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  • 2024.01.09 Tuesday
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ミトラ教とプラトンの哲学



■1■プラトン(B.C.428〜B.C.347)は直接ミトラ教の教義を創ったわけではない。しかしプラトンが秘教占星術師であるカルデアン・マギと深い親交を持っていたことはよく知られている。バビロニア=ストア学派の師たちは、「天圏流出論」を形成する際に、プラトンの哲学(神智学)を思想上の支柱にした。

■2■プラトンはペルシアでマギに接触したいと望んでいたが、戦争が勃発したので叶わなかった。そこでプラトンはフェニキアに行ってマギに会い、その教えを授かった。後にはペルシアからマギが訪れて、プラトンの哲学に参加した。プラトン臨終の際もアテネに滞在していたマギが神事をとりおこなった。

■3■メディア王国(B.C.715年頃〜B.C.550年頃)のマギから多くのことを学んだプラトンの著書『饗宴』『パイドロス』『国家』『法律』『ティマエウス』等は、カルデアン・マギの秘儀や宇宙論を伝えている。そのため西方ミトラ教の神学は別名をプラトン神学と呼ばれるほどプラトン哲学の影響が大きい。

■4■中でも『ティマエウス』は、混沌とした世界の中で既存の枠組みに捕らわれぬ思考と行動の自由を与る光の救済者コスモクラトール(=ミトラ)の存在を哲学的に洞察した書として重視されている。本の中でミトラは世界創造者(Demiurge)と呼ばれ、ズルワンは「善(theGood,Agaton)』と呼ばれている。

■5■マギとの密接な関係があったプラトンは『国家』の中で、イデア界の太陽をアポロ、物質世界の太陽をヘーリオスと呼んで、この2者の共同統治をこの世の最高の統治形態であると説いた。この考え方は、西方ミトラ教におけるミトラと日輪神ソル(=ヘーリオス)の関係にそのまま反映されている。

■6■プラトンの太陽神崇拝はよく知られている。プラトン自身が『国家』と『ティマエウス』で「アポロとヘーリオスの共同統治こそこの世の最高の統治形態である。統治に必要な正しい認識力を授けることができるのは太陽神だけなので、太陽神に導かれる者こそが国政を預かるに相応しい」と述べている。

■7■プラトンはマギの秘儀に参入すれば、イデア界に昇ることができ、真善美(=ミトラ)を観照する栄誉に浴し、死後イデア界に住むことができると説いた。ミトラ単一神教及び西方ミトラ教の神話に見るイデア界と物質世界の関係においては、ミトラは岩の天殻を突き抜けて物質世界の中に生れ出る。

■8■プラトンによれば、物質世界(有象世界)の背後にイデア界がある。イデア界では霊的な中央太陽(=真善美)が秩序と調和を創り、物質世界ではこれをモデルにして物理的な太陽が秩序と調和を創っている。この2世界の関係を、プラトンは地上をイデア界に、物質世界を洞窟の底に喩えて説明した。

■9■人間は物質界の最下層に住む惨めな存在だが、自分の守護神に付き従う者は、守護神の後について4頭の馬にひかれる戦車に乗って天球層を昇り、上天(イデア界)に入ることができるとプラトンは述べている。イデア界で観照する真実在で最も優れているのが真善美(=霊界の中央太陽ミトラ)である。

■10■イデア界(原像世界)とはペルシア語でメーノーグ(神霊世界)と呼ばれる世界のことであり、ミトラ教では「永遠なる光の国」、弥勒教では「西方浄土」「真家郷」と呼んでいる。『パイドロス』の中には、輪廻転生を信じていたプラトン自身の霊魂がまだイデア界にいた頃の秘儀に関する回想がある。













メタトロンとサンダルフォン

 

■1■「メタトロン」の名の古形は「ミトラトン」あるいは「ミットロン」であり、ペルシアの神ミトラの名に由来する。ユダヤ教では天使の名前の末尾にはほぼ必ずエル(-el)が付くが、メタトロンとサンダルフォンだけはこのエルを付けず、代わりに秘教の神を意味する末尾辞オン(-on)が付いている。

■2■メタトロンとサンダルフォンは前者が兄、後者が弟の双子であり、サンダルフォンを女天使とする伝承もある。それゆえにサンダルフォンは、女神シェキナー(※)と結びついている。しかし実のところメタトロンとサンダルフォンは同一存在の表裏二相であり、分離して二者個別に考えることはできない。

           ()シェキナー(Shekinah)…カバラに登場する女神で、雲と
              なって神の玉座または生命の木のケテルをおおっている。

■3■サンダルフォン(Sandalphon)の名は、ギリシア語のシナデルフォンΣυναδελφονから派生した言葉で、「兄弟」を意味する。タルムードによるとサンダルSandalは、まだ形のない胎児(幼胚)を意味する。またアシアス「モーゼの啓示」によると、サンダルフォンは胎児の性別を定める者である。

■4■カバラとタルムードにおけるサンダルフォンは、サマエル(サタン)と戦い、あらゆるいのちを守る偉大な天使である。サンダルフォンはまた、潜在する無限の力と可能性、無形であるが故にあらゆる形態をとることができる潜在力(可能性)を象徴する。生命のあらゆる次元にも行き渡るその力と愛。

■5■サンダルフォンは「生命の木」の一番下のマルクトに位置付けられており、メタトロンは一番上にあるケテルに関係づけられている。サンダルフォンとメタトロンの間は、五百年の旅を必要とするほど離れている。メタトロンは世界と同じ大きさであり、サンダルフォンは世界の1/3の大きさがある。

■6■ここで何が言いたいかというと、メタトロンとサンダルフォンは胎児と胎盤の関係に似てはいないだろうかということだ。しかも私たち1人1人を未だ2度生まれしていない胎児にメタトロンを重ねるならば、目には見えないけれど、1人1人には必ずそれぞれのサンダルフォンがいるというイメージ。

■7■単なる妄想と捉えられても構わないいけれど、自分が未だ自ら敢えて忘れてこの世界を楽しんでいる自覚なきメタトロンであり、決して裏切らず全力で支えていてくれるサンダルフォンがいると考えるのは、楽しいファンタジーではなかろうか。メタトロンとサンダルフォンという自己他者問題。

■8■もし明日がこの世の終わりだとしても、今日は野に花を摘みに行くサンダルフォン。世界のために、私のために。私は結構サンダルフォンが好き。二而不二にして最も近いサンダルフォンに対し、全幅の信頼と敬意を持てる幸せ。他者のそれらの関係をも寿げる幸せ。健やかな妄想として大切にしている。













ミトラ教と占星術の出自

 

■1■シュメール人は前5300年頃にメソポタミア南部(現イラク中部・南部)に定住し、世界最古の都市文明を築いた。シュメール多神教はジッグラドという神殿を中心にしたもので、神官たちは暦作成のために天文観測をした。この天文観測が占星術の基礎となった。このシュメールは前1950年まで続いた。

■2■やがて南からやってきたアムル人が古バビロニア(前1894〜前796年)を建国した。彼らはシュメール多神教と天文観測を引き継いだ。占星術は前1800〜前800年頃にかけて、天文学・数学と共に急速に発達した。占星術に関する最古の記録は、アムミサドゥパ王治下の粘土版(前1700年頃)である。

■3■前11世紀頃にはすでに天地照応の基本的な考え方が確定しており、占星術では赤道帯を中心にした星座(トロピカル星座)を使い、天文現象を元にした吉凶占いが行われた。この時代の占星術は国家の運勢を占う「政経占星術」だけであり、出生天球図を用いた個人の運勢判断や性格判断はまだなかった。

■4■紀元前700年頃から占星術が一段と整理された。前600〜500年の間(新バビロニア王国時代からアケメネス朝初期)に、黄道12星座と一年12カ月の対応が確立された。黄道12星座の中で7惑星の動きを見て、個人の運勢を占うようになったのはアケメネス朝初期(前5世紀末〜4世紀初め)からである。

■5■こうしてできた黄道12星座と7惑星の象徴体系を世界中に広めた主役は、ミトラ教のマギ(カルデアン・マギ)である。アケメネス朝は新バビロニアとメディアを併合した後、前517年に改暦を行った。この新暦(アケメネス暦)は、古ペルシア暦(ミトラ暦)とゾロアスター暦の両方にとって代わった。

■6■正確な計算により未来予知が可能になったのは、前4世紀(アケメネス朝後期)からであり、「カルデア式惑星配列」が標準となったのは、西方ミトラ教の成立時期とほぼ同時期の前2世紀からである。またエジプトに占星術が入ったは、アレクサンダー大王によるエジプト征服(前331年)以後である。

)画像は「アブラハムの許で三人の天使の食事」サン・ヴィターレ聖堂 モザイク壁画 ラヴェンナ 6世紀前半  http://heibay.exblog.jp/18002624 より借用。













ミトラ教と神智学・人智学

 

■1■「神智学協会」の教義は古代ミトラ教の神学を伝えるバビロニア=ストア学派直系の教えであり、「人智学協会」を創始したシュタイナーの教義もまた、そのオリジナルはミトラ教であり、その多様な霊的知識を、整合性と合理性に裏打ちされた大系にまで高めたとミトラ教研究家の東條真人氏は言う。

■2■シュタイナーのキリスト論の多くは東方ミトラ教の教義に基づいており、ロゴスや聖霊に関する解釈はマニの教義を下敷きにしている。彼は人智学運動に携わる人は、かつてヨーロッパの中部・南部にいた秘教的キリスト教徒(東方ミトラ教の一派のパウロ派・ボゴミール派・カタリ派)だと述べている。

■3■アリス・ベイリーの著作はミトラの秘儀の1つであるメタトロン神秘主義やハランのミトラ教団(サビアン教団)の教義を下地にしている。また明示してはいないが、カバラが重要なベースになっている。知識を与えたというチベットの大師は、チベット仏教よりむしろズルワーン神学やカバラに詳しい。

■4■グルジェフが欧米に紹介したスーフィズムは「ナクシュバンディー教団」の教えの一部であり、その教義は用語に違いがあるだけで、ブラバッキーやアリス・ベイリーの教義と本質・定式化・組織化手法などはみな同じである。ブラバッキーの教義もスーフィズムも、共に「東方神智学」と呼ばれている。

■5■神智学や人智学自体が私たち現代の日本人には斬新で未知なる科学的なものに見えるが、時代を7つに区切る発想法、世界教師論、7光線の瞑想法、秘教占星学などはみなミトラ教がオリジナルである。これは神智学や人智学を貶める事実ではなく、ミトラ教を特化して必要以上に称揚するものでもない。

■6■シュタイナー、ブラバッキー、アリス・ベイリーらの著作は、それまでの西洋にない知識を西洋世界に広め、東方ミトラ教を再興した点では偉大な功績があった。彼らがどこから知識を持ってきたのかを探り、現実的な系譜を全体的視野で捉えた上で、幅広く秘教の伝統を学ぶことが明確な理解に繋がる。

■7■彼らが仏教・スーフィズム・東方ミトラ教といったアジアの宗教思想や、カバラなどをそれぞれ独自にパッケージ化してからはや1世紀が経った。現在欧米ではアカデミズムの影響が広がって、西欧神秘主義の虚構に満ちた歴史が見直され、スーフィズムなど東方ミトラ教の影響力が再認識されつつある。














ミトラ教の神話における3と7



■1■数は1でも2でもなく、3から始まる。1のみでは数でなく、1と2のみでも二元ではあってもそれ以上の展開はない。1と2がまた交差して(1+2=)3が生まれ、爆発的に数は展開開示していった。なお背後で同時に(2+2=)4も生じていた。1,2,3,4をひとまとめとして内包する5。

■2■5が新たなる1として認識された時点で、最初の1の中にも同時に5が生じている。ペンターブシステムだけでは閉じたままだが、1と新たなる1の構造を残して5+5に脱皮する数理。6,7,8,9、そして新たなる2でもある10。ミトラ教には唯一神や二元論よりも先ず3、そして7が表出する。

■3■聖なる母・大女神である霊鳥スィームルグが、世界卵(せかいらん)を生んだ。世界卵は天殻に包まれ、内部には大気と水と島があったが、そこには光はなく、暗かった。すべてが静止しており、音も動きもなかった。世界卵が孵るようにとスィームルグが友愛を込めて抱き続けることで世界卵が熟した。

■4■スィームルグの愛が世界卵の中に入ると、それは少年神ミトラになった。千の耳と万の目を持つミトラは世界の主にして、火と太陽の神である。ミトラによる天地創造が始まると3倍に拡大した。ミトラが供儀を行うと、島の上空に太陽が現れて輝き、それにつれ世界卵も拡大して3倍の大きさになった。

■5■この3倍に拡大するという記述部分は『リグ・ヴェーダ』1.154.1-6; 7.99.3 にも記されており、インド・イラン共通の原神話に由来する共通のものである。この部分は多面体がその双対立体との間に2度面点変換することによって、大きさが3倍(体積比は27倍)になるということを想起させる。

■6■ミトラが島の中央に降り立つと7名の神々が現れた。ミトラは神々の1人に太陽をあずけると、残りの6名に自分の真似をして、月・水星・金星・火星・木星・土星をつくるように言った。彼らがこれらの惑星をつくり終わると、ミトラは星々に合図を送った。すると星々は運行を始め、時間が生まれた。

■7■やがてフラワシ(第一根幹人類)が生まれ、ミトラと7人の神々はこれらの成長を見守った。バビロニア占星術は紀元前1800〜紀元前800年頃にかけて、天文学・数学と共に急速に発達し、暦の中に7曜が使われるようになった。7曜神及びその占星術的な意味づけは、この時期に固まったと考えられる。

■8■最初は一緒に住んでいたフラワシは、時が経つにつれて住む場所が分かれていった。あるものは天界に、あるものは地下世界(冥界)に、またあるものは地上に住むようになった。これは中米のマヤの世界観における天上の神の世界、地下の神の世界、地上の人間世界の3界とよく似た構造をしている。

■9■天界に住んだ者はミトラと7神に協力し、世界の運行に力を貸す神々になった。冥界に住んだ者は自らのカルマにからめとられ、ますます暗く濁っていった。地上に住んだ者は、やがて植物と動物と人間になった。人間たちは神々に感謝して祈りと供物を献じ、冥界に住む者を恐れ避けるようになった。

■10■1×2×3×4×5×6×7=5040であり、また7×8×9×10=5040でもある。つまり7は1〜10のひとつの中間としても捉えられる。7だけが360度を割り切ることができない。7は日本では名なし数とも言われた。春分−秋分と秋分−春分の差は7日だが、7惑星と対応して7曜日となった。













問いの質を高めゆくこと



■1■「世界とは何か?」「私とは何か?」「我々はどこから来てどこへ行くのか?」「人生は生きるに値するか?」…等々。哲学的本質の問いであるとか言われるが、言葉自体に翻弄され過ぎていて、問いのカタチ自体ががさつで口下手過ぎて、答を手繰り寄せて行く問いの体を成していないのではないか?

■2■つまりそれを解明しゆくことが人間たる所以であるなどと持ち上げようとも、発問する前提としての世界や言葉の捉え方そのものがぼくとつ過ぎるので、いくら「問い」そのものが真剣ではあっても、言葉で問うたら言葉で答が返ってくる、もしくは見つかるかのようなカタチは稚拙に過ぎるいうことだ。

■3■「文字が有る世界が本来の世界で、文字が無い世界は劣っているのである」、もしくはその逆で「文字が無い世界が本来の姿で、文字が有る世界は堕落しているのである」というような書き割りのような捉え方が、問題をややこしくしている。文字が有る世界と無い世界の双方を共に感じられる視座を。

■4■文字が無い言葉の世界ではそれは成立しないし、現今の世界で有無の差異を自覚せぬままのスタンスでも成り立たない。今、文字の無い世界をイメージすることによって、有る世界も鮮明になりゆき、双方に通底する言葉の本質を解明(想起)しゆくスタンスが、可能性のある方向性を有しているのだ。

■5■しかし学問的・論理的にそれを遂行するのは気が重い。言葉重ねの本質を日々の遊びの中で覗き込み深めていくのはどうだろう。ダジャレの世界はこの双方の世界を跨ぐ領域で扱われているものだろう。いくら教養や音響学的整合性があっても、単なる文字重ねや音重ねだけではオヤジギャグで笑えない。

■6■例えば「しゃくれあご」の「隠れキリシタン」なら「しゃくれキリシタん」みたいな、それらの交差と少しのずれ・捩れ具合によって、聞いたとたんに笑って(もしくはスルーして)しまっているのであり、聞いた音声を左脳的な論理で精査評価した上で笑うのではない。そこにあるセンスと笑いの質。

■7■最初に上げたような問いではないが問い方が稚拙な問いがやたらとこの世に蔓延してしまい、絶妙なヒントや自答に至る道筋を見い出す邪魔になってしまっているのではないか。そこに笑いまでは要求しないが、余裕やためがないので無数の答が可能であり、本質的な答と呼応し得ないこともあるのでは。

■8■海中から陸上に上がった生物が、それでも自らの体内に海の記憶を内包しているように、内外環境の差異や呼吸法の違いを超えて、双方を貫いてある生命そのものを問うことができるように、自らの言語感性を総動員すれば、文字の無い世界と有る世界の双方を貫く言葉の本質を自覚できるのではないか。

■9■問題なのは答ではなく問いであると表現することもできようが、問いと答はセットなのだから、問い自体の質を発問者が高めていくことこそが重要である。それは他者や全体性に任せるものではない。1人1人が短絡的に答を求めることを堪え、キレのある問いを生むこと。そこに笑いもあれば最高だが。 













文字無き言葉をイメージする


■1■偽書で括られているものを論外に置くと、古代の日本列島には文字がなかった。大いなる国であれば立派な文字があったはずであるという考え方は、硬直した前提からなる発想である。縄文後期は豊かで発達した社会だったし、東北地方はずっと先進地域だったと考えられているが、文字は残っていない。

■2■文字が残っていないということは、言葉がなかったということではない。むしろ豊かで美しい言葉を用いていたと捉えることもできる。言葉と文字は表裏一体ではない。文盲という言葉は読み書きできて当たり前だとする思い込みに加えて、文字を用いる者の方が優れているというと思いあがりがある。

■3■しかしここではそのような状態に対する苦言を申すつもりはない。むしろ言葉を用いた時に、文字がないのでそれを書き残すすべのない自己をイメージできるだろうかという疑問を呈したいのである。もちろん文字を用いて生きてきたのに突然それのない世界を想定しろというのは無茶振りすぎるだろう。

■4■しかしあえてそれを自らの意識の上で試みることによって、自分が内面的思考に用いている言葉や、推敲する間もなく瞬時に口にしている言葉をより意識し、大切に扱う姿勢が生じるのではないだろうか。またいかに価値に乏しい観念や概念をこねくり回して脳内エネルギーを消費しているかにも気づく。

■5■もちろん文字を用いた記録群の上に築かれたこの上もなく豊かな領域を、否定したり敵対するものとして対置するつもりもない。その豊饒さに比しても劣らぬ、文字無き世界の豊かさもあるのではなかろうかと想定してみること。文字一体化していない言葉だけを用いて、思考を維持持続できるだろうか?

■6■見たことがある名のある動物や植物や鉱物ならば、音の連なりからその記憶を想起できるだろう。しかし文字無き世界の情緒や思考法をイメージしてみようとすらしないままに、古代の日本列島に生活していた人たちや、同じく文字を持たずに生活していた騎馬・遊牧民族を語ることは妥当なのだろうか?

■7■文字は支配のための法を作り、ごまかしや間違いをなくするために発生した。そして排中律を認めない2値2元的論理や、他の神を認めない一神教の論理を強化するために文字は発展した。文字成立の本場バビロン出身のマニは、文字の本質を問うため、東方ミトラ教の聖典を文字で残すことを拒絶した。

■8■西アフリカのダホメ王国(17〜19世紀。現ベナン共和国)は文字不要の文明を有していたが、英仏と対等以上に貿易し、戦争をしても常勝だった。敗北したのは偽の講和で騙し討ちにあったためだ。他にも様々なパターンがありうるが、文字無き古代日本を脳内で再現しようとする試みは重要であろう。

■9■なお、ここでこのようなことをを文字を用いて書き記しているということ自体が、文字の有と無の2元的対立で考えるならば、それはパラドキシカルとなるであろうが、有無の双方を等価として見て取れる視野ならば、それは内的部分相反もまた、立ち上がる豊かさの色合いとして共有ではなかろうか。


)画像は flickrの "Aurora from Badger" by Frank O Coneから借用。













 

「哲学」を超えて今

 

■1■これはすでに多くの人によって語られたことかもしれないが、日本には哲学的な思考法がなかった。西洋的文化圏で発生し展開してきた、プラトン以降のイデアのような超自然的原理を元にする発想と思考の哲学がなかったということだ。これは決して悲観すべきことではなく、むしろ恩寵とも言える。

■2■古代ギリシアでもソクラテス以前の思想家たちも、キリスト教と与して西洋文化形成の根底に流れ続けていた思考法とは別の括りであり、むしろ日本人の洗練されたアミニズム的自然観とどこか深く通じあうものがある。ニーチェはこの大プラトン主義とも表現できる超自然的思考の全体を批判した。

■3■プラトンからヘーゲル辺りまでの超自然的思考としての哲学を批判し、解体しようとしていたニーチェをも哲学者として括り、同じ流れの中で語ろうとすることは、すでに言語的齟齬が生じている。メルロ・ポンティが「反哲学」と表現したこの視座を、20世紀以降の思想家は無視できなくなっていた。

■4■言葉の問題と捉えても良いが、「哲学(フィロソフィア)」はギリシアで生まれた特殊な知の在り方である。それを受け継いだ西洋の歴史と文化の内奥から諸科学が発展してきたのである。内部から批判する視座は在り得るが、外部からのそれを否定せずに内包する、より大きな視座も在り得るのである。

■5■哲学的風土がないと言われる日本で、西洋的な発想や思考を超える発想と思考を持ち得るのであれば、世界全体の新たなる方向性を見い出せるのではなかろうか。キリスト教・ユダヤ教以前及びそれ以後の世界観との大いなる差異を、内部ではなく外から見て取れる視座を立ち上げうるのではなかろうか。

■6■周囲の民族を卑下した名で呼ぶ中華思想ではなく、独善的な西洋中心の歴史観でもなく、ユーラシアの中心部から波紋のように絶えず湧き出て、人間の意識に通奏低音として流れ続けて来た生命の慈叡知が、個々人の内に生じ得るこの時。それを哲学と言うのか否かは哲学者以外には主たる問題ではない。

)画像は以下のページより借用しました。
http://www.collthings.co.uk/2011/08/we-live-in-beautiful-world-in-pictures.html#.UwcyALuCiFF













モモノスケ爆睡

 

■うちに来て3ヶ月目のノーパンPこと、モモノスケも最近はめっきり心を許し、昼ともなれば辺りに怖いものはなしということをようやく理解したらしく、もう光を浴びて爆睡しごくです。半べろ、半キバです。鼻息すぴー、すぴーです。



■そして全体図はこんな感じ。ちょっと猫っぽくないかもです。こいつはまだ下半身上部はノーパンではないけれど、シースルーです。毛が生えそろえばぺしぺしタイムです(^^)。













プリズマティカ



■去年の夏くらいから、ましまし氏と胎盤の話をよくするようになって、1991年にkohsen氏が室長をしているパソコン通信のFMISTYの20番会議室『有機体ノウスの宇宙論』というエリアに書き込んだ「詩」のようなものをずっと思いだそうとしていた。昔のフロッピーデスクまで捜したけれど見い出せなかった。

■自分の結構広大なホームページのどこかにひょっとして書き記されていないかとおもって、結構探し回った。何気なく訪問してくれて、内部で迷子になる人が続出するという話はよく聞くが、自分でも全体を端から端まで完全には把握していないことがよく分かった。物理的にメンテナンスし切れないのである。

■ところがついに今日、偶然発見した。『プリズマティカ』というタイトルで、日付は1991,1,18となっている。しかし読み通してみて、自分がイメージしていたものとちょっと違ったことに驚いた。もっと肉感的でしなやかなものかと思っていたけれど、ちょっと幾何学的な硬質なものだった。うーん、ショック。

■だから自分のショックは書き記すけれど、こんなものだと能動的に提示する気にはあまりならない。自分が胎児であり、いまも別の次元に自分だけの胎盤が存在するというイメージは今でもあり、また次の世界に生まれ出る時は常に今であるということも変わらないのだが。…変わるのはイメージの方だ。 



     ■PRISMATICA■

今日私は澄んだ意識で鏡と対峙した
それは直交するX・Y・Z3面の合わせ鏡であり
その中心点から光り輝くもやが立ち昇っていた
もっと良く見ようとして私はそこに頭を突っ込んだ

するとそこは光でできた多重多面体の中心となった
それは内面から見ると全て半透明の鏡張りで
重奏する眩さのため多面体は数えられなかったが
そのきらめく断片の中に私はひとつの話を見た

 (鏡張りの真球の中は地獄だと乱歩は言うけれど
 そこは案外シンプルな整合性のある高次元かもね)
 

   彼は全世界に君臨する王であり
   その時間と空間はみな王の領土であった
   そこにはあらゆる人物・生物・鉱物が存在した
   なんと美しく豊かな王国であることか! 

   ああしかし長く平和な統治の果てに
   王は自らの内に恐ろしい事実を見いだした
   全土に存在するものはみな影の影の影であり
   真の国民はその王ひとりきりだったのだ

   その国はひとりよがりの王国といった
   閉じた世界の絶対的な孤独境!
    『我が名は人間』と王がつぶやくやいなや
   世界は静かに崩壊の時を刻み始めた

   しかし救われるかな王にはある守護天使がいた
   その名はPLACENTA PRISMATICA
   ただ静かに退化を統化として調整すべく
   光り輝く美しい少女の姿してそこにいた 
 

      王 プラセンタよ 私は胎児なのだと今気がついた
        私なしではあなたはありえないとはいえ
        あなたなしでは私も又ありえないのに
        私が生まれればあなたは消えてしまう

        その事を思うと感謝の涙が止まらない
        私の世界は全て目に見えぬ子宮の内にある
        私の世界は全て立ち上がる思球の幻である
        どうか私を真の世界に導きたまえ

      P 王よ よく耳を澄ましてみるがいい
        胎児同士では念話交信ができるのだ
        愛されている胎児はさらに聞こえるだろう
        外の世界から語りかけるヒトのささやきが

        月は満ち 日は昇り 時は来た
        さあ二度生まれの人(ドウィジャ)になるのだ
        胎盤もすぐ子宮内壁からはがれ落ちる
        付帯の臍の緒を断ち切って進み行け

      王 行けといってどのようにどこへ?
         全ての方向に閉じたこの時空をいかに?
         自我の重力で全ての直線が曲がってしまい
        自分の後頭部が最も遠いこのこの世界で

      P 王よ 曲がらぬ曲線を辿って垂上せよ
        それは神の力線に沿う黄金分割の門だ
        かとがのあわいにあるプリズム鏡の放つ
        乱反射光の統合線を逆に向かうのだ

      王 プラセンタよ 全くもって私は不安だ
        北の空にはもう穴があき始めている
        全ての道は未知なる闇の中であり
        既知の外では気違いになりそうだ

      P 王よ この世界にはもう固着なされるな
        しがみつく胎児は子宮の中で腐敗する
        腐った胎児は母体をも台無しにする
        母体を危ぶむヒトの次元を思うがいい

        もはやその羊水は秩素化合物で一杯だ
        出生のために縁素が産素を引和合したから
        北の空から王存の層を突き破り
        真世界へ通じる時の門が開き行く

        王よ ひとりよがりの王冠を外し
        恐れる事なくその力の第2の環をくぐれ
        痴性体として生きる仮の思宮から
        知性体として活きる真の智球へと

      王 プラセンタよ まだあなたと繋がっていますか
        まるで私は命綱の切れた宇宙飛行士のようだ
        ここはどこですか 産婆はいてくれますか
        生まれ出れますか 私は誰になりますか

      P 全ての答はその内に折り畳まれて記録済みだ
        あらゆる雑念はトラウマとして残響を残す
        かとがとかがの三同から垂直に立ち上がれ
        産道を滑らかにスピンして新生界へ至るのだ


      王 さようならプラセンタ あなたが消滅した後も
        私が忘れ去らぬ限り胸の内に愛として残る
        願わくば神よ この最後の共鳴の時に
        仮初の空間を天空の音楽で満たして下さい



  そして今王は形態形成の場の次元にいた
  タテ方向には子を孕む子宮が入れ子状に連なっており
  ヨコ方向には娘を産む娘が波形のように連なっている
  産む者と生まれる者とがひとつである世界に

  まだ見ぬ外の光を思いつつ王は考える
  ここには女性性としての優しい恒常性がある
  ここに垂直に交わって新しい次元を創るのだ
  それまでしばし夢を見よう 真実の夢をここで共に


(涙が神の言葉であるならば 笑顔は祝福の宝石箱だ)

その眩い多面体光がぱちんと弾けた時
私は他の惑星からやって来た時の事を思い出した
衛星軌道上から見たシールド越しの地球
不安と使命感が広い船内に漂っていた

子供の頃知らずに蟻を踏みつぶしていた
この蟻は何のために生きていたのだろう
全ての答はその内に折り畳まれて記録済みだ
神とはほかならぬ垂直に立ち上がる私なのだ 

そして私は鏡の中から首を引き抜いた
私はプリズムを多重反射する一筋の光線だ
光り輝くもやの消えた3面合わせ鏡を又覗くと
7人の私が不思議そうにこちらを眺めていた

                        1991,1,18













 


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