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私の目を通じて世界を観る「未私」


                          Original photo by trombone65(加工してあります)

■1■ライアル・ワトソンはイカを地球の目であると言った。イカの目はその貧弱な中枢神経系には似つかわしくない精密で大きい眼を持っている。眼で捉える莫大な光のほんの一部すら認識できなさそうなのに。ワトソンは無数に群れなすイカの大群を見て、何ものかに代わって世界を見ているのだと感じた。

■2■我々が最も知性を持つ生物であるなどと自惚れている、私たち人間の目もまた精緻である。圧倒的な光量の内のほんの一部しか脳では認識していない。不要な情報は選別されるのだと解釈しているが、個々人とも不分離でより大きな未知のものが、私たちの目を複眼のようにして観ているのかも知れない。

■3■複眼を構成する単眼は、筒の先端にレンズがあり、逆側で筒内部にある視覚細胞が神経線維と繋がっている。単眼が球面状に並ぶ複眼は、ほぼ全方位を視野に収め、しかもわずかな動きでも単眼では大きな動きとして捉えられる。全体ではより高次のホロニックな高解像度のものを見ているかも知れない。

■4■私たち個人個人の視野は個体の前方の広角円錐内しか見えない。首を回せば視野は広がるが、やはり後方は見えない。もし私ではなく複数の私である私たちがバラバラに見ていると思われている世界が、非分離にして非自己の領域で大きな1つの視界のものを見ていると想定したら、それは不快だろうか?

■5■ホログラフはそのフィルムの小さな断片からでも、解像度は劣化するが同じものが再生できる。乾板の各部分にエンコードされた形で全体が含まれているからだ。単眼的に私たちが見ているものは世界の断片かもしれない。しかし逆に個人個人もまた、複眼的に見える「もの」へのアクセスが可能なのだ。

■6■これは単なるイメージだから、神とか高次生命体とか個々人によって異なる「名前」を敢えて持ち出す必要はない。国家や経済を個人より高次に据えて、私たちを国民とか消費者等という括りで、一律に統制しようとする愚者たちの思い描く未来社会とは真逆の方向性を見出すための、開眼の比喩なのだ。














 

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  • 2020.04.15 Wednesday
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  • 11:24
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コメント
[NARUTO]連載が終了する由ですが、描き切れたかどうかという思いもあるのですが、小野さんはどうですか?
(無惨やな かぶとのなかのきりぎりす)ではありませんが、登場キャラクターのウチハで言えば、イタチ.シスイ.カガミなど、枠組みの間で散って行ったキャラクターが印象に残っています。
国家.経済という無限ツクヨミと思いますが、国家や経済がフェアなすばらしいことになるのは、どうも来ないと思いますが、氣付いた者から打ち破るということかもしれません。
小野さんは、[カムイ伝]はどうでしょうか?[ゴルゴ13]も、完結するのでしょうか?あれやこれやと、お邪魔しました。
  • B.R.アブラクサス
  • 2014/10/07 7:43 PM
■B.R.アブラクサスさん。

NARUTOは最初から読み直さなくては、途中の様々な伏線や登場キャラが分からないところもあります(^^)。ずっとあの決してうまいとは言えない絵柄と線のまま、終わりそうですね。

最後にサスケとの間にどうけりをつけるかで、この話の終わり方や作品そのものの価値が決まりそうな気もします。今は何とも言えませんね(^^)。ジャンプの王道ですし。

国家経済とかある程度の全体把握的管理は、少しはあっても構わないと思うのですが、それが全体主義とはならず、各地方各人の自由を大幅に認め、かつ個々人も自律的に生きることができれば、国家や経済などの概念は第一義的なものではない新しい生き方ができるのかもしれません。

「カムイ伝」はものすごい作品だと思っていましたし、それは今でも変わりませんが、今は白土三平の世界観というバイアスがかかった(かからないもの者はないですが)作品という見方がようやくできるようになりました。

「ゴルゴ13」は、全体的にはサザエさん効果のまっただ中の作品ですが、作者がいなくても(もう何十年も前から、さいとうたかおはもうゴルゴの顔をかけなくなっているという話はありましたよね(^^))作品だけが、自動的にどこまでも制作されていく、止まらないものになってはまっていますね。

最初から比べて、進歩が内の在ってですが、絵がきたなくてちょっと正視できないです。うまへたでそれはそれでよかった「はぐれ雲」ももう惰性で続いているとも言えましょう。「こち亀」は自動書記的に(もちろん人間がちゃんと描いていますが)止めることができず、ギネス的に続けている感が極大のもので、私も買えば読みますが、絵がヘタすぎてほかの作品だったらあり得ないですね。

完結のめどが立たないほど続き続けている(←変な表現)は、もはや終わっていて、いつの頃からか(言葉は悪いですが)ゾンビ作品として死ねない、終われない者に変化してしまっている気がします。作者さんたち、ごめん!(^^)

その点、ナルトはまだもう少し見守りたいと思います。終わらない「ジョジョ」シリーズのような、パラレルワールド的世界観で描いていくという方法もありますね。マンガに関してはいろいろ意見はありますが、意見だけのたまうやつよりは、自分で描けということで、いつか本当に描きたいものです。
  • とーらす
  • 2014/10/10 1:14 PM
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