教育現場というところ

 

■真の教育現場は「正解を探させるところ」であり、「正解を教えるところ」ではない。教育現場では問いと答がセットのテストなどを提示して、個々の力量を高めようとすることもある。しかしそれすらも正解を探させるための大きな流れの中における、プロセスと言う意味での方便であり、メタファーである。

■それはただ機能すれば良いのであって、それが単なる学ぶ者の性格も含めた総合評価のデータ採取のための材料として用いられるのであれば、最初からそれは方法論的に誤謬があろう。煎じ詰めれば教師と現場の理念と目的意識の問題となる。教育とは洗脳ではなく、洗脳を自ら解除する力を発現させることだ。...

■正解とは何のことか?自分にとっての真の正解と、他者とも共有する社会的正解は必ずしも一致しない。しかしそれでも双方とも必要かつ重要である。自らの力を惜しまず出して必要性と共に、ヒントでもあるパラドクスとして、その正解が必ずしもあるとは限らないということも添えて語らねばならないだろう。

■安易に言語化してしまえば、知識の蓄積ではなく知恵の発動を助け支えるところということだ。これだけでは観念的表現の文字列に過ぎないと断ずる人もいれば、逆に言い得て妙なる真理であると勘違いする人もいよう。どっちもどっちだ。そしてどっちもどっちでもないし、言葉遊びでもない。個人の裁量だ。

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(※)現在、様々な「言葉の問題」を脳が占有しており、この書き付け文字列のクリンナップは今すぐには不可能なので、メモとしてここに上げときます(すぐ、どっか行っちゃうから…笑)。一応140文字スタンザで揃えてあるので、許してちょう。

そしてこの図は、ネットから拾って来た画像を再構築したものなんだけど、これを見て品がないと思うか、面白いセンスだと解するか、どうでもいーよと感じるか、エロくて好いんじゃね?とニヤつくか、その他色々あろうけれど、この私が新たに造った絵文字は「META」。

METAPHIGICS、METATRON、METALOGUE、METATAROとかの「META」で、接頭語としては、「高次な−」「超−」「−間の」「−を含んだ」「−の後ろの」等の意味を有するわけ。つまり「鏡を見よ」というパラドクスに似た遊びです。鏡本来は見えずにそこに虚像を見る道具だし、この絵づらを見ずに「META」のメッセージは見えないでしょ?…みたいな。

いいことって、ちょっと面白いこと多いよね。あ、いかん、成すべきことに戻らねば。シツレーしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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