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  • 2024.01.09 Tuesday
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NUMBER 01-28:月のテンプレートで比を重ね見る

 

■図表3は「13の月の暦」の毎月の『月のテンプレート』構造である。そして同型の図表1は4オクターブ分の音階構造を各音の振動数比で表わしたものであり、図表3は同じくそれぞれの音階に対応する弦長比を同じテンプレートの重ね入れたものである。自明ながら振動周波数と弦長は反比例の関係である。

■先ず最初に暦としての日にちと、基音Cから始まる音階上の各音との音程差は同じ数値で表わされることに気付く。例えば基音Cに対して同一オクターブのAは6度だが、これは暦の第6日と重なっている。これらの図表を重ねて見ることで、今まで見えななかった様々な比率の符合というものが発見できる。

■1日の位置に来る最初の数値をそれぞれの日にちの位置に対応する比率の数値としても見られる。例えばテンプレート上の1日との27日の位置の関係を音階として見ると、基音Cと3オクターブ上のA(27度上音)に対応する。周波数比として見るとこれは3:40になり、弦長比とすると逆数の40:3となる。



■この構造と比率さえ同じならば、ここには振動数や弦長や暦の日にちだけでなく、様々なものを入れて見ることができる。例えば表2の中の基音Cの位置に円の1周である360度を入れて3オクターブ上のA(3/40)を見ると27度になる。つまり面白いことに27度上音の位置は角度でも27度ちょうどになるのだ。

■では基音に13の月の暦の1年364日を入れるとどうなるだろう。この同じ27度の位置には27.3という数値が入る。27.3日は言うまでもなく月の公転・自転周期だ。これは逆に図表1の基音の位置に27.3という数値を入れれば、同じ27度の位置は364になるということだ。地球と月の間には40:3の比もあるのだ。

■次にここに「地球の食年」(1)つまり太陽が黄道と白道との交点を通過して再びその交点に戻るまでに要する346.6日という数値を入れてみよう。これは地球上のどこかで日食・月食が起こる周期だ。すると今度は27度の位置には26という数値が入ってくる。もちろん13の2倍だ。ツォルキン260の1/10でもある。



■この1日の位置にマヤの神性暦ツォルキンの260を入れてみよう。27日の位置に入る数値は19.5だ。ケプラーの星型8面体を地球に入れて回転すれば北緯及び南緯19.5度で接する。正4面体の中心角109.5度及び2面角70.5度の直角90度に対する差異の19.5度だ。19.5度と赤道傾斜角23.4度との比は6:5である。

■また火星会合周期である780日を1日の位置に入れると、27日目のユニットには58.5が入ってくる。58.5日は水星の自転周期である。このような関係を単なる数的な比率としてみるだけでなく、実際にピアノの鍵盤などで「ド」と27度上音の「ラ」として、その関係を耳で聞いて体感することもできるのである。

■同様に他の日にち同士、もしくは異なる音高差の位置同士の比率関係も、様々な数値を入れて見ていけば色々な発見があるに違いない。しかしここで重要なのは、意外な関係そのものの妙を面白がるだけではなく、むしろそれを生みだす構造そのものにこそ目を向けるということを失念しないことである。

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(1)地球の食年⇒246日14時間52分54.405秒の周期。521太陽年と549食年が一致することはシュメール人も知っていた。
 











NUMBER 02-07:度量衡と尺貫換算



■度量衡とは面積を含む長さ・容積・重量の計量のことである。西洋のヤード・ポンド法はバビロニアや古代エジプトの度量衡を起源としており、東洋諸国の尺貫法は黄河流域で漢民族が創造した制度を起源としている。定説によれば人類初期の度量衡の基準は人間の身体各部、そして穀物の粒に求められた。

■『漢書』律歴志には「[度]は長短を測る事、[量]は多少を量る事、[衡]とは権衡すなわち分銅とはかりをもってものの軽重を知る事」とある。また平安時代中期に作られた辞書『和名類聚抄』には「長短を知る、これを度という。多少を知る、これを量という。軽重を知る、これを衡という」とある。

■「尺」という字は手で寸法を計る象形文字であり、古代エジプトの長さの単位キュビットを示す象形文字は、その由来である前腕を表している。またイギリスのフートやフランスのピエは共に足という語に由来する。共に身体尺だが「日本人は手でものを計り、イギリス人は足で計る」などと言う表現がある。



■現在の個人に由来しない公平な基準に基づいたメートル法に対して、身体尺は時の王や権力者の身体を元にしていたことが彫刻や遺跡の身体部位から分かっている。しかしものさしの存在は気まぐれなものではなく、神から世界を計測する許可と新たな物を創造する権威を与えられた神聖な証拠でもあった。

■イギリスの質量を表す単位「グレーン」の語源は穀物の粒である。後により美味な小麦にその地位を取って代わられたが、大麦は新石器時代である1万年前にはすでに、古代オリエントの中心であるメソポタミアや古代エジプトでは栽培されていた。ビールや酒や発酵食品の原料としても使われて来た。

■農耕の始まりにはメソポタミア起源説が有力だが、西アフリカ起源説もある。実際には美味で栄養価も高いが生産性の低いテフ、アジア稲とは別種のアフリカ稲、フォニオという穀物なども栽培されていた。いずれにせよ農業の起源と共に、身体だけでなく穀類も単位に用いられていたことは確かである。



■ヤード・ポンド法の「カラット」は0.2gだが、そもそもはマメ科の落葉高木デイゴもしくはイナゴマメの種子(平均0.2g)が基準だった。現在では国際単位系ではないが、メートル法に準じてカラット=200ミリグラムと定められた。また中国古代の単位「豆(ど)」は両手にすくえる量を基準としていた。

■前世期最後の1999年、中国河南省にある新石器時代の遺跡から、保存状態のよい笛が出土した。7つの穴で現在とほぼ同じ音階を表現できるこの笛は、遺跡推定年代紀元前7000〜5700年頃に用いられていたものである。現代の音階とほぼ一致するラ・シ・ド・レ・ミとファのシャープに対応する音が出た。

■中国で最初に度量衡精度を確立したのは秦の始皇帝である。彼は紀元前221年に標準となる分銅と枡を制定した。しかし成文として残っている最古のものは前述の『漢書』律歴志である。同書には「度は分・寸・尺・丈・引(いん)で、長短を測ること黄鐘(おうしょう)の長さを基本とする」とある。



■分・寸・尺・丈・引は単位で、黄鐘とは古代中国の12音律の基準音である。この黄鐘律の笛の長さに矩黍(くろきび)の中位の粒を並べれば90粒分となり、この1粒を1分とした。そしてこの音律を出す笛の長さを9寸、90分とし、これから10分=1寸、10寸=1尺、10尺=1丈、10乗=1引と定めたのだ。

■量の単位についても「量は龠(やく)・合・小・斗・斛(こく)で、多少を量ること、黄鐘の容積を基本とする」とある。この黄鐘の音律の笛は平均的な大きさの矩黍1200粒でいっぱいになるが、これと同容積の水が1龠である。2龠=1合、10合=1升、10升=1斗、10斗=1斛として5つの量を定めた。

■さらにはかりを用いて軽重を知るために権(分銅)を銖(しゅ)・両(りょう)・斤(きん)・鈞(きん)・石としたが、これも矩黍の量に応じる重さによっている。1200粒の矩黍が12銖である。そして24銖=1両、16両=1斤、30斤=1鈞、4鈞=1石と定められている。



■このように定まった音律の笛の長さが一定であることに注目したのは、当時としては極めて科学的な制度であったが、これらの元になった完成した音律そのものも、最初に記したように紀元前数千年も前からすでに現在の音階とほぼ同じ幾何学的構造の認識があったからであることは言うまでもないだろう。

■尺貫法換算をみていこう。長さは6尺=1間、360尺=60間=1町、12960尺=2160間=36町=1里(=3927.27km)≒4km となっている。ここには60進法的な構造が見られる。また6の1乗の6、6の2乗の36、6の3乗の216、および6の4乗の1296の10進法ホロン(60、360、2160、12960)が見て取れる。

■面積は36平方尺=1坪、10800平方尺=300坪=1反、108000平方尺=3000坪=10反=1町(=99 17.36m2)となっている。この1町はほぼ10000m2(=100X100)である。容積は10合=1升、100合=10升=1斗、1000合=100升=10斗=1石だ。また重さは1000匁=1貫(=3.75kg)、160匁=1斤(=0.6kg)となっている。











NUMBER 02-06:重さの単位シケルと584について



■シケル(shekel)は多数ある古代の重さと通貨の単位の1つである。紀元前3000年頃メソポタミア地域で用いられていたことが知られている。この重さの単位シケルは180粒の大麦が標準だった。この単語の最初の音節「シ」はアッカド語で大麦を意味していた。英語の"scale"もここから来たと考えられている。

■シケルはグラムやトロイオンスなどと同様に、古代の物品取引時に使われた一般的な重量単位だった。後にシケルは貨幣単位にもなる。貨幣は確認する度にその都度計量しなくて済むように、彼ら自身の印を押したアナトリアの初期貿易業者たちが発明した。その印がついた銀製のインゴットが出土している。

■シケルはモアブ人・エドム人・フェニキア人などの西セム族の間でも用いられていた。ヘロドトスはリディア王クロエサスによって最初の貨幣が鋳造されたと述べている。ヘブライ語のシケルも重さを表す。旧約聖書にもシケルは登場する。また現代のイスラエル共和国の通貨単位もシケルである(1)。



■シュメールの地アッシリアから出土した、1シケルに相当する重さを表わしている分銅石の平均値は8.36gである。この重さの単位シケルは180粒の大麦(8.33g)が標準だった。古代オリエントを通じて、この1シケルが60個集まると1ミナ501.6g(8.33gだと499.8g)相当の重さの単位になっていた(2)。

■ここで1ミナ(=60シケル)とダブルミナ(=120シケル)を現代のグラムに置換してみよう。1シケルを8.36gで計算すると1ミナは501.6g、2ミナは1003.2gとなる。またシケルを8.33gで計算すると1ミナは499.8g、2ミナは999.6gとなる。つまりどちらもほぼ1kg=1000gになっているのである。

■メソポタミアの度量衡の中にシェイという長さの最小単位がある。意味は「大麦の粒」である。180シェイで1クシュ、360シェイでダブルクシュになる。大麦キュービットとも言われる1クシュは49.94cmである。実際に大麦を縦でなく横の幅で数えると180粒でほぼ50cmになる。360粒でダブルキュービットだ。



■地球を元に制定された1mはほぼダブルキュービットだった。360粒の大麦の横幅もほぼ1mだ。1秒は1mの振り子が振り切る時間にほぼ等しい。古代にはこの1サイクルの2秒が1つの時間の単位としてあった。1つの単位がある時、その2倍もしくは1/2の数量を考えるのは自然な発想であろう。

■このような古代の度量衡の現代の計測単位との極似性は他にも多数ある。この確率を無視するような偶然の積み重ねを何と解すればいいのだろう。単に古代オリエントから、いやさらに言えばシュメール以前から、水や地球や人間を基本にした計測単位が存在していたと「合理的」に認めればよいのだろうか。

■さて金星の会合周期は584日(より正確な値は583.93191日)である。この1シケル8.36(g)の3乗は584.277056…である。そしてこの1シケルに相当する麦の粒数180、もしくはほぼぴったり1キュービット長になる横幅の大麦の粒数180の3乗は5832000となるが、こちらの値は583.2×104に近似している。



■192は361だが、これに黄金比φをかけるとほぼ584になる。ついでに584に1を足した585についても考えてみよう。水の蒸発潜熱は585cal/gである。そして水星の自転周期は58.56日であり、水星の軌道長半径は58344000(=583.44×105)kmだ。さらに言えば、584は正4面体の2面角70.5度の16/3でもある。

■16/3はCに対するF音の2オクターブ上の音(18度上音)の振動数比である。音階の話が出たので付け加えれば、我々が学校教育で最初に教わるドレミファソラシドのド(C)音の振動数261.63Hzに、黄金比とも関係のある√5をかけると585.02Hzとなるが、この音高は9度上音のD(587.33Hz)に近似している。

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(1)為替レートによって変動するが、1シケルは約25〜30円である。略称はNIS (New Israel Shekel)
(2)常に50と60(もしくは5と6、5芒星と6芒星、φとπ、金星と水星)が連動しているのだが、ここでも1シケルが50集まった418gの1ミナも同時に存在していた。












 


NUMBER 02-05:πの代用値22/7について



■円周率π(=3.141592654…)をエジプトでは22/7(=3.142857143…)で代用していたという。「うーんなるほど、この誤差は0.04%か、なかなかいいセンいっているな」で終わればそのままだが、これにはもう少し深いバックグラウンドがあるのではないだろうか。まず1から11までの階乗を見てみよう。

  (a)11!=1×2×3×4×5×6×7×8×9×10×11=39916800
  (b)7!=1×2×3×4×5×6×7=5040
  (c)11!/7!=8×9×10×11=7920

■(a)は1から11までの11個の数を掛けているのだが、1という数は掛けても掛けなくても同じなので、2から11までの10個の数の積と考えても同じである。この11!=39916800=40000000−95200で、ほぼ40000000である。これを10進法ホロンで考えてみよう。まずこの数値を10進法ベースのメートル法的発想で単位をメートルとすると、40000000m=40000kmで地球の周長となる。

■また月と太陽の直径比は3476km:1392000km=1::400.46029で、ほぼ1:400であり、また月−地球間の平均距離と太陽−地球の平均距離の比は384400km:149600000km≒1:390でこちらもほぼ1:400と、上記の数値の10進法ホロンとなっている。(単位をcmとすると、やはり400kmとなる)。



■(b)は7の階乗(1から7までの積)であり、(c)は8から11までの積だが、この(c)を分母、(b)の倍を分子に置いた数を考えてみよう。また最初に上げた古代エジプトで用いていたというπの代用の数比22/7の値は次の通りになる。つまり(d)を最大公約数720で約分すれば(e)となるということだ。

  (d)(8×9×10×11)×2/(1×2×3×4×5×6×7)
     =15840/5040=3.142857143
  (e)22/7=3.142857143

■ここでエジプトの3角形とも言われる、辺長比が3:4:5の直角3角形を念頭に、3,4,5という連続数3数を考えてみよう。3+4+5=12であり、3×4×5=60である。これはまさにシュメール、バビロニア、エジプトの12−60の数の論理に対応する数値である。ところでこの3つの数の和12と積60を掛け合わせた数もまた720となっている。そして6の階乗(6!=1×2×3×4×5×6)もまた720である。(そして720は8×9×10でもあり、もちろん360×2でスピン1/2でもある。)

  (f)3+4+5=12
  (g)3×4×5=60
  (h)(3+4+5)+(3×4×5)=72
  (i)(3+4+5)×(3×4×5)=720
  (j)6!=1×2×3×4×5×6=720
  (k)8×9×10=720



■これらのことから、前述の7!(=1×2×3×4×5×6×7)を6!(=1×2×3×4×5×6)で割ると7となり、また11!/7!(=8×9×10×11)を8×9×10で割ると11となる。ここで後者を2倍して7/22とすると最初に上げた古代エシジプトのπの代用値が出てくる。これを文章表現すれば「8から11までの積の2倍を、1から7までの積で割ると22/7というπの代用の数値となる。」となるが、実は下記のことと同値である。

  (l)(8×9×10×11)×2/(1×2×3×4×5×6×7)
     =(720×22)/(720×7)=22/7
  (m)11!=1×2×3×4×5×6×7×8×9×10×11
     =720×7×720×11=(720)2×77=39916800
 










NUMBER 02-04:地球周長と太古の計測単位



■太古の人は地球周長の4000万mから40mを引いた3999万9960mに相当する単位系を用いていたらしい。この数は1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,11,12,113,14,15、及び18,20,21,22,24,26,27,28,30,33,35,36,37,39,40,42,44,45,52,54,55,56,60…と多数の約数が存在する。

 39999960=1X39999960=2X19999980=3X13333320=4X9999990
     =5X7999992 =6X6666660 =7X5714280 =8X4999995
     =9X4444440 =10X3999996 =11X3636360 =12X3333330
     =13X3076920 =14X2857140 =15X2666664 =18X2222220
     =20X1999998 =21X1904760 =22X1818180 =24X1666665
      ………

■その単位がほぼダブルキュービットに等しいことはもちろん、様々な証拠から推測するに、太古の人はまた地球が球体であることやその大きさを詳しく知っていたようだ。ダブルキュービットに黄金分割比φを掛けるても、また1キュービットに円周率πを掛けても、ほぼ人間の身長となること等も興味深い。

   WキュービットX黄金比φ≒人間の身長
   1キュービットX円周率π≒人間の身長

■空間的な長さである地球全周長と、時間の長さとしての地球の1日を「分」「秒」という同じ単位で表さすことができる。地球の1日は24時間=1440分=86400秒であり、地球全周の角度は360度=21600分=1296000秒である。そしてこの2者の比は1:15になっている。言うまでもなく60:15=4:1である。



■古代メキシコ人は9、エジプト人は10、カルデア人は12、マヤ人は20、シュメール人は60を底とする位取り記数法、つまり進法を用いていた。これらを掛け合わせると(9×10×12×20×60=)1296000となる。この数値はまた円の1周360度の秒数に等しい。このことは人間の数として単なる偶然なのだろうか。

■この1296000を50で割ると25920となる。これは即ち地球の惑星歳差運動周期25920年の年数である。そして60で割ると上記のように21600という360度の秒数となる。シリウスの周期を知っていたドゴン族の話にも50と60が出てくる。5と6、φとπ、金星と水星、生物と鉱物等の関係にもこの大数が散見できる。









 
 


NUMBER 02-03:メートル法とWキュービット



■キュービットはシュメール起源になる古代オリエントの基本的な単位でその意味は肘である。キュービットの定義は「肘の角から中指の先までの長さ」であり、地域や時代によってわずかな違いはあるとしてもだいたい500mm前後になっている。エジプトのキュービットを表す象形文字は「肘」そのものである。

■その単位は様々な地域に肘を意味する言葉と共に広まっていった。メソポタミアの1キュービットは30ディジットに分割されており、2キュービットで60進法との整合性を保っていた。一方時代にもよるが、エジプトの固定キュービットは7パルム=28ディジットに分割されていた(1パルム=4ディジット)。

■この2者の分割法は、共に太陽の回帰と月の朔望の周期などの天文学的な知識に裏付けられた太陽暦・太陰暦的な対応も見て取れる。つまり1年30日×12ヶ月(+5日)=365日と、1年28日×13ヶ月(+1日)=365日である。シュメール・バビロニアとエジプトではこの単位相互の数値が異なる部分がある。



■近年古代バビロニアの遺跡から、長さがほぼ1mの棒(振り子)が発掘されている。決まった長さの振り子は決まった周期で振動する。ガリレオが発見した「振り子の等時性」である。そしてこのほぼダブルキュービットに相当する1mの長さの振り子は、ちょうど周期2秒で1往復する「秒振り子」になる。

■太陽が天空をその視直径分移動するのに要する時間がちょうど2分=120秒であること、そしてその時間に人間が歩行する平均距離に相当する1スタジオンがほぼ180mであったことなどを考え合わせてみても、この60進法をベースにした古代の計測法、及び単位系と自然との精緻な整合性は驚くべきものである。

   ディジット(digit) 指幅 (現在のデジタルの語源である)
   シュメールでは30ディジット=1キューピッド
   スパン(span) =3パルム
   パルム(palm) 親指を除いた4指の幅



■ピラミッドの建設には2種類のキューピッドが用いられていたことをアイザック・ニュートンも認めているが、この463mmと524mmの2つの数値の間には円積問題の関係があることが分かった。つまり図に示したように463mmを1辺にとった正方形の面積と、524mmを直径にとった円の面積と等しいということだ。



■また741mmという最長のキュービットがピラミッドの基底部から見出せるが、これは524mmのキュービットの正方形の対角線である(5242+5242=7422)。なお、これらの数値は463mm(=61×7+36)、524mm(=61×8+36)、741mm(=777−36)と見ることもできるが、これには何か意味があるのだろうか。

     463mm(=61×7+36)
     524mm(=61×8+36)
     741mm(=777−36)

■中世以降になるとヨーロッパ各地でダブルキュービットが使われるようになり、これがヤードやオーヌやエレになっていったと考えられている。またほぼ1mの振り子の棒が周期2秒で1往復する(1秒ごとに振りきれる)秒振子でもある事も含め、この単位が「メートル」の元となったというのが定説である。

■重量単位の記録に「重いミナ<mina>」というものが残っているが、これはほぼ500gで2倍が1kgになる。また重さの単位のポンド<pound>やリブル<libre>も500gに近い値だった。科学的理想からなるメートル法は、実は科学の衣を纏いつつも古代の天文知識や数的論理体系への大いなる先祖返りでもあるのだ。

1メートル≒ダブルキュービット=60ディジット=3フィート=12ハンド
           1キュービット=30ディジット
               1フート=20ディジット
               1ハンド=5ディジット
1メートル≒ダブルキュービット=14パルム=56ディジット
           1キュービット=7パルム=28ディジット

 










 


NUMBER 02-02:スタディオン

 

■スタディオンはバビロニア起源の長さの単位である。砂漠の中で地平線から太陽が出現してから地平線を離れるまでの間に、人間が太陽に向かって歩く距離の平均でだいたい180m前後である。この天空を太陽の円盤分だけ移動する時間はほぼ正確に2分であると共に、その視直径は角度でいうと0.5度である。

■これは別の表現をすれば、角度的には太陽円盤の視直径は0.5度(正確には0.533度)だから1昼夜で太陽はこの太陽円盤720個分移動して元に戻るということであり、また時間的には(720×2=)1440分=24時間=1日ということである。現在の私たちはこの1スタディオンを使わないので覚える必要はない。

■しかし現在でも使っている1時間の間に太陽はその太陽円盤の30個分を空の上で移動するということや見た目で太陽2個分が角度の1度であるということは、人間の平均歩行距離は毎時4kmと言われるが元祖バビロニア風に言えば30スタディオン(5.4km)となることなどと共に知っておいても損はないだろう。



■地球周長40000kmを365で割ると約109.5kmになる。つまり1時間に4.56km余のペースで立ち止まることなく太陽を追って赤道上をひたすら東進すれば、1年で元の位置に戻るということだ(1)。古代ギリシアの陸上競技場はこのスタディオンを基準として設計されたことからスタジアムという名前が残っている。

■紀元前450年頃にオリュンピアで作られた長さ211mのスタディアムの直線走路の長さは192.27mだった。またデルポイやアテナイでは178m、エピダウロスでは181.30mと地域によってスタディオンの値が異なっていた。バビロニアのスタディオンは184m、エジプトのそれは平均179mだったことが分かっている。

■「スタディオン走」とは古代ギリシアで行われた直線の短距離走で、古代オリンピックでは第1回大会(BC776年)から実施され続けた種目である。なお1スタディオンは人間の身体は全力で走りきる距離の限界であり、それ以上の距離を走り続けるためには最高速度を落とす必要があると考えられていた。

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1)正確に言えば、東に進み続けると地球を1周した時点で1日分余計に日の出を見ることになるので、365でなく366で割るべきだが、数値的にさほど大差はないのでここでは問題にしない。なお1日当たり609スタディオン程の踏破距離に当たる。











NUMBER 02-01:MEASURE for MEASURE



                            人は万物の尺度である。―――プロタゴラス

■シェイクスピアの戯曲に『尺には尺を』(MEASURE for MEASURE)という作品がある。新約聖書の『マタイによる福音書』7-2には「汝が裁くその裁きで裁かれ、汝が量る秤で量り与えられる」とあるが、このタイトルは劇中でこれを踏まえていると思われる台詞(第5幕第1場)としても用いられている。

■この劇中では様々な人間の内面性が相対的に比較されているのだが、このタイトルそのものからは「秤をもって秤を量る」というパラドキシカルなイメージや「1つの世界観を論ずるには、異なった世界観の視座が必要となる」という事実を想起させられる。またこの表現には「しっぺがえし」の意味もある。

■世界中の古代から現代までの、それこそ星の数ほどもある計量・計測の単位を見ていこうとする時、この種々の計測単位を換算・翻訳するのに、通常現代人はメートル法を用いる。しかしこの1メートルすらも単に地球の赤道から北極までの1/10000000の長さと定義して決められた偶然の産物ではないのだ。



■古代オリエント起源のキュービットは現在エジプト・ギリシア・ローマ・ペルシャ・アラビア・インド等にも共通単位が残る単位制度の原型だが、メートル法の基本中の基本である1メートルという長さもまた、中世までの西洋諸国において広く用いられたダブルキュービットがその祖型だと考えられている。

■かつて西洋的価値観で他の文化圏を判断した西洋人のように、理想に満ちたこのメートル法を最善のものと信じてこれらの諸単位を見ていくと、痛いしっぺがえしにあうかもしれない。そのような愚を起こさぬために、過去の計測単位にも敬意を払い、単位とその根底にある価値観を探っていくことにしよう。

■計量とは数を数えるという行為の1つだが、それには基本の「単位」がなければならない。強力な統一国家の運営や民族間の交易には、独善や一時的なものではなく、再現性と永続性のある基準としての長さ・面積・容積・重量(そして角度)を定める物指し、升、分銅などの定まった度量衡が不可欠である。



■この度量衡とは東西の文化共に、基本的に長さ・面積・体積・重量及び角度に関することだ。それ以外の計量が重要度を持ち始めたのはたかだかこの100年ほどに過ぎない。この100年の加速度的な進歩と精緻化は尋常ではないが、それでも度量衡の歴史の上ではせいぜいその1/100にも満たないのである。

■さて基本となる単位が定まれば、原則的にはそれをマクロ方向に倍加していくか、ミクロ方向に分割していくかで万事事足りる。未だ「ものの数ではない」全体と、既に「ものの数ではない」無限の間が私たちの数の世界である(1)。この中で基本の1をどこにどのように定めるかは人間の自由だった。

■そして実際に世界を見渡しながら極力普遍かつ遍在的な基準候補を捜すと、基本の1つは「地球」と1人の「人間」が必然的に立ち上がってくる。地球が1回転すれば1日になり、365日かけて1公転すればそれは1年となる。それらを昼夜や季節や月の朔望を頼りにミクロ・マクロ双方向に積算し、分割する。



■また1人の人間が歩けば歩幅長が生じ、手や指を用いて様々な長さを表現する。それを5本10本(そして20本)の指で重ね数える。印象を記憶とし予感を推測として、個人を超えてそれらを伝達・共有するためには、測り数えるための基準の周囲に計測単位のミクロ・マクロな重層構造が必要となってくる。

■計測とは様々な対象の量を決められた一定の基準と比較し、数値と符号で表すことだ。量を数値で表すための基準単位の2倍、5倍、10倍、12倍、20倍、60倍等の倍音的単位をマクロ方向に定め、その逆数をミクロ方向に定める単位系ロジックを見ていけば、その間に相似性が時空を超えて見て取れる(2)。

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1)上下に限りなく伸びる電磁波帯域の中のわずか1オクターブほどの帯域がわれわれに取っての可視光線であるように、この私たち人間にとって理解可能な数の世界もわずかなバンドに過ぎないという可能性もある。「数を元に神が世界を作った」とか「数は宇宙における不変の法則である」という言明は、信念として尊重することができても、決してそこで思考停止するわけにはいかない。
2)例えば日本のとある神社にカゴメの形(つまり6芒星)があるからそれだけで日本とユダヤは太古に関係があったのだと安直に結論付ける姿勢は、かえって全てを台無しにしてしまう。古神道的にいえばマルチョンは一意で人間を含む自然を○と点を用いて表している。そして哲学者のハイデッガーや心理学者のユングが同じ記号を用いて異なる象徴を表している。これらを同じシンプルな幾何学的記号を用いているから同一であると断定するような、明らかに稚拙すぎる論理に陥らぬよう自戒しなくてはならない。

 







NUMBER 01-27:脳の中にある12−60的な数時計(2)

 

■さらにこの研究では、個人レベルにおける満年齢かその整数倍の数でも正確に逆転現象が起きることも確認されている。50歳なら47,48,49,50,51,52,53ヘルツという近接する三角波か共通帯域雑音をランダムで聞かせてみると、自分の今の満年齢に相当する数の周波数や、その数値になる組み合わせ音だけに聴覚系の反応が逆方向にスイッチングし、ほかの6音とは明確に区別されるという結果となった。

■植物や魚の耳石や鱗には年輪様の変化が見られ、一部のサンゴの化石には日輪変化も観測されている。そしてさらなる実験の結果、人間の場合は大多数の例で誕生日当日の午前中の数十分の間に、古い年齢から+1の新しい年齢へとその反応が変化することが実測された。内的時間と表現される主観的な時間とは別に、1秒をさらに内部分割したヘルツをも、それこそ機械的な正確さで捉えているのである。

■そこに機能している12−60的な世界計測法には、まだ私たちが把握し仕切れていない多くのリアリティがあるらしい。ここには明らかに暦の問題が含まれている。個々人の脳には誕生以来絶えることなく宇宙の運行と同期して働く正確な年齢システムが存在する。「世界暦」や「銀河暦」と称する暦を意識的に用いようとする場合は、それに見合った「自分暦」も必要だと個人的に力説する根拠でもある。



■人間は365.2422日の太陽年と1年に0.0003日(=26秒)のずれを生じる365.2425日のグレゴリオ暦よりも正確な生体時計であり生命暦でもある。振り子の等時性が示すように、1mの振り子の往復はほぼぴったり2秒だった。1mは実測から定義された地球を基準とした長さの単位だが、伝統的なキュービットのほぼ2倍だった。12-60進法的な地球の動きや大きさも、実は人間意識の総体の反映なのではなかろうか。

■さらに人間の聴覚器官の優位反転現象は、満月・下弦・新月・上弦の月齢の7日周期とも一致している。この時発生した優位性の逆転現象は、それぞれ6.5〜11時間、1.3〜2.6時間、3.5〜4.7時間、2〜3.3時間続くということも分かっている。また地磁気の変動や天体などの環境変化が生じても敏感に反応する。私たちの聴覚器官と脳は、意識の弁別能力や可聴領域を遥かに超えた分解能を持っているのだ。

■1日という基本単位を内に分割し、また外に累積した基本的な諸単位は、人間の共通無意識的な共型振動の投影でもあるのかも知れない。この12-60進法的なヘルツを背景にしても見ることができる精緻な人間の脳の中の年輪は、人間が社会的に無意識レベルで共有するようになった後天的なものなのだろうか。それとも人間の遺伝子レベルから肉体や脳に最初から刷り込み済みの共通周波数なのだろうか。












NUMBER 01-26:脳の中にある12−60的な数時計(1)



■人間の聴覚系の反応において、100ヘルツ以上と99ヘルツ以下で明確な差があるということは、角田忠信氏の研究で有名だ。100ヘルツ以上の純音は左耳が優位(右脳で処理)であり、99ヘルツ以下の純音では右耳が優位(左脳で処理)となる。これは日本人も外人も差がない。男性の最も低い発声振動数でも100ヘルツ以上なので、これ以下の低域は言葉のコミュニケーションとは無縁だと考えられている。

■ところでその低音域の40,60,80ヘルツに限って左耳優位の逆転現象が起こるのだが、驚くべきことにすぐ隣の39,41,59,61,79,81ヘルツは右耳優位のままなのだ。外的と考えられていた時計にぴったり合う内的認識能力。交叉的な聴覚情報の経路が切り替わるだけで大脳半球の役割分担は不変と考えられている。数の認識は私たちの通常意識とは別のところでも絶えず行われているということだ。

■この右耳優位の逆転現象は時間的な数認識だけではなく、空間的に組み合わされた音でも生起する。1つの音の倍音(100,200,300…)を順次100音まで作って次々に増やしていくと、39,41,59,61,79,81本の場合は左耳優位のままなのに、40,60,80本の音に限っても起こることが分かった。空間的パターンの数と時間的パターンの数が一致するのである。私たちは無意識下で一体何を数えているのだろう。



■さらに10本の音束と4,6,8ヘルツの組み合わせの時を試してみたところ、やはり右耳優位に逆転する。しかし3.9,4.1,5.9,6.1,7.9,8.1ヘルツではこの逆転現象は起こらない。10本の組み合わせ音と三角波の音の刺激回数の積つまり空間的な10本の本数と時間的なヘルツの積が40,60,80となった時にだけ逆転が起きる。時間と空間の情報が脳の中では統合されていることを示すと考えてもよいだろう。

■人間の脳には1秒やヘルツに正確に対応する生物学的な検知系があると考えられる。これは個人の外部に存る社会的な共有時計以上の精度だ。「1秒」とは12-60進法に基づいて人間が恣意的に決めたものなのではなかったのか。不思議のレベルが「文明の初期にすでにあった」ことから「人体の中に最初からある」ことに変わっている。12-60進法を諸悪の根源たる機械的計時法に貶めて済む問題ではないのである。

■さらに超能力的な様相を帯びてくるのは、無作為に碁石をばら撒いて眺めさせ、そこにこの角田法テストをしてみた結果である。目の前の碁石の数が40,60とその整数倍の時に逆転現象が起こるのだが、39,41,59,61…では起こらない。驚くことに被験者が碁石の数をきちんと数えていなくても同じ結果になる。この逆転現象を起こしているのは自覚できる私でなければそれは誰なのか?「数」そのものなのか。



■このように全く意識すらできないレベルにおける数を数えるという行為、もしくは数を認識するという現象は、私たちの通常意識がいかに薄い表層に過ぎないものであるかを改めて知らしめてくれる。そして自明であるとされている「意識的に数を数える」という行為自体をも、意識のさらなる奥行きの中で立ち働いている12−60進法的な数認識と無関係ではないと捉えつつ考え直さなければならないだろう。

■このように全く意識すらできないレベルにおける数を数えるという行為、もしくは数を認識するという現象は、私たちの通常意識がいかに薄い表層に過ぎないものであるかを改めて知らしめてくれる。そして自明と思われた「意識的に数を数える」という行為自体すらも、意識のさらなる奥行きの中でなされていると知り、13-20に行くためにも敬意を持ちつつ改めて12-60を捉え直し知り尽くす必要があるだろう。









 


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