スポンサーサイト

  • 2024.01.09 Tuesday
  • -
  • -
  • -
  • by スポンサードリンク

一定期間更新がないため広告を表示しています


常不軽菩薩さえ超えて行け



■もはや表現が古臭く感じる仏教だが、私には好きな菩薩が1人いる。それは法華経常不軽品第二十に登場する常不軽菩薩だ。常不軽菩薩は一切衆生はみなやがて成仏するであろう事を尊び、「私はあなた方を深く敬います。あなた方を決して軽んじず、あなどることを致しません。あなた方は皆、菩薩道を行じて仏になることができるのですから」と言って四衆を礼拝して回った。人々は嘲って彼を「常不軽」と名づけた。

■杖木でぶたれ瓦石をなげつけられ、罵詈雑言を浴びせられ続けても何ら反抗せずにその場を離れ、遠くからその者たちをも声高に礼拝するのだった。もちろんこれは仏陀の譬え話である。理性だけで疑うならば、仏陀の弟子の作り話かもしれない。神も仏も別にどうでもよい。しかしそれでもこの話には何か美しいものがある。全くの無力でありながら、それでも力強い優しさがある。この優しさはどこか地球の優しさに似ている。

■この菩薩は決してただの被虐趣味者でもなければ、宗教的独善で思考停止しているわけでもない。超えて行くとは、ただひたすらそれまでの自分を変えていけば良いのではない。あちらの世界観に飽きたから今度はそちらの世界観にというような、自主性のない新しい世界観フリークとは異なり、自らの自由意志と責任において、慈悲を持ち続けながら自らの限界面を超えていくこと。この菩薩はもし殺されても、その自分を殺めた者をも礼拝するだろう。

■そしてこの話は、菩薩とは、そして仏とは私たち1人ひとりでもあるというところに帰結する。あなたは不軽菩薩に礼拝される仏なのだろうか、それとも礼拝する菩薩なのだろうか。それともどちらでもあるのだろうか。十界互具であるならば「迷えるものと悟るものすべて」が仏界を具持しているということになる。礼拝している常不軽菩薩と礼拝されているあなたは、同じ仏の現れである。あなた以外のすべてであるもう1つのあなた自身。

■宮沢賢治は『法華経』を人生の指針とした。岩手県花巻で農学校の教職をしていたが、やがて退職して独居自炊の農耕生活を送った。彼は農民を尊敬して無償の奉仕をなした。誤解から非難中傷を受けつつ片田舎の無名の農民のために殉じた。優れた童話や詩を作りながら世に問うこともなかった。詩「雨ニモ負ケズ」には「ミンナニデクノボートヨバレ」というフレーズがあり、「不軽菩薩」と題する詩もある。賢治もまた常不軽だったのだ。

■常不軽とはあなたであり、私であり、仏であり、そして何でもない。繰り返したい。私は常不軽菩薩が大好きである。「行け、行け、超えて行け。超える事すら超えて行け。進み行く菩薩に栄光あれ。」そして菩薩さえ超えて行くのである。

超え行く菩薩に栄光あれ



■GATE GATE PARAGATE PARASAMGATE BODHI SVAHE!…般若心経の中の呪文のような一節。英語読みだとギャーテーギャーテーパラギャーテー、パラサムギャーテーボディスバーハ。その一解釈。「行け、行け、超えて行け。超える事すら超えて行け。進み行く菩薩に栄光あれ。」BODHI SVAHEは梵語で「道行く者に栄えあれ」とか 「進みし者に挨拶を」「汝、誓う者よ」などとも訳せるが、ここでは敢えて「菩薩」BODHISATTVAと意訳してみた。

■「超える事すら超える」というパラドキシカルな表現の中ににじみ出ている多重構造と信頼に満ちた慈悲を感じる一節だ。現状への安住も未来への挑戦も、他者に強制されて成すものではない。現状否定の強迫観念からでもなく、新奇なる未知への中毒症状からでもなく、全くの自由から常に現在の自分自身を超える。真の未来は超越して着地したところにしかない。そして現在を超えようとする生命振動こそが真の現在、今この瞬間なのだ。

■いかなる世界観も閉じたら終わっている。古神道でもカバラでもスーフィーでも易経でも、キリスト教でも仏教でもイスラム教でも新新宗教でも。そこから世界を見る事は大変有益で有用だ。しかしその唯一の世界観を至上無比のものとして、いつまでも変わる事なく世界を見るフィルターとして用いるのであれば、昔はともあれ今この時代にあっては、それが超え行こうとする生命ベクトルを逆方向に引っ張るネガティブなエネルギーとして働く。

■他のものを参照波として、自らの世界観を超えたホログラムを立ちあげる姿勢のない人間は、閉じた世界の中の順列組み合わせにはまりこんでしまう。超えて行くとはそれまでの世界観を使い捨てるのではなく、それに囚われることなく自在に使うことだ。敢えて大乗仏教のフィルターを通して、菩薩というものを見てみよう。地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人間界・天上界・声聞界・縁覚界・菩薩界・仏界…。これは大乗仏教の『十界論』だ。

■迷えるものと悟るものすべての境地の10種に分類。最初の3界を三悪道、次の3界を三善道という。有情は業によってこの六道を輪廻する。さらにその上の2界は自己の悟りを追求するので「小乗」と称せられる。菩薩とはその次の9番目の境地で、自己1人の悟りのために修行するのではなく、悟りの真理を携えて現状の中に降り立ち、世のため人のために実践(慈悲利他行)し、悟りの境地によって現実社会の浄仏国土に努める者をいう。

■では誰が菩薩なのだろう。釈迦滅後56億7千万年待たねば表われない弥勒菩薩のように、それは稀有な存在なのだろうか。天台教学では法華経方便本の諸法実相の理や二乗作仏の義に基づいて、十界のそれぞれが他の諸界を具足する(十界互具)と主張する。十界の差別が反省されて、そこに平等思想の十界互具が生まれたのである。「迷えるものと悟るものすべて」が菩薩界をその生命の中に持っているということになる。

■つまりあの「進み行く菩薩に栄光あれ」という言明は特定の人種に対しての呼びかけではなく、まだ見ぬ私たちひとりひとりに対する信頼と励ましに満ちた祈りだったのだ。なにもこの世界観に囚われる必要はない。しかし最初から無視するよりもそれを先ず味わって、それから捨て去るのも良いのではないだろうか。人間型ゲシュタルトを楽しみ、そして脱ぎ捨てる。「行け、行け、超えて行け。超える事すら超えて行け。進み行く菩薩に栄光あれ。」

語るより描け 描くより生きろ



■昔たがみよしひさの『軽井沢シンドローム』というマンガの中に、「バイクに跨ったことのないヤツにはバイクは描けないし、女に跨ったことのないヤツには女が描けない」というようなセリフがあった。たがみよしひさは「悪い事」と書いて、「イイこと」とルビを振るなど、作品の中で実験的なことを沢山やっていた作家だった。バイクに乗れない私は当時バイクを作品の中で描かねばならない時に、確かにこのセリフは言えていると思った。

■まあ当時の私の女の方はどうだったかは今回の話とは直接関係がないから秘密にしておくとして、問題は経験したことがないことを表現に乗せようとすると、どうしても浅薄になり嘘っぽくてこの人は知らないのだなあと分かってしまうということだ。そこも技量で知っているのに知らないように思わせることはできても、その逆は不可能だということだ。日常生活の上での話だけではない。今流行のスピリチュアル系の表現でも然りなのだ。

■自分が体験から発見した真理や、思考を重ねて導き出した原理などを本や話の中で伝えようと様々な表現をする。しかその多くは知っている者にはよく分かるが既に伝える必要はないし、未だ知らない者にはどこまでも伝わらない。表現が下手だったり口下手だったりすることが多い。伝えたい・救いたい・共有したいという情熱は凄いのだが、コミュニケーションとは聞く力や交流能力が必要不可欠なのだ。日々その能力を磨いているのだろうか。

■小難しい話を眉間に皺寄せて語るのはもうそろそろ止めてくれないものだろうか。もちろん直球を投げる機会があってもいいけれど、もっと笑いを、もっと好奇心を、もっと日常生活の中そのもので伝えたいことを伝えられないものなのだろうか。落語や小話、漫才や狂言などの伝統的なところに未来へ続くスピリチュアルな話をつなげて欲しいものだ。恐怖や苦痛を示してそこからの脱出を示すという構図の何と古臭くまた姑息なことか。

■沢山の人を集めて大演説をぶったり、ベストセラーとして自らの思いを示したりするのすら、もうどこか前時代的ですらある。ほとんど何も敢えて別枠にせず、ただ生きる上でそれらを自然に提示していけばいいのではないだろうか。母親は自らの赤子にその愛情を言葉で並べ立てたり、未来のあるべき姿を論理的にレクチャーしたりしない。ただその名を呼び、抱きしめる。強く、そして柔らかく。ただその名を呼び、その姿を見詰め続ける。

■愛していることが分からなくても、愛する方はそれで愛が変わる必要はない。バイクの絵を描けるようにとバイク免許を取らせる必要はない。女がちゃんと描けるようにとわざわざやり手ババアのような立場で暗躍する必要もない。日々の鳥虫草木と季節の綾なす生命や風光空雨を記述し続けてみよう。時は全て自らのものだ。何もしなくても誰も文句は言わせない。生きているだけでそれは他者には恩寵なのだ。生き様で示し続けよう。

■男性諸君。あなたの描く女性に魂は入っているか。欲情をそそるような美しい裸が描けるとしても、そこに自由意志の影すらも見当たらないのであれば、それはあなた自身が物質的で息吹のない生活をしているのではないか。いや、そこまでいうのも余計なお世話だ。煽るなということを煽ってどうする。淡々と日々の生活を楽しもう。それができないならば他者に偉そうにものを言うまい。それができたらやはり言う必要もない。生きよう。

『トーマの心臓』を読んでいた頃



■『トーマの心臓』…知る人ぞ知る萩尾望都の作品のタイトルだ。ドイツのギムナジウムを舞台に少年達の繊細な心理を交錯させながら謎解きも絡めて展開する超名作である。なぜこの名が出てきたかと言うと、うちの嫁さんの仕事仲間が集まって来月の上旬にお茶会を開くらしいのだが、そのテーマがこの『トーマの心臓』なのだという。甚だしい部外者だが、是非にと私も出席させてもらうことにした。大人でありながら子供の心で…。

■20歳の頃、この全3巻の単行本をそれこそ擦り切れるまで読んでいた。当時から「50回以上読んでいるから、全てのセリフと擬音を再現できる」などと豪語していた。当時は法華経のお経「方便品第二」及び「如来寿量品第十六」をそらで読経できたのだが、今では途中でループに入ってしまって終わらない。門前の小僧も歳を取って大人になれば経文も忘れてしまう。同様にこのマンガ作品のセリフの記憶にも失念部分が多々あるのだ。

■河原君という寮の後輩がある日、小学館の『月間少女コミック』という少し分厚いマンガ雑誌を大事そうに抱えて帰ってきた。私には妹がいたので少女マンガもたまには読んでいたが、それまでは周囲を木にせずどうどうと読むようなものではないとは考えていなかった。しかし彼は萩尾望都を始め大島弓子、ささやななえ、竹宮恵子などの結集しているこの雑誌がいかに素晴らしいかを誇らしげに熱く、しかも幸せそうに語ってくれた。

■この号には萩尾望都の初期のもう1つの名作『ポーの一族』が載っていた。まだアランが人間で、傲慢なままエドガーとメリーベルに魅かれ始める内容だった。最後のページになっても盛り上がりも引きもないまま次号に続くとなっていて、当時は変なマンガだと思ったものだ。しかしその後毎月自ら月間少女コミックをどうどうと購入するようになった。一方の『トーマの心臓』の方は週間少女コミックに連載されていた作品だ。

■話は前後するが、私は当時から拙くひとりよがりなマンガを描いていた。しかし当時の日記によると私がマンガ家になろうと決心したのは、萩尾望都と真崎守の影響を受けたからだ。ある日ふっと自己満足ではなく応募してみようと思った。そして初めて応募したのが『月間セブンティーン』という集英社の少女マンガ雑誌だった。当時は青池保子や池田理代子等がバリバリ描いていた。未熟な応募作は将来性を買われて準純入選になった。

■『月間セブンティーン』にはデビュー作を1本描かせてもらったきりだった。いま思い返しても傲慢不遜極まりない世間知らずで、編集さんの言うことを何も聞かなかった。その後の話は別の機会にすることにしよう。『トーマの心臓』を読み返していた頃は、新次元を切り開いていく少女マンガを純粋に楽しめた、もとても幸せな時期だった。その後は批評家や描き手側の視座でしか接することができず、純粋に楽しみつつ読めなくなった。

■『トーマの心臓』や『ポーの一族』など私の若かりし頃の精神構造構築に大きく関与している。これは隠し立てする必要がない。そしてそれは今でもサッカーをしていた頃の感覚で動こうとする身体のように、さまざまな未知に対しても謙虚かつ大胆に向かっていこうとする感性と意志を失わずにいるつもりの私の意識に色あせず残っている。もうあの時と同じではないだろう。この今の自分がどのようにまた再読できるのかとても楽しみだ。

■ずっとマンガの読書会をしたいと考えている。萩尾望都の短編、わずか16ページの『半神』や、宮崎駿のアニメではなくマンガの方の『風の谷のナウシカ』全7巻などについて、また岡野玲子の『陰陽師』についてなど、あげていったらきりがないが、宝玉にも代え難い作品たちに対する想いを共有する空間があれば良いといつも思う。そして好きなものは沢山あるけれど、それでも私はマンガを読む時、日本人であって本当に良かったと思うのだ。

見える限りの土地の所有者



■旅の途中で登った高い丘の上に立ち、カスタネダは師ドン・ファンから「見える限りの土地をすべておまえにやろう」と言われる。カスタネダは笑いながら、過去にスペイン人が新世界を征服し、山に登ってそこから見える限りの土地の所有権を主張したことを話した。そしてこの土地の所有者ではないからそれはできないと答えた。カルロス・カスタネダの著作『イクストランへの旅』の中のエピソードだ。

■ドン・ファンは「それがどうした。スペイン人だって持ってもいないのにわけてやっちまったろう。なぜ同じようにできんのだ?」と笑いながら言う。そして「記憶に刻み込んでおけ、いつか秘密が明かされるところでもあるのだから」とも言う。しかし最後には「今はまだ分からないだろうから、しばらくはノンセンスとして放っておけばいい」ともフォローされるのである。どこまでも優しいドン・ファン。

■実は山の頂上に登らなくても、私たち1人1人が見ている世界は私たち1人1人だけの世界である。まず単純に映像そのもののレベルで言っても、視座が異なるのでまったく同じものを同じ位置から見るものはない。また同じ精神状態ではないので、同じように認識することもないだろう。見える限りの世界をあえておまえにやると言われなくても、もともと私自身のものだったのだ。人の数だけ地球はある。

■たった1つの真実の地球を共有するにはどうすればよいのか。世界のリアリティーは疑いの余地なしという独善的な信念を、まず自ら破壊し超越すること。真のコミュニケーションとは「私」と「私以外のもの」との統合のために、「私自身」と「私以外のもの」の違いを探求すべく、情報の交換・共有することであるとも言えるだろう。自分以外を知るためにはまず、自分とは何かを追求しなくてはならない。



■自分の意志で動かせるものが自分自身だろうか。それにらば肉体の中の不随意な器官は自分自身ではないことになる。肉体の表皮が私と私以外の界面なのだろうか。それならば気やオーラとして表現されている目に見えないながらも感じられるものは自分ではなくなってしまう。自らを中心として十数メートル四方に円盤状に広がる自分がマカバ・フィールドであると言われても、実感できなければ意味がない。

■「私」を突き詰めていけばすべてになり、神も仏もすべての世界も私自身となる。それでは「私以外のもの」とは?真のコミュニケーションという表現をするのであれば、これまでコミュニケーションと呼んでいたものは何なのだろう。この文脈に即して言えば、ひとりよがりの王国の主同士が自らの国の世界観を共通の場であると考えて、こんにゃく問答を演じていたのだ。一人相撲の交差。では行司は世界?

■ある意味ではそれもまた対等であるが、私たちは自らのひとりよがりの王国の辺境に、国境界面に移動する必要がある。そこには私のひとりよがりの王国以外のひとりよがりの王国との国境があり、そこでこそ2国間の対等なコミュニケーションがなされる。もちろんそれにはもちろん相手の国の主もまた国境にまで移動してきている必要があるのだが。少なくとも2つの地球の接点が敬愛の共振場であれかし。

■薬物や幻覚剤の助けを借りることなく、自らの意志と理性で正気を保ちながらの辺境への旅。もちろんそれは3次元的な遥か遠くにあるのではなく、トポロジー的にすぐ身近にあるのだが。カスタネダの旅は終わらない。たとえ彼がもう死んでしまっていたとしてもだ。ドン・ファンのような師がいない私は、愚者のなりをしたままそれでもそこで私は嘘偽りのない言葉を伝えたい。「私はあなたが好きです」と。

ひとりよがりの王国を超えて(5) rewritten & replaced

地球に凭れそして擁かれていた男



■試合終了のホイッスルが鳴る。ワールドカップの予選リーグ日本対ブラジルが終わった。しばらく相手選手と言葉を交わした後、仰向けにピッチに倒れ込んだ男がいる。中田英寿だ。立ち上がらない。ブラジルDFルシオと交換した黄色いユニフォームで顔を隠してずっと横たわったままだ。テレビカメラがまるでストーカーのように望遠で狙う。泣いている。悔し涙…そんな言葉で括れるものではないだろう。

■あの孤高の天才が泣いている。他の選手が泣くのならそれとなく分かる。しかし彼だけだ。疲弊困憊のまま緑の芝の上から動かない。後で川口キャプテンが言った。「ヒデは通路の脇で泣いていた。どういう心境か分からないが、1人で泣いていた。」分からないのだ。第2戦で川口がPKを阻止した後、ヒデが抱きついて健闘を称えたシーンは胸が熱くなった。8年前のフランスワールドカップでは全敗の後、川口も泣いていた。

■私はよく泣く。マンガを読んでは泣き、友人知人の慶事や健闘を見ては泣き、音楽を聴いてはまた泣く。決して悲しく辛いがゆえの涙ではない。喜悦や至福、共感や同情の涙ばかりだ。しかしヒデの全身から発する見えないものを見て、私は高校生として最後の公式戦の試合の後のことを思い出した。1人でいくら最善を尽くしても勝てないことはある。私は試合で負けて初めて泣いた。それが最後でもあった。

■ワールドカップの敗戦とは比べ物にはならないけれど…などと区別しようとは思わない。ヒデの気持ちが少しは分かるつもりでいる。妄想かもしれないが。パルマ時代の同僚、アドリアーノが心配して近付いて行った。ヒデは大丈夫というように、アドリアーノの頬に右手を差し伸べる。しかし起き上がれない。観客にお礼をと、同僚のキャプテン宮本が寄ってくる。先に行っていてくれと言い、立ち上がらない。



■中田英寿が大観衆の真ん中で、緑のピッチにずっと横たわっている姿を観て、「地球を背負ってた いや 地球にもたれかかってたのかな」と表現した詩人がいた。私はその表現を美しいと思った。孤高ゆえの孤独。本当に辛い時は、必要なのは人より地球そのものなのかも知れない。力尽きて大地に横たわる。背後は全て大地、目前は青い空。心身が軋み激痛に苛まれていたとしても、彼は本当に本当に幸せだったのだ。

■地球上のあらゆるところで同時に異なる時刻を刻み続けているという、当たり前のような不思議な事実を眠気と疲労の中で体感しながらのワールドカップ観戦。いつも日本代表の試合はその前後も含めて、どんよりと重苦しい気持ちだった。それにしても自国以外の試合はなんと楽しく素晴らしいものとして観戦できるのだろう。しかし双方がなければワールドカップはただ別世界のイベントに過ぎない。

■私は人間として全身全霊で物事をなすというスタンスを失念していたことを思い出した。全力を出し切っても思い通りにならないことがあるという、この現世の恩寵に身を沐す幸福から離れていた。もっともっとこの仮初めとも言える人間世界を、その物理的ルールに則って真剣に生きていきたい。後で新聞で見た、ロベルト・カルロスと話した後の中田英寿の満面の笑みがとても印象的だった。世界中に友がいる彼。

■スポーツ新聞に次の日本代表監督はイビチャ・オシムだという記事があった。私の心は喜びの涙を流しかける。規律のトルシエから自主性のジーコ。どちらも日本サッカー界の発展のためには必要だった。問題は次だ。オシムの話題は現実に期待を裏切られて路頭に迷うサッカーファンとサポーターの士気を高めてくれる。私はオシム監督が大好きだ。中田英寿がオシムをどう思っているのか今はとても知りたい。

私を見守る「それ」は私自身



■魑魅魍魎、妖怪、天使、妖精、霊的存在、宇宙人、異次元人、未来人、エンティティ…。可知と不可知帯域のあわいに生ずる認識もしくは知覚される「何か」をおろそかにも誇張誇大化することもなく、できる限り真正に接しよう。こちらの生命振動がしかるべき方向から大きく外れていたりしなければ、その現象もしくは「何か」は決して邪魔をしたり害を与えたりするのではなく、力を貸してくれるはずだ。共にさらなる未来へとの約束。

■そしてその時その時の自分自身の状態と自分の総体の在りようについても気を配ろう。自らの想定やそれらと交わした約束を失念することなく生きよう。「これ」でも「あれ」でもない「それ」らはシンクロニシティとして演出してくれたり、思わぬ出来事としてその力や響きを意識と無意識のあわいで示してくれる。「これ」も「あれ」も「それ」も実はみな私の総体の一面だ。そして問うことは私の総体は「どれ」なのかということだ。

■まだ小学校に入る前の子供の頃、遠い未来の自分自身もしくはその反映を感じていた。「それ」は最初からそこにいてそれをそう解したのではなく自ら創出したのだった。考えて部屋の上方から自分を見守っている未来の自分がいるのであれば、自分は安心して生きていける。目に見えないのは未来のテクノロジーが優れているからであって、今の自分が劣っているわけではないと自己設定したために、「それ」はそこに立ち上がったのだ。

■見えないまま、そして他者と共有できぬものとしての「それ」は、自己設定したものだと知りつつも、感じようと思えば感じられた。感受性が強かった子供として1人夜道を歩く時でも、「それ」をそこに呼び出せば怖くはなかった。自分が創ったはずなのに、それはだんだん私と関係なくそこにいるように思えてきた。いろいろなことを教えてくれた。それは他ならぬ未来の自分自身だったと思い込んでいたからどちらでもよかったのだ。



■それを自分の力として他者を支配したり自信を増強したりすするために使うより、むしろ自らの居住まいを正し自らを見守る温かく力強い存在として接するようになっていった。感謝と信頼の対象として扱え続けることができたのは、自分自身からの恩寵である。よくあるように、成長する過程でそれは段々立ち消えになっていったのではない。実は中学2年の頃、このままでは人生が面白来ないからとその存在を自ら忘れることにしたのだ。

■忘れようと決意して忘れることなどできるのだろうか。できる。それは忘れるのではなく、その存在を記憶しているとどうしても破れない限界を自ら破るために否定するのである。ただし感謝と共に。そしてここが少しコツがあるのだが、忘れるもしくは否定しさるとしても、それは必ず意識的に敢えてやったことなので、本当はそのもう1つ奥でそのこと自体をいつか必ず思い出すという設定を自らの意識深層にしていたということだ。

■そして思い出したのはずっと後の話となる。これを今はこのように客観的に描いてはいるがフィクションではない。しかしもう「それ」が本当にいたのかいなかったのか、自分が創ったのか創ったつもりになっていただけなのかは問題ではなくなっている。「それ」は今でも呼び出せるけれど、もはや私の本質的なところの形成には役立ったとしても、今は大好きな過去の遺物だ。たよることもないし、自分以外の何かと思うこともない。

■未来の私はまだ多分未だ捉えがたき総体として「そこ」にいるであろうし、過去の自分はこの今の私にすらも大切に思って欲しいのであろうし、否定せず他ならぬ自分自身としてこの上もなく慈しんでいる。他者と共有できないのは残念だが、他者のそのようなものを敬愛する余地は私の心にある。思い出す度美しく優しい世界にいて、それをあえて気づかぬまま喜怒哀楽を楽しんでいた私がいる。今ここにいる私はだれだろう。楽しんでいるか。いる。

生きることがすでに愛である



■宗教にも政治にも経済にも片辺の真理はある。その片辺の真理をさらに細分して、宗派や学派や何々主義と名を与えてホログラフのようにその中にまた片辺の真理を見出す。ミクロマクロの問題や多数少数の問題ではない。地球の果てまで自らを見つけに旅する者もいれば、わずか半畳の上で宇宙全体を手の中に収めようとする者もいる。それでも自分で見出した片辺の真理は価値がある。いとおしい。記念として大切に保存しておきたい。

■しかしいつまでもその真理の1ピースにすがり付いて生きるのは見苦しい。どんどん世界が狭くなる。ジグソーパズルを組み合わせて全体性を見る、新しい視座獲得の旅に出るのか。3次元ジグソーパズルのピースの組み合わせ方は平面的でないので無数にある。多重多次元への旅といっても空間的に地の果てや空の彼方まで行く事はなく、有史以前や遥かなる未来へ時間旅行する必要もない。日々刻々の世界は時空をどこまでも流れ行く。

■今ここでのいながらにしての大冒険。孤独のようだが賑やかな旅。絶望的に見えるが希望に満ちた旅。愚行のようだが知的興奮に出会う旅。そこにおいて親しい人とも不快な人とも、いつも初めての出会いをする。互いを尊敬し信頼して真のコミュニケーションを築きゆく。未知の自分と出会う旅。出会い続ける冒険の旅。自分自身の多重性の各層への愛情はあるか?まず生きている事、そして生きていこうとする事自体がすでに愛なのだ。

■私は現状という私を愛し、現状を変え行く未知なる私との出会いを愛すると言う事を選択したのだ。そのような自分を選択してここに来たのだ。今にいるのだ。何も恥じる事はない。隠す事もない。他人に押し付ける事もない。私はあなたに私を見る。あなたは私にあなたを見る。真のコミュニケーションの第1歩の始まりだ。さあ2人で1つのものを見よう。1つのものを2つ以上の視座から見よう。そこに立ち上がるものを一緒に見よう。

■プログラムを立ち上げて、メタプログラムのコードブレイク(暗号解読)を始めよう。答はあられもなくどこにでもある。隠されたものなど何もない。ただ自らが隠しているのだ。気づくこと。あなたがそこにいるということ自体がすでに愛なのだ。私が今ここに存在すること自体が世界に対する優しい表現であるようになれる日まで。片辺の真理を超え、自らと世界を反転させ、それをさらに反転させて、正気を保ったまま果てを見よう。

ひとりよがりの王国を超えて(4) rewritten & replaced

次元両生類による新上陸史



■両生類amphibian。脊椎動物門両生類に属する動物で、爬虫類と魚類の間に分類上の位置を占める。カエル・イモリ・サンショウウオ・アシナシイモリ類などが含まれる。脊椎動物で最初に陸上生活を始め、爬虫類・鳥類・哺乳類へと発展する基礎となる。最古の両生類イクチオステガは古生代デボン紀の地層に発見されている。胸ビレ・腹ビレが四肢に代わり、浮き袋が肺となり、エラに変わって陸上で空気呼吸を行うようになる。

■脳に新皮質はなく大脳は小さい。脳神経は10対で爬虫類の12対より少ない。変温性で横隔膜はなく、心臓は2心房1心室。両生類は2つの世界を生き、そして行き来できる。両生類はそのどちらの世界でも生活できるが、またそのどちらの世界ででも溺れる可能性を持つ。切り替えを間違えるといつでも界面で立ち尽くす。2つの世界の界面を超えるために両生類は界面を支点として1回反転して自らの中に水生世界を取り込んでいる。

■胎児は子宮の中で太古からの生物進化を繰り返し、最終的に人間としてこの世界に生まれ出る。いわゆる「個体発生は系統発生を繰り返す」だ。私たちはみな子宮の中の水生動物から、出産という次元界面を通過して外界の大気中に上陸する。ところで現在の私たちもまた未来へ続くこの系統進化の過程にいるものと考えることができる。この現実の世界というものが、実はまださらなる状次元の羊水の中で見ている胎児の夢だとしたら。

■未来で完成する系統進化の繰り返しの真っ最中であると考えるのは、今の自分が完成体だと考える傲慢さよりは開けている。私たちの世界の見え方は、私たちの世界の見方による。世界の見方は先祖からの遺産である。遺産の継続は教育によって成される。教育とは一意で社会に適応するための洗脳だ。しかし教育の本質はその洗脳を自らの力で超えるようにせしめる事にある。自らの生と存在を再認識し、自力でその意味を書き換える事。



■自分の世界の見え方は、多数ある世界観の内の1つに過ぎないと知る事自体が、自らの閉じた世界に風穴を空ける。そして複数の世界観を知る事により、立体裸眼視的な世界と通常の世界が違うように、意識的に世界の見方を変えられるようになる。システムの中にありつつ、システムの外からも個と全体を見る目を得る事で、AかもしくはAでないかのどちらかであるという排中律を超える。「私」は未知に対して風穴だらけの樹なのだ。

■政治も宗教も経済理論も哲学も、様々な世界観は他の世界観を自らの内に取り込もうとする。しかし空間曲率を変えないままそれを成す事は、ひとりよがりの王国の唯一の支配者にして国民である事に気づく事ができない。自分を取り込もうとしている世界観には気をつけろ。国境、もしくはひとつの世界の臨界面においてはあらゆるものがパラドクスになる。パラドクスは優しい。それを超えようとする努力は自己言及として現われる。

■界面には共通言語がない。同じものを異なる言語で表すだけでなく、同じ言葉で異なるものを指すという多重の混乱がある。言葉だけでなく空間共有の必要がある。喪失した過去の記憶の想起と全く新しい着想とは、同じ出来事の異なる認識だ。異なるものの間に相似を見、同じものの間に差異を見る事。差異に副って慈悲と智慧は流れる。次元の差異すらそれは超えていく。次元両生類の界面浸透圧。だから慈愛だけではなく叡智を共に。

■かつて海を自らの内側に包み込んで新天地へ上陸したように、この世界全体を自らの内に包み込んでさらに新しい世界へ進みゆこうとする者の出現。2つの異なる世界の双方を共に生きる、次元両生類としての上陸史が始まる。現世界の羊水から外界へ反転転出する胎児としての人間。初期の両生類はどちらの世界でも狂死する危険性がある。現世の狂気の海の中での溺死か、未知なる真空での発狂か。全ては各個人の自由意志に任される。

■気づきつつそこに立ち止まることは誰にもできない。未知なる海へ。

ひとりよがりの王国を超えて(3) rewritten & replaced

夏至来たり 何を食さん 冷蔵庫



■今年の夏至は6月21日。ところで今さっき知ったのだが、6月21日は「冷蔵庫の日」でもあった。普段だったらまた日本電機工業会かどこかが、商業的理由から勝手に言い出したのだろうと文句の1つでも書くところだが、実はわずか数日前に十数年間使用していた大型冷蔵庫がついにその寿命をまっとうしたので、今年はこの昼間が一番長くて、この日から夏本番という冷蔵庫の日にもちょっとフォーカスしてしまった。

■数日前から何やら野菜庫の中が少しずつ腐敗臭濃度が高まってきてはいないかと気づいたが、それでも製氷能力はまだちゃんとあった。保存しておくべきものが取り出してもほとんど冷えていないのでおかしいなと思っているうちに、次には冷凍庫の製氷機能もかなりダウンしている。多量に入っていた保冷剤で延命しつつ電気屋さんに相談した。するとフロンが漏れて出血過多で瀕死の状態ではとの譬え。納得。

■かくして夏至直前に新品を購入することになった。その新型が来る日に、瀕死のまま動いている冷蔵庫を隅々まできれいにした。野菜庫は先日腐敗臭がしたから綺麗にしたばかりだったが、その他の棚板や受け籠や製氷ルームから外装や天上まで、真っ白に洗いふき取り新品同様にした。死に化粧のようだと思った。なぜもっと早くから綺麗にしてやらなかったのだろうと思うと、感情移入していとおしくなった。

■「青春の門」という小説の筑豊編の最後に、主人公が美しい義母の亡骸を隅から隅まで洗い清め、穴という穴に栓をして、綺麗に化粧をしてやるシーンがあるけれど、リサイクルの可能性もあるかといくばくかの料金を払って引き取ってもらうまでの時間に、電源を抜いて死に行く冷蔵庫を静かに見取る神妙な時間が自分の内側にあった。感謝の気持ちが湧いてきて今後他の物たちももっと大切にしてあげようと思った。

■さて6月21日、夏至だ。二十四節気の1つで、1年で最も昼の時間が長くなる日。冬至に比べると昼の時間が5時間近くも長い。太陽が北回帰線の真上に来る日でもある。この日を過ぎると本格的な夏が始まるという意味だ。地球の赤道傾斜角23.4度と、暖まりにくく冷めにくい地球の大気のせいで、この日本には豊かな四季が巡る。各地で夏至祭などが行われるようだが、冬至よりは私たちの意識は低いようだ。

■さて冬至はカボチャを食べて来るべき寒さに備えるように、夏至は何を食べることにしようか。ナス、トマト、椎茸、バナナ、ナシ、モモ、モヤシ、ゆば、ソラマメ、日本酒、ビール…。新参者ながら高性能の冷蔵庫を開けて考える。やはりソラマメとビールかな。しかしそれはいつもの話だ。大好きなナスにしよう。油味噌で絡めて炒めるか、マーボーナスか。焼いてしょうがと醤油で、それとナスの味噌汁だ。

■冬至の日にナスづくしと考えていたら、小学生に上がる前の子供の頃の夏を思い出した。新潟の田舎で、祖母が丹精込めて作っていた畑から、遊び疲れた昼下がりに1つ2つナスやキュウリをもいで、服で磨いてそのままほおばった。ひんやりしていてとても美味しかった。その頃は知らなかったけれど、小川のそばの日陰で多分体は冷えたのだろう。ナスが好きなのは祖母と祖父が好きだからなんだと今気が付いた。

calendar
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
252627282930 
<< June 2006 >>
sponsored links
selected entries
categories
archives
recent comment
recommend
profile
search this site.
others
mobile
qrcode
powered
無料ブログ作成サービス JUGEM