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地鶏暴論ならぬ自撮り棒論



■1■2014年度のヒット商品の1つである自撮り棒だが、北陸新幹線の5つの駅ホームでの使用が禁止された。他の客に当たって怪我をする可能性や、ホームから乗り出して列車の運行に支障をきたす恐れがあるからというのが禁止の理由である。思いもかけなかったが、確かに言われてみればその危険はある。

■2■この自撮り棒の登場は意外と古く、実は1980年代初頭に日本で発明されたものだ。当時のカメラの小型化軽量化で生まれたものだが普及せず、結局珍発明品扱いを受けていた。しかし近年の携帯電話やスマホの普及及びデジカメ機能の高画質化でニーズが一気に上がり、昨年末に急激にブレイクした物だ。

■3■スマホや携帯電話の画面に夢中になって、周囲の実空間に対する意識が軽薄になることは誰にもありうる。1983年に当時のミノルタカメラが、世界で初めて発売した時の商品名は「エクステンダー」だった。その名の通り拡張するのは、カメラの視座だけでなく、意識が希薄化するうっかり空間もである。

■4■身体感覚で言えば、おのれの手足の届くところまでの空間とその外とは、空間認識としては連続しているが、一意で別の次元であるとも言える。道具というものは私たちの身体の届く領域を拡張をしてくれる。このセルフィースティックとか自撮り一脚とも呼ばれている道具も、自空間を拡張してくれた。

■5■身体感覚の延長という意味では、軽量の物を運んだりできるドローンもまた同様だ。カメラを搭載すれば視覚野の拡大延長となる。ドローンは3次元的に自在にコントロールできるが、最近はよく落ちたりする。操縦の技術が未熟であったり、笑える話でないが操縦者自身が事故にあったりするためだ。

■6■武芸者や武道家には「間合い」というものがある。徒手空拳で言えば己れの身体を用いて瞬時に技の及ぶ範囲であり、武具を用いるのであればその得物の届く範囲のことだ。迂闊に入れば瞬時にやられてしまう。それは逆の立場からでも言える。武芸一般の対決はその互いの空間制圧界面のせめぎ合いだ。

■7■自他不二となるのみか、天地とも一帯になってしまう合気道は一応横に置くとして、武芸一般の間合いは自らを中心としてその界面方向へと意識や気が向かうものであろうが、自撮り棒はその撮影の間合いを界面側から自分方向へと視線と共に意識方向を向ける道具だから、ベクトルが真逆であるわけだ。

■8■武術の間合いはそれが破れた途端自らの敗北となるが、自撮り棒による自空間延長は、自身に向ける視座だけを他者との共有空間に突き延ばすのだから、確かに周りへの配慮が充分行き届くわけもない。だからと言って否定的見解だけがあるわけではない。身体感覚を介して自己と他者の再確認も可能だ。

■9■ドローンや自撮り棒を用いて3次元的視座からの自撮りもできる。それによる気付きや発見もあるだろう。その操作技術の向上と同様に、自らの周囲や他者に対する気配りや思いやりが、より一層行き届くようになれば喜ばしいことだ。そんなわけで、今私はこの自撮り棒を導入すべく思考中なのである。












 

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  • 2020.08.18 Tuesday
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