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  • 2024.01.09 Tuesday
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発掘された4コマまんが(その2)

■さらに発掘まんが。私がかつてマンガを書いていたことを知らない人は多いが、なんか懐かしいのでもう何点か上げてみる。なおまんがの中の「横高」というのは県立横須賀高校という私の母校のことだけど、本当は制服ではなかった(笑)。サッカー部だった私は結構タイツとジャージ姿でうろついていたな。

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                        (その3に続く)













発掘された4コマまんが(その1)

■原稿を整理していたら、遥か昔の4コマまんがが何点か発掘された。1983年に当時は創刊されて間もなかった集英社のヤングジャンプで『ランダムビート』を発表する前だから、多分1982年頃のものと思われる。猫画像を用いた猫まんが以外の4コマまんがを描いていたことは当人も忘れかけていた事実である。

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                    (その2に続く)

















​嘘つきは人殺しの始まり



■1■1年前までは「嘘つきは泥棒の始まり」が慣用句だった。人​間は言語を用いてコミュニケーションする。言語の構造上、正常人​は時に嘘をつく。その嘘が他人の幸せのためなら許容できるが、自​分の利得のため他者を殺傷するに至る嘘は許しがたい。今はもう「​嘘つきは人殺しの始まり」に漸近している。

■2■倫理や道徳や宗教的心得の話ではない。日常の話だ。産地偽​装を産地でない所で偽る理不尽さ。TVや新聞やマスコミ全般が嘘​まみれな情けなさ。嘘は即座にもしくは近々に露呈するものだ。嘘​つきの顔というものはある。どんなちいさな嘘でも、利己的な嘘は​世界に蔓延する虚偽俗悪とリンクする。

■3■もはや小さい嘘と大きな嘘に大差はない。嘘はその質によっ​て連動する。嘘つきは自らを先ず汚染する。嘘つきは人より余計に​エネルギーを使うので、嘘つきはいずれいぎたなく自滅するまで非​人道的に奪う。嘘という真実にすら気付かずに。嘘の入り込めない​ところに価値がある。生き残るべし、誠実。 













「13の月の暦」付き「地球暦」

 

■1■故ホゼ・アグエイアスが創出した「13の月の暦」はいわゆる「銀河の贈り物」である。そしてこの杉山開知氏が創出した「地球暦」もまた「銀河の贈り物」である。共に同じ言葉を用いているだけなのに、混乱を招くからとかこちらが元祖だとかいう類の言葉誤用による不調和があるとしたら嘆かわしい。

■2■敵対する『ロミオとジュリエット』の2家でもないのだから、次元交差的クロスオーバーもあってしかるべきではなかろうか。下の図は今は現役を退いたチョコボ氏の、この2者を1つにした力作である。残念ながら2009年バージョンだが、この共に視覚的把握可能な暦の併用は新しい着想を顕現しやすい。

■3■暦の大家でもあるチョコボ氏は杉山氏から暦の原本を借りて、こつこつと太陽の紋章と銀河の音程を打ちこんでいったのだが、随分労力がかかったらしい。誰でもできるものではないかも知れない。しかし同様にこの地球暦に、様々な世界観や情報を自分なりにパイルして使うのが作者の希望でもあろう。

■4■創出者を超えるようなバージョンアップこそが、自らの成果や業績を保持しようとやっきになる類の愚行とは縁がない創出者自身の願いでもあろう。角度・反転・対性・12区分・3と4・月の位相・各惑星同士の位相変化・潮の満ち引き・銀河中心方向の位相…我見でもいいから自らの視座を励起しよう。













新しいアクセラの顔



■1■私が知らない間に、愚妻がマツダのアクセラを最新の車種に変えていた。まあ私は原付の運転すらできない無免許者だから文句は言えないけれど、色が群青色から少し明るい色に変わってしまっていた。それだけならいいのだけれど、何か車の顔が以前とは違う気がする。気になるとどんどん気になる。

■2■どうもあのウーパールーパーのニヘラ顔のようなフロントが、少し知恵がついた笑いのようなニパッ顔に思えるのだ。まじまじみても前の車がないので良く分からないけれど、全体印象がかなり違う〜。そんなことを主張していたら、マツダで新旧2台並んだ時撮った画像があると言う。早く言ってくれよ。

■3■比べてみると間違い探しではまいけれど、随所に小さな違いがある。ドライビング感覚の違いは分からないし、空力性能や機能美を向上させたフォルムと言われてもなあ。リア顔も少し変っているし。もっともそのうちすぐに慣れて、これはこれでイカしてると思うようになるのだろう。新車くさいよ内部。













ぎんがのおとをこの手に

         発売元はサムソン。画像は発売当時のものを借用。

 

■1■野良edならぬノマドで、PCを使って外で原稿をまとめたりネットで調べものをしたりするのに、今まではPCとモバイルタイプのWi-Fiルーターを使ってやっていた。しかしずっとお気に入りだった超オールドタイプの携帯電話が壊れ始めていたので、スマートフォンタイプに切り替えることを決断した。

■2■そこで今月の初めころから念頭にあった、Wi-Fiルーターにもなるスマートフォンを入手することにした。さっそく近所のNTTdocomoへ行き、数種しかまだ出ていないXiデータ通信もできる機種から選択することにした。「Xi」と書いてクロッシーと読ませるのだが、最初から読める人はまずいないだろう。

■3■何かスマートフォンにしてはちょっとだけ大きい機種があった。他のものは値段も大きさも性能も好みこそ違え、みな似たように思えたのだが、その白いものだけはちょっと魅かれる者があった。「GALAXY Note」という名前で、どのスマートフォンより大きく、それでもどのタブレットより小さい機種だった。
 

        こちらの画像はi-Fhoneとの大きさの比較。でかいよね。

 
■4■「Xi」は今までのFOMAよりむしろ光回線に近い通信速度であり、しかもWiFiデザリングで8台までのPCが接続可能なルーターにもなる。また本体の処理能力も1.5GHzのデュアルコアCPUを搭載してストレスが殆どない。画面はちょいデカ、バッテリーも大容量になり、タブレットペンの操作も可能だ。

■5■早い話が、大きな画面のスマートフォンだから通話もネットもでき、他のPCの無線通信ルーターにもなり、カメラも196万画素の高画質、タブレットペンで文字や画像も扱えるし、音声入力対応もしてくれるしワンセグも着いているのだ。他にも多数の機能満載だが、私には持てあますほどのた機能集積体だ。

■6■旅行するのにこれまではデジカメと携帯電話とWiFiルーターとノートPCを持って行ったのだが、前の3つがこの「GALAXY Note」になり、充電器や電源コードやメディア変換器などの周辺機器も含めて随分すっきりする。まあ私としては初スマートフォンなので、問題はどれだけ早く使いこなせるかである。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


旅日記:北への旅3(その2)柏崎田島へ



■1■朝の目覚めは6時少し前。家にいたら4時には猫に起こされるので、これでもゆっくり寝た感覚だ。せっかくの旅先なので、行事イベントがひけたら温泉のひとつでも攻めようかと思っていろいろネット検索したが、新潟県も温泉が多くてなかなか絞れないまま出発の時間が来た。お腹はまだ残存満腹感。

■2■母の実家では祖父母が続けて無くなってから40年間葬式がなかったと菩提寺の僧侶が言う。地方ではお寺との結び付きがいまだにとても堅い。亡くなった伯母もお寺の檀家の会などでいろいろ貢献していたらしい。宗派や土地の持つ雰囲気で、母の時は波立たなかったこちらの情動もいつになく揺れ動く。



■3■菩提寺ではつい先日住職が息子に代替わりしたばかりだそうだ。住職が退任することを退薫、代替わりを晋山と言う。檀家からずっと「若」と呼ばれている、この歌舞伎役者っぽいイケメンの新住職が今回の告別式を取り行った。左右から父と叔父がサポートし皆も見守るこの告別式は優しく厳かだった。

■4■曹洞宗では山風というお寺ごとの自由なやり方が認められているのだが、近親の僧侶3人による読経や進行は実に興味深かった。曹洞宗は鳴りものが多い。鈴や鐘や木魚やシンバル様の金属を随時鳴り響かせながら、時々派手な儀式的所作も入る一連の読経は、パフォーマンス充分のコンサートにも見える。



■5■告別式を終えて最後の別れに献花してから出棺。こちらではまだ霊柩車が稼働している。火葬場では桜の花が咲き乱れていた。そのまま居間の地名では山室に含まれている田島に移動する。参列者の多くはバスで、私たちは車で。小学校入学時の私の住居から100mもない料亭まるやまにて精進落とし。

■6■子供の頃、霊柩車をみかけたら「親指を他の4本の指の中に隠さないと親が早死にする」という話を丸々信じて、慌てて指を握りしめた記憶があるよなと弟妹に言うと、「今はしなくて大丈夫。なんせもうどちらも死んでいるから」と弟。それは正論だが、それにしてもあの言われは何だったのだろう?



■7■元々の精進落としは、四十九日の忌明けに通常の食事に戻すことだったが、今では火葬中から戻った後に、喪主・遺族が一同を料理と酒でもてなすことを意味するのだが、冠婚葬祭も含めて儀式が苦手な私としては、貴重な体験となった。田舎なればこその大広間に一堂に会しての膳は壮観ですらあった。

■8■僧侶や世話役が上座、そして順次て友人や近親者と続いて喪主と遺族は末席に座っている。宴会場でのこよのような光景は見たことがあるが、儀式的な場でのこれだけ広い場でのものは初めてなので、雰囲気が分かるように全体を画像に納めたかったのだが、喪主や参列者に気兼ねして撮る勇気がなかった。

)上の画像だけでなく膳席はまだ正面と右側にも広がっている。画像をみるだけでなく、そこに座っている視座をイメージしてもらえると、旧家の○○家の人々みたいな世界の中の私の不思議な感覚の一部でも分かっていただけるだろうか。



■9■この地方は大きな儀式の時などにのみ作る様々な料理があったと記憶していた。素材も味付けも滅多に食せないものばかりなのだが、この料亭ではそれを作り、順次大皿に盛って出され、自分の分量だけ撮っては横に回す方式で再現してくれていた。東京の親族はこれを田舎のバイキングと呼んでいた。

■10■子供の頃好きだったが、よもや食せるとは思わなかった鯨汁も出て来た。この地方の郷土食だ。戻して煮込むとこってりとした脂が出る塩蔵のくじらと野菜を味噌仕立てで食べるのだが、共に入れるユウガオ、ジャガイモ、タマネギ、ナス、打ち豆などの季節の野菜によって少しずつ味感が違う気がする。



■11■眼前の膳上の皿だけでも食べ切れないのに、横から次々に大皿料理が回って来るし、皆さんが次々に酒やビールを次に来てくれるので、私は極楽をオーバーロードして地獄の苦しみまであと半歩のところで踏みとどまるのにやっとだった。普通は1時間半ほどでお開きになるらしいが、長く長く続く。

■12■市内の火葬場から伯母の遺骨が到着したので、ようやく田島の家に戻ることに。出棺の時も棺を持つ役を承ったが、この時も遺骨を家まで運ぶ役を頼まれた。喪主のいとこの私たちへの心遣いなのだろうな。有難い限りである。家で祖母祖父の遺影や25年ほど前に私がこの地を描いたペン画とも再開した。

)画像右端の残雪の一部に注意。



■13■この後遠方より来た親族は、徒歩5分のところにある菩提寺の普広寺に行って先祖代々の位牌に挨拶をしてから、順次解散していった。私も帰り仕度をしていると、妹が吉蔵のばあちゃんに会いに行くと言う。吉蔵は屋号だ。私は子供の頃はずっと祖父の名前だと思っていたが、金子の屋号は喜八。

■14■吉蔵のばあちゃんと言うのは亡くなったケサ伯母さんの母親だ。御歳104歳の長寿なのだが、耳が遠くなっただけで元気でいらっしゃる。50年前と同じようにと同じように、ケサ伯母さんによく似た妹さんが私たちを吉蔵に案内してくれた。雪中の青い水の色、逆光の中を樹から舞い落ちる粉雪を覚えている。

■15■こたつにはいっているおばあちゃんの耳元に「大きな声で久女さんの子供たちが来てくれたよ」と妹さんが言うと、すぐに「満麿、みっちゃんか」と認識するや否や、手を取って握りしめて「あ〜有難い、有難い。長生きしてて良かった、本当に有難いこった」と全身全霊で拝むようにして喜んでくれた。

■16■妹と弟に対しても同様だった。全くボケてはいない。それどころか昔の出来事はそれこそ日付けや時間までしっかり覚えている。「最近のことはよく分からんが」とは言うが、吉蔵のばあさんの記憶力はとてつもなく凄いらしい。元気な声で100年前の天皇の言葉も全て記憶していて詠唱してみせてくれた。

■17■確実なのは、私が50年前に訪れたことや、会わなくても当時私がどこで何をしていたかなども当人よりも沢山確実に記憶しているということだ。そしてその累積する記憶の中の者が突然眼前に現れた現実に対して、感謝と喜びとで一杯になりながら打ち震えてくれている。生きてここに在られて良かった。



■18■必ずまた来ますと約束して吉蔵を辞し、さてこれでようやく車で帰路に着こう…と思ったら、妹が最後に母の同級生に会いに行く約束をしているので、少しだけ立ち寄ろうと言う。雨も降って来たし遅いので、私はも温泉宿に行くことも諦めて早く帰路に就きたかったのだが、足がないので断れなかった。

■19■南鯖石で母の同級生だった人は小山さんと言った。結婚して少し離れた森近というところに引っ越した。そこで過ごして今は80歳。母も生きていれば同い年ということだ。亡くなったケサ伯母さんも80歳直前だった。父方の横須賀にいる伯母も80歳。自分の中でようやくこの世代に1つの括りができる。

■20■母は離れていても同級生に土産を送ったり手紙をやり取りしていたそうだ。その子供が訪れたいうことで、この上もなく喜んでくれた。あわよくばパスしたいなどと思っていた自分が恥ずかしい。ただここに在るということ、ただ生きているというだけで熱烈に感謝され喜ばれるということの強烈な体験。



■21■あの葬式の最中の、誰が誰だか関係者が多すぎて分からない時に、逆に誰でも近親者なのでみな話しかければ好意的に語り笑いしてくれるということに気付いた時の反転感覚は、この世界の人間が全て大きく括れば同族であり存在としての近親者であるということの自明さに気付くことによく似ている。

■22■否定も肯定も人間の矮小な世界認識の中の出来事に過ぎないが、その矮小さすら大切に捉えて否定と肯定を語る場合、自分を否定する何かがあると感じるならば、それは肯定している何かと比べものにならないくらい卑小なものに過ぎないということ。もう少しだけ人間として人間らしく生きるということ。












 


旅日記:北への旅3(その1)新潟柏崎へ



■1■妹の車を弟が運転し、藤沢から兄弟3人で高速を乗り継いで新潟柏崎に向かう。母方の伯母の訃報が届き、急ぎ今日がお通夜、明日が告別式という段取りになったからだ。柏崎の伯父伯母親族の方々には幼少時に随分とお世話になった。また自然と農業に対する根本的な親和が身に付いた貴重な時期だった。

■2■東京を抜けて関越及び北陸自動車道で柏崎まで5時間弱。途中、栃木と新潟の県境にある10km以上の関越トンネルを抜けたら、4月も下旬になるというのにまだ雪国だった。例年になく雪が降り続いたこの冬の雪がまだ溶けずに随分残っている。4時半に柏崎に到着。真っ白な雪山と満開の桜が印象的だ。



■3■車の中でネット予約した、柏崎駅前のホテルニューグリーン柏崎にまずはチェックイン。窓の下が柏崎駅なのだが、ユニットバスの浴槽に窓がついているので、夜には風呂に浸かりながら外を眺められた。もっとも逆にこちらも丸見え。もっとも霊妙な女性の入浴でもない限り誰も興味はないだろうが。

■4■例服に着替えて告別式の会場へ。親族の結束・近隣の結び付きが強い地方の冠婚葬祭は昔ながらの格式を残っている。無くなった伯母は母の兄の嫁さんなのだが、いつもにこやかで明るく、怒ったり不平を言ったりしたところを見たことがない。この一族は皆、共通して穏やかで優しく頑張り屋なのだ。



■5■告別式は読経・焼香・僧侶と喪主の話で40分ほど。菩提寺は曹洞宗だった。私は無宗教だが、かつて10年余り浅草の曹洞宗のお寺で掃除などのバイトをしていたり、イベントする会場が曹洞宗の寺院だったりと、何かと曹洞宗に巡りあって来た。しかしそもそも子供の頃の遊び場からの縁だったわけだ。

■6■喪主は伯父なのだが、この冬に雪下ろしをしていて腰を痛めてしまっていたので、実動は私のいとこに当たる長男が仕切っていた。このいとことは幼少時の数年間、私の弟と共に3人兄弟のように過ごした記憶がいまだに抜けない。彼の20歳と18歳の娘とは初めて会ったが、一方的に姪っ子感覚である。



■7■喪服に身を包んだ非常に多くの親族と近隣の縁者に対する人間関係がほとんど把握できず、誰が誰だか分からない。しかし逆に誰と話をしても隔たり無く等しく親密で暖かく接してもらえる。韓国に嫁いだいとこと十数年来の再開をしたり、つい最近15歳年下の嫁を貰ったいとことの久々の再開もあった。

■8■この地方特有なのかも知らないが、冠婚葬祭の時だけでなく普段からとにかく食事はたっぷり供される。もっと食べなさいもっと飲みなさいと勧められ、印象としては飲食接待のわんこそば状態だ。通夜の後の「通夜ぶるまい」からして食べ切れないほどの量が用意されていたが、私は苦痛直前までトライ。















綿棒を用いた多面体世界の探索(3)



 ■22■5の再登場?出戻り?いや3→4→5→6と進んできたものが、6を界面としてそれまでを踏まえつつ反転するのである。背後で1→2→3→4と進んできた数理の5が一方だけの7の代わりに登場するのである。数は3から始まる。しかし最初から1と2は存在する。5と6。数と形の10進法と12進法。



■23■1つの円の半径をそのまま円周にあてがえば正6角形ができ、中心点とつなぐことで6つの正3角形ができる。このうちの1つを除いた5つの正3角形をつなげることで、中心から平面に対して垂直方向に立ちあがる正5角錐ができる。この立ち上がりは正5角形の頂点と中心の距離と黄金比を形成する。

)なおこのあたりの事に関する計算や数値に関しては私の以下のブログに示して置いた。
http://metalogue.jugem.jp/?eid=1056



■24■ところで正6角形から正4面体を屹立させて、それを上下に2分割して接続させるとベクトル平衡体になることを見たが、この時のベクトル平衡体は上下の面が正3角形だった。このベクトル平衡体を少し傾けて、上下が正方形にしてから、再び2分割して、上と下を交換して接続したらどうなるだろう?



■25■マカバーの形とか、男女結合の形とも言われているになる、ケプラーの星型8面体になるのである。これは正4面体→2つの正4面体の相貫体(星型8面体)→正6面多と正8面体→正8−6相貫体と進んできたのに退行する方向なのだろうか。否、である。ベクトル平衡体に実は2つの方向がある。



■26■これは6から→7→8→9と→5→4→3が対応していると見ても良いのではなかろうか。9の次に10が来ると10進法では2桁になるが、反転して進む数も3の次は2で多角形を形成できなくなり、また数は3から始まると言うロジックのゼロに突入してしまう。点+面=線+2。数のずれと双方向性。



■27■昨日から続けていた一連の考え事は、自壊してしまった綿棒多面体を捨てもせず、再構築もせず、次の思考のための糧とし肥料としようとした結果でもある。バラけてしまった綿棒多面体に手を伸ばし、まるで熟れきった果実をもぐように取りちぎっては新しい形を作り、画像を撮り、思考を転がした。

■28■自壊してしまったけれど、この綿棒多面体は私にとって自然の中のものごとのようにナチュラルでエコロジカルな存在だった。世界に対する関与の仕方と、知に対する関与の仕方が1つの自然の美でありうることを知ったような気がする。かつて綿棒多面体だった綿棒たちには本当に心から感謝している。



ここからはエピローグ…蛇足なのでスルー願います。

(…様々な疑問と数と形の交錯が謎が謎を呼び状態で、新しいことが1つ分かると10も20も疑問や謎が湧きあがるので、ここに書き記すことで全て一旦無意識に押し戻すことになれば良いと思いつつ。)

■29■5芒星と6芒星は単独では機能しない。黄金比と円周率。曲率相殺の界面は5.5あたり。1〜10まで全て足すと55となる。1〜100まで全て足すと、ガウスが即算したように5050だが、ここから1,2,3,4を引くとプラトンも言及した5040となる。1〜10までの全ての前数で割り切れ、60個の約数がある。

■30■5角形と6角形からバッキーボールは成っている。なぜ数理は5進法か6進法ではなく、Wの10進法と12進法なのか。この2者がさほど混乱なく併用されているのは、そもそもこの身体に刻み込まれているからではないのだろうか。魚類と両生類の脳神経は10対であり、爬虫類以降のそれは12対なのか。

■31■漢字の火・水・光は中心から周囲に伸びる線を模して5・6・7という数に対比されることがある。水中から火の世界に上陸して光を浴びている私たちは、6の世界を括りぬけて5に戻ったのではなく、7の光と5の火が実は新しい視座からは同じものであると知ることができるのではなかろうか。

■32■10は12でもあると同時にまた8でもあるのではないか。その根本的な数理認識の奥に現今の世界の見え方があるのではないか。…いや今日は途中で寝落ちしたりしつつ進めて来たのでかなり疲れてしまっている。これ以上怪しい暴言気味の文言をここで吐くと全てがパーになるのでこの辺で一旦幕にしよう。














綿棒を用いた多面体世界の探索(2)



■11■正5角柱は2つの正5角錐と5つの正4角錐からなっている。正5角柱から5つの正4角錐を取りはらうと上下の正5角錐部分だけが残る。この2つの正5角錐をひっくり返して1つに繋げた形が、正3角形面10面からなるデルタ10面体だ。なおデルタ8面体は正8面体、デルタ20面体は正20面体である。



■12■逆に正5角柱から上下2つの2つの正5角錐を取りはらうと5つの正4角錐が残る。ところで正4角錐は正8面体を2つに分断した形でもある。このことを視覚的に分かり易く表現するために、5つの正8面体を回転可動するよう環状につなぎ、円柱状にして正5角錐に重ねてみたのが右側画像である。



■13■この緑色の5連の正8面体環は、正20面体の20の正3角形の面がそれぞれ正8面体に接すること、この外側に順次多面体を加えて最終的にバッキーボール(切頭20面体)になることを自分で納得するために、10年ほど前に製作してみたものである。この5連の正8面体環は正20面上を舐めるように転がる。



■14■このままバッキーボールの製作とその内部構造まで突き進むと、すでに独り善がりなのに独り善がりの2乗にならぬよう、再び綿棒によるトーラス多面体の話に戻らねば。twitterと違ってfacebookは図と共に字数も制限なく思考の転石に苔生やしつつ進んでます。不快な人は申し訳ないけれどスルーしてね。



■15■上下2つの正5角錐対をひっくり返すとデルタ10面体になる。このデルタ10面体を2分割してその間に反5角柱(つまり上下の正5角形と交互に連ねた正3角形10面からなる立体)を入れると正20面体になる。しかしデルタ10面体の中に正5角柱を入れても正方形と正3角形からなる15面体にしかならない。



■16■正5角柱は5つの正5角錐からなると言ったが、5つの正8面体を重心の1点に集めた形は、外側に凹部を作る。また正4面体を2つくっつけた形は、正3角形が6面のデルタ6面体と言う。このデルタ6面体は、この5つの正8面体が作る凹部にぴったり収まる。(109.5度×2+90.5度×2=360度)



■17■多角形は3角形からであり、2角形1角形及び2角形は存在しない。同様に角錐もまた3角錐から始まる。辺長が全て等しい正多角錐は正3角錐、正4角錐、正5角錐しか存在しない。正6角錐にしようとしても辺が集まる頂点が底辺の正6角形の中心から立ち上がれず、平面になってしまうからである。



■18■正6角錐は平面の6つの正3角形になってしまうが、そのそれぞれの正3角形面に正3角錐を立ててみよう。3つを1つ置きに立てると、その3頂点を繋げばベクトル平衡体の半分の形になる。右図は6つ全ての正3角形に正3角錐を立ててみた形であり、頂点を繋ぐと小さな正6角形になっている。



■19■6つの正3角錐(=正4面体)を立てた形を真上から見ると、麻の幾何学的文様にも見える。単位長で頂点をつなぐと1つ置きにつながって正3角形となる。また残る3頂点も同様につなぐと、結果として単位長の6芒星となる。この3つの正4面体を下向きに反転すると全体がベクトル平衡体となる。



■20■さてこの6角形上に6頂点が6芒星を作る立体には、さらに上方に6芒星から2重の正4面体を伸ばすことができる。しかしそれは均衡を欠いたバベルの塔のように幻の方向展開だ。2重の正4面体の片方側のセットを下側に反転させることで対称性が得られる。取りあえず片側だけでも反転してみよう。



■21■これで上向き由来と下向き由来の半分ずつのベクトル平衡体が合体して1つのベクトル平衡体の完成だ。めでたし、めでたし…とここで話が終わるわけではない。単位長の稜線が互いに届かない正7角形以降への道もまた断たれている。ではどのようにして話は続くのか?ここで正5角錐系の登場である。

                                          (その3に続く)













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