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神とヒトと人間と

 

■1■普通に言うところの神道への様々な研究や解釈に対しては敬意を払う。しかし個人的には現在の神道が形成される以前に興味がある。表現を変えれば、中央集権的に上書きされた神道ではなく、それ以前に各地の民間での信仰と、信仰されていたものへの興味だ。それは上書きの中にすら多々残っている。

 

■2■ヒトという言葉。それだけでは単なる言葉だが、折口信夫の言うマレヒトが稀なる訪問者が神として扱われもするし、また人間に扮した神そのものであるとも解釈できるように、神か人間かという西洋的二元論理から遠く離れて、神と人間とは容易に入れ替わるものだ。ヌース的にはもう1つ反転あろう。

 

■3■神と人間を対立項として、もしくは別の言い方をすれば人間と自然を、そして自己と他者を対立項として展開する論理そのものが、行き詰って久しい現代社会の元凶の大きな1つだ。神と人間が重なったり、入れ替わったりするヒトに私たちは成るのではないか。それを拒絶する者の自由すらも担保して。

 

■4■マレヒトは遥か遠くから神のメッセージを携えてやって来る。その流浪譚のみが古代では一人称だった。メッセンジャー自体が神と捉えられることもある。マレヒトは実在というより解釈概念だ。祭りと言う饗宴でもてはやされた後、神の世界に帰っていく。マレヒトのもてなしから日本の芸道は生まれた。

 

■5■日本の芸道は客をもてなすために生まれた。西洋的自我に侵された「俺が俺が」的な芸術の殆どはすかぽん!それが反転して「全てが、世界が俺だから、敬愛し慈しむべきものだ」まで行くと未来を示す何かが立ち上がる。しかしそれはすでに俺が俺がではない。それは今まだ必要だとしてもカッコ悪い。

 

 

   ■日本の伝統的芸道の最先端

 

 

■6■ちょっと余談ではあるけれど、ベビーメタルの新しいさは自我を前面に出したり、否定的な文言が一切ないところにもある。「キツネ神のお告げ」や「演奏中にキツネ様が降りる」等の未だ名もない新しい神への戯画設定を本気で信じてはいない。それでも神が降臨し道を示すという事まで否定はしない。

 

■7■あと半歩進めば、日本の伝統的芸道の最先端にいることも分かる。茶道・華道・香道等は明らかに客へのもてなしから生まれたし、河原乞食と卑しめられもした芸人たちも最大限の持て成しとして芸を磨いた。観客なき芸ごとは成立しない。その客全てをthe Oneと呼ぶ反転した新しい意味につい涙する。

 

■8■為政者に迎合したものはすべからく腐敗し始める。逆に殆ど誰も気付かないところでその操作や洗脳と戦っているものには大声援を送り続けたい。武器を取ったり相手を罵倒したりすることなく、新しい戦術や戦略によってレジスタンスのスタイルを貫いていると考えている。新しい神を降しているのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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