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天使アザゼルは美しき人間の女を愛した…
- 2006.10.30 Monday
- ■日々の記録
- 02:02
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- by 小野満麿
■旧約「エノク書」によると、地上監視を命じられた200人の天使たちは、美しい人間の娘たちを見て心を奪われ、神から授かった公務を放棄して娘たちと結ばれた。そして人間に天界の諸秘術を教えてしまったために、男は戦いに明け暮れ女は派手に装い媚びるようになった。さらに生まれた子供たちはみな大食らいの巨人で、地上のものを食べつくした。神はついに地上の悪を一掃するため、大洪水を起こす事にした。
■20歳を少し過ぎた頃、ある19歳の女の子が私のアパートに来て共に生活した時期があった。彼女は自宅から同じ大学に通う後輩だったのだが、何日も自宅に帰らずアパートから大学に通っていた。家に心配をかけないように、ちゃんと家に連絡しておけと言っておいたのだが、実際のところ、彼女は言い出しにくくて連絡を取っていなかった。家では両親が夜も眠れないほど心配し、捜索願いを出そうかともしていた。
■その娘の友人が学校には来ていると教えた。友人の教えてくれた住所を頼りに、ある日突然その母親がアパートに尋ねてきた。その時、彼女は一人大学に行っていていなかった。私は母親の顔を見て、彼女がちゃんと家族に連絡していなかったことを理解した。どうして連絡くらいくれなかったのかと責める母親に、私は彼女のせいにするわけにもいかず沈黙した。経験不足から、私はその両親の思いが理解できなかった。
■彼女だけを世界から切り離して愛しているつもりでいた。親族や周囲の人たちの思いや関係性などはみな純粋な愛情のためには断ち切るべきしがらみだと身勝手に考えていた。自分の家族や友人知人すらも切り離して考えていた。共感や同情するような心の潤いが全くなかった。とりあえず家に戻った彼女は、禁足させられた。両親は私のことをあることないこと非難して、別れて忘れるのが当然だと思うように洗脳した。
■しばらくしてから大学で彼女と再開して、行かなくてもいいものを彼女の両親に会いに行くことにした。どう責任を取ってくれるつもりですかと母親は問うた。僕が初めての男だと思いますか?と私は尊大に問い返した。初めてではないことを私は知っていた。母親は少しひるんでから、そう信じますと言った。娘は何も言わずにうつむいていた。私はそのまま黙ることにした。父親は押し黙ったまま煙草をふかしていた。
■彼女とはその後会わなくなった。当時は周囲に洗脳されたのだろうと思っていたけれど、今では私一人の身勝手な愛情もどきよりは、自分の周りの様々な人たちとの関係性や愛情を選択したのだと冷静に考えることができる。その後も何度か、私自身のひとりよがりの思い込みから、何人もの人たちを辛い目にあわせ、またあわされてきた。友人知人の結婚式すらも、顔には出さずとも人間社会の儀式に過ぎぬと思っていた。
■結婚という制度は単なる儀式で、本質は別のところにあるとずっと考えていた。しかしある女性がたかが契約の紙っぺら1枚でも、思っているよりずっと重いものだと言った。先祖の霊やら守護霊やらが絡み合うようでほどき難い。離婚歴がある彼女の言葉は軽くはないものだろう。私は若い頃、セックスはカルマの交換だから、いい加減にはできないと公言していた。その実カルマや転生などに真実味を置いていなかった。
■神から地上を監視しろと言われた天使たちは男だったのだろうか。神は天使たちが人間の美しい娘たちに心奪われることを予想できなかったのだろうか。天使たちはその何をもって美しいと感じたのだろう。きっと心から愛したに違いない。種族を超えた愛情とは何だろう。この天使の話は字義通りだけではない意味を持つのだろうけれど、いつだって男女の愛情は新鮮で、そして理性や律法だけで制御できるものではない。
■今私は今まで結婚ということに対しても、相手の背後や自分の周囲にあるさまざまなこと同士が目に見えないいろいろなレベルまでも含めてからみあっていくことだという捉え方はしていなかった。かつて20歳過ぎに19歳の女の子だけを全てのしがらみから切り取って愛しているつもりだったけれど、結局その相手の気持ちすらも理解したり共感したりしていなかったように、魂や転生などのことは考えられずにいた。
■おそらく彼女はとうの昔に結婚して、今はもうすでにあの頃の私たちの年頃になっているであろう何人かの子供を持っつ母親になっていることだろう。当時の彼女と今の彼女とがどのようにつながっているのか分かりようもないように、当時と今の私のつながりようも分からない。ただ今私は、そのはるか昔の彼女に対して「ありがとう、そこにいてくれて」と言えるとことことだ。…これもまた勝手な言い草ではあるのだけれど。
■実は今回の話のメインはこの20歳過ぎに愛した女の子ではなく、神の成した人間の創造に反対していた天使アザゼルがなぜ、地上に降り立ってすぐに人間の美しい女に心を奪われたのかということだ。愛そうと思って愛するものではなくそれは起こる、湧き上がる。別に旧約聖書偽典の中の話や一夫一婦制や輪廻転生の有無やらでもなく、むしろ私や他の人たちの中に生起する愛するという動詞の言葉を超えた本質だ。
■小難しい話になった。簡単に身近な例でと思って、かえって回りくどくなった。また別の機会に続きをしたい。
さようならテラバイトありがとうモノとヒト
- 2006.10.10 Tuesday
- ■日々の記録
- 13:06
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- by 小野満麿
■東京浅草で長いこと続けていたテラバイトの引退時期が来ているようだ。お寺の近所のマンション建設ラッシュ、和尚さんの突然の発病と入院、お寺の奥さんの母親の他界、老朽化による様々な備品の寿命終えなどが続いていたので、そろそろ何か決定的な出来事が起こって私のテラバイトも無罪放免となるだろうと予想していた。しかしよもや自らの健康上の理由が決定打になるとは思ってもみなかった。
■本当に人生の未来は想定外のところから姿を現すものだ。ちょうどそんな時、私にテラバイトを紹介してから10年近くも海外に行ってばかりいた愛ちゃんという女性が、私の変わりにテラバイトをしてくれそうな人を紹介してくれたので、私もこれを機に引き際とすることにした。 カルマなのか腐れ縁なのか、それとも単なる惰性だったの分からないが、乾き切ったカサブタのように自然に剥がれていく感覚だ。
■そうして思うと、これまでお彼岸やお盆の時などに、相方として手伝ってくれた少なからずの人たちに対する感謝の気持ちがそれなりに湧いてくる。個人個人に対してはここでは感謝の言葉は述べないけれど、みなさん本当に有難う。そしてテラバイトに合わせて季節ごとにやっていた「次元幾何学研究会」の例会に参加してくれた人たちに対してもお礼を言いたい。ところでこちらの方の存続はどうなるのだろう。
■まあ例会ではなく、本当の会合や研究発表の場を設ければいいのかな。もしくは合宿とかね。それにしても月に1回か2回は何日か上京するというこれまでのパターンがなくなり、東京方面に定期的に出て行く理由というものがなくなるわけでもある。もしくはまあ考え方によっては逆に、東京やその他でいろいろなレクチャーやイベントをしたり、生半可ではない旅に出る自由を手に入れたとも言えるわけだ。
■いろいろな友人知人にご無沙汰しっぱなしだから、ネット上での挨拶ばかりではなく、実際に顔と顔を付き合わせてのコミュニケーションもいいかも知れない。それにしてもタイミングは外しても外しても、後で見るとバッチリになっていることばかりだ。いろいろと想定していても、出来事はその想定外で生起することが多く、そしてそれらは想定していた最高よりもさらに素晴らしいことであるという謎の法則。
■日々の出来事がすでにいつも未知の次元ではあるけれど、それに気が付かないままのマンネリな生活環境を打開して、見たことも聞いたこともない「もの」と「こと」に直面し、ぶつかって生きたいものだ。未知なる未来に、光の道筋に。とはいえサドンデス的にいきなりぷっつり止めると言うわけにも行かないので、貴腐ワインとまでは行かないまでももう少しだけ腐れ縁の発酵を促すテラバイトは続くのである。
エゴの核が死んでしまったのはいつなのか
- 2006.10.06 Friday
- ■日々の記録
- 20:43
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- by 小野満麿
■今日、雨上がりの雲が美しい空を眺めながら町を歩いていて、自分の中にあったエゴの核のようなものはつい最近ではあるが「もう死んでしまっているのだなあ」というイメージが頭の中に湧き上がってきた。ちょっとした思いつきの勘違いかも知れないけれど、それでも身体にゆっくりと何か心地よいものが流れている感覚もしたので、むべに単なる妄想であると思考の排水溝に捨て去らずに、そのイメージを暖めてみた。
■もちろん今ではすっかりエゴによるひがみがなくなったのかというとそうではない。しかしそれも生きたエゴの核が私の真ん中で元気一杯のまま自分自身や世界をひがませ、干からびさせようとしているのではなく、浄化・昇天しきれていない自分のエゴの核の亡霊がまだ生きているつもりで彷徨い、時々自分に纏いつき悩ませているのだという捉え方もありだなと考えた。もちろんこれは現実そのものではないけれど。
■私が素直になれている時はすでに自らの内にエゴの核はなく、もう死んでしまっているのにその生前の他者へのうらみつらみのエネルギーだけが残留していて、破壊的衝動に共振させようとしているのかも知れない。これは自分だけでなく逆に他の人のそれもありうるだろう。間違っているのかも知れないけれど、イメージとしては悪くはない。今までの自分より半歩だけ未来に足を踏み出せるような気がしたりもする。
■もっとも自分のエゴの核の亡霊を甘く見てはいけない。暴れたり騙したり泣きを入れたり、自分にしか知られていない生命の偏向性をついてくるかも知れないのだ。しかしそれでもずっと自分と共にあり、様々な体験をさせてくれたのだから、感謝こそすれもう自分とは関係のないものだなどと切り捨てたりするつもりはもちろんない。素直な気持ちで大切に扱いつつ、すでに死者であることに気づけるように接するだけだ。
■半分妄想のような、しかし半分は未来に続く現在の意識内の時間のコントロールのような志向の流れを、町を歩きながら楽しんだ。現実とぴったり重複してはいないとけれど、自らを欺き貶めるような感覚は体内にないなので、少なくともこれは楽しいイメージゲームではあるだろう。それにしてもイメージゲームとは言え、すでに自らのエゴの核を死亡者リストに入れてしまったのだから言霊的には近未来的リアルなのだ。
■過去と未来と現在の時間間隔すらもオーバーラップしていく昨今であればこそ、エゴの核が死んでしまった「つい最近」とははたして文字通りの「過去」なのか、過去の遠からぬ「未来」のことなのか、それとも現在の「この瞬間」のことなのか、判別がまだつかない。それとも前世や来世として言及されてはいるけれど、上位次元から見ればこの今の今に同時進行している9つのタイムゾーンが交差・重複する真実なのか。
■久しぶりに見た雨上がりの夕焼け空は美しかった。明日は満月(月齢14.6)、旧暦での中秋の名月だ。今夜は久しぶりに月が見えるだろう。
(※)9つのタイムゾーン…『エノクの鍵』に出てくる概念で過去の過去、過去の現在、過去の未来、現在の過去、現在の現在、現在の未来、未来の過去、未来の現在、未来の未来の9つ。なお3次元ではこの中でただ1つだけが乗り物としての肉体を持つ。
体の大切さを痛感するとはこういうことか
- 2006.10.04 Wednesday
- ■身体について
- 22:41
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- by 小野満麿
■ブログを書かなくなってからもう随分経ってしまった。「毎日必ず定型定量の文章を書く」といういわば自己縛りから解放された反動もあって、再開するのには尻込みもしていた。日々の出来事がないのではない。ありすぎでそれらの意味や価値付けを明確にした文章がなかなか書けないからだ。自分自身の立ち居地がすぐにぶれてしまう。しかし書かないで過ごすということも下世話な喩えだが、脳内便秘のようで宜しくない。
■そんな日々の中で、生まれてはじめての肉体的苦痛を味わった。サッカーをしていたり年中歩き回っていたりしても、この歳まで一度も怪我らしい怪我はしたことがなかった。ある朝目が覚めたら左足の親指の付け根が腫れていた。動かしたら激痛が走った。それでもお彼岸のテラバイトの最後の日だったので、普段の3倍以上の歩行速度で辿り着き、どうにか仕事をこなしてから激痛を抱えたまま新幹線で名古屋に戻ってきた。
■、周囲の何人かは「痛風」ではないかと言った。名前は知っていたけれど、ネットで調べてみて初めてそのような発作が存在することを知った。しかも贅沢病とも言われ、暴飲暴食がその原因の1つだという。ビールの飲み過ぎも良くないとのこと。ここ何ヶ月かはほとんど食事を取らなくても生きていけるのではないかと思うほど余り食べていないので、贅沢秒とは言えないだろう。別に未練もないのでビールももうやめよう。
■私は別にアルコール好きではない。もし激痛の発作を誘発する恐れがあるものだと知っていたならば、最初から無理に飲んだりはしなかった。世の中知らないことだらけだ。しかし私は頑としてその痛風説を最後まで認めなかった。通風ならば一刻も早く病院に行き、即座の治療ですぐに痛みは取れると言うけれど、私は病院は行きたくないのである。医療関係者の方々の努力と誠意は信じているけれど、薬も飲みたくないのだ。
■それでここ30年以上やってきている。それは信念と世界観の問題でもあるから、別に他者にどうこう言うことではない。ただ想定外のことが起こるから人生は面白いのである。みんなに余計な心配をかけたくなかったので、1週間大人しくしていたけれど、快方の兆しが見られないので折衷案を取ることにした。東洋医学と西洋医学の融合を目指す中国の方の所のお世話になることにしたのだ。薬とはいえ漢方薬は許容範囲内だ。
■意を決して嫁さんに車に乗せてもらって行ってきた。西洋医学も体得しているその先生は「痛風」という表現はとらなかった。「体が冷え続けたことからくる関節膜およびその周辺の損傷」というような表現だったと記憶している。部分的に見れは「痛風の発作」と断ずるかも知れないが、中国医学はその全体性の中でどう症状が現れ、またどうすればより大きな流れの中で全体的に健康体に戻るのかという捉え方をしている。
■痛風ならマッサージなどもってのほかと言うが、細やかに時間をかけて、気を練り巡らせるようにして痛いところをほぐしていってくれた。1回につき30分近くもである。普通の病院ならこうはいかない。お医者と患者の接する時間はとても短い。痛いのだけれど、気持ちがいいのだ。明日3回目の診断と治療をしてもらって最後になるだろう。今日はまだ自分で歩いていて、庇う部分があって腰などの動きが少し変である。
■完治すると思うが、自分の判断と世界観には責任を持ち、その結果は自らの意志で選択したものとしてちゃんと受け入れたい。これからどうなるのか分からないけれど、良くも悪くも想定範囲の外から全く意外な未来がやって来る昨今だから、極力ひとりよがりにならぬようにしつつ、自らの独自な未知なる未来へ能動的に進んでいくばかりである。 人間が自然に歩けるということは、奇跡的恩寵であるということが分かった。
■本当にその能力が剥奪されて初めて気がつくことばかりだけれど、歩くこと、眠ること、見ること聞くこと味わうことなどなどはみな、それが本当に奇跡的なことであり素晴らしい能力であるということも思い知らされた。そんなお前が言うなよといわれそうではあるけれど、私ももちろん大切にするつもりではありますが、みなさん本当に自らの体は大切にしてくださいませ。いや本当に世界は多重だ。とてもとても面白い。
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