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  • 2024.01.09 Tuesday
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コッホ曲線とベシカパイシス



■3と4を元にした最もシンプルなフラクタル図形に「コッホ曲線」というものがある。作図法は線分を3等分して、その真ん中の部分を2倍にして60度立ち上げるというだけの簡単な操作だ。結果として最初の4/3の長さになるのだが、分割された各線分にこの操作をどこまでも繰り返す事で得られる図形のことだ。

■再帰処理を繰り返しても自己相似図形は小さくなっていくばかり。何度か繰り返すうちに細部が見えなくなり、この長さは途中から目の前の図形からいつの間にか頭の中の概念へと移ってしまっている。数学的に計算すれば、発散して無限大になってしまう。長さがなくなってしまうと表現した方がいいかも知れない。フラクタル次元はlog4/log3=1.26186…次元である。

■自己言及・自己相関。繰り返しで自己相似図形が増殖するという意味では一意で自己言及でもあるのだが、自己言及による分割はどんどん小さくなっていく。自己言及は不完全であるということまで読みとるのは拡大解釈に過ぎないだろうが、3から4への操作(正確には1を4/3にという操作だが)を繰り返すだけで無限大になるということだ。 



■「コッホ雪片」というものも見てみよう。正3角形の3辺それぞれをコッホ曲線にして行く操作を考えてみよう。第1段階で向きが逆の正3角形の自己相関の図形になる。つまり真ん中に正6角形部分がない6芒星の形になるのだ。最初は体積も4/3となっている。この操作を無限にを繰り返すと、周囲の長さが無限になるのに、計算ではコッホ雪片の面積は1.6になるのだ。

■表現を変えれば周囲の長さが発散するのに、内部の面積は収束するということだ。個人的には奇妙な図形であるとか、不思議な世界だというコメントで終わりにするつもりはない。個人的には無限と排中律には常に不信感を持っている。使いようによっては有益であることは認めるが、安易な乱用はそれこそ誤用に限りなく近い。



■コッホ曲線をベシカパイシスに重ねると上図左のようになる。この各円を半径1の単位円とすると、上図左のコッホ曲線の長さは最初の直線3から4となる。この4を対円を貫く直径の形に伸ばしたものが上図右である。3分割して4倍する操作は中国の三分損益法やピュタゴラス音階の作り方にも似ている。このフラクタル化する構造を順次高速成長くする尺取虫のように伸長させても長さは変わらない。

■なおコッホ曲線は3と4の関係と表現したが、その真ん中にある1/3の部分を新たなる1とすると、ベシカパイシスの中心部と重ねた図に示したように、1と2の関係でもある。このベシカパイシス上の曲がった4を伸ばして対円の直径を貫く直線として示したのが下図右である。3単位長がコッホ曲線の4単位長となることを示した。一番下の折線はこれをホロニックに表したもので、同じ4単位長である。



■ここであえてベシカパイシスに乗せて高速成長くする尺取虫に喩えて図示したのは、コッホ曲線が細分化する一方の自己相似図形を再帰的に繰り返すだけなのに対して、対円をベシカパイシスに変形させて貫通直径として4→3とする可逆的操作も普通に考えられるからである。つまり正3角形自体をコッホ曲線の部分と考えたり、普通の線分をコッホ曲線の部分としても見て取れるのである。

■つまり最初の線分自体がコッホ曲線の部分であり、かつそれは双方向に展開されていると考えることによって、眼前のコッホく曲線化とその逆化とが「3⇔4」の現場であるということ、双方向性を同時に見ることによって3+1=4だけでなく、4−1=3及び3+4=7、3×4=12、4/3及び3/4もそこに見ることができるのである。ベシカパイシスの中に最初から4が存在するとも考えられよう。

■さらに言えば、ベシカパイシスの内部には√1=1、√2、√3、√4=2、√5という虚数ペンターブが見て取れるばかりでなく、1、2、3、4という実数のペンターブも見て取れるということだ。なおこのコッホ曲線のフラクタル次元であるlog4/log3=1.26186…次元が1+φ^2/10=12.618034…に近似しているということも興味深いことである。
 


猫歌舞伎・白波二匹猫

できればセリフは歌舞伎調でお読みください。
なお部屋が汚い点については目をつぶって下さる武士の情けを信じます。



ひねりもなにもありゃしない〜。


愚鈍なる課税の発想



■思い切り愚鈍な話である。愚かな話ではあるが、民主党税制改正プロジェクトチームが犬や猫などペットへの課税を検討課題とすることを求めたらしい。課税によりペットの適切な飼育を促し、税収を処分費用に充てることを想定しているとのことだ。「適切な飼育を促す」というのならギリ限許容範囲内だ。しかし「税収を処分()費用に充てる」って、その言い分は何だろう?私は怒っています。

■犬猫を殺すための税金なんか、一体誰が払うものか。その発想だけですでに、捨てられた犬猫を慈しみから我が身を削って育てている者に対する冒涜である。犬猫に限らす、身の周りの命あるものや人たちと真正に対峙したことがあるならば、このような言い方は出て来ようがない。おそらくこのような発想は、問題そのものであるペットの無責任な飼育放棄とどこかで直接リンクしているのであろう。

■マスゴミと評されて久しいところからのニュースソースを鵜呑みにして、それに対して真剣にリアクションする自らの愚かさは、かろうじて自覚しているつもりだ。馬鹿もの呼ばわりされてもいいから、言うだけのことは言う愚かさを自らに許している。馬鹿にもいろいろあるということだ。くれぐれも私の愚かな激情にそのまま共振せず、静かに自らのスタンスと思いを確認してほしい。

)処分とは殺処分のことである。


天波さんが来てくれた



■熊本で有機農産物流通の仕事をしつつ、自らもクワ1つで後楽園球場ほどの広さの畑を耕し、数個もの山のみかんを育てている天波博文さんが、昨日我が家にやって来た。野菜と機材を車に積んで、自分ひとりで運転しながら、熊本から各地でコンサートをこなしたり友人と会ったりしながら、日本列島を関東方面に向けて移動中の彼だ。年の最後のわずかな農閑期を利用しての恒例行事らしい。

■午前中に京都から名古屋に移動してきて、名古屋国際会議場の近くの友人と有機野菜レストランでお昼を共にして、その後昭和区の当家まで足を伸ばしてくれたのだ。カーナビは凄いと改めて思う。近所の喫茶店かどこかでとも思ったが、食後だろうし有機のレストランや喫茶店もそうないので、我が家で寛いでもらうことにした。ご当地銘菓や野菜などお土産をたくさん頂いた。



■会って元気が出る人は押し並べてみな好きなのだが、天波さんも他ならぬその1人だ。1995頃には東京で随分とお世話になった。彼は波乱万丈の人生を航行中で、まだまだこれから幾花も咲かせんと目論むエネルギッシュな息吹が感じられる。歌声も健やかで若々しい。この人の昔の話は実に面白い。自分が人生を楽しんでいるからだろう。夜は知立の友人の所で過ごすらしい。

■今日は我が家の居間で会話をしながら彼が自分の曲を弾き語るミニコンサート状態に。実に昔の王侯貴族のような気分である。というのは冗談で、コミュニケーションの大きな武器であり、かつ肉声の上に響く優しさには偽りがない。最近ようやく本当の面白さが分かってきたとか。2000曲以上作ってからの境地というべきか…。みかん畑でできた曲とか、いろいろ歌い語りしてくれた。



■愚妻とは初見だが、2匹の猫とは共通の友人である藤本氏が隔月で発行している会報雑誌でいつも見て良く知っているとの弁。キャラが立っていて元気な人が大好きな愚妻は、その美声と生き様と現在の佇まいがツボにはまったのか実に大喜びだった。部屋を片付けた甲斐があったというものだ。天波さんの様々なエピソードはどれもこれも面白いのだが、今回は語りつくせないのでまた。







名古屋グランパス優勝!



■自らの意志とは別に、出来事へのリアクションがその地域の内部にいることと外部にいることとで全く異なる喜びをもたらしてくれることがある。名古屋に住んで10年。この日の午前中はプロ野球中日ドラゴンズのセリーグ優勝パレードがあった。午後はJリーグの名古屋グランパスの優勝と祝賀会などのイベントシリーズ。これで終わりと思いきや、深夜にはロシアフィギア杯で名古屋出身の安藤美姫と鈴木明子ワンツーの報が入ってきた。この地方の祝賀が満ちた絶妙なる特異日。

■名古屋グランパスはJリーグ発足から18年目にしての初優勝である。私は最初は当地の人間ではなかったので、負け役のチームだと思っていた。グランパスファンの人、ごめんなさい。今はかなり熱烈なサポーターです。他チームを応援している人、無関心な人、ごめんなさい。鹿島アントラーズが引き分けるというこれまた絶妙なタイミングで優勝とあいなりました。なんともいろいろ名古屋っぽい日である。ピクシー、みんな、おめでとう。そしてありがとう。

■名古屋グランパスがすでにJ2降格が決まってしまっている湘南ベルマーレを1−0で下してもぎとっての優勝だが、湘南は明らかに名古屋よりいいサッカーをしていた。終了後、湘南サポーターが勝者を讃え、グランパスチームもまたそれに応えてベルマーレサポーター席まで挨拶に行った。グランパスサポーターも「J1に戻ってこいよ」とエールを送っていた。実に日本的な素晴らしい交流である。他国ではもちろん、国内でもあまり見られない真のスポーツマンシップである。


猫ねこ日記(2)










ブロッケン現象と自分自身の視座



■山岳の気象現象として有名なブロッケン現象というものがある。尾根や山頂で背後から太陽が射し込んで、正面の霧や雲粒に伸びた自分の影の周りに光の輪が見える光学現象のことだ。かつては不思議がられてブロッケンの妖怪などとも呼ばれていた。背後からの陽光が影の側にある微細な水滴によって光が散乱されて光輪が現れるのだが、川霧の上や飛行機上からの雲の上にも見られる。

■ただし不思議なのは、何人かで見たとしても、その多数の影の中で自分の影だけにしか光輪が見えないということだ。他の人もまた自分の影の周りにしか光輪が見えていない。この現象の光は水滴の表面に沿って何度も反射して、最終的には入ってきた方向に抜けていくからである。つまり自分の目に光輪が見えるためには、光が自分の目のすぐそばを通らなくてはならないのである。

■これは決して幻覚ではなくちゃんとした光学現象なのだが、それでも輝いて見えるのは誰にとってもほかならぬ自分自身の影だけなのである。それぞれの人がそれぞれの世界を見ている。自分の見ている視界を見る視座は他者と完全に重ねることはできない。替えの効かない自分の存在。ただし他者と全く断絶しているのではない証拠に(?)、ぴったり寄り添えば影は1つの光に包まれる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


近況報告いたします



★『フリンジ』のシーズン2最終DVDが昨日出ていたので早速鑑賞。シーズン3は1年後とか言っていたけれど、最後の最後での引きはこうきましたか。まるで毎週連載のまんがで時宗の展開は作者すら知らない…みたいな。まあ見方によれば2つの世界…いろいろな置き換えにも使えます。

★サッカーJリーグでもうすぐ名古屋グランパスが優勝しそう。郷に入りては郷のサポーターってわけじゃないけれど、ついに私も熱烈なグランパスフリーカーに。近所にホームグラウンドあるし。中日ドラゴンズの時はドラホー!だった歓声がこちらではグラホー!らしい。次節は元地元の湘南撃破!…おい。

★お椀の形は女性のおっぱいの形を象徴し、それを持った時に母親の温かく落ち着く記憶をも引き出すらしいぞ。おおっと身を乗り出した私だが、お椀がメタ象徴するのは母親であってセクシーな女の子ではないんだな。ちょっと残念。そっちへ連想するのは妄想。だってそればかり思っていたら飯進まないし。



★ひと夏ベランダで鉢の中で旺盛に繁茂していた里芋軍団も、ついに季節に従って冬仕様になり枯れ始めたので、ベランダ整理も兼ねて掘り起こし収穫した。凄い量だった。昨夜は里芋とイカの煮っ転がしにトライ。時間がかかったけれど美味かったなり。今日は里芋と豚肉のカリカリ揚げか?

★当家の二匹の猫のために、冬仕様のふかふかの犬小屋みたいなものを購入してきたのだが、猫がでかすぎて二匹同時に入れず。翌日今度は大きいヤツを購入したのだが、今度はケミカルな臭いでもするのか、どちらも入らず。昨夜は二匹して寄り添ってそのすぐそばのダンボール箱の中で寝てた。ううう…。

★午前三時までDVD観つつポテトチップスとポップコーンとコーラを胃の中に流し込んでいたから、今朝は胃のあたりがぐいんぐいん気持ち悪い。先日は夜中にカップラーメンを急に食いたくなってずぞぞぞ…っていったんだけれど、やはり翌朝胃のあたりがへぐりと重かった。学習能力三日もたず、か?



★夕べ愚妻の忘れ物を届けに仕事場の千種に言ったのだけれど、その帰りに非常にエントリーが偏っていて素晴らしい本屋さんに行き、『生物への周期律』(アントニオ・リマ・デ・ファリア著、工作舎)というおもしろげな本をゲットした。kohsen氏なら興味もつかな。本屋に行ったら要チェックぞ。

★それにしても日が伸びた。…いや、日中の長さではなく、窓辺から差し込む光の窓辺から床への差し込みの長さのことなんだけれど、今も居間に本を取りに言ったら、猫が二匹のべら〜っと伸びきって日向ぼっこしていた。私の勉強部屋は朝日だけが射す寒い部屋。これから太陽光線吸収のために散歩なり。

★今日発売のコミックモーニングを何気なく本屋で立ち読みしていたら、お友達の版画家草子さんが主人公のマンガが載っていた。…いや正確には草子という名前の主人公なだけなんだけれど、個展会場とか出てきてビミョーにカブる。というよりスクリーントーンを一切使っていない絵が凄いと思う。


猫ねこ日記…寒くなった



■昨日猫ちぐらの代わりに買ってきたものを本棚の上に置いてみたら、寒いのでみかんが入り込んでいた。猫専用のを買おうと思ったが、つい犬用の方が安かったからこっちを買ってしまったのだが、当然大人猫2匹は入らない。



■結局少し小競り合いはあったものの、本棚の上なので足場がわるいこともあり、デルピエ郎はあきらめて床に降り、電気湯沸かしポットと電気炊飯器の上で温まっていたのであった。このままでは客にお茶は出せないな。


散歩日和・猫日和



■今日は良い天気。毎日家に籠っているので、気分転換に鶴舞公園方面に散歩してみた。いつも猫がいる場所にいってみると、今日は黒猫クンと薄い茶トラクンが猫おじさんに撫で撫でしてもらって、日向で和んでいた。私もその後で、しばし一緒に和ませてもらったのでありました。



■その後、本屋と喫茶店と猫ちぐら(寒い時の猫の巣みたいなヤツ)をゲットしに、千種イオンに向かったのだが、いつもの通りこちらも高速道路の下の猫スポットには猫サンたちが日向で和んでいた。左は以前もあったことがある茶トラ猫さん、右はキジ猫クン。首輪をしてます。



■同じくガード下の仲間猫。左はおっとりした茶トラ、右はまだ今年生まれのキジ猫クン。まだちっちゃい。写真撮らせて下さいと言ったら快諾してくれた、ガード下に居を構えている人たちに飼われている猫たち。優しくされていることが良く分かる良い性格である。



■左はガード下の最後の猫。三毛っぽいからメス猫だろう。鈴をつけてもらっている。この猫も穏やか。右は先日撮った野良猫で、JR名古屋駅の西口にある神社の境内にいた白黒の子猫さん。右に見える板の裏側に、誰かがいつも餌を奉納(?)してくれているらしい。

 

■そして外せない我が家の2匹。左はみかん。寒くなったのでストーブを導入したら、最初はその裏から半身で覗いている。人間臭い。右は椅子の上のデルピエ郎。なんかとても人間っぽい顔に見えるのは気のせいなのか?こいつらももう7歳。立派な大人の盛りなり。

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