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肘折温泉の山伏とミシャグジ

        

 

■1■体調を崩して行けなかったが、今年の正月には肘折温泉に湯治気分で連泊しようと思っていた。肘折温泉は山奥深い月山の東側に位置する湯治場で、開湯は約1200年前と言われる。出羽三山登山口の1つであり、明治時代までは修験者や参拝客がこの地で沐浴をし、身を清めてから月山を目指したという。

 

■2■名前の由来は地蔵権現が崖から落ちて肘を折り、湧き出る温泉に浸したところ傷が癒えたからと言われている。しかし坂本大三郎氏は、この集落の名前は山伏の前身の「日知り(ヒジリ)」からきていると推測している。「ヒジ」という言葉のつく地名は、日知りの集落であったと柳田国男は考えていた。

 

■3■日知りとは日即ち暦を知り、天体の運行に長けていた自然の知識人を意味する言葉だった。日知りは大陸からの渡来人がもたらした仏教やこの地で成立した神道以前から、この日本列島に古くから存在していた、自然崇拝信仰の担い手だった。後に仏教者がこの名を奪って、自らを「聖」と呼ぶ様になる。

 

■4■湯治でも有名な肘折り温泉は、とても古くから山伏たちの活動を支え続けてきた。自然湧出の温泉は古代から心身を清める神聖なものと考えられており、湯で身を清めてから神仏の支配する山中へ送り出す風呂屋もまた、日知りのような人々の家業の1つだった。歴史ある温泉の多くは霊山の近くにある。

 

■5■学問の世界には「日本文化を知るためには山伏を理解しなければならない」という言葉がある。山伏は能や神楽や歌舞伎などの芸能の誕生や伝達に関わっており、また製鉄やその他の金属技術に長けており、医学や呪術も有していた。それらの技術や知識を持って政治の世界にも深く関わりを持っていた。

 

■6■信仰や芸能を携え武力を持つ人々を「山ぶし」や「野ぶし」と呼んだが、「武士」も元々はそこから生まれ出て来た。戦国時代は傭兵もしていたが、平和な江戸時代になると行き場を失い、無宿渡世を意味する「ゴロツキ」となった。また持っていた占いの技術を利用して博打を行う博徒になっていった。

 

■7■神仏以前から日本列島にあって、今でも私たちの生活の根底に流れているもの、もしくはそれを伝える文化の裏返りとしても、山伏とミシャグジは重なるところが大きいが、古くより絶えることなく湧き出でて人々を癒し続けてきた古湯もまた、日本の分化に通底する自然とのつながりを育み残している。

 

(※)坂本大三郎氏…千葉県生まれのイラストレーターだが、30歳の時山伏文化と出会い、現在は羽黒山で修行を続ける現役の山伏。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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