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『GHOST IN THE SHELL』を観た

 

(140字ごとのスタンザに纏める時間がないので、思いついたまま垂れ流し的に感想などを記しておく。)

 

■スカーレット・ヨハンソン主演の『GHOST IN THE SHELL』を観て来た。個人的にはほぼ満点の高ポイント。『攻殻機動隊』の色々なアニメ作品、少なくともアニメ版の『GHOST IN THE SHELL』を観ている人にはとてもお勧め。

 

■先ず『攻殻機動隊』という作品を知らないで見るのと、知っている者が見るのとでも大きな違い(私の表現で言えば勿体なさとか贅沢度の違い)があると思う。アニメ版を知らない人にはどうかなと思っていたけれど、余り良く知らない愚妻が面白かったというのだから、映画としてもやはり実によくできている。

 

■何本もある24回分のアニメシリーズを今から見るのは大変だろうから、とりあえず押井守さんの映画版『GHOST IN THE SHELL』を見たことがあれば、この実写版がどれだけリスペクトして作られたかが見て取れるかと思う。

 

■逆に中途半端な前知識が一切ない方がいいかも知れない。そして後知識で楽しむというのも一つ賢い方法になり得るかも。中途半端に仕込んだ知識や半端なネタバレとかで台無しにしてしまうのは、よくあるパターン(当社比…笑)だし。

 

       

 

■オリジナルなアニメにより世界観を構築したのは押井守さんで、1996年の映画版で独自の解釈と演出や見せ方等も含めて世界に衝撃を与えて、『マトリクス』のウシャウスキー姉妹や、ジェームス・キャメロンなどに多大な影響をあたえた。

 

■テクノロジー絶賛の話でもなければ、全否定の話でもなく、混沌とした未来観のなかで、『ブレードランナー』をはじめとする暗めで雑然とした埃まみれですらある都市などの悲観色の強い未来観に対して、それを踏まえつつ明るい道筋をも否定しない新しさがあるかと捉えている。

 

■私が先ず感じるのは、この原作に対するとてつもないリスペクト。ハリウッド版『ゴジラ』にも感じられたあのオリジナルに対するオマージュこみの思い入れと敬愛どころではない入れ込みようとその完成度の高さ。

 

■日本版の『シン・ゴジラ』などでもそうだけれど、諸説紛々のリアクションがあってしかるべきと思う。有名なアニメの実写版映画はこれまでほとんどの作品がボロカスだったが、これはある意味原作を超えようとしているレベルで凄い。

 

■しかし初見の者でも、様々な哲学的自問や、自らがここに生きていて、自分とは何か、世界とは、他者とのかかわりは、意識は、自由とは…などと様々にちりばめられたテーマから、自分なりに掬い取って考え論じることができるような造りにはなっている。

 

■難しいことは置いといて楽しみたいという人にとっても、実によくできた作品で(さすがハリウッド)、スカーレット・ヨハンソンがとにかく演技が上手い(脳以外すべていわば機械のサイボーグであり、その身体感覚のなさやずれもなりきりで演技していることも凄い)し、何よりチョー可愛い。

 

     

 

■画像、ちっさいけど、比較するために並べてみた。髪の色や長さ、メイク、衣装その他によって、スカーレットを知らないまま別個に見せられたら、同一人物とはなかなか分からない。

 

■多分、…多分だけれど、白人に限らず外国人は今の日本人的な衣装や化粧や言葉の使い方をすれば、(少なくとも日本人の多くには、そして)世界的にもより好ましく映るのではなかろうか。少なくとも俳優(特に女優?)は幅が広がると思う。でもまあこれも勝手な妄想かもしれないけれど(笑)。


■この世界観においては、見えない世界にも(少なくとも)もう1つ、電脳世界と一言で括っただけで分かったつもりになりがちな領域の未来と今についても、想像しなくてはならない世界観。実はこの身体での世界の見え方や捉え方そのものに対する自問まで辿り着けそうな作品でもありそう。自問であって答はないけれど。

 

■つまり環界が見えている者も、見えていると思い込んでいるだけで、人間がもしくは自分だけが「見ている」つもりになっていて、このままではそれを「見ている」と捉えるしかない現状の世界観の、その外に出るという発想、出口の発見の可能性、しいて言えば人間型ゲシュタルトを超えるための意識(ゴースト)自体の自覚と変容…自問と自分超えのイメージができるか…みたいな。

 

    

 

■オリジナルのマンガは士郎正宗による1989年に連載開始で、今でも通用する先取りした内容だった。その頃は大友克洋さんの『アキラ』や、宮崎駿さんの『風の谷のナウシカ』の原作のマンガが連載(したり休載したり)の真っ最中だから、やはりその頃の世代的時代的な熱やエネルギーの1つとも捉えられる。

 

■ビートたけしがいい味出している(^^)。電脳世界だから、何語でしゃべってもそのまま離れていてもテレパシーみたいにテクノロジー的処理で理解し合えるという設定を逆手にとって、セリフを日本語のままでしゃべっていた。たけしが英語のセリフを覚えるのが大変だと思ったらしく、逆手に取ったらしいが、上手い演出だ。

 

■今回の映画は押井さんの「攻殻機動隊」から(海外の人なら当然だけれど)入って、原作者を知り、また日本人でもついていけない人がいる「イノセント」まで含めて物凄くリスペクトしていて、画面やエピソードは丁寧にアニメの「攻殻機動隊」をなぞりつつ、素子(と言うより話の中では少佐)の内面にも踏み込んだオリジナリティがある作品になっている。

 

■また世界中の都市や風景を撮ったものの上にCG画像で、もはや原型をとどめていないほどの画像処理の上書きが背景になっていたりする。明らかに士郎正宗さんのオリジナルも、押井守さんの元型も意識しつつのオリジナルと捉えた方がいいと思う。

 

■これまでにも何度もあった、ハリウッド映画がアジア系の役を白人化するということに対して、大きな反感を抱いているとして、スカーレット・ヨハンソンをアジア系女優に置き換えることを求める署名活動などの件もあるそうだけれど、スカーレットの演技とこの作品の出来からすると、そのような意見を尊重はするけれど、個人的にはノー問題。

 

■作品そのものが現行の人種や国家のレベルを超えようとしている電脳世界を扱っているので、そこに人種問題を持ち込むことは、映画の内容そのものとはまた別問題だということかな。ちゃんと重要なところで桃井かおりも出ているし。

 

■例えば黒木メイサを少佐にしても、アクシヨンも役に対するのめり込みや役作りも、残念ながら西洋系の役者・俳優に比べるとかなり劣るのではないかと思う。むしろ良くスカーレット・ヨハンソンをめっけてくれたなーと思う。

 

■少し猫背で、姿勢も良くないシーンとかもあるんだけれど、途中でこれも身体感覚のずれの演技だと分かり、スカーレットがどれだけ役に入り込んでいるかの一端が分かった気がする。

 

■素子の内面をこれまでのアニメ作品は敢えて表に出さず、クールな中の孤独みたいな表現をしていたんだけれど、実写版の映画ではその内面的な特異性が1つ扱われていて、それも新鮮ではあった。

 

■シリーズ化の可能性は大きい。9課のメンツとかしっかり作られていたし(女性が一人盛られていたけれど)、この作品もなってほしくないけれど、なってほしくもある。せっかく『バイオハザード』シリーズが完結して安心したというのに(笑)。

 

■日本語版だと、オリジナルの声優がやっていて、それはそれでいいらしいです。でもせっかくのスカ・ヨハの声が吹き替えられると…。ということで、吹き替えと英語版と両方を同日に見たご夫婦もいるそうな。とにかく、攻殻なんだけど、ベツモノとして見る辺りが、意外とオイシイ(もしくはヒガイが好きない…笑)スタンスかも知れない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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