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自己を自己る自己について

 

■1■心理学用語で「メタ意識」と言うものがある。それは自分が意識していることを意識する能力のことだ。この能力には言語が必要だ。私たちは起きている間中、自分に生起していることを自分に説明している。意識的に言語化しないよう努めることで逆にそれが分かる程に、それは無意識的になされている。

 

■2■周囲の光景や天候から体内の快不快まで、取るに足らぬ気分から超越的な着想まで、四六時中頭の中で自分自身に言語化して語りかけ、そしてそれを思考の流れとして聞き取り、再認識している。話しかけているのは誰なのだろう。それが自分なら聞いているのは誰なのか。そもそも自分とは誰なのか?

 

■3■心理学者ジュリアン・ジェインズは『神々の沈黙』の中で、このような私たちの「意識」を人間は数千年前まで持っておらず、自分の心の中で聞こえる声を、自分ではなく神や超越者の声として捉えていたと主張している。彼の言う「二分心」は2つの部屋からなり、聞くことはすなわち従うことであった。

 

■4■ジェインズはこの「二分心」が、社会生活の中で発達した言語と比喩によって人間が「意識」を持つようになって衰退したと論じる。脳内の神託が消え去り、外での神託や偶像崇拝も廃れる一方、人間は認知力が爆発的に向上し、「自己」を築き上げるようになり、情動から感情が生まれ出たとしている。

 

■5■この二分心に似た幻聴については統合失調症において研究されている。統合失調症にも様々あるが、幻聴を自己の発するものと認識できずに、それを外部からの声・他者の声と認識するのだ。健常人の幻聴もしかりだ。しかし脳をスキャンすると、その声が自分の頭の中で生じるものであることが分かる。

 

 

■6■かつては神・天使・悪魔・守護霊・先祖霊などとして捉えていた、その自分のものとは思えない頭の中の声や言葉を、現在ならば宇宙人・未来人・妖怪・地底人などとも捉えている。そこから半歩進もう。その声を聞いている「自己」は発声主と本当に別なのか?いわゆる自己の中の自己他者問題である。

 

■7■言葉と象徴は、感じたり考えたりしたことを他者に示す時に役立つ。そしてそれは自分自身に対してもなしているのだ。自分自身に話しかけている時、自らが作り出した象徴の自己なのだ。自己他者問題では他者を象徴的に表現するが、ここでは象徴による第2の自己の存在が、最初の自己を変えるのだ。

 

■8■単なる二元の自己ではない。統合失調症の幻聴であろうと、健常者が自らの心の中で自らの内外の世界を自分自身に説明している言葉と象徴であろうと、それによって脳内の化学的物理的構造がリアルで変わることが明らかになってきている。現代版の「二分心」はまさに自己再帰的なニ而不二なのである。

 

■9■ルネ・デカルトの「私は考える、ゆえに私はある(Je pense, donc je suis.)」の私・自己そのものについての更なる考察が必要なのだ。自らが考えていると考えている文言や言い回しはどこからやってくるのだろう?それらは自らに絶えず為している説明や幻聴と、どのように異なっているのだろう。

 

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(※)ちなみに私は何か尋常でない情報や聞こえたり、見えたりすると言うような超常的な経験も能力もない。肯定的な意味での幻聴・幻視能力がないということ。それらに関しては、誰でも可能だと考えるが、能動的にできる人、受動的になされる人、不要な人と、そして不要な時期があると考える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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