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「生きる」という天賦の才

 

■10■前世や来世は有ると言う者もいれば、無いと言う者もいる。設定文脈が異なる場合それは併存するし、さらに異なる文脈では前世や来世が想定不要な世界観もあるだろう。生命進化には地質学的な時間が絶対必要だとするのは偏執的発想だ。未顕現のまま保持されてきた遺伝子は環境激変で発現機能する。

 

■11■私達は誰もみな母親のお腹の中で生命進化を超早回しで追体験してきた。初めたなのに、自ら再演してきたのだ。「それは初めてなのか、2度目なのか?」という問いそのものは朴とつに過ぎる。忘却している記憶を想起すれば、それは今でもここにあるのか。これから私達は生まれて行くのではないか?

 

■12■前世や来世、輪廻転生という概念は、かつては何度も生まれ変わり行きつ戻りつしながら進化していく魂や生命というような概念だったが、現今では個人の一生の間にそれらが起こるしまた起こせる。生物進化も多重のスパンで畳重しており、何百万年何億年かけての進化もまた今この瞬間と重ねられる。

 

■13■論理的もの言いではないので比喩として表現するが、長い時間努力することでのみ、自分は変わることができる自分というイメージはもう古い。努力は人を裏切らないという物言いも、裏切るものだと言う反物言いも、そのコンテクストに身を置きさえすれば、矛盾対立しないまま自然に受けいれられる。

 

 

■14■天賦の才能を持って生まれていない者はいるのだろうか。まさに「生きている」という至高の才能。それに気付かずに努力する者もいるだろう。しかしその絶対的な才能を明確に自覚し、弛むことなく磨き上げ、進歩を怠らず開花し続ける表現にこそ、私達は賛辞を惜しまないのだ。嫉妬する余地はない。

 

■15■そこには普通の意味での自意識や自我はない。いや分を弁えてそこにいるとも言えよう。圧倒的な存在感で技を展開している力と形は何なのか。生命進化のベクトルとは何か。既存の言葉で新しい概念と結び付けるならば、それはミシャグジだ。界面にたたずむモノは双世界を知りつくして転がして行く。

 

■16■もはやミシャグジという概念表現も古く感じる。しかし神道の神々の前に既にいた、もしくは在った「神」とか「霊」とかいう言葉すら当てはめ切れないモノ。個人だけの様々な喜怒哀楽は、名付けられる前のそれと1つであればもはや大した意味がなくなる。だからこそ今それを味わい尽くしておこう。

 

■17■両生類アホロートルはかつて一度爬虫類だったので、その生命記憶を再度開花させられたのだが、人間もまたかつて一度もしくは複数度、人間ではないそれを超えたものに進化したことがあったのではないか。その生命記憶の回復とは、瞬間瞬間の意識ではなく1つの生命軌跡の全体との重畳ではないか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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  • 2017.05.24 Wednesday
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