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  • 2024.01.09 Tuesday
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■後拾遺集…神楽月の前に



■つい先日、久しぶりに大名古屋温泉に行ってきた。久しぶりに夜空を見ながら露天に浸かって伸びて来た。やはり温泉に入っての思いの巡りと発想は、温泉知らずのままでは干乾びたままだった。知らず知らずのうちにあの独特の思考や情緒を失念してしまっていた。この秋冬はぜひ温泉旅行をしたいものだ。
(20111025)

■先日の御園座で観た歌舞伎の吉例顔見世は、中村歌昇改め3代目中村又五郎襲名披露でもあったのだが、夜の部の『双蝶々曲輪日記』『棒しばり』『助六由縁江戸桜』は外れなく良かった。特に中ダレどころか狂言なのに『棒しばり』中の太郎冠者と次郎冠者の、あの手を使わない舞いと振付けは圧巻だった。

■帰宅後に太郎冠者の役者の華のある存在感と動きが凄いと言ったら、愚妻に「何言ってるの、あれ海老蔵だよ!」と大笑いされた。瞬時に納得。「彼が酒を飲んでハメを外す役を演ずるのが現実の事件とも重なって面白いんじゃん」とも。まあ確かに。海老蔵、口上と助六の福山かつぎにも出てたんだよな。
(20111026)



■今夕の話。名古屋高速2号東山線の高架下には、猫を何匹も飼っているホームレスがいる。以前ここを歩いていて、その猫達に何か喰わせてくれーっと一斉に鳴かれたことがある。その時はマックスバリューに走って餌を買い与えたけれど、今日見たら猫達は紐でくくられているものの、コロコロとしていた。

■うちの近所にいるガリガリのほぼ黒猫メッシを思い出し、どちらが幸せなのかと考えた。猫の幸せを人間が判断できるわけもなし。しかし全く分からないというわけでもあるまい。そして我が家の2匹の猫。…いやそれと同時に、人間のホームレスはどうなのだ。家があっても生き地獄の人もいようしなあ…。
(20111026)



■飛鳥さんとスタッフの亜妃ちゃんが関東方面から遊びにきた。夕べはガイシホールでコンサートを観、今日はこれから自分自身の講演があるのに、合間を縫っての訪れてくれた。私と愚妻と猫達にもお土産を賜った。感謝至極。今後東京方面に出向いていろいろと情報交換したほうが良いのかもしれないなあ。

■コルマン・インデックスでは今日がマヤンの長短諸周期が全て終了し、人類の意識進化が完成する究極の日だとか。マジで今日まで知らなかった。無知は恥かしくはないが、知らなければ問題にはできないままで平和で、世界の最後の日でも花を摘みに行くサンダルフォンよろしく、綿棒多面体作っていたなり。
(20111028) 










猫々朝日記…ドナドナが聞こえる



20111025

■午前3時。早くもみかんが動き出す。私も居間に移動して4時まで猫と遊んでたが、いつの間にか寝落ちていた。4時40分、再び目が覚める。がばっと起きて、慌てて玄関に行って新聞の有無を確かめる。すでにもう来ている!なぜ今日はいつもより早いんだよ?幸いみかんは本棚の上のお気に入り箱の中でうとうとしたままだ。

■みかんにはこのまま何事もなかったかのように寝入ってもらおうと、再び居間に横になる。するとデルピーが突然どこかから飛び出て来て、私の腹の上に飛び乗った。「な、何ばしよるとですか?」すると黒猫はくわえていたシーバの小袋を腹にぽとりと落とす。シーバとは20gずつ小分けしてあるちょい高のキャットフードだ。

■これはここ数日の不思議な行動である。このシーバ袋を1つ、また1つと何か得意げな高い声で鳴きつつくわえて持ってくる。最初はこれを喰わせろということかと思っていたけれど、どうも違うらしい。以前も愚妻の小ダンスから靴下を引きずり出して1つ1つ持って来る奇癖があったが、ひょっとして狩りのシュミレーション?



20111026

■午前4時35分。みかんが本棚の上に登ったり、飛び降りて台所のドアに伸びあがったりと活動を開始している。隣りのマンションには新聞配達のバイクがもう到着してる。一昨日・昨日と外しているので、今朝はしっかり玄関ドアの裏で、みかんと共にスタンバることにした。一方のデルピーは棚上の箱で今日はぬくぬく睡眠中。

■未明の外気はもうかなり寒い。エレベーターが開き、新聞が投函される。「ふう…、お早う、おはよ…」おじさんがみかんとアイコンタクト遭遇。階段を下りて行く後ろ姿を黙って見送るみかんの後頭部。ところで来月初めから当マンションのエレベーター取り換え工事が始まるので、20日間ほど使えなくなることが分かった。

■私たちもかなりの難儀だが、新聞配達のおじさんもこの間5階まで歩いて昇り降りすることになるのだろうか。個人的には1階の郵便受けまででもいいのだが、他家もあるからそうもいかないのかな。何事にも終わりはあるものだが、本当にあと何回、みかんたちがおじさんと朝の挨拶を交わせることか。ドアからは晩秋の冷気。



20111027

■午前4時37分、ベッドで目が覚め、時計を見て飛び起きる。窓から隣のマンションをチェック。新聞配達のバイクはいない。うわ、もうそこを離れたのか。何はともあれ、玄関のドアに猫の頭分の隙間をセットする。さっそくみかんがへばりついて鳴く。隙間から見るとエレベーターが上昇中だ。急いで台所にすり足で後ずさる。

■エレベーターが開き、新聞が投函される。いつもと違う位置に立っていたので、ドア越しの影が身を屈めるのが見える。「おはよう、賢いね、賢いね。」おじさんは「ふう…」と一息入れてから階段を下りて行く。みかんが「んなー」と一声。いやそれにしても目が覚めてから遭遇まで1分半くらいという最短記録だよ。ふう〜。

■最近のデルピーはマイブームが過ぎたのかもう玄関で出迎えなくなってきた。今は保温中の電気釜の上にいる。居間に戻り、新聞をバラバラと一巡り眺めてから時計を見たら4時43分を指していた。いつもより早かったのだな。えーと…寝入ったのが2時半頃だから、2時間しか寝ていないのか。凄いな、私も。さて2度寝しよ。



20111028

■ほぼいつも通り午前3時半過ぎに起き、ほぼいつも通り4時半まで居間で猫と共に過ごした。そしてほぼいつも通り4時45分に新聞配達のおじさんの乗ったエレベーターが動き出す。するとその時、突如デルピーが居間方面に全力ダッシュして行った。玄関の隙間から外を覗いていたみかんも引かれるように上りかまちまで戻る。

■新聞が投函される。しばしの間。猫がいないかそれとなく隙間の奥を伺う雰囲気がする。角度的にのけぞった姿勢のみかんは見えないだろう。無言で立ち去るおじさん。ぐああ〜、そのわずか数秒だけがいつもと全然違っちょうが〜!1時間の努力が意味無印良品に。いつも通りの闇の中に立ちつくす私。心にドナドナが聞こえる。

■昼に客人があり、夕刻まで色や形や数の話をして過ごす。客人退室後、その片付けをしながらふと考えた。みかんは昼間でも玄関ドアに隙間があれば外を覗く。夕刊配達時にもドアが開いていればやはり覗くのでは?午後4時55分。よーし、善は急げと居間でみかんを抱き上げたら、玄関で夕刊が来た音がした。ド…ドナドナ…。










■後拾遺集…秋の味覚に関与して

 

■カボチャスープ製作。塩、コショウ、バター、タマネギ1個、カボチャ大1/2、牛乳。順番が大事。皮までバージョンのグリーン色と、実の部分だけの黄色バージョンの2種。作って味見しているうちに、腹膨れちゃうんだよね、こういうのって。愚妻仕事だし。午後に野菜サラダ添えて喰うことにしよう。
(20111014)

■ベランダでプランターに埋めて水だけをやり続けた里芋がそれなりに収穫時を迎えて来たので、1つ分を掘り返す。調理を色々考えたが、動物性蛋白質を入れず、かつ電子レンジも用いずに簡単にできそうなので、里芋の梅干し果肉煮にトライした。美味いんだけれど、作り過ぎた。3日里芋が食卓に並んだ。
(20111019)

■有機のリンゴが毎週のように届くので、サツマイモを1本買ってきて、リンゴ1個と共に小ぶりのザク切りにして、ひたひた水にフルーツシュガーを大サジ刷り切り3つ、リンゴ酢大サジ3つ加えて大胆に加熱してみた。そう時間がかからないうちに火が通ったので喰ってみた。美味し。結構イケるで、これ。
(20111022)



■ベランダで銀杏の果肉を水で洗いながら削いでいく作業をした。この時期はまだ黄葉して落ち葉になっていないので、地上に落下したての実はそんなに臭くない。ビニール手袋して、3度4度と米磨ぎのように削ぎ洗いで種子部分を残す。果肉入りの洗い汁は放射能汚染水のように処理に困ってトイレに放流だ。
(20111024)

■2009年はバジルを栽培してバジルペーストを作るのがマイブームだった。2010年は里芋栽培がマイブーム。そして今年も里芋はベランダで随分取れたのだが、2011年秋のマイブームは銀杏拾いだ。今日も御器所通り、鶴舞公園、若宮通りと一万歩以上歩いてチェックしてきた。まだそんなに臭くないんだよね。
(20111025)










人間の色について(3)



■私たちは電磁波内の特定の帯域を色と感じる。それは380〜780nmというわずか1オクターブ程の帯域だ。しかも私たちは3種の色の受容体と1種の明暗感受特性で無数の色を見ている。私たちの視覚系は全体的には非対称性であり、欠陥や偏性もあるけれど、それでも私たちの見る世界は限りなく鮮やかだ。

■偏りや歪みのない色覚をも味わってみたい。しかし先ずはその前に人間として光と色に満ち溢れた世界として見ることができる奇跡を喜び味わい楽しんでからにしたいと思う。「目に見える眼前の世界というのは人間が共有する壮大な幻覚世界で、本当は色はない」と言いきるには、世界はまだ美し過ぎる。

■可視光線の波長帯域は380〜780nmだが、この中に赤・緑・青(人間にとっての光の3原色)の波長吸収率をプロットしてそのピークを見ると、青は420nm、緑は534nm、赤は564nmである。ここに黄色に相当する510nmを置いて見ると、青・黄・赤の波長比はほぼ6:7:8になっていることが分かる。



■中接球を共有した正6面体と正8面体の体積比は6:8であり、この2者の相貫体である正8−6相貫体のイメージが7に対応する(実際の体積比は9)。また原子番号の6、7、8は炭素、窒素、酸素で、その原子量の比は6:7:8である。なお赤・緑・マゼンタの波長はほぼ5:6:7になっている。

■色光には直接光と間接光の2種類がある。前者は自ら光を発している「光源色」であり、後者は光源に照らされて初めて見える「物体色」である。前者は炎や電灯やネオンサインやホタルなどであり、後者は染料や顔料などほとんどの色だ。天体で言えば前者は太陽で後者は月。身辺の色はほとんど月である。

■「色とは壊れた光である」とは小林秀雄の言葉だ。全てのスペクトル成分が調和した白色(透明)光が物体に当たって調和が壊れ、その一部だけが反射する。 その光が眼に入ることによって「物体色」として認識されるという意味だ。光は壊れない限り、その完全不在と同様に認識することができないのだ。



■私達は人間はドとミの音を同時に聞いても2つの音を聞き分け、決して中間のレ音として聞いたりはしない。しかし550nmにピークを持つ光(緑)と650nmピークを持つ光(赤)の2つを同時に見ると、中間の600nmにピークを持つ1つの光(黄)と認識する。聴覚と視覚の根本的な違いの1つである。

■3つの錐体が受ける刺激の比率によって様々な「色」を感じるわけだが、その刺激は特に錐体の感度ピークに一致している必要はない。スペクトルの2つの色の混合がスペクトルの他の色として知覚される。このように光の成分が違いながら、人間の目には同じ色に見える現象を「メタメリズム」と言う。

■色は物理的な存在であるとともに、人間の感覚を通して認識される存在でもあるということだ。「体を介して姿を形にする」というフレーズ。人間固有の知覚の「色」は「スガタ」であり、その色づける前の有りようが「カタチ」ならば、やはり視覚は「カラダ」の有り様として思考を巡らすに足る意味がある。



■可視光帯域はわずか1オクターブ分だが、スペクトル上の2色の混合がスペクトル上の他の色と知覚上区別がつかない(例:赤+緑⇔黄)。音は1音に多数の倍音があるけれど、オクターブ音と基音を明確に区別できない。あまつさえ存在しない別の倍音まで聞こえてくる。色と音は違えば違うだけ似ている。

■色光の3原色は光と私達の知覚認識の関係なのに対し、色材の3原色は光と物体の反射と私達の知覚認識の関係だから1つややこしい。太陽と地球の関係に対し、太陽と月と地球の関係にも似ている。葉緑素の緑と赤血球の赤を足すと、人間には本来黄色の受容体はないのに、前者は黄色に見える。…自我色?











人間の色について(2)



■今後当分「色」について考えを転がして行こうと思っている。色に関しては古代ギリシアの昔から様々な考察が成されているが、現在はニュートンに始まる客観的で科学的な見地の『光学』の流れと、ゲーテ的な主観的で直観的な『色彩論』の流れと、そして色覚の生理学的・心理学的な諸研究が存在している。

■「色」に関する理解と説明は、世界そのものの実相と言うよりは、むしろ世界を認識し解釈しようとする人間精神そのものの構造であるとも言えるだろう。科学的解釈をそのまま真実であるとするのではなく、その構造自体を見ることで人間の精神の形を自覚しようとする姿勢もまた重要なものになってくる。

■ほとんど全ての言葉には対の言葉がある。つまり分別の概念は常に双対の形で成されている。私たちの論理の前提もまた二元論的もしくは二値的な構造の上に成り立っている。しかし色は明度・彩度・色相という3つの要素で表される。色を一括して表現するには2次元ではなく3次元の立体が適しているのだ。



■また明暗は白と黒が両極にある二元間のスペクトルだが、色彩は赤・緑・青というRGB色光の3原色や、シアン・マゼンタ・イエローというSMY色料の3原色とし3値で解釈され説明されている。これらの3要素の各内部にそれぞれ2元があり、組み合わせると6色、さらに混色すると12色が数えられる。

■もっとも「3要素」という捉え方は色だけではない。音楽の3要素は旋律・和音・拍子であり、音の3要素は音の大きさ・音の高さ・音質である。私たちの空間認識も前後・左右・上下の3軸方向で捉えられている。国家の3要素とは国土・国民・主権であり、経営の3要素とは人・物・金であるなどとも言う。

■さらには社会を構成する3要素は力・金・情であるなどと言う。肥料の3要素は窒素・リン酸・カリウムであり、会話に大切な3要素は話す・聞く・質問するであり、座禅の3要素は調身・調息・調心であるなどと言うように、単に3が扱いやすい数だという理由だけでも、私たちは3要素という表現をする。



■マクドナルドの3要素というものもある。売り上げを伸ばすためのものではなく、夜尿症・放火・動物虐待の3つで、将来の反社会行動を予測する心理学的なものだったりする。3要素ではないが少年ジャンプは創刊当初から「友情・努力・勝利」をコンセプトにして最高発行部数を維持している。話が逸れた。

■人を説得させるのが仕事の者には「ポイントは3つあります」などど言って1と2を説明している間に3つ目を考えていたりする。正確に3つしかないのではなく、多数ある要素の中から任意に3つを選択しているだけなのだ。注意事項を3つ以上言われると、4つ目以降が1番目を押しだすように忘れゆく。

■人間の色覚を360度で表される色環の上で捉えれば、それぞれ180度の位置にある2色対は重ね合わせると理論的には相殺する。理論的には色光であれば白色光となり、色材であれば黒色になる。他にも様々な数量の組み合わせで無色となるが、2元的にも3値的にも同様に相殺するというところが色の特徴だ。



■人間はかつて赤・青・緑・紫の4色の視物質を持っていたが、肉食の爬虫類から逃れるべく長く夜行性の生存様式を余儀なくされていたので2つを失った。やがて1つを回復して現在は赤・青・緑3種の視物質ヨードプシンを有している。これらと明暗を感じる視物質ロドプシンで全色彩を認識しているのだ。

■さて私たちが見ている世界の見え方そのものが人間型ゲシュタルトだという表現をしたが、世の中には色覚異常者が存在する。主に遺伝的に視物質が1〜2つ欠落しているのだが、人間として異常なのではなく少数派であるに過ぎない。4種の視物質者の視座を想定すれば、正常な人間もみな欠陥色覚者なのだ。

■実際にアメリカ女性の5%が赤・橙・緑・青の色覚オプシンを持っているという。3種の者が彼女らをも「色覚異常」と呼ぶのは、多数派の傲慢であろう。4種類の色覚オプシンを持っている人たちはどのような色彩世界を見ているのだろう。ヒトは今後、その「超色覚異常」方向に進化して行くのだろうか?



■ここには2−3−4という進化の数列があるわけではない。4−2−3というスフィンクスの謎掛けの数と解するわけでもない。私たちが意識を進化させれば4色のヨードプシンを有して世界を見ると言うような物質的表現でもない。問題は私たちの「色」というものを再度精査する必要があると言うことだ。










猫々朝日記…寝過ごしとドタキャンと



20111021

■午前3時過ぎにみかんが鳴きながらベッドを周回する。やはり起きたか!しかたなく居間に移動して横たわる。今朝は温かい。台所のドアを開けろと鳴きながらせかすので、猫制御アイテムの1つのクイックルワイパーを稼働する。当家の猫はこれを強敵と認識していて、近づけると飛び退いて逃げる。定時まで静かに頼むなり。

■居間で目の前に時計を置いたまま、3枚座布団で寝たり目覚めたりを繰り返すこと1時間余り。時計が4時34分を指しているのに気付き、慌てて起き上がる。隣りのマンション入り口を窓から眺め下ろす。新聞配達のバイクは停まっていない。まだ来ていないよな新聞。新聞受けを確かめる。ごそ…?うわ、もう来ちょるがー!

■みかんが少し遅れて玄関ドアに到達。明らかに「あれ、まだ開いていないの?」という顔をして、こちらを振り返る。「みーすけ、ごめん。今朝は配達が早かったらしい。申し訳ない、みーたろーさん。」猫の名前を決まっていても、毎回微妙に名前を捩らせて呼ぶのは、私だけではあるまい。みーちょん、みーちょらす…。



■いや、久しぶりに言い訳できないマイミステイク勃発。まごう方なき寝過ごし。ドラゴンズの公式戦も昨日で終わったし、夕べは実に半年ぶりくらいの温泉につかったからだろうか。大名古屋温泉。客が微妙に少なかった。大震災以来ずっとそうなのだろうか。私も温泉巡りをしていないままだ。いやそれにしてもみかん、ごめん。

■今日の朝刊のトップ記事は「カダフィ大佐死亡」だ。穴に隠れていたが、そこで撃たれた怪我が原因で死亡したとのキャプションつきの画像がある。何かいつかイラクで見聞したニュースに似ている。背後に色々なものが暗躍したのだろう。いやこら、話題をすりかえるな、俺。みかん、デルピー、本当にすまん。おじさんもね。



20111023

■午前4時30分に目が覚める。すぐに起きて居間に移動すると、最近は本棚の上の箱に常駐しているみかんがのそりと起き、ゆっくり下りてきた。眼下の隣りを覗くと、もうバイクはいつもの場所に停車中。玄関ドアを少しだけ開けると、もはやみかんはスタンバイOK。デルピーもまるで大物俳優のようにゆうるりと背後に立つ。

■4時48分、玄関に新聞が届く。今日はデルピーが前面に出て、みかんは少し引いて立っている。「おはよう、おりこうだねぇ」といつものように声を掛けると、足早に階段を駆け下りて行った配達員さん。デルピー、ゆっくり居間に退場です。みかんも一声上げた後居間に戻って来た。今日は特に事もなし。…なべて世は事もなし。

■暴風雨の後の今朝は暗いうちに家を出て、そのまま散歩がてら銀杏拾い。夕べ銀杏の実を油で揚げて食べてみたら、思いのほか香ばしくて美味かった。固い外皮を少し割り、封筒に入れて電子レンジでチン…が常識らしいのだが、電子レンジは使いたくないのでフライパンで炒め揚げ。火が加わるとあの翡翠のような薄緑色になる。

■万歩計を付けて御器通りの銀杏並木を鶴舞公園までの往復でほぼチェック。雄樹が雌樹より多いな。ピニール袋にずっしりと収穫した。鶴舞公園の中にも銀杏の樹があった気がしたけれど、何か暗くてよく分からない。6時半少し前に帰宅して、袋に水を加えてベランダに取りあえず放置しておこう。万歩計は5200歩を示している。



20111024

■今朝も3時半からみかんもデルピーも居間に参集して、まるで舞台裏の出待ちモードに。はやるみかんを御しながら、いつもの時間に玄関口をセットする。しかしエレベーターが上がり始めた時、玄関のたたきからデルピーが突然居間方向に離脱。うわわ、みかんは後ずさりして玄関のあがり框に顎を乗せて背中を向けてしまった。

■朝エレベーターが開く。ドアの隙間に誰もいない〜っ。あああああ…。成すすべもなく洗面所で立ちつくす私。新聞が投函される。隙間から少し覗き込み、猫をさがす雰囲気。「ふう〜、んんん…」と言いながら、離れて行くおじさん。角度的にみかんは見えなかったらしい。小一時間待っていてこれかよ、と猫どもにプチ立腹。

■5時。朝からちょっと落ち込んだ気分を転換すべく、昨日散歩して当たりを付けていた若宮大通沿いの街路樹で銀杏拾いを敢行する。この時間帯はほぼ誰もいない。行きは真っ暗だったが、段々明けゆく茜雲が美しかった。東雲の間に下限の三日月が浮かぶ。心身に沁み入る爽やかな朝だ。万歩計で六千歩余り。戻ると猫は寝てた。










人間の色について(1)

 

■この世界は色彩に満ちている。月面や宇宙船の中から地球を眺めると、儚くも限りなく美しい宝石のように見える。色の無い空間にそこだけ生命が宿っている色のある、麗しくも孤独な存在である惑星・地球。しかしそう見え、そう感じること自体が、実は私たちの人間型ゲシュタルトそのものでもあるのだ。

■私たちが「見る」ことができるのは、様々な電磁波の中で380nm〜780nmという帯域、つまり1ミリメートルの1万分の1オーダーの波長の光だけである。それは惑星地球の地上に到達する太陽光の中で生物学的戦略に沿った視覚認識が選択した帯域であり、それ以外の光を私たちは肉眼で見ることはできない。

■月から地球の出を眺めても、月面も背景の宇宙も灰色と黒の茫漠とした世界にしか見えないが、それは私たちの視覚認識が地球上の世界に見るような帯域の光をそこに見ることができないからである。私たちがそこに「色」を見ることができない広大な領域を「色がない世界」と表現するのは冗長な重複表現だ。



■仏教における「色」(しき)とは、一般に言う存在のことだ。色は認識の対象となる物質的現象の総称で、感覚器官(眼・耳・鼻・舌・身・意…特に眼識)の対象を指す。仏教では存在は全て物質的現象と見なされる。五蘊(色・受・想・行・識)の1つである「色」は(肉体を含む)全ての物質を意味する。

■可視光帯域とそれ以外の帯域は非対称ではあるが2元的分別はできる。しかし可視光線以外の全ての帯域の電磁波だけが目に見えないということではない。可視光線の帯域でも補色関係の2つの色の光や適当な3色光を混色しても、全ての可視光帯域のスペクトルを重ね合わせても不可視で透明な白色光となる。

■目に見えるものには全て色がある。色彩のない白・黒・そしてあらゆる灰色も色として捉えてもいいだろう。しかし全ての光を吸収する真の「黒」は反射して目に届く光がないから見ることはできない。また全ての光を反射する真の「白」もまた白色光となる。白色光とは名ばかりで透明なので目に見えない。



■スペクトル中の赤と緑の部分を取り出して混色すると黄色になる。これを私たちはスペクトル中の黄色の部分と区別ができない。前者を再度プリズムに通せば再び赤と緑の光に分かれる。しかし後者を再度プリズムに通しても黄色の光のままである。つまりこの2つの黄色は物理的には全く異なったものである。

■色の見え方には微妙な個人差があるので数値は大まかなものとして表現するが、波長が660nmの赤色光と540nmの緑色光を適切に混色すると、私たちはそれと波長が580nmの黄色光との区別がつかないのだ。この感覚的現象は人間型ゲシュタルト、もしくは人間種の色覚不全による一種の色覚異常なのである。











猫々朝日記…その時初めて外にいた



■午前3時過ぎにみかんが起きて来た。ベッドから這い出て居間に移動する。座布団を3枚並べて横になり、みかんが台所のドアを開けろと騒ぎそうになる度に身を起こす。そうするとみかんが大人しくなるからだ。4時半過ぎ、いつも通りの遭遇準備モードに入る。窓外でパタパタと雨が降ってきた音がする。

■窓から隣りのマンション前から配達のバイクの発進を見た。あとは我が家の玄関に新聞が届くまで、逸るみかんをなだめすかしつつ待つだけだ。4時40分…45分…50分…あれ〜、全然来る気配がないぞ。時々外に咆哮するみかんをその都度押さえつける。55分…5時…。明らかにいつもと違う感じではないか?

■5時10分…15分…20分…。何度も押さえつけられるストレスに耐えかねて、みかんはついに居間に戻ってしまった。何気なくフォローしようとしているデルピーも書庫室や洗面所などで時間を潰している感じだ。5時30分、何の動きもない。今日は休刊日だったっけ?昨日の新聞を見てそうでないことを確認。



■というより、さっき隣りのマンションからバイクが発進するのを見たし。新聞をぶちまけて配達所に戻ったとか?バイクが転倒でもしたのだろうか。遠くで救急車の音がする。さすがにあのサイレンは遠すぎるよな。暗闇の中で1時間も待ち続けていた自分の間抜け姿はさて置き、非常事態が心配になってきた。

■外出着に着替えて、何もなかったであろうことを確認しようと家を出た。外はまだ暗い。雨は上がっている。隣りのマンションから当マンションまでの間にさらに何軒か配達先があったはずなので、そちらの道を歩いてみる。道の角で初見の白黒猫が覗いている。ノラかな?そっと近づいてカリカリを与える。



■その猫の傍をバイクが通過した。あれ、新聞を積んでなかったか?いつもの配達の人?遠目でしか見たことがないので確認できず。何気に目で追跡していたら、うちのマンションの前に停まった。ああ、いつもの配達の人だ。うちの玄関は少し開けたままにしてあるけれど、猫達は居間からまた出てくるのかな。

■猫達が5階の玄関で挨拶を交わせたのか、道路上からは確認するすべもない。後ろからほぼ黒猫のメッシが出現。カバンから餌を出して与える。少し明るくなってきたので、近所の並木を一回りして銀杏を拾うことにした。カバンの中にはビニール袋が2枚。1枚で手を覆って拾い、残る1枚に取り込むのだ。



■信号を渡るとスタバ前に深夜高速バスが停車中だった。御器所には東京直通の高速バス乗り場があるのである。そのバス停の傍の樹下にも銀杏が落ちていた。やはり風雨の強い日は沢山落ちているなあ。御器所通りの銀杏並木にある数本の木の下だけで数十個拾えたのでもういいか。街はもうすぐ黄色に染まる。

■マンションのエレベーターで家に戻る。猫の頭ほどの隙間を開けたままにしてあった我が家の玄関ドア。猫達はおじさんと挨拶ができたのかなと思いつつドアを開けようとすると、下で何か動く気配。デルピーとみかんが覗いてた。ずっといたのか、今音を聞いて出できたのか?うわ、もう6時を回っているよ。 










野良猫メッシと他の猫達

 

■ランチを外食することにした。いつも下りはエレベーターを使わず外に面した階段を下りるのだが、5階から4階に下りる途中で、遠い駐車場に箱座りしていたノラの黒猫メッシが私の姿を視認して動いた。手を振るとトトト…と当マンションの入口に移動し始めた。凄いアイコンタクトだな、こいつと俺。

■この黒猫メッシは正確には白黒猫である。普通の白黒猫の黒部分が背中側からぐーんと伸びて、お腹と胸の一部だけが白い猫を想像してもらいたい。ぱっと見黒猫だが、実は胸と腹に小さな白い星。ノラだからガリガリで、うちのデルピーの1/3程の大きさだが、今日は私に撫でられて嬉しげに見えたなあ。

■メッシはやはり近所に生息する胸と腹だけ白い黒猫ロナウジーニョの子孫だ。推定年齢4〜5歳。顔の形は縦長のエンドウ豆型。腰の背骨周りがガリガリに痩せている。少なくとも2度、病気でボロボロになって死にかけている。死ぬ前にせめてお腹だけでも膨らせてやろうと、毎日餌をカバンに入れていた。



■最初はノラなのでびくびく姿を見て、それにまた人間が腹を立ててきつく接したりしたのだろうと推測できる警戒のしようだった。顔を合わせばカリカリをあげ、雨の日が続けばちょっぱり心配してみたりした。ノラだから完全に頼り切らせるのも良くないと、短からぬ時をかけて程好い距離感を構築してきた。

■近所の野良猫地図は、年に何回か塗り替えられる。人事異動のように、もしくは力学的に1匹が動くと別の猫達に連動して、はじき出されるものもあれば生まれ死ぬものもあるだろう。突然戻って来る者も有れば、飼い猫も混ざった猫集会もあるようだ。トッティ、ルーニー、ファンニ…みんないなくなった。

■そうそう、今日ランチを取った近所の喫茶コンパルでノートPCを開いてわざわざこのほぼ黒猫メッシとの邂逅を書こうと思ったそもそもの理由は、先ほどエサを与えた時に、カリカリをろくに食べずにまとわりついてきたので、その頭を撫で回した時の「生き物の温かさ」を忘れたくなかったからだった。



■今日間近で確認したら、左の牙が欠けていた。微妙に目ヤニも出ている。喫茶店に入ってすぐに、散々撫でてやった右手をトイレで洗った自分がちょっと恥かしい。ノラ猫たちの幸不幸が何かも知らぬまま、そやつらが幸せでありますようにと祈るなどおこがましいけれど、偽善者でもいいから今は祈るよ。










猫々朝日記…中日ついに優勝す



20111017

■3時半。みかん、深夜の猫咆哮開始。あの手この手で鳴き止ませようとするが、台所のドアの前で鳴き止まず。このドアを開けたら玄関のドアの前でマンション中に響き渡るほどの大声で鳴き続けるだろうから、台所のドアを死守すべく、今日はついに禁断の猫黙らせる紙ガムテープを首筋に張るの術を解禁だ。

■仔猫時に母猫に咥えられて運ばれるための条件反射が残る首筋つまみ。人間が猫尻を支えつつの首筋つまみでも大人しくなるが、長いこと続けるのは至難の業。しかも頭は朦朧、体も半眠り状態の未明の私は、握る手にも力が入らない。そこで首筋にガムテープ片を軽く貼り付けるか、へたり込んで静かになる。

■時々可哀そうに思ってゆっくり剥がしてやると、すぐに鳴き声開始。揺すったりさすったりしばらくなだめすかすがやがて、またガムテープ。猫の後頭部界隈での攻防戦の果てに、やがて4時43分、新聞配達、玄関に到着。「おはよう、いい子だねえ。」2匹満足して居間に戻る。疲労残れど今朝も完遂できた。



20111018

■ふと目が覚めて時計を見る。午前4時20分。猫たちは寝ているようだ。押し入れ上段に手を伸ばしてみる。爪が手の先を掴んでぐいぐいと引きずる。みかん、もう起きちょる。デルピーもむっくり起きてきた。また咆哮始めるのかと思っていると、みかん、居間に置いてあったダンボール箱にジャンプイン。

■このダンボールは新米を送ってくれた新潟のいとこにきしめん等を送るために準備した空箱だが、このおかげで今日は謎の猫絶叫は回避できた。4時30分、隣りのマンションにバイク到着。窓から覗くと、その向うを自転車の光が右から左に通過した。そうか、この自転車の人も毎朝時間通り走っているのだな。

■玄関のドアに隙間をこしらえると、みかんが猛ダッシュしてスタンバる。またドタキャンされないように、ダンボール箱を廊下に移動すると、空くのを待ってたデルピーがそこに飛び込んだ。いつも通りエレベーターが開く。ドア口で大声で鳴いたみかんに対し「お早う、賢いねぇ」といつものおじさんの声。

■デルピー、闇の中の箱だけで、その中にいたおまえの姿までは多分見えなかったと思うぞ。それにしても早朝の気温がずいぶんと冷たく感じる。微妙に頭痛がする。風邪か?ミッション終了して居間で寛いでいる2匹に、御苦労さまと猫缶を贈呈した。見事にペロ喰い。さて新聞を開いて見ることにしようかな。



20111019

■午前2時半、居間でみかんの恐怖の鳴き声がする。鳴き止まないので居間に移動する。何やら風邪の引き始め特有の頭痛がする。元気ならすぐに霧消させられるのだが、深夜に猫を撫でたりジャラしたりしつつ永遠に続くように長い時間を過ごすので無理〜。時にはガムテープを剥がすペリペリ音でアラートを。

■4時35分、何も掛けずに居間で横になっている自分に気づく。寒い。猫ジャラシしてて寝落ち。当のみかんは本棚上の箱の中でちゃっかり寝ちょる。窓から隣を見ると配達のバイクがもう停まっている。急いでみかんを揺すって起こし、玄関のドアに隙間を作る。みかん出陣。デルピーがまたのっそり合流だ。

■エレベーターが開く。「ふう〜、よいしょ。おはよう、賢いねえ」とおじさんのいつもの声。流れ込む外気、かなり寒し。猫2匹玄関から居間にはける。バイクが走り去ったことを確認して新聞を取りだす。トップ記事は「中日連覇」。昨日の横浜で3−3の引き分けで優勝が確定。今日はドーム最終戦を観戦。



■実は愚妻がずいぶん前から今日のドーム内野席を押さえてあったので、私も行かねばならないのだ。今日本拠地で胴上げをリアルタイムで目撃することを目論んでいたのだが、昨日の引き分けで勝ち半分だけ及ばなかった。ホームだから改めてイベントがあるかな。猫には優勝の御裾分けに鮪のさしみでも…。

■makomoさんからみかんはなぜドタキャンするのかという問いがあった。その前になぜ配達員さんと朝の挨拶をするのかという謎に立ち戻らねばならない。なぜホニャー鳴きをするのか、なぜ朝早くに目覚めているのか等謎だらけだ。ドタキャンする1つの理由は多分私に対する何らかの意思表示なのだろうな。

■デルピーも嫌なことがあったりすると、布団の端にオシッコして、バレバレなのにあくまでシラを切り通したりする。現行犯逮捕でなければ罰せずルールなので、その度にシーツを洗濯する私である。その時はみかんが優しくすり寄ってフォローしてくれる。あれ…こいつらひょっとしてツルんでるのちゃうか?



20111020

■3時20分にみかんが目を覚ますことが多いことが今朝分かった。それから4時45分まで、騒がぬように猫を騙し、あやし、脅し、懐柔しつつ過ごす。今日は特にいつもと異なることはなく無事未明の挨拶を済ませられた。新聞配達のおじさんの今日のセリフは「おはよう、お利口だねえ…」だったな。

■猫々朝日記。時計や文字を光の中で見てから急に闇の中に目を移すと、最初は真っ暗で何も見えないけれど、段々慣れてくる。これを専門用語で「暗順応」というらしい。片目を最初からつむっておけば、光の感受性は暗闇の中でも最初から高いままなんだけれどね。逆は「明順応」。単なる言葉ではあるが。

■朝刊のスポーツ欄に、昨夜のドーム最終戦のことが載っている。愚妻に乗せられて昨日はバックネット裏席から観戦したのだけれど、試合終了後の「落合!落合!」というコールや、偶数イニングの合間に多くの人たちが66番のカードを一斉に持ち上げて意志表示していたのには、やはり心が動かされたなあ。










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