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  • 2024.01.09 Tuesday
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猿投(さなげ)という地名を手繰る

 

■名古屋から見て鳥羽は南、犬山は北、猿投は東にある。それが特にどうしたというわけではないが、桃太郎が鬼退治に行く時、きび団子の報酬だけでお供になった動物(鳥はキジだが)の入った地名が3方向にあるのが面白い。そして残る西方向には物語の舞台候補の1つ岡山(吉備の国)がある。温泉の話だが地名の由来を考えよう。

 

■猿投という地名の由来について考えよう。その昔景行天皇が伊勢に行幸した時、飼っていた猿が悪戯をしたので海に投げ込んだところ、鷲取山に逃げ込み、そのことから「猿投山」という名前がついた。猿投神社の祭神は景行天皇の第一子「大碓命」(オオウスノミコト)で、日本武尊(「小碓命」オウスノミコト)とは双子の兄弟だ。

 

■オオウスは景行天皇に美濃の美人姉妹を都に呼び寄せる命を仰せられて出向いたが、二人に惚れて結婚してしまう。替え玉を都に送ったがばれてしまって激昂される。また父景行天皇に蝦夷征伐を命じられたが気が進まずに辞退した。結局代わりに日本日本武尊がその任を任されてしまい、オオウスは天皇によって美濃に封じられる。

 

■美濃の地ではオオウスは真面目にやっていた。しかしある時三河の猿投に出向いて来て、毒蛇に咬まれて42歳で死んでしまう。…まるでいいとこなしのダメンズっぽいが、案外争い事が嫌いで美女が好きな優しい好男子だったかもしれない。上述の猿は人間に化けて東征し、功を上げて山に戻ったと言うが、オオウス本人かもしれない。

 

■名前の由来で別の解釈もある。銅鐸に似た鉄製の鉄鐸というものがあるが、この読み方の1つが「サナギ」で、真城、猿啼、猿毛、佐鳴などの漢字があるが、「猿投」もその1つだ。「狭投神社」と記された記録もある。オオウスは大田君(おほたのきみ)の始祖でもある。実際に豊田市の猿投神社を訪れると、その古さが実感できる。

 

■ところで『先代旧事本紀』と『古語拾遺』が記す「天岩屋戸」の記述の中に、天岩屋戸に籠った天照大神を招きだすため、天目一箇神(アマノメヒトツカミ)が種々の刀・斧・鐡鐸(さなぎ)を作り、天鈿売(アメノウズメ)が鉄鐸を付けた矛を手に持って樽の上で踊ったと記されている。鉄器、一つ目、山の民も猿投との繋がりが見えよう。

 

■さらにアメノウズメは猿女でもあり、一緒になった界面の主神でもあり、ミシャグジとも関係がある猿田彦との繋がりも猿投は有りうるかも知れない。美濃・尾張は伊勢神宮成立以前からの先住の強大な勢力であり、諏訪等と共に神道以前からの神霊・ミシャグジの世界観とも大いに関係がありそうだ。フイールドワークもまたいずれ。

 

■現代におけるミシャグジの顕現としてのBABYMETAL、脊索動物の進化過程における上陸と水際に立つミシャグジ、胎児と胎盤の関係から誕生時の次元両生類としての不可避の反転、そして誰でもミシャグジを自らに重ねて今の生を生きるには…などという話は、またおいおい別の機会にすることにしよう。尾張の地の解明はこれからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


伊香保でぼんやり考えたこと

       

       

 

■1■伊香保温泉といえば、浴衣で移動する宿泊客たちで賑わう幅狭で急な階段というイメージがあった。しかしその有名な石段は2010年に新たに一部新装改築されて、伊香保温泉を守護する伊香保神社まで全部で365段となっていた。ゆったりした広場や温泉水が流れる「湯滝」も設けられていて驚かされた。

 

■2■石段を登りつめた最上部にある伊香保神社は、825(天長2)年の創建で上野国三宮とされる。鳥居を潜ってすぐ右に拝殿があり、その祭神はだいこく様とえびす様としても知られる大己貴命と少彦名命だが、右ではなく正面に「三峰神社御眷属」として建御名方神(タケミナカタ)の名が記されている。

 

 

■3■『先代旧事本紀』では、建御名方神は大己貴神と高志沼河姫(こしのぬなかわひめ)との間の一男が建御名方神であるとされている。『古事記』では葦原中国の国譲りから、信濃国の諏訪湖まで追いつめられ、背くことなくその地からも出ない旨を約束させられたとある。『日本書紀』にはこの記載はない。

 

■4■この「三峯神社御眷属」というのは境内社の事らしく、建御名方神、大山祇神、倉稲魂神、八坂神社、八幡宮、稲荷神社の神も祭られている。1200年ほど前に創建されたが、それ以前からの信仰対象や土地神として有ったものたちが、かろうじて消し去られることなく境内社として残っているのであろうか。

 

 

■5■榛名山は525年から550年に大規模な最後のマグマ水蒸気噴火及び泥流があり、それ以降噴火の記録はない。伊香保に温泉が発見されて発展した地になる以前は、里宮の三宮神社が祭祀中心地であったと見られている。仏教の寺院との関係や神道による統合・再統合などを経る以前の精霊・神霊も残っていよう。

 

■6■榛名神社が諏訪神社から井戸を通して食器を借りたという民話もあるくらいだから、諏訪中心に広く祭られているタケミナカタが、このあたりの地も祭神が大己貴命と少彦名命に上書きされる以前から広く祭られていたと考えられよう。ほかにも小さな境内社が多数ある。ミシャグジ的な存在はあっただろう。

 

 

■7■埼玉県秩父市三峰には「三峯神社」があるが、伊香保神社の「三峯神社御眷属」との直接の関係は不明である。三峯神社は伊勢神宮を本宗として日本各地の神社を包括する宗教法人である神社本庁が、大規模神社として扱うものだが、一般には一種の格付けとして捉えられている「別表神社」の1つである。

 

■8■三峯神社の社伝によれば、第12代景行天皇の東国巡行の際に、天皇は社地を囲む白岩山・妙法ヶ岳・雲取山の三山を賞でて「三峯宮」の社号を授けたという。(神話時代の景行天皇の在位は機械的に対応させると西暦71〜130年になる。)三峰信仰の中心をなしているものに、御眷属(山犬)信仰がある。

 

 

■9■オオカミを山の神とする起源は縄文時代まで遡ると言われている。しかし弥生時代になるとイザナギ・イザナミ2神を祀る神社に変わり、オオカミは春先に山から里に下りてきて、秋の収穫が終わると山に帰る神の使いにさせられた。これは「お稲荷さん」の総本宮伏見稲荷のキツネと同様のパターンである。

 

■10■このオオカミを神とする三峯神社は関東一円はもちろん北海道まで進行を集めていた。三峯講という組織ができて、参拝者が大変な苦労をしてお参りをした。「社記」による御眷属信仰の由来は江戸時代の享保まで下るが、遥かに歴史が下ってから、後付けの正当性として作られた話ではないかと思われる。

 

 

■11■森の生態系の頂点に立つオオカミは、森そのものの象徴でもあった。増えすぎると若木や下草を食べ過ぎて森林を衰退させる鹿やカモシカの異常増殖を抑える役もしていた。かつて諏訪大社等で鹿の首を大量に供える大祭なども連想しよう。そしてオオカミといえば、大神すなわちオオミワ神社もさせられる。

 

■12■狼を守護神とし、狛犬の代わりに神社各所に狼の像が鎮座しているこの三峯神社には、拝殿の手前には表に珍しい三ツ鳥居がある。奈良県桜井市の大神神社の三輪山山中の禁足地にも三ツ鳥居がある。名古屋市の三輪神社、長野市の美和神社、大阪市の坐摩(いかすり)神社にも伊勢以前からの三ツ鳥居がある。

 

 

■13■伊香保神社と伊香保神社に話をもどそう。伊香保温泉の発見は1900年前とも1300年前とも言われており、万葉集にもその名が登場している。私は神社関係には素人以前だが、それでも伊勢神宮より古い神社の少なからずはタケミナカタ、オオカミ、鹿、三ツ鳥居、神話時代初期の挿話などで繋がって見える。

 

■14■伊香保の地名の由来は、榛名山の山容の巌つ峰(いかつほ)からきているとも、上州名物の雷(イカズチ)と燃える火(ホ)と関連が有るとも言われているが、アイヌ語のイカホップ(あたたかい湯・たぎる湯)が語源だとも言われている。山岳信仰と関係した「いかつほの神」の祭神とも関係があるだろう。

 

■15■欧米の二元論的発想での、神道や皇族と対立する類の話ではない。神道成立以前の一万有余年で形作られてきた、「日本が日本と呼ばれる前から在る日本人の心」と、その反映である互いに共鳴協奏が可能な其々の場所の神霊/本質にも、すでに触れられる時代になってきたのではなかろうかという話である。

 

■16■余りに馬鹿過ぎる話は別にして、ゆっくり温泉にでも入りながら互いの経験や思いを交換し合うのもよいのではなかろうか。私はここから"BABYMETAL"の「キツネ神様のお告げ」や、赤と黒や、2人の創り神と3人の歌舞神と4人の支え神にまで話を引っ張ろうとも思うけれど、今日はここまでにしときますておこう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


人間としておのれの半神と重なる

 

■2012年を超えてすでに4年。1つの里程標とした2020年まであと4年。現今の日本人の平均寿命は84年になった。日本の神道の前にあった各地の神霊ミシャグジの安直な概念把握も超えて、外界や過去の歴史の中にではなく、私たち人間の存在形態そのものの中に「神」的なものを見出していかねばなるまい。

 

■胎盤は受精卵が着床した妊娠3週くらいからでき始め、完成するのは15週頃だ。この形成時間は(15−3=)12週で、日にちに換算すると84日である。杉山開知氏は受胎から出産までの妊娠の全期間を42週=294日と捉えた。294日は7056時間。7056は84の2乗。つまりこの期間は84時間×84周期でもあるのだ。

 

■胎盤と胎児は同じ受精卵から発生した一卵性双胎である。だが胎盤の生活はひたすら兄弟である胎児を育てることに費やされる。胎児が出生すると子宮外へ排出されて生命を閉じる。胎盤に守られ続けた胎児は、そこから地上生活者としての人生が始まる。胎盤は意識も感謝もされずただ消滅しただけなのか。

 

■現今の日本人の平均寿命はつい最近とうとう84年を超えた。地球から見た天体の水星・金星・火星・木星・土星・月・太陽から7曜日を作ったシュメール・バビロニア。2012年をとうに超えて、私たちはすでにその轍の外にはみ出している。天王星の公転周期はほぼぴったり84年(=12×7=14×6)である。

 

■単なる数合わせで強引に意味づけようとするのは、私の最も忌むやり方である。しかし水生生物だった胎児と、出産後反転して大気中で生きる人間との全体を、12週=84日、84/2週=84×84時間、84年という、ホロニックな構造として見て取ることはできよう。胎盤はただ消滅したのか、神霊になったのか。

 

■今想起して、絶対に裏切らず最後まで自分を守り育み外界へ送り出してくれた、自らの半身でもある胎盤への感謝は充分なのだろうか。もし可能ならば、次元を超えて今でも自分を守り育んでくれている半神として捉え、残る半神でもある一個の人間として、残る半神と重なって全神全霊で生きれはすまいか。

 

■半神の残る半神としての自分への慈愛をイメージできるのであれば、それに対する敬愛もまた自然に心に湧出して止まないだろう。そしてそれは単なる個人的妄想を超えて、人間という同じカタチの様々な他者の半神+半神に対しても、敵対や優劣をそこに見ることなく1つの世界観として共有できるはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


人間社会は自然からの引きこもり

 

■日本人は長きに渡る縄文時代を通じて、自然を敬愛しながら一体になって生きてきた。しかし農業や畜産を通じて富の蓄積と権力を争うようになってから、その多くが大自然の中から人間社会に引きこもってしまった。自然と共に生きているつもりの農業従事者の多くも、その例に漏れないと強く言いたい。

■農業や畜産に従事していると、心は確かに自然に触れる。しかし自然に対して効率や利便性や商品化が心の少なからずを占めて、自然を利用して自分たちの食べるもの以上の多くを生産して富を蓄えて楽をしたいと考えがちな者もいる。農業や商業を否定することなく、もう一度自然と共存を考えたいものだ。

■人間社会を否定せず、自然の中でその分を弁えて、より自然と調和しゆく未来を視野に入れるべく、大自然に対する人間社会への引きこもりを緩めて、自らもほかならぬ自然そのものであると自覚しなおして、自然を改造したり敵対せず、時と場所の示すままに喜びに満ちて生きていける未来を模索したい。

■自然からの引きこもりである今の人間社会を、そもそも人間も自然の一部として生活していた過去にただ回帰するのではなく、これだけのテクノロジーと情報の良質な部分をいかに未来に繋ぐかを考え尽して行きたい。軽佻浮薄なテクノロジーのゲームの中にさらに引きこもらせるベクトルは邪悪さを感じる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


肘折温泉の山伏とミシャグジ

        

 

■1■体調を崩して行けなかったが、今年の正月には肘折温泉に湯治気分で連泊しようと思っていた。肘折温泉は山奥深い月山の東側に位置する湯治場で、開湯は約1200年前と言われる。出羽三山登山口の1つであり、明治時代までは修験者や参拝客がこの地で沐浴をし、身を清めてから月山を目指したという。

 

■2■名前の由来は地蔵権現が崖から落ちて肘を折り、湧き出る温泉に浸したところ傷が癒えたからと言われている。しかし坂本大三郎氏は、この集落の名前は山伏の前身の「日知り(ヒジリ)」からきていると推測している。「ヒジ」という言葉のつく地名は、日知りの集落であったと柳田国男は考えていた。

 

■3■日知りとは日即ち暦を知り、天体の運行に長けていた自然の知識人を意味する言葉だった。日知りは大陸からの渡来人がもたらした仏教やこの地で成立した神道以前から、この日本列島に古くから存在していた、自然崇拝信仰の担い手だった。後に仏教者がこの名を奪って、自らを「聖」と呼ぶ様になる。

 

■4■湯治でも有名な肘折り温泉は、とても古くから山伏たちの活動を支え続けてきた。自然湧出の温泉は古代から心身を清める神聖なものと考えられており、湯で身を清めてから神仏の支配する山中へ送り出す風呂屋もまた、日知りのような人々の家業の1つだった。歴史ある温泉の多くは霊山の近くにある。

 

■5■学問の世界には「日本文化を知るためには山伏を理解しなければならない」という言葉がある。山伏は能や神楽や歌舞伎などの芸能の誕生や伝達に関わっており、また製鉄やその他の金属技術に長けており、医学や呪術も有していた。それらの技術や知識を持って政治の世界にも深く関わりを持っていた。

 

■6■信仰や芸能を携え武力を持つ人々を「山ぶし」や「野ぶし」と呼んだが、「武士」も元々はそこから生まれ出て来た。戦国時代は傭兵もしていたが、平和な江戸時代になると行き場を失い、無宿渡世を意味する「ゴロツキ」となった。また持っていた占いの技術を利用して博打を行う博徒になっていった。

 

■7■神仏以前から日本列島にあって、今でも私たちの生活の根底に流れているもの、もしくはそれを伝える文化の裏返りとしても、山伏とミシャグジは重なるところが大きいが、古くより絶えることなく湧き出でて人々を癒し続けてきた古湯もまた、日本の分化に通底する自然とのつながりを育み残している。

 

(※)坂本大三郎氏…千葉県生まれのイラストレーターだが、30歳の時山伏文化と出会い、現在は羽黒山で修行を続ける現役の山伏。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ミシャグジと重なる山伏

 

■1■折口信夫の思想体系の中には「客人(まれびと)」という概念がある。その根底には異人を異界からの霊的存在もしくは神とする「まれびと信仰」が存在すると考えられているが、その延長線上の1つに「山伏」という存在があるのではないか。現今の定義で言えば、山中で修行する修験道の行者である。

 

■2■古来より日本では山岳は霊地として崇められていたが、奈良時代以降は神道や仏教や道教等の影響で、山野に起居して霊力を強めようとする験者が台頭した。それら修験道の行者は、平安中期頃から天台系の聖護院と真言系の醍醐寺三宝院を中心に組織され、山に伏して修行することから山伏といわれた。

 

■3■この説明は実に型にはまった辞書的な定義だが、神道や仏教や道教等と混交して修験道となる遥か以前から、この山伏もしくはそう呼ばれる前の存在は在った。神仏の支配や統治権力の及ばない山中を拠点とし、権力に支配されない自由の民。その技術や能力は、権力側に取り込まれた事もあっただろう。

 

■4■その者たちは山伏と呼ばれる以前は「日知り(ひしり)」と呼ばれ、天体の運行や、農業の種まきや水入れ時等も含めた暦など様々な知識を有し、独特の情報網も持っていた。彼らはお祭りや信仰や芸能などを携えて日本各地を巡っていた。中世には斎市開設の、市神の勧請行事にも山伏が関与していた。

 

■5■時代を降るとほかいびと(乞食)や流しの芸能者までが「まれびと」として扱われ、貴種流離譚を生む信仰母胎にもなった。漂泊・遍歴する人々は、定住状態にある人々とは異なり、鹿の皮衣、覆面、縄文時代以来の編衣(あみぎぬ)、壺装束、巫女の服装、桂女(かつらめ)等特有の被り物をしていた。

 

■6■ここで重要なのは山伏の在り方の中に残っている、日本人古来よりの自然との接し方、関わり方である。芸能は人々が自然と向かい合った時に生まれてきたものであり、職人の物造りは自然の中から豊かさを取り出す技だった。西日本ではそんな自然と直接繋がりを持つ者達が差別され闇に追いやられた。

 

■7■山伏の一部は朝鮮半島から渡来した鉱山関係者とも融合し、神道か仏教への所属を強要され、戦乱時には従軍祈祷師や間諜(後の忍者)として活躍し、その技能や知識を買われて時には傭兵にもなった。江戸時代には芸能や職人の技の鍛錬にも関与したが、明治維新では存在自体を非文明的だと否定された。

 

■8■様々な変転と存続の危機を経ながら、現在でもに山伏は奈良の吉野、和歌山の熊野、岐阜の白山、山形の羽黒山、福岡の英彦山等に存在する。今でも山は死の世界であり、通過儀式により赤子となり、産道を通って現世に生まれ変わる。到達点や完成形があるわけではなく、常に未知なる未来に進み行く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


神とヒトと人間と

 

■1■普通に言うところの神道への様々な研究や解釈に対しては敬意を払う。しかし個人的には現在の神道が形成される以前に興味がある。表現を変えれば、中央集権的に上書きされた神道ではなく、それ以前に各地の民間での信仰と、信仰されていたものへの興味だ。それは上書きの中にすら多々残っている。

 

■2■ヒトという言葉。それだけでは単なる言葉だが、折口信夫の言うマレヒトが稀なる訪問者が神として扱われもするし、また人間に扮した神そのものであるとも解釈できるように、神か人間かという西洋的二元論理から遠く離れて、神と人間とは容易に入れ替わるものだ。ヌース的にはもう1つ反転あろう。

 

■3■神と人間を対立項として、もしくは別の言い方をすれば人間と自然を、そして自己と他者を対立項として展開する論理そのものが、行き詰って久しい現代社会の元凶の大きな1つだ。神と人間が重なったり、入れ替わったりするヒトに私たちは成るのではないか。それを拒絶する者の自由すらも担保して。

 

■4■マレヒトは遥か遠くから神のメッセージを携えてやって来る。その流浪譚のみが古代では一人称だった。メッセンジャー自体が神と捉えられることもある。マレヒトは実在というより解釈概念だ。祭りと言う饗宴でもてはやされた後、神の世界に帰っていく。マレヒトのもてなしから日本の芸道は生まれた。

 

■5■日本の芸道は客をもてなすために生まれた。西洋的自我に侵された「俺が俺が」的な芸術の殆どはすかぽん!それが反転して「全てが、世界が俺だから、敬愛し慈しむべきものだ」まで行くと未来を示す何かが立ち上がる。しかしそれはすでに俺が俺がではない。それは今まだ必要だとしてもカッコ悪い。

 

 

   ■日本の伝統的芸道の最先端

 

 

■6■ちょっと余談ではあるけれど、ベビーメタルの新しいさは自我を前面に出したり、否定的な文言が一切ないところにもある。「キツネ神のお告げ」や「演奏中にキツネ様が降りる」等の未だ名もない新しい神への戯画設定を本気で信じてはいない。それでも神が降臨し道を示すという事まで否定はしない。

 

■7■あと半歩進めば、日本の伝統的芸道の最先端にいることも分かる。茶道・華道・香道等は明らかに客へのもてなしから生まれたし、河原乞食と卑しめられもした芸人たちも最大限の持て成しとして芸を磨いた。観客なき芸ごとは成立しない。その客全てをthe Oneと呼ぶ反転した新しい意味につい涙する。

 

■8■為政者に迎合したものはすべからく腐敗し始める。逆に殆ど誰も気付かないところでその操作や洗脳と戦っているものには大声援を送り続けたい。武器を取ったり相手を罵倒したりすることなく、新しい戦術や戦略によってレジスタンスのスタイルを貫いていると考えている。新しい神を降しているのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ミシャクジの象徴を超えて

 

■1■ミシャグジの概念は多岐にわたり、また各地で様々なバリエーションがあるので簡単な定義や既存の概念では括れないが、取り敢えず現在の日本神話的な世界観以前から存在していた神という括りで、その信仰形態ではなくその全体性と拠ってくるものの本質に近いものを、一仮説として展開してみたい。

 

■2■ミシャクジや既存の神という目に見えないものを象徴するのに、よく蛇(海蛇や龍も含む)が用いられる。のたうち回る生命力やエネルギー流のイメージと解したりもするが、より根源的な神の元型の表象として、自らの心をも含む身体感覚、特に思考とは異なる内臓由来の情動や心象と重ね見てみよう。

 

■3■脊椎動物の身体を模式図で表すと内外2本の筒になる。内筒は口から肛門に続く消化管で内臓系を表し、外筒は脳脊髄を守る頭骨と脊柱を包む体壁系である。魚類は前端部分から左右側壁が欠けて、腸管の始まりである鰓腸(さいちょう)が露出する。私たち人間では口・耳・首筋の部分がこれに当たる。

 

■4■鼻と目は外筒の上前端に開くので元々は体壁系に由来するが、哺乳動物では鰓の筋肉が張り出してこれを覆う。つまり内臓の皮を被るのである。解剖学的に私たちの顔は、鰓腸が前方にせり出してきて露出したものだ。つまり形態学的に生まれつき私たちは自らの反転露出した内部を被っているのである。

 

 

■5■4億数千万年前のシルル紀の円口類は体の大半が鰓だった。その生き残りがヤツメウナギ。またナメクジウオより私たちに近いホヤの幼体は脊索と尾がある。この成体は一皮むけばほとんどが鰓腸腔だ。収縮運動により水と餌を取り込む感覚は私たちの中にも残っているであろう、実に根深いものである。

 

■6■人間の鰓腸は顎から下は随分退化しており、首のところで「くび」れて「のどぼとけ」に変形している。このあたりが声帯となり、またその振動そのものから共感から思考にまで至る「言葉」へと通じる部分でもあるので、文脈上「のど神」と称しても良いだろう。被り物は反転して内部にも通じている。

 

■7■現代の西洋医学的発想だと、目に見えない内臓もレントゲンやCTスキャンで生きたままその状態が見て取れるように思われやすいが、自分自身の実際の内臓感覚はそのように可視化された物質次元だけではないのではないか。切り開いて取り出した内臓は、いわば高次のものの3次元的な影とも解せる。

 

■8■胎児もまた然りだ。自らの受胎卵由来の分身のような胎盤を被って生まれた者は、普通の者とは異なり生命の本質的次元からの恩寵を持って出現したとする世界観がある。これはいわば1代限りの比喩的表現だが、私たち1人1人が何億年もの進化と反復をしてきた生命力場をこの身に内包させているのだ。

 

(※)『内臓とこころ』三木成夫は実に示唆に富む。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


古層より湧き上がる神たち

 

■1■その多くの部分が今の神道に上書きされてしまった古層の神。縄文的思考とでも言うべき社会の在りようは、強力な中央集権的権力や冨の過剰な集中を敢えて避けて来たと思われる。西日本を中心として統一された国家の中でも、東日本側ではミシャクジに対する信仰や世界観は消え去ることがなかった。

 

■2■しかし権力の御膝元ともいえる西日本においては、それらは神道によって上書きされ尽され、僅かに境界の外に置かれた被差別の民や賤民視された職人や芸人の中に、心の拠り所としての宿神(シュクシン)への信仰心と共に存続してきた。特質の異なる東と西の中で、古層は連続して存在しているのだ。

 

■3■天皇制的な国家形成から、双分制と呼ばれる精神的中心と実務的中心の2つがうまくDNA螺旋のように機能して、時には2つの機能を1つに纏めようとする危機を何度か乗り越えてこの国は永らえてきた。しかし現今の我が国は、この双分制の精神的中心の側をないがしろにする危機的状況の中にある。

 

■4■政治と経済を主導していく権力と富が一部の人間にのみ集中して肥大し、正常な意識で国家が維持できなくなってきている現今、国家と言う権力から自由であったミシャクジ的世界観とその構造を、自らの内側から想起していくべき時なのではなかろうか。国の存続を否定はしないが、自由も手放さない。

 

■5■財産や土地の元々の所有権は何が補償するのだろう。国家のためなら個人の自由を制限することも可能だとする発想は何に依存するのだろう。それらが自然の中の「超越性」に求められるのでなければ、何らかの恣意的な一部の者に操作されるということになる。自らの内にある神に目を向ける時である。

 

■6■国家というものが未だ生まれていなかった頃からの思考や世界観もまた、現今の私たちに息づき残っている。そのルーツを辿れば縄文1万数千年や、それをさらに超えた旧石器時代からの、絶えざる脈質、カミ、霊性の流れであろう。それらを無視したような新しい世界観には注意と警戒が必要であろう。

 

■7■一神教的ともいえる単一化の統合という力学を眼前にして、私たちはその背後に自然をいまだに有しているとするならば、自然や個人を意のままに変化させ、制圧してねじ伏せるようなものの流れの成すがままにしては置けないだろう。多分内側からもその流れに抗う、懐かしい未知のカミが立ち上がる。

 

■8■それは日本限定のミシャクジだけではない、世界各地で新石器時代以降に順次塗り替えられていった世界観や言語・文化の蘇生なのかもしれない。眼前に見えている世界の背後にある、より原初的だがど今でも厳然として在る懐かしい空間と繋がり、自分が未だ知らない未自分でもあるカミとのカミアイ。

 

(※)画像は以下のページより借用、加工。http://www2s.biglobe.ne.jp/~t-ohashi/africa/greatz.html

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ミシャクジとツクヨミ

 

■1■ミシャクジと言えば、今の神道世界より古層の神ワールドだが、東日本と西日本でその扱いが全く異なっている。まるでユーラシア大陸の東と西に重なるかのようだ。東日本では「常民の神」であるのに、西日本では差別された人たちのよりどころの神なのだ。どちらにしても今は上書きで隠されている。

 

■2■数は3から始まる。神道系の神の世界も、最初は天之御中主神を初めとした造化の3神が生まれ、続いて2柱の神が生まれたとある。この5柱は性別がなく、根元的な力を持つ。引き続いて5組10柱の男女対の神々が生まれた。この7組12柱を総称して神世七代という。数の基本的な構成をも想起される。

 

■3■その後の国産みを成したイザナギとイザナミの2神がすったもんだの後、イザナギが黄泉の国から戻ってみそぎをした時、両目と鼻からアマテラス、ツクヨミ、スサノオの3貴子が生まれた事になっている。アマテラスとスサノオの物語は続くが、ツクヨミに関してはその後オフィシャルでは消えている。

 

■4■日読みがカヨミ⇒コヨミとなって、現存する精緻な日本列島上の太陽ネットワークが暦に通じるように、月読みもまた夜空を見上げれば自然に観測されるであろう月や諸天体の運行観測やその技術と同様に、本来あったものが修正削除されたとする考えも充分ありうるだろう。東と西とその裏の夜の世界。

 

■5■遺跡も化石も文書すらも、それがないと存在しなかったという考え方は、妄想や根拠なき我見と同様に閉塞感に満ちている。ここではまだその接続を見いだせないままだが、ツクヨミもまたミシャクジ同様に、もしくは実際に関係があったからこそ、うすっぺらな公的歴史観が削除されたのかも知れない。

 

■6■アマテラスが男神であり、ツクヨミが女神であったという話や、その話の継ぐ穂が世界最古の物語である「竹取物語」のカグヤであるなどという話も興味深いが、矢戸学氏によれば3貴子を祭神とする神社数比較では、アマテラス13582社、スサノオ13542社に対して、ツクヨミは704社と2桁違っている。

 

■7■しかも例えば出羽三山の祭神は月読命だけれど、月山の山神信仰が元で本来は無縁なのに後付けしたものらしい。同様に月がらみで後付け上書きした者も多数あるわけで、本来のツクヨミはさらに数が少ない。伊勢神宮の別宮に月読宮と月読荒御魂宮も訪問したことがあるが、その扱いは決して高くない。

 

■8■もちろんツクヨミはミシャクジとの関係が目に見えてあるわけではない。しかし上述のように西日本では先住民もしくは何らかの理由により被差別にされた民たちの信仰対象が、貶められ隠されたように、ツクヨミもまた(桓武天皇あたりが怪しいが)上書きされて、実体なきものとされたと考えられる。

 

■9■繋がりの無いまま隠されたものとして2つを並べたが、ここで言わんとしていることは、過去の権力者が諸事の都合により上書きして表層から隠したように、個々人の意識の中の不快なもしくは不都合な出来事の記憶を、無意識という古層に追いやり生きているという在りようとの相似の自覚なのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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