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暦がないのは良い暦

 

■1■ここに表明する必要もないけれど、しない必要もないので、どちらでもよいということで表明しておくことにするけれど、私は個人的には年末年始などの諸事諸挨拶とは殆どかかわりがない。もちろん他の人たちが年末年始の諸事をこなすことや、取り交わす挨拶にいちゃもんをつけるつもりは毛頭ない。

 

■2■1人きりになっていれば、個人的と世間一般という立て分けも無いわけで(もっと言えば1人きりですらないわけだけれど)、世間や社会の中で約束として使われている年月日や諸事との交差するところはほとんどない。他者と交差する時に、社会的約束として年末年始の挨拶をしてもそれは変わらない。

 

■3■夏至・冬至、春分・秋分や他の天体との合や衝はそれなりに意識を置くけれど、太陰暦とは全く関係のないグレゴリオ暦のクリスマスや12月31日や1月1日というものに、社会的共有の外に価値を見出していない。繰り返すがこれは否定ではなく、許容可能だがその暦の世界に価値を置かないということ。

 

■4■社会や世間から隔絶しているわけではないし、既存のものに対して不満や不快を表わしているわけでもない。状況が許されているからそう本意を表明しているだけだ。ここで一言だけ言いたいのは、人々や社会の中にいても1人きりの世界の意識の自由度を放下する必要はないということだ。

 

■5■社会や友人知人とのかかわりにおいて、自分は暦やそのほかの決めごとや約束事に縛られる必要はなく、むしろそれらを楽しみ選ぶ余裕を失念しなければ何の問題もない。さあそういうことで、私はこれから愚妻が用意するであろう年越し蕎麦を食い、雑煮やおせちを食うのである。いいとこどりである。

 

■6■ああしかし、甥っ子や姪っ子たちへのお年玉はこんな身勝手でひとりよがりの素晴らしさを話しても、セコくお年玉をくれない理由にすぎないと思われたくないから、やはりしっかり準備しなくては。新年会にも顔は出さなくては。まあいつでも人非人になることができるので、余裕で人間致しましょう。

 

■7■余裕がない時は余裕がないことを失念しなければよいのだが、失念しなければよいということを失念して、世間のしがらみや社会的なイベントに余裕を少しずつ削られるってのもいいなあ。「人々の中にいてもしっかり1人でいることも失わないこと、1人でいても人々と共にあることをわすれないこと」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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  • 2020.07.01 Wednesday
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