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ミシャクジの象徴を超えて

 

■1■ミシャグジの概念は多岐にわたり、また各地で様々なバリエーションがあるので簡単な定義や既存の概念では括れないが、取り敢えず現在の日本神話的な世界観以前から存在していた神という括りで、その信仰形態ではなくその全体性と拠ってくるものの本質に近いものを、一仮説として展開してみたい。

 

■2■ミシャクジや既存の神という目に見えないものを象徴するのに、よく蛇(海蛇や龍も含む)が用いられる。のたうち回る生命力やエネルギー流のイメージと解したりもするが、より根源的な神の元型の表象として、自らの心をも含む身体感覚、特に思考とは異なる内臓由来の情動や心象と重ね見てみよう。

 

■3■脊椎動物の身体を模式図で表すと内外2本の筒になる。内筒は口から肛門に続く消化管で内臓系を表し、外筒は脳脊髄を守る頭骨と脊柱を包む体壁系である。魚類は前端部分から左右側壁が欠けて、腸管の始まりである鰓腸(さいちょう)が露出する。私たち人間では口・耳・首筋の部分がこれに当たる。

 

■4■鼻と目は外筒の上前端に開くので元々は体壁系に由来するが、哺乳動物では鰓の筋肉が張り出してこれを覆う。つまり内臓の皮を被るのである。解剖学的に私たちの顔は、鰓腸が前方にせり出してきて露出したものだ。つまり形態学的に生まれつき私たちは自らの反転露出した内部を被っているのである。

 

 

■5■4億数千万年前のシルル紀の円口類は体の大半が鰓だった。その生き残りがヤツメウナギ。またナメクジウオより私たちに近いホヤの幼体は脊索と尾がある。この成体は一皮むけばほとんどが鰓腸腔だ。収縮運動により水と餌を取り込む感覚は私たちの中にも残っているであろう、実に根深いものである。

 

■6■人間の鰓腸は顎から下は随分退化しており、首のところで「くび」れて「のどぼとけ」に変形している。このあたりが声帯となり、またその振動そのものから共感から思考にまで至る「言葉」へと通じる部分でもあるので、文脈上「のど神」と称しても良いだろう。被り物は反転して内部にも通じている。

 

■7■現代の西洋医学的発想だと、目に見えない内臓もレントゲンやCTスキャンで生きたままその状態が見て取れるように思われやすいが、自分自身の実際の内臓感覚はそのように可視化された物質次元だけではないのではないか。切り開いて取り出した内臓は、いわば高次のものの3次元的な影とも解せる。

 

■8■胎児もまた然りだ。自らの受胎卵由来の分身のような胎盤を被って生まれた者は、普通の者とは異なり生命の本質的次元からの恩寵を持って出現したとする世界観がある。これはいわば1代限りの比喩的表現だが、私たち1人1人が何億年もの進化と反復をしてきた生命力場をこの身に内包させているのだ。

 

(※)『内臓とこころ』三木成夫は実に示唆に富む。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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