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  • 2024.01.09 Tuesday
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あたりには 暴風なみの 秋波かな



■喫茶店で隣りに座ったカップルの会話が、分煙していない店のタバコの煙のように、いやでも耳に入ってくる。女の子の声がどうにも不快感を与える。声の質や話し方はもちろんだが、何と言うか意識の佇まいがすっきりしていないのだ。相方の青年は口数は少ないが優しい声をしている。女の子の声も時々ふと優しさを孕むことがある。垣間見る人間関係の妙とでもいうところだろうか。

■さてその隣の女の子だが、話し声はふてぶてしいほど低く投げやりなのだが、笑い声は癇に障るほど奇妙に甲高い。多分多くの人にとって生理的に不快。人の顔の上に造作・人相・感情などタイムスパンの異なった要素を同時に、また時には別々に認識することができるが、声の上にも固有の波形をなす声の質、生きてきた姿勢を表わす調子、その時々の曇りや冴えなどがそれぞれ聞き取れる。

■他者の意識との干渉パターンが調和波形となるか不協和音と響くかの違いは、喩えを超えて実際に脳を直撃する。声は暴力にもなれば、癒しにもなる。自分の見た目に磨きをかけるのであれば、声にも少しく自意識を持ってほしいものだ。笑い方は意識すれば変えられる。声には3次元以上の次元が確かにある。内面と外面の双方に響く。いやその双方のあわいを走るものなのかもしれない。

■声仏事を為す。仏教では世界を色法と心法にたて分けた上で、色心不二へと話を落とす。ありていに言えば色法とは目に見える世界の物質存在に当たり、心法とは目に見えない精神世界に相当する。声は目に見えず心を表すけれど、仏教的には色法に分類されている。身体や物質と同じ目に見えるもの扱いなのだ。目を閉じて耳に集中すれば、視覚に惑わされないその響きが生命を見せている。

■日本のアニメーションは世界で高く評価されているが、それに命を吹き込むのは、音楽監督の度量を超えてまずは声優である。キャスティングで客寄せに有名人を引っ張ってきて作品全体を台無しにするようなことも少なくない。声は万物に命を吹き込むこともできる。声には色があり、艶を持ち、輝きがあって、表情豊か…などと入っても、喩えとしてではなく直接的にその意味は充分通じる。

■人間の声は最古の楽器でもある。声帯模写のように声色を真似ることはできても、その人固有の響きや輝きまでは複製できない。難しい話をする人でも、言っていることはよく分からないがこの人そのものは信じられるという感覚はある。逆に優しく誠実そうに見えるのに、声の中に二心があるように感じることもある。分かれた後でもずっと心に響く声もある。自分のかけがえのない楽器を気持ちよく奏でたい。

■…ああ、また思考の巡りを一気に吹き飛ばす高笑いだ。ポジティブに話が抜けられない。今日は完敗である。恐るべし、普通の女の子。

豚車 走れまばゆき 青空へ



■友人宅で夜を明かし、帰宅すべくに西国分寺から電車に乗った。中央線は早朝なのに通勤通学客が少なくないので座れそうにない。しかたなく東京よりへとホームを歩いて行くと、なぜか先頭車両は空いていた。そこに乗り込んでうつらうつらしていると電車は出発した。この車両だけ座席が空いているのがちょっと妙だなと睡眠不足の頭で思った。窓を見ると「女性専用車両」と書いてあった。

■国分寺に到着する。足早にその車両を飛び出て2両目に移動する。地下鉄などでも見かけたことがあったが乗り込んだのは初めてだった。混んで座れないまま隣の女性専用車両について考えてみた。「女性が安心して乗れるため」の措置だと思うが、これは「現実的に必要になってしまったシステム」でありサービスではない。そこの車両から追い出された男性側から見れば「逆差別」という見方もある。

■後日調べてみると歴史は思ったより古く、初登場は1912年の「婦人専用電車」である。これは男女の学生が同一車両に乗るのは好ましくないという当時の思想によるものだが、短期間で廃止となった。また終戦直後の電車は混雑が激しく、女性や子供が乗車困難な路線にも導入された。しかし1973年には「男女平等ではない」等の理由で再度廃止されて、代わりに「シルバーシート」が設置された。

■別の友人が最近車内で不快な思いをしたという。女性専用車両を戯れに家畜収容車、豚車と表現しつつも、それに乗らざるを得ない彼女のことを思うと、我が心穏やかならずである。1990年代後半、治安の悪化につれて、痴漢や盗撮などの性的犯罪が増加した。やむなく女性専用車両を試験導入したところ、肯定的な意見多数。そこで混雑路線を抱える鉄道各社は今世紀初頭から本格導入を開始した。

■「一般車両に乗る女性は、性犯罪を肯定している」という穿ち過ぎた意見もある。そのような愚見には正面から意義を申し上げる。しかし利用者自体の車内モラル欠如の問題もあるだろう。寝坊者の「朝化粧」などによる異臭の撒き散らし等を指摘する者もいる。関西方面ではこの車両導入は早く、また普及度も高かった。素晴らしいと思ったけれど、裏を返せばより事件が多かったからなのか。

■行政の都合である場所から駆逐されるとしても、ホームレスたちは消滅するわけではない。どこか別のところで生きていかざるを得ない。私は決してそれを肯首するつもりはないが、女性専用車両の出現で閉塞されてしまった正常でない性的欲望たちは何処に流れていくのだろう。地下に潜りさらに拡散しても、消滅するわけではないのである。その鈍色をした曇天の心にすらも青空の見えることのあれ。

■「過ぎた事はさっさと忘れ、嫌な事を思い出させることはないだろう。ほとんど私の日常生活とは交差しない現実ではないか」と言ってあっさりスルーできない自分がいる。実はあの朝先頭車両に乗り込んでしまった私は、自ら背を向けてトンズラすることもできず、かと言って叩き出されもせずに、今でもあの女性専用車両もしくは「豚車」に乗ったままなのかも知れない。まだ寝入るな、寝入るな私。

逆冷えや 路上転がる 猫のひげ



■4月28日、今日はうちにいるキャッツらの誕生日だ。今日でちょうど地球の人間的に表現すれば3歳となる。2003年5月某日、大阪と京都の間にあるとある有名塾講師Sさん宅に猫を見に行き、1匹だけのつもりでいたけれど強く勧められたので2匹をセットでお持ち帰りとなった。母親猫が育児放棄したので、Sさんがまだ自分でミルクを飲めない仔猫たちにスポイトで与えていた。

■6匹の兄弟のうちの2匹が、今我が家にいるデルピエ郎とみかんである。ジャスト手のひらサイズだったものが、今では4キロと5キロとなった。親バカな人でもこれほど毎日沢山の画像を撮らないだろうというほどデジカメで日々撮りまくって現在にいたる。これだけ密な関係なのだから、前世とかスピリチュアルなどというものを持ち出さなくても、きっと深い繋がりがあるのだろうな。

■物心付いた時から身の回りには常に猫がいた。なぜかいつも真っ白な猫だった。母はみな私が拾ってきたものだと回想する。私の記憶には拾った覚えはない。ただ生活の場のそこにいたのだ。しかし犬たちも含めて彼らはどれだけ私の生命振動を豊かにしてくれてきたことか。今となっては計り知れない。周囲にいてくれた人間達へと同様、猫たちにも感謝の気持ちを決して忘れることはない。

■人間の食糧事情も今ほど豊かではなかった当時の猫は、いわゆる猫マンマや魚の骨などしか与えられていなかった。外で自らも色々調達していたのだろう。猫たちは順次、数年もしないうちに姿を消していった。当時は自分の死ぬところを決して見せないと言われていた。子供心にああそういうものか、象の墓場のようにどこかこの世の次元の縁とかに猫の墓場もあるのだろうと想像していた。

■今朝も資源ごみの類を数十メートル離れた指定の場所に出しに行った帰り、黒いチビ猫ロナウジーニョと薄ベージュの仔猫のデコがうろうろしていた。登校中の高校生カップルが声をかけている。私は5階まで駆け戻り、魚の残りとキャットフードを袋に入れるとまた駆け下りて、隠れ家のようになっている建物の裏に置いた。1匹がすぐに食べている。野良猫の寿命は今でも2〜3年とか。

■昔も今も猫に対してつい敬語を使う。決してわざとではないし、こちらの身分が下だの上だのという心根からでもない。そういえばよく子供に対しても敬語を使う。子供の頃の万物に対する謙虚さを思い出す。外見はどんどん変わっていくけれど、私はいつまでも本当に子供の頃のままだ。誕生日おめでとう、デルピー&みかん。誕生おめでとう「今日」と言う日。誕生おめでとう、今日の私、今日の世界。

あなたと私の当たり前のずれを超えて



■私の当たり前は他者の当たり前ではない。他者の当たり前が私の当たり前ではない。こんな当たり前のことが、当たり前とは言えないくらい私の意識がずれてきていることを、よく痛感させられる。火星や金星の公転周期や、正4面体の2面角や、月の公転・自転周期や、ピュタゴラスの定理と12−60進法の関係や、金・銀・銅の原子番号などを知っていないことが当たり前なことをつい失念してしまう。

■そんなことは確かに知らなくても生活はできるし、ちょっと調べればすぐ分かることだ。専門的なことですら、ネット検索すれば、最先端の知識は手に入る。それより自活し、家族を持ち、子を育て、人々を愛し、衣食住の向上を目指し、約束をたがえず、趣味と娯楽を程よくこなすような、人間として当たり前のことができていない私の方が、当たり前ゾーンから妙な方向にはみ出し外れている。

■互いの当たり前の間の違いを認識せずになされるコミュニケーションはかなり不毛だ。互いの存在を尊重しあっていてすらも、それらの価値観・人生観・宇宙論などに接点がなければ、戦争こそしないけれど共に力を合わせての平和には向かえない。感情がなければ活力は生まれない。しかし知性が活性化されなければ、自由意志は共鳴の場を持たない。理想も現実のギャップを認め合う当たり前。

■「世界を変える、宇宙を語る、人々を救う」などと言う者に対しては、まずその人の平衡感覚から見ていかねばならない。批判的にではなく好意的に見ることが大事だが、結局のところ「自分を変え、自分を語り、自分を救いたい」のだというケースは少なくない。それを自覚でき、かつそれまでの領域から一気にクレバスを飛び越えたりせずに、共通の場で語り始めるのがあなたと私の当たり前。

■当たり前と当たり前をつき合わせてその差異を当たり前とするために、他者には独り善がりと写る私の当たり前を1つ。私は今でも決して大人ではない。これは歳を経て到達する生物学的な成熟のことではない。老醜を晒して若ぶるつもりでもない。とうに子供ではないけれど、私が大人だと認める存在形態には未だ至っていないという事だ。大人になるべく私は、今後も努力し続けねばならない。

■当たり前と当たり前の狭間にある閾域を自在に歩くことができる大人。妖怪や異星人や妖霊が跋扈するあたり。そこをしっかり探査し、慣れ親しみ、初めて自分と他者が出会うところ。そこで「自分を変え、自分を語り、自分を救う」ことが、「世界が変わり、宇宙が開示され、人々が救われる」ことになるのか。妖怪人間は「早く人間になりたい」だが、私は「早く本当の大人になりたい」なのだ。

緑青色したジャージの忘却と記憶



■岐阜県中津川市で中2の女生徒が2級上の男生徒に殺されたという事件。この学校では一部でBFや憧れの先輩からジャージ(体操服)などをもらう流行があったとか。この記事を読んで私は大学1年の時、高校の後輩の女生徒のジャージを着ていた時期があった事を思い出した。確かに彼女を大好きだったのだけれど、正式に貰ったものだったのか、借りっ放しだったのか今ではもう記憶が定かでない。

■とうに時効だろうから正直に書いてみよう。バレーボール部の青緑色のジャージで、胸にKEIKOと文字が入っていた。友人たちからぱっと見で「慶応?」とか聞かれていた。別に着るものがなかったわけではないが、当時はタイツにジャージの格好が好きだった。今でこそお洒落に着こなせるものがあるが、当時私はひとりよがりでお洒落と思っていた。勘違いも自信たっぷりならそれなりにである。

■大学の入学式は高校のサッカー部でのタイツとジャージで出席した。みんなスーツにネクタイばかりなので、同じ格好をするのがいやで、記念写真もちゃんとそのままだった。後日友人が「あの時は貧しくてスーツも変えない人なんだろうなと思った」といわれてがっくりした記憶があるが、決してそのまま日々過ごすと楽だから着用していたのではなかった。ジャージのまま1人で旅行にも行った。

■好きだった女の子のジャージを着ていたが変態だとは思わない。遠く離れていたということもあったからだろう。一時はよく着用していた。私は超のつく怖がりなので、真っ暗な山道を夜中に1人で歩くなどということは想像しただけで失神しそうなのだが、あのジャージを着ていれば全然平気だった。そのような心理は確かにある。女の子が好きな異性のジャージに身を包む幸せというのもありだろう。

■男が女物の服を着るということに対して、私はそう抵抗がない。もちろん下着やスカートなどは別の話だ。なお一応断っておくが、同性愛の傾向があるわけでもない。今も昔も男物に比べると女物の方が気が利いたデザインのものも多くそして安価なのだ。それにしてもあのジャージは一体何処に行ってしまったのだろう。多分ほかに好きな女の子ができて着なくなったのだろう。私はいつもそんな奴だ。

■そういえば彼女の兄とは親しい友人だったが、今年その彼の嫁さんから年賀状が来た。去年えらく久しぶりに再開したからだ。今では大きい息子達がいるとのこと。あのジャージの胸についていたKEIKOという名の女性は東大を出てから色々あって、今は何やら遠くに行っているらしい。私はあの頃と意識の質だけは変わっていないけれど、今街中で会ってもお互いにきっと全く分からないだろう。

こんにちわ しつれいします ありがとう



■日本中の学校で「オアシス」運動が行われている。何かと思ったら「オはよう」「アりがとう」「シつれいします」「スみません」だった。何かとぎすぎすしがちな人間関係を、あいさつによって砂漠の中のオアシスのように潤そうという狙いらしい。確かにあいさつは大事であり、よく言われるように人間関係の潤滑油ともなる。自由意志ならいいが、強制になると辟易する。「あいさつ」とは何か?

■現代日本語のあいさつ言葉には、関西起源と思われるものが多い。明治以降、江戸は東京と名を改め、京都からの移住者であり、皇室の東遷と関係がある。標準語は「教養のある山の手の江戸の人の言葉」を元にして作られた。「美しゅうございます」は、「美しく」のように「く」で終わるべき形容詞の連用形が「う」に変わる。「ウ音便」だから、明らかに西日本起源である。

■日本語のあいさつ言葉には、最後まで言い切らないものが多い。「おはよう」「おめでとう」「ありがとう」も同様で、本来は下に「ございます」をつける。「めでたい」は「たたえたい」、「ありがたい」は「めったにない」という意味だ。「さようなら」は、本来「そうであるならば」という接続詞だった。古語の「さらば」、親しい仲でいう「じゃあ」も同じことである。

■余談だが、英語のgood-byeのgoodは"Good morning."などのような「良い」という意味ではなくGodの意味だ。「神があなたのそばにみそなわすように」ということだという。フランス語の「アデュー」やスペイン語の「アディオス」も「神へ」ということである。英語の"See you again." フランス語"Aurevoir." ドイツ語の"Auf wiedersehen."中国語の「再見」… いずれもはっきり再会を望む表現である。

■まあうんちくや雑学はいい。挨拶は人付き合いの入り口だという。まあ中にはあいさつが苦手と言う人もいる。タイミングや言い方に迷い気疲れする人すらも。するかしないか迷ったらとりあえずするに限る。それだけで人生能動的だからね。声に出さず会釈だけでもいいのだ。軽く手を上げる。目を合わせて微笑む。テレパシー。もちろん芝居じみた大仰なあいさつにはシカトしてもいいと思う。

■あいさつをされて無視するのはエネルギーがいる。条件反射的に返事をしても気持ちはよくなる。相手のことを考えてのあいさつ。みんなへのあいさつ。犬猫や日月にもあいさつ。そして神聖なる自分自身へもあいさつ。両手を広げて全世界をかき抱くあいさつ。やがて生きていることそのものが万物へのあいさつになる。あいさつそのものがどうでもよくなる。やさしい気もちだけがいつまでも残る。

■改めて、みなさんこんにちわ。

巡る生 内なる暦 外の時



■広辞苑によれば、暦とは「1年中の月・日・曜日、祝祭日、季節、日出・日没、月の満ち欠け、日食・月食、また主要な故事・行事などを日を追って記載したもの、カレンダー」である。語源的解釈だと、江戸時代の国学者谷川士清や現代の折口信夫は「カヨミ(日読)の転じたもので「日を数える」の意味を持つ」と主張する。「ヒ(日)が霊をも表していて、ヒヨミ、カヨミ、コヨミと変化してきた。

■本居宣長や大言海の作者大槻文彦の主張では、「1日1日<ヒトヒヒトヒ>と次々に来経(きつ)るを数えゆく由の名なり」と記し、「コはキヘ(来経)がケとなり、さらにコに転じたものである」と言っている。新井白石の説では「コマカ(細)に書いたものをヨムところからコヨミ(小読・細読)」となる。古代では「日読みに優れたものがカミとなっていった」とも。しかし決定的な定説はない。

■しかしどんなに精巧で精緻なシステムを内包している暦であっても、人間がいなければ全く意味がない。盲従的に従って生きていくのはむしろ有害ですらある。もちろんひとりよがりの暦を用いてもコミュニケーションはとれない。時間の概念もまた人によって様々だ。個人の中にはインターバルタイマー、サーカディアンクロック、四季に合わせる体内時計、寿命を刻む体内時計がある。では外には?

■2世紀以上前にベンジャミン・フランクリンが「Time is money.」と言った。前世紀末にホゼ・アグエイアスは「Time is art.」と語った。時間とは英語


12-20進法と13-20進法を共に見る視座



■一部の誤った過激な解釈による、シュメール・バビロニア起源と言われる12−60進法について考えよう。12−60進法そのものが現在の世界の行き詰まりの元凶だという表現を鵜呑みにして、とにかくそれは良くない邪悪なものだと拒否し唾棄憎悪するのは余りに軽率だからである。360度や24時間の体系の成立と存続はむしろ一番自然の成り行きだ。それを超える体系の欠如こそが問題だったのだ。

■コンパスで円を描き、その半径のままコンパスで円周を辿れば6回で元に戻る。その6点を繋げば正6角形となり、1つ飛ばしに繋げば6芒星・ダビデの星となる。1つの円に同じ大きさの円は最大6つが接触する。6で世界は閉じているという表現の一番簡単な説明だ。また平面上で方向を認識する時、前後と左右もしくは東西南北の4方向で捉える。直角というものが必然的にそこに生じる。

■シンプルに4と6から積の24もしくはその半分の12が得られる。1日は24時間、時計の表示は午前午後と12時間×2ラウンド表示である。数を数える時、私たちは10進法を用いる。指が10本あったからという事が、私たちがこのあまり有利でない進法を採用している理由に当てられている。さて1から10までを約数に含む数は2520だが、取り立てて必要のない名無し数である7を省くと360となる。

■1点からの全方向を4等分すると直角が得られる。4と6からは12もしくは24が得られる。時計は1日を24時間に分割すること、及び表裏対性を考えれば12時間と解される。中心からは人間の目は円周上の2点の認識は1/30度離れていれば認識できる。星であればこの角度以内だと1つの光点としか見えない。人間の目の解像度は2分。網膜にある受容器の桿体と錐体の分布濃度による生理学的構造。

■実際は1度を60の「細かい部分」(ラテン語でパルス・ミヌタ)、つまり分(ミニット)とした。さらに16世紀には、光学望遠鏡が発達して「第二の細かい部分」(パルス・ミヌタ・セカンダ)秒(セカンド)まで定めた。1日に360度動く太陽は、1時間に15度動く。影も同じだ。15度ごとにしるしをつければ24時間、30度ごとだと12時間の時計となる。14〜15世紀の欧州の都市は時計台を持つのが誇りだった。

■天体の動きから得られる3つの時間単位。日は日出から次の日出まで。昼と夜。正午と真夜中。月は新月から次の新月まで。月の満ち欠けの周期。新月-半月-満月-半月-(新月)。年…春分から次の春分まで。季節の循環と回帰。夏至と冬至、春分と秋分。メソポタミア人、エジプト人は30日をひと月とした12ヶ月+5日の太陽暦。ユリウス・カエサルはBC46年に90日を加えて、自分の名を入れた。

■教皇グレゴリウス13世は1582年10日を外して閏年の修正をした。イスラム暦の1年は354日か355日。閏年は30年に11回ある。この1周期30年は10631日、360ヶ月。満月は日没と共に昇り、日の出と共に沈む。数年前の冬至の翌日、江ノ島でそれを見た。ユダヤ暦はひと月が29日か30日。1年は353、354、355日。ただし13ヶ月で383、384、385日になる閏年がある。長期的には天体との対応が正確だ。

■12-20進法が今の世界をダメにしたというのは一方的な見方で、これまでの世界を維持してきたということも視座に入れなければ不公平だろう。13-20進法だけではまだ世界は正しく回らない。どちらも必要である。日本人の特性は現行のシステムを否定し切り捨てることなく超えていく力があるということだ。否定には莫大な力を要する。そのまま入れ替わり行く有様をただ眺める姿勢を保てるか?

願わくばこの力を徒に消す事なからん



■実家で本棚の整理中『MOOB JAPAN』という福岡発の情報雑誌が出てきた。この本のMAR.1995号に浦和潔という人の「失われた『生の原型』を求めて」 という随筆があった。彼は空調配管の仕事のアルバイトをしていて、その日の現場は屠殺場だった。工場の天井に上がり、オゾン拡散機を各部屋に設置しながら、広い敷地の食品加工場(=屠殺場)には2つの門がある、と彼は考えた。

■つまり生臭く陰気な感じの牛や豚が入ってくる通称「死の門」と、衛生的で死の臭いもない「出荷の門」。昼食時に彼らは死の門を通って出ることになり、その前を横切ろうとした時、牛と豚の群れに出くわした。牛は観念したのか無表情に彼を見つめた。豚はこの世の叫びともつかない悲痛な叫び声を上げている。後ろから作業員が棍棒で尻を容赦なく叩いて無理矢理その建物に入れていた。

■同僚が「奴等は殺されることが分かっている」と呟くが、彼は何も言える気分ではなかった。頭の中にはあの牛の諦めたような眼が焼き付き、耳には豚の鳴き声がこびりつく。人間とは何と罪深い動物だろうと思う。同時に生きていくためには仕方ないのだなどと弁解もしてみる。こうした生々しく泥臭い生の本質を頭では理解できるが、現実に対峙した時はたして正視できるかと彼は自問する。()

■スーパーの食品売り場で衛生的なパックに包まれて並ぶ肉のかたまり。生きた動物を殺して細切れにしたものという考えすらどこかに追いやっている。私たちは値段や品質にしか感心を示さない。動物性たんぱく質のみならず植物でも同じ事だ。食材への感謝や食することの喜びにも無感動になっている。この文を読んで、私は福岡にある蕎麦屋の箸袋に書かれた禅宗の食事の偈を思い出した。

■【食前の偈】この食(かて)の来るところを思い/己が技の多きと少なきを測り/悟りの道を成しとげんがために/今この食を受けん/(いただきます)。【食後の偈】衆生馳走の賜物今すでに受く/願わくばこの力をいたずらに消す事なからん/(ごちそうさま)。目の前の食材の製作者・運搬者・調理人その他への感謝が、やがてそれを意識的に食することのできる自身への感謝に繋がる。

■個人的には普通よりベジタリアンや有機農法的食材を選択する友人知人が多かった。30代の頃、あらゆるものが美味しく、感謝しつつ食べていた頃があったことを思い出す。食べ物は一体どこから自分になり、どこからじぶんでなくなるのか子供の頃に考えた。機械的に食べることなく、食材に対する慈しみ、感謝、共感・協和から意識的な血肉化へ。他者他物との連携や統合の様々なカタチ。

■生きるということは他のものを犠牲にしているという事実を忘れてはならない。日々刻々を無感動に生きることは、自らの生命に対しても大罪であろう。食することの究極は全てを食するか、何も食さずに生きていけるかの両極であろう。この両極間のスペクトルのどこかに自らの食に対するスタンスがある。人間は印象も食して生きるとか。しからば周囲の全てに感謝しつつ健やかに生きたい。

■完全に忘れていた、20歳の頃の八王子で聞いた深夜の屠殺場から漏れていた豚たちの断末魔の声を思い出した。意識の底深く沈殿していた鈍い腹痛のような記憶が、今ゆるやかに昇天していくような気がする。想起すること。そして今の生命ベクトルで対峙し、氷解させて流し去ること。世界を私が食する時、私は世界を通過する。私は世界から生まれた。世界は私から生まれた。泣け、笑え。

()彼は最後に、自分はそんなにヤワではないので、昼食はしっかり焼肉定食を喰ったと記していた。10年以上前の話だが、この作者は今何処で何をしているのだろう。

巡る世に 桃も桜も なかりせば



■すでに桃源郷オフから何日かが経過しているのだが、複数の参加者が次々と自分で撮ったデジカメ画像をネット上にアップしてくれている。これらを見ていると、以前とは異なる感覚を覚える。これまでは自分もしくは他者の個人的な視座による記録画像を通して記憶を反芻していたのだが、今回は多数の視座からの多数の画像を通して、依然とは異なった次元の過去を再構築しているのである。

■デジカメやデジカメ付き携帯電話の普及で多数の者が互いを独自の視座から気軽に撮影し合う。その時は気づかないけれど、多数の画像が後に出揃うと、1つの時を多数の視座から体験できる。もちろん2次元的な静止画像ではあるが、自分だけの記憶とのずれや相違が当たり前のものとしてそこにあり、しかも自分の視座もまた互いにそのユニットであるという事実。これは乖離ではなく統合だ。

■自分個人の中で記憶している一連の時空の記憶以上に、多数の視座からの情報を後で与えられることによって、自分が記憶認識している以上の時空に自分も存在していたという現実。この確認により他者の視座と自分の視座の等価性を再認識しつつ、記憶という場で現実をより豊かに再現できるということだ。多数の人が記憶媒体を同時に持つことによって、以前までとは異なる過去の再認識ができる。

■以前とは異なる新しい意識次元へ突入しかかっているということを、メタファーでなく体感できるということ。過去・現在・未来といった画一的な時間の捉え方でも、そのままスライドすれは現在もまた自分が思っている以上の豊穣さを常に携えていると捉えることが可能である。記録媒体を持たない人でも、それはイメージできるはずだ。

■単なるデジカメ画像だけでもそうなのだから、それ以上に想像力を働かせたら、自分だけの狭量な王国をするりと抜けて、未だ未知なれど今の自分を超えた視座をイメージできるし、より豊穣で高次なところで息をしている未来の自分という想定の残り香を実感できるというものだ。 もっともこれはそのような器機がなくても、本来当たり前の発想ではあるのだけれど。

■巡る世に 桃も桜も なかりせば 二なる吾と汝の 不二も分からじ

■独り見の 眺めの光 集むれば 桃源郷とは この世なりけり

(以下は追記20060421)

■これら多数の視座を個人個人の意思で用いることを放棄すれば、現今は無数の監視カメラにただ監視・管理される世界に堕する可能性も少なくない。都市部だけに限らず衛星カメラや地図検索サービスのグーグルマップスやGPS付き携帯などのことも考えれば、カメラから逃れられないといっても過言ではないし、むしろ依存する方が自然と思わされたりもする。

■ゆえに未来をネガティブに見るだけではなく、カメラ付き携帯やデジカメの個人レベルまでの普及で、個々人の感性や思想の元で身近なものやことを撮影し、それをポジティブにつき合わせて現実の再構築をすることが重要だ。もはや過去のありように立ち戻ることはできない。問題は立ち止まることなく、それをひとつの足がかりとしてさらに何処に行くかである。

■これは出発地点の視座を失わずに、はるか別の地を旅して記録することにも適応されるだろう。いながらにして見知らぬ異国の様々な体験を画像と共にネット上で共有できることや、逆にその情報発信する者も見てくれる者の反応や応援によって自己のより広い再認識が可能となる。もちろんそれは各個人同士の相互連結でありうる。依存せず楽しみつつさらに前進こと。

■これが甲府のネットカフェのある意味悲惨な状況に立腹した自分を正当化する考えでもあるけれど、この意識的な格差もまさらに開いていくだろう。「なくても生きていける」は「あるけれど使わなくても生きていける」とは全く違う。個人を超えて自分を再認識する新しい1つの鏡。技術に振り回される快楽もしくは禁欲主義者に堕することなく意識的であること。

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