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「いただきます」すら「いただけない」

 

■根本的におかしいだろう!と言いたいニュースがまた今日も。新潟県の養鶏場と青森県の農場で鳥インフルエンザが検出された。それはそれだ。感情的に立腹しているのはその後の殺処分に対してだ。新潟の養鶏場で約310000羽の殺処分。県に要請して自衛隊も従事。青森でも16500羽のアヒルの殺処分を継続中。殺して埋めるのだ。

 

■感染の拡大が心配?風評被害が心配?…いやそれ以前に、根本的にいつも思うことは、なぜ当たり前のこととしてこの莫大な道連れ的殺処分を疑問なく遂行しているのだ?鶏もアヒルも何もしていないのに突然意味もなく殺される。敢えて人間中心主義的な発想から言っても、人間に食べられることすらなく消滅させてしまうシステム。

 

■他の生命を食することは残酷だなどと言うつもりは毛頭ない。日本人は食事の前に「いただきます」と言う。生きている命を感謝と共に己の血肉とすべく「いただく」。自他彼此の分別を超えて大いなる生命循環の一手段としての畜産や養殖も否定しない。世界中の1人1人の人間に突如襲い掛かる理不尽とつい重ねてみてしまう構造。

 

■1万や10万という数がどれだけ大きい数かは、それをただ数え始めてみればすぐに分かる。もちろん言いたいことは10羽や100羽なら良いという問題ではない。莫大な数の殺処分にかかる手間と費用をイメージすることはできるかもしれない。しかし問題はその殺される莫大な生命に対して想像力が働かないこと。恐ろしいことである。

 

■今の経済システムは最悪だなどと感情的に煽るつもりはないし、菜食主義的に肉食がいけないと糾弾するつもりもない。それはこういう間違いだとか、こうすべきだという類の主張はしないしできない。ただ、少しでもに現状に疑問を持ち、命の在りようを考え、自分自身とその周囲から少しずつでも変えていくための糧にはできよう。

 

■そしてこのようなニュースそのものの表れ方そのものにも疑問を持ってみることができる。このニュース1つを取ってみても、殺処分される生命たちに対して、普通の大人の感覚では理解し得ない深さで、同情し共感している子供や青少年の心があるはずだ。「いただきます」とすら口にできない「いただけない」話に怒悲すら感じる。


■そしてこのようなニュースそのものの表れ方自体にも疑問を持つことができる。このニュース1つを取ってみても、殺処分される生命たちに対して、普通の大人感覚では理解し得ない深いところで、同情し共感している子供や青少年の震える心があるはずだ。「いただきます」とすら口にできない「いただけない」話に怒悲すら感じる。


■犬猫やペットの殺処分や、いじめや、育児不能カップルや、自分自身の内なる片割れの囁きが聞こえずら知らずに虐待している状態やらともみんな繋がっているようにも思える。何十万羽もの殺処分のニュースを聞くとき、自分の中でも莫大な命の光が消えていく。それでも悲観的にならず、力強く未来への方向性を持って進む道を!

 

■じっくり考えられなくても、失速することなく、少しなりとも正対してみたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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  • 2017.08.12 Saturday
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