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音程という喩えと認識(2)…Dreamspell after 2013 (06)



■1■舞いや謡い(ダンスやソング)の美しさは、時間と空間に対する平衡感覚の素晴らしさとしても解される。それを共有できるのは、内にも外にも同じリズムが響くからだ。自らの身体各部が調和して動く時は心地良い。他者とも協和共振できるならば、時空を共有する感覚として生命の喜びを感じられる。

■2■疲れ果てて自信喪失の時などは、今日をするリズムに癒され元気づけられもする。しかしいつも心地よく感じられる人とだけ一緒にいれば未来は明るいというわけではない。不快を避けて自分と同じペース、タイミングの人達といると気楽だし安らぐが、変化や進化が生む冒険心や挑戦の未来がなくなる。

■3■楽な方ばかり選択しゆくと、同じ刺激はやがて感覚を鈍磨させる。世界は硬直していき、狭く貧しい道筋はやがて退屈な袋小路に落ちる。自らの限界を超えるための不協和は、より大きな協和の一部となり得る。そのために不協和を生む人がいてくれると考えることができる。全てのKINの最終的な平等。

■4■付和雷同的に他者と無理に協和共振したふりをしても、他者とは異なる特徴・特質・偏向性(アイデンティティ)を持って生まれ来た意味がない。理由もないまま偶然生まれてここにいるとも、自ら能動的に選択してきたかけがえのない今こことも、敢えて意識的に意味付けるならばどちらを選ぶだろう。

■5■世界観の好みの問題ではあるけれど、他の誰かと取り換えることのできない自分の歪みや欠点や嫌な部分すらも、他者との係わりにおいて相補的な意味と価値を生み得るという3次元RPGのゲーム。可視的で物質的な「紋章」と、不可視で精神的な「音程」の組み合わせからなるもう1つの自分の名前。

■6■「ダンスとダンサーをどう見分けるか」というパラドクス。それぞれ一方だけは見えないが、それでもどちらも1つの身体の動きとして見て取れる。「人の顔の上に造作・表情・人相・性(サガ)の違いを見分けられるか?」別個には見えないが、それでも重なった波として1つの顔の上に区別はできる。

■7■時の流れが多重に交差重畳している現今。昔の人では考えられない程、一生の間に何度も生きながら輪廻転生できるような、多くの時間、沢山の波がある。其々別個のものとしても認識できるが、本来より大きな1つのものの極大から極小までの波…時間質…を知り、時を芸術として生きていけるならば。














 

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  • 2020.07.01 Wednesday
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