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千年温泉を巡るということ

 

■1■「人は同じ川に2度入ることはできない。」ヘラクレイトスの物言いだ。川は同じように流れているが、2度目に入る川の水は最初の水ではない。行く河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例なし。」こちらは鴨長明の『方丈記』の出だしである。

 

■2■実は変わりゆくということこそが良いと主張する哲学者のパラドキシカルな話のツカミや、諸行無常という概念を諦念の侘しさに染めた隠者の語り始めのトーンにも揺るぐことなくこう言おう。「人は同じ温泉に何度でも入ることができる。」同じものは何か?温泉の名前なのか。それともイメージや効能?持続するのは何だろう。

 

■3■天然の温泉は実にデリケートで、日によって湯音や湯量や温泉成分が変わったりする。色が何色にも変わることも珍しくない。地震や天変地異で泉質が変わったり、枯れてしまったり、また新しく湧出することもある。温泉天国である日本列島には千年温泉というものがある。千年かそれ以上昔から絶えず湧き続ける名湯のことだ。

 

■4■ブラジルにシャコペエンセというサッカーチームがある。コパ・スダメリカーナ決勝のためコロンビアに向かう途中、チャーター機が墜落して選手のほとんどが他界した。サッカー界ではクラブ再建のため所属選手をシャコペエンセに移籍させるという協力体制を打ち出すクラブが多数ある。ほぼ全取っ替えだがチームは存続する。

 

■5■ここまで極端でなくても、野球やサッカーなど、年を経て選手がみな変わってもチームは変わらない。何が変わらないのだろう。思い出?愛着?伝統?絶えることなく持続するものは何だろう。名前?共有する概念?抽象的な何らかの継続するカタチを私たちはそこに見る。千年を軽く超えて人間がに入り続けた同じ温泉のカタチ。

 

■6■泉質が変わったものあれば、名前が変わったものもある。次々に湧出しては溢れ出て流れ去る湯はまた、逆に千年以上前の湯と同じであるとも表現できる。確実に確認されるものだけでも、百十余の「千年温泉」が日本にはある。1000年1500年2000年もの間、枯れることなく湧き続けて人々を癒し治し続けてきた。積み重なる思い。

 

■7■古い温泉にはほぼ温泉神社や温泉寺がある。歴史があればよいという話ではない。どれだけ多くの人たちに有難がられ、実際に助けてきたことだろう。その地の磁場や湧出する温泉に、日本の歴史以上のものが積み重なり持続している。巡礼やお遍路のように千年温泉を巡ってその湯に浸かり、己が身にその継続するもので染める。

 

■8■古湯に残る日本的霊性やその地の精神性や生命力についての総体的研究はあまり聞いたことがない。病から立ち直り、また若返りを果たした者もいれば、湯治も虚しく死んでいった者もいよう。また子宝の湯という表現もあるが、湯の効能だけでなく実際の巡り合いや睦み合いもあっただろう。人間と温泉の千年二千年史を考える。

 

■9■頭で考えるだけでなく実際に全身で浸かり、この生命にそれを刻み込みに行く。ただし巡礼やお遍路のように信仰や使命感からの苦労や苦痛を味わうのではなく、湯に浸かった時のあの心地よさがそこにはある。そこに生き様を重ねに行くのではなく、そこから心地よい未知の力積を授かりに訪れるのだ。あと50余りが未湯である。

 

■10■50湯100湯とは言わないが、1湯2湯なりとこの千年温泉に共に浸かり、そのここで異なるその味わいを交流しながら、千年、二千年、それ以前から続く、日本人と温泉の関係や特異性について話し合うような機会がこれからもあるに違いない。そして私たちの心身や精神にこそ、その変わらないものがあると気づくのかも知れない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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  • 2017.12.09 Saturday
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