<< 7芒星と脳みそタリズマン | main | BABYMETAL 雑感-03 >>

顔・腸・心

 

■1■「心は顔に出る。精神は体に現れる。」心とは、精神とは何かという定義を厳密に示そうとすれば長文になるのでここでは省く。個々人によってもその意味は異なるけれど、その差異を否定することなく話を進めたい。顔は解剖学的には内臓頭蓋という。顔の筋肉と舌筋と心肺は元々呼吸を司っていたエラに由来する腸管内臓系だ。

 

■2■顔にはタイムスパンの異なる捉え方で言えば、造作と人相と感情が重なっている。瞬時の感情や一定期間の生き様の積相はもちろんだが、造作という遺伝的な基底形状もまた年齢や環境によって順次変化していく。顔のことを面(オモテ)と言う。これが表であるならば、裏はどこか?それは心の宿る高等生命体の源である腸管だ。

 

■3■表裏の界面に立つ。心は顔に表れる。しかし誰も自らの心は見ることができない。鏡や電子機器を介して見ても、それは他者や外部機器を通した視座の画像であり、自らの心そのものではない。しかし自分にとっての世界、自らの環界そのものを、腸内平滑筋のうねりわななきでもある心の反転したものとして捉えることができよう。

 

■4■自分が辛い時は世界も悲しく暗く見えると言うが、それは心象風景としてそう見えるのではなく、自分の心そのものがそのまま暗く悲しいのであって、それを観察している自分自身とそれを投影して見える世界というもののが別個に存在するわけではなく二而不二。主語と述語という記述が全てではない。心はあるが私のない世界。

 

■5■そのような捉え方や表現もあるという話であって、他の様々な世界観や表現を否定する必要はない。どちらもありだし、さらに未だ未知の捉え方も多々あるという姿勢で話を進めよう。腸は大きく3つに分かれている。入り口から喉元までの鰓(サイ)腸、それと対を成す泌尿・生殖に関する出口までの肛腸、そして暗く長い腹腸だ。

 

■6■心は顔に出ると表現したが、顔は生物としての長い歴史に加えて、その人の人格や品性から生き様までが表れる。俳優として演ずることはできても、生命そのものを演ずることはできない。憑くと表現されるようになり切ることはできるが、自分と環界のように、もしくはダンスとダンサーのように瞬時に区別することはできない。

 

■7■顔には視覚・聴覚・味覚・嗅覚が集約しており、また呼吸・食物摂取・言葉発声をする腸管の入り口もある。戦国時代や吸血鬼退治に首を切り落として絶命させ、かつその個体識別の元ともする。初見の人を背後からこんな顔の人なのだろうと予見することはできない。顔は常に過去と未来を内包する今この瞬間の心なのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


スポンサーサイト

  • 2020.07.01 Wednesday
  • -
  • 23:00
  • -
  • -
  • by スポンサードリンク

コメント
コメントする









calendar
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031     
<< August 2020 >>
sponsored links
selected entries
categories
archives
recent comment
recommend
profile
search this site.
others
mobile
qrcode
powered
無料ブログ作成サービス JUGEM