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ひとりよがりの王国を超えて吾と汝

 

■1■真冬の夜中に知人が尋ねて来て、急いでいるのでと玄関口で用件を述べる。外はしんしんと冷えていて、吐く息が白い。彼はずっと外を歩いてきたので、外気に慣れてしまっている。私は寒くてたまらないが、それを伝える隙間もなく話は続く。私の寒さと彼の外気に慣れた体感を同時に体験はできない。

 

■2■電車の中で女の子がCDを聞いている。ベッドフォーンからはリズムセクションだけがシャカシャカと漏れてくる。ヘッドフォーンから音楽を聴きながら、同時に外に漏れ聞こえているシャカシャカした音を聞くことは誰にもできない。外気経由と骨伝導の自分の声すらも、同時に聞き分けられないのだ。

 

■3■街中で携帯電話を使って大声で話す者は、自分の声の大きさを知らない。貧乏揺すりをしている者は、傍にいる者の不快感には気づかない。タバコ飲みの多くはタバコを吸わない者の不快感を思いやるよりも、自らの禁断症状からの解放を選択する。私たちは永久に他者の気持ちは分からないのだろうか。

 

■4■知らないということを知らないと知っていると思う。知らないことは不幸ではない。知らないということを知れと言うのは理不尽なパラドクスだ。しかし他者の気持ちに一切注意を向けることなく、注意されてそれに気づくまでの自らの快感や平穏は、不可侵特権だとする姑息さを自分に許さないように。

 

■5■みなひとりよがりの王国に住んでいる。生物学的な意味での単体はある。その幻の王国を否定するわけではない。しかしその国民がその国の主たる自分1人だけだと知った後、それでもなおその幻に籠らないこと。せめて国境を意識しよう。国境の外部によりその幻想の別名である「自己」があるのだから。

 

■6■国境付近の調査も大切だ。幻想の国境界隈には、よく未確認飛行物体や未確認生物や、幽霊や妖怪が立ち現れる。時には神もどきや悪魔もどきに姿を変えた、自己もどきが徘徊するのを目撃するだろう。自己が自己もどきと出会った時、もどきは歪んだ鏡像だと知る。自己も幻影だと知るまであと半歩だ。

 

■7■あと半歩、国境の外に足を踏み出すこと。薄膜の霧のような国境の外にこそ他者がいる。自己と他者の初めての出会い。あなたとわたし。50音図の最初と最後。もしくは5行ずつに折り畳めば吾と汝。単細胞生物の、もしくあるいは多細胞生物の内と外は繋がっており、より大きな「私」の一部でもあると知る。

 

■8■あなたと私の差異は、それ以外が全て同じだということの裏返しだ。あなたと私の決定的な視座の差異は、絶望ではなくむしろ恩寵である。あなたと私の決定的な視座の差異の間にこそ、次元垂上方向のヒントがある。問題はこの2つの異なるものの間にこそある。リバーシブルであるとする視座の獲得。

 

■9■同じであることに慈しみを感じ、違いがあることを祝福と感じる心のベクトル。同じは素晴らしく、異なることはさらに素晴らしい。その2つを共に見る時、幻想の自己の中で目覚める「私」がいるのではなかろうか。幻想とは言え、国境越えはある種の反転でもある。再度反転して王国に戻ってみよう。

 

■10■ひとりよがりの王国は居心地が良い。様々なことを忘却する。しかし記憶力や想像力もある。憎悪や悲哀を感じもするが、慈愛や至福もある。彼の凍え切った手を取る私の手は温かいだろう。騒音も煙草の煙も、笑顔で差異を伝えられる。忘れても思い出し、また忘れても思い出すであろう大きな「私」。


ひとりよがりの王国を超えて(1)

2006.06.16 Friday /rewritten & replaced on 2018.03.11 Sunday

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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