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  • 2024.01.09 Tuesday
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インダス文明とリグ・ベーダ (4の歌 B-9曲)

 

■1■前2600〜前1800年を中心に、現在のパキスタン領内のモヘンジョ・ダロとハラッパーを2大中心地としてインダス文明が栄えた。この文明の文字は解読されておらず、この文明の宗教・思想は未だ憶測の域を出ない。このインダス文明末期、アーリア人がヒンドゥークシュ山脈を越えて西北インドに侵入した。

 

■2■パンジャープ地方に定住した彼らは、後の文字の発達とともにインド最古の宗教文献である数多くのヴェーダ聖典群を編纂・文書化した。中でも紀元前13世紀を中心に成立した『リヴェ・ベーダ』はとりわけ古くかつ重要な位置にあり、インド・アーリア人がインドに侵入した紀元前18世紀頃にまで遡れる。

 

 

■3■『リヴェ・ベーダ』は古代より長い間口承されてきたもので、元々はヴェーダの「ことば」を意味する語であり、呪力に満ちた「賛歌・呪句」を表した。財産・戦勝・長寿・幸運を乞うて神々の恩恵と加護を祈った讃歌の集録である。最初期の神への讃歌の中にはテトラレンマ的世界観が既に存在している。

■4■やがてそれらに内在する「神秘力」の意味で用いられ、さらにこの力から「宇宙を支配する原理」とされた。サンスクリットの古形に当たるヴェーダ語で書かれており、全10巻1028篇の讃歌からなる。アーリア人が残したこの偉大な文化遺産は、インドの思想・文化の根元的理解に欠かすことができない。

 

■5■梵「ブラフマン」宇宙原理と我「アートマン」個体原理が本質において同一であることを瞑想の中で明確に直観することを目指すのが梵我一如の思想である。これによって無知と破滅が克服され、永遠の至福が得られるとする。梵我一如の思想の背景にあるのは、ヴェーダ祭式の「同一視の論理」である。

 

 

■6■この「同一視の論理」とは獲物の足跡を獲物の足と同一視し、それに傷をつければ獲物は遠くへ逃げることができなくなると考えるような呪術の論理だ。ヴェーダの祭式では、祭式の場にあるものを神話の世界や自然界の事物と同一視した観点から、呪術によってそれらを操作し自然を支配しようとする。

 

■7■ウパニシャッドの哲人たちは、この同一視の論理を祭式ではなく、能動的な瞑想で用いた。異なる2つの対象を同一のものとみなして意識を集中し、分別による知を乗り越えて対象の中に入り、主観は対象と融合する。対象と1つになることにより、その力や性質が自分のものとなり、体得が可能となる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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