スポンサーサイト

  • 2024.01.09 Tuesday
  • -
  • -
  • -
  • by スポンサードリンク

一定期間更新がないため広告を表示しています


牛丼の紅生姜袋逆切れ事件



■28日にECCOでの数と形のレクチャー&プレイと2次回をこなした後、ECCOで一宿一飯の恩義に預かり、翌29日はアイソレーションタンクに入れていただく。ここのタンクは本当に何の心配もなく安心して独自の時空を過ごせる。物や場所に人の思念や情動が残留したりするという表現は古臭いけれど、ECCOのタンクにはそのようなネガティブさに通じるものがない。これはオーナーである宮部氏の生命ベクトルの成せるものなのかもしれない。

■トランスパーソナルからインド哲学、比較宗教学から妖怪学まで広く深く修めた甲田氏もついにタンク入りとあいなった。最近身辺潮流が激動している彼の主観的見解などは、彼の日記などでいずれ語られるかもしれない。そしてなんと4月の25日にはECCOが同じ枠で私と彼のお笑いコラボを企画してくれた。哲学・心理学・妖怪学等と幾何・数理・暦学等を強制交差させ、さらに笑いを醸造させようという斬新で無謀な企画である。どうなることやら。

■お昼過ぎまでECCOにお邪魔した後、私と甲田氏は新宿に出た。新宿御苑で猫ジャマ氏&としさんと待ち合わせして、花見を敢行することになっていたのだ。寒の戻りの寒空の下、冷たい風に晒されながら見るのは2〜3部咲きの桜ばかりだというのに、目にしたのは予想だにしなかったとてつもない人出だった。桜の見える芝生の広場などはどこもかしこも人だらけ。花見よりも人見に近かったけれど、芝生に寝転がるのはそれでも心地よいものだった。



■その後は猫ジャマさん主催による飲み食いしゃべり大会が夜半近くまで続き、怪しげ話の連続爆裂、止むこと知らずであった。妖怪と魑魅魍魎、未知なる邪悪な存在、石の中の異生命体、2013の向こう側、多重次元にまたがる陰謀論などなどとめどない。そして最後は猫ジャマ氏の指導と出資により、私たち3人はカプセルホテルの初体験である。それにしても昨今の不景気のせいなのだろうか、久しぶりに訪れた新宿歌舞伎町は少し元気がない感じがした。

■明けて30日はゆっくり宿を出て、喫茶店などで怪しげ話の続きをしてから、天気が良いので御苑で花見を再び敢行することになった。 猫ジャマ氏が吉野家の牛丼のテイクアウトを用意してくれたので、広い芝の上で頂いた。さすがに快晴の野外で食うのはうまい。小さなビニールパック入りの紅しょうががついていた。即席めんのスープ袋のように、側面の「どこからでも切れます」と書いてあった。どこからでも開けられるのでフリーカットというらしい。

■しかし細かい手作業が苦手な甲田氏は、むしろ目安とすべき切れ目がないのもあって、なかなか切り開くことができない。あっちこっちをトライしているうちについに怒りが爆発し、「てんめー、どこからでもキれるのはお前だけだと思うなよーっ!」と紅しょうが袋相手にブチ切れたのであった。幸い食べると実に美味かったので機嫌が直った。日本語として歯切れがいいのかはわからないが、これを逆切れと称するのをギャグとしてみるとキレはよい。



■新南口にある高島屋タイムズスクエアの東急HANDSをひと覗きしてから解散。私は紀伊国屋で本をひと眺めしてから藤沢の実家に戻るべく小田急に乗った。もう4月もすぐそこだ。


え、行き倒れなの、生きたオレ?

 

■東京は白金高輪にある、アイソレーションタンクを稼動させているECCOというところに招かれて、3月28日には「数と形」というレクチャー&ワークをさせていただいた。なんとか無事終了して二次会にーの階上に移動中、携帯電話をチェックしたら、名古屋にいる嫁さんから「マロ行き倒れか?」というタイトルのメールが来ていた。

■この時点ではすでに笑い話だったのだが、なんでも嫁さんの妹(つまり私の義妹)からのメールで、「路上に倒れた男性、搬送後病院で死亡」というニュースが中日新聞の夕刊に載っていてビックリしたと書いてきたとのことである。なぜビックリしたかというと、救急隊員に自ら「おのみつひろ」と名乗ったと書いてあったからだ。

■元々違う名前なら安心なのだけれど、隊員が聞き間違えたということもありうるし…と一応確認してきたらしい。しかしよくよく記事を見ると身長が10センチ違うし、来ているものも違うということが分かり、全くの別人だと分かったとのことだ。実際に一人の人間が亡くなっているので笑い飛ばすのは不謹慎だが、身内では笑い話になった。

■実際にそのようなことの裏では、こちとらは何も知らぬまま19.5度は2/3倍すると13、4/3倍で26となり、360度だけでないスケールに変換すると正4、6、8面体の系から20面体へのルートが…などとムキになって話していたのは、間違いなく行き倒れではなく生きたオレなのである。ダジャレのセンスをもう少し磨かねばなるまいなあ。



■このようなTVで速報する大事件に巻き込まれた人の名前や、新聞の三面記事や死亡欄などに同姓同名を見てヒヤリとしたけれど、後で赤の他人だとで分かってほっとしたというようなことは誰にもあることだろう。しかし私の名前の同姓同名は確率的にもほぼないだろうから、他人をヒヤリとさせることはないだろうと踏んでいた。

■しかし聞き間違えや1音違いは誰にでも十分にありうるわけだと知らされた貴重な体験だった。亡くなった方とは何も接点がないのでお笑いテイストで語ったとしても不謹慎にすらなりえないわけだが、それでも血縁者や友人知人に対して失礼にならぬよう、人間として「願わくばご冥福和祈ります」と書き添えることには吝かではない。

■そういえば名前ではないけれど、以前ハンダコーセン氏のところにお世話になった翌日、チョコボ氏とその日の飛び込みで温泉宿を探していて見つからず、ハンダコウゲンというところに投宿しそうになったことがあった。結局筋湯温泉に泊まったのだが、それでも猫まんがのニャンダコーセンはkohsen氏とは無関係だと平気で言う私。

■センスの良い笑いがあれば何事も滞らず、滑らかに流れていくに違いない。…まあ問題はセンスなのだけれど。


スターバックス御器所店



■我が家の近場にスタバができると知ってはや1カ月。ついに今朝7時にオープンした。地下鉄御器所駅のほぼ真上、出口のすぐ前の十字路という絶好のロケーションだ。私はたまたま投宿中の妖怪博士&とマイ嫁さんと共に早朝開店と同時に入るべく行ってみた。

■目覚ましで6時過ぎに起こされて、30分前に家を出る。5分も断たずに到着。するとどう見ても同じ志(?)のお兄さんやオバチャンが、立ち止まって並ぶにはカッコ悪いという感覚と断定できるが、ウロウロとしながら行ったり来たりしている。こちらは3人だからちょっと強気。

■ウロウロするのも折からの寒の戻りで耐えられず、近くのコンビニCOCOストアーに避難した。しばしの後、5分前にもう1度スタバ前に行くと、すでに十人ほどの立ち待ち客がいた。信号待ちして渡り始めると、定時より前に店のドアが開いた。一番乗りは無理だった。

■しかたないので1人でないことの有利さを使い、注文を嫁さんに頼んでおいて2階の一番景色の良い席を確保すべく階上へ。2階客一番乗り。誰もいない証拠写真を撮ってみる。早起きの反動で眠気が頭の中で頭をもたげる。店内で居眠りの一番乗りにはならずとも良し。



■かくして3人してしばしのスタバタイムを過ごしていると、2階の十字路側にガラス戸をあけて出るベランダ仕様の席に出ていたオジサンがタバコを取り出して吸い始めた。店内モニターを見ていたのだろう、すぐに店員の女の子が灰皿を持って走ってきた。

■なるほど、喫茶店といえばタバコを吸うのが当たり前の名古屋文化をさすがのスタバも断ち切れず、2階のガラス戸で外に隔離してある4席だけは喫煙OK席らしい。近くにあるミスドやマックは喫煙用隔離空間があるが、ここは1つ反転した発想というわけだ。

■まあ夏は暑く冬は寒い外に出すというところで、現在の名古屋との妥協点としたわけだ。ロケーションのみならずマーケティングの勝利であろう。まあこれからはよく足を運ぶことになろうから、足運び、匂い付けはしたということで今日は帰宅してきたわけである。

■あっ、しまった、スタバ専用マイカップを買ってくるのを忘れてしまった!



------------------------------------------------

【オマケエピソード】

■烈氏が「反テイ・反スタ!」と謎の掛け声をあげたので、入店第1号になれなかった腹いせに、今日び流行の反・スターバックス運動をぶちかまして、強制店外退去第1号になるつもりなのかとビビった。しかしどうも昔あった「反帝国主義・反スターリン主義!」のダジャレで、「反定食のご飯減量・反スターバックス!」らしい。彼のギャグは笑うのにも知識がいるのである。


正4面体と正8面体と正20面体の親和性

 

■私はいつも東急ハンズで買った5つのプラトン立体サイコロを持ち歩いているのだが、昨日テーブルの上で何気なくくっつけあって弄んでるうちに、正20面体に正4面体と隙間なくぴったりくっつきあう面があるのに気付きはっと驚いた。ちょうど正4面体の70.5度が正8面体の109.5度と合わさって平角を作るように、正20面体の正4面体の70.5度との接合面が2つの立体の底面が乗っているテーブル面に対して、109.5度を成しているということだ。

■この正20面体をテーブル面に垂直な真上方向から見ると、そのうちの4つの面が、真上から見た正4面体の4つの面と同じ角度を成していることが理解できる。右図最上段の左と中の図は、その場合に正4面体の3つの面と、それに対応している正20面体の3つの面を赤色計の色を用いて表わしてみたものである。またその右にはこの2つの立体の対応する部分が重なるように図示してみた。さらにその下の段では向きが逆の正4面体と同様に対応関係を持つ3面ずつの関係を青色系の色を用いて示したものである。

■なおこの赤と青で示した2つの正4面体それぞれの残る1面は、正20面体の底面が載っているテーブル面を共有している。この正20面体の底面である正3角形は、図に見る正20面体の真ん中にある正3角形と逆向きである。これらの関係は、正4面体の5重自己相貫体内部の重畳部分が成す正20面体の各面が、それぞれの正4面体の4×5面に由来する事実のみならず、右手系と左手系合わせて10の正4面体の自己相貫体が存在することを想起させられる。



■また正20面体に延長するとテーブル面に対して正4面体の2面角に等しい70.5度を成す面があるということは、その面と正8面体(2面角が109.5度である)とは隙間なくぴったり接するということだ。上に示した真上から見た正20面体の図では、テーブル面に接している正8面体とは赤青3面ずつ合計6面がそれに該当する。ところでこの真上から見た正20面体の図では、反対側にあって見えないままである残る10面が示されていない。

■そこで次の図では見える側の面を黒い線で示し、見えない側の面の存在を赤い線で示してみた。正8面体とぴったり接することが可能なことを見た6つの面に接しつつちょうど裏側にある6つの面は、正4面体をテーブル上でスライドしつつくっつけるとぴったり接する。これはその面は延長するとテーブル面に対して70.5度を成しているということだ。つまりこちら側の6面は正4面体を呑み込んで、テーブル面上で平角を作ることが可能な面なのである。

■正4面体・正6面体・正8面体は直角及びその±19.5度(より正確には±19度28分16秒)をもって2面角と中心角が3つ巴の関係にあるように、2面角138度11分22秒・中心角63度26分の正20面体は、2面角116度33分54秒・中心角41度28分の正12面体との間だけで黄金比を介して密接な関係を持っているという思い込みが、このように実際に試してみればすぐに分かる関係性を見逃させていたわけだ。



■そう言えば正4面体・正6面体・正8面体は5つのプラトン立体において、全ての頂点に対して正3角形が3・4・5面ずつ集まり、また同じ長さの稜(辺)が3・4・5本ずつ集まっている系であった。それにしても1つのテーブルの上で、正4面体・正8面体・正12面体が春の光の中でタイトに接しつつ並んでいるところを眺めながら、これからはもっと謙虚にもっと素直に多面体に接するようにしようと決意する3月の暮れである。


このハシは足るべからず



 ■今日、我が家に友人のふうさん、チョコボ氏、たかしっちさんが遊びに来た。当家に投宿中の甲田妖怪博士と清濁合わせた話をしに来たのである。四方山話から哲学・心理学・多面体・カズタマ・妖怪・社会批評から下ネタ話まで話題は多岐に及んだ。私はその中でちょっとだけ話題に上がったエコロジーとエコノミーがらみで、面白い冗談半分のところから垣間見たマイ箸の問題についての気に入ったブレイクスルーを書き留めておこうと思う。

■今日びのレジ袋有料化の流れのように、使い捨ての割り箸も無駄だからマイ箸をみんなが持ち歩こうという運動や、それはただ捨てるだけの間伐材を有効利用しているのだからむしろエコロジーだという考え方や、実際はもっと安い木材を東南アジアなどから輸入して製品化しているのだから欺瞞であるという反論も含め、果ては多国籍企業による経済的陰謀論まで持ち出してみたところで、結局では個人としてではどうするかに収斂し始めた。

■陰謀論まで突き詰めていっても、個人は現実(と思わされている観があるが)を知って返って自分の非力さ・無力さをさらに痛感するだけか、何が正しいのか分からなくなってそのような問題に対して思考停止に陥るか、その時の自分の情動やポリシーに殉じて何らかの対立するものと戦いを始めるかなどなど、どのみち明確な共通の活路を見出すのはたやすくないどころか、とてつもなく難しいので手に余って話が空中に拡散してしまうのだ。



■使い捨ての割り箸でも国産の間伐材を使った由緒正しい(?)値段の張る割り箸を使えば正しいのか、マイ箸を持ち歩きそれわ使っていれば取りあえず環境に貢献しているのか…などというズレたブレイクスルーもどきが繚乱するばかりだ。それより今日にも外で蕎麦を食う時に、割り箸で食うのか食わぬのかというその場しのぎでもある即座の決断を求められるケースに、取りあえずどうするかを冗談半分で言い合っていた時だった。

■ふうさんが「マイ箸を1本、出てきた箸を1本使って食べる!」と口にしたのだ。一同は実用性はないが、意外で面白い禅的な答として大笑いした。私も笑ったのだが、同時に何か心にストンと落ちるものを感じたのだ。環境派とか経済本位派とか、陰謀論派とか判断停止派とか、そのような今までにあったものとは異なる新しい発想だと感じたのだ。それを異なる問題意識を持ちつつ対立している人たちの前で実際にやってみたらどうだろう。

■仕方なくもしくは無意識に割り箸で食べる者も、自然に優しくあり続けようとしている者も、どちらもこの箸の使い方には注目するのではないだろうか。この本来同じ素性の二本を一膳として用いるところのものを、由来の異なる二者を一対として、明確な意識で明るくご飯をかき込んでいる者に対して、ただ奇妙がったり変人扱いするだけで無視するのではなく、興味本位にでも「なぜ?」と問う健全さは有していると考えたい。



■面倒な議論や説明をする必要はない。笑うものは笑ってくれればいいのだ。願わくばその手があったかとはたと膝を打ち、共に笑うような良質な笑いなどで。怒り出す者もいるかも知れないが、それすらもまた面白い。お店の人は塗り箸の片一方だけを意識的に使い、使われなかった残る片一方はどうするのだろう。無意識に洗い場に送り出すのだろうか。箸のマナーをうるさく言う人にも、ぜひこの使いにくそうな箸扱いをしてみてほしい。

■このためにはマイ箸を持ち歩くのが前提かも知れない。その場を尊重して堕されたものを用いるのも自由、そっと自分の箸を使うのも自由。日本の誇る伝統的な食文化に用いる「箸」に関する様々な考えの1つのブレイクスルー、別の解への1つのヒントにはなりうるかのではないだろうか。二者択一ではなく第三の道、どれをも否定するのではなくむしろ肯定しつつ双方を和合させようとする潔さを讃える者すらいるに違いない。

■…いや、興に乗っていろいろと書きすぎてしまったようだ。マイ箸、アゥワ箸、空手箸、三本箸、猫箸…夢は広がるが、きょうの所はこのくらいにしておこう。この箸の使い方を気に入ったので、実際にトライしてみようと思う。


妖怪博士と猫



 ■現在某妖怪博士が当家に投宿中である。当方の混沌とした議論も不快がらず聞いてくれるありがたい存在に感謝している。さて、そのようなことはどうでもよく、今回は画像のリークである。当人はmixiにアクセスするのはまだ何日かはないであろうから、無断での敢行だ。プライバシーの侵害と言われるのは心外だが、勇気がいる。

■右は一昨日の夜、妖怪博士という存在にも恐れることなく、洗濯物を普段は入れているカゴに入って近くで休んでいた当家の猫「みかん」を、カゴごと抱きかかえて「猫、いらんかえ〜」と口にしながら部屋を徘徊する妖怪「ねこいらんかえ」(←て、まんまか)の図である。

■真ん中の図は、普段から互いの存在を尊重してか無視してか、近くでくつろぐ2者である。当方からしてみれば、どちらも気配を消したままずっと同じ姿勢でい続けるという不可解な存在である。共通点は、腹が減ったら騒ぐ。互いに癒している観もある。



■左は夕べのショットで、右の画像とは別の時間に出現した妖怪「ねこいらんかえ」である。部屋をひとくされ歩き回り、「ありがとうございます、それはすでに私のとこのですから買えません」と言うまで消えずにいる。もっと破顔一笑の人間臭いショットもいくつかあるが、あえてこちらの画像を露出。

■妖怪博士の研究には興味を持つ者が沢山いるらしく、今日もこれから学術系の方たち何人かと栄でミーティング大会である。今後の活躍にもぜひ注目し続けよう。なお、今のうちに食い物や粗品をプレゼントしておくと、後々多大な恩返しを期待できるかもしれないぞ。見かけたらメシをおごってみよう。


バジルの発芽と越冬と



 ■真冬でも出来立てのバジルペーストを使ったジェノベーゼが食べたいと思ったので、この冬は昨年の秋に枯れる前のバジルの一部を、日当たり良好の窓辺に移動させて越年させた。案の定葉っぱがわさわさと育ち続けたので、何度か真冬のフレッシュジェノペーゼを食べることができた。バジルの種のまき時は4月下旬〜6月らしいけれど、発芽適温が20度以上なので桜の開花後を目安にすると良いらしい。先日名古屋でも桜の開花宣言がなされた。

■種まきのシーズン到来というわけだ。さすがに強引に越冬させたバジルも花を咲かせて種を沢山付け始めたので、葉が硬くならないようにと花芯を摘んでしまうのも気が引けるので、季節外れの野放図なる満開状態にさせてある。しかしそのプランターで伸びきったバジルの根元では、発芽時期がはるかに早いキャットニップが着実に生育している。こちらは発芽直後に駆除しても良かったのだが、匂いが良さそうなので見逃していたら繁茂することおびただしい。



■実は私は発芽温度が20度ほどならば、これまた冬でも気温がぐんぐん上がる窓辺でバジルの促成栽培もさせてみようと考え、トライしてみていた。微妙にマッドサイエンティストが入っているかもしれない。あらんかな、確かにそれは断春前に発芽した。しかしである、日照時間その他の関係なのか、生育が実にのろいのである。そうこうしているうちにベランダのプランターから色々な植物が発芽し始めてきた。中にはなんと落種したバジルまである。

■バジルの双葉は半円形がふたつぴっちりくっついたような形をしている。この双葉は少し日が経つと2つの双曲線で挟んだようなゆるい三角形の葉が互いに離れていき、やがて真ん中から次の葉が顔を出してくる。これは去年までの経験から分かったのだが、とてもよく似た半円形の双葉が何種類かあって、実は去年は区別がつかなかった。真ん中から出てくる次の葉っぱがぴかぴかしているか、葉脈入りで反射率が低いかで見分けられるようになった。



■最上段の左画像では左上のものがバジルで、後の3つは似て非なるものだ。中段の左画像を見れば少し育ったために別種であることが分かるだろう。右側の方がバジルである。なおその右画像は越冬している間に伸びてきた若木を植え替えたものと、色々な発芽試験中の画像である。すぐ上の右図は室内で越冬して繁茂したバジルだ。花が咲いて葉は硬くなってしまっている。根元にはキャットニップが我がもの顔で鋭意生育中。嗅ぐととても良い香りだ。

■このあたりのことは興味が経験に結びつき、勝手に観察眼がつくので面白い。 ただ、まだ間引きに抵抗感をなくし切るまでの境地(…というほどてもないか)に達してはいない。他の「雑草」(←生命原理的には失礼な表現だが、「農」の道にとってはある意味自然)は平気で抜き去ることができるのに。このあたりの自分の心理の移り変わりは人とごとながら(いやもとい、自分のことであった)かなり面白い進行形である。今年のバジルは何十本育つのであうか。


正4面体の19.5度と2:3:4の視座

 

■2つの周期的かつ互いに等価な双対的空間として捉え、総体としては1つであると見る視座は、双対トーラスを1つと見る外部空間の想定と同じ視座である。なお言うまでもないがこれらは空間の実際の形状ではなく、あくまでも空間構造のモデルである。ところでこの斜方切頭立方8面体は正6面体と正8面体の要素が入っているから、正4面体・正6面体・正8面体の2面角・中心角に±19.5度が3つ組に絡みあう関係も残っている。

■では次にこの19.5度が曲率を反転する特異点を作る角度として考えてみよう。70.5度と109.5度は直角から±19.5度ずれている。70.5度は正4面体の2面角であり、また正6面体の中心角である。90度は正6面体の2面角であり、また正8面体の中心角である。109.5度は正4面体の中心角であり、また正8面体の2面角である。このように直角90度及び±19.5度で作る3つ組み関係は、まるで月・地球・太陽の3つ組み関係のようにタイトである。

■この70.5度と109.5度は平角180度と足して円の1周である360度になる。70.5度:90度:109.5度はこの比率を保持しつつシンプルに2/3倍すれば、70.5度:90度:109.5度=47:60:73となる。この変換によって、非常に緊密な関係にある正4面体・正6面体・正8面体の中心角と2面角のからみを、このシュメール起源の60進法の位取り記数法の底でもある60に対する±0及び±13という3つの整数比率で見て取ることができるのである。



■なおこの19.5度そのものを2/3倍及び4/3倍した数値の比は13:19.5:26=2:3:4と実にシンプルなる。古代エジプト人は 2/3(及び3/4)を特別視していた。古代エジプトの分数は「自然分数」と「単位分数」()だけだった。古代エジプトの2/3は2つの部分(the two parts)という意味であり、1/3は3番目の部分(the third part)を意味している。2つの部分は3番目の部分と合わさって全体をなすという発想だったようだ。

■ギルガメシュ(Gilgamesh)はBC2600年頃のシュメール初期王朝時代のウルク第1王朝の実在の人物と考えられているが、古代メソポタミアの『ギルガメッシュ叙事詩』に登場する彼は2/3が神の血、1/3が人の血を持つ者と表現されている。彼は女神ニンスンを母とし王(もしくは神官)であった人間を父とする半神半人の存在であった。神と人間のハーフなのになぜ1/2ずつではないのだろう?この1:1ではなく2:1のずれはいかなるものか?

■これをミトコンドリアDNAから理解しようとする解釈もある。ミトコンドリアは元々は細胞内にはなかったものだが、生物が進化する過程で体内に取り込んまれたもので、相互利益を持つ細胞内共生の関係にあると考えられている。細胞核にあるDNAとは異なる独自のDNA(mtDNAと表記する)を持っており、これは母親のものだけが子供に伝わることが分かっている。つまり子供は母親と父親のDNAを2:1の割合で持っているというわけだ。

)自然分数というのは、1/3、2/3、1/4、3/4、1/6、1/8 であり、最初の4つは特別な名前があった。また単位分数とは分子が1の分数。

------------------------------------------------------

■2:3
正4面体の重心から各頂点までの長さと、正4面体の高さとの比は2:3であ。
正4面体とそれに自己相貫したケプラーの星形8面体との体積比は2:3である。
水星の自転周期58.5日と公転周期88日の比は2:3である。
水星の公転周期88日と会合周期116の比は3:4である。
水星の会合周期116日と水星上の1日176日の比は2:3である。
水星の1日176日とマヤの神聖暦260日の比は2:3である。
金星の自転周期243日と地球の1年365日の比は2:3である。
冥王星の公転周期90505.6日と海王星の公転周期60182.4の比は2:3である。
音程における基音と5度上音(例えば同じオクターブのドとソ)との振動数比も2:3である。

■3:4
正4面体の高さと外接球直径との比は3:4である。
中接球を共有する正6面体と正8面体との体積比は3:4である。
エジプトの直角3角形の斜辺長5に対する2挟辺の辺長比は3:4である。
地球上における水と空気の相対屈折率は3:4である。
金星の会合周期584日と火星の会合周期780日の比は3:4である。
神聖暦ツォルキン260日と、地球の食年周期346.6日の比は3:4である。
金星と地球の軌道長半径の比(0.723AU:1AU)もほぼ3:4である。
TVモニター画面の縦横比も3;4である。
正4面体の回転対称軸は<線−線>の3本と<面心−天>の4本からなっている。


交差しない双対的な2つの空間

 

■さざえ堂のような二重螺旋構造の塔や階段は、最上階でつながっていれば1本の通路であり、最下部でもつながっていれば1つの輪である。また二重螺旋の双対的な2つの通路がそれぞれ別個につながって閉じていたら、外部に出なければ全体構造を知ることはない。局所においては上下にどこまでつながっているのか、全体がループしているのか、そして多重螺旋を想定できても、今度はそれが逆に三重や四重なのかすらも知れない。

■多重螺旋構造はいくらでも想定することはできるが、まずは二重螺旋構造をイメージしてみよう。例えば太陽を回る地球軌道上にある5つのラグランジェポイントのうちのL3、つまり太陽を挟んでちょうど正反対の位置に反地球(クラリオンもしくはヤハウェ)が存在するという説がある。現在この惑星の実在は否定されているが、もし存在してとしたら、太陽と共に銀河の中を移動する軌跡は地球と共に同じ方向に二重螺旋を描いていることになる。

■また惑星軌道は1次元的な線だが、2次元的な平面の曲率のプラスマイナスを双対性として考えれば、昨今また取りざたされている地球空洞論における地球と地球内部に反転した世界の想定とも重ねられるだろう。この場合は両極付近に特異点というか反転界面が存在することになる。これももちろん物理的に地球内部というより、よじれて異なるところとつながっている、もしくは反転して重なっていると考えた方が分かりやすい。



■立体幾何には、正多面体や準正多面体を周期的に組み合わせて空間を隙間なく満たす空間充填問題というものがある。例えば正6面体だけでとか、正4面体と正8面体を組み合わせて可能だが、ここでは3つの正8角柱と1つの斜方切頭立方8面体(rhombitruncated cuboctahedron)を組み合わせた立体(上図参照)を1ユニットとして、それを周期的に重ねていくことで空間充填ができる。

■またこのユニットの正8角形部分と中身を抜くことで、互いに接することなく、しかし交換可能な独立した2つの空間ができる。壁面で分断された2つの空間は交換可能な双対的空間であることが分かる。この壁面を多角形の組み合わせではなく双曲面双曲面にすれば、2つの空間の非交差性はより滑らか見て取れる。この3次元空間は虚空間と実空間という認識ではなく、実際の実空間が2つに分断されていると考える。

■また下の図で分かるように、一方の空間は透明にしてあるが、もう一方の空間側に入りこんでも同じ形に見える。この立体の反転、もしくは空間の反転とはこの場合、一方の空間から他方の空間に移行するということだ。互いにその存在が捉えられないので、この内部からはその二重構造を認識できないのは、構造が巨視的過ぎるか逆に極微細すぎるために、肉眼的視野に収まらないと考えることができる。



■1つの多面体だけでも、局所的にではあるがその立体自体が空間を外側と内側の2つに分断していることには違いないが、この2つの空間の片方が現在の空間であると考えてみよう。この2つの空間が特異点で互いに交差・交流しうるとすれば、プラスとマイナスの空間曲率に関係があると考えられないだろうか。例えば直角から±19.5度のズレを想定してみよう。一方が負の曲率−19.5度である時、もう一方は正の曲率+19.5度に対応するというように。

■正4面体・正6面体・正8面体は、その2面角と中心角の関係において、まるで月・地球・太陽のように直角90度及び±19.5度で3つ組み関係を作っているが、次はこの19.5度という角度自体に目を向けてみよう。


二重螺旋の交差しない2つの空間



■昨年の晩秋に、会津若松は飯盛山の中腹にあるさざえ堂を訪れた。この江戸時代後期に造られた高さ約16.5mの木造建築は、外観は六角堂だが内部は二重螺旋の構造をしている。入り口から右回りに1回り半で頂上部分に至り、そのまま1回り半を今度は左回りで下り、登りと交わらないまま裏側の出口につながっている。



■青森県津軽村には「つがる地球村」という滞在型のリゾート施設がある。そこには宿泊や温泉の施設・レストランや円形劇場など様々なレジャー施設があるのだが、その「遊びの国」というエリアに二重螺旋構造の龍の滑り台がある。一方のチューブはもう一方のチューブとは出会わないまま真っ暗闇の中を出口に滑り降りる構造である。

■神奈川県秦野市には、相模湾と湘南を一望できる菜の花台という有名な夜景デートスポットがある。そこにある展望台の形状も無骨ではあるが、やはり登りと下りが別々の二重らせん構造になっている。また熊本の三角港フェリーターミナルも二重螺旋で構成されている。上り下りの向きは逆だが形状常的にはよりさざえに似ている。



■海外には二重らせん構造の建築物は数多い。フランスはロワール河畔にあるシャンボール城には、ダ・ヴィンチがデザインしたという二重螺旋構造の階段がある。この中心は吹き抜け空間で、階段側からは窓が開いている。ローマのバチカン美術館の入り口もまた、出口まで観光客を上手く流すように一方通行の二重螺旋構造になっている。



■ハンガリーのブダペスト郊外にあるリュブリャナ(スロベニア)城には現在復元された歴史的な塔があるのだが、その中にもモダンな二重螺旋構造をした階段がある。スペインはバルセロナにあるグエル公園の中空ベンチから見下ろすと塔が見えるが、これもまた二重螺旋の構造をしている。なおこれはアントニオ・ガウディの作品である。



■白地に赤と青の二重螺旋が回転する床屋のマークのように、現代では建築や芸術に限らず二重螺旋の構造はは随所に見られる。ただ単にアート作品として登って降りてくるだけの階段すらもある。これらはみな少ない回転上昇で下降に転じているが、隔壁に隔てられたままどこまでも巡り会わない構造というものも想定できるだろう。

■互いが接するためには隔壁を突き抜ける部分が必要だ。それがなければ2つの空間は等価で双対的でありながら、内部にいる限り互いの存在には気がつかない状態のままだろう。その総体的な関係を把握するには、この構造全体の外に視座を持つ必要がある。眼前にある空間は双対の片方だけなのではという発想もありえよう。



■二重螺旋構造といえばDNAの構造が念頭に浮かぶ。よくイメージするDNAの概念図では、糖とリン酸からなる二重螺旋のリボンの双方から伸びた塩基同士のペアが水素結合によってねじれたハシゴ状上の構造を造っているというものだ。しかし中心に1本の柱を通し、階段の隙間を塞いでしまえは双対状の2つの空間になる。

■この2つの双対的空間についてもう少し見ていくことにしたい。


calendar
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031    
<< March 2009 >>
sponsored links
selected entries
categories
archives
recent comment
recommend
profile
search this site.
others
mobile
qrcode
powered
無料ブログ作成サービス JUGEM