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  • 2024.01.09 Tuesday
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非日常が日常になりつつある1日



 ■午前4時半に、タイマーセットしていた炊飯器が動き始める。5時半、仕事に出かける弟が動き始める。昔から仕事場まで運転する道が混むので、早々に家を出ることにしている。これは公共機関で仕事場に通っていた父もそうで、6時頃には家を出て、早く着いた会社でずっと読書をしていたようだ。かくいう私も高校生の時は1時間ほど早く教室に行って、予習や好きな事をやっていたものだ。やはり同族か。

■ずっと母が手作りしていたという弟の弁当のおかずを代理製作してみる。無類の麺好きな弟は、毎朝決まってラーメンを食って行くことになっているとのことで、インスタントラーメンを製作してみる。麺なら何でもいいし、具などはほぼ何も入れないものが好きだという感性は分からない。弟が車で出勤した後少し仮眠しようと考えていたが、隣りで大工工事らしきものが始まり、音が頭に響いて眠れない。

■母の交友関係は幅広く地域も広いので、毎日入れ替わり見舞客が来る。最初は身内にだけしか伝える暇も応対能力もなかったのだが、少しずつ人間関係の主要なところに妹が報告を入れたので、取り急いで病院まで駆けつけてくれる。しかし病室は緊急病院で個室でないベッドのため、大人数が長時間いることが憚られる。狭からぬ4階の待合スペースの椅子で昔話をしてくれるので、ずっと妹と応対する。



■「脳血管障害」は、脳の血管の病気により生じる脳の障害である「脳卒中」の同義語であり、近年はこちらが多く用いられている。本来「卒中」という語には「突然の発症」という意味があり、厳密には脳血管障害の中で突然発症をするものだけを脳卒中と呼んで区別する。脳卒中には脳血管が閉塞するものと破綻するものとに分類される。前者が脳梗塞で、後者が脳出血とくも膜下出血と呼ばれる。

■脳卒中の『卒中』の語源は『卒然として邪風に中る』で、『突然、悪い風にあたって倒れること』の意味だという。「卒中」の「卒」は衣の襟を重ね結び止めた形の象形文字で、死者の卒衣を表す。「おえる・おわる・ついに・にわかに」という意味に使われている。また「中」は□と|の会意で□印を射的のマトに命中して貫中するさまを示す会意文字であり、意味通り「中る・あたる」と読む。

■脳卒中とは「卒然として邪風に中(あた)る」という意味の言葉で、脳血管の閉塞や破綻(出血)によって起こる病気の総称だ。昔は「中風病み」と呼ばれ、正確な診断や特別な治療を受けることもなく、家で寝ているほかはなかった。現在では医療が発達したのでリハビリにより身体能力回復の機会も増えたが、意識が戻らぬまま5年10年と眠り続けたままいきつづけるというケースもあるようだ。



■いつ病院から緊急の連絡が入るか分からないし、兄弟や近親者からの情報交換メールも逐次対応する必要があるので、片時も携帯電話を離すことができない。昔はなかった便利さと、それゆえの不便さと。夜はすぐに動けるように炬燵で横になっているからか、1時間ぐらいにごと目が覚める。精神は平常を保っていても、身体には少しずつ疲労が蓄積していることが分かる。頭の一部がずっとマヒしている。

■連日午後8時の面会時間終了近くまで滞在してから、いつも弟か妹の運転する車で帰宅していたのだが、今晩は近所を通っている大船−藤沢を結ぶ路線バスに乗って帰宅してみた。大災害がいまだ収束の気配すら見せぬ世情の中、社会は一個人の家族の病状などには関係なく、いつものように展開し続けている。暗めの町の風景が、時々現実感覚を揺らがせる。名古屋の我が家の猫たちはどうしているだろう。


西と東の体感的リアリティの差



■逃れようなくやってくる未知は未曽有の大震災として顕現し、大津波となって襲いかかり、原発の大惨事として継続している。通常の意味での外的世界は前代未聞の大混乱であると判じていたら、母の生命に関わる緊急入院で個人的な私の内的世界も、徒手空拳のまま有無を言わせずに未知の領域に突入している。外の世界観が大変換せざるを得ない状況のみならず、個人の世界観も元には戻らないまま。

■名古屋から関東に行くと、以前とは異なる現状のリアリティが体感できる。関東でも最も西南にある神奈川県でも各地で計画停電なるものがあったり、そうでなくても節電努力で夜の街中は本当に暗い。コンビニやファミレスの看板も営業中なのに夜でも消えていて、突然見ると町が沈んで見える。名古屋でも今回の天災や人災は近しく心痛めていた。しかし東に行くほどその身体的リアリティを感じる。

■さらに都心に行けば、公共交通の間引き運転や各地の任意節電、放射性物質の非日常的な計測値による様々な不安や問題、被災者の集団移動や疎開の避難問題、福島第一原発周辺の未だ解除の見込みのない諸制限など、どんどん深刻度や問題の身体的リアリティのスペクトルが濃くなっていく。そらにその東北には、未だ被災から復興の第一歩すら踏み出せない多数の地域の生命の次元での現実がある。



■距離が離れている地でも、本当に人間的な共感や共振はあり、募金や物質的援助活動もこれまでにない盛り上がりを見せているが、現地・現場での身体感覚の現実感はやはりその濃度が薄いのは仕方のないことなのだろう。前代未聞の異常なニュースを知りながら、普通の生活を普通にしている。身辺の近くの原発を再稼働させまじという運動や、現在動いている原発も早々に止めようという運動はある。

■病院の中も節電で5時を過ぎるとぐっと暗くなる。土日は特にそうらしい。建物が大きいからその異様さはさらに強調される。巨大ホテルのような病院のロビーを、4階待合用の椅子から見下ろしていると、東北の被災地にいるような感覚に浸される。有無を言わさず未経験の状況下に晒されたまま、現状をどう受け取りいかに対応しようかとあがきつつ、心身は未だ麻痺したまま分別能力が低下している。

■そして実際の被災地では、来る日も来る日も最低気温が摂氏0度近くまで下がり、もうすぐに4月だというのに、TV越しの被災地画像には情け容赦なく吹雪やみぞれが吹き荒れている。ここまで徹底的に痛めつけなくてもいいではないかと強く問いかけたいのだが、その問いかけ異議を申し立てるべき相手が見当たらない。中部から関東に移動して感じたリアリティの体感温度差はまだ遥かに隔たっている。


母の緊急入院



■11日からの3日間、津波の画像をあれこれほぼ眠らずに見続けた。1週間は真剣に政府や東電、そしてその背後にある巨大で複雑な利権構造の欺瞞と隠蔽とTVの生ぬるさや御用学者の欺瞞について、怒りの所感を述べ続けた。しかしもはや既知の過去は崩壊し、未知なる未来は不確定なままなので、自分なりの未来ビジョンを構築する努力にシフトし、尿漏れのようなその時だけの所感の垂れ流しは止めた。

■自分自身だけなら、たとえ野晒しになってのたれ死のうとも別に問題はないと思っていた。外部の権威や伝統や資産や暴力すらも特に怖くはなかった。しかし今回の大震災はまさに想定外だった。「そうくるか」と思った。自分の苦悩苦痛は大問題ではないけれど、他者…とくに友人知人が被災したり行方が分からなかったりすることに対しては、自分が動じることが分かった。しかもとてつもない人数だ。

■大地震から1週間経って、母が神奈川藤沢から電話をしてきた。こちらは不自由なく大丈夫だから心配するなと言っていた。地震直後の1日は電話も通じず、津波も心配で江ノ島定点カメラなども見続けていたが、現地から外部への電話は時々通じるらしく、大丈夫だとの電話があった。1週間後の電話の後、近々関東地方に行こうと、いつでも出れる体制で過ごしていたのだが、結局間に合わなかった。

■妹からの携帯メールで「これから救急車に乗って病院にいく」と着電したのは昼も回った時間だった。母が緊急入院したのではないかと思い、、改めて「何が起こったのか」と追確認して、妹と一緒に家を訪れた中2の甥っ子が家の中で倒れていた母を発見し、急いで救急車を呼んで救急病院に搬送したのだということが分かった。自分だけなら何でも平気の私にとって、2つ目の「そうくるか」だった。

■脳血管障害で、脳血管が閉塞する脳梗塞と、その詰まった血管が破綻する脳出血の両方らしい。発見までの早さが生命維持やその後の人間自律・社会復帰の鍵であるというのは、元サッカー日本代表監督のイビチャ・オシムが倒れ、その後のリハビリも含めて一連の事情見ていたので知っていた。しかし母はすでにかなりの長時間が経っていた。溢れ出た血液が心肺を動かず部位まで圧迫しそうな有様だった。

■様々な脳血管障害を聞いたことがあるが、それらは高血圧の人がなるものだと思い込んでいた。父方も母方も共に献血できないほど血が薄い家系だと聞いていたので、縁のないものなの だと考えていていた。一族の中でも脳卒中は聞いたことがなかった。しかし歳を取って身体の様々なところに問題が出始めている人もまた、突然の脳血管障害が起こるということは、私の認識風景の中にはなかったのだ。

■事の前後を確認してから、まさにいわゆる取るものも取らず状態のまま、名古屋から新幹線に飛び乗った。新横浜で降りてからJR在来線を乗り継いで 大船まで行き、そこからタクシーで湘南鎌倉総合病院に駆けつけた。去年完成して引越したばかりの綺麗で大きい病院だった。携帯で連絡を取り合った甥と妹と玄関で会い、他の患者の身内もいて緊張感がある、緊急診療ゾーンの廊下に急いで移動する。

■やがて緊急診療からキャリアーに乗せられて出で来た母は、大きなエレベーターで4階にある脳卒中診療科(脳血管内外科)の病室に搬送された。倒れてから発見まで相当の時間が経過していたために、脳内に血管が広く溢れ出ており、それが脳を圧迫して予断を許さない状態であると、緊急治療を担当してくれた医師が簡単手短に説明してくれた。普段なら決して病院には来ない私は、足元がおぼつかない。

■思えばかつて父は移転前のこの病院に肺癌で入院し、そこで亡くなったのだった。名古屋から病院に到着するまでずっと、発見が倒れてから半日近く経過しているということなので、そのままこの世に戻らぬことまで重々覚悟していたので、取りあえまだ少し猶予が残されているだけでも有難い。「生きてるだけで丸儲け」という辻麻里子氏の言葉を、今までとは異なった新しいリアイティ感覚で想起した。

■状況が呑み込めず、何をすることもできないまま、眼前世界の推移をモニターの中の世界のように体験していた。未知の中に放り出されていて、危機回避能力のような意識の部分がマヒしたままだった。何らかの能動性を励起して、眼前の現実に関与・交差しなくてはならないのだが、自己防衛的な思考のマヒなのか、このような時にある普通の人間的反応なのか分からないが、心の動揺も感情もほとんどない。

■気が動転するのでなく、制御自制するのでもなく、自らの意識が収縮しているような感覚だった。しかし発見までが長かったので、脳細胞はかなりの部分が死滅してしまったと考えられている。ただし取りあえず生命があれば、この世界にも様々な奇跡的出来事があるらしいので、悲観や安易な諦念に流れることなく、自由業の良いところである時間的流動自在性で、できるだけ近場にいることにしよう。


原発施設そのものには愛を



■1■感情移入と共感とは少し異なるので、個人的妄想として語ろう。どんな天災の後であろうと、大自然そのものを憎悪し呪詛する者はあるまい。私たちはその中に住み、まさにその一部でもあるのだから。では原発は?それを操りその恩恵を得ていた人間ではなく、人工物ではある原発そのものについてだ。

■2■原発を憎悪し呪詛するのは的違いであろう。それを作り、動かし、経済に組み入れ、生活の一部にした者たち、その操作を誤って人災の連鎖反応を現実化してしまった者たちを呪詛するのは人間として分からないではない。しかし原発そのものはひょっとして今も必死に壊れまいと頑張ってはいまいか?

■3■機械やロボット読も名前をつけて大切にする八百万の神の国の民として、すでに破壊されて石棺の中に収められるのではと予想される原発の各号機たちを、単なる命なき物質としてでなく、私たちのために瀕死のままぎりぎりで踏みとどまって持ち堪えていると見ることもできはしないだろうか?



■4■妄想でもよい。日本人の心情として、壊滅的ではあるがまた辛うじて生きているとも見える。死骸の腐臭に辟易して罵声を浴びせたりするのではなく、その付近で命がけで作業している生命たちのためにも、原発そのものの墓碑銘のためにも、私はまだ死ぬな、崩壊するな、いましばらく頑張れと祈りたい。

■5■浜岡原発について。つい数日前までは、取りあえず必要悪としてでも良いから稼働を続けて、そのエネルギーを心して東北関東大震災の復興のために用いた方が良いと考えていた。しかし今は、今後どうするか落ちついて話し合える状況になるまで、取りあえず停止した方がいいと考えるようになった。

■余■それにしても「必要悪心」という言葉の文字づらは、見る者の主観だとはいえ、どこか美しくない対称性があるように見える。…まあ阿呆と思われてもいいし…。って、とうに思われているか(大笑)。



■1■ドイツの画像は紹介したけれど、フランスのもあったから貼り付けます。副島孝彦氏のところからの孫引きですが。 http://www.irsn.fr/FR/popup/Pages/animation_dispersion_rejets_17mars.aspx

■2■なおセシウム137は自然界には存在せず、この放射性同位体は原子炉の廃棄物から抽出される。セシウム(Cs)は原子番号55の元素で、常温付近で液体状態をとる。セシウムの安定同位体はセシウム133のみである。うーん、それにしてもこんなところで『137』という数は見たくなかったなり。


■シェアしたい人だけ。デア・シュピーゲルは、ドイツのニュース週刊誌。発行部数はヨーロッパで最も多い毎週平均110万部。進歩的なメディア。誌名は独語で鏡の意。 http://www.spiegel.de/images/image-191816-galleryV9-nhjp.gif 


(※)このページの画像はYOMIURI ONLINEより借用・加工しました。


折れるな心たち



■技術者が「想定外」を口にするのはまだしも、科学者や政治家が「想定外」を連発して現状をそれに帰するのは、そのままおのれの怠惰と非力さと愚かさと、そして邪悪さの表明である。邪悪とまで言い切るのは、「想定したが明らかにしなかった」か、「敢えて想定しなかった」からである。体質改善ならぬ体質反転の要あり。

■被害が出てからその現状を分析したり原因の解析をするだけの科学者や解説者(全てのではない、念のため)は、事件が起きてからその原因を星の配置で解説することしかできない後ろ向きの占星術師(全てのではない)に対する不快感以上の嫌悪感すら感じる。今からでも遅くない、近々の未来を真剣に予見せよ。

■そもそも非常時に外部からの電源がないと自力で電気が生み出せないのみか、自らの暴走が広大な地域に破滅を招くという超パラドクス構造。存在形態自体が矛盾を孕んでいるのであれば、その矛盾解がなければ存在そのものが自問されてしかるべきだ。人間存在とどう重なるか。電子とは生命の受け渡し?



■いくら原発や量子力学に詳しくても、人間の繊細な心の綾の読解やそれに対する能動的働きかけに疎かったら、それは人間として歪みの許容形態からはみ出している。大局からのもの言いをするのであれば、局所の接心のスキルだけでももっと磨いてほしい。沈黙していろというのではない。責任を持って口を開こう。

■そう遥か遠くでない未来に、現今共有幻想されている「日本」という国は存在しないかもしれない。そのことも想定すべきである。妄想や予言ではない。想定である。たとえ妄想だと言われても、個人的には「日本語」が残れば「日本」は滅びないと確信している。日本人の本質は消滅しないと確信している。

■被災地の避難所で飢えや寒さのために死んでいくという事態。原発施設内でとうに数十人が死んでいる現実。情報の欠如での偽りの安穏と不安で日常生活する少なからずの人たち。何十年振りだろう、涙ぐみながら畜生!口にする自分に何度も気付くのは。おのれの弱さと未熟さを握りしめてさらに前に進め。



■私はかねがね「未知を愛せ」と主張してきた。今回の出来事は未知ではない。無知なのだ。想定外ではない。想定能力がないのだ。そしてそれを誤魔化す隠蔽体質。「真実を全て公表すればパニックが起こってより悲惨になる」などという性悪説を持って何を正当化しようとしてきたのか。日本人の今の顔を見よ。

■無能な王は殺されてしかるべきだ。殺すと言うのは喩えで、早々に王権を剥奪しないと愚政により、内面の内面に落ち込む水際で踏み留まっている人々の精神をメルトダウンしてしまいかねない。ボーンヘッドでは済まされない緊迫した中での人為的ミスが多すぎる。カゲバラを切って為政に臨むくらいの心意気を。


原発事故の上にも数を見て



■1■既に昨今、個人差はあるものの、無数の偶然や符合と思える事象が身辺で多発していることと思う。偶然や符合の各個人における意味付けや解釈にまで口を挟まない。ただもうそろそろ、飛び交う情報を混乱させぬよう配慮しつつ、その合間を縫って私的符合解釈を表明してもいいと感じている。

■2■人間の二元論的分別とは関係なく、福島には第1原発と第2原発がある。現在進行中の大惨事は前者で起きた。時系列で言えば先ず1号機、次に3号機と奇数先行で建屋部分が吹き飛んでいる。次に2号機、4号機と偶数が追うように連続して問題が勃発。人間の直覚的数覚は1〜4までだ。

■3■ペンターブシステムという考え方がある。5つで1つ上位のまとまりという5進法的世界把握法でもあり、かつ最初の1の中に既に5が存在しているというホロニックな考え方でもある。さて実は福島第1原発には大熊町の隣の双葉町に、定期検査中で停止している5号機と6号機がある。



■4■この5と6という数そのものは、1〜4をまとめる5と、それを反転させる対の6という捉え方もできる。例えば黄金比φとも関係がある5芒星と、円周率πとも関係が深い6芒星の関係とか、それ自身が対になった10進法と12進法の関係などとである。5号機と6号機も水温上昇中である。

■5■さて最初に、福島にはもう1つ福島第2原発もあると言った。正確に言えば楢葉町に1号機と2号機があり、隣接する富岡町に3号機と4号機がある。こちらも4基がひとまとまりになっている。今のところ全て安全と考えられているが、通番で考えれば7,8,9,10号機というとになる。

■6■つまり普通に見れば、ただ単に福島原発が全部で10基あるというだけの話だが、ここ数年、先に言った5までの数のありようと人間の数の獲得について、そして私たちが10進法を用いていることの本質的な意味について考え続けていた私にとって、個人的にはとても深い符合に見えるのだ。



■7■繰りかえすまでもなく、シンクロニシティや符合というものは、その当事者には深く内面的な意味を励起させるが、他者にとってはさほどインパクトを与えることがない。ここで示したことも勘違いした数秘主義者や似非ゲマトリアンに流用されたくない。取りあえず驚きを今メモして置きたいのである。

■8■現場で秒刻みで命を縮めつつ奮闘を続けている魂の侍たちに心底から安全と「武運」を祈りつつ、1号機〜4号機そのものの鎮静を願い、また5号機と6号機のチェックも抜かりなく、さらに7〜10の安全を再確定させること。しかる後に、福島以外の各地原発を11以降の数と繋げないこと。

■9■そのためにもこの個人的妄想と捉えてもらって全然かまわない連文も9までで止めることにする。私の微妙にズレた頭の中(こう表現できるくらいはまともだと主張して笑いを取ろうとする間抜けさ)での内的呪術というわけだ。数えることの楽しさを捏造データで貶めるなかれ!である。



■0■10に繋げることなく0に戻す呪術(笑)。最初にヘリコプターで上空から3号機(多くは4号機の方にかかっていたが)に海水を投下を試みたのも4回であり、福島原発所在地も4つの町である。4で止めること。マグニチュードすら9で止めること。これは決して顰蹙をかうもの言いいではないと信じる。

■1■名古屋で当選した議員たちと、今後選挙に立候補して当選を目指す人たちに。今回の大天災で己の命を顧みず陣頭指揮に立って奮闘中の各自治体首長たちを鏡に、大人災である原発事故で、危機管理能力に乏しい政府や東電管理職たちを反面教師として、健やかで力強い指導者たるを期待したい。

■2■他者に助言やり参考意見を多数もらうのは当人の人徳や幸運であろう。しかし最終決断は当人がすべきものである。その愛する土地に親族や知人たちと共に踏みとどまるという気概もまた、熟考の末に移動しようと決断した強い意志と同等に尊重し敬愛すべきものである。万事万象すべからく至福界なるべし。


沈黙の羊になるなと叫ぶ狼爺ぃ



■1■『The Silence of the Lambs』という映画と概念。「羊たちの沈黙」と訳されているが、正確に言えばlambはおとなしい被害者という意味の子羊だ。そして対置する加害者は肉食動物で表される。ライオンとか狼などだ。子羊は旧約聖書では生贄として使われる生物である。

■2■映画ではヒロインであるクラリスが子供の頃、殺されゆく子羊たちが逃げ出さず沈黙しているのを知って、なぜ逃げないのかと強く思う。しかし羊たちは断末魔の悲鳴こそ上げるが、おとなしく殺されていく。狼が牙を剥いても静かにしている。見えないのか、逃げないのかと叫ぶ声が届かない。

■3■この比喩は明白だろう。狼が来るから逃げろと叫ぶ狼少年や狼爺ぃの声はさほど届かなかった。「ヤバい部分もあるけどそこそこ大丈夫」という大嘘吐きの言葉と、自主性を無視して強制的に逃げろと強制することなく「自分の判断で決めてくれ」と付けくわえた言葉の間で、先延ばしされる判断。



■4■それでも子羊たちでも気付いたものや、比較的動く力のあるものは、見えない牧場の囲いから逃げ出している。保護や保証のない未知なる世界も恐怖である。しかしずっと同じ意味で言われていた「生きてるだけで丸儲け」という言葉の真意に気付くには、少なくとも生き延びなければいけない。

■5■「逃げろ」と言った狼少年や狼爺ぃが口下手だったと自分を責め、伝わらなかったことがトラウマとなるとしても、他者が非難することはないだろう。殺す側に対して怒り続けているだけでも、最早せんかたない。悲鳴は聞こえはしないだろうか。生贄としての子羊のままでのいないようにと祈る。

■6■「無」計画停電、東北主要幹線の一般者使用制限、原発上空の飛行停止、小出しにされる遅すぎる情報。外国人や主要人物の国外脱出や西方移動。多重の誤魔化しと意識逸らし。「冷静な対応を」と言うことの半分は「愚鈍なままで」ということではないのか?海外は壮大な実験場としても見ている。



■7■最後まで子羊のままで死ぬことなかれ。自ら決めよう。非常時には狂人のような人の意見にも気を剥ける度量を。風評被害と隠蔽からのリーク、そしてそれをなし崩しにする良く似たニセ情報の区別が付かなかったとしても、最悪のケースまで考え、狂うことなく自力で考え、言動と行動を決めよう。

■8■「そこから逃げろ」といってどこへ?少なくとも自ら考える領域に。あと、ただ目に見えぬどす黒いものに対して怒り狂っていても、おのれの心身が自壊するので、お笑いのネタと駄洒落も考えよう。人とちょっとだけ異なる思考と行動をとれば、買い占めや盲従などの愚行も避けられよう。

■9■風評被害と、公共電波で取り上げられない正確な情報との差異を、各個人の判断に任せるのは酷なことに違いない。しかしそれでも出来る限り様々な出どころの情報を収集し、自らの責任で判断すべきではないか。オフィシャルが確実な情報のみ流すのは正しいスタンスだが、それだけでは十分ではない。



■10■今こそ特に、例え考えが異なる者同士であったとしても、その言っている事の中に嘘や誤魔化しが混入しないようにすべきであろう。その点でこの緊急時のコミュニケーションにおける前提としての信頼を欺く者は許せない。「あなたのためを思えばこその嘘や隠蔽」などを、今は許容してはいかんと思う。

■11■「国家非常事態宣言」はいつ発動されるのか。様々な部署に責任を押し付けたり罵りあったりしている場合ではない。前代未聞の出来事。しかしそれでも現在の政府首脳の無能さ、臨機応変さのなさは、後日というものがあれば徹底糾弾されてしかるべきだ。危険だから近づけないと完全放置。遅すぎる。

■12■このように人が接近できない場合に備えて、日本では視覚モニターやデータ計測機を装備したロボットや無人戦車のような機を開発して至るのではなかっただろうか。あと高性能なカメラ装備のラジコン型無人飛行機とかもあるはずだ。使い捨てでいい情報収集機器。米国から借りたりできないのか?



■13■イメージだから、妄想が入ることも許されよ。水や瓦礫で到達できないが、明らかに取り残された人たちがいる場所に物資を投入するのに、操縦可能な無人飛行船を使用することができないのか。もちろん飛行船など現地近くまで運べないかも知れないが。当座をしのぐ飲み物や毛布やおしめだけでも。

■14■避難所近辺に簡易トイレを手作りできないか。瓦礫となった木材などを見つくろって拾い運び、土を掘って簡易トイレを建てる。釘は瓦礫についていないか。ロープ様のものでぐるぐる結びで繋ぎ、あとは多数の柱材か木の幹を斜めに立てかけて支える。天井はなくてもいい。紙の代わりは植物など任意。

■15■TVメディアは遠隔地の低い数値のみを放送し、近接する福島・茨城・宮城・山形・新潟各県の放射能汚染値を意図的に隠蔽している。比較可能。東京0.809マイクロシーベルト/時(以下単位同じ)、千葉0.313、神奈川0.182、埼玉1.222、山梨0.069、静岡0.089。



■16■福島市飯館村(15日夜)44・7マイクロシーベルト/時、福島県浪江町(15日夜)195〜330(同単位)を観測。後者数値を1日被曝すると4680〜7920(同単位)、1ヵ月で14万0400〜23万7600(同単位)。10万(同単位)の被曝量で発がんの可能性上昇。

■17■単純比較の単純計算値である。しかし全く一笑に付されるものでもない。いたずらに不安を煽り混乱させるつもりはない。メディアそのものの表裏を共に知るためにも、複数の情報を併用して考えることが重要ということ。生きた数が好きだから、死んで操作されている数に注意を喚起する者である。

■18■ソースは朝日新聞2011年3月16日12時35分、スポニチ2011年3月15日 16:56 、植草一秀の『知られざる真実』2011年3月16日 (水)、その他。数を操作して殺したまま晒すことは数ギークにとって許し難い。数は人間を超えているが、数えるのは人間の為すことである。



■19■消防・警察・自衛隊・海上保安庁・地方自治体の人々・海外から救援隊・様々な救援組織に属する人々・名も無きボランティアたち(そして現行政府も入れておく)などの諸活動に心から賞賛とねぎらいの思いを伝えたい。小さなことでも自分ができることを為している人たち、祈る人たちに共感したい。

■20■シェアしたい人だけ。デア・シュピーゲルは、ドイツのニュース週刊誌。発行部数はヨーロッパで最も多い毎週平均110万部。進歩的なメディア。誌名は独語で鏡の意。 http://www.spiegel.de/images/image-191816-galleryV9-nhjp.gif


暴走原発と隠蔽と反転と



★世界中の原発関係各国及びIAEAがこれほど固唾をのんで四六時中注目し、ロシアその他が自前でデータを取りに日本に出向くというのに、この東京電力や日本政府の発表が緊迫感に欠け、また明らかに情報をギリギリまで誤魔化しつつ出さない姿勢は信じがたい。今現在の状態だけでもとんでもない話だ。

★燃料が全て露出し、圧力弁が故障していて、圧力が上がり続けているというのはどういうことだ。圧力が下がらなければ海水であろうが注入出来ないと自ら言明している。すでにそれから一時間以上経っている。現場ではおそらく自らの命も省みない英雄的行為で現場作業に当たっている多数の者がいる。

★また非難できず孤立している被災者も多数いるし、確認されていない被災者も少なからずいるはずだ。それなのにあの会見に臨んだ東京電力関係者の緊迫感のなさは何事か。実はとてつもない状況になっている事はほぼ間違いない。関東の計画停電や現地被災者の食料医療以上に綱渡りだというのに。



★首都圏の計画停電で輪番にしていくのであれば、NHKその他の各局のBS放送を1,2,3と同じ放送をしているが、これを取りあえず一つに絞り、また民放も数時間は空ける輪番制も考えていいのではないか。電気をほとんど使っていない者とだらしなく使い流している者とを、私は同じ1とは数えない。

★どさくさにまぎれて地震増税などとぶっこいている奴らがいる。敢えて奴らと言おう。河村名古屋市市長+大村愛知県県長のタッグによる減税日本の最終目的は税金ゼロではなかろうけれど、基本的に税金ゼロを標榜する私としては、その第一歩として取りあえず評価している。増税は論外である。

★北風が南に吹いている。これから雨が降る。原子炉格納容器そのもののの損傷。現場の従業員と関係者の多くをすでに避難させた。今までで最大のシーベルト数値。100km離れた東海村で異常データ検出。希望的観測と未確認であるという表現はもう聞きあきた。自己責任で避難するか否か決めて下さい。



★裏付けも何もないので、この一段落だけは妄想です。無責任な陰謀説は大嫌いだが、この現在の情報遮断や電気の計画停電という名の無計画な停電その他は、個々人の生命や幸福の視座とは交差しない何か巨大な実験なのではないかという気がしてきた。石原都知事の放言的表現とは違い、人間の操作として。

★確信犯的な妄想表現は終了。いたずらに不安を煽る算段はない。論理だけでも直観でない直感だけでも心細い。風下の関東地方の人も、不要に雨に濡れるリスクや、外で外気に肌や呼吸器系を晒すリスクは、少なくとも極力避けた方がいいと考える。生活、仕事、生命。リスクは0%でも100%でもない。

★喧嘩を売っていると思われてもよい。平安を祈る人に顰蹙を買ってもかまわない。わしって案外商売上手(ジョークもハズれてる)。現場で起きている事と発表に数時間のずれがあるが、そのずれの間隔が少しずつ短くなってきている。非常事態のさなかに日常生活を過ごすことがベストとは思わない。



★私が静かに激怒している対象は、もちろん原発施設でかなり劣勢な復旧作業を命がけでしている人たちでもなければ、TV上に映し出されてしどろもどろに質疑に応対している気の毒な情報リリーサーたちでもない。自分だけは安全なところから人々を機械のように動かしている、何かどす黒いものである。

★もう言うだけの事は言ったから、私も自分自身が為すべきことに着手しようと思ったら、今度は4号機に火災が発生して燃えているとのリリース。1、3、2、4…って、私の脳内のペンターブシステムじゃないんだから、もうお願いしますよ。ホウ酸のホウ素は原子番号5、水素は同じく1。独り言なり。

★しばし数ギークに戻ります。原発のウラン核分裂反応の制御に用いられるホウ酸H^3O^3は無色の結晶化粉末。中性子吸収能力が高いので原子炉の冷却材として用いられる。日本は全量を輸入に依存している。なおゴキブリ駆除にホウ酸団子にも使うが、猫などが誤飲しないよう私は使いません(苦笑)。



★福島県は北部を除いて東北の太平洋岸の県より比較的(あくまでも比較的であって決して軽くはない!)被害が少なかったが、宮城・岩手・青森などの被災地の惨状は変わらず、一刻も早い支援と救援は必要であり、またその努力も続けられている。そして自分自身の中での前代未聞の地震はまだ揺れている。

★個人的なことを言えば、昨日から今日にかけ反転と乖離があった。未だかってない喪失感が今この身に残っている。昨日までの世界とは意味も価値も在りようも、みな既に変わってしまった。言うだけのことは言った。人間型ゲシュタルトを味わい楽しむ残された最後のうたた寝時も過ぎてしまった。

★繰り返し言っているが、知性と感性の絶妙なバランスによる直観で、瞬時に眼前の事象を判断するよう努力すること。そしていざという時(ある意味ほぼ今でもあるが)、自らの身体の切れと精神の冴えが鈍っていないよう、日々鍛錬すること。津波後のように散乱した脳内とPC内と部屋を整理すること。



★正確に言えば無意識にある自ら過去の未練を断ったと言うべきであろう。この身の内にたゆたう言葉にならないものたちを明確に言葉にする作業をしよう。世界観を共有できぬまま待つより、先に進むことにした。今までかろうじて機能していた権威や構造が紅茶の中に落とした角砂糖のように溶解しゆく。

★名古屋は大須のミスドに入って休んでいる。周囲ではまだあまり世間を知らない若い子たちが、関東や東北で進行中の出来事などは気にかけぬまま、楽しそうに話をしている。もう過去には戻れないのだ。日本と言う国も、私と言う人間も。世界観を共有できぬまま待つより、先に進み構築することにした。

★確たる未来のイメージと、未だなき現実と接続する道筋を構築するということ。今まで自分がやってきたことと、その未来を滑らかにつなげること。あの地震は本当に強烈に頭蓋骨の中の脳を揺らがせてくれた。格闘家なら意識を持って行かれたまま、未だ真っ直ぐ立ち続けることができないくらいに。 


被災地と報道と自分の距離と



★2度あることは3度ある。例外もあって欲しい。福島第一原発の1号機3号機に続いて2号機も冷却機能を喪失して、炉心部の過熱から炉心溶融の危険。また水素爆発の危険。建屋上部に穴を開ける予定。エヴァじゃないんだから(←怒りから敢えて不謹慎な表現。不快、勘弁)。きっちり完結まで持っていくべし。

★現場で懸命の努力をしている人たちには心から健闘を感謝し、無事を祈る。と同時に東京電力・政府上層部の隠蔽体質と五月雨式情報提示には、さすがに怒りを感じ始めている。必ず背後に隠されたものがあることはほとんどの人が感じている。不安を増大させるのに最大効率のやり方ではないのか。

★TVに出てくるゲストや解説者や学者たちについても、全体的な位置や本音の言えない部分などは全部分からないまでも、見ていて正直者であるのか、人間として信じられるのか、現状の最前線で最も真剣に努力しているのかそうでないのかは、それとなく分かる。情報の裏を知るためにも面を見る。



★哲学者・思想家・科学者・アカデミズム関係者その他、現状に対して何ができるのかしっかり思考し行動してくれ。そして出来ないのであればそのことをしっかり踏まえた上で、今後の未来像・そして過去から未来を繋ぐおのれの為すべきことと、為さなくても良いことをより明確にすることを怠るなかれ。

★このような時だからこそ、否定的言質を無責任に放逐するのではなく、それに見合う肯定的世界も提示すべきであろう。海外や非被災者からの圧倒的善意と慈愛を全身に浴びながら、同時に眼前で進行しつつある現実に対して、単なる楽観論を超えて何を為すべきか、他者任せでなく自考すべきではないか。

★個人を超えた前代未聞の天災事象なのであればこそ、個人としても生まれてからこれまでにない程の熟考と行動(静止して未来に備えることも含む)をしてしかるべきではないか?1000年に一度の大災害と言うのであれば、1000年以上の叡智を湧出させて、自責で迅速に行動してしかるべきではないか。



★天災によって露わになった電気を供給する、原子力発電をはじめとするプラント自体の非常事態と、停電という意識的操作によって、現在までと今後の電気というものの社会と個人における在りようを、改めて明確に意識するチャンスでもある。満ち足りての思考もあるが、欠乏時の思考もあるはずだ。

★電気というものの発見と利用、そしてそれを元に発展してきた社会のありよう。そしてそれが途絶えた世界までも思考範囲に入れた、電気が当たり前の社会の向こう側まで思いを巡らせつつ、電気そのものの本質を考えたい。独善でなく、資本主義や自由主義その他のイズムと陸続きの思考においてである。

★後出しジャンケン的な解説やコメントや評論や非難は、やはり聞いていてその人の人となりごと信頼が置けない。ましてや学問的な見地のみの温かみがない言葉や、コメントするまえに論理的段取りと経過を評してからでないと語らない慎重さは、時と場合を超える瞬時の直観的表現に決して至らない。



★2号機も制御不能で水位が下がりつつあり、メルトダウンの危険があるというニュース。東北の被災現地のみならず、関東一円のライフラインや電気の制限云々も含めて、そして取りあえず被害や影響の及ばない地域の者としても、自己に考えるのではなくいま真っ最中に原発その他についても考えよう。

★原発の可否のみでない。電気というものの本質も含め、人間として用いている様々なエネルギーというものと人間の関係について、自分にとって、他者にとって、何が不可欠で何がなくても生きていけるか真剣に考えるチャンスでもある。世紀を超える時何を持って行くか考えたことを改めて考える。

★2000年の年末に、みんなで21世紀に何を持って行き、何を置いていくか真剣に考えたことがある。詩人河村悟氏の発案だった。そして数年前、改めて2013年の向こう側に何を持っていき、何を置いていくか考えようと提案したことがある。今、より深刻かつ真剣に明日に何が自分の中で不可欠か考えたい。



★ダルビッシュ投手が第二の故郷仙台を思うと、こんな時に野球をやっていていいのかと真剣に悩んでいた。軒並みスポーツイベントの中止が決まっている。アスリートにとって、これが長期に渡って続くと自らの存在意義の問題になる。娯楽はもちろん芸術・文化・芸能などもその自質を問われるだろう。

★思考停止のまま消滅することは避けたいが、思考と感受性の複合暴走で周囲をも巻き込んだ自爆に至らぬようにする自戒も失念すまい。緊迫した空気の中で、ブラックでなくダークでもないジョークの1つでも飛ばす余裕も確かに欲しい。正直、好きなサッカーとマンガなき未来像は考えくなかばい。

★マスコミのTVや新聞その他のみならず、ネット上でも虚実混交の様々なニュースや情報が飛び交っている。能天気なスピだけでも、現実味のない学問オタだけでもダメだ。出来る者は情報収集し、解析し、自己責任で知らしめよう。アメリカ空母は東北地方東岸から遥かに移動したままなのはなぜか?



★暗澹として無力感に陥ることなく、今の今起きている事を多角的に考えてみよう。福島県北部や宮城県の被災地における多数の行方不明者(単なる統計とするなかれ…心が痛い)の中に、現今被爆中の人たちも混入させられるようなことの決してないように。現地の声やジャーナリストの声を拾おう。

★我心なく救済や治療に当たっている人たちには、深く深く頭を垂れつつ感謝したい。また未だ救助や援助の届かぬまま困難極まる生を保っている方々には、本当に何らかの形で届いてほしいと思う。少しでも心安らかなれという思いが尽きない。そしてもし暗躍する魑魅魍魎的人間がいるとしたら激呪する。

★なぜこんなにいつになく怒っているかと言うと、天災から始まったとは言え、現在の原発からの放射性物質漏れとその情報隠蔽は人災である。とんでもないことを隠しきれないギリギリまで隠し続ける者たちの動機は何か?命に関わる情報を知らされていない多数の者が怒るのは人間として当然だ。 


地震と津波と原発の傍らで



★事態は深刻である。事件は現場で起きている。しかし今回の震源そのものが「点」ではなく少なくとも「線」であることからも分かるように、事件が起きている現場そのものがほぼ隙間なく広大な領域に及んでいるということだ。それによって深刻さも深くこそなれ、浅くは決してならない。

★その深刻さは個々人の外にだけあるのではない。様々なニュースを見聞した自身の意識の中に、そしてその解決と未来の方向の明暗度もまた、個人の「点」的世界領域だけではなく、個々人の総体というおのれも含まれた広大な領域の共通した深刻さがある。関与の有無も自由だ。ただチャンスではある。

★それにしても日々の個人的生活や社会との関与の仕方が、今回の大災害(まだその真最中である)とその周辺の出来事によって、それ以前とは意味も重さも変わって来てしまっている。時間つぶしにする類の読書ができなくなり、自分のまとめている原稿の本質や想定読者も明らかに変化してしまった。



★背景にある被災していない国内や外国の人たちのイノセントな心配や応援を心の支えの1つとして、意識の面側では変容変質してしまった自らの成すべきと思ってきた草々をもう1度精査して、知らぬ間に古くなってしまった「成していること」を整理し、それをなんとか現在及び他者と繋げて生きること。

★今は斜陽気味の出版業界だが、かつては本が本屋や図書館に満ち過ぎていた。誰もが自分なりの成功話や、意識変化や成功のハウトゥーや、自らは媒体にすぎぬと無責任なチャネリング内容などを本にするものだから、本当に自分が求めている本がそれらに埋もれて探し出すのに非常に難儀した記憶がある。

★今のネット情報で言えば、Twitterなどのリツィートという他者の書き込みの転載システム。これはとても重要な情報伝達・拡散の戦略的手段になり、現代ならではのそれなりの成果を収めてもきた。しかし挟雑物とは言わないまでも、玉石混交過ぎて必要情報が埋もれかねない煩雑さという現状もある。



★リツィート的、もしくはコピペ的操作を一律どうだというつもりは毛頭ない。その質がピンキリであり、各個人がそれに関与する時に、機械的にではなく、自分なりの責任を持ってそれを為してほしいということだ。こんなこと言うのは全く余計な御世話だ。しかし遅延と言う実害もないわけではない。

★「現地の」「被災者の」と括ることすら申し訳ないその「当時者」の苦痛や苦悩に共感する能力は人間として誰にでもあるはずだ。それも無視してコメントする者もいれば、それに流されてコメントする者もいる。各自の「日本人」の長所と短所、美点と醜点を鑑み、自らに恥じぬよう各自の「世界」と対処しゆきたい。

★ワンクリックで募金ができるシステムは非常に現代的で素晴らしい。これに関する非難は全くない。また今はこれに関してとやかく言うべきタイミングではないかも知れない。しかしこれについてもまた考える大チャンスでもある。ワンクリックだけで他ならぬ自分自身をリニューアルすることは難しいということを。



★海外のメディアや個人や様々な団体から、励ましや同情の文言と共に、日本の大災害への対処の仕方について様々な驚嘆や賛美の言葉をリリースされている。ここでそれを愚鈍な自尊心の糧にするのではなく、援助物資の横領などのない日本というくくりの国民性を誇りとし、共に生きていくための力としていきたい。 


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