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猫まんが:意識進化は両性具有方向に
- 2010.01.31 Sunday
- ■猫まんが系
- 11:09
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- -
- by 小野満麿
単なる女神の時代到来と騒いでいてはなりません。その下で男性性がへなちょこのまま萎れているのが新しい女神の時代と勘違いしていては共倒れ。単なるジェンダーの話や、肉体的特徴を言っているのではないのです。各自の内の男性性と女性性を全開させる、アンドロギュヌスの神になるのです。…って、あ、ダサっ、自己解説ほどカッコ悪い者はない〜っ!
脳内Twitter on 20100129
- 2010.01.30 Saturday
- ■日々の記録
- 21:07
- comments(0)
- -
- by 小野満麿
■内惑星の公転周期の和は1365。これから地球を除くとぴったり1000。人間が10進法で世界を把握しているからこのような数になるのだという考え方。そして1年1日法ではないけれど、外惑星の基本が12−60に見えるのは、木星・土星のせいでなく人間のいる地球を基本の1としているから…。
■外惑星の公転周期を年で表すと、木星・土星・天王星・海王星・冥王星はそれぞれ12、30、84、164、248。これを世界を止めている6で割ると2、5、14、27(+2)、41(+2)。かなり怪いな。ティティウス・ボーデの法則(0.4+0.3×2^n)。2,3,4だけなのも怪しい。
■またnに代入する整数が水星−∞、金星0、地球1、火星2、アステロイドベルトの3はスキップし、木星4、土星5、天王星6まではほぼぴったりだ。そして数6で世界を閉じる。海王星以遠は乱れている。さらにはマイブームの「数は3から始まる論」にそぐうように第3惑星である地球から1が始まる。
■世界が6で閉じているという考え方自体、ペンターブシステムに収まるのではないか?世界を12進法で見る自分自身は10進法に収まっているのではないか?1と2は世界ができた時にすでに存った。数は3から始まる。ヌーソロジーのψ1とψ2もまた最初から前提として存在しているのではなかったか?
■そう考えるとψ13、14というものも数字の12と13に収まるという見方も在りうるのではないか。まずはψ3から入る。ここが数の始まりであり、それ以前は数の本質を知らぬままのアダムとイブ。そう考えると正4面体が0、正6面体と正8面体が1と2(交換可能)と割り切って見ることができる。
■正4面体を、もしくは正6面体と正8面体をただ相貫させるだけでなく、対称性を保ったまま5重相貫させるということは、反転の発想と作業に似ている。正12面体と正20面体が3と4(リバーシブル)。ここにキアスムを見つけられなければ、1と2のみの世界、数の本質を知らぬままの世界に逆戻り。
■13という数。そのものが1を2分割したもの、もしくは2倍する方向に世界を認識するということとは別の方向性を指し示していると捉えることもできはしないか。つまり1を3分割認識、もしくは3つ集めて初めて次のステップ(ありていに言えば真の2だ)に進みうる世界。この世界のリバースが31。
■正6及び8面体の回転対称軸数は13なのに対して、正12及び20面体の回転対称軸数は反転数でもある31。πの3乗は≒31。日本では古来より三十一文字として音として詠った。日本では「い・み」のある13という数を、西洋では忌み数として意味を否定した。自ら暴走する精神水疱瘡の前に一服。
■ところで私は去年暮れからずっと『ヘリオコンパス2010』のブックレット版を鞄に入れている。早くポスター大の地球暦から経本タイプの手帳、及びその下に付いている各惑星諸データの縮小コピーを取って携帯できるようにしなくては。この作品の真の素晴らしさを知っている人は多くないだろうなあ。
■このブックレット版には今年起こる惑星間の全ての合と衝が図入りで示されている。これを見れば明日の満月にして地球と火星の会合、さらには他の惑星たちの配置がかなり絶妙であることは、占星術や天文学和しらなくても見て取れる。本当にこの暦は画期的な力作だ。最大限の賛辞を贈りたいものである。
■製作者である暦師は、これら惑星間の合を「結び」、衝を「開き」と称して更なる意味を見出している。今日これらを見直していて、当たり前のことではあるけれど失念していたこととして、摂動や楕円軌道ゆえの微差はあるものの、合は2惑星間の最短距離であり、衝は最長距離であることに気付き直した。
■水星の平均軌道長半径は0.38710AU。地球と水星の合の時の2者間の距離は0.6129AUである(衝は1.38710AU)。地球の平均軌道長半径はもちろん1AU。この3つの数値は、初項2、第2項10のフュンク・ウレの数列における第10項382・第11項618・第12項1000を想起させる。
■水星と金星の平均軌道長半径の和は1.1104AUで、地球の1AUに対してほぼ1.11倍だ。10と12をつなぐ11という10進法の10と1のホロン数11を想起させられる。もちろんこの数列の値は1/φ^2、1/φ、1の1000倍の数値に近い。金星は0.72333AU、地球と金星の衝は1.72333AUであり、合は0.27667AU。
(※)オリジナルなtweetはこちらにあります。リアルタイムは面白いものですね。
https:/
英国度量衡のポンドと13の月の暦の構造
- 2010.01.29 Friday
- ■数の世界
- 11:23
- comments(2)
- -
- by 小野満麿
■度量衡は世界を計測するための単位である。時間や空間や様々なものを計測し、相互間の関係を表すための元である。計測することがなかったら数理はほとんど発展しなかったのではないだろうか。国際単位系に移行する前の英国の度量衡で使われていた質量の単位はこんな感じだ。実際の物事に対応する質量ではなく、その背後にある単位間の関係と構造について見てみよう。(1ポンド=0.45359237kg)
16ドラム = 1オンス
16オンス = 1ポンド
7ポンド = 1クローブ
14ポンド = 1ストーン
28ポンド = 1トッド/クォーター
112ポンド = 1ハンドレッドウェイト
364ポンド = 1サック
2240ポンド = 1トン
2ストーン = 1クォーター
4クォーター = 1ハンドレッドウェイト
20ハンドレッドウェイト=1トン
■ポンドについて注目してみよう。ボクシングで「ウェルター級・140〜147ポンド(63.50〜66.68kg)」という時のあのポンドである。1ポンドは16オンスで、(16^2=)256ドラムだが、これを基本としてその上位の単位はまるで13の月の暦を見るかのように、7ポンドを基本としてその2倍、4倍の単位があり、その4倍である28ポンドをまた基本の単位としてさらに4倍の112ポンドという構造がある。
■そして極めつけは暦そのものを想起せざるを得ない364ポンド=1サックである。これは1年を7日=1週間が52週で364日、もしくは4週間28日の13か月での364日とする「13の月の暦」と同様の数的ロジックで、7ポンドで1クローブ、28ポンド=4クローブ=1トッド/クォーター、そして13トッド/クォーターで364ポンドとなっている。明らかに何らかの暦的な整合性も持たせてあるのではないだろうか。
■もう1つの注目点は112ポンド=1ハンドレッドウェイトというところである。名前の通りハンドレッドウエイトは直役すれば百の重さであり、ここでは当然100ポンドを表すべき名前である。そしてこの20倍すなわち20ハンドレッドウエイト=2000ポンド=1トンの方が度量衡としてはすっきりする。実際に「短い」ハンドレッドウエイト=100ポンドであり、この表上の方は「長い」ハンドレッドウエイト(=112ポンド)と呼ばれている。
■この差12ポンドはそもそもこのハンドレッドウエイトという単位が生まれた炭鉱業において、石炭に混入している岩や鉱滓の分だと考えられているらしい。しかし本当にそれだけの理由なのだろうか。すでに見たように、112ポンド=28×4という整合性もある。100/4=25だから、この2者の比は25:28であることが分かる。1トン=20ハンドレッドウェイトと、ここには20進法的単位までついている。
■100:100+12。在る種の10進法とそれにまといつくように交差する12進法というようにすら思えてくる。ちなみにこの1ポンドは7000グレーンだ。10進法ホロントとはいえ、ここにも…というよりここにすでに「名無し数」の7が顔を出している。普通に考えるならば使いにくい素数の7がなぜ組み込まれているのだろう。なお1グレーンは小麦の1粒の重さから来ていて、現在では0.064798gに相当する。
野良猫トッティ生存確認
- 2010.01.28 Thursday
- ■猫
- 09:50
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- -
- by 小野満麿
■ここ数日ずっと気になっていたことがあった。近所に出没する黒猫のことだ。そいつは胸の部分だけひと房白い毛があるのですぐ分かる。以前から見た目にも分かる病気で、もうそう長くないだろうことは予測出来ていた。ここ数日の悪天候で見かけず、とうとうどこかで亡くなったのかと思いかけていた。
■今日1日、点検修理作業のためマンションのエレベーターが止まっている。5階から歩いてマイ図書館のスタバに向かおうと門を出たら、そいつを遠目に見かけた。陽光の中で毛づくろいしていた。5階まで駆け戻って猫餌を掴み、また駆け下りてきた。そいつが寄って来たので、人目を一応はばかってから与餌。
■江ノ島で同じような症状の猫を見たことがある。末期はよだれを垂らし、足取りもおぼつかないままだった。野良猫の寿命が長い短いと、幸不幸とは別のパラメータだ。まだ生きていること、それだけで嬉しかった。野良猫に餌を与えないで下さいという張り紙がある。私はこいつが死ぬまでは断固餌を与え続ける。
■他者を恨んだり悪天候を呪ったりすることはない。澄んだ心臓の持ち主になるとはどういうことか。黒猫に与えた名前はメッシ。母親はやはり胸元だけが白い黒猫ロナウジーニョ。兄弟のトッティはどこかに消えた。いつも2匹でいたのだけれど、最近は母親猫を見ない。冷徹な観察者でなく熱い関与者として生きる。
日本語についてTweetしてみた
- 2010.01.27 Wednesday
- ■言葉と論理の世界
- 10:32
- comments(0)
- -
- by 小野満麿
■点−線−面−胞−超胞…。面点変換は通常、偶数系・奇数系ごとの変換なので、胞線変換の想定まではしている。しかし明らかに面点変換のほかにも整数化される次元変換ラインがあるのではないだろうか?それにしても思考で思考をトレースしつつ超えて行こうとするには、感覚的・直覚的援用が不可欠だ。
■日本語の音素のうちの5母音。ア・オ・ウ・エ・イの5音とン。音霊数では1,2,3,4,5と1or10だが、イとンの対称性も存在すると考えている。イとン、開と閉。イン化とマヤ、化インとアベル。これキてはいるけれど、ダジャレの話ではない。ひとつの変換作用が言語上で生じるのではないか。
■イ音とン音の交換は面点変換に似た操作として体感できることがある。たとえば「毎日を丁寧に生きる」という最近のテーマの「ていねい」。これをイン化面点変換的な操作をすると「てんねん」。無自覚天然な生き方から、丁寧に生きるという過程を経て、無碍自在な天然にスピンする。ダジャレではない。
■ンは制止・閉塞、イは解放・展開。イメージとしては。イ→ンは5→新たなる1、もしくは6でもあり、10にも通じる。つまりイン→カ。しりとりでもンは終わり。中国から輸入した漢字を日本語化して使用する時に生じた化学的変化かも知れない。ちょっとヌース用語の文法っぽい。問題は10進法だな。
■日本語の特徴、こそあどことば。この世とあの世の間の界面にその世があり、その界面を反転させたところにどの世がある。その世とどの世の対性を、50:50対称性で作っしまっては対消滅してしまってこの世とあの世の認識に戻る。気功で言う陰陽比のように49:51とかずらさねば中和してしまう。
■日本語にそもそも西洋的なかっきりした人称分別概念があったのかどうか。1人称・2人称・3人称は主語を明確にせずに記述や対話が成り立つことが少なくない。阿吽の呼吸は一意で瞬間テレパシーだ。日本人は自己他者問題的領域に相互共感の余地が最初から混入もしくは装備されていたのではないのか。
■無人称もしくは4人称としての概念で捉えられる言語がある。例えばアイマラ語。4人称複数形とは「聞き手を含んだ大勢のわれわれ」として、聞き手を含んだ少数のわれわれと区別される。ここに存在しているわれわれと先祖という捉え方もあるらしい。霊的とも言えるが、日本語っぽいとも考えられよう。
■10進法は人間型ゲシュタルトなのかどうかという問題を解明するのは至難の業ではないけれど、この4人称的視座とはちょっと人間型ゲシュタルトをはみ出してはいないだろうか。つまり日本語を正しく認識し、上手く用いれば、人間型ゲシュタルトを超えゆくための武器・手段になるのではないだろうか。
■日本語の特徴。擬態語。その場での一回限りの記述・表現が誰にでも可能である。にゃふにゃふ、げそげそ…。雰囲気や感覚をオノマトペで表現してみることは、常に言葉をずらしたダジャレを考えることと同様、脳の鍛錬にはなる。英語や多くの外国語には日本語の擬態語に相当するものが実に少ないのだ。
■これはマンガの翻訳をしてみるとすぐ分かる。特にマンガの書き文字の世界。画面と一体であり、日本人なら普通に文字と絵を同時に把握してその世界を掴みとれる。しかし英訳されたマンガを読むと、その2者にタイムラグが生じて、明確に少し異なったものになる。外国人にはその逆があるのではないか。
■和歌を朗々と読むほどにではなくていいが、日本語の文章を丁寧に音読して見ると、音の響き具合や言葉の並び方そのものの心地良さ悪さが感じられる。論理的で明確な文章表現であっても、必ずしも日本人同士として最良のコミュニケーションでないことが多々ある。美しく響き来る日本語を意識しよう。
■言葉の話を始めても、当然おいそれと結論はでるはずがない。きっちり140字にかためて、シャクトリムシのフンのように定型で落として行ってもあまり意味がないかもしれないけれど、まあ脳内の残尿感解除にはなるので良いとしよう。そろそろ腹が減って来たので、今朝の膝猫つぶやきはこのくらいで。
(※)オリジナルなtweetはこちらにあります。 https:/
1の中に折りたたまれた3を見る
- 2010.01.26 Tuesday
- ■多面体と多様体の世界
- 22:22
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- -
- by 小野満麿
■最もシンプルな1辺1の単位立方体を考えてみよう(上図)。この上段中図で示した青い点線は面の対角線(√2)、赤い点線は立体対角線(√3)を表している、そして緑の点線は任意の辺の両端にある2点から対称的な位置にある辺の中点へ伸ばした線分(3/2)である。この線分は常に2本で1セットなので、合計して3単位長と捉えることもできるだろう。一意で「1の中の3」である。
■この元の1辺と2本の偽立体対角線の和は4であり、そもそも1面を構成する4本の辺の和4と等しい(上段右)。ある意味3本の辺が2本の偽立体対角線へとシフトした、もしくは中央の1本の辺が点化した結果、残る2本の辺が2/3長になったと見ることもできるだろう。この単位立方体を等分割する辺長比1:√2の長方形の中には、4本の線長比3/2の線分が含まれている(下段左)。
■この辺長比1:√2の長方形の中に交差してできる2つの3角形は辺長比(1:1.5:1.5=)2:3:3の2等辺3角形である。2つの底角は70.5度になっている。70.5度は非常に重要な正4面体の2面角であり、正6面体の中心角でもある。また頂角は19.5度の倍の39度である。この単位立方体には全部で6面の長方形があるので、全部で24本の3/2長の線分が含まれている(下段中)。
■この立方体の4本の辺が4端点に見える位置から面心方向から見ると、この3/2長の24本の線分は正方形の中で重なりあって、下段右に示したような8本の線からなる変形8点星のパターンとなるだろう。これはどの6面方向から見ても同じである。これは2次元への射影図でもある。この変形8点星のパターンは、その交点をつなぐことによって、各辺を正確に3、4、5等分することができる。
■また同様にして、この正方形を9、16、25等分することができるのである(下図)。さらに再びこの射影図を立方体の各面に立ち戻すと、この単位立方体を33=27、43=64、53=125に等分割することもできるのである。これは単位円から1,2,3を起こし、そこから3,4,5を見るサークルゲノムとは別バージョンの「1,2,3から3,4,5を立ちおこす」操作でもある。
■なおこの図形は『正方形の3,4,5等分化』で紹介したMalcolm Stewart氏の"the Sand Reckoner's Diagram"と等しい。1:√2の長方形が正方形に投影されるということは、この3/2の線分が(√5)/2に圧縮されるということであり、(3−√5)/2=0.381966011…だけ削られたということだが、問題はこれが黄金比φの2乗の逆数0.381966011…そのものであるということである(※)。
■またこれは辺長比が1:2√2:3の直角3角形が、辺長比1:2:√5の直角3角形に圧縮されたということでもある。√2が1に圧縮されたということだが、この差は数値は√2−1=0.414213562…でなる。そして面白いことに、これは正8面体の外接球半径(√2)と中接球半径(1)の比の差0.4142…、及び地球の1日を基本とした時の木星の自転周期0.414日に近似しているのである。
(続く…のか?)
………………………………………………………………
(※)この部分、最初は超越数である黄金比φを1.618に丸めて計算していたので、「極似しているということである」と記してあったのだが、ひろなさんの黄金比φの2乗の逆数そのものであるとのご指摘により、「そのものである」と訂正しました。ひろなさん、ありがとうございました。
『風の谷のナウシカ』と"NAUSIKAA of The Valley of the Wind"
- 2010.01.25 Monday
- ■まんが・映画
- 23:59
- comments(0)
- -
- by 小野満麿
■うちの嫁さんが働いている某塾の教材として、宮崎駿の『風の谷のナウシカ』の映画のDVDと共に、全7巻のコミックの日本語版と英語版を買ってきていた。アニメ映画とは全く別物のストーリーの作品である。『アニメージュ』に連載していたものを7巻にした漫画の日本語版単行本は、もう何度も何度もそれこそ擦り切れるほど読み続けているのだが、改めて英訳版を読んでみると、実に不思議な感覚を味わう。
■王蟲とか腐海とか巨神兵とか聖都とか雁行とか、それはもう沢山短句明確である日本語を英訳するのは並大抵ではないだろう。皇兄と皇弟も英語にすると長くなってしまう。土鬼と書いてドルクと読ませたものもそのままdolkuとしかならない。ナウシカのことを風の谷の小さな女の子たちが「姫姉さま」と呼んで慕うのと、単に「Prinsess」と呼ぶのとでは、ニュアンスがどうしても違う。翻訳と原文の間の越え難い差異。
■マンガの擬音については、基本的に絵と同化してその一部になっているものである。独特の擬音表現をする作者宮崎駿に敬意を表して、書き文字には手を加えずそのまま残してある。そして巻末にそれぞれのページ数とコマ数を指定して、その全ての擬音を原音どおりローマ字表記してから、それに近い英語の擬音を参考に併記してある。英語にはほとんどない日本語のマンガ的な擬態語に特に苦労しているのが分かる。
■実はこの多大なる労力を有したであろう作業が、マンガに限らないが擬音の日本語と英語の差異と相似を日本語サイドから考えるのにも、大いに参考になって実に有難いのである。使っている聴覚器官と対応する脳の部位が西洋人と日本人では異なっているというのは有名な話だが、改めてその差異と共に、ほぼ同様に聞こえるものもあることにも気づかされる。英語も思っていたよりオノマトペは豊かであるということも。
■しかし何より驚いたのは、英語の擬音やネームがあるコマで、「あれ、こんなコマあったっけ?」と改めて絵だけを新鮮に見詰め直すところが少なからずあったという事実だ。日本語版ではマンガとして活字と絵と書き文字をほぼ同時に読み取っているので気づかないが、英語版だとわずかなりともそこにタイムラグができ、それが違和感を生じさせているようだ。むしろ書き文字のところが空白になっている絵に近い差異間だ。
■映画やドキュメンタリーその他の、英語や外国語の会話や状況解説文の和訳もまた、この逆のことがあるわけで、思っているより多くの情報欠落部分や伝わらないニュアンスはあることが分かる。小娘とGirlとは全く異なるものでありつつも、それでもそこに翻訳で対応する何か共通のものもあるという事実に改めて驚かされる。それにしても原文で読める喜びは、何ごとにも替え難い有難さである。
心身体実験 with Twitter
- 2010.01.24 Sunday
- ■身体について
- 23:59
- comments(0)
- -
- by 小野満麿
■これは単なるアナロジーとして表現し始めている。呼吸は随意でも不随意でもなしうる。同様に意識の集中と拡散も、随意でも不随意でも成されている。一意に1つのパラメーター上のプラスとマイナスで表現するのは朴頓過ぎるが、要はどちらにもその極小極大のバンドの外にも空間はあるということだ。
■最大呼気時、及び最大吐気時の肺の外にも肉体や空間は広がっており、また肺自体の内部にも空間はあるように、通常意識の自覚的な集中と拡散の極限よりも密もしくは粗な意識の在りようというものはあるだろう。しかしそこは、なだらかにつながっているかもしれないが、変容意識領域ということになる。
■要するに何が言いたいのかというと、随意に意識を集中していくと、普通の意味での「自分」がなくなるということだ。これは難しいことを言っているのではなく、散歩やジョギングなど、身体を動かしつつ意識態または意識の集中度合をほぼ一定にした時に、多分誰にでも月並みに起こりうる状態だと思う。
■逆に意識が拡散てしも、やはり「自分」がなくなることは分かる。極端な話、能動的拡散とも言いうる「世界そのものが全て自分」という類の「忘我」状態もありうるし、逆に受動的拡散、すなわち自覚意識をロストした「失神」と考えても良いだろう。まあしかし今問題にしたいのは意識の1点集中の方だ。
■意識を集中収束していくと、自分の身体やメガネや服装なども見えるが、それも自分であって自分ではない、視座の点であると自覚できるようなところがある。身体がなくなるとか、自分が消えるというのではない。あるでもないでもなく、どちらとも言えない状態なので、その有無を敢えて言わない領域だ。
■そして眼目の1つはここ。自分が在るとも無いとも言えないところであっても、界面かも知れないが取りあえず通常意識なので、別の次元のようには見えないまま、視座と視界は消え去らずに残る。この他者とは交換不可能な安定した視座と視界は、私そのものとも表現できる。なおこれは移動もできるのだ。
■視界そのものはまるで視座という枠の中を3D映画のようにスクリーン上で変転する。しかし視座そのものは不動と捉える事ができる。ある密度で集中した意識は、自分の身体なき視座と視界で世界を観測し、観測自体を建築していく。しかし背後の身体は心臓や呼吸の表現のようにその帯域の外に存在する。
■うーちょっと140文字ぴったりでの記述に疲れてきたので、スタバに入って一服すべし。身体感覚を維持したまま歩いては立ち止り、VAIO−Xを開いて記述する人体実験は、まず馴らし運転的に一定の徒歩を行わなければ、ある集中した意識状態にならないので、少し面倒臭い。今日はここまでかな…。
南阿蘇地獄温泉「清風荘」
- 2010.01.18 Monday
- ■温泉と旅行
- 23:59
- comments(0)
- -
- by 小野満麿
■裏民宿「野中亭」でゆったりとした朝の時間を過ごしてから、徒歩で地獄温泉に向かった。地図上でシュミレーションして、2時間余り登り続ければ辿り着けそうに思えたのだ。天気も良いし、未知なる行程も足取りも軽かった。南阿蘇鉄道の線路を跨ぎ、十字路に出たので散歩中らしい人に道を聞いた。
■かなり驚いた表情をして、真剣に「熊本は広いですよ」と言われた。一本道だと聞いていたので、ひたすら歩けば大丈夫だと信じて疑わなかったが、ひょっとして無謀なのだろうか?そもそもバスは1日に2往復くらいとはじめちゃんが言っていたので徒歩にしたのだが、信号を渡ったらバス停があった。
■それとなく時刻表を見ると、1日に数往復。あと1〜2分後に地獄温泉行きのバスが来るようだ。ポケットの中で小銭をまさぐっているうちに、小型バスがやってきた。乗ってからの路線の長く険しくそして複雑だったこと。徒歩を考えるとぞっとした。それでも自分の幸運症候群には驚かざるを得ない。
■地獄にすら楽々いけるのは、もう自分の中では運不運を超えて当たり前になっているので、このようなシンクロ多発を自己リークしても、もはや自慢にはならないし、自分のエネルギー流出にもならないと思う。単に不安がらなければ、誰でもそうなのだと知ってはいるけれど、証明する気もすべもない。
■さてその地獄温泉清風荘。以前はじめちゃんに車で連れて来てもらった時は、もっと鄙びていて全体が小さめだった気がするが、今はニーズに合わせて拡大されていて大湯治場的様相を呈している。もちろんこれはいい意味での表現であり、今でも文句の付け所のない本物の湯治宿である。最高の硫黄臭。
■さっそく玄関から入って受付を済ます。日帰り入浴料金は、1日丸々最高の温泉に巡りつかって極楽至極でわずか400円なり。「地獄でほっとけ!」とはこのことであろうか。バスの片道料金が南阿蘇鉄道の駅から200円。無料休憩所もあるが、1000円で1日ゆったり横になれる休憩所も常設されていた。
■10数年ぶりなのでいろいろ逆に新鮮だ。名前どおり新しくできている「新湯」は独占状態だった。そして女湯が仇討の湯と言われている露天風呂の男湯だが、記憶の中よりずっと小さく感じた。ぐるりとひとまわりしてみるとずいぶんと広い。沢山の湯治棟以外にキャンピングカーの集落地域までもある。
■まあ温泉の質と量が本当に半端でないから、当然と言えば当然なのではあるけれど。大きな荷物やアウターなどを100円のコインロッカーに押し込めて、気軽に湯治場気分を満喫できる。やはり眼目は、以前より泥自体がずっと少ないが、泥湯の「すずめの湯」である。ぬる目の湯につかって目を閉じる。
■帰りのバスは2時40分というのがあったので、本当にゆっくり「すずめの湯」につかり直した。目を閉じて、湯面の陽光乱反射ストロボ効果を楽しむ。地獄温泉からの帰りのバスもまた一人きりの貸し切り状態でほかに客はなし。山を下りる途中まで、北側はまだ随所に雪が残っている。あ…帽子忘れた。
■温泉がなければ、決してその中を通過することがないであろう、バスの窓越しに見る南阿蘇の田舎の風景。昔、阿蘇の中にいて「阿蘇山はどこだ?」と問うたことがあった。北極からはどの方向も真上以外は南であるように、阿蘇で真下を見ればよかったのだ。富士山からは富士山は見えないも同じこと。
■結局はじめちゃんが紹介してくれた美味しい蕎麦屋には、自分の交通運が良すぎて(?)立ち寄れなかった。バスから立野行きのレールバスへの接続、立野から熊本までのJR列車への接続もほぼ数分ですんなりクリアー。時刻表製作者たちにも感謝、自分の幸運製作者である未自分たる世界にも感謝だ。
■熊本駅に到着してから、中心街がかなり離れていると聞いてちょっと驚いた。熊本城が町の中心らしい。バスセンターのまでは、駅からバスで10分ほどかかった。熊本には路面電車が当たり前のように走っていた。熊本からは名古屋まで夜行バスで帰ることにして、数時間だけ熊本を歩き回って空気見学。
■今年は流動体的次元両生類を目指しつつも、温泉界面生物存在は外せないので、実際にあちこち動き回ることが多くなると思われる。まずは帰って旅の前後左右を整理しなくては。それにしても「明日はどっちだ?」という『あしたのジョー』のセリフの答は、自分自身の視線の先にあるということだな。
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p.s.すぐ近くにある山口旅館は源泉が異なるために、次回にとっておいたのだが、宿泊者は温泉の相互利用を認めているので、宿泊旅館のフロントで入浴券を入手することにより、双方のすべての浴場を巡ることができるとのこと。今度は絶対に宿泊だっ。なお、地獄温泉のpHは2.9〜2.6で、単純酸性硫黄温泉(硫化水素型)だが強烈である。
博多から阿蘇の野中亭へ
- 2010.01.17 Sunday
- ■温泉と旅行
- 23:59
- comments(0)
- -
- by 小野満麿
■名古屋からのぞみに乗って昨日の昼前に博多入りした嫁さんと共にヌースレクチャーに参加した。レクチャーと懇親会が終了後、BOB夫婦と私たちの4人で夕食。Twitterそのたでモツ鍋・モツ鍋と騒ぎ立てていたので、近所の美味しいモツ鍋屋さんにBOBが設けてくれた。
■モツ鍋を地元のBOBも特に食さないというし、奥さんも初めてとのこと。私も嫁さんも博多のは初めてだし、みんな初心者ばかりなので、モツ鍋のお店の人に素直に言ってお勧めのに従った。塩味が濃くて美味い。モツもふわふわと柔らかい。ラーメンまで文句なしである。
■BOBと前世のような遥か昔の記憶を交差させながら楽しい時を過ごした後、博多駅近くのホテルまで送ってもらった。感謝にたえない。それにしても嫁さんがネット予約した駅前の「東洋ホテル」は実にリーズナブルだった。シングルルーム空室利用とかで2人で7600円。
■それなのにクォカードで1000円分が戻って来る。しかもチェックアウトは午前12時、つまり正午までゆっくりできるのだ。さらにバイキング仕様の朝食が10:30までフリー。一人頭3300円で朝から腹一杯でゆっくりお昼までいられるということだ。凄い。ぜひまた泊まりたい。
■嫁さんと2人で、電車の時間まで博多からキャナルシティまで歩いてみる。思っていたより随分と近かった。そこを一回りしてから、ホテルでもらった地図を見つつ、勢いで天神まで歩いてしまった。さらにソンバーユを直売店で買い求めてから博多まで別ルートで歩き戻った。
■さすがに疲れたので駅前のスタバで一服。何のことはない、一昨日の次元幾何研の集合場所だ。振り出しに戻る…である。新商品のコーヒーとケーキの店内試食サービスをしてくれた店員さんが、またのご来店有難うございますと言う。覚えられていた。ちょっと恥ずかしい。
■さて私は14:30のリレー特急つばめに乗り、嫁さんは同じく14:30ののぞみに乗った。阿蘇のはじめ亭に一緒に行きたかったけれど、家の猫が心配なので戻るとのこと。おお、そんなことを書いているうちに、もう久留米も過ぎた。さすがに特急は早いな。外は良い天気だ。
■切符を見ると、博多から熊本経由でJR立野までの運賃が2730円だった。以前熊本空港から東京に戻った時の飛行機代が27300円だったことを思い出した。忘れもしない27.3日は月の自転・公転周期。マイナス273度Cは絶対0度。ジョン・ケージの『4分33秒』は273秒。10進法…。
■熊本で少しだけ途中下車してみた。駅前が前面工事中で塀に囲われていて何も見えない。…いや、そんな事を書いている場合ではない。ヌースレクの垂れ流し的なリポート内容を少し整理しなくては。多分大幅に内容変更や加筆修正的になるのでは。なら逆に貴重な報告だな。
■立野で南阿蘇鉄道に乗り換えて下田城温泉駅まで。だんだん日も傾き、空気が冷えてきた。阿蘇の外輪山の中は寒かろうと厚着をし、雪が降っていてもいいようにごついブーツにしたのだが、これがまた脱ぎにくい、履きにくい。おまけにコートが暑い、セーターも暑い。
■野中亭にお世話になる。娘さんと息子さん、猫3匹。かるべちゃん&はじめクン。変わりゆく世の中でかわらぬものを抱きつつ生きることの自然さ。ここの食事を頂いた人のブログにあったかるべちゃんの「1日1日を丁寧に生きているだけです」という言葉が、食事の美味しさと共に心身にしみる。
■みんなと共に車に乗って久木野温泉に入ってきてから床に入る。外は−2度だったかな。オリオン座、くっきり。明日は地獄温泉に入ってから、熊本に向かうことにしようかな。変に気を使うことなくいられることがありがたい。いや、単に自分が気が使えないだけなのかも。結果、どちらでも同じことではあるが。
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