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  • 2019.03.09 Saturday
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古層より湧き上がる神たち

 

■1■その多くの部分が今の神道に上書きされてしまった古層の神。縄文的思考とでも言うべき社会の在りようは、強力な中央集権的権力や冨の過剰な集中を敢えて避けて来たと思われる。西日本を中心として統一された国家の中でも、東日本側ではミシャクジに対する信仰や世界観は消え去ることがなかった。

 

■2■しかし権力の御膝元ともいえる西日本においては、それらは神道によって上書きされ尽され、僅かに境界の外に置かれた被差別の民や賤民視された職人や芸人の中に、心の拠り所としての宿神(シュクシン)への信仰心と共に存続してきた。特質の異なる東と西の中で、古層は連続して存在しているのだ。

 

■3■天皇制的な国家形成から、双分制と呼ばれる精神的中心と実務的中心の2つがうまくDNA螺旋のように機能して、時には2つの機能を1つに纏めようとする危機を何度か乗り越えてこの国は永らえてきた。しかし現今の我が国は、この双分制の精神的中心の側をないがしろにする危機的状況の中にある。

 

■4■政治と経済を主導していく権力と富が一部の人間にのみ集中して肥大し、正常な意識で国家が維持できなくなってきている現今、国家と言う権力から自由であったミシャクジ的世界観とその構造を、自らの内側から想起していくべき時なのではなかろうか。国の存続を否定はしないが、自由も手放さない。

 

■5■財産や土地の元々の所有権は何が補償するのだろう。国家のためなら個人の自由を制限することも可能だとする発想は何に依存するのだろう。それらが自然の中の「超越性」に求められるのでなければ、何らかの恣意的な一部の者に操作されるということになる。自らの内にある神に目を向ける時である。

 

■6■国家というものが未だ生まれていなかった頃からの思考や世界観もまた、現今の私たちに息づき残っている。そのルーツを辿れば縄文1万数千年や、それをさらに超えた旧石器時代からの、絶えざる脈質、カミ、霊性の流れであろう。それらを無視したような新しい世界観には注意と警戒が必要であろう。

 

■7■一神教的ともいえる単一化の統合という力学を眼前にして、私たちはその背後に自然をいまだに有しているとするならば、自然や個人を意のままに変化させ、制圧してねじ伏せるようなものの流れの成すがままにしては置けないだろう。多分内側からもその流れに抗う、懐かしい未知のカミが立ち上がる。

 

■8■それは日本限定のミシャクジだけではない、世界各地で新石器時代以降に順次塗り替えられていった世界観や言語・文化の蘇生なのかもしれない。眼前に見えている世界の背後にある、より原初的だがど今でも厳然として在る懐かしい空間と繋がり、自分が未だ知らない未自分でもあるカミとのカミアイ。

 

(※)画像は以下のページより借用、加工。http://www2s.biglobe.ne.jp/~t-ohashi/africa/greatz.html

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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