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猫々朝日記…人間の1年の終わり

20111229 



■昨日たっぷり昼寝をしたので、夜っぴいて眠れない。結局アニマックスでやっていた『頭文字D』の連続放送を朝までぶっ通しで見た。3時半頃に今年最後の資源ゴミを出し、猫エサを猫木立ちの茂みに夕べ買って来て茹でた小アジの残りとカリカリを置きに行って、それから新聞配達に備えても全然余裕だ。

■39分、あやうく見逃すところだったが、いつもより遅目にバイクがきて隣りのマンションの影に隠れて停まった。43分、そのバイクが発進する。そのマンション1階ドアの新聞受けを見る。当然だが新聞が入っている。ここに新聞があるかないかを見れば配達の前か後か分かるということにようやく気付いた。

■48分、ここのエレベーターが動き出す。玄関のドアには早々にはずっとみかんがへばりしいている。デルピーも並びに来た。私は洗面所のドアを閉めて気配を消す。「おお、おはよう。…ほーれ、ほれっ。」と配達員さんの声。みかんの頭を撫でようとしたみたいだ。デルピーはまたお尻向けている感じだな。

20111230



■今日も朝まで『頭文字D』を6時間ぶっ通して見た。こういう話だったのか。4時20分頃からTV画面を見ながら、隣りのマンションに新聞配達のバイクが来たかどうかもちょくちょくチェック。みかんは私がずっと起きたままなので、いつもとノリが違うと感じつつも、時間が近くなるとやはり鳴き始める。

■39分に隣りからバイクが発進したのが見えた。アニメの最後のバトルを落ち着いて見られないまま、45分に新聞配達のおじさんが玄関に到達する。「おほ…、おはよう」と猫の顔を見るなり声を出す。新聞を配達した後「ほいっ、ほれ…」とみかんの頭を撫でているようだけれど、この位置からは見えない。



■デルピーは今日も玄関まで行きながら尻を向けている。挨拶が終わると、2匹はあっさり撤収だ。猫缶オープン。小アジの残り、猫缶の残り、カリカリを袋に詰めて、下の野良猫用に置いて来る。『頭文字D』のクライマックスシーンだけ眠くて覚えていない。さて、年末年始も「猫玄関」は続くのだろうか?

■徹夜明けで朝の6時過ぎにベッドに潜り込んで寝た。9時半に目が覚めると、何か身動きが取れない。立てた足の下にはみかん、左腕の中にはデルピーがへばり付いて寝ている。猫式強引足シェルター&強引腕枕だ。布団の中では無意識に猫をかばおうとする癖を利用されてんだけど、温かいからいっか。

20111231



■3日ぶりにベッドで眠ったのだが、4時10分過ぎにやっぱり目が覚める。居間のこたつの中を覗くと、ゆうべ寝る前に湯たんぽを入れておいたので、スイッチを切ってあるのに猫が2匹入って眠っていた。ところで今日はもう大晦日。時節の速度は心の準備より常に先を行く。部屋もPCの中も掃除しなくては。

■4時40分、隣りのマンションの陰に配達バイクが到着する。ぼうしにマスクに厚い上着。完防寒全装備だ。46分、上の階から降りて来ながら順次配達を終えて発進する。玄関に続く台所ドアの前でみかんが「にゃ〜う〜ん」と繰り返し鳴いている。どういう意味?こたつの中のぬくぬくデルピーを強勢動員。



■51分、エレベーターが開くとすぐに配達員さんの「うほほ…」という声。猫の顔を見たからなのか、単なる吐きだす息の音なのか。新聞を押しこむと「おはよ…ふふふ…」と言って1〜2秒の沈黙。おそらくみかんたちを覗きこんでくれている間だ。そしてすぐに走り出し、階段を駆け下りていく。無言の猫。

■31日分の新聞はいつもと変わらない厚さだった。あの分厚い3が日分の新聞はいつ配達されるのだろう。やはり元旦の朝か?すると明日も早起きするの、私?猫には大晦日も元旦も関係ないからなあ。何にせよ、デルピー&みかん、配達員のおじさん、何か良く分からないけれど今年は御苦労様でした、はい。











猫々朝日記…玄関ドア越しの雪

20111225



■頭痛。昨日の寒波の中、名古屋能楽堂まで久しぶりに外出したからか?それとも『パンク歌舞伎リア王』の斬新さとエンターテイメント性にやられたか?いや実にこの作品を観られて幸せだった。昼の部を観た後、続けて夜の部も観ようかと真剣に考えたよ。で、余韻と共にウィルスにも浸った?

■午前3時過ぎにトイレに立つ。ここで起きたら猫が目を覚まして騒ぐだろうから我慢しようと思ったのだが、膀胱内圧力が許さなかった。案の定、みかんが本棚上からゆっくり登場だ。僅か数秒の邂逅に1時間半のフライングだよ、おまえ。てか、なぜデルピーまで起きてくる?居間を高速暖房化。

■4時29分、隣りのマンション横から配達バイクが発進するが窓から見えた。あやうく見逃すところだった。これで逆算すれば当家の玄関前到着は5分後の34分…になるはずだった。しかし全然やってこない。バイクの音すら聞こえないまま。猫たち、玄関ドアの隙間から吹き込む寒風に後ずさり。



■玄関口で鳴き歌うみかんを制しようと抱き上げると、ぷるぷると震えていた。これはいかんと一時全員居間に撤退。ドアの隙間からエレベーター階表示ランプが見えるようにために台所は半開きのままで、冬の冷気と人工の暖気が部屋の真ん中で組んずほぐれつ。みかん、何度も玄関をチェック。

■50分、新聞配達のおじさんがようやく玄関前に到着する。20分間も待っていたのか。おじさん、エレベーターから出るとすぐに「うふふ…、おはよ」と猫たちに声かける。数秒後、猫2匹居間に超ダッシュ戻り。やはりデラ寒かったんだな。レトルト猫餌をお礼に開ける。ておい、喰い付かんし。

■1つ分かったこと。隣りのマンション横から配達バイクが発進してからいつもより時間がかかる時は、いつも新聞にはビニールがかかっている。この操作で何らかの時間がかかるのか。寒空の下の野良チビが気にかかり、夜陰に隠れてカリカリなどを茂みにてんこ盛りした。猫関与時は頭痛消滅。

20111226



■午前4時15分、いつものように目が覚める。半ば無意識にベッドを出ようとして、尋常ではない外の雰囲気に気がついた。外、雪だよ、雪。しかも窓から覗くとまだガンガン降っているし。さすがに今日は中止だろう。雪の降る未明に玄関ドアが少しだけ開けてあるっての、不自然の超極みだし。

■窓の外はピタン、タンタン、ピタン、タン…とかって、雪降ってるのに雪解け水の音?何々?なんにほよ、雪の日は中止!さて二度寝、二度寝。と思ったら、居間の方から「あおん、あおぅん…」と鳴き声。ミカンかよ。何起きてんだよ。外の雪見て今日は終わりな。ドアノブがヤバい冷たさだ。

■みかん、玄関を少し開けたら身を切る冷気。マジ、ヤバいよ今朝は。おい、みかん、もういいだろ、閉めるぞ。て、みかんの顔見たら、何かハイになってるし。撤収、撤収ぅ〜。でも一応、机の横の窓から隣のマンションを覗いてみる。雪、積もってます。これじゃあバイクを転がすだけでも大変。



■40分、デルピーが堂々と猫ハウスから出て来た。ないって、今日は。何みんなして、雨の日も風の日も、そして雪の日さえも…って、忠犬ハチ公みたいな話にしようとしてんだよ。窓の外を見て、まだバイクが来ていないのを確認してから、寝るぞおいっ。あれ、さっきはなかった雪轍と足跡?

■双眼鏡を取りだして、雪上の足跡を確認する。確かに新しい。その視野の中に人影が入って来た。若い男女が寄り添って歩いている。この時間に雪道の中で何やってんだよ!いや、ただ歩いてるだけだけれど、これじゃ覗いている私が変態っぽい立場やん。あ、その横から配達バイクが発進した。

■しかたない、さっき玄関ドアに隙間を作っておいたままだし、みかんも玄関と居間を行ったり来たりしているから、行くか?とデルピーをパネルヒーターの前からべりっと引き剥がして玄関に移動。ふぐぬぅ、足元の冷えハンパねえし。矢でも鉄砲でも持って降って来やがれっ…って、雪ですけど。



■一番ハイになっているのが自分かもと思い直しつつ、5時を回ること3分、3階に停まっていたエレベーターが1階に降りて行き、そして昇って来る。配達しながらだからなのだろう、各階ごとに止まっている。来た!おじさんが出て来て猫に言う。「おはよう、雪だよっ!…ふふぅ…雪だよ。」

■転ばないようにゆっくり階段を降りようとして、戻ってきてまたエレベーターで4階に降りて行った。当マンションは5階から4階への階段だけに屋根がないので、雪が積もって降りれなかったらしい。デルピーの居間への戻りスピード、過去最速を記録。遠くで消防車のサイレンがする。火事?

■新聞を回収して居間に戻りつつ思った。ああ、今日もやっちまった。ひょっとしてこれでこの冬ずっと続けるべき道を切り開いてしまった気がする。自縄自縛。忠犬ハチ公モードって自分じゃん。いなばの猫缶とろ鰹でねぎらう。うう…冷えてお腹が痛いの思い出した。外の雪は止んだようだけど。

20111227



■目が覚める。時計を見る。4時30分ジャスト。ぬららと起きる。今朝は猫が騒がない。デルピーがこたつの中で寝てた。数時間前にスイッチを切って、代わりに湯たんぽいれといたからだ。みかんは本棚の上の猫キャリーの中で冬眠中のヤマネ状態。窓から隣りを覗く。バイクの尻がちょい見え。

■みかんを起こすために手を伸ばす。わっしと両手挟み。痛い痛い、甘掴み痛いって。寝ぼけ気味でゴロゴロ言ってるし。こたつでまったり中のデルピーに急いで登場願う。玄関下でバイクのブレーキ音。猫2匹と玄関ドアに向かう。超寒いし!あ、あわてて靴下なしのTシャツ姿だった。即着衣。

■エレベーターから出できた配達員さん、新聞投函と同時に猫を見て「ふふふ…おはよう」とだけ言う。すぐにそこを離れて階段で降りようとして、途中から戻ってきてエレベーターで4階へ。雪解水が凍結してて危ないんだろうな。居間に戻って海缶かつおとまぐろを感謝と共に供与。寒いなおい。



■それにしてもそっき玄関ドアでみかんが突然ドアの結露をショリショリと舐め始めたのにはたまげたな。寝起きざまで喉が渇いていたんだな。すまんな、ちょい無理強いモードで。私は今からチビ野良猫たち用に、夜陰に紛れて猫立木の中にキャットフードをプロバイドして来るわ。5時10分。

■今朝は先ず猫立木の中の猫トレイにテンコ盛り…ちょっと待て、雪が積もった後だぞ。案の定トレイの中は雪解水でいっぱい。それを流し出してからテンコ盛りコンプリート。寒いから速攻戻りしようとしたら、道の反対側から「ほぼ黒猫」が1匹、私を見つけて猫一直線。残るカリカリを供出。

■玄関前に戻って、猫舞台と逆の四つ辻を見ると、ネット塀の中にポチッと黒いものが。単なる影だろうと思いつつ、近づいて行って確認する。うわ、やっぱ黒猫じゃん!しかも初見のちょい大きめの奴。最初にテンコ盛りした猫立木まで戻って一握りつかみ、それをあげるとゆっくり喰っとった。



■襟をかき抱きながら部屋に戻る時、ふとこれに哲学はあるのか?と問うてみた。別にないんじゃね?というのが第1答。後付けでいろいろ正当化や意味づけはできるけれど、哲学なくても多分同じことしているし。第2答…哲学はあるのか?の発問自体が哲学者以外にはさして価値なきこともある。



20111228

■午前1時半。みかんとデルピー、夜中のパーティーか?走り回り大騒ぎ止まず。居間に行き、こたつに入り睨みを効かそうとするがさして効果なし。しかしこたつに飛び込んだら、そこが温かいので外に出ない。そこでじっとしててくれよ。しかしあと3時間もあるのかと思いつつそこで寝落ち。

■こたつで寝るのもいいんだけれど、寝返りがしにくいんだよな。横向きに寝るのも猫と共存だとしにくいし。肩が出てると寒いというより痛い感じなんだよね。寝れないじゃんと思いつつしっかり眠っていて、4時15分に目が覚めた。猫…猫はどこだ?こたつの中を覗くと2匹と目が合った。

■曇ったガラス窓から外を見る。駐車場にはまだ屋根に雪が乗っている車もある。雪は勘弁だが、唯一の利点は足跡やバイクの轍が雪上に残るということだ。今朝はまたバイクが未到着なのかもう出た後なのかが分からない。また双眼鏡を持ち出して覗くと、マンションの端にバイクの尻が見えた。



■37分、Uターンして発進するバイク。廊下に続くドアを開けると、みかんはすっ飛んで玄関ドアの前に。あのさ、ちょっと寒さのせいかお腹いたいんだけどさ…。みかん、全くお構いなし。デルピーを探しに居間に戻ると、もうこたつにはいない。闇の中の黒猫はどこでしょう?…ってクイズかよ!

■エレベーター、来た。台所ドアの裏にデルピーの気配感じるんだけれど、もう今からだと配達員さんの視野に入っちゃう。諦めて今日はみかんにミッションを託す。「おお〜う、おはよう」と今朝も少しそっけな気にだけれど、みかんに挨拶をしてくれる。デルピーのそりとお出まし。遅いよ!

■気がつくともう完全に年の背カウントダウンだ。しかし野良チビたちは気になる。野良には年末年始は関係ない。茶の小筒に多めにカリカリ詰め込んで出発だ。おっと、その前に猫どもに猫缶開けて、と。人気も猫気もない道。猫木立の白い猫用トレイに、茶筒からザザーッとカリカリを入れる。



■で、少し筒に残したけれど、立ち去る前に思い直して全部出す。あげると野良猫が居つくというけれど、死んだらそれもなかろう。明日が世界の終わりでもやるし!と力んでみる。視座の反転にと、隣りのマンションのバイク停車ポジションからうちの窓辺を撮ってみた。…さて、マック行くべか。









 


半人半馬から二而不二に



■1■人魚と言っても中国・日本・その他の地域で様々な種類や形状のものがあるが、私たちの多くは先ず上半身が美しく若い女性で下半身は魚類の、あの西洋のマーメイドをイメージするだろう。ルネ・マグリットは『集合的発明』(1935)という作品で、この「半人半魚」の固定概念をみごとに反転させた。

■2■他にも人間と他の生き物とのキメラ的な仮想の混成生物は多々ある。ギリシア神話には上半身が人間で下半身が馬の姿のケンタウロスという怪物がいる。ギリシア人が東方の騎馬民族を擬人化したものという説もあるが、「半人半馬」もまた、それぞれ半々であるがゆえに、その反転した姿も想定できる。



■3■ネットを検索している最中に、まさにその反転したケンタウロスの図と遭遇した。この発想を見せられればすぐに成程と思うけれど、初見時はこの絵の何とも言えないユーモアと情けなさに温かいショックを感じてしまった。この絵の新しいところは、それぞれの反転対が顔を合わすというところだろう。

■4■どちらメインでもいいが、半神半人(or半獣半人)が単体でいる時を<1>とし、その半々が反転したものを<2>と据えると、このある意味双対である反転の片割れ同士が出会うことが<3>と捉えられよう。すると<4>はこの双対関係にあるものを等価もしくは1つと見る視座そのものとなろうか。



■5■シュメールに先立つ神話としてペルシア湾より姿を現し、昼は陸地で人間に文明を教え、夜は海の底に帰ったという半人半魚(or半神半人)の魚人もいた。背面が魚の姿で腹面が人間の特徴を持つあの魚人オアンネスだ。この人間より優れたものの存在からは、内外その他の反転も有ることが想起できる。

■6■私たちは今ここに自覚できる心身だけを「自分」と捉えているが、もう1人の自分、片割れ、もしくは相方が生まれた時からずっとこの世界のどこかに存在するという発想そのものは、古くからある。トーテムアニマル、次元の分身、夢見の体、守護天使、光の体、自らの半神、雷で分断された男女等々…。



■7■語源的には自分の「分」は本来の性質である「本分」つまり自らの力量を指す語であると分析されているが、この語を「自らを分ける」と捉えてその分けられた片方のみを自分と自得していると考えるのも面白かろう。いかなる想定外も起こり得る現今、自らの片割れに遭遇し得る未来もあるかもしれない。

■8■引っ繰り返ったケンタウロスから話を随分引っ張り過ぎた気もする。しかしもし自らをケンタウロスだと自覚していたとしても、実は自分はこの情けない方であるのかも知れないのだ。ずっと片割れに出会わないままも有りだ。しかし2の逆数の1/2が1つとなるこんな二而不二もあるのではなかろうか?



■9■その片割れが自分が自覚できない全無意識なのか、自分以外の全人類なのか、自分だけが交神できるメタローグの相手なのか、自分にとっての世界そのものなのか?暦に2と1ばかりの数列が続くが、究極の反転界面と解されている1年後の冬至の日の向こうに進むべきは、0に戻る道ではなく3の方向だ。

■10■最後まで「自分」にとっての片割れであり双対である「分自」といつでも出会える準備だけはしておいてもいいだろう。もし万が一出会うことがないとしても、それが「究極の自己他者問題」の1つの解なのではないか?時すらもひっくり返して鑑みるならば、今この瞬間にも出会っているのかもしれない。










『パンク歌舞伎リア王』を見て

 

■1■『パンク歌舞伎リア王』の講演日程である12月22日〜25日について考えた。22日(2011年冬至)、23日(今上天皇誕生日)、24日(クリスマスイヴ)、25日(クリスマス)とくる流れは太陽の再生(翌日より昼がだんだん長くなる)も含めて復活・新生・誕生のシリーズでもある。ぴったりだと思う。

■2■私は暦の日付の思考を抜いた機械的な繰り返しや、国体行事や歴史的後付け誕生日などを鵜呑みにするつもりはないが、この師走下旬前半のものごとの区切りとリボーンのシリーズは、今までにないものの登場に相応しい。そういえば昭和天皇が即位したのも12月25日(1926年・大正15年)だったなあ。

■3■『パンク歌舞伎リア王』の内容そのものはものごとの徹底的な破壊・破滅に様々なエンターテイメントを盛り込んだ、具の方が圧倒的に多い美味この上ないサンドイッチだった。何度も見なければ分からない細々とした細工や挿入芸。しかし何度も上演できない作品でもある。臨場というものの醍醐味。



■4■各業界トップの共演と配置は壮大な実験でもあり、演出の勝利であろう。完璧であると言ってしまえばそれはもう終わっているという評価だから、何様気取りでもそれは口に出せないけれど、未見の異種間格闘技のような(アリアと日本舞踊など)互いに信頼しつつ火花を散らすフュージョンだらけだ。

■5■場面転換の早さも今年は際だっていた。安全上の設定とは言えフットライトも2時間だけ消したらもっと完璧だったかも。観客席までは見出しての演出とセリフ、剣劇動作を花道を使って多人数でコマ送りのフラッシュ画像のように進める演出、壁に光で描く雨や心理の効果等、数え上げたら切りがない。

■6■1本何千万もするらしい柱の間の広からぬスペースで、恐れることなく立ち回る殺陣や踊りや劇筋の目まぐるしき快感。創作衣装。飽和する見どころ。そして見事にフィットしていたタートルアイランドの音楽。プロも師範も達人もいるけど、この最高の河原乞食たち全員にスタンディングオベーションだ。



■7■あと今回一番目を引いたのは「道化」であろう。リア王の原さんとの掛け合いや相乗効果もあったが、個人的インパクトとしては、あの発声・動作・キレ・表情などはちょっとした超常現象だった。この動きをコピーしようとするだけで心身向上間違いなし。いや、捻挫や筋違いや骨折や脳挫傷続出かも。

■8■大胆過ぎる話の端折り方と、玉石混交異物挿入にもかかわらず、主要キャスト同士のやりとりから群舞や群闘シーンまで安定した統一感があるのは、特殊だが独特なコンセプトを有する舞台衣装と共に、動きの多くがすり足を基本にしているからであろうか。体を動かす難しさと楽しさ。私も体鍛えよう。

■9■みんながとうに思っている事かも知れないけれしど、昨日の『パンク歌舞伎リア王』では特に原智彦氏があの『指輪物語』のガンダルフに見えた。で、そのガンダルフ役をやった俳優を調べたらサー・イアン・マーレイ・マッケランというイギリス出身の俳優だった。なんだ、素顔も似てるじゃん。ちえっ。











猫々朝日記…年末の寒波襲来

20111221



■猫々朝日記。4時20分、自然に目が覚める。時計を見てから居間に移動する。デルピーは棚の上の猫ハウスの中で、みかんは今の本棚の上の猫カゴの中で眠っている。もうこのまま眠らせておこうかと思ったが、謎の解明がまだなのでツンツン突いてゆっくり起きてもらう。無理強いかどうか微妙なところ。

■猫々朝日記。台所ドアの前には今朝出すまとめて縛りあげた古新聞の山がある。玄関のドアを少しだけ開けるとみかんが走ってきて鳴き始める。デルピーはというと、もう朝の遭遇劇には興味がないのか、昨日出したこたつの横でストライキ。尻を押しても動かない。キーッとバイクの遠いブレーキ音がした。

■猫々朝日記。34分、いつもより少し早くエレベーターが動き出す。みかんを廊下に移して、デルピーにも重い尻を上げてもらい、玄関に移動する。5階に到着したエレベーターから配達員さんが出できた。みかんだけ立つ。「お、おはよう…、いいこだねぇ」言葉の響きに、おお、今日はいるのかという感じが。



■猫々朝日記。走り去る配達員さんにデルピーは見向きもせず。猫を居間に戻してから、玄関の外に出て、こちらの姿が見えないようにしつつ行方を目で追ってみた。前の通りの猫舞台正面にあるマンションにバイクが停めてあり、4階、3階と配達しながら降りてくる姿が見えた。このルートは変わっていない。

■猫々朝日記。眠る猫を起こしてわざわざ玄関口まで連れて行くことは明らかに不自然だから、未明の配達員さんと猫との玄関遭遇イベントもそろそろ潮時かなと考える。ひとりよがりの王国に引きずり込むことなく、明日のことはは明日考えよう。レトルト猫餌完食です。…ぐわ、みかん、早速全戻しかよ〜。

■猫々朝日記。その横でみかんの喰い残しをねらっていたデルピー、さすがに戻したやつは喰わないのか。と見ている間にデルピーもみかんも自分のねぐらに戻って行った。さて早々に古新聞の山をマンション入口まで出してから、外の野良猫に焼きサバの残りでも置いてくるべか。それから私もねぐらに戻るべ。

20111222



■猫々朝日記。午前4時、トイレに起きる。4時間前、寝しなにがっつり食べたおでんのせいで、お腹がちょっと気持ち悪い。猫たちが起きてこなければ今日からは朝玄関イベントの中止もと考えたが、5分にみかんが、そして10分にデルピーがそれぞれのねぐらから居間に集まって来た。今日も実行である。

■猫々朝日記。27分、窓からチラ見した時、隣りのマンション前の道を横切るバイクのライトを確認した。なるほど、雨の日のようにそのまま建物の壁の向こうまで行って、死角に停車するのか。これは停車時か発車時を視認できなければ、視界を横切る1〜2秒を見逃してしまうわけだ。ちょっと早いし。

■猫々朝日記。みかん、お約束のように台所のドア前で鳴き始める。32分、またもやチラ見で窓の外にUターンするバイクの赤いランプを確認した。OK、OK、玄関のドアに猫覗き幅の隙間をセットする。みかんスタンバイ。一方のデルピーは横に丸穴を開けたでかい猫ダンボール箱に入って籠城開始かよ。



■猫々朝日記。37分、エレベーターが上がってきて開く。配達のおじさん、隙間を見るなり「おほう?」と声。「おはよう、んー、いいこだねえ」と腰を屈めてみかんに言う。デルピーは廊下の端で尻を向けている。おまえ、そこまで来て何しとん?居間に戻っていなばの焼かつおほたて味を与える。大人気。

■他人のことはいざ知らずだが、自分自身に関して言えば、身辺が乱雑になり整理整頓や掃除が必要な状況で、それを面倒臭がったり他人の尻拭いをなぜ自分が…などと自己憐憫する時は、自分自身の中で「世界に対する感謝と慈しみ」が眠りこけているのだと自覚した。掃除は自他への創造的関与の第一歩。

20111223

■猫々朝日記。午前3時40分、2時間ほど前にみかんがしきりにベッドの布団の上に乗ってきて鳴くので、半分眠りながら頭の隅で新しい布団におしっこをされてはかなわないと思い、何度も振り落とした事を思い出した。ひょっとして寒かったのかもと考えたら、居てもたってもいられなくなって居間に。



■猫々朝日記。みかん、本棚上の猫用キャリーバッグの中で眠っていた。昨日、今冬初めてのゆたんぽを作ったら、みかんがその上で満足そうにしていたのを思い出した。自責の念を感じて撫でると、目を覚ましたみかんはいつも通り床に降りて来た。さすが猫、過去に執着せずに、膝の上でごろごろいってる。

■猫々朝日記。それにしても新聞配達の現在位置が分からないので、手探りのまま闇を進むような感じだ。30分、あたりをつけて取りあえず玄関ドアを少し開ける。隙間から今年一番の寒気が吹き込んできた。寝室の窓から隣りを覗ったりしているうちにバイクの音が聞こえた。43分、エレベーター稼働。

■猫々朝日記。パネルヒーター前から微動だにしないデルピーを引き剥がして廊下に来てもらう。エレベーターオープン!配達のおじさんがみかんを見て、「おはよう…おはよ」と言う。走り去って行くのを見ると、みかんは大声で鳴く。デルピーは床でうずくまったままだ。ガイズ、取りあえず猫缶をどうぞ。

20111224



■猫々朝日記。今朝も3時前にみかんが台所のドアの当たりで大声で鳴き散らしている。珍しい節があるのでひょっとして歌っているのかもしれないけれど、ある意味単なる近所迷惑。しかたなしに居間まで行き、こたつに足を突っ込んで暖を取る。騒ぎ過ぎのみかんの尻にスリッパで軽く諌めのペシッを一発。

■猫々朝日記。デルピーはずっとこたつでヌシ状態。みかんは横たわる私の上に箱座り。昨夜また寝る前にコンビニ弁当食べたので不快な胃が癒される。感謝、感謝。窓から隣のマンションを覗こうとするが、温度差が大きすぎて真っ白で見えない。みかんが窓辺に飛び乗るとその形だけ魚拓のように透き通る。

■猫々朝日記。4時30分、配達バイクが隣りに到達して、バイクの尻の一部だけ見える位置で停車した。これで後の流れは大体予測がつく。34分、そこを発車して、41分には当マンションの入り口付近でブレーキ音をさせる。玄関ドアに隙間を作ったら、デルピーが自主的にこたつを出て玄関に顔を見せた。



■猫々朝日記。エレベーターが5階に到着する。今日はいつもの挨拶ではなく「んふふ…ほいっ」という声がした。珍しくドアの隙間から小さな雁首(猫首だが)が2つ縦に並んでいるのを見て、しゃがみこんで頭を撫でたのだろう。「んが!」とみかんの声。再び「はは…ほれっ」と声。多分猫撫でリトライ。

■猫々朝日記。走り去る配達員さんの足取りに、勝手にちょっとした満足感を上乗せ知覚する私。5秒後、2つの猫弾丸が居間に超速撤収。今朝の猫パフォーマンスは久々に満足だよ、うん。微妙な期待感を感じて、いなば食品の「焼かつおしらす味」を献上する。これランコス高いんだけどまた買ってくるよ。

■猫々朝日記。冷蔵庫から牛乳を出して飲んでいると、デルピーが何か言いたげな目で見上げている気がしたので、小皿に少しだけ牛乳を入れて与えてみる。飲んだ!驚くべきことだ。一般の猫はそうでもないかも知れないけれど、当家の猫は、生後間もない頃スポイトで与えた専用ミルク以外飲まなかったのだ。



■猫々朝日記。さて今日は愚妻も出演する原さんの「パンク歌舞伎リア王」を観に名古屋能楽堂に行く予定だから、プチ2度寝するべい。それにしてもこの寒さ。うわ、外気はマイナス1度かよ。昼の最高気温予測でも6度C。厚着していかねば。うわ、午後1時から瑞穂で天皇杯グランパスvsマリノスかよ。

■猫々朝日記+。午前10時ちょい前。朝ゆず湯にゆっくりつかっていると、何やら愚妻の悲鳴のような声が。これから能楽堂に出発しようという時、カバンにみかんがおしっこを垂れたようだ。練習用の舞台着とかが被害を受けたらしい。愚妻は猫を叱れず怒れず、プチパニ状態。笑ってはいかんのだが内爆笑。

■猫々朝日記+。入場時予約した者の名簿を毎日打ち込んで朝プリントアウトしていくのだが、それもあってお得意のギリギリタイム生活である。ギリギリが一番活性化するらしい。1つ不確定要素が混入すると全てパーになり得るといつも言ってるのに、馬耳東風。あ、午年は半裸でバタついてる私の方か。



■猫々朝日記+。それでもカバンを代え、セーフものとアウトものを分けてから飛び出して行った。まあどうにかなるのだろう。出しなに窓辺でのほほんとしているみかんに「トイレが汚くてごめんね」と謝っていた。ポジティブだけど、多分またやられるぞ。で、私のゆず湯効果は一体どこに行っちゃったの?









1,2,3とその逆数と



■0以外の数には「逆数」がある。逆数とは、ある数に対して掛け合わせると1になる数である。つまりある数aの逆数は1/aである。分数であれば、分子と分母を入れかえたものが元の分数の逆数となる。有理数・実数・複素数には、逆数は必ず存在する。超越数πやeにも1/πや1/eという逆数がある。

■逆数の数学的な定義や計算については詳しい人が数多くいるだろう。しかし逆数の「本質」「意味」について深く考えることはどれだけいるだろう。数は逆数との積において瞬時に1に立ち戻る。逆数とは何か?単なる数学的定義を超えて、独善的な数秘主義に堕することなく、より深い意味を模索すること。

■それは哲学ではないか?「道生一、一生二、二生三、三生萬物。」これは『老子』第42章の書き出しだ。書き下せば「道は1を生じ、1は2を生じ、2は3を生じ、3は万物を生ず」となる。さて逆数に立ち戻ろう。0に逆数はない。1の逆数は1である。2の逆数は1/2であり、3の逆数は1/3である。



■老荘思想の生成論を頭の隅に置きながら、2/3以外の分数は全て単位分数だった古代エジプトの特殊な数理を思い出してみよう。言語表現では2/3は「2個部分 the two parts」、1/3は「第3部分 the third part」という意味であり、この2者を結合して全体を成すと考えていたらしい。

■2/3だけは整数でないのに特別な記号があった。この「2個部分」の欠落を補填する「第3部分」とはどこから来たのか?古代メソポタミアの『ギルガメッシュ叙事詩』の主人公は、ウルク王と女神との間に生まれた半神半人だが、その血の比率は1/2ずつでなく、2/3が神で1/3が人間なのだろう。

■いや、話を展開し過ぎることは避けよう。2つで1つと見ると、ペアのそれぞれは1/2という逆数にもなる。これをエジプトの「2個部分」として捉えると、残る1/3を「第3部分」として3で1つの全体としても見られる。1つの全体が2/3と1/3という2つの不均等な部分の和とも解せるだろう。



■逆数的発想も踏まえて逆方向からも見た表現をすれば、2/3もしくは2:3を背景にして、1と2は共に3の部分になる。1を分割して1/2と1/2の2つにする。数としては2。それではこの2を2/3と捉えて、1/3と和して1とする時のこの第3部分はどこから来るのか?どこから生じたのか?

■「2個部分」の2を2/3と捉えて、「第3部分」を想定した時に生じたのか?最初からあったものが見出されたのか?1即3、3即1の構造は双方向がある。この即を跨ぐ度に「1→2→3」はまた「1/3→2/3→3/3」が重なる。二元的世界観のもとでは1/3と1/3が対消滅して1/3が残る。

■それまで全体と思っていた「2個部分」を1と捉えたままだと、「第3部分」を和した後の総和は2/3の逆数の3/2だ。正4面体の中心角及び2面角は直角±19.5度だが、この19.5をこの3/2に対応させると2/2すなわち1に対応するのは13となり、4/2すなわち2に対応するのは26となる。



■2/3+1/3=3/3=1という新たなる全体性を踏まえれば、それまでが全体の1と自覚していた2/3部分が自分であり、残る第3部分の1/3があって初めて3/3=1となるということだ。2/3と1/3はフィボナッチ数列の初項と第2項の大きな1と小さな1をも連想させられる。

■逆数の逆数は元の数である。この表現は数学的には正しいが、それに関与する人間にしてみれば、反転の反転が必ずしも元のものではないことを知るように、逆数の逆数として元に戻った数と元々何も関与しなかった数とは同じとも異なるものとも言える。数学を上手く踏み外せば新領域が見えはすまいか。

■0以外の数には必ず逆数が背後に寄り添っている。逆数と面点変換とは必ずしも同じ構造ではないが、単なるアナロジーを超えてある数と逆数との対関係は面点変換できる双対立体の関係に似ている。なお「1の逆数は1」という表現だが、これは自分自身と双対の関係にある正4面体にも良く似ている。



■1,2,3はその背後にある逆数の1,1/2,1/3と合わせると5個。1とその逆数の1とを別と捉えると6個。これはプラトン立体の自身と双対の正4面体、正6面体と正8面体及び正12面体と正20面体の双対立体の5個と6個をも連想させるが、常に逆数も頭の隅に置いて数を考えることは重要だ。









 


白色光は白色なのか?



■太陽光が含む様々な波長の光は混合されて人間の目には透明になる。これを何の抵抗もなく白色光と呼ぶことは何か自分の中でとてつもなく抵抗がある。単に言葉の定義としてそうなっているというのであれば、なおさらその言葉を自らの文脈で使うことを憚られる。太陽光線は白色でなく無色ではないか?

■「初めに言葉ありき」と聖書は語り始めるが、初めに言葉の語義を明確にしなくては色について明確に語ることができない。人間が色を見るには光を発する「光源」、その光を反射・吸収する「物体」、さらにその光を見る人間の「視覚系」が必要だった。白色・黒色及び白色光の定義を確認して見て行こう。

■物体色としての「白」色は、物体が可視光帯域の全ての波長を乱反射する時、その物体の表面を見た人間が知覚する色である。同様にして「黒」色は物体が全ての波長を吸収する時、人間が知覚する色である。なお厳密に言えば100%の反射率もしくは吸収率を持った「理想的な」白及び黒の物体は実在しない。



■光源色としての「白」は全ての波長の可視光線を等しく均質に含んだ光の飽和状態であり、「黒」は逆にそれらの完全なる欠落として解される。しかし双方とも極端すぎて人間の視覚系が正常に働く許容範囲外であり、色として捉えられない。人間はその白と黒の混色により得られる様々な濃度の灰色を見る。

■全ての波長の可視光線を等しく均質に含んだ光は「無彩色」に見える。無彩色とは白と黒、そしてその混色で得られる様々な濃度の灰色の総称である。無彩色は彩度が0の色である。無彩色以外の色は彩度を有する「有彩色」だ。その中でも最も彩度が高いのが「純色」である。純色は無彩色の対極である。

■白色光とは、無色で肉眼では色を感じることのない光のことだ。正午の太陽の光はほぼ白色光と考えてよい。厳密には可視光帯域の周波数成分を万遍なく含んだ光線で、どの波長も強さが一様の光を白色光という。白色光の対義語は「単色光」である。種々の単色光を合わせていくと徐々に白色光に近づく。



■無彩色の光が強く反射すると白に見える。「白」とは人間の網膜の3種類の錐体が等しく均質に強く刺激された時に感じる色のことだ。白く見える液体は必ず混濁している。白く見える固体は小さな粒が集まって光を錯乱反射している。白く見える時は可視光の波長程度以上の大きさの粒が存在している。

■太陽を直接見ると目を痛めると言われている。これば自己責任でという前提での話なので、もし真似をして事故が起こしてその責任を問われても困るが、少なくとも私自身は目を細めつつではあるが、太陽を見詰めることは可能だ。しかしその場合でも眩しさや明暗反転などでとても純粋な白色には見えない。

■「愚妻」がよく誤解されるような「愚かな妻」ではなく、「『愚かな私』の妻」という意味であるように、「白色光」は「白色の光」ではなく、「『白色の物体が全ての可視光波長を乱反射するように、全ての可視光波長を含んだ』光」として解すればよいのであろうか。所詮色名は色そのものとは重ならない。



■白色。無色。透明。これらは何よりも先ず言葉である。無色光と言う表現はない。なぜなら光はそれが可視光や単色光であるとしても、物体に当たらなければ色はないままだ。透明光もまた動揺のパラドクスを内包しているが、一部分だけを吸収・反射しつつ光を透過させる物質は思っているよりたくさんある。

■「無色透明」や「有色透明」はある。では「白色透明」はあり得るだろうか。ここでも白色が本来の意味ではなく、濃い灰色から薄い灰色までの無彩色を含めて曖昧に「白色」と称するのであれば、無彩色のまま透明度が落ちるものはある。例えば安価なビニール傘は完全に透明ではなく僅かに白濁している。

■白色透明という形容は鉱物に関しては用いられているようだ。水晶に限らず、僅かな不純物で様々な淡い色を呈しながら透明な石というものは多数ある。有色透明なものは日常生活の中でも多数見かける。カッティングや磨きをかけた鉱石にはミルク色に濁ったものがある。あれを白色透明と言うのだろう。



■色の理論の最も重要なところでこのような非現実的な名前を付けるところに混乱を生じさせる因がある。しかしまた最も重要なところであるがゆえにこのような混乱をそのままにしてしまう名前付けとなっているとも言えようか。言葉を無疑問に使うのではなく、不備を承知した上で共有語として用いていこう。










色の名前・色の数

 
            ★画像は"COLOURlovers"より借用・加工しました。 http://www.colourlovers.com/

■様々な色の名前は実際の色と明確に対応しているとは限らない。日本工業規格などが様々に定義しているが、正確に言えば対応していない。客観的に共有できる色は数値によっての指定できる。しかしそれはあくまでも外部の色だ。個々人の内面における色は時間が異なれば異なる色としてで感知感得される。

■A=440Hzの調律におけるCと、A=432Hzに調律したCとは同じか否かというがさつな問いを考える時、単にCという音高だけ切り取って比較する意味の無さを知るのは、それぞれの音が音階構造を背景に持っているからだ。同じ名の色もまた単色のみを云々するのではなく、全色を背景に捉えねばなるまい。

■構造そのものは同じでも、その外部背景の諸状況が異なる時、見える色が様々に異質であり得るように、この文脈では内部背景とも表現できる心理的意識状態にも大いに左右されるだろう。人間の色に対して「言葉」同様に「数」もまた上手く対応していないのは、人間の在りようの方に問題があるからである。












猫々朝日記…揺らぐ年の瀬



20111217

■猫々朝日記。午前4時5分、みかんに鳴き倒されて居間に移動する。気温差で曇る窓。40分に隣りのマンション下に到着した配達バイクは45分にそこを出て、50分には当マンションの玄関前に到着する。エレベーターが3階で止まっているなのは、深夜まで営業の「なんや」の店長さんが帰宅するかららしい。

■猫々朝日記。エレベーターが5階まで上がってくる。「おはよう、おりこうさん、…んふふ」と配達員さんが猫に声をかける。もう慣れたとはいえ、いつも何で朝だけ玄関が少し開いているのか不思議に思っているだろうなあ。猫2匹は早々に撤収だ。居間はパネルヒーターで温かい。おとなしくなるみかん。

■猫々朝日記。いなばのとろかつおスープタイプを開けて半分ずつ与える。そういえば昨日は山梨から里帰りしていたたかしっち氏&奥さんが遊びに来てくれたのだが、2匹の猫はかなり当たり前のように馴染んで傍にいたなあ。来客があると部屋の掃除ができるのだが、1日たてばほぼ元の黙阿弥に。なぜ…?



20111218

■猫々朝日記。午前4時10分、みかんがベッド横の本棚の上でむっくり起きると、床に降りて来て無言のまま居間に移動。それを見ているということは、私もこの時間に目が覚めているということだ。後を追って居間に行く。15分、居間の棚の上に置いてある猫ハウスからデルピーが起き出してカーペットの上に。

■猫々朝日記。35分に隣りのマンションに停車中のバイクが38分にUターン発進するのを、抱き上げたみかんと共に窓越しに見る。玄関ドアに隙間を開けて準備完了。2匹とも玄関で待っていたが、43分に配達員さんが乗るエレベーターが開く直前デルピーは遁走。みかんは目を合わせた途端全力ダッシュ。



■猫々朝日記。猫の気配を感じて「ん?おはよぅ…」声をかけくれた時はもう猫どもは居間のこたつの下に。思い通りにはならない時は先ず問題にすべきは思いそのものか。もう興味がなくなって来たのか?今日だけの気まぐれか?顔を覗き込む2匹にAIXIA純缶しらす入りまぐろゼリータイプを半分ずつ。

■猫々朝日記。やらせっぽい不自然なのか?自然とは何か?早起きがしんどくて、起きしなは早々に直そうと思っていたけれど、近所の野良猫たちが気になって結局着替えて外へ。焼いたサバの残りとカリカリを混ぜて猫茂みに置いてきた。さすがに誰もいないか。別の所に別の黒猫がいたのでカリカリを供置。



20111219

■猫々朝日記。午前4時25分、時計を見て慌てて飛び起きる。猫2匹が2〜3時頃に入れ替わり立ち替わり、ベッドの中に潜り込んだり布団の上で騒いだりしていて良く眠れない時間があったからだが、猫は本棚の上とベッドの上で丸くなって眠り続けていた。隣りのマンション横には配達バイクが見えない。

■猫々朝日記。居間は猫の追いかけっこの跡だろう、カーペットが捲れ上がっていた。先ず玄関のドアを少しだけ開けて居間に戻る。みかんが起きて来た。ベッドの上でもたもたしているデルピーを抱き上げて居間の座布団の上に置く。さてそろそろ隣りにバイクが来る頃かと思っていると、玄関で音がした。

■猫々朝日記。し、しまったぁ〜、あれは新聞が新聞受けに入れられた音だ。猫は居間にいるのだからもちろん玄関先にはおらず、配達員さんは無言で去って行った。猫に押されるように新聞を取りに行く。おじさん御免。久しぶりの不手際に何かプチ負け犬気分で、猫には「海缶かつおとまぐろ」を献上する。



20111220

■猫々朝日記。午前4時ちょうど、ゆっくり起きて居間に移動。昨日の昼はたっぷり昼寝し、早寝もしたので、今朝は余裕がある。20分から隣りのマンション下に配達バイクが来ていないか、見逃さないようにまめにチェックする。隣りのマンションは外壁工事が終わってすっぽり全体を覆ったカバーが取れた。

■猫々朝日記。25分、30分、35分…、配達バイクは姿を表さない。今日はいつもより遅いのかな?猫とパネルヒーターにあたっていると、38分、今日はまだドアを開けていない玄関でカタンと音がした。新聞が来た音だ。まだバイクの姿見てないよね、今朝。ええーっ、ひょっとして配達ルート変わったとか?



■猫々朝日記。新聞を回収しながら考えた。作戦は間違っていないし、バイクチェックも抜かりはない。なら昨日今日といつもの隣りにはマンション横にバイクが停車していないけれど、新聞は来たということだ。新たな謎の発生だ!ポカンとしている猫。純缶まぐろあらけずりを与える。汁しか舐めないし。

■猫々朝日記。明日は時間になったらエレベーターの階表示ボタンを見ながらタイミングを合わせてみよう。それも失敗したら、いよいよ猫々朝日記そのものの存続の危機である。いや、考え方によっては止める好機でもあるのだが。それにしても配達ルートの確認や猫の早起き習慣変更が可能なのか悩むなあ。












天皇杯、クラブW杯、至福の12月

 

■1■一昨日、第91階天皇杯4回戦で横浜マリノスと松本山雅が対戦した。唯一Jリーグ以外のチームだったが、何よりの話題は横浜から移籍して練習中に突然死した松本山雅の松田直樹選手を介した因縁だった。どちらの選手や関係者にとっても言葉にならない様々な想いを抱きつつの対戦だったに違いない。

■2■結果は横浜の18歳の小野選手によるハットトリックなどでマリノスが4−0で勝利だったが、技術的な差にもかかわらず最後まで決して諦めない松本山雅の気持ちが伝わる試合だった。終了後にマリノスの選手は松本山雅のサポーターの元まで足を運んで礼をした。私はこの「美しい」シーンが一番好きだ。

■3■明けて昨日はマリノスのホームスタジアムである横浜国際競技場で、ブラジルのサントスとスペインのバルセロナの間で世界一のクラブを決定する一戦があった。こちらは世界中の何十億というサッカーファンが中継を見る。マリノスは天皇杯に優勝して初めてこのクラブW杯に通じるACLへのドアが開く。



■4■結果として柏レイソルはアジアチャンピオン・アルサッドに0−0のままPK戦5−4で敗れたが、アジアチャンピオンになれなかった国が開催国枠で出て勝ってしまっては暴風雨並みの波風がたつであろうから、レアンドロ・ドミンゲス欠場も痛かったが、まあ順当と言えば順当に収まった結果である。

■5■そして決勝のバルサvsサントスは、バルサの史上最高かもと思わせるパフォーマンスで4−0の圧勝だった。おそらくとてつもないイレギュラーな条件がなければ、真剣くれたバルサに勝てるチームは地上にないだろう。火星人軍団とも言われるほど別世界のサッカー、しかも美しく楽しいサッカーである。

■6■メッシとネイマールの対決を煽り続けたマスコミだったが、超越した有機体の中の1つの突出した細胞と、1個の傑出した細胞生物を比較するのはカテゴリーエラーとも言えるほどメッシとバルサの連動性は凄かった。20年近くバルサファンでいて良かったと心から思う。柏は21日にはグランパスと天皇杯。


           








 


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