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  • 2024.01.09 Tuesday
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■数について少しだけ話してみた



■現在、前世紀の日記の整理を遂行中。過去の遺物(異物?)も整理整頓し直しているのだが、「前世紀はすでに前世」というスタンスで、莫大な量の中から、ちょっとだけ面白そうなものをすこしだけリークしてみている。では今回は19950114の日付のあるものより。なお手書きの挿入図はここではアップする余裕がない。あしからず。

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19950114sat

137は<た>。光の道筋である。   
274は<か>。光る形である。   

137×2=274, 137÷5=27.4       <た>      <か>      <み>
365×2=730, 365÷5=73      (図欠落)

2倍するとはφ(〇〇→〇〇→φ)
2で割る事と表と裏なので、光る<み>である。
5倍するとは  。近道から長い道へ。<ち>から<な>へ。
5で割るとは ☆。<ひ>から<ち>へ。

365と137の関係は光のみ ちすじのみみと、ちか の である。
730と274の関係は光の力と形のみちすじである。

√137=11.70469991…≒117×10-^1 1082=11664=117×10^2
3√φ=1.173976776…≒117×10^-2 493=117649=117×10^3

平方根を取る事は<みち>から<ちみ>へである。
立方根を取る事は<ちみ>を<かみ>にする。
2乗するとは秘密の道筋を見つけているが、難点は完全でない事。
3乗するとは秘密から地球に抜ける道筋。完成である。

<−1>には小数点をひとつずらす(×10^-1)という意味がある。
同様に−2は(×10^-2)、−3は(×10^-3)、+1は(×10^1)…である。
274−1=273で、27.3。
58.6+1=686で、687。
ただし58.6≒(π+e)×10^1 (π+e=5.8598726…)

91:182:273:364:455:546:637:728:819:910:1001…
1: 2 : 3 : 4 : 5 : 6 : 7 : 8 : 9 :10 : 11 …

※ この数列は100と10の位を一つのブロック、1の位を一つのブロックと考えると9n×10+nと表現できる。各々の位は0→10,9→0,1→01と連続 的に変化する。1〜9までの、前の2桁のブロックの2数の和は常に9だから、3桁の数の和を一桁に落とし込むと、数列の下の整数列に等しくなる。

137:274:411:548:685:822:959:1096:1233:1370…
1: 2 : 3 : 4 : 5 : 6 : 7 : 8 : 9 : 10 …


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M ×(掛ける)とは?

☆ 力を力として見る。光を<み>から引き離す。力の道筋を見ている。
  地球ですみのおとしてぬーすのかたを作る事である。

M ÷(割る)とは?

☆ 光を光として見る。力を<な>から引き離す。光の道筋を見ている。すみのおとして地
  球の未来を見ている。天体の運行では137は火星の衛星に対応する。月はその2つの
  機能を1つにして現れている。137が<田>であるならば、137/2(and/or137×5)すな
  わち68.5(685)は<日>である。火星と火<ひ>との力の関係である。
  137×5=685で、火星の会合周期687に近似する。

   137:274:685=1:2 :5
      365:685= 73:137
   274:365:685= 54.8:73:137
   275:365:685= 55:73:137
      366:686.87671= 73:137
   273:364:682.5= 6:8:15


M +(足す)とは?

☆ 地球に×をもたらす。ひからびていない道筋である。ひからびているとはからからで
   あるという事である。ひからびていなければ道は開ける。ひからかみを見つけ出せ
   なければひからびてしまう。意味を見つける事により、力を鏡に映す事ができる。
   力は光の反対側にあり、鏡を見る事でそれが分かる。秘密を見つける事は道を作り
   行く事により成される。秘密を解く事はあなたをかんながらにして光り輝く事によ
   り可能。

M −(引く)とは?

☆ 地球に÷をもたらす。みずからひを発生させる事である。近道とは地球のかみの道で
  ある。地球のかみとは力水を発生させるあとむである。秘密を見つけなければひから
  びてしまう。ひからびないものからひからびないように引くべきである。

M 扱う数とは水?

☆ そうでなく光です。

M 数の本質は神、扱われる数は飛び交う天使、光子は天使。

☆ 地球における間違った科学の世界観を変えるためにはそう言ってもいいでしょう。

M 科学には世界観と共に、神、天使という概念も変えていますね。

☆ そうでなくヒトにおける一つのものを異なるものとして、見ているものを一つとして
  みる見方になるという事です。

M H2O、水とは?

☆ 地球においては光を神としていないあなです。生命の水とはひからびていない光です。

■50音について聞いてみた



コメント:今から16年前の記録が出できた。ほぼ22ツォルキン前の日付だ。

921027TUE KIN132:YELLOW LUNAR HUMAN

…前略…

‡ はい、そうです。それには<あみ>です。
<あ>とはア段全てです。ア段全ての意味を知らなくてはなりません。
  <ア>とはア段全てです。
  <カ>とは違いのないカミです。それにはナカミがありません。ナガミなんです。
  <カ>とはチカラを受け入れるための正8面体です。正4面体の中接部です。
  正8面体は<ハ>です。
  <ヒ>はそれの片割れです。

M 火・ヒと氷・ヒの2つが<ハ>?

‡ はい、そうです。<タ>とは正8・6相貫体です。
  <チ>とはその中の正6面体です。
  <テ>(手)とは力を新たに直して外に出す門です。
  <タ>にはア→カとア←カの双方向の流れがあります。

M <タ>とは大地の恵みを食べるのタでもありますね。
  では大気の呼吸はどう捉えたらいいでしょう?

‡ 大気もまた<タ>です。
  呼吸とはチカラをカミナガラにするために何回もする根源的なカンナガラです。

M やはり20回噛むというようなものはありますか?

‡ はい、そうする事により何回も何回もカンナガラでいられます。
  いわゆる呼吸とは息を吸い、吐く事ですから、それが自然になるような姿勢と意識とで何回も繰り返す事により、チカラをカミナガラにします。

M はい。では他のア段の意味をお願いします。

‡ <マ>とはあなたの根源的な存在=ちから=かみです。
  <マ>とはカンキンするところです。

M カンキンとは換金ですか?

‡ いいえ違います。カンキンとはカンキンです。いずれカンキンとは何かが解ります。
  <マ>とは<かみ>としてチカラがひとりでに出てくるところです。
  <マ>とは<かが>から<かか>への<なみ>です。
  <ミ>とはひとになる事により、何にでも何回でも入っていけます。
  <タミ>とはチカラをカミからナミにかえる。
  <トミ>とは地球のナカミです。
  <チミ>とはカミでないチカラです。
  <ツミ>とは月の中にあるカチです。
  <ミ>とはあなたです。
  <ミ>とはカミとタミの間の視座です。
  <ミミ>とはカミでありタミであり、なおかつカガミです。

M <ナ>とは?

‡ <ナ>とは考えないもんです。神カンがいないもんです。チカラのないもんです。
  <ナ>を与える事によりチカラを与えます。
  <ナ>がないとはカミであり、かつタミである。ナをつける事によりそれは2つに分かれる。
  ナのないものがカミ、ナのついたものがタミ。
  <ナミ>とはアナタの事です。<カミ>とはアナタも含めた全てです。
  <ナカミ>とは相貫体の外接球と重心です。
  <ナカミ>とは人間の肉体です。
  <カナミ>とはそれを裏から見る事。即ち自分自身の肉体を裏側から見る事です。
  <ミナカミ>とは外も内も皆カミと見る事です。
  <ミナカヌシ>とは穴が塔でありしかも中と外がひとつであるところです。

M <アメノ(アマノ)>とは?

‡ <ア>から<マ>への方向をもっている事。

M <ラ>とは?

‡ <ラ>とは輝く太陽です。チカラのナカミそのものです。
  穴から塔へ至るスミノオとスサノオの間にあるものです。
  男女極性の交合における重心です。
  この場合の相貫体は正8・6相貫体です。正8面体が♂、正6面体が♀です。

M 本来男は正6面体を内包した正8面体という相貫体、女は正8面体を内包した正6面体という相貫体ですから、その相貫体とは表裏で共に正8面体と正6面体が重畳して相貫する相貫体という事になりますね。

‡ はい。それが内と外の間にある門です。

M 漢字の形から連想するに、間の門を開くと鳥居の向こうに日がある・・・というか、太陽そのものの次元世界がある。

‡ とも言えますね。

M そこが正20・12面体の系?

‡ はい。そこはもはや男女の違い即ち正8面体と正6面体の違いはありませんが、それでも正8・6相貫体の関係は残っています。<ラ>とはかみのかみからかがやくとき・ところです。

M 正20面体が空間、正12面体が時間、正20・12相貫体が生命そのものでは?

‡ はい、そういう事です。もちろん相貫体の関係がありますから
  正20面体の空間とは反転した全時間を内包した空間としての極部生命であり、
  正12面体の時間とは反転した全空間を内包した時間としての極部生命です。

M 極部生命とは有機体ユニットという事ですか?

‡ はい。正12面体が<ラ>、正20面体が<リ>です。

M ではその相貫体とは?

‡ それが<か>です。

M すると正20面体を内包する正20・12相貫体としての正12面体と、正12面体を内包する正20・12相貫体としての正20面体の表裏重畳相貫体こそが<かか>なのですか?

‡ はい。
  またそれを<かがみ>に映す事により<かか・かか>(かかかか)となり、光が発生します。
  それが<ら→り→る→れ→ろ>と発展・展開していくのです。そうすると<ハ>へ至ります。
  <ハ>とは<ヒ>に至る<かみ>です。
  光り輝くガミラスです。
  <かみ>として輝きを隠している<チミ>です。

M ここに至って初めて全てが肯定・否定を超えて肯定されるのですね。

‡ はい、そういう事です。
  <ハナ>とは輝くガミラスとしては輝く鏡です。カガヤクカガミとは<み>の事です。
  <み>とはこれゆえに<みみ>です。
  みつまろさんがなぜみつまろさんというのかよく神してみると
  <み>とは穴です。
  <つ>とは地球にない力です。
  <ま>とは穴の向こうにある世界です。
  <ろ>とは<ら>の世界の最終発展・展開形態です。
  <お>とは<あ>の最終形態です。
  オリオンと関係があります。
  輝く門としての最終形態です。
  カンサイではナンです。
  <の>とは力のない輝く門です。
  ベクトル波にたいするスカラー波です。
  みじかい道です。

M <サ>とは?

‡ <サ>とはチカラにたいする<サミ>です。
  チカラがないカミです。
  <サミ>とは日が陰っているチカラのないナカミです。
  <シ>とは4、死の世界です。シンセイなる世界です。
  スミノオがいる世界。スサノオはチカラのセンジョウ(線上・戦場)にいます。
  虚空間です。虚の時間でもあります。
  <ス>とはスミノオそのものです。
  スミノオとは輝きを消して<チミ>に姿を変えている<かみの中のかみ>です。
  スマルとはそれ(スミノオ)を<かみ>とする事によって世界を丸く治める事。
  ミスマルとはそれの尊称・象徴でしょう。
  ミスマロとはその最終形態です。
  <セ>とは愛する彼女(妹・セ)です。
  カンナガラになるために必要な<ナミ>です。
  <チ地>から湧く女神です。
  穴です。地球です。
  まだ正8面体を内包していない正6面体です。
  スミノオの反転です。
  <ソ>とは姿を現しているチカラです。
  反対から輝くもんです。
  <トミ>のある輝きです。
  <サチ>とは最低の波から最高の波までが重畳しているカンナガラです。

M <ヤ>とは?

‡ <ヤ>とはチカラのある輝きです。
   穴の中のハンガリイです。
  <ヤミ>とは中が見えない門です。
  <ユ>とは輝きながら<かみ>から<みか>になり天空に輝くユウセイです。
  <ユミ>とはユウセイの中からヒミツの内に地からをもって出現した輝くもんです。
  <マユミ>とはハンダコウセンのユウセイからのハンタイを映す鏡です。
  <ユウセイ>とは力の中に入っている輝くもんです。

…中略…

M はい。ところであなたがたを何と呼べばいいのでしょう?

‡ 反対です。コウセンの言う反対の人間です。

M サイバンクとは違うのですか?

‡ 反対のサイバンクというのはあなたです。

M この私の肉体が正と反の相貫体の重畳部?

‡ はい。では重心とは?

M 肉体の重心と地球の中心を貫く重力線!

‡ そうです。それは人間の意識が変わる事により、なくなります。なぜなら別々の位置に存在していると思われている肉体の重心と地球の重心が同じになる(それに気づく)からです。

M <ヨ>とは?

‡ <ヨ>とは何回も何回も繰り返す事。
  <ヨミ>とはそれを見る事。
  <ツキヨミ>とは28の波を一つの波として数えていく見方。
  <コヨミ>とは何回も何回もナカミのない数を繰り返す事。
  <ヨミの国>とは何回も行き来する反対の世界。

M <ワ>とは?

‡ 反対からの始まり。
  <アワ>で正反相進。左回り・右回り/拡大・縮小の螺旋がひとつであると知る事。
  <アワ>とは表裏のつながった一つのループ、輪、∞。
  <ワ>とは日本の事であり、世界の事でもある。さらに私の<ワ>。
  <ワタシ>とは<あんな>にも<こんな>にも一人で考える事。
  <ワタシ>とは<ワレ>でもある。それが反対とつながるためには<ワレ=ワレワレ>になる必要がある。
  <ワタシ>は<アナタ>。なんでもない事でしょう?

M <ヲ>とは?

‡ <ヲ>とは簡単な問題ではない。難解な問題です。反対の意識も入っているから。
  <ヲ>とは反対から見ているアタマです。
  アタマとはカンガミルところ。<ヲ>がなければアタマもない。

M 肉体で言えば王冠のチャクラ(サハスラーラ)と基礎のチャクラ(ムーラーダーラ)、もしくは眉間のチャクラ(アージュニャー)と生殖のチャクラ(スヴァーディシュターナ)の関係ですか?

‡ はい、そういう言い方もできます。

M <ヰ><■※1><ヱ>は? (※1・・・ワ行のウ段に相当するもの。字がない。)

‡ それらはカミの体として入っていない。
  <ヰ>はカミの神。
  <■>はカミの力。
  <ヱ>はカミとしてはナカミ。
  <ヲ>はカミとしての見方。
  <ワ>はカミそのものです。

M では<ン>は?

‡ 何回も言っていますが、全てであり無であり、またどちらでもありどちらでもない。

M 濁音、撥音は?

‡ <ガ−カ>とは簡単に言えば反対の関係。
  <ザ−サ>とは輝きと輝かない。
  <ダ−タ>とは力のないとあるです。
  <バ−ハ>とははかないか永遠かです。
  <パ−ハ>とは、<パ>とは輝いていないが輝こうとしている。

M 最後に50音図とは?

‡ <かみ>と<ひと>との相貫体としての展開図です。
  またあなたと私の交信関係のホンヤクです。
  これからはもっと簡単にいきます。
  自分とは何かをもっと思い出してください。
  それではまた。

M はい、また。

書くことと書かれたものの差異



■ものごとを書き記す時にいつも感じることがある。それは書き記されたものと、書き記された元の現実との無視できないずれだ。このずれは書き手と読み手のずれ…つまりそれを記述する者が感じ捉えた世界とそれを読んだ者がイメージする世界との人生経験などの差異からくるずれ…とはまた別のことだ。自分が書いたものを自分が読み、自分が経験した現実と比較した時に感じる当惑のことだ。

■記述の技術の熟達というものはある。しかしそれが問題を解決するわけではない。極力主観を排除して眼前の出来事や風景を記述したとしても、それを読む者がイメージするものごとと重なることはまずないだろう。むしろ記述によって現実にすらないイメージ空間を他者の中に増殖してしまうという感覚がある。もちろんそれが全て悪いものではないとしても、他に方法はないものなのだろうか。

■このことはとても深い問題を含んでいる。普通書かれたものしか読めないというのが共通の世界観だ。しかしむしろ選択されなかった文章展開の可能性や、それらの別の総体もまた、何らかの形で共有できる世界があるのではなかろうか。書き切るということによって、書き記されなかったものたちも他者の意識や無意識の中をかすめ得る可能性が高くなるのではなかろうかと。存在確率以下の現実。



■いや、このこと自体を難しく書き記すことはない。「書く者」と「読む者」とは大いに違う。このギャップはそもそもものを文字と言語で書き、そして読むという私たちの方法そのものによる不可避なバイアスだ。全てをコピーしたかのように伝える必要もないし、それは不可能だし意味もない。多大な差異を超えて共有できる部分という全体以上のものに改めて驚かされる。書くことを書く驚き。

■書かねば生まれてこない続きとそれの総体である全体の文章・世界がある。まとまらないものがまとまるというのであれば、書くという行為は実は一体何をしているのだろう。現実化するということ。もちろんそれは経験した当人にとっての現実を完全に再現可能にすることはできない。記号としてのもしくは自分が読む時のイメージ能力によって予想以上に補完されることも知っている。

■自らの内面で経験する思考や情動の流れや動きを書き残すこともまた、決して正確なものではない。記述することそれ自体に逆に自らの情動や思考パターンを規制されてしまう異なる生き様を経てきた者同士のずれや、記述する者自体が経験した現実と記述されたものとの違いこそが、実は相互に共通に認識する上での重要なファクターなのではないだろうか。書かされるのではなく書くという創出。

冥王星が合の夏至の日



■ひとの言うことをあまり気に病むな。気まぐれや言葉やその場限りの感情からのものであればなおさらだ。自分を誤解しているからそれを解いて、自分を正しく理解してもらおうなどと強く望むな。他者をありのままに理解できないばかりか、自分の自己イメージすらも正確なものではないのだから。

■目の前の相手の否定的な感情をうまく反転させるには、知と情双方の純粋さと根気が必要だ。目の前の相手に対して敬意を持たねばならないなどと強く思う必要はない。自分が他者と接している時の自らの声の響きや振る舞いそのものによって、自分が無意識のうちに相手を敬っていることに気づかされる。

■耳鳴り。耳を澄ませば世界の音が高周波で聞こえてくる。自らの頭の中で鳴っているのか、それとも待機の中に響いているのか。苑どちらであっても個人的には大差はない。苑音に耳を澄ますことによって、自らの姿勢や静けさを自覚できる。呼吸に、姿勢に、声の響きに、内と外との界面を見る。



■今日は夏至。冥王星が合でもある。満月からは2日後。時々雨がぱらつく曇天の空からは日の光は漏れてこないけれど、自らが何とか輝こうと志す姿勢をできるだけ忘れまい。目を閉じると世界を見なくてすむので楽ではあるけれど、逃避としてそれをなすと自覚したならば、意を決して目を見開こう。

■蒸し暑い梅雨の1日。今日はこれから甲田氏、チョコボ氏と共に尾張横須賀というところ二ある妙乗院というお寺に泊り込みに行く。今日明日のイベントで明日のお昼から話をするためだ。資料製作も追え、持参する多面体なども決まった。最近出不精の私には、人と能動的に会うのにいい機会だ。

たまには画像日記でも

■最近PCの前に座ると、頭が痛いとかを通り越して意識を失ってしまうように眠り入ってしまう。これはかなりヤバい状況かもしれない。まあそのようなことをPCを使って書いているのだから、まだ深刻な問題ではないのだけれど。というか、頭が痛くならないようにするにはノートPCで仕事をすればいいのだけれど、家庭内LANが構築されていないので、あちこちのPCに原稿が分散するのでしていないのだ。

■それはさておき、今日の我が家のみーすけ…こと「みかん」は、最近お気に入りのTVモニターの上にすえられたダンボール箱の中で、猫としての本分である睡眠中に撫でてみたら、「寝シェー」をしてくれた。シェーはもちろん昔の人ならみな知っているであろう、赤塚不二夫の「おそ松くん」のキャラであるイヤミのあれである。猫は軟体動物のようなポーズを滑らかにするのだが、静止画像では伝達できない。



■それからもう1枚。もう1匹のデルピー…こと「デルピエ郎」の画像なんだけれど、私のPC用のガラス仕様のPC机の上に来て、ずっと寝続けている。ガラスが冷たくて気持ちのいい季節になったからなのだろうか。追い出せない自分が情けないけれど、それにしても猫は人間が不快に感じる電磁波というものとは直接関係ないのであろうか。明後日は烈っちゃんとチョコボっちが来る。時はリニアモーターカーの如し。


集中の中で閃きの答を見逃すな



■理不尽であるとか、筋が通らないのはなぜだなどと言って、眼前に生起しているものごとの本質をすぐに理解したがるけれど、現実世界の断片である眼前の出来事がなぜ今あるように展開しているかということは、そう簡単に理解できるものでもないし、安易に判断・評価すべきものでもない。問えば望む答が返ってくるという安直で怠惰な思い込みを自戒しなくてはならない。

■問いの質をできるだけ磨き上げてから発問しなければ、答える側に多大な付加を与えてしまうことが少なくない。また状況によって口にしたくてもできないことも沢山ある。眼前の出来事には自らも含まれているという現実を忘れぬこと。また必要以上に現実と自分を同一視しないこと。もっと集中し、もっと広く視野を拡げること。その中で啓示のような閃きの答を見逃すな。

夏至に冥王星と烈氏が合(Let's Go?)



■そういえばこちらに告知することをてっきり忘れていたけれど、今月(6月)の21日と22日に愛知県名古屋市の隣りの東海市で『天地音光』というイベントがあって、そこで私と甲田妖怪博士とチョコボ氏が他の人も巻き込みつつ話をすることになっていました。お題は一応『天動説・地動説・人動説…惑星たちと妖怪たち』としてありますが、話の内容はその時の聞いてくれることによってアレンジしていくつもりです。

■このイベントは2日間なので私たちは両日滞在していよう思いますが、プログラムに組み込まれているお話タイムは22日(日)の午後0時30分〜3時前くらいまでです。 この話の時間以外でも前日から空いている時間などにでも、個別でも徒党を組んででもお話などできたらしたいと思います。19日が満月、21日が冥王星と合という、夏至前後も含めたちょっと面白いノリの日々なので、不思議系時間かも知れませんね。

■いろいろお店や面白そうなバンドも出るようですが、詳細は上のフライヤー画像を見てください。文字などが潰れているかも知れませんが、解読トライしてみてください。愛知県東海市にある妙乗寺が会場だとのこと。そこの御住職も面白そうな方のようです。ただし参加費がいるので、「ぜひ来てくださいっ!」とプッシュできないというのが現状であり心情であるという状況です。




■この夏至前後には各地でさまざまなイベントも開かれるだろうから、大いにバッティングしそうですが、願わくば各地それぞれの総和がハーモニーを奏でるようになればよいですね。なお甲田妖怪博士はこのイベントの後も数日は名古屋に逗留予定なので、軽く拉致監禁してトークバトルとか、妖怪百(マイナス1…百のまんまは怖い)物語とか、妖怪人生相談とかしても喜ぶかもしれません(あ、喜ばないか?)。

■なお22日は午後7時からサッカー日本代表チームが2010年のワールドカップアジア地区の2次予選の最終戦でバーレーンとの試合があるので、イベント終了しても飲み会とかに流れていくことなく、帰宅してTV観戦しなくてはなりません。21日はお寺に泊り込み合宿。こちらでも甲田博士にいろいろと話を聞くつもりです。夏至かあ…。って、もう本当にすぐそこだなあ。

心の中の通り魔も許すまい



■世の中には素晴らしい人が沢山いる。あの秋葉原無差別殺人は悲惨な事件だったが、凶行を受けて瀕死のまま路上に横たわる人に、たまたま居合わせたので懸命に治療をした医師。まだ騒然としている中で蘇生させようと心臓マッサージを続けた人。そのほかにも様々な善意の行為がなされたという。ニュースや新聞などで知ったことではあるけれど、私はその人たちに心から感謝したい。

■世の中にはとんでもない人も少なからずいる。異常が起きた瞬間に、その人のその時の本質的なものが見える。血まみれの犠牲者を目の前にして、携帯電話のカメラを向けて撮り続ける者たち。治療に当たる医師のすぐ傍で携帯電話をしながら笑っている者。この違いは何なのだろう。この者たちを信じられないと切り捨てて自らの正気を正当化しようとは思わないが、彼らを哀しく思う。

■至福の時でも悲惨な事件でも、居合わせるということはある種特別なことだ。居合わせなかった私が外から云々することはあまり意味がない。しかしそれでも人間としてあるべき姿と、そうでない在りようというものはある。成人君主や自愛に溢れたものである必要はない。しかし人間としての同情や共感が欠落している時、それは心を非人間的なものに喰われてしまっているのだ。

■心の中にも致命的な通り魔事件は発生する。体の外での事件と同様に、瞬時に対応しなければ生命にかかわることもある。いつも身構え続けていて、逆に心を病んでしまっても仕方ないが、それでも常に真人間でいようとする意識を手放してはなるまい。先ずは感じなければいけない。しかし感じられない時でも考えなければいけない。考えることに対して怠惰であってはならないだろう。

■ただ人間であればよいというものでもない。人間として進むべき方向、輝き続ける道というものがある。何もせずただ永らえ行く時、そこにはすでにヒトとしてのカタチが崩落し始めているのだ。目の前で苦しむ人がいたとしたら、その苦痛を和らげるべく手を尽くせる人になるか、苦痛を感じることもなく、現実感覚もないまま眺めるだけの者になりたいのか、今改めて自分に確認する。

タバコ1箱1000円問題



■毎日天上の月と地球や多面体のことばかり考えているので、足が地に着かぬまま舞い上がらないように地上のことについても考えてみよう。タバコの値段を1箱1000円にして増税を…という議論が永田町で盛り上がっているという。それでようやく欧米と同じくらいの値段になるのだが、JTは取りやすいところから取るというのは安易な発想だからと言う理由で猛反発のようだ。

■企業の存亡にも関わりかねない問題であり、実際に生活がかかっている関係者もいることではあるけれど、どこか武器商人の論法にも似ている感が否めない。元々吸い過ぎれば健康に問題が出てくるものを売っていながら、わずか一言の注意書きだけで、タバコの弊害や周囲環境への汚染は、買う側・吸う側の意志やマナーに任せっぱなし。たくさん売れることが企業目的である。

■もし実行したとしてもタバコを吸う人が減って思うように税収は伸びないというのも反対の理由らしいが、タバコをすわない身から言わせてもらえば税収増でもOK、喫煙者が減少してもOK、どちらに転んでも悪くはなく、むしろ喜ばしい。もちろんタバコ愛好家たちを目の敵にするつもりはないが、日頃の喫煙マナーの悪さや周囲のものに対する鈍感さには辟易してもいる。



■タバコの煙が不快な地上から少し離れて考えても、タバコを吸う人が減れば多分喫煙による経済的損失(自然破壊や医療費などの)も減るだろう。そもそものどれだけ考えられたところからの発案なのかは知らないが、それでも「税収増」を名目にした「喫煙者減」という実利を取る妙案のようにも思える。JT株や葉タバコ農家は打撃をこうむるかも知れないが、喫煙に加担いることには間違いない。

■例に出すにはまだ生々し過ぎて遺憾に思うが、日常生活に役立つのではなく人を刺すことに特化したダガーナイフをネット上で売り買いしないように大手プロバイダーは動いたらしい。一人で武器の形状や美しさを愛でることも、閉鎖空間でタバコを吸うことも、私の知りえぬところで為される分までツッコミは入れられない。しかし即効にせよ遅効にせよ、害を他者には向けてほしくはない。

■タバコ愛好の友人もいることだから余り強く主張はしないが、名古屋の少なからずの喫茶店はまだおおっぴらにタバコを吸える空間なので、その不快感と憤りを感じていると、つい地球温暖化問題を唱えつつ各国各個人の利害が折り合わず、結果として開発途上国の人たちや極力自然に暮らしている者たちをも巻き込んで、破滅に近づいているという問題と重なってしまったりもする。



■そこまでくると最早地上の問題、天上の視座などとほざいている前に、自らの外の問題ではなく内なる問題とも重なってくる。先ずいつかどうにかしようと思いつつ、余り注意を向けぬままにしてきた、己れの意識の中の破壊的な要素を持つ部分を、できるだけ他の部分と整合性を持つように早く解決すべく整理整頓しなくてはならないことにも気づく。タバコもJT独占でなく、自分で作っても良ければいいのに。

■タバコに対する感謝、周囲に対する配慮、自分の健康管理意識があれば、タバコを吸われても当方は別にかまわないのだけれど。結局直接関係のないところからの話になってしまった嫌いもあるけれど、それにしても喫煙家の方々はいかがな思いをしているのであろうか。も正常な意識を保ったまま、それで私はタバコを吸うと言う人には、個人的にはやはり一応敬意を払うことになるだろう。

数と言葉のその向こう側



■現代数学の中に数を扱うことが全て含まれていると考えるのは狭量であろう。算術的なまたは実用工学的な過去の数理が、現代数学的な意味で論理的に未発達であると評されるのは不適切だろう。数学を貶めるのではなく、更なる視座を獲得したいという姿勢を崩さないためにも、そのような見方に完全に飲み込まれてしまうことは自戒しなくてはならない。常にはみ出していく姿勢。

■ギリシア時代からの西洋的理性そのものの確実さを保つために、数学に論理と形而上学性を結びつけ、権威付けされた延長線上に現代の数と数学の考え方があるのであろう。そしてプラトンとピュタゴラスによって後から権威付けされた数というもの以外の、古代文明や中性の非西洋的な建築や文明に残された痕跡までも、数学的視座からしか見て取れないという無自覚なバイアス。

■言葉自体の問題や起源を言葉を用いて考え語るというための多次元的視座が不可欠であることに似た難しさ。今自分が何をしているかということを自覚しようとしている時、平面的な言葉で表現すると、「今何を考えているのかということを考えている」という自己言及と自己記述というパラドキシカルなものになってしまう。思考と言語はパラドクスなしに未来を記述することはできないのだ。



■1つの文の中に多重多層性を含ませ、かつそれに呼応して読み取れるものがいなければならない。「自分自身を知る」とか「どこから来てどこへ行く」とか「生きるとは?」とか「言葉とは何か、数とは何か?」「何のために?」などという真摯な問いが、月並みな文字列と意味からなる口下手な表現としか見て取れない。しっかり基本を修め、芸術的素養を育てた上でそれを超えていくこと。

■だむだむだんて、たんぷうーる。とかラーラララー、ルールルルルーといったオノマトペやスキャットにすらも基本と限界がある。清澄になること。そうすれば安直にテレパシーだとかもったいぶって以心伝心などと言わなくても、学び育み開き恵む、天の方向にまっすぐ屹立した人間存在として人間を超えていく未知なる方向に進めるのではないか。愛するという言葉の、その向こう側…。

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