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■惑星グリッドに関するメモ−13(空の366等分割と360分割)
- 2007.06.30 Saturday
- ■惑星グリッド
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- by 小野満麿
(76)
■天空もしくはぐるり360度の地平線の366等分割と、1メガリスヤードはどのようにして算出されていたのだろう。これは地球の質量と振り子の長さという2つのファクターのみで、「時間」を「距離」に置き換えるという比較的簡単な操作で可能であることが証明されている。平坦な土地に立ち、Aから西を向いて233歩進む。そこをBとして北に4歩進みCとする。するとこのBCはAから見ると地平線の1/366の長さになるのである。
(77)
■半径233の円周の1/366は233×2×π÷366=3.999951≒4であるからだ。そしてこの長さの枠を作り、金星の過角度に合わせてから、星空を背景に逆方向に最も早く動く宵の明星としての金星をトレースするのである。この地平線上の空の1/366に相当する枠の中を金星が通過する間に366回振れる振り子の紐の倍の長さが1メガリスヤード(82.966cm)になるのである。金星は暦のエクスパートであったマヤ人たちが執拗に観測し続けた惑星でもある。
(78)
■シュメール人も振り子と金星を用いて度量衡を決めていた。360度の円を発明したシュメール人の用いていた長さの単位クシュの2倍はほぼ1mの99.88cmだった。なお地平線上の空の360分割では、振り子の揺れの回数は366回ではなく240回となる。このシュメール人たちも長さを質量や容積の単位に変換して用いていった。彼らはすでに重量や容積も、何千年も後に採用されるメートル法のキロとリットルに相当するものを使用していた。
(79)
■金星が地平線上の空の1/360を通過する間に2クシュ長の振り子は1秒を刻む。大麦360粒を横にしてつなげれば2倍クシュになる。シュメール人の重さの単位である1マナは10800粒の大麦にあたる。2倍マナは21600粒だが、地球の質量の1/6,000,000,000,000,000,000,000にぴったり等しいことが分かっている。地球を360分割すると3.6×10の26乗相当の質量となる。現代の大麦も昔とほぼ同じ大きさと重さである。過去に何らかの遺伝子操作があった可能性がある。
(80)
■360と365と366の関係によく似たものとして、それぞれ100だけ少ない260と265と266の関係がある。260はマヤの神聖暦の周期であり、266はドゴン族が重要視していた数でもある。266日は人間の平均妊娠期間、すなわち受胎から出産までの長さでもあると共に、月の9朔望周期日でもある。地球上の1日を基本とするのではなく、月の1日すなわち1朔望周期日である29.5日を基本単位とした内惑星10進法というものを考えた事があった。
(81)
■2朔望周期は水星の自転周期58.5日に、3朔望周期は水星の公転周期88日に、4朔望周期は水星の会合周期166日に、5朔望周期は水星と金星の会合周期144.5日に、6朔望周期は水星上の1日である176日に、8朔望周期は金星の自転周期と公転周期の平均である234日に近似している。9朔望周期日266日は既述したように人間の平均妊娠期間でもある。惑星グリッドを考える時、人間の進化に関与してきた月の存在を無視することはできない。
■惑星グリッドに関するメモ−12(BC3100頃の文明同時発生)
- 2007.06.29 Friday
- ■惑星グリッド
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- by 小野満麿
(71)
■現代エジプト学の定説によれば、今から約5200年前すなわち紀元前3100年頃にエジプトでは第1王朝が始まったとされている。初代ファラオであるメネスが上下エジプトを統一して最初の王朝を作った。以後ファラオの統治は紀元前332年まで連綿と続くのだが、この期間に王朝は第31王朝までを数え、そして君主は390人に及んでいる。またバビロニアではこの紀元前3100年頃に1対1対応の数記法と60進法が確定したという説が有力である。
(72)
■またブリテン島のストーンヘンジの建設は3段階に分けて建設されたことが分かっている。最新式の補正を施して行った放射線炭素測定による時代決定法によれば、このストーンヘンジの最初の建設は紀元前3000年頃に始められたであろうという結果が出た。このソールズベリー平原に限らず、スコットランド各地からフランスのブルターニュ地方に広がる巨石構造物はこの時代かそれ以前から存在していたことになる。
(73)
■同じ頃、シュメールは大都市を建築し、農業と工業技術を発展させていた。またインドのインダス渓谷ではハラッパーとモヘンジョ・ダロの文明が巨大都市を建設していた。さらに最近ではアメリカ大陸最古の文明はBC3100頃に遡れることが検証された。南米ペルーの中央集権の共同体である。そして言うまでもなく、最近大いに人の口の端に乗っているAD2012年12月12日に終わる現行のマヤの暦の13バクトゥンはBC3113年から起算されている。
(74)
■この時期にマヤ、エジプト、バビロニア、ケルト、インド、南米などそれぞれ地理的に離れた土地で、暦、王朝、数記法、建設などが位相を揃えて開始されでいるのである。これは単なる偶然に過ぎないと言うよりは、この時期にこれらの地域に、何らかの共通した異変もしくは反転があったと想像することの方が論理的である。シュメールやエジプトの記録には、幾何学・数学・天文学・農業等を与えたらしい監視人(ウォッチャー)の存在が記されている。
(75)
■切りの良い整数値として繰り返し現れる数列の1つ1つをそれぞれ個別に偶然であると見ていくのはたやすい。しかしそこに美しさすら見て取れるこの数値の重なり具合を、どう解釈すればよいのだろう。超越した外部者を想定するか、私たちの思考と世界認識の仕方そのものに起因すると考えるのか。400:1の正逆の比から太陽と月が地球からは同じ大きさに見えるので皆既日食が起こる。また地球の特定地点で皆既食が見られるのは360年に1度である。
(惑星グリッドに関するメモ−13に続く)
■惑星グリッドに関するメモ−11(月・地球・太陽の諸関係2)
- 2007.06.28 Thursday
- ■惑星グリッド
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- by 小野満麿
(67)
■逆に言うと1メガリスアーク秒が266メガリスヤードであり、1分(6秒)=2196メガリスヤード、1度(60分)=13万1754メガリスヤードだから、極円周(366分)40008km=4822万1838メガリスヤードということになる。同様にして月の円周の1メガリスアーク秒を出すと100メガリスヤードとなり、太陽の円周の1メガリスアーク秒は40000メガリスヤードとなる。月:地球:太陽=100:366:40000だ。なお地球の極円周はメートル法で40000kmである。
(68)
■地球の1年は365日(より正確には365.24219日)だが、この1公転の間に地球は366回自転する。「平均太陽日」つまり太陽が2度続けて天頂に来るまでの時間は86400秒だが、「1恒星日」つまり実際の1自転の時間は86164秒であり、平均太陽日より236秒少ない。この差異は月の「朔望周期日」29.53日と「自転・公転周期」の27.32日の差2.21日に似ている。地球が太陽を1公転する間に366回する自転から1自転分を削り取って365日になっているのだ。
(69)
■月と地球と太陽の大きさの比は100:366:40000であることはすでに見た。月と地球が逆数的であることや、月と太陽の大きさが1:400でありながらその地球との距離比が逆数の400:1なので皆既日食が観測できることも見たので、次は地球と太陽の関係を見てみよう。太陽と地球の直径は1392000kmと12742kmである。すなわち366:40000=1:109.28である。したがって直径比で考えると、太陽の直径上に地球が109.245個並ぶということになる。
(70)
■この109.2という数字は一見際立って特徴のある数字には思えないが、実はそうではない。地球と太陽の平均距離1.49597870691×10の11乗は1AU(天文単位)として扱われている。そして地球の遠日点は1.017AUだが、この時の地球と太陽との間は、実は太陽が109.267個並ぶ距離になっている。またこれとは全く別のものである月の赤道円周は、メートル法で同じ数値の10920.8kmである。それにしても多面体の正4面体の中心角はなぜ109.5度なのだろう。
(惑星グリッドに関するメモ−12に続く)
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・
(※)数値のとまとめ
・地球の極円周の1メガリスアーク秒は366メガリスヤードとなる。
・月の円周の1メガリスアーク秒は100メガリスヤードとなる。
・太陽の円周の1メガリスアーク秒は40000メガリスヤードとなる。
・地球の極円周はメートル法で40000kmである。
・極円周40008km=4822万1838メガリスヤード
・極円周 =4822万1838メガリスヤード
・1度(1/366) =13万1754メガリスヤード
・1分(1/60) =2196メガリスヤード
・1秒(1/6) =366メガリスヤード
・シュメール体系だと、角度の1秒は1/(360×60×60)=1/129600である。
・メガリス体系だと、 角度の1秒は1/(366×60×6)=1/13176 である。
・1度=60×60=3600秒
・1メガリス度=60×6=360秒
・1周=360度=21600分=1296000秒
・1度=60分
・1分=60秒(⇒1海里=1852m)
・1秒(⇒1アーク秒=30.87m)
・1周=360度=21600分=1296000秒
・1周=366メガリスアーク度
・1メガリスアーク度=60メガリスアーク分
・1メガリスアーク分=6メガリスアーク秒(⇒366メガリスヤード=303.65739m)
・1メガリスアーク秒(⇒61メガリスヤード=50.609565m)
・1周=366メガリスアーク度=21960メガリスアーク分=131760メガリスアーク秒
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■惑星グリッドに関するメモ−10(月・地球・太陽の諸関係1)
- 2007.06.27 Wednesday
- ■惑星グリッド
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- by 小野満麿
(61)
■月の直径と地球の直径の比は<3476km:12756km=1:3.669835328>である。この数値は地球の平均直径だが、極円周を基準に考えると月と地球の直径比は1:3.66となる。以前から月と地球の直径比の逆数的関係があることには気がついていた。月を基準の100%として表せば地球は366%となる。また逆に地球を基本の100%とすれば、月は27.322%となることが分かる。この数値が月の公転・自転周期は27.322日と等しいのはいかなることなのだろう。
(62)
■かつて私は個々人にとって生後10000日目が重要な日であると指摘したが、その時は月の1公転・自転周期を小数点以下1桁で切り上げて27.4日とし、地球の1公転である365日との積(27.4×365=)10001日と計算ていした。これは個人の生後27年と3ヶ月と18日ごとにやってくる周期で、毎年の誕生日よりも盛大に祝うべきだと主張した。太陽を365回公転する地球を月が365回公転する周期、つまり地球を介して太陽と月が反転・等価する周期なのである。
(63)
■その時、月の公転・自転周期を切り上げるのではなくより正確な27.3219日として、1年間の地球の自転回数366との積を出せば9999.8154となり、こちらもほぼ10000日とも表現した。366を重視するメガリス幾何学においては、27.322×366=9999.851≒10000という計算によって、この「10000日の間に月は地球を366回周回する」と表現している。月と地球の直径が逆数的関係であったように、この周期もまた月と地球のホロニックな関係を内包している。
(64)
■地球と月の自転速度比の関係も見ていこう。地球は1日40000kmの割合で自転している。また月の対恒星回転周期は655.728時間(27.322日)であり、月の赤道円周は10920.8kmだから、月の赤道部分は1日ほぼ400kmの速度で移動している。つまり月と地球の赤道の自転速度の比は1:100である。地球の平均軌道速度は29780m/sであり、真空中の光の速度は299,792,458m/sだから、地球の平均軌道速度は真空中の光の速度のほぼ1/10000である。なお月は地球の回りを毎秒1kmで運行している。
(65)
■月・地球・太陽という3天体の周長には「月×地球÷100=太陽」という式がほぼ成り立つ。すなわち月の円周×地球の円周÷100=436669km=太陽の円周(正確には太陽の円周の99.9%)ということだ。これからまた太陽/月×100=地球の極円周であり、太陽/地球×100=月の赤道円周であることもすぐに分かる。地球の軌道速度と自転速度は長い年月をかけて減速していたが、1999年にその減速が突然止まった。その値がこのぴったりの数値なのである。
(66)
■「海里」という距離の単位がある。定義は「地球の大円上における1分の長さ」で、メートル法を基準にして1852メートルと定められている。つまり地球周長の1/21600の距離である。メガリス幾何学では円の1周を366度に、1度を60分に、1分を6秒に分割する。「海里」と同様の発想でこの極周長の1メガリス秒すなわち1/131760の距離を求めると366メガリスヤードになっている。つまり1メガリスアーク秒=366メガリスヤードということである。
(惑星グリッドに関するメモ−11に続く)
■惑星グリッドに関するメモ−09
- 2007.06.26 Tuesday
- ■惑星グリッド
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- by 小野満麿
(57)
■地球の極円周の1メガリスアーク秒は366メガリスヤードとなるが、同様の操作をすると月の円周の1メガリスアーク秒は100メガリスヤードとなり、太陽の円周の1メガリスアーク秒は40000メガリスヤードとなる。現在私たちが用いているメートル法でも、単位系に関係なく同じ数比がでてくるが、メガリス単位系ではそのまま整った数値として見て取れるのだ。なお地球の極円周はメートル法で40000kmである。
(58)
■また1メガリスヤードの1/20の長さである1メガリスフィート(4.148325cm)という単位もある。この単位の倍数を1辺とした立方体を升とすると、その量が容積の単位となっていることが分かる。1辺が4メガリスフィートの升だと1パイントになる。この1パイント升に大麦を入れると、重量がきっかり1ポンドとなる。なおパイントは1601年に制定された規準で、太古の単位とは1/5000の精度誤差がある。
(59)
■さらに1辺が倍の8メガリスフィートだとその立方体升の容積は1ガロンに、そしてさらに倍の16メガリスフィートだと容積は1ブッシェルになる。また直径が6メガリスフィートの球体には水がほぼ1リットル入り、直径がその10倍の60メガリスフィートの球体には水がほぼ1トンとなる。この精度はそれぞれ99%以上だが、メートル法の体系が18世紀末以降に制定されことを鑑みれば脅威的な整合性であろう。
(60)
■1メガリスヤード=20メガリスインチであることや、月と太陽の長さの比率が1:400として見て取れることなど、またメートル法での地球の1周が40000kmであることなどは、10進法や12進法のみならず、20進法との整合性も見て取れる。現代の平面的な視座から見るとシュメールの度量衡やメートル法その他はバラバラに見える。しかし様々な体系とも整合性を持つ単位系が、既に太古には存在していたということだ。
(惑星グリッドに関するメモ−10に続く)
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(数値のとまとめ)
各側面が4メガリスインチの升⇒1パイント(1/5000の精度誤差)…パイントは1601年制定の規準。
各側面が8メガリスインチの升⇒1ガロン。
各側面が16メガリスインチの升⇒1ブッシェル。
1パイント升に大麦を入れるときっかり1ポンド。
直径6メガリスインチの球体には水がほぼ1リットル入る。
直径60メガリスインチの球体には水がほぼ1トンとなる。(精度はそれぞれ99%以上)
(英国ヤード・ポンド法)
1パイント=20オンス=0.56826125リットル
8パイント=1ガロン
1ガロン=4.54609 L
1クォート=1.1365225 L
1パイント=568.26125 mL
1液量オンス=28.4130625 mL
1ブッシェル=36.368 72 L
1バレル=163.65924 L
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■惑星グリッドに関するメモ−08
- 2007.06.25 Monday
- ■惑星グリッド
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- by 小野満麿
(52)
■惑星グリッドにおいては大円の捉え方は重要である。それが一番滑らかになるのは、陸地部分の凹凸を無視できる海上を通る比率が一番大きい大円だ。C・ナイトとA・バトラーはストーンヘンジのあるソールズベリー平原を仮想極点とみなした時に、そこからの仮想赤道のほぼ98%が海になる事実を発見した。南大西洋−南アフリカ南端沖−インド洋−スマトラ・タイ・ベトナムの陸地の一部−南シナ海−太平洋−南米のパラグアイ付近を通るラインである。
(53)
■昔世界の中心であったと言われるアレキサンドリア図書館のあるエジプト同様に、グレートブリテン島もまたさまざまな未知がいまだに存在している。英国王室度量衡制(ヤード・ポンド法)はきわめて太古の時代から遺された計算単位系の一部であり、英国のみならず欧州各地にその痕跡が残っている。アレクサンダー・トムはスコットランドやブルターニュの巨石研究から、太古には世界共通の基本単位であるメガリス・ヤードがあったことを検証した。
(54)
■1メガリスヤードは2.722フィート±0.002フィート(82.9665cm±0.61cm)である。先史時代の建築家たちは幾何学と天文学に関して驚くほど高度な知識を持っていた。メガリスヤードは2倍や1/2の形でよく用いられた。また1/40の単位(メガリスインチ)も建築設計用に使われていた。さらに4000年前のミノス文明の1フィート(ミノスフット)は1メガリスアーク秒の1/1000に等しい。1立方フィートの雨水はちょうど1000常用(英国)オンスの重さがある。
(55)
■この太古の巨石建築家たちの際立った特徴は円を360度ではなく366度とみなしていたという点である。円が360度なのは、地球の1年が365日なので、その近似値であり約数の多い360という数が角度の単位に用いられたのだという話をよく聞く。このシュメール由来の幾何学的世界観に由来する360という数は現在でも用いられているが、太古はこの円を366分割するメガリス幾何学的な世界の捉え方も矛盾せず、むしろ相補的関係で共存していたのである。
(56)
■ちなみに360:366は60:61であり、<12−60>の世界観における60進法の基本である60にわずか1足された61という数を用いた世界観とはあまり違いがないようにも思えるが、実は全く別のものである。これに惑星の運行周期や1年を13×28=364日として捉える暦法がからんでくると、煩雑極まりないようにも見える。しかしよく見ていくと混乱を招くよりもむしろ変換可能かつ相補的に昨日するので、統合的な視座を獲得する手段にもなり得るのである。
(惑星グリッドに関するメモ−09に続く)
怠惰なる弛緩の穴を這い出ろ、我れ!
- 2007.06.24 Sunday
- ■日々の記録
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- by 小野満麿
■日々の生活が生ぬるい。身体の各所の調子が良くない。これはイコールではないにしても、かなり同じことの別の現われと解釈できる。目標を設定すること。その達成までの過程で小さなゴールを設定すること。昔のように集中できなくなっているという自覚は、逆に自覚がないまま半ば強迫観念的に思考し、手を動かしていないことの反映でもあろう。身体を動かさないので身体感覚も鈍化している。もっと…。
■呼吸の調整、姿勢の制御、意識の集中、意志の持続、展望の洗練。身体の練磨。数を数えろ。声を出せ。良い響きにしろ。体を動かせ。回転する身体、捩れる方向。身体の軋みを滑らかな流れに。美醜の感覚で自覚できる。目標を立てろ。それを記せ。心を広く開け。他者と会うことを避けるな。外出を躊躇するな。苦労は意識して味わえ。他者の強要でするのではない。自らの総体と話をしながらそれをなすのだ。
■意識の弛緩は放置すれば蔓延し、希薄化するばかりだ。意識密度のエントロピー増大に対し無策ではいけない。集中と弛緩の意識的繰り返しをなせ。自らの顔をもっと頻繁に鏡中に見よ。その造作の美醜にばかり意識が行く歳ではなくなったことを幸いと思え。目を見よ。生きているか。弛緩して拡散しきるのはまだ先にしよう。死はいずれ訪れる。その時にゆっくり休めるだろう。呼吸しながら気を随所に巡らせ。
■時間が早く過ぎてしまうという感覚は、時間を統御しようという自己意識が欠落しているからだ。意識的時間感覚はかなり制御可能なはずである。失神か昏睡していない限り、物理的時間を指標する時計の針の位置は、自らの身体感覚と意識で実は分かる。未来時間を計算するのは良いが、現実になすべきことを先延ばしにする安全弁としてそれをなすな。常に時間の切っ先より一歩先んじている意識であれかし。
■意識的に自らを追い込もう。集中しよう。集中しつつリラックスできるモードにならなかったら自滅してしまうくらいのリスクを自らに課して臨んでみよう。最悪の状態になっても、自らの総体モードは発動して踏みこたえるはずだ。安心して狂気と正気のエッジに向かおう。そうすると気がつく。自らがすでに右は自覚なき機械生物化の谷、左が自意識の制御不可能になった過剰狂気の谷である尾根にいることを。集中して緩んで、集中して緩むのだ。
■他者にはほとんど何も強要するな。また外部からは何物をも強要されるな。現状打開のための自戒のみが自らに制限を与え得る。その戒めはいつでも破れるし、何のペナルティもない。それでもあえてやってみるところにこそ自由意志の片鱗をこの身に重ねあわせてみせることができる。想定内ギリギリのストレスは精神的な不安定を醸し出す。その仮定で生ずる不安定から来るイライラを他者にぶつけるな。不機嫌を安易に表わすことを恥じよ。
■意識のありようを変容するのだ。真摯な思考と純粋な敬愛が必要だ。言葉遣いを大切にしよう。声の響きにも注意を払いつつ、言葉を大切に用いよう。皮肉を言うな。不吉なことは口に出すな。思考の最中に眉間に皺を寄せてもよいが、笑いを決して忘れるな。もっとよく世界を見詰めよ。自らの内なる耳鳴りを聞け。頭上に意識の集中点を置き、身体がいつも浮上する様な歩き方を意識すれば、腰痛は消えるだろう。下を向いて集中すれば肩が凝る。
■全て他者のためでなく、時には自らのための文章もいいだろう。
(on 20070618)
瞬時の判断・瞬時の出来事
- 2007.06.23 Saturday
- ■日々の記録
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- by 小野満麿
■上野から山手線外回りに乗った。ちょうど私の左右の座席は空いていた。秋葉原で初老の女性2人が乗り込んできて、1人が私の右隣の空いている席に座った。もう1人は立ったままだったので、私は1つ左にずれようかと考えて左を見た。その先には汗をかいている太った男性がいた。ずれると彼とくっつくのかと一瞬躊躇している間に、右に座った女性のさらに右に座っていた若い娘がすっと立って席を譲った。
■無言のままちょっとはにかみながら会釈していた。瞬時の表情が新鮮でとてもキュートだった。多分その可愛らしい瞬間は自覚していないだろう。私だけがそれを見たのだ。彼女は向かい側のドアの傍に立って、携帯電話をいじっていた。私は下車直前に彼女に「席を譲った時の表情がとても可愛らしかった」と言おうと思った。神田駅に着いた。それは決心に変わった。彼女は少し幸せな気分になるだろう。
■東京駅までのわずかな時間に、普段は控えめな自分がなぜそんなことをしようとしているのか、ふと自問する意識の隙間があった。そんなことをする自分に陶酔するためでもなく、かっこつけでもなく、彼女を喜ばせる目的でもなかった。この決意はどこから来たのだろう。考え始めると物事は動き出しにくくなる。考えすぎずに実行に移すのだ。一言語りかけてちょっとだけ微笑んで、そのまま電車の外だ。
■東京駅に着いた。立ち上がり、彼女の横をすり抜ける。なんだよ、口から言葉が出なかったじゃないか。変に意識したのでもない。ただ思い切りの悪い私が0.1秒発動した。それだけで充分だった。階段を下りて新幹線乗り場に急ぐ。大切なことを言いそびれたという思いと、いつもと何も変わらないという思いが同時に流れていた。迷った時は動かない方がうまくいってきた過去。勇気なき自分。
■そして今こうして記録している。冷静になれば、口にしていた自分は普通ではない気がする。だた口にすれば忘れ去っているはずなのだ。それにしてもなぜあの時は彼女に一言言おうと思ったのだろう。感謝でもなく自然に…。一言話しかけて、すぐに忘れるだろうと思った。意識して語らなかったためにまだ忘れていない。こういうことは意識していないだけで、よくあるのかも知れない。
■コンマ何秒かの空白は思い切りが悪い自分が出たのではなく、意識を無くしていたのかも知れない。悔いも無く、安心も不快感も無いけれど、何度か繰り返し思い出したから、今はただあの瞬時の表情を覚えているだけだ。瞬間を逃すとそのインパクトは長いこと残る。それはそれで悪くない。…とこう書くことで忘れることもできる。思い出すこともできる。どちらに転んでも悪いことではない。
(on 20070616)
「顔映ゆし」と「かわいい」と「kawaii」
- 2007.06.22 Friday
- ■言葉と論理の世界
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- by 小野満麿
■例えば「かわいい」という文字列言葉をキーボードで打つと自動的に「可愛い」と変換されるが、これは少なくとも漢字が日本に持ち込まれた後の当て字であろう。もしそうであれば漢字を当てはめることで意味は強化されはするけれど、音だけの言葉と異なり文字に既存の意味が固着してしまい、言葉自体の生きた変化変容が抑えられるということはあるだろう。「かわいい」なのか「かあいい」なのかから始めて、少し調べてみることにした。
■元々は「不憫だ」「気の毒だ」という意味の語だそうだ。その意味からの言葉が「かわいそう」だ。かわいいは中世から、「かはゆし(かわゆし)」の形で現れ、「かほはゆし(顔映ゆし)」「かははゆし」「かはゆし」と変わってきたと考えられているとか。なぜいつごろ「気の毒だ」から「愛らしい」と意味が急激に変わったのかは分かりえない。「Pity is akin to love.(憐れみは愛に近い)」という英語の諺があるが、こちらの方なら少しは分かる。
■しかし私の語感ではものごころ付いたときから「かわいい」は「可愛い」であり、「不憫だ」「気の毒だ」ではなかった。子供としてそのような意味で使われた記憶もないし、大人になってからそのような意味で用いたこともない。「可哀想」という語源をないがしろにするつもりは毛頭ないが、権威をかざして間違いであると言う者を笑う自分の言語感覚を変えるつもりもない。もちろん使う時、その言葉の歴史の一部が無意識ににじむこともあるだろう。
■80年代頃からだと記憶しているが、主に若い女の子が何にでも「可愛い〜」と評するようになった。言語の貧困化であるとか、同世代にのみに通用する流行の語感だから大人になってからも使うのはみっともないなどと言う大人もいたけれど、現代でも「不憫だ」「気の毒だ」の意味で使っている人がいたとしても、それを他者にまで強要することはできないだろう。「けなげ」という意味はあるだろうけれど、その意味では「けなげ」と言う言葉を使う。
■今の子供たちで「可愛い」と言われて不快になるのは、どこか別のところに心的原因があるからで、決して語源を知っていてそれに対して不快なのではないだろうと大胆に言っても、当たらずとも遠からずだろう。80年代に「可愛い」という言葉を使っていた者のどれだけが語源を知って使い方を厳密に修正したのだろう。当時の若者はいまや大人になり、当時の大人は今や老人となって行く。頑固一徹ならば可愛い老人にはならないのではないだろうか。
■あまり固執しないけれど、決まり文句の様に言葉が貧困だと言う人は、発想が貧困なのではないだろうか。私は中学校の時、現代国語の先生が「最近はみんな前髪を垂らしているけれど、前髪を垂らすよりも日本女性は額を見せる方が美しいのですよ」とか、「人から『美しい』と言われたら喜んでいいけれど、『かわいい』と言われても喜んではダメですよ」と言うのを聞いて、心の中では「それは絶対何かが違う」と思っていた。それは今でも変わらない。
■「かわいい」は、語源の「かほはゆし(顔映ゆし)」から→「かはゆし」→「かわゆい」→「かわいい」と変遷してきて、現代日本語ではいとおしさ、趣き深さなど、何らかの意味で「愛すべき」と感じられる場合に用いられている。また「可愛い」は当て字として済まされているが、中国から伝来した文書に見られ、現代中国語でも「愛らしい」の意では一般に使用されている語「可愛」に由来するとも言われている。
■昔は若年者に対する情愛や愛着を表現する意味合いが強かったので、成人に使う場合は失礼とされていた。しかし現代では高齢者や成人男性はもちろん、神仏や天皇に対して使用されることすらもある。独善性や偽善性の不快感や権威的な威圧感を感じさせず、好ましい美点をもつと判断された場合に使われるのであろう。ただし自身よりも劣ると判断した者に対して、半ば無意識的に嘲笑も滲ませて用いることもあるので、語義ではなく感性も必要である。
■技術者や操作する者が愛着を持つ機械や乗り物などに名前を付けたりして、「かわいい」と表現するのは日本人なら分からないでもないだろう。なおスポーツ界などでは動詞の「かわいがる」という表現が、本来の「目にかける」という意味とは逆の「シゴく」「虐める」の意味で用いられるが、これはむしろ恩義や縁故のある相手に全力で戦って勝つという意味の「恩返しをする」などと同様の反語的表現と考えていいのだろう。
■その昔、「the Kinks」という英国のロックバンドのLP10数枚の歌詞をシロウト訳したことがある。その時"funny face is OK!"というフレーズの"funny face"を「かわいい顔」と訳してして、日本語の語源的意味合いを読む人に期待するのは酷だと思ったので、「美人顔ではないけれどどこか魅かれるかわいらしさ」のような意味を「ファニーフェイス」とそのまま訳してしまった。今ならキレカワイイとかブスかわいいなどと表現できるのに。
■この話を嫁さんに話したら、「かわいい」という語は他言語にも輸出されていると教えてくれた。主に現代日本的で小さくて愛らしいという意味で用いるらしい。このほか漫画・アニメなどの日本文化が輸出された際に、海外の読者・視聴者がその作品の中に登場する可愛いキャラクターに対して、英語の"cute"では、幼児的な愛らしさをいう本来の意味での「可愛い」の意味になってしまうこともあって、そのまま流行り語的にkawaiiと用いているとか。
■狭い範囲の職種やグループにおける専門用語的や楽屋落ちやスラング的な表現の「かわいい」も、何ら卑しめられるものでせはない。もちろん年配者相手や公的な場で「かわいい」を濫用すると、用いた意味合いと受け取る語義の差異から不快と受けとられる場合もあるということは失念してはならないだろう。自らの外にばかり語義や意味を求めて権威付けするのも重要だが、自らの内なる言語感覚にももっと信頼と責任を置いてしかるべきだろう。
■などと言っている自分自身は、自らの言語感覚に信を置きすぎているのではないか?と自らの内なる声が自己ツッコミを入れてくる。…ああ、ホーント、かわいくない!
■後拾遺集
- 2007.06.21 Thursday
- ■日々の記録
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- by 小野満麿
緊急車輌同士が交差点で出会ったら
■夕刻の浅草通り、数寄屋橋交差点。私の正面から救急車がサイレンを鳴らして急進してくる。ほぼ同時に右手からはパトカーがやはりサイレンを鳴らして走ってくる。周囲の自動車や人はマヒしたように止まってしまった。周囲に緊急車輌が通過するので注意するようにとマイクで告げながら、2台は共に減速しつつほぼ同時に交差点に入ってきた。私はどちらが先に交差点を通過するのか興味がわいた。
■パトカーは交差点に少し入り込み、周囲を牽制するようにサイレンを鳴らしながら角に停まった。救急車はそのまま直進して目的地に走り去った。パトカーはその後すぐに動き出し、一言二言周囲に協力のお礼を言いつつけたたましくサイレンを鳴らして直進していった。その後ようやく人々が動き出し、車も普通に走り出した。この場合は人命救助が先ず最優先の相互マニュアルでもあるのだろうか。
■直進や左折右折、緊急度や事件の重要度、消防車や他の緊急車輌との兼ね合い、同じ救急車同士のケースなど様々な状況も考えられる。こまごまとしたケースバイケースの決まりごとがあるのだろう。無線で上部に打診したりもするのだろうか。現場の判断にはどれだけの裁量権があるのだろう。想定外の状況は常に有り得る。調べてみると、緊急車両同士にもやはり優先順位が定義されていることが分かった。
■最も優先順位が高いのは人命を預かる救急車、次が消防車、そしてパトカーという順番になっている。 時にはパトカーが救急車を先導することもある。緊急走行時には「300メートル離れても発光が確認出来る赤色または黄色の警光灯を点滅させ、90デシベル以上のサイレンを鳴らして走行しなければならない」とも既定されている。 私が横断歩道を渡りきる頃はもう、サイレンの音も聞こえなくなっていた。
2元交差は4値論理へと続く
■条件付の2元論的表現は4値論理的な匂いがする。「昨日の敵は今日の友。」「敵の敵は友。」「敵を欺くには先ず味方から。」昨日の味方は今日の敵という対偶もあれば、昨日の敵は今日も敵、昨日の味方は今日も味方ということもある。味方の味方はもちろん味方だが、敵の敵は必ずしも味方ではない。ただ利害関係が一致する時に協力するだけだ。味方を欺くには先ず自らを欺くという内部構造もあるだろう。
(20070613-01)
意識していることを意識せよ
■いつも眉間に皺を寄せている必要はない。しかし時には眉間に皺を寄せるほど思考することも必要だろう。少なくともそれが不要になるまでは。意識が拡散しっぱなして集中力もなくなってしまうからだ。そして問題は意識集中すべき時に随意にそれができなくなってしまっていると自覚した時の、自らの生ぬるさに気づく時だ。失神気味のまま生きていくのは危うすぎる。みずからのありように早く気づくこと。
(20070613-02)
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