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アボブでなくビロウな話

画像は『THECOOLIST』 http://www.thecoolist.com/earth-from-below-by-stephen-alvarez/ より借用。

 

■1■今月初頭から膝が痛くてずっと曲げることができなかった。ここ数日、ようやく180度から160度、140度という感じて曲げることができてきて、今日はようやく90度まで曲げることができるようになった。もちろん関節本来の複雑な捻じれや回転自在な動きにまでは、いましばらくの時間が掛かるだろう。

 

■2■尾籠(びろう…or below)な話で申し訳ないけれど、今月頭からずっとトイレに行っても膝が曲がらないので、小用はできても大用はできないままだった。個人的にはほとんど常に快食快便なので、便秘系の悩みは一切なかったのだけど、大用スタイルに近づけると痛みで体が自己強勢便秘になっていた。

 

■3■昔は「居ても立ってもいられなければ中腰になっていればいい」などと、人の苦しみを知らぬまま放言していたけれど、今日8日目にしてようやく痛みの不随意筋関所がフリーになり、よく便秘薬のCMなどで「スルスルっとでました」とか言うように、出国規制の廃棄物たちを自然に返すことができた。

 

■4■8日間分だからどれだけのボリュームなのだろうと、ちょっと個人史最大量の期待をしていたけれど、フツーにいつもの1日分より少なかった。いつもであればの8日分は一体どこにいってしまったのだろう?小用対象物なら、再度血管に戻しての濃縮還元はあろうが、大用対象物は濃縮って無理だよね?

 

■5■不思議なので8日目にして初めて体重計に乗ってみたら、いつもと全く同じだった。身体は不思議だ。たまに故障して動けない時とか、痛みを抑えつつ足を引きずって歩くときなどに、人間はなんと美しく歩き動くのだろうと感動的に思う。自らの身体は反転した自然で、内外の界面が私なのだと考える。

 

■6■環界という自分の外界の少なくとも自分の知覚認識できる範囲は、自分の内側の自然が反転した自然と等価であると捉えている。もちろん自らの知り得ぬ自然も存在するけれど。自我とか自己というものは、今はその内と外の反転するめくれあがりの片面だと意識してみている。でも大用対象物はどこへ?

 

■7■アセンションとか次元上昇とか、わざわざこちらから上がっていく話より、そっちがこっちにディセンションしてこいやと不遜に思っている私ではあるが、upに対してはdown、overに対してはunderが対義語なように、belowの対義語はaboveであることを付け加えて、上や下にも色々あることを示し残そう。

 

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p.s.正4面体の2面角である70.5度まで膝が曲がるようになったら、もうこっちのものだ。単純ではないけれど、バレーボールのスパイクやサッカーのシュートの時の関節の基本角度は70.5度で、ためを作ってからボールにインパクトを加えると考えているのだが、補角の109.5度が作れれば3次元が回復できる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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  • 2017.12.09 Saturday
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