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ソビエト連邦暦

   1930年のソビエト連邦のカレンダー。wikipediaより。

 

■1■第一次世界大戦中のロシアで1917年に2月革命が勃発し、ロマノフ朝による帝政ロシア帝国が崩壊して臨時政府が作られた。同じ年、首都ペトログラードで10月革命が起こり、左派勢力ボリシェヴィキにより臨時政府が倒されロシア内戦が始まり、1922年に史上初の共産主義国家ソビエト連邦が誕生した。

 

■2■ロシア正教会はグレゴリオ暦を採用せず、ずっとユリウス暦を使っていた。そのために1582年のグレゴリオ暦改暦時に、10日間を飛ばして春分の日を合わせるという操作がないまま、この時点では13日のずれが生じていた。従って1917年の2つのロシア革命とは、正確な暦では3月革命と11月革命となる。

 

■3■ロシア革命直後、レーニンは1918年2月1日〜13日の日付を飛ばすことで、ユリウス暦からグレゴリオ暦への改暦を行った。さらにレーニンの死後、ヨシフ・スターリンによる独裁体制が強化される中、ソビエト連邦政府は1929年10月1日に新たな暦を採用することにした。これがソビエト連邦暦である。

 

   1933年のソビエト連邦カレンダー。wikipediaより。

 

■4■グレゴリオ暦の1月〜12月をそのまま残した上で、宗教抑制の目的で7日の曜日は廃止され、5日周期の週を採用した。日曜休日も廃止されて、黄曜日、桃曜日、赤曜日、紫曜日、緑曜日と色付けされた5曜日となった。整理・改変された国民共通の休日の他に、国民全員に休日の曜日が割り当てられた。

 

■5■7日周期を5日周期にすることで国民の休日を増やし、どの日も生産設備が完全に停止することなく、80%の労働力で生産効率を上げるという目算だった。しかし工場の機械整備の休止がなくなり、故障が頻発した。また休日が家族内でも一致せずに社会生活に支障が出て、この暦法は大変に不評だった。

 

■6■1931年、ソビエト政府は不評だった週5日制のソビエト連邦暦に週6日制を導入し、12月1日から実施した。家庭内の休日不一致を改めるために毎月第6日、第12日、第18日、第24日、第30日を国民共通の休息日とし、第31日は労働日とした。曜日の名称は第1日〜第6日と単純化され、31日は無曜日とした。

 

   血の日曜日事件、『マナペディアmanapedia』より借用、加工。

 

■7■レーニンは「宗教はアヘンだ」と言い、政府は社会主義化の一環として暦の上からも宗教色(特に1週間のサイクル)を排そうと努めた。しかし週6日制は休日が多いにもかかわらず不評は続いた。結局政府は最終的にソビエト連邦暦の廃棄を決定し、1940年にグレゴリオ暦による週7日制へと一本化した。

■8■結局暦の力は宗教やドグマより強かったということだ。暦は人間のものではあるが、12−60進法や1週間7日のサイクルなど、主義主張によって簡単に変え難いより大きな天体の運行や生命周期があり、それを否定するのではなく受容した上で、より使いやすい暦を模索していく必要があるということだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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