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背中合わせの私と私

      

■1■今年の3月下旬に、ましましさんと一緒に「すみれのお宿」にお邪魔して「メタトロンレクチャー&プレイ」をした。つい先日もお宿のお父さんの誕生日で多くの人が集まっていたので、私もお祝いにと思ったけれど、ちょうど家の猫の1匹が他界して行けなかった。遅蒔きながら、お父さんおめでとう。

■2■さてその2日目の夕食後に、ましましさん推奨の背中合わせで座って相手を感じる「背中あわせのハグ」をみんなでやった。実際に相手があまりよく知らない人でも、見えないので恥かしさやら気遣いやらほとんどすることなく、背中の温かみや信頼感などをじっくり味わうことができる素敵な方法だ。

■3■背中あわせというと、360度ぐるりと囲む敵と戦う武士が信頼できる味方に背中を預け、自分の前面180度と全力で対峙する時代劇シーンが連想される。流れ巡る感じで温かいんだよね。中世欧州の騎士物語ならいざ知らず、これが西部劇らな逆に360度全方位から撃たれて蜂の巣にされてしまうだろう。

■4■プラトンの『響宴』の中で語られる愛の起源。世界が生まれたばかりの頃の人間は2人一組で背中合わせの生き物で、両手両足が4本ずつあった。しかし神は人間が地上を支配するのを嫌って2つに引き裂いた。今の形になった人間はそれ以来、失われた半身を求めて愛を渇望するようになったという話。

■5■人間が2人一組だった頃は「3つの性」があった。男と男が背中合わせの『太陽の子』。女と女の『地球の子』。そして男と女の『月の子』である。kohsen氏はこれを男・男は精神、女・女は物質、そして男・女が2者をつなぐ意識とし、自己他者をつなぐ両性具有の無意識の部分を象徴していると見る。

      

■6■『日本書紀』にも登場する飛騨の両面宿儺は、計8本の手足に首のない2つの顔という異形の鬼神である。奇怪な姿で描写されているが、一般には大和王権に抗した古代の豪族であると解釈されている。また背中合わせではないが、前後2つの顔を持つものには、ローマ神話の出入扉の神のヤヌスがいる。

■7■「背中合わせのハグ」と言葉にしても、それだけでは単なるイメージに過ぎない。正面で向き合ってのハグはしっかり抱き合うが、背中合わせのハグはむしろ少し寄りかかり合って、その接触面に意識を集中してみることになる。やってみて感じてなんぼの世界だけれど、温かさと安心感を感じてしまう。

■8■この2人だけで行う「背中合わせで人間温泉」バージョンの他にも、背中合わせの人にまた別の人が足の裏同士をくっつけ、その人がまた別の人と背中合わせするということを繰り返せば、多人数が連なる愉快な「エネルギー直列人間」を味わうことができる。実際にやってみて分かることも少なくない。

■9■ましまし氏は今度、この背中合わせのハグ状態で相手の顔を描くというワークをやるらしい。自己他者問題を概念や理論だけで追及する方法もあるが、実際に身体を用いた体験の実感からそれを探求していくという方法もある。
過去の文献の中や、最新の身体ワークにも例を見ない実に斬新な方法である。

■10■これは一人ではイメージトレーニングすらできないワークだ。複数であれば、何人でも可能である。背中合わせの相手が老若男女いずれであっても、正面同士と比べてハグはし易いだろう。鈍感であってしかも別な意味の繊細さも持つ背中(そして足裏)同士のハグはその先にどんな世界があるのだろう。












 

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  • 2020.08.18 Tuesday
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