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「第2の心」論(1)



■1■岡潔は常々「人には心が2つある」と表現していた。「理性」を大切にする西洋人は、第1の心以外を知らないと喝破する。この第1の心とは、大脳生理学や心理学が対象とする心のことだ。この心はその中心が大脳前頭葉に宿っている。この心は「私」と云う主語主体を入れなければ自らは動かない。

■2■しかし人間には第2の心がある。この心はその中心が大脳頭頂葉に宿っている。この心は無私であり、「私」と云うもの、もしくは自我・言葉・理性・自覚・主語等を入れなくても働く。この心のわかり方は意識を通さない。直下にわかる。東洋人は仄かにではあるが、この第2の心の存在を知っている。

■3■日本人は第2の心のあることが非常によくわかる。そもそも日本人は大体第2の心の中に住んでて、時々第1の心が現れるだけだった。日本人は自然や人の世の情緒の中に住んでいる。情緒とは我が主体となる感情とも感覚とも異なる。この日本の「情緒」は今の文明を救うキーワードではないだろうか。

■4■人の真心に感銘する心は無私のところである。第2の心の領域だ。第1の心もしくは自意識と云うものはそれを後から自覚する。では第1の心と第2のこころは別個のものかというのは浅い認識論だ。心の最も基本的な働きは、2つの心が融合可能だということだ。第2の心の世界は「二而不二」なのだ。

■5■では「自我・言葉・理性・自覚・主語」等は意味も価値もないものなのかというと決してそうではない。自ら全体を捉えて分を弁えれば、それらは実に有能で有意義なものになる。他者の言葉を瞬時に理解し自ら思考して即座に言葉にするのは、第2の心の領域ではないか?第1の心はただそれを見てる。

■6■宗教的修行はみな何やら陰気くさく見えてくる。今や第1の心が第2の心を自分と自覚しただけで目覚めた人になる。もう無駄な苦行をしなくなる。日本の神々は日本の自然によって人を育てている。「哀し」と「もの哀し」の違いと言えば日本人は腑に落ちる。日本語を正しく知る者が日本人である。

■7■第2の心だけだと「花を見れば花が笑みかけているかと思い、鳥を聞けば鳥が話しかけているかと思い、人が喜んで居れば嬉しく、人が悲しんで居れば悲しく、人の為に働くことに無上の幸福を感じ疑いなんか起こらない」となろう。でも第1の心だけの蒙昧を楽しんでいる自分も否定されない今がある。












 

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  • 2020.04.15 Wednesday
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