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  • 2024.01.09 Tuesday
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新暦睦月晦日と旧暦睦月朔日と



■太陽暦(グレゴリオ暦)の元旦が新月だった今年。ちょうど1朔望周期だけ経って、太陰暦(旧暦)の元旦がやってきた。地球から月を見ているから、太陽との位置関係から月の1朔望周期は地球の29.5日となっている。逆に月面上にいると、太陽が昇って沈み、再び昇るまでの月の上の1日は29.5日となる。

■つまり月の1日は地球の29.5日で1朔望周期だということだ。自分が地球だとすると、自己他者問題的に相手の視座に立つと、第3人称に対応するもの(世界でもいいけど)との関係は異なるけれど、周期の比で位相を揃えることができるということでもある。分かりあえないと絶望する必要はまったくない。

■たとえば太陽系第1番惑星の水星の自転周期は58.5日、公転周期は88日、(地球との)会合周期は116日だけれど、月の1日で考えれば、それぞれほぼぴったり2日、3日、4日である。5日は金星と水星の会合周期14.5日に対応するし、6日は今度は水星上の1日(=地球の)176日に対応する。

■月の7日に対応する周期は見当たらない(7は名無し数だから360度を1〜10で唯一割り切れないとか、音階構造でも振動周波数の7倍の音は不協和音となるとか、色々別格)、しかし月の8日(234日)は金星の公転周期225日と自転周期243日の平均234日であり、金星上の2日(117×2日)でもある。

■月の9日(265.5日)に対応するものを捜すと、マヤの神聖暦ツォルキン260日が思い当たるが、私たち人間に落とし込めば、受胎してから出産までの周期(平均260〜280日と言われている)に対応しているとも見ることができよう。月の10日(295日)はまた金星の1/2会合周期(292日)と重なる。

■内惑星10進法と勝手に読んでいるが、その基本単位は月の朔望周期、もっと言えば月の上の1日である。言うまでもなく地球上の生物の中に刻み込まれている周期であり、月がなければ自転軸も安定せず、また潮の満ち引きがなければ、両生類にとっての波打ち際という生物上陸のステージもなかった。

■月は地球の胎盤という表現も単なるメタファーではない。人類は月の中にいるとか、月に食べられ続けているというイメージや表現があるが、私たちの意識の広がりは、いまや何千年も続いてきた土星までの限界帯域を超えて、天王星以遠に到達している。天王星の1公転は地球の84年、木星の7公転周期。

■天王星の1/4公転はほぼぴったり260×29.5日…つまり1キンを月の1日にした場合の1ツォルキンである。天王星の1公転はだから月の1日を1キンとすれば4ツォルキン(260×29.5×4=30680日)であり、月の1040日であるということだ。サターンリターンで戻ってくることなく外に飛び出している。

■地球上の人間に立ちもどれば、誰であっても地球が1公転(365日経過)すれば満の1歳年を取る。月の1自転・公転は27.32日(朔望周期29.5日と異なり、全天に対しての1自転であることに注意)だ。1年の間に地球は366回自転する。27.32×366=9999.12≒10000日となる。ほぼぴったり1万日だ。

■7年ごとに人間は成長の段階が変わるという考え方は、シュタイナーだけでなく、古代ギリシア時代の「医学の父」と呼ばれているヒポクラテスも言っている。幼児期・少年期・青年期・成熟期…などと7年ごとに分けるあれだ。28年で一巡りして、次の同じ周期に入るか1つ上の周期に出るかの端境期。

■これは誰にとってもシンプルに生後10000日と重ねられるのかもしれない。つまり月の365自転・公転周期でもある。月と地球の自己他者問題的に言っても「位置の交換的」周期だ。太陽と地球と月の大きさもまた10000:366:100である。月・地球・太陽の三つ組の位相が揃うこの年に新しい扉を開ける。

■さらに色々数的整合性や形の相似性をかなり綺麗な位置として見ることもできるこの年、この日、日・月・火・水・木・土の7曜の限界を超えて、新しい周期、より多重に世界と自己を見る視座を得られるに違いない。そんなことを考え直してみる太陽暦と太陰暦が共に新月であるこの年、この日。大切にしよう。
 













 

ましまろに〜にょ、いわきの泉へ



■湯本を超えて泉へ。kiraku&草子邸までの道のりは記憶していたものとかなり違っていた。右側からぐるりと回っていけば急坂を登る必要もなかったのだけれど、私が自分の記憶を変に主張したから、神社への直線的で急な階段をずっと登ることになってしまった。いや、もうしわけない。途中のコンビニで買ったビール等がずいぶんと重かったが、どうにか無事到着する。

■食事などの準備を先にしてくけれていたので、火を通すだけで酒盛り開始となる。画像はタイマーを掛けたデジカメに向かっての最初の乾杯ポーズだ。おでんも美味しかった。kirakuさんが晴ちゃんのことを「晴に〜にょ」でなく、敢えてハレルヤのだじゃれだろうか、「晴れる〜にゃ」と呼んでいた。ネコ語的?



■食事の後、場所をアトリエに移動して飲みトークは続く。大爆笑の連続。ましましさんのアーティスト独特なスタンスもあり、様々な問題への独自なアプローチがこれまた面白く、かつ説得力がある。昨日今日の世間的ニュースも知らないことを初めて思い知らされる。まあ99%は知らないままでも忘却の彼方に流れて行くので構わないのだが。

■各自独特な意識フィールドでの会話空間に入ったり、そこから出たりしながら転がる話。その外にいる者は画面の中の出来事としての視座から会話を眺めている。しかし強引に画面の中に引きずり込まれたり、外から見ているつもりが画面の内外を反転させられたりして、気が抜けない会話のスタンス(^^)。内容もだけれど、その空気も楽しい。



■晴に〜にょ、翌日の早朝7時7分の特急スーパーひたちに飛び乗って東京に戻り、すぐ仕事に復帰した。あとでkiraku氏が教えてくれたけれど、ちょうど前日は珍しい全国的に快晴の日だったそうだ。翌日のニュースで人工多能性幹細胞の研究者の名前がにも「晴」がついていた。STAP細胞を発見した、あのかっぽう着の「リケジョ」小保方さんね。晴づくめ(^^)。

■深刻な問題を多数抱える福島で、様々な試みや行動を起こしている人たちがいる。必ずしも現場主義者ではないけれど、やはり実際に訪れ、現地で生活している人たちとの会話や触れ合いは大切なことだと改めて思う。個と全体と、そして今や高速に思えるそれらの間の時の流れ。既存の態度と速度だけでは追いつけない。

■その後、ましましさんと私もその日の午後のスーパーひたちで帰京した。kirakuさん、草子さん、いろいろと本当にありがとう。












 

ましまろに〜にょ、こびっとハウスへ



■結構遅くまで飲んで話をしたけれど、7時には起きて早速朝の露天に入る。大気は零下なのでましましさんの髭が凍った。この画像は宿のサイトからの借用だけれど、美化されているのではなく正にこんな感じ。それからバイキング形式の朝食をとる。ましましさんも言っているが、ここの食事は1つ1つがみな手抜きがなくて美味しい。美味しいものは生命に元気をくれる。



■チェックアウトは11時だったが、10時にはそれを済ませて玄関の外にある大きなかまくらの中や、積もった新雪の上で遊ぶ。ましましさんは確かめるように雪の上を歩いている。晴に〜にょ、いきなり雪面に顔面プレスしてコールドデスマスク(?)を制作。若いことはいいことだ(^^)。



■やがて中森氏が車で迎えに来てくれたので、それに乗ってこびっとハウスに移動開始だ。磐梯朝日国立公園の中だからコンビニやマグドナルトやガソリンスタンド等の看板が、通常の原色ではなく景観を損なわないよう配慮した色になっている。そこまで彩度を落とすかという超渋い色が逆に驚きである。



■安珠さんと森橡さんが中心となったEarth Spiral、そしてこびっとハウスとは古い建物をアーティスティクに再生させている途中の建物で、「こびっとハウスプロジェクト」とはこれを様々なコミュニティスペースとして用いて新しい価値観・世界観を模索・想像・共有していこうとする活動である。画像は雪に半分埋もれているこびっとハウス。



■そしてこちらが居住地区。厳冬を越さねばならぬ雪国の玄関は、深海探索船や宇宙船のように2重になっている。道路から玄関までのアプローチも、雪をくりぬいた迷路のようになっている。しかし室内に入ってしまえば薪ストーブと大きなガラス窓から差し込む太陽光で晴れの日はとても温かい。愛猫くるみ&わさびが出迎えてくれた。敬意を評して挨拶をする私。



■壁に飾ってあるましましさんの絵の前で記念写真。このカメラのある位置は太陽光が差し込んで暑いくらいの窓辺である。猫が外に散歩に出て、雪の上にウンチをしてからまた雪で埋めるという。毎日それを繰り返していると、春にはどうなるのだろう?凍った大量のウンチが雪解けとともに解凍されて…?外は雪景色、家の中には猫たちがゆっくりと巡回する。絵本のようだ。



■左は上と同じ位置での写真だが、光量が圧倒的だ。右はさっさと馴染んでくつろいでいる私。しかし横になってすぐに寝てしまったましましさんには負けるけれど(^^)。



■当家の愛猫、わさびとくるみ。大切に扱われていることが分かる、穏やかでマイペースなわさびちゃん、そしてホスピタリティにあふれたくるみちゃん。猫のいる風景は本当に心なごみ癒される。



■何やらだんだん画像が「扉絵」みたいになってきているけれど、左が中森邸の2階の窓から正面に見える裏磐梯。中央部手前の大半部分が噴火で吹き飛んでいる。そして右はこの山を回って猪苗代側から見た表磐梯。前後の視座を左右同時に…これも扉絵と言えるかもしれない。



■さていよいよ裏磐梯を立ち猪苗代に戻ることに。中森夫妻に車で猪苗代まで送ってもらい、新しくできたという台湾料理店で一緒に腹一杯ランチ。そしていよいよ次の目的地、いわきにあるkiraku & 草子邸に旅立つのである。磐越西線で郡山まで出て、そのあと磐越東線でいわきまで。途中でまたボックスシートの中にいた1人の不思議な女性と話をしたすることに。いわきからは上野方面に3駅の泉に到着すると、kiraku氏と草子さんが待ってくれていた。












 

ましまろに〜にょで裏磐梯へ

   

■JR新宿駅西口の中2階にあるQ's Cafeにて。ましましさんと晴に〜にょとの待ち合わせ場所なのだが、私はめっきり田舎者になっちゃってて、神奈川藤沢からラッシュ時の小田急線に乗って上京する塩梅が分からず、1時間も早く着いてしまった(笑)。これから裏磐梯に出発なんだけど、現地最新情報だと−15度Cの世界だとか。心の表皮細胞、結構震えてる〜。

■この店は改札のすぐ傍にあるのにちょっとした穴場でゆったりしている。ガラス越しに行きかう人の姿が、まるで水の流れのようにエネルギーに満ちている。水槽の中から世界を見ているような感じを覚えてしまう。まあもっとも自分という水槽の中から世界を見ているということは間違いないんだけれど(^^)。 車中寝てたから寝ぼけづら、アンド髭すら剃っていない(笑)。



■新幹線ですーっと行って、磐梯熱海とかで途中下車して温泉につかるという選択肢もあったけれど、今回はゆっくりのんびりのぶらり旅ということで、ローカル線に乗り込んで普通乗り継ぎの各駅停車の旅である。新宿から宇都宮まではボックスシート、そして宇都宮−黒磯、黒磯−郡山は普通のシート。もういきなりトーク全開だ。
 


■郡山から猪苗代への車中もボックスシートだったのだが、1人で座っている人のところに3人で押し掛けて座るパターンとなると、すぐにそのボックスに1人でいた人とすぐに話が始まる。旅気分だなあ。それらの話がみな面白く、またみんな優しい人ばかりだ。画像は猪苗代についてすぐに、裏磐梯ロイヤルホテルの送迎バスに乗り込んだところ。奥に見えるのが駅舎である。



■晴ちゃん、仕事で頑張り続けてきたので、旅はチョイ久しぶりとのこと。郡山まで雪はあっても解け残りのちょぼちょぼだったのが、猪苗代に近付くに従って積雪量が増してどんどん雪国の様相になってきた。遠目に見える枯れ木たちが立つ山々を、職業がら晴に〜にょは少年たちの頭の5分刈りに見立ててる。裏磐梯は胎盤裏って言われるまではベタ過ぎて気付かなかった。



■画像は雪の中の裏磐梯ロイヤルホテル正面。出発時は快晴だった空は雪景色と共に雪国特有の曇天に変わり、裏磐梯では山中モードとなって雪が降り始めている。裏磐梯の今はスキーシーズンだが、さすがに平日は客も少ないようだ。ましましさんのフロントでのやり取りから、チョイ加算の予算で広々として和室も付いているスウィートルーム変更できた。これらみな僥倖なり。



■画像では見えないが雪が降っており、私は藁で編んだ傘をかぶって露天に入っている。雪の上を風が走って巻き上げる地ふぶき的な風で、お湯の外と中とでは天国と地獄の違いだ。その界面で身体の露出と湯入の極楽度を自ら微調整するこの湯悦感、湯楽感。身も心も冴えてます。眼鏡はくもっているか?温泉の中の私の眼鏡にくもりなし、あるのはぬくもりばかりなり。





■雪が降っていて外気も氷点に近くなっていたが、それこそ幸いと先ずは露天に飛び込んだ。思いのほか広いだけでなく、これぞ雪見露天という状況でお湯もしっかり活力に満ちいてる。体にぐーっと染み込んでいくような感触だ。このナトリウム・カルシウム−塩化物泉(源泉名は五色温泉)はろ過装置が付いており、塩素系消毒剤も使っているらしいがほとんど気にならない。



■内湯は加水加温循環だがほぼ客もおらず、オーバーフローもあるので特に問題はない。また外の解放的な露天岩風呂はぐるりと雪が積もった岩に囲われており、雰囲気は最高だ。非加水で加温循環だが、入浴客総数がわずかなので湯が生き生きしている。泉温は48度CでpHは8.5。硫酸1197mg、カルシウム364mg、ナトリウム463mgなどの成分総計2590(mg/kg)である。



■ここはロイヤルホテル系列のリゾートホテルだが、(ましましさんの活躍など)いろいろあって、結局プラスわずかの予算で広々としたスウィートルーム(画像は宿のHPの借用だが、まさにこれと同タイプの部屋)に変更してもらえた。中央左奥に和室までついている。ここで中森夫妻も交えて話と酒盛りと(^^)。大きな窓からは銀世界が丸見えで、朝は狐の足跡が点々と…。



■来る途中のボックスシートのパノラマ画像は、横に飛び出るので最後に持ってきてみた。向かい合っているはずの私とましましさんが真横と正面になっている。晴に〜にょ的視座の回転の平面化?そういえば一昨日、360度のパノラマ画像を極座標化して球体のようにするアプリもあるという話を聞いたなあ。人間の意識も振り回されずにそれらを使うべく進化しなくては。



■体が柔らかい晴に〜にょが部屋の中でいろいろなポーズをしているうちに、「自分の足裏を合わせるとそこには土踏まずでできているハートマークがある」と言った。まねをして自分もそれを見ようとして身を捩ったらあちこちがつりそうになった。それでも無理にエビ反って強引に見ると、そこには「人は誰でも自分自身の扉絵を持っている」という事実と現実があった。

■つまりましましさんの扉絵作品は単なる他者のアート作品なだけではなく、「みんな自らの扉絵を身体として持っているのである」ということを知らしめられた足裏ガン見だったのである。うん、ちょっと感動。骨盤も肩甲骨も、あちこちにいろいろな扉絵があるけれど、人のものも自分のものも、その時その時の作品として見ることもできれば素晴らしかろう。…で、旅は続く。









 

個展のクロージングトーク


■ましましさんの個展の最終日に、ましましさんと2人して胎盤をテーマに対談形式で進むのかと思っていたけれど、1時間半の枠を貰って自由にトークをと言う設定だと数日前に聞いたので、急いで話の元になる画像をまとめたり制作したりした。



■会場のギャラリーである agreable musee は建物自体が直交の構造に従わない魅力的なカタチをしていた。光もたくさんとりこまれており、ピアノが2台も置いてある。そこにあの蝶番でつながれた tobirae のシリーズが並べられている。





■最初はすでに温まっていた会場に、さらにましましさんが紹介もかねてトークの端緒を開いてくれた。扉絵から連想するのはベシカパイシス。2つの円が互いに中心と円周を交差した形で、√2、√3、√5を内包する原初的で幾何学的な形。単純な形同士の組み合わせから、惑星軌道同士の関係を見ていく。



(1)太陽の直径は139,2000kmであり、地球の直径は1,2742kmである。これは単純計算すると、太陽の直径上に地球が109.2個並ぶということだ。

(2)地球の平均公転半径は 1,4959,7870kmだが、遠日点距離(地球−太陽間の最大距離)1,5214,1033.8km (=1.017 AU)には、太陽が109.2個並ぶ。

(3)地球の衛星・月の平均直径は3474.3kmである。この直径に円周率πをかければ、月の赤道円周の距離は109.2×10^2kmだということが分かる。

(4)月の自転・公転周期は27.3日だが、その4公転周期は(27.3×4=)109.2日である。この間に地球自体は109.2回自転する。

(5)「13の月の暦」の余日を入れない1年は(28日×13ヶ月=)364日だが、これで表す地球の3年の日数は、10倍の(364×3=)1092日である。

(6)3の1乗から6乗までの数の総和は、(3^1+3^2+3^3+3^4+3^5+3^6=3+9+27+81+243+729=)1092である。

(7)正4面体の中心角は直角90度に19.5度を加えた109.5度(より正確には109度28分16.4秒)である。

■こんな話もしたかったのだが、時間が足りなくてできなかった。地球暦も惑星グリッドに立ち上がり、ましましさんの作品群も1枚きりの平面図から扉絵という立体的なものになってきている。



■ちょうどこの日に合わせて開知クンが新しい地球暦を送ってくれていた。今回はそれも用いて太陽系の各惑星同士の関係を話させてもらった。そこから自己他者問題に展開することは時間的にできなかったが、後日リベンジとしてどこぞで続きを話したいと思っている。受胎から出産までをここに乗せて細やかな周期を見ることも開知クンはやっているが、実は胎盤の話もこの上にかぶせてしたかった。



■開知クンとましましさんも絶対的相互信頼の友人同士だが、それぞれの作品がひとつところでまさにスポットライトを浴びて画像に収まるというのも、駆けつけてくれた友人知人同士が一つの空間を共有してくれたのと同様に、ありそうでなかなか実現しないものごとの交差点的現実化で、にぎにぎしくも華やかな、そして贅沢な時間だった。私の話はオマケです(^^)。

■1をAUとして、2:3は地球と火星公転軌道の直径比。

■水星と金星。3つのグラス。
■水星と地球。8芒星、5芒星。
■金星と地球。正方形の内接円と外接円。
■水星・金星・地球。
6芒星と5芒星
116×π=364.4247…と225×φ=365.0576…

■火星と木星。
■土木連合と12-60進法。
4重の6芒星、ベシカパイシス、正6面体。
√3、3、3√3≒5.2、9…
土星と月の1年1日法…29.5日と29.5年



■今回は画像が小さいのでポインターは不要だろうと持ってこなかったのだが、やはり不自由なので途中からギャラリーの備品をお借りしての画像説明。水星・金星・地球の公転軌道同士の比率を円で重ねて説明しているところ。その下にはましましさんの3枚つづりの扉絵が…。左端の地球暦も含めて、ある意味かなり贅沢な絵づらである。この瞬間は質問にこたえようとしているところかな。

■次元を1つ上げる発想とは例えばどういうこと?
・全体を見るために足してみる
1〜9の総和⇒45、1〜10の総和⇒55、そのさらに和⇒100
・二乗して足してみる。
1〜10の2乗の総和⇒385 月−地球間の距離…384400km
5だけを2乗しない⇒365 5と10を除外⇒260
・10,11,12の2乗の和⇒365 13,14の2乗の和⇒365
・私たちの体温⇒36.5度C前後
・クラドニパターン⇒10分割…3.65倍 3重環…3.60倍
・プラトン立体5もしくは6個…双対3組
面と点の総和⇒100
サイコロの目の総和⇒355と365
太陰暦と太陽暦、12と13
月のみならず金星も12と13
・地球と金星の5芒星。584日。292日。8年。
2012年6月8日の太陽面通過から8年⇒2020年
東京オリンピックだけでなく世界が日本に注目。
未来が真っ暗なビジョンばかりなのは逆に奇妙。



■かなり背後から撮影してくれた画像で、今思うとプロジェクター画面が小さくて見づらかったかもしれないと思う。多くの人が聞きに来てくださって感謝の極みである。話をする時は場の雰囲気も大事だが、何もない会議室などに比べれば、ただ立って何も語らず踊っていても舞台になる素晴らしい環境だった。以前草子さんの版画個展でもさせていただいたが、個展会場で話をさせてもらうということはこういうことなのかと後になってから改めて思う。

・蝶番で繋ぎ止めた『tobirae』とは「2なのか、1なのか?」
・現今の共通の言語も思考も論理も2値・2元論的構造が基本。
・「二而不二」基本は仏教用語。パラドクスを超えて。
・自己他者問題にもつながる。
・3値、4値の論理思考にもありうる。
・惑星グリッドは人間の精神構造。

・古代ギリシア以来の2値論理のみの思考は、物質的文明と歩調を合わせて終焉に向かっている。リグベーダにある4句的な発想(テトラレンマ)をどう観るか。迎合か拒否か。西洋思考が幾何学と呼んだもののさらにその元だ。これを「形」と呼ぼう。そして2値の思考に数学として閉じ込められていた「数」。

・正4面体に初めて立ち上がりかけている4値的論理思考。この4点・6線・4面・1胞の構造要素からなる正4面体を自己相貫して正8面体と正6面体を産み、また5重に自己相貫させることで正12面体と正20面体の系に辿りつき、それらを統合した惑星グリッドへ。人間から個と総体が無矛盾のヒトへ。



■これは「サークルゲノム」と個人的に名前を付けたシンプルに内接する円をベースに1.2.3から3:4:5を見出し、それを元に中国の三分損益法もしくは同時期の古代ギリシアにおけるピュタゴラス音階の展開生成を、視覚的にただ三分割して一つを取り、またそれを三分割して一つ足すという操作を繰り返してド・レ・ミ・ソ・ラ(そのからさらにシ・ファも出したが)のペンタトニック音階を導き出すことを、テトラクティスもつけて視覚的に表現しているところ。

ベシカ・パイシス
・キリスト教徒には『魚』の象徴。初期はイルカ説(資料)。
・2元性と1元性の両方の顕現。天と地、精神と物質。
・宇宙の構造を理解するための最初の鍵。

・2の平方根…特性は「発生」 √2=1.4142135…
・3の平方根…特性は「空間の形成」 √3=1.7320508…
・5の平方根…特性は「再生・成長」 √5=2.2360679…

・人間に限らず一瞥での数覚は通常5まで。
・指は5本。5体満足。5芒星。黄金比。
・受精卵の細胞分裂⇒5回目と6回目で黄金比。

・正方形や正3角形や立方体でもいいけれど、先ずは円で。
・惑星軌道は楕円。2つの焦点の1つに太陽、もう1つには何もない。
・人間の意識も意識中心の私と無意識中心の未私。
・真円は特殊な楕円。

サークルゲノム…1〜12(7と11が不協和音…数の性質)
1/1、1/2、1/3、1/6…。3:4:5の直角3角形





■もう何やらノリノリで話しているところ。自分では意識していないのだが、やたら手が動くと言うのは昔からの癖。最近では立ち上がって動き回ったりして話をすることもあるのだが、舞い踊っているようと評されることもあり(踊り狂っている?)、もはや居直って音に関しては歌い踊りつつ演奏もして展開するのもアリかと、尊大にも妄想する次第(笑)。右隅ではましましさんがじっと見守ってくれている。内容をみんな忘れた後、それでも残る何かが伝えたいことなんだよね。



■パノラマで撮影してもらった画像。せっかくだからそのままの幅でアップしてみた。ボリビア、ペルー、チリ等で160万人ほどが話している、「4人称」を持つアイマラ語についても、日本語の曖昧さ(というより文法的な人称というものはないし、主語を省略しても意味が通じる)とからめて話をしてみたかったところ。まあまだ時間はたくさんあるので、あせらずにいきたいものだ。改めて会場を支えてくれた方々、会場に呼んでくれたましましさん、そして会場に来てくれた方々に感謝したい。そして感謝できる自分自身にも感謝である。









 

れっつとらしえペンターブシステム



■東京・国立にあるギャラリー「agreable*musee」でのましましさんの個展最終日に、クロージングトークと称する場で少しだけ話をさせてもらった。プロジェクターを用いての1時間半枠の話だが、用意したのが数時間分なので、話の1/3の第1部が終わったところで幕となった。「数と形」がとても面白いということの本のエッセンスだけでも伝わったならもう御の字である。



■遠く宇都宮からわざわざ来てくれたるしえる兄ぃ。最近は老眼メガネをfacebookの自分の写真にしていたが、占星術師としてもちょっと貫禄が出てきた。その昔、「あかつきの流星号」で大洗からフェリーに乗り、北海道をぐるりと話をしたり鑑定をしたり温泉に入ったりしながら旅をした。両手離しでずーっと走れる道路とか、るしえる兄ぃがいなかったらできない夏の北海道だった。



■そしてこれまた駆けつけてくれた妖怪博士と勝手に呼んでいる烈っつぁん。この3人で「れっつとらしえ」というコードネームで東海道やらあちこちを、まるで旅芸人のように赤い流星号に乗って巡り、鑑定や階段やレクチャーなどをしながら周ったものだ。久しぶりの再結成的時空共有。年はとっても心意気と心の若さ(正確には若すぎる青さ)は変わらないし、変わりようがないのである。



■そして個展の主でもあるましましさんが加わって「軽手っ徒」になる。せっかくだから指で1,2,3,4と表してカメラに向かおうと提案したのだが、取られた画像を見てちょいびっくり。フツーに指を数字だけは時から立てるのかと思いきや、左右は示し合わせもしないのに、伸ばしと折り曲げが対照的になっている。かなりファッキーなとびらえ的構造の絵づらとなったが、これでいいのだろうか?


■もう1つオマケの画像。何やら左端に白い不思議なものが写りこんでいる。個人的には色合いや雰囲気から決して悪しからぬものだと思っているが、これをるしえる兄ぃは、「甲田烈和尚の口から南無阿弥陀仏の六文字がオーブとなって…」と表現した。ちなみに私は最近、気がついたら赤やオレンジばかり身につけている。これを自分的には「還暦」の真っ最中だからと言って理由を後付けしているけれど…。

()画像はすべて元カメラマンであり、最近また復活中のるしえる兄ぃのカメラのもの。
  以下の画像もるしえる兄ぃの撮影したもの。サイズだけブログに合わせて縮小済み。






    












 

みかん、大好き



■国立市アグレアブルミュゼで開催中の真島氏の個展tobiraeで、26日のギャラリートークに参加するために、資料準備に一日中パソコンに向かっている私を、特等席から見守ってくれているのは猫のみかん。写真には写っていないけれど、足元には2匹の黒猫もへばりついて応援中。

■実はこれは私の知らぬ間に愚妻が取ったショット。だから左の棚の上にはビールが!…そろそろ切り上げて寝ようかなという時間帯なのである。それにしてもみかんがまるで弁天小僧菊の助のようなポーズに見える。「あっしが一肌ぬぎやしょう」みたいな(笑)。



■実はこのみかん、昼間も同じポジションで、眠りながらこの独特な「苦悩のポーズ」でなにやらもぎもぎとやっていた。左前脚は上向き、右前脚は下向きで、ここで頭を小刻みにぐりぐり左右にすり動かすのである。


■そして寝る前は、肩が凝った愚妻の背中に乗ってもみもみ攻撃をして、心身をほぐしてあげる「みかん」。そのうち黒い2匹にも加わってもらって、「猫々マッサージ軍団」を編成しようかともくろんでいる私である。まあそれまではほどほどに頑張れや、みかん。 猫バカで結構。ありがとな。












 

黒猫たちのいる風景



■そういえば我が家では今日、プチ感動的な出来事があった。去年、黒猫デルピー奔走の後、間違って捕獲された黒猫コデル改めウメタロウは、ずっと野良で鼻水べろべろだったのだが、最初は物陰に隠れてほとんど出てこなかった。そのためにずっと野良体験したデルピーのリアクションかと勘違いしていた1か月。

■そのさらに1か月後には、別の黒猫が事故にあって保護され、これをデルピーと見間違えて即入院させた。帰って来た黒猫は最終的には断尾と去勢手術をして我が家の住人に。これがモモノスケ。こっちはすぐに撫でられたが、ウメタロウは近づくちとすぐに爪を立ててばかり。それが初めて撫でさせてくれたのだ。



■実は隙を見ては後ろから尻尾やお尻を触って慣らすこと2か月余り。少しずつ人間に触れられることにならそうと、けっこうまめな努力を続けてきていた私であった。しかし最後の美味しいところを愚妻にもってかれた〜っ。いや最初のと言うべきか。これからはずっと撫でたり触れたりの濃度を増してこうぜ、ウメ。

■一時はノーパンと言われていたモモノスケの尻部にもようやくぽやぽやと毛が生え揃ってきたなり。そして台所に置いてある穴あきダンボールと爪とぎのあたりは、いつも黒猫の吹き溜まりエリアに…。我が家に来た当初はただシャーシャー言ってた黒猫たちもようやく慣れてきて、今ではいい相棒である。














 

月・地球・太陽の12と13を展開する



 
■上図は月と地球と太陽の関係の1つの有りようを示している。月の13自転・公転周期は355日であり、月の12朔望周期は334日である。同じ1つの月が、地球から見れば12回朔望する間に、月自体は全天に対して13回自転し、地球を13回公転している。しかし地球そのものがその期間中に太陽に対して27度動くので、月の朔望周期も27度分超過しる。その差異の合計が1回分だ。

 
■また太陽もまたほぼ地球の1公転野間に13回自転している。しかし地球そのものも27度分公転して先に進むので、地球から観測すると太陽の自転はその分だけ超過しなければ1自転として見て取れない。これらの差異の合計がまた、13自転しているのに地球からはその期間にほぼ1公転分減って12回の自転に見える。つまり月と太陽は共に地球から見ると12と13の関係を保つ。

 


 
■この月の13自転・公転周期かつ12朔望周期である355日、また太陽の13自転周期で地球から観測すれば12回と見える355日は、また様々な別のところにも見て取ることができる。例えば正4面体、正6面体、正8面体、正12面体、正20面体という5つのプラトン立体サイコロの合計にも見て取れる。上表のように、サイコロの目は10、21、36、78、210で、その合計は355となる。

 
■また「正6面体と正8面体」、および「正12面体と正20面体」とは、互いに面点変換できる双対立体で(まあいわば相性ぴったりの夫婦みたいなものだ)、正4面体だけが面点変換してもひっくり返った自分自身になる。つまり自分自身と双対の関係なのだが、正4面体も自身とペアと考えると、6つの立体の3つのペアと考えると、正4面体の分が加算されて全部で365となる。

 


 
■つまりプラトン立体を5種と捉えると、それをのサイコロの目の合計が太陰暦の1年の日数と照応し、また正4面体を表裏のペアと捉えて全部で6種として括ると、サイコロ野目の合計は太陽暦の1年と対応するということだ。5と6はそのまま5芒星と6芒星にも対応するし、地球と水星は自転・公転・会合周期の関係から6芒星を描き、地球と金星は同じく5芒星を描く。

 
■水星の会合周期116日に円周率πを掛けるとほぼ364日になる。また金星の公転周期225日に黄金比φを掛けるとやはりほぼ364日になる。364日は13の月の暦の13×28日であり、また1年の52週(7×52)でもある。余日として1日を足すと365日となる。単純に5は10進法に、6は12進法とも連結している。こうしてみてくると、わずかの間に「水星−円周率π−6芒星−12進法」がずるずると繋がり、「金星−黄金比φ−5芒星−10進法」もそれに対応して繋がっている。

 


 
■同じものの周期を異なる捉え方で12と13と見ることに関して言えば、金星の12自転周期2916.24日(=12×243.02)はほぼぴったり金星自身の13公転周期2921.1日(=13×224.7)に近似している。この間に地球は8回太陽を公転2921.9日(=365.2422×8)しており、この期間中に金星と地球は5回会合して2919.5日(=583.9×5)、上図のとおり軌道上に5芒星を描く。

 
■最近の8年間に2回金星の太陽面通過という珍しい天体現象があったが、図にはその2回の金星面通過の間にどのように5芒星を描いたかの日付けも入っている。この間に月は99回朔望し(29.5×99)、107回自転・公転(27.3×107)した。最初が満月ならば「数え」でなく「満」の年齢と同じで100個の満月を見ることになり、また月自体は108回同じ位置に戻ることになるのだ。

 
■つまり完全なる数である100と煩悩の数などとも言われる108の関係で。圧縮すれば25と27で、5の2乗と3の3乗の数でもある。…軽く見ただけでこの図1つからもからずるずると様々な情報へとつながる話が出てきてきりがないので、今回はこのくらいにしておきたい(^^)。ただ言えることは、世界には整合性があり、そしてそれを見る人間の見方が整合性があるということだ。












 

マシマタケシ氏の個展『Tobirae』で話すこと


 
■温泉行きの前に、ましましさんの個展「tobirae」の1月26日(日)18:00に開始する、ギャラリートーク『かずとかたちのいのち』の内容を詰めて、プロジェクターで使う画像を作り揃える作業をしている。実はましまし氏との「胎盤」テーマの対談かと思ってたら、むしろ私がピンの話をする段取りらしい。
 


■時間は基本的には1時間半程のようなので、余り本腰入れて1つことを掘り下げたコース料理より、ましまし氏の個展のテーマを念頭に、自分なりの胎盤的世界観のさわりを、数・形・星・音・暦・色・暦・言葉などの戸棚から、それとなく見繕ってお茶漬け定食デザート付きって感じにしようかと思案中。

 (1)太陽が母体だとすると、地球に取って月は「胎盤」。

  ・月を通奏低音として太陽系を軽く巡る。
  ・月・地球・太陽を生命の3体問題として暦を数える。

 (2)蝶番で繋ぎ止めた『tobirae』は2なのか1なのか?

  ・現今の言語も思考も論理も2値・2元論的構造が基本。
  ・自己他者問題にもつながる3値・4値の論理構造を模索。

 (3)『tobirae』をベシカ・パイシスと見て開く太陽系。

  ・簡単な図形で見る太陽系軌道と諸周期同士の美しい比。
  ・ブラトン立体から惑星グリッドまでの人間の精神構造。
 


■この位のエントリーでもういっぱいいっぱいだろうなあ。残業覚悟で、おまけ的に延長戦用の準備もするけれど、裏磐梯やいわき湯本までも携帯用のプロジェクター持って行って、そこで別の話もできるだろうから、それ用にもPCとともに画像を沢山持っていこう。いずれビデオにでもまとめなくちゃなるまいなあ…。
 

 













 

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