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一兆分の一を体験しよう(2)
- 2008.02.29 Friday
- ■天体の運行・太陽系トポロジー
- 16:06
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- by 小野満麿
■「地球暦」は1兆分の1スケールであるということは世界標準を考えた場合とても重要だ。別のところでも言及したが、西洋と日本では数の位取りの区切り方が異なっている。大きな数を3桁ごとにカンマを入れて区切るか、4桁ごとに括って考えるかの違いのことだ。この暦の直径は古代メソポタミアや古代エジプトでも用いられたキュービットという単位にも近い。だが私は今日身近にも同長のものを発見してしまった。
■日本ではペンターブシステムとも把握できるであろうように、4桁ごとにまとまっていて、5桁目が新しい大きな1桁となっている。この1万ごとに大きく繰り上がる数記法を「万進法」という。これはそもそも仏教の世界観と中国の漢字表現から形成された東アジア圏特有の数表記からきている。歴史を紐解くと、現在の日本が用いているのと同様の 10^4倍ごとに名称が変わる方法が、前漢の『礼記』の中に記されている。
■日本での確定は様々な変節の末に、寛永 11年版の『塵劫記』に表されている今の万進法が採用されて現在に至っている。しかしそもそものインドは現在これとは異なった桁数の括りをするし、中国は世界統一のSI単位系と組み合わせたために混乱している。お隣の韓国や台湾でも4桁ごとの括り表記をするが、大きな数になると8桁ごとになったりしてすっきりしない。日本の4桁ごとの万進法が一番整然としている。
■一方西洋の数の位取りの区切りは、領収書や統計計算などの大きな数字の3桁ごとにコンマを挿入することからも馴染みがあるだろう。日本語では4桁ごとにまとまっているのでなぜこんな変な区切りをするのかと子供たちは思うかも知れないが、ご存知のとおり10000ごとに呼称が変わる日本に対して、英語圏では1000単位ごとに呼称が変わるからである。こちらも英国と米国とでは同じ英語ながら呼称対応に混乱がある。
■イギリス英語ではそもそもラテン語の数詞を元にしてbillion,trillion,quadrillion,quintillion…(※1)でそれぞれ10^12,10^18,10^24…というふうに10^6を単位にして表していたの。しかし現在のアメリカ英語ではmillion,billion, trillionはそれぞれ10^6,10^9,10^12を意味している。またフランスやドイツでは10^6,10^12,10^18を意味しているなど不統一だが、基本的に10^3である。最近はアメリカ式が優勢である。
■つまり日本語は10000単位で万・億・兆…と呼称が変わるが、主流のアメリカ英語では1000単位で呼称が変わる。thousand(1000)・million(100万)・billion(10億)・trillion(1兆)…と区切りをつけているということだ(※2)。前振りが長くなったが、日本での1兆は4桁ごとに区切って1,0000,0000,0000と表現できるが、一方世界で主流であるアメリカ英語の1billionは3桁ごとに区切って1,000,000,000,000となる。
■つまり3×4=12であり、ゼロが12個並ぶ13桁の数は、共に1兆=1トリリオンとすっきり表されるのだ。もちろん10^13と10^14もしくは14桁と15桁までは10兆=10tillion、100兆=tillionと位取りが揃っているが、10^15もしくは16桁からは1000兆=1quadrillionとずれてくる。これは同じ月の運行を12朔望周期=354日かつ13自転・公転周期=355日と見る12と13の関係のその先の14,15を考えるヒントともなろう。
■ほかにも世界各地でローカルな10進法的な数の位取りにはいろいろな区切り方があるが、ゼロ3つごとに区切る西洋の数の扱い方と4つごとに区切る日本の数の全体的な把握の仕方の間には、おそらく無意識の部分も含めてかなり大きなずれや違いがあるものと考えられる。そして1兆という数でこれが再び位相を揃えているということ、そしてこの地球暦がその1兆分の1であるという点にはもっと注目すべきであろう。
■ただ大きな数であるということだけで言えば、グーゴル数やグラハム数など体感が着いていかない数が考えられてはいる。無量大数は10^68、グーゴルは10^100だが、不可説不可説転(※3)はこれらよりも遥かに大きい。グラハム数なんてのもある。しかし何よりこの地球暦のスケールが我が家の愛猫みかんの鼻の頭からケツの穴までの長さにほぼ等しいという目に見える歴然とした感覚には比ぶるべくもない。
■「この目の前ででんぐりかえって眠っている猫の1兆倍が火星軌道長半径なんだようっ。どうだこの野郎、何か文句あるか〜!」と意味もなくリキみながら言ってみたりする。数学的センスに今1つ自信がないまま、大きな数や惑星の運行などについしり込みをする同輩諸君よ、私は冷たく実感が掴めないように見える数や形に対しても、こんな人間くさいサイドに立つぞ!…まあ、それしかできないのではあるけれど。
----------------------------------------------------
(※1)bi=2,tri=3,quad=4,quint=5…
(※2)イギリス英語⇒thousand(1000)、million(100万)、milliard(10億)、billion(1兆)…
(※3)不可説不可説転(ふかせつふかせつてん)⇒ 10^(7×2^122)=10^37218383881977644441306597687849648128≒10{^3.7×10(^37)}
悟るの物の怪VS半田コーセン?
- 2008.02.26 Tuesday
- ■日々の記録
- 10:22
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- by 小野満麿
■もののけは意識界面近在に出現する。もちろん人間の意識界面との関係性からではあるが。悟るの物の怪とは、人気のない山中などで人間が1で人焚き火を囲んでいると、いつの間にかその向かい側に出現するという。そして人間の考えていることを次々と読み取っていく。こちらの考えていることをどんどん先読みして口にし続け、そしてもはや相手が何も考えられなくなると、その人間を取って食うという妖怪である。
■普段はその活躍の場が交差しない者同士が、敢えて同じ1つの場で出会い戦うということは興味のある者にとつてはたまらない想定である。いわゆる異種間格闘技というようなものである。悟るのもののけは肉体的に戦わないし、半田コーセン氏も自ら戦いを始めるような類の人ではない。しかし一方は意識界面を徘徊し、また一方はその先を探索するのだから、敢えて出くわすとしたらそこがバトルフィールドとなるだろう。
■しかし戦う前から勝敗は目に見えている。半田コーセン氏は超思考を志向する者である。次から次へと高速で巡り、湧き上がり止まらないヌース的思考というものをトレースし続けねばならないであろう悟るの物の怪に対して、私はちょっと同情的になってしまう。もし未知なるヌース用語の意味を悟るの物の怪が分かるのであれば、半田コーセンはさらに思考を巡らすだろうし、意味不明ならば考えを読み続けることはない。
■悟るの物の怪は圧倒的に不利である。しかし地球の吸血鬼に対して、SFがスペースバンパイヤというものを想定したように、地球ローカルの日本産悟るの物の怪から、宇宙版悟るの物の怪を考えることもできよう。甲田妖怪博士が喜びそうな話だが、それが必ずしも悪者で人間に害を加える存在であるとは限らないだろう。半田コーセン氏にとってのオコツトは、そのような立ち居地で出現したと捉える視座も1つありだろう。
■チャネリングの相手は、こちらが考えたことをわざわざ口に出さなくても理解する。思考が曖昧だったり精神の方向性を自覚できない場合は、先ずそれを指摘されるだろう。そしてそれを明確にしていくためには、今自分はこう判断するということを意識的に決定しなくてはならないのだ。こちらからどんどん質問しても良い。しかし質問が途切れると、逆に質問されることになる。今までにない問いたちの無間地獄だ。
■未見の問い。それまでにしたことのない初めての思考をし続けなくてはならない。その場で、瞬時にだ。禅の考案にも似ている。明日までに考えておく宿題とするわけにはいかない。そして答えた瞬間、その答はずっと前からあったことになる。そう決断することも決まっていたことに気づく。しかし別の思考をして別の答をしたら、今度はその答がそのようだったことになる。4次元時空連続体を超えた因果律の系はある。
■普通の悟るの物の怪は、目の前の人間が考えいることは読めるが、考えていないことは分からない。つまり人間の無意識や人間とは直接関係ない物理現象は読めない。もともとの話ではね火中から爆ぜた燃え差しに驚いて、人間は考えていなくても恐ろしいことをすると言いながら逃げ出すという落ち。確かに人間の無意識が焚き火の燃え差しに関与したのかもしれない。もののけは自らの心の投影の逆さ図なのではないか。
■では宇宙版悟るの物の怪はどうだろう。半田コーセン氏のオコツトは、一意でより上位統合した彼の反転した影であると考えることもできる。もちろんそれだけが真実と言う意味ではない。様々な解釈の1つとしてである。影という表現も正確ではない。むしろ影はこの世界の半田コーセン氏の方だと見て取ることができるという意味でもある。それを統合しようとしているところが彼の素晴らしい彼の人間性であるのだが。
■さて「宇宙版悟るの物の怪VS半田コーセン」。これは結構いい勝負かもしれない。今でも勝負は続いているような気もする。そして私も自らを省みてみると、普通の悟るの物の怪といつも対峙しているのかも知れない。「さとるのもののけ」は結構興味のある妖怪なので、また後日このあたりについては掘り下げてみたいものだ。なお半田コーセン氏を妖怪扱いしたかのようだが、親友ということで許してちょう。
KK氏と「蓬莱軒」のひつまぶしを頂く
- 2008.02.25 Monday
- ■日々の記録
- 09:23
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- by 小野満麿
■先日日本カウンセリング協会会長のKK氏が、名古屋にひょっこり顔を見せた。KK氏には私が東京在住時にいろいろとお世話になったのだが、この日は私用で神戸からマイカーで東京へ戻る途中に、ふと私と一緒にひつまぶしを食べようと思い立ったとのこと。ここでプライベートには深く立ち入るつもりはないが、実姉の介護看病には車が必要なために、月に1度ほど東京から車を運転して数日過ごしているらしい。大変だ。
■KK氏は私が今世紀になって居を当地に変えてからも、関西や名古屋で自分の集中講義などがある度にひつまぶし食べましょうと声をかけていただき、その都度厚顔にもお相伴に預からせてもらっていた。KK氏はうなぎが子供の頃から大好きだそうだ。そういえば美味しいうなぎを食べると世界が輝いて見えるといっていた女性がいた。実際に当人の顔も輝いているかのように美しく見えたものだ。うなぎは不思議な食べ物だ。
■さてKK氏だが、彼の頭の中ではすでに「名古屋−小野満麿−ひつまぶし」という図式ができているとのことで、今回もまた熱田神宮のそばにある「あつた蓬莱軒」本店に行くことになった。庭の木々を眺めながら1食で3度美味しいひつまぶしを頂いた。今回はたまたまの休日で家にいた私の嫁さんもご一緒させてもらうことになった。いつも自分が参加できず、食べた話ばかり聞いていたので今回はとても嬉しいとの弁なり。
■ひつまぶしはご存知のとおり、こまかく切れ目を入れた一種のうな重のような丼ものに、最初はそのまま、次にネギやノリを入れて、そして最後にはだし汁をかけてお茶漬け仕様で頂くという、ある意味おおいに名古屋的な料理だ。関西や関東のうな重やうな丼とはまた違ったもので、直接の比較は難しい。個人的には茶漬けモードが一番すきなのだが、そこに至るまでの食べ方の段取りがあればこその美味ではある。
■ひつまぶしは日常の外食よりは高級なものだが、かといって年に何度かしか食べれないほどの高級料理かというとそれほどばか高い物でもない微妙な位置にある。それでも街中のあちこちにあるひつまぶしを出すお店からすると、この「あつた蓬莱軒」はいくつかある専門店の中でも一番好きな店である。ボリューム感は食後にあと少し食べたい気持ちが残る。1.5倍もあるがこちらは少し多すぎる。微妙だ。1.3倍があれば…。
■KK氏は最近次々に想定外の事件事故が連発しているらしく、いろいろと考えるところがあると話していた。最近は還暦直前にして「何が何やら分からないということが分かった」と悟り、『苦楽解(くらげ)理論』というものをまとめつつあるという。帰京後に送付してくれるというが、いかなるものなのであろうか。何はともあれ、美味しいものを頂くと心がほっこり満たされるのが人間として嬉しい。ごちそうさまでした。
1人世界と対峙する覚悟
- 2008.02.11 Monday
- ■日々の記録
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- by 小野満麿
■華厳の滝の正面で考えた。他者が誰もおらず1人でこの荘厳なる自然と正対したならば、その空間は自らにとって全く異なるものであるだろうということを。夕暮れ間近の摩周湖の展望台に立って、同様の感慨を持ったことを思い出した。その神秘的な光景に1人で対峙する時に不明瞭な意識のままでいるならば、大自然に飲み込まれて消滅してしまうのではないかという畏怖と恐怖が湧いてきて、正気を吹き飛ばされかねない。
■友人や他人というものがこの時間と空間を共有してくれているがゆえに、自らの周囲にある時空間に対して1人屹立してその自己責任を持つという労苦に晒され続けずにすんでいるという事実に気づき、その自己責任を持たずにすむ共有空間に依存するのではなく心より感謝を抱き、その上でさらに1人きりで大自然の荘厳さの前に強き意思を持って自力で立つこと。自らの心の中にある界面に立ち上がり来るものに対しても。
■私はいつもほとんどの時を、自らは気づかぬまま他者に守られ助けられ支えられて生きてきたのだということにも気がついた。1人山奥で焚き火の炎を眺めつつ夜を過ごす時、やはり同様の恐怖と孤独を感じるはずだ。そしてそのような他者のいない世界で、自らの不安や恐怖を鏡のように映しこんだ私の影と正対することになるだろう。これもまた私自身の正常な魂を取って食い、闇の中に引きずり込もうとする力である。
■しかしまた同時に自らの内において、ネガティブな暗い部分ではなく統合的で未知なる私、もう1人の反転した私とも対話対面する機会があるはずだ。他者のいる世界や眠りこけている世界では面と向かって対話できない微細で控えめな未知なる私。無辺なる自然と1人正対しなくてはならない時に、限界ある既知の私だけでは狂気に飲み込まれてしまうので、このもう1人の私と落ち着いて対話して行く末を見極める必要がある。
■そして1人きりの時にのみ対話することができた、私が私であると自覚認識している以外のすべての私であるところのもう1人の私と、さらには1人きりではなく他者がいてくれる空間においても常にそこにいてくれることを自覚できるようにならなくてはなるまい。胎児の体にとっての胎盤のような私。反転した私。互いに互いを包み込み合うことで1つである不二なる私であって初めて「世界」と真正に対峙できるのだ。
既得の知識のすぐ向こうへ
- 2008.02.10 Sunday
- ■日々の記録
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- by 小野満麿
■太陽系の寿命や宇宙の大きさなどどいう表現そのものは大いに有効だが、全てをその内に収めようとするのは科学のみに執着する者の傲慢、もしくは科学のみを信奉する者の無知である。現代の捉え方では「有史以前の(先史時代の)文明」などと表現されるもののそれなりに真摯な想定を、安易に拒絶したり嘲笑したりすることなく、また逆に盲信したりそこに逃避したりすることもなく、理性的で誠実な対応をしていきたい。
■「今ある計測方法で世界を計測したから、世界は今眼前にあるようにあるのだ」という表現は、単なるトートロジーではない。度量衡。今ある世界と宇宙を計測するということは、人間を人間たらしめている1つの行為である。私たちが世界を捉えそして記述している、言語や数や色や音や形などの捉え方そのものは、生物学的に順次進化発達してきたものなのか、それとも最初から完全な形でこの世界に出現したものなのか。
■自らを中心として前後左右上下という方向に空間を把握することや、同じくミクロ・マクロや過去・未来を双方向の対と捉えているのは、知覚認識や諸情報の処理方法を基にした生物学的な現在の私たちの在りようと不可分である。3次元的な意味での回転というものは、現在の私たちの空間の捉え方の1つに過ぎないということはないのだろうか。簡単にある、もしくはないとその立場自体を即答していいのだろうか。
■数や言葉などをそれ自体が真実としてではなく、真実に近づき行くための非常に有効なアイテムとして捉えつつも、その中でより共通認識しやすい表現を用いて、数や言葉そのものの本質に迫ろうとする行為は、誠意や情熱を伴っていなければすぐに論理階型エラーとして処理削除されてしまう。しかしそれではいつまでたっても数や言葉とは何か、数を数え言葉を用いるということの本質に真にアプローチはできない。
■メガリス幾何学。360もしくは365に対する366を基本にする世界の捉え方。366は30.5×12であり、また
61×6である。アレグザンダー・トムが発見した標準単位は先史時代の様々な巨石構造物の上に残されている。紀元前3100年頃に存在する「時代の壁」の向こう側から来たこの計測単位は、それを構築した者の卓越した論理的整合性を持ち、それば現代の様々な計測単位にも影響しているのである。
■私たちが普段用いている通常の円の1周は360度として捉えられており、その1度を60分、1分を60秒として21600分、1296000秒として用いているが、先史時代から残っているメガリス幾何学では円の1周を360ではなく366メガリス度として捉え、その1メガリス度を60分割して219601メガリス分、それをさらに6分割した角度で131760メガリス秒とするロジック。最後の6分割を60とした時の比は60:61となる。
円の1周=360度 =360×60=21600分=360×60×60=1296000秒
円の1周=366M度=366×60=21960M分=360×60×6=131760M秒
枠の外と内と界面と
- 2008.02.09 Saturday
- ■日々の記録
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- by 小野満麿
■■■■■■枠の外はどこにでもある
■実にシンプルなことに改めて気づき直した。私の興味の対象であり、またはその拠ってくるところは有史以前のことばかりであるということだ。いわゆる先史時代ということだが、今私たちが使っている言葉や数や暦や音楽の元も、その元は先史から存在していた。そしておそらくお金のエッセンスや空間認識などもみなそちらからやってきたのであって、有史以後に形成され、段々発達してきたものではないということ。
■先史時代というと普通、文字通り歴史が始まる以前の時代という遥かか昔の時空であって、今現在のこの世界や私たちの意識とは直接関係がないものと考え易いが、実は今この瞬間でも通常の時空認識や世界観という括りの外に出て見れば、先史と有史の間の「壁」に隔てられてつながりえないものではなく、その「界面」でつながっているものと捉えることもできる。私たちの現実と常識がいかに限定されたものであることか。
■■■■■■輪廻転生はその外から語れ
■輪廻転生とか、生まれ変わりとか、生前の記憶とか、多次元世界と言っても、その全体のありようが分からなければ、良くてもカテゴリーエラーを含む論理階型を跨ぐパラドクスか、ダライ・ラマ14世の言うようなファンタジーとしてしか表現しえない。今この瞬間にも自らの過去世や来世が(パラドキシカルな表現だが)同時に進行しており、それとつながる時それをそのまま「自らの」前世や来世として同定してしまい易い。
■生命総体の境涯を通じての在りようを仮に振動という表現で表すとすれば、その周波数が激変した時は別の前世や来世とつながるだろう。そして宿命転換して、未来の在りようも当然変わっていく。しかしこれをその力学的総体の内部のみで云々していても、それは単なる観念論である。よく言っても脆弱なイマジネーションに過ぎない。輪廻転生の外に出なくては語れず、出てしまえば語ることもないものだ。その界面に立て。
■れつとらしえ番外編−2
- 2008.02.07 Thursday
- ■温泉と旅行
- 00:00
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- by 小野満麿
■翌朝。ひとっ風呂浴びたその足で食事処で朝食。部屋に戻ってまたひとくされ話をしてからチェックアウト。奥日光温泉の湯元にある温泉寺を一回りした後、その横手にある源泉の湧出地を見学する。緑色の源泉の色が美しい。赤い流星号に乗り込んで、竜頭の滝へ。長い山の斜面をうねるように流れ落ちる滝はこの時期、そのほとんどが氷と雪で隠されていた。さらに車で湖尻を回り、男体山がよく見える喫茶店にて暖を取る。
■対岸に聳える雄大な男体山がすっぽり収まっている全面ガラス張りの窓越しに、テーブルに座してコーヒーを啜りながら、冬ざれた清々しい湖畔の風景をしばし眺め入る。その後、半分凍った華厳の滝を見ようとしていきなり道を間違える。結局いろは坂を300m降りた後300m再登し、エレベターで約100m降りて観瀑し、また100m上がって車に戻り、最後にまたいろは坂を300m下ることに。氷点下の中、氷結した水は青白い。舞う風花。
■赤い流星号で宇都宮に戻る前に鬼怒川温泉までドライブして温泉につかることにした。鬼怒川温泉駅の観光案内所で教えたもらった日帰り温泉施設「開運仁王尊プラザ」の温泉に入る。残念ながら露天岩風呂は休止中だったが露天舟風呂は入れるとのこと。これは古くなった屋形船を浴槽にしたもので、眼下に鬼怒川を見下ろしながらつかることができる。ぬる目のいい湯なので長湯をして体の心まで温まることができた。
■「開運仁王尊プラザ」は川の両側に大温泉旅館が林立する繁華街から少し外れたところにあるが、その湯は鬼怒川では珍しい自家源泉であるとのこと。無色透明でわずかに硫黄臭があるこの湯は、泉質重視派のクチコミでは高評価を得ている。入り口の見た目は古臭いマンションで、ありがたみの薄そうな仁王尊や釣堀や簡易宿泊施設が混在しているB級施設っぽいが、泉質はA級。無料休憩所もあって500円とは実に良心的である。
■東武鉄道の鬼怒川温泉駅と鬼怒川公園駅の間に並び聳える大きな温泉宿にはアメニティと風光明媚さを求めてまた泊まってはみたい。しかしバーベキューハウスや犬猫宿泊施設や謎の漢方薬売りなども混在する不思議な雑居性にもかかわらず多数の常連さんを集めているここの良質の湯を知ってしまえば、私1人であればまたここを選択するだろう。成分総量は314mg/kgと程よい濃度で、いつまでも入浴できて体の芯まで温まる。
■宇都宮までの帰路、車中でさらに未来方向を語り合う。今回のれっつとらしえ番外編は甲田烈氏の今後の方向性を擦り合わせたいというニーズと、私の温泉好きと、るしえる兄ぃが宇都宮在住であることなどが重なって実現したものだが、今後は他の参加希望者も募ってわいわいと研究会と温泉宿を楽しむ機会を設けていこうと考えている。夕刻、宇都宮で解散。私は新幹線を乗り継いで名古屋まで戻るべく、MAXやまびこに乗った。
(on 20080205) (この項「了」)
■れつとらしえ番外編−1
- 2008.02.06 Wednesday
- ■温泉と旅行
- 15:56
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- by 小野満麿
■れっつとらしえの今後の打ち合わせをたまには安い温泉宿でやってみようということで、奥日光湯元の「おおるり山荘」に来ている。1人1泊2食付きでしかも東京方面からのバス送迎も付いて6000円。3人1部屋での値段だが、4人だとさらに1人5000円となる。交通費だけでも既に元が取れてしまうというリーズラブルさだ。しかも唯一譲れない点である温泉の湯質湯量とも申し分ないのだ。満足度大で感謝すら感じる。
■この値段でこれ以上一体何を要求できようか。最初からこれ以上のことは期待せず、もし少しくらい不愉快なことがあっても軽く受け流そうというところからスタートしたのだが、送迎バス運転手の絶妙な語りや宿の従業員さんたちの純朴な誠実さなどのプラスポイントが加点され続けていき、最終的には大変満足度の高いものとなった。セミナー合宿や研究会なども、余計な金をかけずに楽しくできるのではないだろうか。
■甲田烈氏と私は朝の9時に池袋の東京芸術劇場前から無料送迎サービスに乗車し、前日降った雪の影響で最終的に2時間ほど遅れて午後3時半頃に宿に到着した。先に宇都宮から愛車赤い流星号で来ていたるしえる兄ぃとロビーで合流して早速チェックイン。思ったより広い部屋である。窓外はすぐに湯の湖がある絶好のロケーション。しかも前日に降った新雪で清められているかのような空気と景色。今日は立春、スタートである。
■寛いだ茶飲み話の後ゆっくり温泉につかってから大広間で夕食。こちらの方も値段から期待していなかったが、思ったよりしっかり食べることができた。意外にも食事の終わり頃にカラオケが始まったので部屋に逃げ戻り、みっちり今後の作戦会議をする。取り急いで内容をオープンにする必要もないので記さないが、濃いい話が進行した。そして煮詰まった頭をほぐすべく再び温泉にどっぷりつかることにした。
■高温なので湯口には囲いがあるのだが、そのなかの源泉の色は美しい緑色だ。それが湯舟の中では白緑に変わり、やがて外の露天風呂の湯のように白濁していく。湯の華が舞い、濃くて身に染み入るいい湯である。宿の人が露天風呂は湯温が低いのでお勧めしませんが、それでも良ければお入りくださいと言っていた。良いので入る。外は氷点下、湯も体温以下のぬるさ。しかし湯の中にじっとしていれば耐えられる。
■泉質は含硫黄-ナトリウム・カリウム-硫酸塩・炭酸水素塩・塩化物泉(硫化水素型)で、泉温は43.8度C、pHは6.4である。無色透明で苦味・渋味があり、強い硫化水素臭がある。1kg中の成分は陽イオンがナトリウム168.4mg、カルシウム131.0mg、カリウム19.0mgなど合計322.5mgであり、陰イオンは硫酸314.3mg、炭酸水素264.7mg、塩素137.5mgなど合計722.4mg、非乖離成分や溶存ガス成分なども合せた成分総計は1378mg/kgだ。
(on 20080204)(その2に続く)
(※)れっつとらしえ」とは甲田烈の「れつ」、トーラスの「とら」、るしえるの「しえ」のあわせたものであり、サッカーの「オシムジャパン」「ジーコジャパン」の前のトルシエジャパンを模したものでもある。
1月が過ぎて行きにけり
- 2008.02.01 Friday
- ■日々の記録
- 23:00
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- -
- by 小野満麿
■今日何か面白そうな本があるような気がして本屋に行ったら、徳間書店の超知ライブラリーのシリーズ『〔地球の王〕エンキの失われた聖書』という本が平積みになっていた。面白そうじゃないかと手に取ってから、その横にやはり平積みになっているオレンジ色の表紙の本を見た。『2013:人類が神を見る日』…あれ?超アミーゴのハンダコーセンの本じゃーん。ああ、そうかもうすぐ発行日だから既に出回っているのか。
■そういえば今日はちょうど某ライトスタッフという会社の広報誌に4コマ猫マンガを作って送ったのだが、そのネタに使わせてもらっていたんだったっけ。『猫類が蟹を煮た日』…ライトスタッフの某藤本氏が共通の友人だからといって、こんなパロディありかと思ったけれど、まあ猫マンガのスタンスはそんなものだからいいかと思っていたんだけれど、そうか、アドバンスド・エディションがついに出たんだ。嬉しいぞ!
■ヌースアカデメイアのHPも全く新しくなるようだし、英語版も某ナチュスピ系からUSAで出版されることになっているし、今年は以前のように毎月とは行かないまでも、またヌースレクチャーが復活するに違いない。そしてヌース合宿もあるのではなかろうか。なければ企画する側に回っても良いかもしれないな。そうそう、マイミクのふうさんも名古屋で「A Course In Miracles…奇跡のコース」の学習会を主催するのだ。
■ただ機械的に時間の巡りの順番に沿って日にちを並べてあるだけの既存の暦とは異なり、1兆分の1スケールで太陽系そのものが入っており、また他の惑星たちの実際の加点回転角度や位置もプロットできる今年度版『世界暦』のスタートも2月4日の立春からである。激動しごくらしい今年も動き出した観がある。実は私も個人的には2月4日〜5日は奥日光の温泉宿で、某見えない大学のビジョンをすり合わせる会合に出る。
■この立春あたりからは何か素晴らしいことが連動して動き始めるのではないかという能天気な予感がひしひしくるではないか…なんて思いながらこの本屋の3階のフロアーに行ってみたら、何やら学習参考書コーナーに色賑やかなシリーズ本が並んでいる。まるででっかいオーラ・ソーマのボトルのようにカラフルな棚ではないか。いったいなんじゃいな、こりゃー…?て、ううお、これはわが愚妻の書いた英語参考書じゃーん。
■まあ正確には某予備校の先生で、今は大学で学生を教える側に転身した女性との共著である5冊シリーズなのだが、よもやかような身近な本屋さんで、かようなブックフェアをやっているとは露知らず、の私である。何やらみんな頑張ってきたことの結果や経過が現実のものとなって目に見えてきているようで、自分がおちおちしていられない気分になってくるではないか。いやほんと、2013年の向こう側を真剣に考えなくては。
■これからはこんなことはもう当たり前のこととして、時間も空間もひとつになってシンクロから連動・統合して行って、そして反転していくのだろうなあ…。まあとにかく、犬も歩けばやぶから棒だろうが、猫のおなかにゃコバンザメだろうが、猿も木から空中浮遊だろうが、馬の耳に小便と蛙のつらに念仏が交差しようが、自分は自分を先ずしっかり保って未知なる道を進み行くという覚悟と泣き笑いを力いっぱい生きるのである。
■なお上の2番目の画像は、今年の新年に賀状を下さった方々に対して、毎年即返事ができないので立春を祝う形にかこつけて、賀状のお礼と1年を祝う寿ぎの作戦に出ていたのだが、今年は暦師の『地球暦』のスタートでもあることを知り、少しだけ胸を張りつつ発送したはがき画像の部分である。ネット上での友人知人、そして未だお目見えしていないけれどつながっている多くの人にも勝手ながらご挨拶申し上げます。
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