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ミトラ教と占星術の出自

 

■1■シュメール人は前5300年頃にメソポタミア南部(現イラク中部・南部)に定住し、世界最古の都市文明を築いた。シュメール多神教はジッグラドという神殿を中心にしたもので、神官たちは暦作成のために天文観測をした。この天文観測が占星術の基礎となった。このシュメールは前1950年まで続いた。

■2■やがて南からやってきたアムル人が古バビロニア(前1894〜前796年)を建国した。彼らはシュメール多神教と天文観測を引き継いだ。占星術は前1800〜前800年頃にかけて、天文学・数学と共に急速に発達した。占星術に関する最古の記録は、アムミサドゥパ王治下の粘土版(前1700年頃)である。

■3■前11世紀頃にはすでに天地照応の基本的な考え方が確定しており、占星術では赤道帯を中心にした星座(トロピカル星座)を使い、天文現象を元にした吉凶占いが行われた。この時代の占星術は国家の運勢を占う「政経占星術」だけであり、出生天球図を用いた個人の運勢判断や性格判断はまだなかった。

■4■紀元前700年頃から占星術が一段と整理された。前600〜500年の間(新バビロニア王国時代からアケメネス朝初期)に、黄道12星座と一年12カ月の対応が確立された。黄道12星座の中で7惑星の動きを見て、個人の運勢を占うようになったのはアケメネス朝初期(前5世紀末〜4世紀初め)からである。

■5■こうしてできた黄道12星座と7惑星の象徴体系を世界中に広めた主役は、ミトラ教のマギ(カルデアン・マギ)である。アケメネス朝は新バビロニアとメディアを併合した後、前517年に改暦を行った。この新暦(アケメネス暦)は、古ペルシア暦(ミトラ暦)とゾロアスター暦の両方にとって代わった。

■6■正確な計算により未来予知が可能になったのは、前4世紀(アケメネス朝後期)からであり、「カルデア式惑星配列」が標準となったのは、西方ミトラ教の成立時期とほぼ同時期の前2世紀からである。またエジプトに占星術が入ったは、アレクサンダー大王によるエジプト征服(前331年)以後である。

)画像は「アブラハムの許で三人の天使の食事」サン・ヴィターレ聖堂 モザイク壁画 ラヴェンナ 6世紀前半  http://heibay.exblog.jp/18002624 より借用。













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