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男女二而不二 in 日本

 

■1■戦後70年、明治維新以降150年。日本と言う国は、大和朝廷やその名でよばれる以前から、何度も分化や言語や人種や思考など様々な領域で塗り替えられようとしてきたけれど、それでもその通底には仏教や神道やミシャグジより古くから変わらない本質的なものが、絶えず流れ連なり来ているに違いない。

 

■2■何千年もかけて分別の最初の1歩である1と2を基底とした西洋の二元二値的な「論理」という大建築群を、それらをなんら破壊することもなく、わずか4文字で表す概念があっさりと通り抜ける。思考と理性が第一と考えるのではなく、それらも分を弁えればとても有益な力の1つであると捉えている。

 

■3■私たち人間の通常の認識の仕方は、世界に生起する諸々の事物や事象を自他・男女・老若・色心・生死・善悪・苦楽・美醜・正邪・白黒などのように、相対立する二つの枠で整理される。しかしそれらの二値・二元は片方のみで存在し持続しゆくことができない。裏があっての表、内があっての外である。

 

■4■人間の思考法は万物に対する分別、つまり言語化・概念化によって成り立っている。無思考の時、あるいは言語や概念による思考からはみ出した時、対はもはや単なる2つではないと分かる。仏教の「空(sunya)」とか持ちださなくても大丈夫だ。そのことを表した言葉が不二だ。関係論としての不二だ。

 

 

■5■仏教の初期には、男女の対とは仮の姿で男女不二なのだから、不男不女が真相だとする考え方が出た。ユダヤ教の天使と堕天使を連想させられる。しかし大乗仏教において、男も女もあってこその空という主張に大きくシフトした。中国の天台智擇蓮慄_敲原脾蕎紂戮如崙鷦不二・不二而二」と称した。

 

■6■「二而」と「不二」のピコ太郎の『PPAP』的合体である。しかも「色即是空」と「空即是色」のように、「二而不二」と「不二而二」の行って来いの往復である。不二は現世に対する積極的な意味を帯び、例えば男・女も4値の不可欠な2値として、徹底した現実肯定の男女不二論へと繋がっていく。

 

■7■分かり易いので男女を例にとれば、「男女不二」とは、「不男不女」ではなく、もちろん「万人両性具有」でもない。「男女二而不二」「男女不二而二」とは、プラトンが『饗宴』で語る「愛の起源」のように形而上学的ではなく、男女の愛欲・合体の当処にこそ男女不二の境地を見るということなのだ。

 

■8■未だ性差未顕現の子供も、老いて性的能力衰退の老者も、すべからく人間という「男女不二」なのである。もちろん不二は男女不二に限らない。「二而不二」とは一も二も否定することなく内包しつつそれをはみ出し、超えていくのである。東洋のあるいは日本の地勢と精神風土で本当に良かったと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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  • 2017.07.18 Tuesday
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