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ミシャグジと重なる山伏

 

■1■折口信夫の思想体系の中には「客人(まれびと)」という概念がある。その根底には異人を異界からの霊的存在もしくは神とする「まれびと信仰」が存在すると考えられているが、その延長線上の1つに「山伏」という存在があるのではないか。現今の定義で言えば、山中で修行する修験道の行者である。

 

■2■古来より日本では山岳は霊地として崇められていたが、奈良時代以降は神道や仏教や道教等の影響で、山野に起居して霊力を強めようとする験者が台頭した。それら修験道の行者は、平安中期頃から天台系の聖護院と真言系の醍醐寺三宝院を中心に組織され、山に伏して修行することから山伏といわれた。

 

■3■この説明は実に型にはまった辞書的な定義だが、神道や仏教や道教等と混交して修験道となる遥か以前から、この山伏もしくはそう呼ばれる前の存在は在った。神仏の支配や統治権力の及ばない山中を拠点とし、権力に支配されない自由の民。その技術や能力は、権力側に取り込まれた事もあっただろう。

 

■4■その者たちは山伏と呼ばれる以前は「日知り(ひしり)」と呼ばれ、天体の運行や、農業の種まきや水入れ時等も含めた暦など様々な知識を有し、独特の情報網も持っていた。彼らはお祭りや信仰や芸能などを携えて日本各地を巡っていた。中世には斎市開設の、市神の勧請行事にも山伏が関与していた。

 

■5■時代を降るとほかいびと(乞食)や流しの芸能者までが「まれびと」として扱われ、貴種流離譚を生む信仰母胎にもなった。漂泊・遍歴する人々は、定住状態にある人々とは異なり、鹿の皮衣、覆面、縄文時代以来の編衣(あみぎぬ)、壺装束、巫女の服装、桂女(かつらめ)等特有の被り物をしていた。

 

■6■ここで重要なのは山伏の在り方の中に残っている、日本人古来よりの自然との接し方、関わり方である。芸能は人々が自然と向かい合った時に生まれてきたものであり、職人の物造りは自然の中から豊かさを取り出す技だった。西日本ではそんな自然と直接繋がりを持つ者達が差別され闇に追いやられた。

 

■7■山伏の一部は朝鮮半島から渡来した鉱山関係者とも融合し、神道か仏教への所属を強要され、戦乱時には従軍祈祷師や間諜(後の忍者)として活躍し、その技能や知識を買われて時には傭兵にもなった。江戸時代には芸能や職人の技の鍛錬にも関与したが、明治維新では存在自体を非文明的だと否定された。

 

■8■様々な変転と存続の危機を経ながら、現在でもに山伏は奈良の吉野、和歌山の熊野、岐阜の白山、山形の羽黒山、福岡の英彦山等に存在する。今でも山は死の世界であり、通過儀式により赤子となり、産道を通って現世に生まれ変わる。到達点や完成形があるわけではなく、常に未知なる未来に進み行く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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