、特定の生物学的個体群ではなく、人間をも貫く本質の1つだ。

 

■7■言葉を内包した者同士は、言葉を持たない者同士とは異なるより直観的なコミュニケーションもしくはコミュニオンができそうだ。さて妄想的連想はとめどないが最初に戻ろう。「言葉が全ての者に上書きされへばりついているこの世界」という表現は腑に落ちるが、どれだけの精密さを持つのであろう。

 

■8■「名指しと語りが物と世界を作る」と言った時、その言語空間を総括して捉えているけれど、名指しは体言的(名詞的)、語りは用言的(動詞的・形容詞的)と捉えた場合、名も無い世界に目覚めることがある人は少なくないだろう。また強烈な主語が語る場合と、ほぼ主体なき語りとでは世界が異なる。

 

 

■9■言葉を外骨格的に用いる言語と、自文と他者や世界を1つにして語る言葉を持つ日本語とではその位相が大いに異なる。日本語はディベートする言語ではない。人間はこれだけの人種や個性がいるのに、生物学的には犬のチワワ種の中に当たるくらい狭い中にあるとあに氏は言う。種が我と対応している。

 

■10■調べれば調べるほど、日本語は奇異なまでに特殊で孤立していることが分かる。日本国は滅びても、日本語を正しく使う者がいれば日本は滅びないと真剣に思っている。これは決して国粋主義的発想ではない。日本語と他の様々な言語とを「言語世界」と一括りにしてしまえない何かがまだそこにはある。

 

■11■日本語はすでに言葉を内骨格化しており、それを上手く用いれば言語の海から波打ち際まできているとも言えよう。パラドクスもなく、主語もなく、語るものと語られるものとか1つですらある日本語は、全てを神としても捉える感性がある。歳を取って言葉が中々出てこない時、それはただ悲しい事か?

 

■12■言語による思考と表現と共有に執着しないところからも活路は生まれ得よう。3軸に直交するもう1つの次元が時間であるという時の過去・現在・未来とは別の文脈からではあるが「日本語は未来から来た」とも言えよう。逆に言えば未来があるのだ。その切り口をあに氏が日本語で表現する素晴らしさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ミシャグジの方向と表現してみる

 

■1■基本的に眠る時に枕を使う(使わない人もいれば、自分の好みの枕でなければ眠れないという人もいるが)が、人間が生活をする時に脳が据わる方向は、やはり直立に由来する垂直方向に対してであろう。個人差の話は置いておくとして、進化の方向はこの3軸直交に対する第4番目の未知の方向だろう。

 

■2■空間認識における3軸直交に対するさらなる直交軸という表現は、私たちの通常の身体感覚からすると想定は難しい。しかし今ではメジャーではない時間軸がもう一つの直交軸であるという表現をもう少し洗練して、生命空間の中でのもう1つの直交軸は単純に現在に対する進化の方向と想定できまいか。

 

■3■もちろん方向と言っても直交する1本きりのものではなく、他の3軸も入れての様々な位置表現を取り得る。既存の在りように対して、DNAの転写エラーと表現されようが、能動的重畳化と解そうが、とにかくそれが生存により適するかどうかは不明な、境界の向こうの新たにして未知の方向の意味だ。

 

■4■生命の自己変容による新しい生命連続の領域に続く可能性のある方向。それは当然普通の時間感覚での未来−過去方向とは別系統なので、一意でミシャグジとも言われる領界の神霊がはみ出してくる方向であると表現してみよう。未知なる領域はある種の神域であり、ミシャグジはその道標とも解せよう。

 

■5■三半規管が突如四半規管になり、眼球を動かす3軸6方向に付いている外眼筋がある日4軸8方向になったりということがSF的だと解するのは容易い。しかし体操やフィギアスケートの選手を例に出さずとも、私たちは意識的に3軸の中ではなく、その整数次元をはみ出して3.65次元に入るとも言える。

 

■6■その辺を考え直し体感し直してから、暦の上で月と地球と太陽の関係が、銀河恒星面と想定するものに対して自転・公転・会合しているという、1人称・2人称・3人称に対峙できるような回転のさらなる回転を、人称のない日本語感覚のように想定し直し、そして新たに日々を生きることもできるのだ。

 

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■7■聞いている人が分からないということを分からないまま話をしている人のために、フォローになるか分からないけれど、分からない側に立って少しでもその2者の間が狭まれば良いなと思って言葉を連ねて語ってみる。それがかえって過情報世界の中で混乱をより深める物言いにならないことを祈りつつ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


アニマンダラレクチャー in 神戸

 

■名古屋は鶴舞で「暦」に絡めて生命や周期のことを話してから2日目の朝。名古屋モーニングしながら思い返していたら、様々な新しい疑問が湧いてきた。地球における脊椎動物の上陸という、3億6500万年前に上陸があった生命潮流の中のビッグイベント。

■前後の魚類と両生類の中間的形態を有する生物の中の、後の指に連なりそうな筋肉と関節を持つ7本の骨のカタチと7という数字。行きつ戻りつしながら、陸上と大気中での生活において、様々なバリエーションはあるが、基本的に5本の指が主流となった。

■人間で言えば、指が5本、両手で10本あったから私たちは10進法を採用したという表現がある。私たちが10進法を採用したから、私たちの指は10本になったと言っても、それは論理的に優劣はないのである。

■さてその私たちの遥かなる先祖と思われる生物たちの上陸前後において、7本の指が5本になったということだが、それは必然だったのか、それとも可能性として7進法、そして両手で14進法的な数理まで展開し得た可能性もあつたのだろうか。パラレルワールド的世界では14進法を用いているところもあるのだろうか。

 



■さらに水中では浮力によって重力から体を支える必要がほとんどなかったが、大気中に出ると自らの重みで内臓などが潰れてしまいかねないので、肋骨やその他の骨が発達した。水中から大気中に上陸して3軸直交の空間認識を確率したのである。

■そんなこんなを考えながら、ロイホでネット開けたら、facebook上にちょうどアニマンダラレクチャー第4回が今日神戸であることの情報があった。そうだ、一人で考えるより直接あにまんだら氏に聞いた方がいいじゃん。そう思いたち、名古屋から新幹線に飛び乗って神戸に向かった。

■そうえいえばBOBも来ると言っていたなー。5本指と10進法、7本指と14進法、正4面体の7本の回転対称軸、1週間、倍のヌース的観察子構造辺りをずるずると思いめぐらすより、なんでヌースはψ14までなのかというような全体構造と関係があるのかないのか…などなど。

■ことなどがひとまとまりになりそうなので、もうこれからは早めに解決できそうなことは、自分だけでやらずに信頼のおける人に共有してもらいつつ教わるという方がいいと思ったのだな(笑)。

■そしてやはりアニマンダラレクチャーは面白かった。そんなこんなで、結局今は神戸に移動して、温泉施設の万葉の湯に投宿中。オチがなくでごめん(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


この身のミシャクジをはみ出して

 

■1■三木成夫が言うように、私たちの顔面は内臓の前端突出部であり、現実の外部世界を内部世界と接続し、また食物と毒物を選別する鋭敏な内臓触覚でもある。この辺はあにまんだら氏の専門領域であろうが、約5億年前のカンブリア期の内外反転した脊索動物ピカイア以来延々と続く記憶の先端でもある。

 

■2■この露出した鰓の感覚は内部に連続して口蓋・喉元から胃袋にまで及んでいる。しかし喉元過ぎたら熱さ忘れると言う通り、喉元より下の感覚は大脳皮質まで届かない。逆に突出部分である目、耳、鼻など、穴の開いている場所は敏感で、特に唇から舌にかけての部分はより高度な内臓感覚を有している。

 

■3■私たちの顔面表情筋は全て内臓系である鰓由来の筋肉であるのに対し、舌の筋肉だけは手足と同様に体壁系由来の筋肉だ。口内に入れ子になってはいるが、これもまた味覚などの繊細な内臓感覚を被った体壁系であり、5億年の長きに渡って食物を取り込み続けてきた器官なのだ。人間もまた然りである。

 

■4■この最も繊細な内臓感覚を有する唇と舌を使って、幼児は母親の乳首から直接受乳する。鰓感覚の顔面全てを動員して、乳房の肌触りを味わい尽くす。哺乳瓶や牛乳では代用できないものがここにはある。どれだけ栄養学的に母乳に近い乳が開発されようとも、このミシャクジと垂重する訓練には及ばない。

 

■5■カモノハシやハリモグラは卵生だが、脂肪球を含む汗をかく。それを生まれたての子が舐めて育つ。哺乳の始まりだ。人間は哺乳だけでなく、舌による「舐め回し」というホモ・サピエンスの特徴により、ものの形や大きさを長きに渡って繰り返された生命記憶と重ねて、空間や形状を認識していくのだ。

 

■6■舌で舐めることで種として蓄積された記憶の想起に留まらず、私たちの空間認識や距離感などはやがて、外部に突出した脳でもある手による撫で回し、さらには視覚による舐め回しなどで、遥かなる生命系統方向での蓄積と共有していく。したがって単なる論理や知性によって簡単に変わるものではない。

 

■7■これらの内臓記憶的な世界の捉え方、別の表現をすれば生命とほぼ重なってもいるミシャクジ的なものの全体を否定せず、内包しつつ古層にしゆく道を早急に模索すること。そのためにはまず、自らの内臓の在りようと重なる「心」と「生命」に敬意と慈しみを持ちつつ、そこからもはみ出して行くことだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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