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ボケかますカダフィ?
- 2011.02.27 Sunday
- ■猫まんが系
- 11:13
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- -
- by 小野満麿
■お、リビア、何ユートンジョン?…ってこの駄洒落、分かる人はちょい年言ってます。さてささやかながら、今だからこその爺ぃネタ…じゃなかった、時事ネタとして。
■イランコメント。これはいわゆるヤラセ?それとも動物虐待?…実は3年ほど前に撮っておいた画像から発掘されたものです。ひも状の布にじゃれていたのか゜頭に絡まっていたので、ぐるぐる巻いてみたものです。虐待でなく、むしろ結構喜んでいた(ように見えた)です、はい。
ゴミの中にも世界変革の磁気嵐?
- 2011.02.26 Saturday
- ■日々の記録
- 23:00
- comments(0)
- -
- by 小野満麿
<ゴミ出しのアプローチからフォロースルーまでの正しい姿勢と進化のモデル>
■今日はゴミ当番ラストの日。ご丁寧に雨である。しかも来年度から名古屋市のゴミ処理と集積方法が変わり、かなりシンプルになるという回覧板のせいもあって、勘違いのフライングまぜこぜゴミがめっちゃ多い。ゴミ当番のすべき作業は、市が指定した透明のごみ袋に入れて出されたゴミ袋の山を、ちゃんと指定通り入っているか1つ1つチェックして、指定と違っていたらそのゴミ袋を開いて中身を出し、改めて指定通りのごみ袋に詰め替えるのである。
■それにしてもその作業がものすごく面倒臭かったなり。昔住んでいた東京や神奈川などに限らなず地方自治体で色々なのだが、強力なゴミ焼却施設があるところほど分別が少なくてすむんだよね。しかし名古屋って資源ゴミだけでもカン・ビン・ペットボトル・紙・その他リサイクルプラとかに細かく分別しなくてならないのだ。今回ようやく来年度から強力なゴミ焼却施設のおかげで分別がすくなくなるわけだ。
■しかし今回、回覧板によってその先行通知があったのだけれど、じっくり見ないといつどのようになるのか全て覚え切らない。回覧板という日本的なシステム自体は悪くないと思うが、不在者も少なくないマンションで、ハンコを押して次に回さなくてはならないから、そうそうじっくり見てばかりはいられないという欠点もある。結果としてのフライング混合ゴミ出し。しかし未開封の食料をどっさり混入してある論外のゴミ出しとかが今回は多すぎた。
■ゴミ出しはその人の本性出るなり。と格言1つぶっこいて終わりにしてはいけないほど、いつになく適当な分別ゴミの無分別さ。実際のところ、太陽フレアのせいか、惑星たちの合・衝連合のせいか、はたまたリビアやバーレーンデモのせいか、なとどどこかに理由を求めたいほど、今日はムチャクチャだったのだ。しかも雨。
■おっと、いつもは「つぶやき」でなく「さえずり」のつもりで書いているこれらの文章断片が、なぜか今日は「ぼやき」モードになりかけている。終了後家に戻って猫たちに手を出すと、思いっきりくんかくんか、ふごふご、すんすん…って指先の臭いかぎ。確かにあらゆるゴミに触ったからその臭いがゴビリツキーノ。超丁寧に手を洗う。何はともあれ、ようやく1年続いたゴミ当番の面倒臭さ、これにて臭了。あ、まちがえた、終了。
■小さな怠惰やこれくらいいかの社会に対する甘えが吹きだまり、集積するところまでイメージできる感性と思いやりを忘れまいと再決心するゴミ集積場。さあ、部屋とPCの中と頭の中をちょいと掃除しよう。
世界を2重に見る一方法
- 2011.02.25 Friday
- ■脳科学と意識
- 15:16
- comments(4)
- -
- by 小野満麿
■1■楕円と真円、2焦点と1中心、ベシカパイシスと単一円、ベクトル平衡体と3/2重合ベクトル平衡体。そもそも左右の目からは別の視覚情報が入って来ており、脳がそれを1つのものとして処理統合する。単眼×単眼のままでは2系統の情報であり、統合が中途半端だと2重のものとして捉えられる。
■2■世界の様々なモノ、もしくは世界そのものも元々2重の情報構造なので、眼前の人や物でも意識的に焦点をずらすと2重に重なって見える。立体裸眼視の焦点合わせの逆の操作だ。ピントの合う1点以外の全ての視覚深度…少なくとも通常見える背後では、モノは2重に、もしくは2つに見える。
■3■情報を統合して通常の見え方にする以前は(そしてしているとしても)少しずれた2重のもしくは2系統の情報がある。この2重性を幻覚もしくは錯視として切り捨てる前に、眼前のモノや風景(の少なくとも情報)が、視界深度の1点以外は2重に見えることに至高の焦点を当ててもよいのではないか。
■4■つまり普段見ている世界(もしくは見方≒見え方)以外の見方をすれば世界は2重に見えると言う事実は、光学的現象として世界を外部だけに見るのではなく、それを見る視覚認識と情報の統合処理する個々人の側にも、2重性を「見えなくしている」要因・もしくは正しく「見えないところ」があるのでは。
■5■この光学器械を間に挟もうとと裸眼であろうと、1つにピントの有った視覚情報としての対象物が、どれだけ小さくても大きくても、少しだけ目を寄せるだけでその距離を1ミクロンであろうとも100万光年であろうとも、横方向にも伸ばすことができるのである。これは既存の長さや光速とは関係ない。
■6■数は常に+1が可能だから無限にまで増殖した。そしてその無限という視覚では把握できないものにまで+1を加えるという概念との差を区別できないまま、つまり見えるものと見えないものとの差を、プランク長や宇宙そのものの大きさとは別のところでも、界面を超えて粗雑に語ってしまっている。
■7■無・虚・空から引きずり出された1はとても重要である。そしてそれに対性を与えつつ+1してできる2もまた重要である。しかしこの+1の本質を知らぬまま次々と足して行って数を作り出したつもりの者にとっては、3以降は無限まで全て1つ、2つ、たくさんの「たくさん」と大差ないのである。
■8■そしてこの「+1の本質は、人間の左右の目の間にある」という表現も暗喩を超えて可能であろう。単なるメタファーだとしたら、世界そのものも単なるメタファーとなる。世界だけでなく自分自身を鏡の中に見る時も、その焦点を意識的にずらせば、無限に近い奥行きが僅かに体感できるだろう。
■9■「意識的に」というところが重要である。目を極限まで真ん中に寄せても、2重に見える対称は視界の左右端まで飛んでは行かない。しかしそれでもそれらの視野視界の総体と、その背後にある見えない対領域を滑らかにつなげられるとすれば、それは高次トーラス構造として捉えることも可能だろう。
■10■楕円と真円、2焦点と1中心、ベシカパイシスと単一円。焦点間を1とする単位楕円形もしくはベシカパイシスを考えた場合、それを見る人間の双眼が世界楕円体(世界球ではない)の視覚的な2焦点と対応し、2つの耳が聴覚系の2焦点に対応するのではないか。片方が内、もう片方が外とも機能して。
河図・洛書とテトラクティスと
- 2011.02.24 Thursday
- ■数の世界
- 00:15
- comments(4)
- -
- by 小野満麿
■正3角形のテトラクティス(1〜10)と正方形の3×3の魔方陣(1〜9)の中心、つまりは3角形と4角形の中心数は共に5である。中国の最古と言われている「河図」の十数図と「洛書」の九数図は10と9だが、その中心数もまた5である。十数図はペンターブ(5)の2重だが、九数図は1〜9の9マス・正4角形であり、テトラクティスは1〜10の正3角形だから、5で重なる10と9の関係は3と4の関係でもある。
■「数」の意味を語る文章は多々あるけれど、何の前提もなく1つの数だけを取り出して「7の意味」とか「13の意味」などと説明を連ねても、相互に矛盾する意味を付加することになったり、神秘的な呪力をそれを扱う人間の意識にではなく数そのものの上に存在すると思わせたりしてしまうので、かえって混迷の度を深めかねない。それを避けつつ進む一方法として、数同士の関係の中で論ずるやり方があるだろう。
■カバラの2重世界創造説ではないが、1と2の世界と3以降の世界の間には大きな断絶がある。3以降を第2の創造の後の数としてとらえた場合、12進法と10進法を重ね見る視座が得られる。すなわち12は14であり、対の数は1となる。合わせると全て15となる2重数理の対性。つまり世界は3から始まり12で閉じているのだ。1と2とは前世界からの遺物であり、この世界ができた時はすでに意味が分からなくても存在していた。
■新たなる1と2は3と4でもある。多角形は3から始まり、オイラーの定理も2の余剰がある。混乱するのでなく、整理するためにこの視座を精査せよ。12と14のあわいに、互いを反転する界面としてある13。13の対性は正6面体と正8面体の回転対称軸として存在し、また共通する線の数12と2立体の面の合計(6+8=)14のあわいとして明らかである。正6面体と正8面体の体積比は中接球共有時に正4面体を1とすると3:4。
■1と2は既存。3と4から6と8が生じる。いつも言っているHi→Hu、Mi→Mu、Yo→Yaの音の倍化体。6の裏としてようやく5ができ、3→6→9の流れでKoKoができ、最後にようやく割り切れない7NaNaが見えてくる。名無しの7に名が付いた瞬間。10が余剰の2を受け入れた視座から見た12として捉えられる。3→5→7→9の奇数系の系譜の後、ようやく11に注目が行く。
■12と14の間の13と同時に、10と12のあわいにある11にも注目しなければならない。10^2+11^2+12^2=365、13^2+14^2=365の意味。単純に考えても10,11,12,13,14の2乗の和が365×2の730になるのは偶然に過ぎないとパスするより、少しは引っかかってしかるべきところではなかろうか。ちなみに15^2は225で金星公転周期日だが、これに9^2と8^2を足すと370となり、365+5と見れば5の余剰分が分かる。
■なお河図・洛書(かとらくしょ)に関する解説や対応は様々な説明があるが、構造だけを以下に示す。河図=十数図は1・3・5・7・9の奇数を天の数、2・4・6・8・10の偶数を地の数とする。これを図では陽である天の数を白、陰である地の数を黒で表してある。洛書=九数図=九数図は縦・横・斜めの総和が15になる魔方陣として描かれている。
10±2としての8と12
- 2011.02.23 Wednesday
- ■数の世界
- 03:18
- comments(0)
- -
- by 小野満麿
■ビリヤードは「ナインボール」が有名だが、1番〜15番のボールを用いる「エイトボール」というものもある。1〜7番と9〜15番のどちらかを自分のボールとして相手のボールを落とすのだが、8番だけは最後に落とすのがルールだ。最初は15個のボールを3角形にセットするのだが、これは4列で10個のテトラクティスに1列加えた5の3角数の形でもある。8番はしばしば落としたいボールの邪魔になる。
■自分が撃つボールを入れると全部で16個だが、8番ボールを数に入れないと14個のボールだ。ヌーソロジー的な世界観と体系の全容はまだ知る由もないのだが、1〜14までの対応では8番ボールに対応するものは観察する自己(他者)そのものとして捉えると、1〜15のボールの内の14個を扱うことに少し似ている。2つの7の間にも大きな反転対称界面がある。
■ベクトル平衡体は頂点が12、面が正3角形6面+正3角形8面の和の14。回転対称軸はこの間の13本だが、重心と共に13の特異点で、+2の15としても捉えられる。ワールドグリッドは地球を取り巻く15本の大円からなる。62のグリッド上のボルテクスは対称的な位置同士で対になり、5重対称性を有する正多面体の系(正12面体・正20面体)の回転対称軸でもある31本となる。13⇔31の本質的な反転対称性。
■さて8の話の続き。人間も生物として生得的に有していた数の瞬時認識能力を、1〜4まで数えることと対応させてから、それより大きい数を「たくさん」としたままの状態がしばらく続いた。4で停滞していたのも片手のうちの平行に伸びる4指、すなわち人差し指・中指・薬指・小指だが、別の方向に伸びる親指まで用いて5に進むことは現在考えるより簡単ではなかった。4と5の壁である。
■しかしこの閾値を越えると、そのカウント能力は一気に8まで伸びた。それはシンプルに親指を使うという方向に発想が伸びたのではなく、左右両手の4指を使うことに気がついたからである。したがって単に親指2本を用いて10まで数えるのには、単なるあと半歩の距離と言うわけには行かなかった。8と9の間にも認識に至るためのクレバスは広がっていたのである。9は未知の数だった。
■親指も他の4本の指と共に使って数えるという着想以前の数としての9は新しい数でもあった。中国では9と言う数は「皇帝の数」とも言われていた。サンスクリット語の9はnavaで、新しいはnavsaである。ラテン語の9はnovemで、新しいはnovesだ。英語だと9はnineだが、nova(新星)、novelty(新しさ)、renovate(刷新する)等と語源はおなじである。インド・ヨーロッパ祖語では9はnewnである。
■現行の10進法的な発想から見れば、1と2は現在の数理世界の1つ前の数理世界の遺物という表現になるが、この多面体におけるオイラーの法則で見られる「余剰の2」は、10進法における「不足の2」としても捉えることができよう。つまりこの8は異なる10であり、6でもあるのだ。もしくは逆に言うと、10は異なる8でもあり、12でもあるということだ。6と12、どちらでも世界は閉じている。
■両手で10本の指を用いて10進法で数える場合でも、左右の親指が前数理世界からの遺物・イコンである1と2として、私たち1人1人の掌上に顕現していると表現することもできよう。真円とその唯一の中心点は、楕円の2つの焦点が重なった特殊な形である。眼前に広げた両手のひらの2本の親指は、人間が眼前に世界として見ている視野と重なる、楕円で表現される数理平面の2つの焦点でもある。
■右利きの人、左利きの人、両手利きの人、指の操作が不自由な人など、様々な個体差として現れている眼前の現状に対しても、各個人のレベルの問題を超えて見る視座が許されるならば、それはすべからく総体としての豊穣性の表れとして捉えられるだろう。その総体性の中で孤立することなく、自らの他者と異なる点を特性として、総体の、そしておのれ自身のもう1つの焦点を探究したいものだ。
■10進法で見た±2は言うまでもなく12と8だ。2006年の国際天文学連合の会議で、冥王星の外側に発見され、また今後も発見が続くであろう冥王星と比較しても小さからぬ天体と整合性を整えるために、まず惑星の総数を増やす「太陽系12惑星案」というものが出た。しかし最終的に冥王星が準惑星となる「太陽系8惑星」の定義と解釈になった。副産物は小惑星ケレスの準惑星への昇進であろう。
■何事にも対がある。冥王星は半歩下がり、代わりにケレスが半歩前に出たのだ。内惑星4つと外惑星4つ、そしてケレスを含むアステロイドベルトと冥王星を含むカイパーベルト。4+1+4+1で、ご無体ながら10進法的な見方も保持されている。月と太陽も数に入れる「12天体的把握」も残しつつ、ケレスと冥王星はその領域の焦点及び全体の象徴でもある。
■天動説と地動説の統合としての人動説。動くのは人の身体ではなくむしろ精神の視座である。単なる新プラトニズムの保持延長だけではなく、天動説的なプラネタリウム視座だけでなく、ネオ・プラネタリウム(名前はベタだが)を各個人の視界から見える世界に重ねるのだ。疑似3Dならぬリアル9+1Dとして。
夢の本質は言葉にせずに
- 2011.02.22 Tuesday
- ■日々の記録
- 10:12
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- -
- by 小野満麿
■夢の内容は忘れてしまっても、その総体的な心象や情緒が体と心に残ったまま目覚めることがよくある。そんな時は夢の最後の記憶を辿って、その少なからずの部分を思い出す操作はできなこともない。しかし私はそのまま視覚的記憶や内容を無理に思い出し、分析したり意味を付け足したりすることなく、そのときめきや振動を静かに抱きつつ目覚め、ゆっくり消えゆく感覚を大切にしたい。
■言葉にすると本質から1つ外れる。意味を無理に付けるとこちらの生活に拘束が入る。怖い夢や不安を見てみないふりをするのではなく、その半ば意識の土に埋もれて風化しゆく夢の記憶を、無理に掘り起こしたり土をかけて見えなくすることなく、野ざらしにして心の風景になじませる。いくら言葉にして他者に伝えようと努めても、その夢は決定的に共有不可能なものなのだから。
■こんな表現もまた言葉による塗り替え作業だ。夢と異なるうつつというフェイズでも、すぐに分析したり意味を捻出したりしなくていいことが沢山ある気がする。もちろん深く真剣に考える必要がある時もある。しかしありきたりの意味や他人の考えを自分の行動と情動にラベリングして特別視しなくても、おそらく生きていることだけで先ず特殊であり、無意識では高速で考えているはずだ。
■言葉は必要な時に取っておき、言葉にしないで自らの体や心で感じることを、丁寧に味わう姿勢を保ってみたい。季節の匂い、寝起きのわずかな耳鳴り、近所の電子機器の低い唸り、説明のつかない予兆のようなときめき。ここに体があること、心が共にあること、それをここを超えた視座からも見詰めている「私」。私と「私」の関係を哲学や心理学することなく、慈しみ信頼すること。
■おそらく私たちは無意識の内にいつも夢を見ているのだろう。いずれ私たちは夢とうつつを同時に見ることができる日が来るのではないだろうか。その時夢とうつつは共に幸せな心地で見ていられるのか、どちらも逃げ場がない悲惨な世界に見えるのか。それは刻々の自らの生命姿勢が作り行くものに違いない。いやそのように考えることよりもまず、私は言葉にならない目覚めが好きなのだ。
携帯電話の2つの記号
- 2011.02.21 Monday
- ■日々の記録
- 20:10
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- -
- by 小野満麿
■ジー・コロコロコロ…とダイヤルを回す電話からピ・ポ・パ…のプッシュフォンになった時、1〜9と0の全部で10個の数字だけでなく、3×4の12のパネルボタンの上に2つの記号が追加された。この時の2つの記号を総称して「機能ボタン」とも呼ぶが、私は長いことシャープ(♯)とアタリスク(*)だと思っていた。しかし今日調べてみて、それが明白に間違いだったことを知った。
■最下段右の記号は、音楽記号のシャープ(♯…嬰記号)だと思っていたが、実は番号記号のオクトソープというものだった。良く見較べると分かるように、シャープは5線と見分けるために縦線が真っ直ぐで横線が少しだけ斜めになっている。一方オクトソープは縦横共に井桁のように真っ直ぐか、縦線だけが少し傾いた形をしている。♯と#はフォントの種類違いではなく、異なる記号だった。
■電話予約や電話案内などでは「シャープを押して…」などと言う表現をしているが、これは音楽記号とよく似た番号記号のボタンを押すという目的のためにあえて分かりやすく混用させているのだろう。日本ではこの番号記号は「No.」(元はヌメロ…Numero) と書いて「ナンバー」と読ませるが一般的だが、この番号記号を付けて#3と書いてナンバー3の意味を持たせるという共通認識もある。
■また最下段左の記号は、アスタリスク(*)だと思っていたが、この「*」を90度回転(もしくは30度回転)した形、もしくは「×」と「−」を重ねた形の「スター」という記号で、国際電気通信連合が定めたものだった。電話業界では「星印」とも呼び、NTTの公式見解では「トーン」と言う。こちらはコンピュータ上から呼びだそうとしても、特殊記号には入っていないので出てこない。
■ちなみに国際電気通信連合が定めた勧告では、#は「スクエア」や「井桁(いげた)」などとも呼ばれる。またあまり知られていない「オクトソープ」octothorpeという呼び名は、8を表すラテン語のoctoから来ているが、どこが8なのかというと、この漢字の「井」にも似ている4本の線の両端の数からだ。井をくにがまえ(□)を付けると「囲」になるが、頂点を繋ぐと8角形になることが分かる。
■余談だが、「井」と言う字(もしくは♯や#でも良いが)は五目並べならぬ○と×を使う3目並べの形に似ている。また井を□で囲うと、8ではなく9までの数が入る、3×3の最小魔方陣の桝目になる。この真ん中にマルチョンを入れて2重にすることで9から10にすることができようか。もっとも元々井戸の真ん中に甕を置いた「丼」の字も同じ意味だったが、日本ではどんぶりの意味になった。
■携帯メールをあまり使わないから、みんな当たり前のように知っているのか、知らないまま使っているのか、実は個人的に見当はつかない。しかし個人的には既存の知識が崩壊していく気分。というか、知識だと思っていたものの間違い、つまり無知の露見がなぜか心地よいところもある昨今である。
■それにしてもアスタリスクはフォントによって様々で、6方向だけでなく5方向や8方向のものまである。ちょっといいかも…。
0、1、2…そして3「数の2段階創造説」
- 2011.02.20 Sunday
- ■数の世界
- 12:22
- comments(0)
- -
- by 小野満麿
■1■他の全ての数は正負の符合対や逆数対があるのに(∞ですら)、ゼロだけはモノポール的になぜ対がないのだろう。そう考えて実は楕円の2焦点が重なった真円の中心のように2重なのではと思ったが、問題はそんなにシンプルではなさそうだ。むしろ0と1(もしくは0以外全て)の対となりかねない。
■2■しかしその存在と無の壮大な対性を他の数と等身大にまで縮めて並べようとしたのがゼロだとしたら、有と無の対に対応させて見るならば、ADとBCの間に0年がないようにゼロが数直線からはじき出されてしまう。円周を回転するように見える時間のループからタガが外れたサイクロイドへと。
■3■サンスクリット語のビンドゥという言葉は「点」という意味らしいが、そもそも空無を表すゼロ(0)もしくは円(○)をどんどん退縮して点とすることがあったからだ。つまり位置だけがある中心点だ。これは逆に展開方向も同時に考えれば、円周と点の重畳(もしくは相殺)のカタチでもありうる。
■4■バックミンスター・フラー等が表現していた最密パッキングした13個の球体の各重心を繋ぐとベクトル平衡体になるが、中心の1個の中心点に周囲の12個の中心点を収縮させるという意味とほぼ等しい、第1層の最密パッキングの13個を1つと見る視座もありうる。つまり0≒±13の相殺ということだ。
■5■そんな意味でも1と0が最初に同居する10という数は特別だ。10進法という世界限定ではあるが、最初の桁の重なり(2)でもあり、また対消滅(1×0=0)や一方の退場(0+1=1)をせぬまま、対で表れている。「10」は真円ではなく、0と1が2つの焦点の楕円と見越す視座もアリだろう。
■6■点も宇宙そのものも「球」(…9という日本語読みの音も何やら示唆していそうだが)もしくはそれを3接球とする正12面体でも良いが、ミクロ・マクロ方向の「大きさ」概念が高次対称性によって意味を持たされなくなったならば、0と1しか残らず、瞬時に対消滅してしまうはずだった。
■7■しかし月と地球の関係だけではなく、太陽の介入(良い意味では単に存在すること)によって、月と地球が共にぴっちり重なることなく、したがってシンプルに無限大と無限小がつながることもなく回転が始まり、数は3から次々に展開を始める。太陽はそもそもの5、地球と月は1と2と後で分かる。
■8■そうしてみると、インド・アラビア文字であるこの私たちが使う数字そのものにも無意識的な意味が気づかれないままぶら下がっているのかも知れない。多分にフロイト的だが1と0はそれぞれ男性器と女性器の象徴でもあり、6と9もしくは精子が3に突入する。フロイトはミロクは知らなかなったか。
■9■卵子はゼロもしくは円の中心。精子は円周の外の全ての方向から中心に向けて進む1と1と1と1と…。しかし円周の外と中心…の間に全てである円の面積部分全てと言う壮大な隔たりがある。これを何とか解決するために、卵子もしくはゼロは自らを(百億分の1の確率でとは言わないが)2つにした。
■10■その2つの卵子もしくはゼロが楕円の2つの焦点になった時、精子はどこまでも全体と部分が区別できない1から全ての数になった。ここから老子の「道生一、一生二、二生三、三生万物」が展開する。数の創世記は狂気と見まごうばかりではあるが。数の2段階創造神話として捉えてみる価値はある。
4字略語(もしくは4音略語)その3
- 2011.02.19 Saturday
- ■言葉と論理の世界
- 22:14
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- -
- by 小野満麿
■日本語の4字略語の話をしてきたが、横文字についても見てみよう。まずはABCD。アルファベットの最初の4文字だけを取って見ても、A.D.はラテン語の"anno Domini"で紀元後何年を表し、B.C.は英語の"before Christ"で紀元前何年かを表す。A.D.は6世紀のローマ帝国で生まれ15世紀に一般化した。一方B.C.は17世紀に発案され、18世紀になってから一般化した。どちらも英語圏でのみ通用する。
■古くは1941年に日本に対して貿易の制限を行ったアメリカ(America)、イギリス(Britain)、中華民国(China)、オランダ(Dutch)の頭文字を並べて、ABCD包囲陣と表現したことがあった。あまり重要なことではないけれど、これまた昔の話になるのだろうか、恋愛の進展に関する半ば隠語にABCDというものもあった。Aはキス、Bはペッティング、Cはセックス、Dは妊娠を表していた。
■ものごとの「いろは」という表現があるが、英語圏ならばものごとの「ABC」と表すのだろう。日本語で「あいう」と言わない。新宿ににACB(アシベ)という名のライブハウスがあった。CDと略されただけでは、コンパクトディスクなのか、キャッシュディスペンサーなのか、クリスチャン・ディオールなのか、文脈がなければ全く分からない。ここ名古屋では、中日ドラゴンズのマークもまたCDである。
■特に4文字に省略するだけではないけれど、日本人的にはアルファベット4文字の略称も座りがいい。日本語の4字略字より横文字だからかなり分かりにくいが、以下の略称の名前を当ててみてほしい。もうクイズと考えていいだろう。(1)OECD、(2)FIFA、(3)ICBM、(4)JRCS、(5)NYSE。能ある鷹は爪を隠す。猫は普通に爪を隠す。犬は隠そうとしなくても大丈夫。
■答は一応(1)経済協力開発機構、(2)国際サッカー連盟、(3)大陸間弾道弾、(4)日本赤十字社、(5)ニューヨーク証券取引所。そしてその元の表記は以下の通り。(1)Organization for Economic Cooperation and Development、、(2)Federation Internationale de Football Association、(3)「Intercontinental ballistic missile」、(4)Japan Red Cross Society、(5)New York Stock Exchange 。
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- 猫まんが:『寝ても覚めても幸せすぎて』 (02/28)
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