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居合わせるということ
- 2007.03.31 Saturday
- ■日々の記録
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- by 小野満麿
■歴史的瞬間や奇跡的現実の場に居合わせるということは、自らの価値を自らが自らに与えるいい機会である。しかし特別な時や場所に限定せずに、いつでもどこででも自分がその時そこに居合わせるということは特別なことなのだ。そしてその時その場に居合わせるということは常に自らの眼前に生起しては消え去っていく高次のモニター画像である。共に居合わせるということは、創出・共有しているのだ。
■人間と人間との間に生ずる関係性こそが人間界である。しかしそこにはひとつ反転があるような気がする。字義通りというわけではないが、人と人との間にある関係性もしくは干渉波そのものが人間、もしくは私が普段というユニットだと思い込んでいるものではないのだろうか。私が普段私だと思っている「意識」、色々と感じ考える「心」、そして外界である世界と内面である精神の界面としての「私」…。
■私という自覚意識は本当にすぐ心身喪失状態に落ち込みやすく、意志がいくら強いと思っていても肉体的疲労や苦痛によって、そして物理的害毒や化学的薬物によっても、すぐにその通常意識と読んでいる内面と外面の界面意識は揮発してしまう。このうすっぺらなん自分という意識をうまくすっぽり反転すれば、外面も内面も共に内包する1つ垂直方向の意識次元になれるのではないだろうか。私はただの界面膜。
■この地球の現在に居合わせるということの意義…と言っている時点で、その発想が正常ならばこの地球以外の宇宙や空間を知っているとうことである。今しか意識できない時間感覚を超えてそれ以外の時に自分がいることを想定できるということであろう。そうでなければそれは単なる記憶や推測だけだ。ひとりよがりを超えてコミュニケーションするということは、人間の通常能力ではないのか。
■この地球が好きか?好きだ。人間というものが好きか?好きだ。では自分というものはどうか。ナルシシズムに堕さずに好きになりたいと思っている。人間が大好きだと宣言できたときに比べ、その強い心根が失速気味なのではないか?他者への接し方、特に近しい者達への無慈悲な接し方、ぞんざいな口の聞きかた。自らが気づいた時に変わり行こうと努めねばなるまい。常にいつでもそれは今。
■居合わせているということすらも失念し、見逃し、月並みな時と所であるとしか認じられない平凡さに甘んじ続けるな。目の前の者が魑魅魍魎なのか、守護天使の化身なのか、どちらでもあるのか、どちらですらもないのかも分からない。どのようにでも在り得させるこちらの姿勢にも注目せよ。愚かな者、怠惰な者にも目を向けよ。化けのかわを剥がせ。剥がす者と剥がされる者との関係を見る視座を得よ。
■「居る」ことは一人でもできる。しかし「居合わせる」ことは他者や個人的なだけでない状況というものがある。他者の状況に居合わせるだけでなく、同時に自分の状況の中に相手も居合わせるのである。そして少し考えれば分かる事ではあるが、自分の意識が明確であれば出会う人は皆「居合わせる」者なのだ。そして出会う他者にとっていつでも自分は居合わせる者でもある。一人きりになるとき初めて居合わせることについて考えられる。
山形の温泉群はまたこの次に…(on 20070314)
- 2007.03.30 Friday
- ■温泉と旅行
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- by 小野満麿
■古勢起屋別館の壁の薄さのためだろう、昨夜は隣りの部屋の声が筒抜けなのが気になった。朝起きてカーテンを開けるとまたもや雪だ。しかも一番の激しさである。雪はすでここ3日で50センチほども積もっている。朝食は広間で取ったのだが、畳の上にテーブルと椅子というスタイルだった。大正ロマンを意識したこの宿の1つの特色なのだろう。金山温泉の宿同士は親密に協力し合っている。
■チェックアウトは10時なのだが、この宿の駅までの送迎車は12時30分発というのがある。大石田駅発の新幹線の時刻との関係なのだろうけれど、この時間までまた荷物を置かせてもらってまた雪中の銀山温泉街を歩いてみる。うっかりしていると軒先から雪がドカドカと落ちてくる。少し先にある滝も寒々しい。結局古勢起屋別館には24時間もいたことになる。オーナーがじっくり昔の話をしてくれた。やはり地元の人と話をするのは新鮮だしとても楽しい。
■今回は雪の降る銀山温泉を願い、それが希望を遥かに超えた降雪量として叶ったわけだが、実際に訪れてみてその心地よさに触れたので、今度はまた温かい時にも是非訪れてみたいものだと思うようになった。銀山川縁にある足湯の「和楽足湯」も降り止まぬ雪の中では味わうことができず、銀山鉱跡までの散策路も雪に埋まってしまっていた。実際のところ、名古屋からこの銀山温泉までは飛行機と新幹線を使えば3時間も駆らずに辿り着けてしまうのだ。
■送迎バスに乗り込んでも雪は横殴りに振り続ている。何か来る時よりも駅までが長く感じた。結局天童までみんなで出て、飛行機の時間までに山形のそばを食べることにした。観光案内所で立ち寄り風呂ならぬ立ち寄りそば屋の美味しいところを尋ね、駅に近い「伊東屋」というお店に入る。食事も傍も安くて美味しかった。食後にここの主人が10年ほど前の山形国体で皇太子そば打ちを説明しているパネル写真を示して、いろいろと当時の話をしてくれた。
■山形県の温泉は地理的にあまり縁がなかったが、今回訪れて様々な地名と温泉地が脳内で再プロットされた。実のところ一人で訪れたのであれば、駅名にもなっているさくらんぼ東根温泉、かみのやま温泉、天童温泉、赤湯温泉くらいにはつかって帰りたかった。そしてもちろん足を伸ばしてもがみ温泉、赤倉温泉、肘折温泉、瀬見温泉、小野川温泉、白布温泉等の幾つかは抑えておきたかったが、まあそれも今後の喜びとしておこう。山形も名湯が多い。
■ところで今回、ずっと先まで予約で一杯の銀山温泉「能登屋」に宿が取れたのは、この能登屋と血縁関係にある友人のおかげである。嫁さんと私の母親たちにも大変喜んでもらえたし、私もその魅力をしっかり満喫させてもらうことができた。改めてお礼を申し上げたい。
銀山温泉「古勢起屋別館」へ (on 20070313)
- 2007.03.29 Thursday
- ■温泉と旅行
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- by 小野満麿
■朝は6時前から、昨夜からまた降った雪を掻いて川に流す作業をしている音がする。窓を開けるとまだ雪が降り続けていた。朝食は山形大学の工学部研究室の学生達30数名と一緒だった。前夜の宴会疲れの者もいるようだが、夕べの私はその騒ぎも知らずにぐっすり寝てしまった。久しぶりのビールよりもむしろここの温泉のおかげだと思うが、夕食後の一休みのつもりで横になったら、結局目覚めたら朝だった。
■10時にチェックアウトして、午前中に能登屋さんのご好意に甘えて荷物を預かってもらい、お土産を物色してから、古勢起屋別館が経営している斜め前のこの宿の喫茶軽食ルームでお茶を飲んだ。母親たちが今日こちらにおせわになる者だと言う。これを聞いていたおかみが部屋の準備を急がせてくれて、まだ午前注なのにどうぞと言ってくれた。これで荷物を能登屋から移動し、部屋に落ち着くことに。感謝。
■能登屋からは川を挟んで斜め向かいにある古勢起屋別館。こちらは木造5階建てである。最上階は玄関側には窓はないが、逆向き側に客室はある。去年の12月1日にリニューアルオープンしたばかりで、インターネットで、この比の最後の1室が予約できたのである。川を挟んで正面に青い目のおかみで有名になったジニーさんの藤屋があり、その左隣りに銀山温泉の大湯がある。
■大湯は他の温泉町とは異なりこじんまりしている。入り口の左横にあるボックスに入浴料金200円を入れて中に入る。簡単な脱衣所。数人が入ると一杯になる小さな浴槽。源泉温度が高い湯を掛け流しているので、水を加えて適温にする者がいないと熱過ぎては入れない。しばらくの間水道の蛇口を一杯に捻ってようやくは入れる温度になった。源泉は同じでもその扱い方によって微妙に湯感が異なるものだ。
■古勢起屋別館には2つの内風呂があり、午後8時に男女が交代するシステムになっている。またフロントで「ご湯っくり券」をもらうと、少し離れたところにある同系列の姉妹店「仙峡の宿銀山荘」の露天風呂、寝湯も利用できる。せっかくだからと3階4階建ての木造旅館街を離れ、降り止まない雪を押して坂道を登る。さすが雪国、これくらいの雪ではものともせずに、車がチェーンもなく上り下りしている。
■フロントを通していよいよ階下の露天風呂に。眼前には樹木の枝に繊細に積もる雪、そして川と湖を埋め尽くしそうな雪。そこにさらに雪が舞い続ける。これこそ雪見風呂。しかも独占だ。狙ってもこうはうまく遭遇できない今年初めてのドカ雪。ここの温泉の湯質は申し分ない。それに大正の大工。職人の粋を尽くした建物たちを満喫堪能し、おまけにこの広々とした雪見露天。これ以上はもう望めないだろう。
■湯上りに大きなガラス窓の外の降りやまぬ雪を眺めた。リクライニングのソファに仰向けに座り、天から落ち止まぬ雪をただ見る。白雲を背景にそれぞれ別個の動きをしながら降りてくる。身の内に意識を向ければ大きく耳鳴りがしている。降り続ける雪を見ていると何かを思い出しそうになる。懐かしいけれど思い出せない記憶未満の情緒のかけら。音を吸収する雪は、雑念をも吸い取ってくれるような気がする。(続く)
雪に埋もれ行く銀山温泉 (on 20070312-2)
- 2007.03.28 Wednesday
- ■温泉と旅行
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- by 小野満麿
■景色を眺める余裕どころか視界すらも吹雪に奪われて、足元ばかりを見詰めながらようやく宿に辿り着いた。そして建物の中から改めて外を眺めると、大正ロマンの面影を残す三層四層の木造建築の宿たちが、激しい雪に降りつけられながら川を挟んで並び建っている。町全体がまとめて文化財指定されてもいいような時間を超えたような風情である。温泉名は、江戸時代の三大銀山の1つ延沢銀山に由来する。
■銀山川に湧いた温泉で仕事の疲れを癒すように温泉宿が発達し、廃坑になった後も湯治場として栄えた。ところが1913年の大洪水で大被害を被り、宿が建て直されて今日あるような形に面目を一新したのである。その中でも一番目を引くのが、望桜のような形状を有した能登屋旅館である。NHKのTVドラマ『おしん』の舞台になり、また宮崎アニメ『千と千尋の神隠し』のモデルの1つでもあったという。
■古い歴史を持つ能登屋という国の指定文化財に泊まれるということで、一同は興奮気味に凄い凄いを連発するので少し気恥ずかしいが、それでも職人さんの成した巧みと粋には目を奪われる。部屋の中の襖一枚、天袋や引き出しの造り、入り口の凝ったさん、天井の板組み、廊下と階段、寛ぎ処の椅子や机の据え具合…。無体な望みであるが、中からは魅力的な建物の外観が見えないことだけが唯一の残念なことだ。
■建物の正面玄関の真上にある楼閣型建築の4層目には談話室があるのだが、旧暦の雛祭りだからだろう、雛人形が艶やかに飾られていた。そしてこの天井の中央にある明り取りが楼頂5層目の部分である。部屋の下から見上げるとそう大きなものではないのだが、外から見る限りではもっと大きく見える。何事も1つことを内と外の双方から見て、意識の上で同一物として再統合しようとするのはなかなか難しい。
■一息つくとすぐに、能登屋の名が入った紺の温かいウインドブレーカーと長靴を借りて川の両岸を歩いてみた。銀山温泉にはなぜこんなに沢山の橋があるのか不思議だったが、実はそれぞれの家ごとに玄関正面に自分のところの橋があるからなのだと分かった。銀山温泉にはもちろん夏には夏のよさがあるに違いない。しかし勝手な言い草だが、冬に訪れるとなるとやはり雪があるとないとでは趣が随分と違う。
■内装や外装の建築の妙や雰囲気にのみ心を奪われていたが、宿に戻って落ち着いてみると、あちこちにさりげなく活けられた花々や小さな植木鉢が設えてある。当地の言葉のままの受け答えも心地良い。この宿の繊細な管理と暖かな接客を覗わせて余りある。銀山温泉には猫はいないのですか?と尋ねてみたら、もちろんいるという答。猫だから雪の日などは特に家の中でぬくぬくとしているのだろう。安心した。
■夕食は4階にある天井の梁が雄々しい屋根裏部屋的な作りの60畳の広間にて、贅沢にも私たち4人だけに給仕して頂いた。立ち居振る舞いも清々しい美人のおかみがゆっくりと挨拶してくれた。能登半島から銀を掘りに来た当家の初代から数えて今は16代目だという。しっとり健やかな大おかみの存在も温かい。地元の食材を丁寧に造り上げてくれた食事はみなどれも素晴らしい。食前酒の自家製葡萄酒も美味しい。
■宿そのものがこれほどの雰囲気なので、そちらに気を取られてばかりいたが銀山温泉そのもののお湯には多大な期待を抱いていなかったけれど、つかってみてすぐに体が温まる力強さにに驚いた。温泉は集中管理しているというので、宿ごとのお湯の特徴はないのだろうと思っていたが、60度以上の熱い湯をそのまま掛け流しにしてくれている。例年なら雪に埋まるので入れない露天風呂にもつかることができた。
■源泉温度60.6度、pHは6.8の含硫黄-ナトリウム-塩化物・硫酸塩泉。1kg中の成分は陽イオンがナトリウムイオン621.5mg、カルシウムイオン89.5kg、カリウムイオン54.5kg、マグネシウムイオン2.4mgなど、陰イオンは塩素イオン805.6mg、硫酸イオン336.0mg、炭酸水素イオン174.9mg、フッ素イオン3.1mg、硫化水素イオン3.0mg、リン酸水素イオン2.9mgなどで、メタケイ酸111.5mg、メタホウ酸80.7mgなども含め溶存物質総量は2293mgである。なお地下にある貸切ができる洞窟風呂も面白い味を出していた。(続く)
山形の銀山温泉「能登屋」へ (on 20070312-1)
- 2007.03.27 Tuesday
- ■温泉と旅行
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- by 小野満麿
■心配しても始まらない。しかしただ心配しないでいるだけでも、物事はさして好転しない。発想は楽天家、行動は現実的でなくてはならない。最後に余計な心配は取り越し苦労だったというくらいの結果となれば御の字。ものごとがうまく行くことは当然の大前提で、その上で敢えて実のところ大丈夫だろうかとちょっと心配してみるという真剣な遊び。…で、さて今回は山形にある憧れの銀山温泉行の話である。
■ようやく銀山温泉に宿の予約が取れた時点では、まだ雪が積もってはいなかった。例年ならひと冬に数回は雪おろしをしなくてはならないのに、今年はまだ1度もしていないというほど暖冬なのだ。しかしどうせ行くのならやはり銀山温泉の雪景色も見たい。だから何の根拠もないけれど、きっと雪が降るだろうと思っていた。願いて叶わざるはなし。案の定、大陸からの寒気団が強い風を伴って南下して来ていた。
■問題は願いが叶い過ぎたのでさてどうしようという問題へと、現実が反転してしまったということだ。前日には風と雪の影響で山形新幹線が信号系統の確認という名目でずっと止まってしまっていた。そして12日。暖冬などはどこへやら、真冬の寒さで山形は吹雪状態だという。嫁さんとその母上は名古屋から山形空港に飛びそこから新幹線で大石田へ、私と母親は東京から山形新幹線で一路大石田への予定だ。
■嫁さん側の名古屋⇒山形の飛行機はこの天候下で飛ぶのか。飛んでも時間通り到着するのかどうかが問題だった。朝の段階では名古屋はみぞれ、そして隣りの岐阜では大雪中。飛行機のフライトに関してはただ祈るだけで、私と母親はとりあえず藤沢駅から東京に向かう。午前8時のラッシュアワーだったのでグリーン車に乗ることにした。しかし何とグリーン車輌でも座席は全部埋まっていて座れないではないか。
■高齢者を東京まで立ったままの状態で過ごさせるのは酷だろうと思い、急遽次の大船駅で隣りて、隣りのホームの横須賀線に乗り換えた。辛うじてグリーン車の座席は空いていたので一安心しつつ着席。やんぬるかな、次の戸塚駅で全てが埋まってしまっていた。とりあえず行動しての結果のラッキーゲットである。それにしても今はグリーン車の検札も女性職員がやるのだなあ。何か穏やかないい感じである。
■東京駅の地下ホームから東北新幹線の乗り場まで短くない移動をして、無事9:24発のつばさ109号に乗車。東京を出るともうほとんど止まらずに新庄へと向かう…はずだった。しかし米沢を出た頃から天候が激変。強烈な風雪の中で列車が止まってしまった。強風のため運行司令室と走行を相談中とのこと。吹雪く窓外。かなり間があってから、赤湯駅まで時速25キロで運行をするという車内アナウンスがあった。
■そうこうしているうちに、山形空港に無事到着してこれから新幹線に乗れる駅に移動すると携帯メールが来た。心配していた飛行機の運行は問題がなく、自らの移動手段が乱れるとは想定していなかった。こちらの遅延状況をメール返し。今でこそメールのやりとりで互いの状況が逐一分かるけれど、ついひと昔ならば自分達のありようも伝えられず、相手の状況も分からず、随分と心配してしまったことだろう。
■結局、山形空港からさくらんぼ東根駅に移動した嫁さんたちとは、35分遅れで到着したつばさで合流して大石田に辿り着けた。宿の送迎車で銀山温泉にむかうが、広々とした雪原遥かから白い寒気の塊が凄いスピードで接近して来て、辺り一面を飲み込んだ。どこもかしこも真っ白で何も見えないホワイトアウト。車が入れないので宿の手前100メートルほどからはこの暴風雪の中を歩く。なんとも猛烈な歓迎だ。(続く)
発酵前の文字列の蔵出し(2)
- 2007.03.26 Monday
- ■日々の記録
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- by 小野満麿
■■■■■自らと宇宙への誓約
■昔、全ての人々が幸せになるように祈り、また行動すると誓約した。また魑魅魍魎の類いから天使・精霊・守護霊など諸々の存在にも、その助けを請うた。今、他者に対して不快感や拒絶感を抱く時、そのことを想起しなくてはならない。目の前の人間がどのような者であっても、私の意識は常に例外を作らずに幸せとなるように接し、また行動しようと自ら決めたのである。内なる小心者、囁きかける世界分断の誘いを見抜き、そしてそれを超えること。
■そうするといかなる者に対しても加害や否定や無視や恐れを抱くことはあるまい。その自ら決めた生き様を思い出している限り、背筋は伸び、目線は上がり、体は上に浮き上がり、呼吸は整い、意識は明晰になる。その上で目の前の人間としての生活感や感情との整合性を見出す道を進もう。地球に、宇宙に、そして自分自身の総体に対しての信頼と一体感を抱きつつ生きよう。思い出そう、何をなすべきか。思い出そう、何を成すべきか決めたことを。
■■■■■しっかり話ししっかり聞く
■携帯電話で話すと大きい声になる。目の前の人と話をする時も携帯電話を介してのつもりで話すとちゃんと大きな声で話せるのだろうか。イメージだとは言え機械を介することになるので、よからぬ方向性なのではないかとも思ったが、機械そのものを介さないないのは事実だし、実際の内面と外面方向にも思いを馳せられるかもしれない。ただ独りよがりに堕しないよう意識しなくてはならない。良く話し良く聞く。
■ある言語で思考し、また語り合うということ自体に固有の振動周波数があるのではないか。他の言語に対して日本語はかなり特殊な帯域を用いているのではなかろうか。もちろんこれは物理的メタファーの表現だが、頭の中の耳鳴りもまた個人によって異なり、思考を巡らす構造やパターンによっても随分と違うのではないか。周波数的に共鳴したり干渉したり、不協和音となったり…。それ自体を幾何学的数字的に解して見よ。
■■■■■自分の顔の快不快
■最近自分の顔が余り好きでない。以前は好きだったのかというと別に特にそういうわけではないが、とりあえずアクセプタブル(受け入れ可能)ではあった。ナルシシズムからではないが嫌いではなかった。しかし今それとなく不快なのは、そこに老醜を見るということもなきにしもあらずではあるが、それより自己イメージとのずれゆえの現在の自分の顔への非許容性があるのだと考える。つまり私自身が以前より人間的に性格が劣っているのである。
■どうしても自らの要望骨子は変わらないのであるならば、その上の人相や表情を良くしたいものだ。今風に言えばもっとオーラを輝かせたいのである。何か今とは別の状態になりたいと言うのは、実は今がそうでないからだ。今の私は怠慢である。安穏である。向上心が欠如しかけている。他者への思いやりが薄れている。向学心も少ない。身体の鍛錬をしていない。もっと自分自身とコミュニケーションを取らねばならない。否定はせず肯定も仕切らずに。
脳の中の13の月の暦…12-60と13-20の数計時(3)
- 2007.03.25 Sunday
- ■数の世界
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- by 小野満麿
■昨日は脳波のヘルツ単位レベルと個人の満年齢の上に、優位耳反転現象として見てみたので、今日は月齢との関係を考えてみることにしよう。これまた角田忠信氏の研究によると、人間の優位耳反転現象は、満月・下弦・新月・上弦の月齢とぴったり7日周期で一致して、優位性の逆転現象が発生する。それぞれ6.5〜11時間、1.3〜2.6時間、3.5〜4.7時間、2〜3.3時間続くということまで分かっている。これは地球上の地域差に係わらず観測されている。
■また地磁気の変動や天体などの環境変化が生じてきていると、その異常のレベルにしても敏感に反応して変動するのである。人間の聴覚器官と脳は、私たちの意識の弁別能力を遥かに超えた分解能を持っている。また地球の公転や月齢などといった宇宙の運行との同期が物理的数値としても見られている。それらが私たちの両耳及び聴覚認識の物理的現象として見て取れるとはどういうことだろう?別々の物の同期なのか、同じものの別の表れなのだろうか。
■上図は13の月の構造+3日の「月のテンプレート」である。そして同型構造の表は、4オクターブに3音を加えて表わした「音階の周波数比」及び「それに対応する弦長比」だ。ご存知の通り、周波数と弦長は反比例の関係である。これを暦として見た時の日にちと、ドを基音とした時の各音との音高差は同じ数値で表わすことができる。つまり同一オクターブのドとラなら6度と表現するが、これは暦の6日の位置に重なっている。
■1日の位置に来る最初の数値をそれぞれの日にちの位置に対応する比率の数値として見ると、今まで気がつかなかった様々な比率の符合というものが発見できる。例えば今回は暦での1日との27日の位置の関係、音階として見ると基音と3オクターブ上のラ(27度上音)に対応する。音の周波数比として見ると、これは3:40になる。弦長比だと逆数の40:3だ。面白いことに基音に円の1周である360度を入れると、27度上音は角度でも27度になるのである。
■さて次に基音に13の月の暦の1年364日を入れてみよう。すると27度の位置には27.3という数値となる。27.3日は言うまでもなく月の公転・自転周期である。ここに地球上のどこかで日食・月食が起こる周期である「地球の食年」(※)、つまり太陽が黄道と白道との交点を通過して再びその交点に戻るまでの時間である346.6日の数値を入れてみよう。すると27度の位置には26という数値が入ってくる。もちろん13の2倍である。ツォルキン260の1/10だ。
■では13の月の暦そのものでもあるこの月のテンプレートの1日の位置に、今度はマヤの神性暦ツォルキンの260という数値をいれてみよう。すると27日の位置に入ると数値は19.5となる。この数値はマカバで有名になったケプラーの星型8面体を地球に入れた時のパワーゾーン北緯及び南緯19.5度だ。これはまた正4面体の中心角109.5度及び2面角70.5度の直角90度に対する差異も±19.5度でもある。また19.5度と赤道傾斜角23.4度との比は6:5である。
■また火星会合周期780日を1日の位置に入れると、27日のところには水星自転周期である58.5日が入ってくることになる。このような関係を単なる数的な比率としてみるだけでなく、実際にピアノの鍵盤などで「ド」と27度上音の「ラ」として、その関係を耳で聞いてみることもできるのである。同様に他の日にちもしくは音高差の位置との比率関係にも様々な数値を入れてみれば、いろいろな発見があるけれど、今日のところはここまでにしておこう。
(※)地球の食年⇒246日14時間52分54.405秒の周期。521太陽年と549食年が一致することはシュメール人も知っていた。
脳の中の年輪…12-60と13-20の数計時(2)
- 2007.03.24 Saturday
- ■数の世界
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- by 小野満麿
■99ヘルツ以下では40,60ヘルツ系の音で左右の耳の優位性逆転現象が起きるのは万民共通であるという話をした。ところで個人レベルにおいては、満年齢かその整数倍の数でも正確に逆転現象が起きるということも、角田忠信氏の研究から分かっている。50歳なら47,48,49,50,51,52,53ヘルツという近接する三角波か共通帯域雑音をランダムで聞かせてみると、自分の今の満年齢の周波数の時のみ逆転し、ほかの6音とは明確に区別される反応となった。
■植物や魚の耳石や鱗には年輪様の変化が見られ、一部のサンゴの化石には日輪変化も観測されている。そして人間の場合は、満年齢に相当する数の周波数や、その数値になる組み合わせ音だけが逆方向にスイッチングするのである。さらなる実験の結果、その根本的な原因は全く不明だが、大多数の例で誕生日当日の午前中の数十分の間に、古い年齢から+1の新しい年齢へとその反応が変化することが実測された。
■1日1日を認識でき私たちはまた、人間の心理時間とか内的時間と表現されているような曖昧で主観的な時間間隔とはまた別に、1秒1秒の内部分割であるヘルツをそれこそ機械的な正確さで捉えているのである。前者が人間的で後者は非人間的であるという表現は当たらないだろう。どちらも共に人間的であるのだ。そしてそこに整合性を見ることができる12-60の世界計測法には、まだまだ私たちが把握し仕切れていない多くのリアリティがあるようだ。
■ここには明らかに暦の問題が含まれている。人の脳には誕生以来連綿と宇宙の運行と同期して働く正確な年齢システムが存在する。私が「世界暦」や「銀河暦」と称する暦を意識的に用いようとする場合は、それに見合う「自分暦」も必要だと力説する根拠でもある。生体時計という概念があるが、おそらく人間は、365.2422日の太陽年と1年に0.0003日(=26秒)のずれを生じる365.2425日のグレゴリオ暦よりも正確な時計生体、生命暦でもあるはずなのだ。
■1秒、1メートルと言う単位にも合理性がある。ガリレオの振り子の等時性が示すように、1メートルの振り子の往復はほぼ1秒である。1メートルは実測から定義された地球レベルを基準にした人間的な長さの単位だ。1メートルの元となった様々なキュービットは人間の肘から指先までを単位としていた。1秒1分1時間はシュメール以前にルーツがある12-60進法的な計時単位である。地球の大きさもまた、人間の総体の投影されたものではなかろうか。
■1日という基本単位を内に分割し、また外に累積した基本的な諸単位は、人間の共通無意識的な共型振動の投影でもあるのだろうか。この12-60進法的なヘルツを背景にしても見ることができる精緻な人間の脳の中の年輪は、人間が社会的に無意識レベルで共有するようになった後天的なものなのだろうか。それとも人間の遺伝子レベルから肉体や脳に最初から刷り込み済みの共通周波数なのだろうか。13-20進法に進む前に明確にしておきたいところである。
脳の中の宇宙…12-60と13-20の数計時(1)
- 2007.03.23 Friday
- ■数の世界
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- by 小野満麿
■人間の聴覚系の反応において、100ヘルツ以上と99ヘルツ以下で明確な差があるということは、角田忠信氏の研究で有名だ。100ヘルツ以上の純音は左耳が優位(右脳で処理)であり、99ヘルツ以下の純音では右耳が優位(左脳で処理)となる。これは日本人も外人も差がないので、生物学的に大事な特性を持つと考えられる。男性の最も低い発声振動数でも100ヘルツ以上なので、これ以下の低域は言葉のコミュニケーションとは無縁だと考えられている。
■ところでその低音域の40,60,80ヘルツに限って左耳優位の逆転現象が起こるのだが、驚くべきことにすぐ隣の39,41,59,61,79,81ヘルツは右耳優位のままなのである。これは一体どういうことだろう。交叉的な聴覚情報の経路が切り替わるだけで大脳半球の役割分担は不変と考えられている。数の認識は私たちの通常意識とは全く別のところでも絶えず行われているということなのだろうか?外的と考えられていた時計にぴったり合う内的認識能力。
■しかも問題は時間的な数認識だけではなく、空間的に組み合わされた40,60,80本の音に限っても、右耳優位の逆転現象が起こるのである。1本の音の倍音(100,200,300…)を順次100本まで作り、次々に増やしていく実験をしたところ、39,41,59,61,79,81本の場合は左耳優位のままであることが分かった。この空間的パターンの数と時間的パターンの数の一致(そして左右反転)は何を意味するのだろう。私たちは意識的に何を数えているのだろうか。
■そこで10本の音束と4,6,8ヘルツの組み合わせの時を試してみたところ、やはり右耳優位に逆転する。しかしやはり3.9,4.1,5.9,6.1,7.9,8.1ヘルツではこの逆転現象は起こらない。10本の組み合わせ音(500〜5000ヘルツ…左耳優位)と三角波の音の刺激回数の積…つまり空間的な10本の本数と時間的なヘルツの積が40,60,80となった時にだけ逆転が起こっている。時間と空間の情報が脳の中では統合されていることを示すと考えてもよいだろう。
■人間の脳の中には1秒に対応する正確な生物学的な検知系があると考えられる。これは社会的な時計、つまり個人意識の外部に存在する時計と同じ精度の時計に相当する。「1秒」とは12-60進法に基づいて人間が恣意的に決めたものなのではなかったのか。「文明の初期にすでにあった」不思議ではなく、「人間の生体の中に最初からある」という不思議のレベルなのである。12-60進法を諸悪の根源の機械的計時法として貶めて済む問題ではないのである。
■さらに超能力的な様相を帯びてくるのは、無作為に碁石をばら撒いて眺めさせ、そこにこの角田法テストをしてみた結果である。目の前の碁石の数が40,60とその整数倍の時に逆転現象が起こってしまうのだが、同様に39,41,59,61…では起こらないのである。何よりの驚きは被験者が碁石の数をきちんと数えていなくても同じ結果となるということだ。数えて逆転現象を起こしているのは誰だ?逆転現象を起こしているのは「数」そのものなのだろうか。
■このように全く意識すらできないレベルにおける数を数えるという行為、もしくは数を認識するという現象は、私たちの通常意識がいかに薄い表層にすぎないものであるかを改めて知らしめてくれる。そして意識的に「数を数える」ということに対しても、その深い奥行きの中でなされていることと深く関係している行為として、敬意を持ちつつ改めて考え直さねばならないのではないだろうか。13-20に行くためにも12-60を知り尽くす必要があるのである。
自家版後拾遺集(4)
- 2007.03.22 Thursday
- ■日々の記録
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- by 小野満麿
■■■■■言葉の裏にある言葉にならないもの
■パラドキシカルではあるけれど、口に出された言葉は情動や観念を相手に伝えると同時に、その瞬間からその言葉に付随させた概念や情緒の変質や発酵が始まる。最初に乗せた意味そのものにどちらかが固執しすぎると、そのズレは増大していく一方だ。言葉そのものの意味の入れ子は上次元的にあるけれど、コミュニケーションにおいては、先ずその言葉に乗せた意味がその時に伝わることに最大の価値がある。
■またそこで言葉として口にするということはとても重要だけれど、言葉にしたことで言葉にしたかったものが終わるわけではない。言葉として口にしなかったがゆえに、自らの内では変わらない気持ちというものもある。また口にした後でも、そこから変わらず続いていくものたちにもある。言葉を発した後も、発しなかった時同様に変わらないものにも意識を向け続けて行くことにも価値があるだろう。
■どう表現しようとしてもできない類のことはあるし、また逆にどうしても表現しておきたいという物事もある。そのことを再認識した上で、そのはざまで努力することは決して無意味ではない。それでも口にして表現したい情動が大きい時は、口から発する言葉に対してより注意深くあろう。自分に対して、相手に対して、言葉そのものに対して、そして言葉で表現しようとする物事そのものに対しての思いやり。
■■■■■日記様の文体にも未来はあるはずだ
■言葉を用いてその日の出来事や思いを綴るものが日記。最近のネット社会ではブログやmixiなどに、個人的な日記様の文章を気軽にアップロードすることができる。日記とはあくまでも個人的なもので、推敲に推敲を重ねたものでない文章の形で、個人的な日々の思いのたけを安易に人目に晒すことはいかがなものかというという指摘がある。それはまさにそのとおりではあるが、全否定的でなくてもよいだろう。
■ネット上にはもちろん読むに耐えない文字の連なりが満ち溢れているが、質的に劣ったものは必然的に自然淘汰されるであろう。拙くても興味のある者の発信するものは、またそれなりにニーズと影響力があるに違いない。そしてネットという新しい媒体を無法地帯として成り行き任せにするのも無責任だが、未知なる可能性すらも過去の枠組みにはめ込もうという発想もまた未来を信頼する志にかけている。
■日記というものの定義を固定する必要はないし、そのあたりのことを意識できる者はネット上に晒すものと、公にせずに別の記録として私的に保存していることだろう。また個人的な日記様の文章を考えもなしに次々とネット上に晒す者もあるだろう。他者の自由意志を阻害する自由意志もありうるというパラドキシカルな世界ではあるけれど、それが必ずしも悪い方向にばかり向かうとは限らないのが未来なのだ。
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