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二元論とその超越

 

■1■二元論とは、世界やそこに生起する事象は相互に還元不可能な2つの基本的実体もしくは原理から構成されるとする概念のことだ。両性生殖や受胎細胞の分割などの生物学的戦略と同様に、人間が世界を認識する際も、数的把握の最も原初的な基本単位である「二分割」による数的把握がその基底にある。

 

■2■古代インドにおいては、意識の最も深い内側にある個の根源であるアートマンと、宇宙の根本原理であるアートマンの二元論だった。しかし小宇宙と大宇宙の照応観念を背景としたウパニシャッドの神秘主義的な直感により、アートマン=ブラフマン(梵我一如)として、一元論に還元されることになった。

 

■3■しかし仏教(特に禅仏教等)では、分別知(1)は悟りに到るための障害となるものとされ、そこにある知るものと知られるもの、相対的な主観・客観との対立を超越した真実の智慧である無分別知を立てている。識別・弁別する分別智に対して、それを超えた絶対的な智慧である。無知の知と一部通じる。

 

1)分別はブンベツと読むごみなどの仕分け等の意味ではなく、フンベツと読む仏教の分別知のこと。

 

■4■中国で発達した陰陽思想では、世界は陰と陽の2要素から成り立っているとした。ただし様々なものに対応付けられているこの2要素は必ずしも対立するのではなく、双方が互いに相補的であり、2つで1つの流動的調和を生むものとして捉えられる。一神教のような他方殲滅による一元化の発想はない。

 

■5■それに対して西洋の神学における二元論は、唯一神を根本に据えて、世界を常に対立する二元に弁別したものであり、一方に属するものは他方を隷属させたり殲滅したりすることを良しとする根拠となしている。それぞれの絶対神が異なれば、それを背景とした独善的世界観の元、互いに憎悪し戦い合う。

 

■6■異なるフェイズでは、精神と物質の関係に基づく心身二元論がある。最も有名なものはデカルトの実体二元論で、機械論的な存在である物質と、自由意志の担い手である思推実体を対置されていた。これに対して心も物質も根本的には同じとする一元論があった。現代の文脈では唯物論、物理主義がある。

 

■7■西洋の科学哲学においては、主に物事を主体と客体(観察者と被観察者)に分けて論じる方法を用いる。見るものと見られるもの、知るものと知られるもの、あるいは意識と物という枠組みの主客二元論である。しかし観察という行為自体が観察される現象に与えてしまうという、観察者効果問題もある。

 

■8■二元論的世界観とその論点には「主観と客観」「思考と対象」「意識と無意識」「自我と非自我」など様々な範疇の対構造があり、それらが互いに多岐に渡って入り組んだまま論じられることでより複雑なものになる可能性があり、科学的には二分法そのものに致命的な欠点が内在すると批判されている。

 

■9■大乗仏教の根本経典の『般若経』は、言語習慣に拘泥した主客対立の分別を徹底的に否定した。この否定に基づく智慧の立場が無分別智である。唯識説ではこれを根本無分別智と呼ぶ。その前段階の加行無分別智と、会得後に再び言語表現の世界へ帰還する後得無分別智も含め、二元論は克服されている。

 

)加行無分別智、(けぎょうむぶんべっち)後得無分別智(ごとくむぶんべっち)と読む。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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