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「第2の心」論(2)



■1■1つと2つ。数を数える最初の認識。やがてすぐに1の中にも2を見て、2の2乗として4とも見て取れるだろう。心だけに2心房2心室の心臓との比喩、もしくはメタファーにも通じるだろう。4値論理、4人称、4原色の生物と人間、四則計算、幾何学的な4次元などと表現してきたが2つの心とは。

■2■1つ目の心が自我、自己、自意識、主観を全てと思わせしめている。世界はそれほど厳しかったのだ。そこから自他の区別、自己と世界の対比、主観と客観を見て、相互共通認識のための論理・理性・知性を生みだした。2つ目の心を知らなければ、それは暴走して世界を覆い、自ら止まることは難しい。

■3■しかしそれは否定するものではない。出自を知り、分を弁えればそれは最高に機能する。2は1を入れ子にしており、3は2までを、4は3までを入れ子にして余りない。長い目で見れば、日本列島は海からも山からも多くの幸があり続けた。日本人は「情」の人である。1つ目の心を使うこともできる。

■4■物事の良し悪し、善悪、敵と味方、神と悪魔、快と不快を区別することはできる。しかしその片方を否定したり殲滅したりする必要はないし、それはできない。情緒の世界に住んでいる日本人は、暑さ寒さが振り切る四季それぞれを良いと思う。全て良いとする。四季と自分、自他を1つとも知っている。

■5■「あなたの心はどこにあるか?」と問うと、脳を指してここだという者もいれば、心臓を抑えてここだという者もいる。内臓を示してガッツともソウルとも言う。しかし個人の皮膚限界を軽く超えて、両手を広げて身辺の空間を抱くように「この辺もかなー」と言っても、日本人なら何となくそれも分かる。

■6■第1の心で、もしくは論理や思考や言葉でそれを表そうとしても表しきれない。他者に教えられたものでもない。しかしそれが在ることは分かっている。「わかる」ということに2種類ある。意識的にわかると無意識的にわかると。この2つが合致した時に初めて、本当に腑に落ちたと言えるのだろう。

■7■第1の心と第2の心に通奏する「情」というもの。エゴイズムやナルシシズムで濁っていると自覚したらどうすればいいのだろう?ハウトゥーはない。「未知への好奇心と、既知への感謝を。自己への信頼と、他者への慈しみを。」失念時のために私は、そんなふうなフレーズを寿文として置いてみる。

■8■情があるととても生き生きする。生気があるとは、情が溢れていて自分も周囲も生き生きと輝いていることなのかもしれない。ハウトゥーはないし、私自身の物言いが他の人と丸々重なるというのも胡散臭い。様々な遺伝子が時空重畳している日本人を、統一基準で操作しようと試みるのは単なる愚行だ。















 

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  • 2020.07.01 Wednesday
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