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  • 2024.01.09 Tuesday
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椅子を引いたら猫が出た

       

 

■夕飯を作ってテーブルに並べ、さあ食べようかと椅子を引いたら、座ったままのみかんが出て来た。どいてくれる気配ゼロなので、しかたなく別の椅子を持ってきて食べましたとさ。素材が良いと野菜が美味い!ご飯は新米と玄米と古代米の連合軍。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


猫まんが:『賑やかな語りの4チャンネル』





■語りにおけるモードの1,2,3,4なんだけれど、意味わかるかなあ…。みかんの方は自分の守護天使と名をつけられて表現されているものを全く分っていません。













半田広宣講演会in宇宙食堂



■この日は本当にいろいろ有り過ぎたので、画像を晒します。私たちは元気です。参加して下さった方々、準備して下さった方々、それとなく意識して下さった方々、みなさん有難うございました。物事はすでに次のフェイズに進んでおりますが、2013年は諸事に健やかに立ち向かいましょう。

■さてこの画像だけれど、「男女男」という文字が1つになった漢字はイタブルという読みと意味ですが、真ん中にいる謎のオコツト人形(?)が反転して、宇宙食堂だけにイータブル(英語だとeatable)として、食べられる・食用可能・摂取できるみたいな意味に転じ、何事も1つここから始めましよう。 













■数が3から始まるなら1と2とは?



     数え始めたら1と2がそこにあった

■1■1と2はアプリオリであり、数を数え始める時すでにあるという表現をした。言い方を変えれば数を数え始めるためにはそれ以前に1と2が必要だということだ。だから初めて数える時はまず3に遭遇するのだとも言えよう。もちろんその時同時に1と2も知り、そして進むのは4の方向なのである。

     1から数え始めたらそれは3?

■2■数との初見は3であり、再見は4であるけれど、それを1と2として数えるならば、それ以降の数も全てマイナス2となるだけで、全体としては何の問題もない。しかしそれ以前に在るものの数ではなかった1と2も同じ数理場で扱おうとする時、10進法と12進法の共存と混用が生起するのだろうか。

     混用の繰り返しが数の多重性を生む

■3■この混用もしくは同一平面での使用は1度だげでなく繰り返されることによって、10進法とオクターブを有する8という数や、ひとつの数の限界でもある14という数も含めて、全ての自然数そのものの内部対性や、偶数と奇数セットが生じていると見る視座もあろうが、今は先ずシンプルに数を見よう。

     初めての2度目の重要性

■4■1と2には初見と初めての再見という、それ以降の数とは異なった特別な特徴がある。例えば初めての場所を訪れた時は全てが初めての体験であり、とても印象に残る。そして2度目に再訪した時は、前回の記憶があるので安心して動ける。しかし「初めて」の安心できる事実にはあまり注意を払わない。

     初見と初再見

■6■しかしこのそれまでに経験したことがない安心や方向感覚や土地の記憶など「初めての2度目」という感覚の、3度目や4度目以降の感覚との差異はもっと注意されて然るべきであろう。このことは土地の訪問に限らず、対人関係や身辺の状況変化など殆どのことに関しても該当すると言えるだろう。

     1と2の差異・0と1の差異

■7■初見…すなわち初めて出会うものやことはすべからく新しい。未知との遭遇である。それに対して再見…2度目の出会いは既知との遭遇である。この初見と初再見はある意味、無と有に対応する0と1の差異にも比せられる。心理的には懐かしさや安心感(その逆も含む)が初めて生じるのである。

     初項と第2項は初期設定/フィボナッチ数列

■8■黄金比と深い関係があるフィボナッチ数列というものがある。ロジックは至って簡単だ。初項が1、第2項も1とし、以降の数は順次前2項の和としてどこまでも展開しゆく数列だ。これはレオナルド・ダ・ピサが1つがいの兎から子供が生まれるてくる数の展開という想定で提起した問題だった。

     同じ文法・異なる設定/リュカ数列

■9■この初項の1と第2項の1は、大きな1と小さな1と表現もする。初項と第2項はいわば初期設定であり、それが第3項から文法として生きてくる。しかしこの初期設定はもちろん1でなくてもかまわない。初項2、第2項1の数列はリュカ数と呼ばれ、(金比の(項数+1)乗の値に近似する。

     フュンク・ウレの数列

■10■視覚的に分かり易いので、初項と第2項が2と10のフュンク・ウレの数列を見てみよう。第12項が1000、13項が1618、14項が2618…となり、また逆に第11項は618、第10項は382…となる。初項と第2項を別枠にして、第3項を新たなる初項とすると、12→10となり、対称性がより分かり易い。

     10と12、5と6

■11■ここに10進法と12進法の関係の1つを垣間見ることができるかもしれない。初項と第2項を初外して第3項を初項として見ていけば、ちょうど第10項を1/1000倍した1として、その右側の項は順次黄金比φの整数累乗数であり、また左側は順次φの逆数の整数累乗数として対称的に並んでいる。

     判断は他人任せにて

■12■これは1つの例である。数学的証明や論理的説明を連ねて力技で正解を提示するのではなく、符合に見える状況証拠的な事実を集めて示していくという方法を取り、その後の事に関しては個々人の判断と想像に任せたい。いや正直に言うと唯一無比の正解というものがあるのかすら分からないのである。













 


物語はすべからく4人称

 

     物語と第4人称

■1■1人称、2人称、3人称に自在に移入でき、しかも俯瞰する視線と視座も有しているが、第4人称は神の視座ではない。一意で物語やまんがを読む時の視座もこれに似ている。ただし登場人物の視座は超えていても、全体がどう展開して行くのかは、それを創作中の作者のように確実には分からない。

     物語的な視座への文法

■2■では作者の視点こそが第4人称の視座だろうか。作者にも色々ある。すぐれた者もいれば未熟な時もある。まんがでは通常1人称で語る場合でも、読者に誰が語っているか分かるようにその語る者を画面に示す。その者が他者他物を見る時、その者の肩越しに示すなどして視線を共有させて誘導する。

     関与の能動性と受動性

■3■この見る者と見られる者や物の関係が分かれば、以降は読者のイメージを踏み外さない限り、この約束は不要となる。1〜3人称の視座のカットが自在に連なり、複合的な視座や語りが挟まっても、作者は能動的に、鑑賞者は受動的にこの4人称的視座の物語の展開を共有することができる。

     「頭山」という物語

■4■落語に「頭山」という話がある。あるケチな男の頭に桜の木が生えた。それを人が花見に来て騒ぐので、うるさくてそれを抜いてしまった。そこにできた穴に水がたまって池になり、魚も泳いで人が集まり騒いだ。男は疲れ果てて世をはかなみ、ついにその自分の頭の池に身投げてしまったという話だ。

     常識を超えたリアリティ

■5■初めてこれを聞いた時、私はまだほんの子供だったけれど、ナンセンスだとかシュールな話だとかいう感想を持つ以前に、この奇妙にホロニックでフラクタルな世界観に対して不思議なリアリティを感じたものだ。この話にはたくさんのバリエーションがあるけれど、最後はみんな頭の池の中で死ぬ。

     4人称的?4次元的?

■6■3次元的な常識感覚から言えばそれはありえないだろう。1人称の上に3人称が乗って騒いでいるようなものだ。これが4人称的なビジョンなのだろうか。同時に多くの視座とスケールがあるこの多重構造は、男の単なる妄想なのか、それとも高次のリアリティなのか。両方なのか、全然別なのか。

     つまらない解釈が多い

■7■ (1)単なる落語の作り話だから気にするな。(2)ナンセンスもしくはシュールな話として聞き流せ。(3)現実と心象が錯綜する統合失調症者の妄想的な心理描写である。…本当に病気なのか?(4)トポロジー的には足からどんどん入れていき、最後に頭部は裏返しになりつるりと入る。…何を言っているのだ?

     反転にも方向がある

■8■自分が絶対と考えていたものが次々にひっくり返えっていくこのご時世、それを見る自分自身の視座そのものもひっくり返りうることを知らずに反転の方向を見誤ると、自分を捉えている既知の世界の外側に出るのではなく、自分の頭の中に投身自殺してしまい、比喩的にも現実的にも溺死しかねない。

     4人称は自分も含まれる

■9■この話は多分に4次元的であり、また4人称的なものではなかろうか。映画や漫画や小説にしても、そもそも物語と言うものは4人称的なものであるはずだ。1〜3人称の視座をすべて含むだけでなく、愚かさや哀れさ、健やかさや美しさ、人間の総体としての智慧や慈愛までがふくよかに見て取れる。

     そもそも世界は頭山

■10■いつ自分の頭に桜の木が生えてきてもたじろがずにいられるだろうか。煩がらずに人々に開放し、共に花見をしたりできようか。投身自殺するのではなく、池も気持ち良く泳ぎまわり、辺り一面に新たなものを創り出すこともまたできるはずだ。己れの見る世界の果てまで全てがそもそも頭山なのだから。

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■落語の「頭山」(色々なバージョンがあるので五代目古今亭志ん生の「わら人形」のマクラより)

けちんぼの吝兵衛さんは、花見に行くとみんなが旨いものを食っているので、自分も食いたくなり金がかるからと、時期をずらして葉桜になってから花見に出掛けた。桜の枝になっているさくらんぼをひとつ食べたら美味いし、只なので続けて沢山食べた。 翌年になると、頭から桜の樹が生えて来てやがて満開になった。今年は吝兵衛さんの頭山で花見をしようと人が集まって来て、歌ったり踊ったり、花火を上げる奴までいて、うるさくてしょうがない。堪り兼ねた吝兵衛さんは桜の樹を引っこ抜いてしまった。 その跡には池ができて、鮒や鯉などの魚が泳ぎはじめた。鯰の大物が釣れたとか噂が広まり、大勢の人が頭山の池に釣りに来た。頭の上はいつもうるさいし、時々釣り針が鼻に引っ掛かって痛い。自分ほど不幸な奴はいないと世を儚んで、吝兵衛さんは、自分の頭の池に身を投げて死んでしまった。

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元素の成り立ちに数を数える

 

■1■「化学者というのは難しい数え方をする。陽子が1個、2個、3個、4個、5個と言うところを、水素、ヘリウム、リチウム、ベリリウム、ホウ素と数えるのだから。」そう言ったのはリチャード・ファインマンだった。確かに元素周期表を見ると、原子番号がそのまま各元素の陽子の数と対応している。

■2■原子番号とはそれぞれの原子の原子核の中にある陽子の数のことである。自然界の中でもこれほど明確に数と番号が対応しているものはそう多くない。数は3から始まると表現しているが、ここでもやはりものの数ではない1と2は特別である。原子番号1はH:水素、そして2はHe:ヘリウムである。

■3■フィボナッチ数列は1,1,2,3,5,8…と並ぶが、これは1つがいの兎が時の経過と共に1つがいの子を生み、そのつがいの総数がどう増加していくかという想定の数列である。つまりオスとメスの2匹で1単位なので、個体数で考えれば最初から全てこの数列で示された数の2倍なのである。

■4■原子番号と原子量の関係もこの事情に似ている。つまり通常、原子核の中には陽子の数とほぼ同質量の中性子が存在しており、崩壊しやすかったり中性子数が異なる同位体もあるので必ずしも厳密ではないが、原子量で見ていけばそれぞれの原子はゆらぎを持ちつつ原子場号のほぼ2倍になっている。

■5■しかし宇宙で最も多く存在する原子番号1の水素は、原子番号2以降の各元素との間に決定的な差異がある。水素とヘリウムの原子番号は1と2なのに、質量比は1:4となっている。それは陽子2つ中性子2つのヘリウム原子核に対し、水素の原子核は陽子1つだけなので原子量は1のままだからだ。

■6■つまり水素だけが中性子を有していないのだ。いや中性子を持つ水素の同位体も存在する。陽子1つだけの水素1Hに対して、陽子1つと中性子1つからなる重水素2Hだ。では他の原子同様に原子量2の重水素を原子番号1とすれば良いのでは?残念ながら重水素は存在比が水素の5桁も下なのだ。

■7■さらに言えば、陽子1つと中性子2つからなる3重水素3Hも存在する。なお原子番号2のヘリウムの原子核は陽子2つ、中性子2つで原子量は4だったが、実は2つの陽子と1つの中性子からなる同位体・ヘリウム3も存在する。ただし天然存在比はヘリウム4とほぼ1:100万と6桁も違うのだが。

■8■整理しよう。原子量1が水素、2が重水素、3は3重水素とヘリウム3、そして4がヘリウム4である。ヘリウム4の陽子2つと中性子2つからなる4つ組の原子核は実に強固な結び付きのユニットで、大きな原子の不安定核のアルファ崩壊にともなって放出されるアルファ粒子そのものでもあるのだ。

■9■原子番号では連続する最初の1と2の間にすでに質量数で1と4というギャップがあったが、ほんのわずかながら質量数2と3もあり連続していた。では同じ元素でも同位体を区別できるこの質量数で数えれば、自然数の不連続はなくなるだろうか。画像の同位体組成表を参照しながら確認してみよう。

■10■ヘリウム4の原子核はその結びつきが非常に強いので、そこに中性子や陽子がぶつかって融合したとしても瞬時にヘリウム4に崩壊してしまうのである。つまり質量数5に相当するものは存在できないのである。その次に存在するのは陽子3と中性子が3個及び4個のリチウム6とリチウム7である。

■11■さて次の原子量8は陽子4と中性子4のベリリウム8になるはずだ。しかしここでも瞬時に強固な結び付きの2つのヘリウム4に分裂してしまうので、原子量8に相当するものは存在できない。ここにも不連続ができている。そこで全てのベリリウムは陽子4中性子5の原子量9で安定しているのだ。

■12■原子番号5のホウ素は陽子5個と中性子5個及び6個の原子量10と11で、天然存在比は19.9%と80.1%である。そして原子量12でようやく炭素12に辿りつく。なお原子量13の炭素13も存在する(存在比は98.93%:1.07%)。原子量9以降は様々な原子の同位体も含めて連続して存在する。

■13■ここまでで分かったことは、中性子の有無による原子番号1の水素とヘリウムの決定的な差異、強固な結び付きのヘリウム原子核によって、原子量が5と8に相当する原子が存在できないということだ。5と8はフィボナッチ数の5と6だ。この質量数4をペンターブ的内部構造と捉えることもできる。

■14■最初の5つの元素の内部を数の数え上げ的に見てきたが、この先、同位体も含めて炭素・窒素・酸素が続き、陽子9個と中性子10個からなる質量数19で存在度が100%のフッ素が来て、最後に陽子10個と中性子10個で原子番号10、質量数20のネオン20で周期表の第2周期までが終わることになる。

■15■ただし質量数21と22のネオン21及びネオン22もわずかに存在している。そして第3周期の原子番号11:ナトリウムで初めて質量数は22を超えて23となる。原子番号17:塩素とイオン結合して、私たちに欠かせない塩化ナトリウム(塩)となるが、この聖なる化合物の原子番号の和は生命の数の28だ。

■16■最初の水素から原子番号5のホウ素までで一区切りがあり、原子番号6、7、8、の炭素・窒素・酸素を含む原子番号10まででまた一区切りがあり、第3周期の原子番号11のナトリウムから原子番号15のリンまでで3つ目の区切りを見る。炭素・窒素・酸素、そして水素とリンでDNAは構成される。

■17■恒星内での核融合にはp−pチェイン(陽子−陽子連鎖反応)とCNOサイクルがある。CNOはもちろん炭素・窒素・酸素である。どちらも4つの水素原子核が1つのヘリウム原子核になる水素核融合だ。…いや、そんなに話を急ぐことはない。この先はまた次の機会に改めて見ていくことにしよう。














形の上で数を数え始める

 

     点・線・面・胞…

■1■例えば多面体を見る時、そこには点・線・面・胞という要素がある。幾何学的に言うところの0・1・2・3次元だ。多面体はその界面により内と外を分割し、その内側を普通「胞」と言う。ただし3は3そのものの全体を捉えられない。それを外から見ている私たちは3次元を少しはみ出している。

     M、T、S、H

■2■次の方向はというとミクロ−マクロ方向の反転だ。面点変換とは文字通り点を面に、面を点に変換することだ。これは2⇔0次元の変換だが、同時に背後では胞⇔線の変換もある。偶数と奇数の2重螺旋である。日本語でM、T、S、Hは面、点、線、胞だが、明治・大正・昭和・平成の略でもある。

     体積比1:2:3

■3■点4・線6・面6の最も少ない要素からなる1つの胞である正多面体は正4面体だ。これを2つ直交させた形がケプラーの星型8面体だ。この中心にできる重畳部分は、名前の通り正8面体となる。この正8面体を体積1とすると、最初の正4面体は体積2となり、星型8面体の体積比は3となる。



     体積比5:6:8:9:12

■4■このケプラーの星型8面体の8頂点を結ぶと体積6の正6面体となる。この正6面体に新たなる正8面体と中接球を共有させると体積は8となり、その直交立体は体積が9の正8−6相貫体となる。また共通部分は体積5のベクトル平衡体であり、14個の頂点を結ぶと体積比12の菱形12面体となる。

     正4面体の面点変換

■5■正4面体を外側に面点変換すると、体積比が3の3乗倍すなわち27倍で逆向きの正4面体となる。そしてこれを再度面点変換すると、今度は最初の正4面体と向きは同じだが体積が27の3乗である729倍の正4面体となる。元に戻るのに面点変換は2度必要であり、そして体積比は729となるのである。

     正6面体と正8面体

■6■では正6面体を面点変換してみよう。すると今度は正6面体ではなく正8面体となる。この体積比は1:4.5もしくは2:9である。そしてこの正8面体をもう1度面点変換すると、再び正6面体となる。体積比は正8面体の6倍だ。すなわち最初の正6面体からは(4.5×6=)27倍となっている。



     3重の正6面体

■7■さらに3回目の面点変換をしてみよう。するとまた正8面体になるが、今度は体積比が最初の正6面体の121.5倍だ。整数比にすると2:243である。243は3の5乗だ。243日は金星の自転周期である。この正8面体をさらに面点変換してできる3番目の正6面体の体積比は27×27の729倍である。

     面点変換と双対立体

■8■正4面体は2回の面点変換で体積が729倍の正4面体となったが、正6面体は正8面体が間に挟まり、4回の面点変換で体積が729倍の正6面体となる。これは正8面体から初めても同様で、体積比は4回の面点変換で1→6→27→162→729となる。正6面体と正8面体の関係は双対立体であると言う。

     3重のホロニックな関係

■9■間の正8面体を外して、この3重の正6面体を並べてみよう。体積比は1:27:729だが、これは単位立方体、ルービックキューブのように1辺が3の正6面体、そしてそれがまた1ピースとなり全体としては9×9×9の正6面体という、3重のホロニックな関係として捉えることができるだろう。



     形の上に日の巡りを見る

■10■3を繰り返すことですでに9まで届いたが、この体積1の単位ピースを1日としてこの数の関係性を見てみよう。1と27の和は28である。これは13の月の暦の1ヶ月の日数だ。1と729の和は730だ。これは地球の2年の日数である。そして27と729の和は756は、土星の2会合周期である。

     月・地球・太陽・土星

■11■1日は地球としての基本の1、28日は生命サイクルを生む月と地球の関係の、729日(もしくは365日)は地球と太陽の関係、756日(もしくは378日)は、地球を介した月と土星の1年日法的にホロニックな関係(すなわち月の1朔望周期の29.5日と土星の1会合周期の29.5年)として見て取れる。

     た・ち・つ・て・と

■12■様々なところでみな繋がっているが、日本語の5段10行の50音図の4行目は「たちつてと」だ。タは太陽、チは地球、ツは月と解し、テは天王星、トは濁点を付けて土星として捉えることができるだろう。偶然や駄洒落として解してくれてかまわないが、暦における天王星へのホロン関係はまた後で。



     プラトン立体は5種類6個

■13■プラトン立体にはあと正12面体と正20面体があり、全部で5種類だ。正6面体と正8面体が双対の関係にあったように、正12面体と正20面体もまた面と点が変換可能である。そして正4面体は自分自身と双対の関係にある。プラトン立体には3つの双対関係があり、全部で6個とも捉えられるのだ。

     形の上に数を

■14■5種類のプラトン立体の上に3を見、6を数えることは、5で1つ閉じたペンターブシステムを超え行く視点だが、そう息せき切って先に進むことはない。いずれすぐにプラトン立体の上に完全なる数100や、太陽暦の365、そして100+365の和である465(30の3角数)を数えることになるのだから。

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   正4面体⇒逆向きの正4面体⇒正4面体  1:27:729
   正6面体⇒双対体の正8面体⇒正6面体  1:6:27
   正8面体⇒双対体の正6面体⇒正8面体  1:4.5:27 (2:9:54)














 


まず4のある方向を向こう



      1,2,3,4…

■1■人間としての数を少しだけ超えた話をしよう。私たちの多くは未だに4を十分には知らない。知ってるのは1,2,3までだ。私たちが数を数え始めた時、そこはすでに3次元だった。私たちがものを数える前からそこにはすでに1と2があったことを知り、自分自身が3であることに初めて気づく。

      それぞれが語る4

■2■この世界を私たちは共有する1次元・2次元を内包した3次元空間として捉え、身体を介して関与し、1人称・2人称・3人称を用いて記述する。そしてそれぞれの4次元や4人称を語り始める。4次元は時間だとか、ミクロ−マクロ方向だとか言い、4人称とは霊的だとか時空を超えるとかと語る。

      人類と個人の数え始め

■3■最初に数を数え始めると言う時、それは現在の私たち人類の大過去の話のことなのか、それとも私たち個人個人の話のことなのか?それは区別することなく1つ事として括って見ていこう。人間が最初に数を数えた時のことは誰も知らない。自分が最初に数え始めた時のことを覚えている者はいない。



      4なぞ誰でも知っている?

■4■4を十分には知らないと言うけれど、ビートルズが4人だったことを知っているし、自分は父と母から産まれたけれど、父と母それぞれにも父と母がいるから、誰にも爺さんと婆さんが全部で4人いるのを知っている。東西南北の4方向もだし、私たちの身体は四肢を揃えてこの世に産まれてくる。

      論理自体に疑問を持つ

■5■既存の1と2が対性も有しているように、3と対の4もまた同様の対性を有しているのではないか?…良い推理だ。1+1=2、1+2=3。ならば2+2=4だろう。論理は厳密な2値である。あなたは犬派か猫派か?排中律を認めない。…では犬も猫もの私は「排中を認めない」自体を認めない。

      それぞれの3値と4値

■6■「犬好き」と「猫好き」がすでにあった1と2ならば、それを超える3値は「犬も猫も好き」だろう。では3と4にも対性があるのであれば、4値とは「犬も猫も嫌い」もしくは「犬でもなく猫でもなく」だろうか。猿なのか?鳥なのか?全て嫌いなのか?それぞれが勝手な4を持つ。4値論理とは?



      これ、それ、あれ、どれ

■7■3次元から4次元を見ると、様々な4次元の部分しか見えない。1人称・2人称・3人称というのは西洋的な記述の把握の仕方であって、そもそも日本語の文法には人称がなくこそあど言葉がある。これ、それ、あれは1人称、2人称、3人称に似ている。では4人称的なのは…どれ。…謎のままだ。

      数える時間の始動

■8■1,2,3,4は私たち人間に限らず、多くの動物も直覚的に見て取れることが分かっている。ぱっと見で3も4も5も判別できるのだ。しかし6以上になると、5と6の区別も瞬時には見て取れない。そこでそれ以上の数を確実にするために記憶や推理をする左脳が稼動し始める。時間が動き始める。

      数を知っているのか?

■9■私たちが現代人として当然のように用いている1,2,3,4,5,6,7,8,9…そして0を添えてホロニックに用いる10進法の数とは何か?私たちはすでに1〜9までの数を知っているのではないか?確かに知っている。しかしそれはあくまでも数の射影であり、不明瞭な解釈の反映なのだ。



      数を用いて数を語る

■10■言葉の起源と本質について、言葉を用いて語り追求しようとするように、数の起源と本質について、今知っている数を用いて追求して行こう。それは自らの歯に噛みつこうとする作業に似ている。噛もうとする歯が元々自分のものであるように、数について知ろうとする私たち自体がそもそも数なのだ。

      人間の数を超えて

■11■私たちは10進法を用いて百・千・万から億・兆・京を越えた数まで知っているし、電子機器に2進法的な操作を機械にさせることで、瞬時に遥か無限の向こうまでを計算することができる。それは本当か?数に騙され、操られるのは騙し操る人間がいるからだ。人間の数の多くは生命の無い死んだ数だ。

      数を愛し形を生きる

■12■「プラトン立体」とか「数」には大きさや実体がない。それでも面点変換や加減乗除はできる。どこでやっているのか?反転した私たち自身の中でである。知るとは何か?学ぶとは何か?自らの生命の中にある形を健やかに愛し、自らの精神の中にある数を息をするように数えることではなかろうか。



      私たちは4を思い出す

■13■そんなことが数学や幾何学とはあまり縁のない自分にできるのだろうか?大丈夫だ。数と形は学問世界だけのものではない。自分ひとりで数を数え、形を見ているのではない。3次元と4次元の間の、この3.65次元の踊り場で、ひとりを超えた4人称の時空で、それを楽しく美しく成して行けばよい。














2013年になったので…


★忙しい人は申し訳ないのでスキップ願います。
 

 
■横浜は二俣川にあるカフェ・レストラン「宇宙食堂」という謎の場所(笑)で、盟友・半田広宣氏の講演会が1月27日にあるというので「宇宙食堂」のHPを調べてみたら、その前日の26日に私が「数と形」の話をするという告知が出ていた。もうすぐだから、話の内容とかちゃんと告知しなくては…。
 
このページ⇒ http://ameblo.jp/uchushokudo/entry-11442517222.html
 
■ということで、2013年以降はお金を取りたくないなあ、本当に話を聞いてくれる人だったら無料でいいなあとか妄想していたけれど、やはり主催して下さるところの手を煩わせ、いろいろとお世話になるわけだから、個人的には心苦しいけれどセッティングフォーマットに則って話をさせてもらいます。
 
■個人的に2011〜2012年をスタジオ録音に喩えれば、2013年からはまたステージ再開&新作発表…みたいな感じで行こうと思っています。だからこれはある意味「数と形」を語るリハビリ活動なのかな。…まあ誰も来なくても、2013年バージョンの「数と形」の話を主催者と語りあうからノープロブレム。
 
■ということでまだ勝手なイメージですが、以下のようなノリと感じでやってみようと思ってます。
 

 
■時間:part01⇒午後1:00〜2:30
     part02⇒午後3:00〜4:30
         (インターバルは質問とかにも当てます。)
 
■テーマ:「数学」と「幾何学」ではなく『数』と『形』で
 
人間、何が凄いって、数が5まで本能的に数えられるということ。
人間、何が凄いって、5つのプラトン立体を認識できちゃうこと。
人間、何が凄いって、体の中にも太陽系が回転し続けていること。
 
■5進法…取りあえず5まで数えよう。
■10進法…次にそれを2倍して10まで。
■12進法…さらに2を足したら12まで。
■20進法…また10を2倍すれば20まで。
 
■宇宙に自分だけなら1が全て。…1人称。
■他者と交われば1と1から2。…2人称。
■2人して世界を見て語れば3。…3人称。
■自分らを超えた何か知れば4。…4人称。
 
■12をひっくり返せば13になる。
■13の倍はアルファベットの26。
■直交3軸の3次元は26の要素。
■月と金星の上にも見る12と13。
 
■暦の12と13は太陽暦と太陰暦。
■プラトン立体の上の355と365。
■13月暦と音階4オクターブ28。
■3,4,5から5,6,7へ。
 
■そして話はさらに、太陽系の内惑星・外惑星と月の関係、月・地球・太陽の絶妙なる3つ組、5つのプラトン立体と暦の関係、5母音・13子音・100音の日本語のカタチ、大和言葉の数のカタチ、二元論的対立から4値論理へ…などととめどなく続く。
 
■順次質問や意見なども取り上げて、様々なジャンルのものごとを見ていきます。1,2,3,4…と数えていくことの大切さと美しさと楽しさを少しの間でも共有できたらと思います。本当に興味のある方だけ、以下のURLなどでその後の詳細などを確認してみてくださいな。
 
宇宙食堂⇒  http://fol.co.jp/uchushokudo/index.html
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■数を数えることは生きること。
■形を捉えることは愛すること。
■そこまで断言しちゃいますか?
■まあそこまで到達する気概で!
 













熱海温泉「駅前温泉」



■熱海駅のすぐ近くには安価な日帰り温泉施設がない。ホテル等が開放している立ち寄り温泉もあるのだろうが、施設自体の生存競争もあり、少し古いデータではおぼつかない。案内所では毎回少し離れた日航亭大湯を勧めてくれるのだが、今回はその名だけ知っていた駅前温泉という施設に入ってみた。

■駅前温泉とはいっても、駅前ロータリーのマグドナルドがあるブロックの裏側にある。つまり1本向う側の道路に面しているのだが、特に大きな看板でもないので、注意していなければ見逃してしまう。ガラスのドアを押して入るとすぐ右に受付があり、そこで500円を払ってから左側の下駄場に進んだ。

■靴をしれて少しだけ進むと、正面に洗面台と手狭な休憩所がある、右に折れると小さな脱衣所がある。コインを使わない昔のロッカーに服と荷物を入れて浴室に入った。正面に数個のカラン、左側に深目の浴槽が1つある。タイル貼りの浴場は濃い、温泉成分のせいなのか、少し年期のはいった感がある。



■湯口は湯の中に入れられているホースであり、加水なし・加温なし・掛け流しだが、冷ますのに時間がかかるからなのか、湯船に供給される量はそう多くない。浴槽は4〜5人入れば一杯の大きさで昔ながらの銭湯の体である。見た目にも濃そうなお湯が入っているが、まず少し熱目なのが特徴だ。

■「温泉成分等啓示表」を見ると、陽イオンがナトリウムイオン984.1g、カルシウムイオン616.9gもあり、陰イオンは塩化物2222.0g、硫酸イオン752.2gもある。そのほかにも様々な成分が含まれていて、総成分4853g/kgもある。源泉温度は74.2度Cもあるとのことだが、浴槽では42度Cで用いている。

■酸性とアルカリ性の双方が打ち消し合って…というか塩化ナトリウム・塩化カルシウムなどが溶け込んでいるのだからしょっぱ辛いことこの上なしだが、pH7.1とほぼ中性となっている。湯温が少し高めなので、お湯の濃さをじっくり味わおうとしても、高濃度と高温度で湯船に長湯することはできない。



■濃くて熱目の湯でシャキッとして出るという使い方なのだろう。ただ湯船を出た後も体の温かさはなかなか抜けず、冬でも服を着た後もかなり続いている。入湯料500円は銭湯感覚では少し高めである。それでもお客が絶えずに順繰りに訪れているのは、やはり駅傍にあるというの地の理なのだろうか。

■泉質そのものは文句無し。熱海で乗り換えの時に、サクッと入ってシャキッとするには、短時間でいいのだろう洗い場の蛇口も昔、銭湯によくあった黒い丸型のボタンのタイプだし、壊れた古いサウナもそのままある。今はなかなかない古い銭湯スタイルに懐かしさを感じる人もいるだろう。

■駅から徒歩3分。営業時間は13:00〜22:00。なお熱海の共同浴場はここの他にあと7軒存在するが、多くはみな鄙びた共同浴場である。いずれ地元の人たちの迷惑にならないように、これらを巡り入湯してみたいものだと思いつつ、普通浜松行き列車に乗った。あとはもうひたすら爆睡の数時間である。 













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